ジェンダーからみるカンボジア

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「心を殺された私」-レイプ・トラウマを克服して(緑河実紗)

2014年01月06日 | 女性の自立

 

 

年末に契約した2014年最初のコンサルタントの仕事は、「カンボジアにおいて、性犯罪などの暴力の被害にあった女性が司法にアクセスすることを妨げる要因は何か」をデスクレビューや聞き取り調査から分析して、どうやってその「要因」を克服するためにアドボカシーをしていくかっていう提言をまとめる仕事。

↓初詣は厄神さん、階段しかアクセス手段がないので子連れは大変

要するに、例えば、レイプされた女性が警察に訴えるのが簡単でないのはなぜか?っていう事実を分析するというクライエントからの依頼。

インタビューはカンボジアでとることにして、ずっとフルタイムマムで居続けるのも居心地が悪いので、日本の自宅に大量にある性犯罪関連の本を改めて読む作業をすることに。ついでに、新年からAMAZONでごっそり本を購入するのである。こういうの経費でおちるといいのになあ。

最初に手に取ったのは、「心を殺された私」。知り合いの紹介で会った仕事関係の男性が夜自宅まで送ってくれて、「トイレを貸してほしい」と言われたので自宅に入れたところ、トイレから出てきてそのままレイプされた被害者の体験記。筆者がルポライターだけあって、丁寧にレイプトラウマについて調査をした内容が紹介されていると同時に、被害者として怒り狂っている記述とが、混在している。

読んでいると、筆者がとてもいい人間だからだと思うのだけれど、ちょっと混乱する点も出てくるんだけれど、体験を書くことによって自分の中で消化していこうという真摯かつ必死な姿勢が感じられる。

筆者は、「なぜ自分はこんなに苦しむんだ」って限界まで苦しむ。97年当時、レイプのトラウマカウンセリングをしてくれるような医療機関は日本にはなかった。

被害者には非はないのに、「あの時Xを自宅に入れなければ・・・・」「なぜAさんはXを私に紹介したんだろう・・・」などなど、いろんなことを考えて、なぜレイプされたのかを分析しようとする筆者。

そんなことは不要なのだ。単に、「自分は悪くない」という点だけ信じられれば、レイプの被害者が絶えざるを得ないトラウマは、もっともっと軽くなるのだ。

↓ダッフルコートがお似合い、着れるのもちょっとの間だけ・・・・

「被害を公表することで、自分にスキがあったから自分が悪いって社会的制裁をこうむるのがいやだ」っていうのは、被害者が沈黙を守る一つの大きな理由。いろんな「障壁」があって被害者は語れないんだけれど、社会的な女性に対する差別意識(つまりは性犯罪などは女性側に問題があったというステレオタイプ的発想)を根本的に変えないと、被害者はいつまでたっても被害を言い出せず、問題は解決されない(つまりは性犯罪はなくならない)のだ。

性犯罪を、「スナッチングにあっちゃった」って言うことと同列に語ることは無理だとしても、被害者が犯罪について語れるようにしていくには、どうすればいいのか。2014年は、こういう深刻な問題に取り組んでいく年になるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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