小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

厳かな命を偲ぶ日に。

2021年11月14日 | 母島 日常 日記
■昨日、大好きな島のレジェンドが旅立ちました。
今日は朝から家族や島の仲間に囲まれ、火葬を行い、
95年間という激動の時代に魂をのせて過ごした身体も天にあがっていきました。

12年前、僕が母島に来た時からもずっとよくしてくれた、
沢山の話をしてくれた素敵な、大好きな方でした。

多感な十代まで母島で過ごし、
太平洋戦争での強制疎開を経験し、
本当に辛い時代を百姓として生き抜いてきたのです。

それなのに
とても繊細で優しくて、
いつも真剣で真面目で、寡黙な方でした。

でも、その中にとびっきりのユーモアが詰まっていて、
いつも最高の笑顔を垣間見ることができました。

「一、富士
 二、鷹
 三、なすび
 ちょ~どいいのが、あんぽんたん♡」
と、とびっきりの笑顔で話してくれた大好きな人です。

母島の南部、中ノ平に住んで沖村に歩いて通って、
海が穏やかな日は南京浜からカノーで沖港に農作物を運んでいたそうですが、
学校の行き帰りにそのカノーに便乗することも多かったと聞きました。

雨の日はマニラ坂を裸足で滑るように降りたり、
マニラ麻(サイザルアサ)の葉っぱに傷を付けて文字を描き、
後から通る友達に伝言をしたり、
山道を通うあまりに足腰が強くて「ヤマネコ」と言われるほど、
足が速かったと言います。

本当に色んな大事な話を聞かせてくれていました。

天に昇った日も、
大事な家族に囲まれて、
静かに眠るように旅立って、
またスッと起きて笑わせてくれるような、
そんな安らかな寝顔でした。

ご本人も、
ご家族も、
関わった皆さんも、
本当にお疲れ様でした。
心よりご冥福を祈ります。


■母島にはデイサービスや訪問介護を行う施設はあるものの、
老人ホームはありません。
50km隣の父島には老人ホームがあります。

“自分が過ごした母島で最期を迎えたい”
そんな願いがなかなか叶えにくい現在です。

こうして家族に見守られて、
穏やかに最期を迎えることができたことが、
言葉にならないほど心に響きました。

家族の皆さんの日々の関りには、本当に頭が下がります。

今はただ、寂しい気持ちもこみ上げてきて、
複雑な心境ですが、
数年前に先だったパートナーと天国で再開を果たして、
また笑顔で過ごしているんだなと思うと、
ほっこりする気持ちも溢れています。


■この秋は畑の烏骨鶏が4匹のヒヨコを孵し、
日々成長しています。
新しい命が巡るその様を見ていると、
なんだか、生命の儚さと力強さを垣間見させられます。

誰もが平等に訪れる「死」というもの。

僕も今年40歳となり、
少し死生観というものが変化してきた気がします。

前は漠然と畏れ(おそれ)みたいなものがあり、
人が亡くなったり、ご遺体に触れるときに、とても深い心の動きがありました。
でも、最近は死というものが何も特別なものではなく、
誰にも共通する出来事なんだというのが肌で感じることが出来るようになってきました。

そして自分がどのような最期を迎えたいかを考えるようになってきました。

今回のような、景色が色褪せてしまうほどの
厳かな気持ちにさせられる最後にはならないかも知れませんが、
最期を迎える時には
感謝の気持ちでいっぱいになるような、笑顔で迎えることを願っています。

その為には日々を大事に、
どんな出来事にも意味と役割を感じて接して、
できる限り出来事を受け入れて健やかにいれることを大事にしたいと今は思っています。



■1年前の4月。
新型コロナが世界を覆い、
医療崩壊しているイタリアのある病棟の屋上で、
一人のバイオリニストが病院の上でエールの旋律を奏でる場面。
ふと思い出して、また見たらやっぱり感動してしまいました。

当時の自分のコメントです。
「鳥肌が立ちました。
涙が溢れました。

新型コロナウイルスにより、
深刻な医療崩壊を起こしている
イタリアの病院の屋上で演奏する 横山令奈さん。

日々の疲弊する新コロナの医療関係者の皆さん。
来る日も来る日も、自分自身の感染におびえながらも、
患者さんを救おうと必死に働いていると思います。

ふと、外に出たとき、
ベランダに出たとき、
こんな美しい音色が聴こえたら、
アーティストの心意気に触れることができたなら、
またもう1日頑張れる力が沸く。
そんな気にさせられました。
ありがとうございます。

アーティストって、こんなにも凄いんだ。
こういう形で人が人を支える。
だから世界は美しい。
そう思えました。」

日々、色んな想いが交錯する島の暮らし。
人口450人の僻地な田舎の島です。
僕ができることは何でもやっていきたい、そう思っています。

理解できない理不尽な行動に首をかしげることもあります。
狭い社会ならではの課題にぶつかることもあります。
だけど、同時にそのすべてが愛おしくなる瞬間があります。

でも、僕はそんな泥臭い、人間臭い、
母島の暮らしが大好きです。

そんな母島を築いてきたレジェンドに関わることが出来て、
そしてそれを見送ることが出来て、
本当に有難い1日でした。

どうも有難うございました!