玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『三つのブルジョワ物語』(1)

2015年06月29日 | ゴシック論
 アメリカ文学に深入りしていると、いっこうに先に進まないので、突然ではあるが私の最終目標であるホセ・ドノソ(木村榮一はホセ・ドノーソと表記しているが、現在ではこちらが一般的)の作品を取り上げることにする。北米から南米に移行するのも自然だし、現代アメリカの短編から現代南米のドノソの短編に移行するのもスムーズな流れだろう。
『三つのブルジョワ物語』は三つの短編(というよりも中編に近い)からなっていて、三編の中で登場人物がだぶっているし、お互いに関連しているから、三部作と呼ぶ方が適当であろう。
「Ⅰ、チャタヌーガ・チューチュー」「Ⅱ、緑色原子第五番」「Ⅲ、夜のガスパール」の三編であり、最初に取り上げるのは三番目の「夜のガスパール」である。なぜかと言えば、この作品の主役は少年であり、子供というものがドノソの代表作『夜のみだらな鳥』でも、もう一つの代表作『別荘』でも大きな意味を持っているからである。
『三つのブルジョワ物語』はスペインのバルセロナを舞台にしていて、「チャタヌーガ・チューチュー」のヒロインが、モデルとして大成功したお金持ちという設定になっているから、“ブルジョワ”という用語は“プロレタリア”に対立するものというよりも、華やかな芸能界の人々くらいの意味を持っている。
 三作ともそのようなブルジョワ達の虚飾に満ちた生き方を、風刺的にあるいはコミカルに描いているわけだが「夜のガスパール」に登場する少年だけが異質であって、この作品を前二作とは違ったものにしている。
「夜のガスパール」は前に取り上げたように、アロイジウス・ベルトランの散文詩のタイトルであり、その中の三編を音楽で表現したモーリス・ラヴェルのピアノ曲のタイトルでもある。だからホセ・ドノソはどちらに焦点を絞って作品の中に組み込んでいくのかと思って読み始めると、すぐにラヴェルの「夜のガスパール」の方であることが分かってくる。
 シルビア・コルダイ(「チャタヌーガ・チューチュー」の主役であるモデル)のもとに、マドリッドに住む別居中の夫から、二人の息子であるマウリシオが送られてくる。しかも、この少年が一日中口笛で吹いているのが、ラヴェルの「夜のガスパール」なのである。
 しかし、ピアノで弾くことさえ至難の技という「夜のガスパール」という難曲を、原曲に完璧に忠実に口笛で演奏することなどできるはずはない。ためしに楽譜を見て欲しい(これは特に難しいといわれる〈スカルボ〉の一部)。]

 こんな複雑極まりなく、ものすごいスピードで細かい音が連続する曲を口笛で忠実に再現することなど不可能なのであって、ドノソだってそんな事は承知の上だろう。
 しかいマウリシオは「夜のガスパール」を原曲に忠実に口笛で吹かなければならない。なぜならこの小説では「夜のガスパール」という曲そのものが、最も重要な意味を持っているからである。他の作曲家の曲ではだめだし、ラヴェルの他の曲でもだめ、そして口笛で簡略化して吹くのでもいけないのだ。

ホセ・ドノーソ『三つのブルジョワ物語』(1994、集英社文庫)木村榮一訳(1990年刊〈集英社ギャラリー〔世界の文学〕19.ラテンアメリカ〉の一部ホセ・ドノーソ「ブルジョワ社会」を文庫化したもの)

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