玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(5)

2019年01月14日 | ゴシック論

●ノートル=ダム・ド・パリ⑤
 さて大きな目標を果たし、今度は北塔の螺旋階段を一気に下りる。登るのは死ぬ思いだったが、下りるのは楽である。時折開いている窓から外の風景を眺め、自分が今いる高さを確認しながら下りるのである。今度はあっという間に下界へ。
 建築物としてのノートル=ダムの美しさを知ってしまった以上、大聖堂の周囲を一廻りしないわけにはいかない。北側の通りに向かい、右回りに一周することにした。そこで私はゴシック建築の神髄を見るとともに、大聖堂の美しさを別な角度から再確認することになる。

北側の扉口

 北側の通りは狭いので引いて見ることができず、建物を見上げる格好になる。私は十字架の交差部が張り出した北側の扉口部分のゴシック建築らしい構造に息を呑んだ。正面の景観はゴシック特有の尖塔を持たない設計のために、ゴシック的とは言えないが、脇に廻ればこれぞ典型的なゴシックという感じなのだ。
 扉口上の半円形が先端でとがっているのは正面と同じだが、その上に二等辺三角形の突出部が付けられている。それはまるで、これから巨大な尖塔へと成長、上昇していく意志をさえ感じさせるもので、上昇性を基調とするゴシックの精神が具現化されている。
 その上には巨大なバラ窓があり、内側からステンドグラスの光を通して見るよりも、私はこの方が好きだ。宗教性を離れて純粋に建築として鑑賞することができるからだ。幾何学的な美しさもそこにはあり、扉口からバラ窓まで全体として天に昇っていくような上昇感がある。

北側扉口から内陣方向へ

さらに内陣の方向へと進むと、縦長の窓枠に合わせた一定の単位が横方向に繰り返されていく。窓枠もまた先端のとがった半円形の上に二等辺三角形の突出部が尖塔へと成長する意志を見せている。ここでもステンドグラスの宗教性を離れて見る開口部はどこまでも神秘的である。
 後陣に廻る途中に大きな鐘が二つ置いてあった。この二つの鐘はすでにリタイアした鐘だということだ。後陣の周辺には公園が広がっているが、鉄柵に囲まれていて中に入ることはできない。柵越しに後ろから大聖堂を見ていると、正面の印象とはまったく違った世界が開けてくる。

ノートル=ダム後陣

 後陣から見た大聖堂はまるで蟹か蜘蛛の脚を付けた怪物のようにさえ見える。この蜘蛛の脚のようなものはフライング・バットレス(飛梁)といって、ゴシック建築の天井の高いアーチ型構造を外側から支え、補強するための仕組みなのである。
 このフライング・バットレスが大聖堂の後陣に一見グロテスクな印象を与えているし、近くに寄ってみたらいかにも苦肉の策といった感じの不自然さを感じるかも知れないが、しかしそれがなければ裸にされたような頼りなさを感じるのであろうし、遠景で見ればバランスの中に保たれた美しさを感じないでもないかも知れない。とにかく正面のイメージと後陣のイメージはまるで違っているのである。
 セーヌ川を渡る手前に公園への入り口があったので、ここからなら入れるだろう、今度は南側を至近距離で観てやろうと思ったが、治安対策のために公園の鉄柵は固く閉ざされていた。残念ながら近くで見ることはできないとあきらめて、セーヌ川をアルシュヴェシェ橋で渡り、迂回して遠望することにした。


セーヌ川越しに見るノートル=ダム

 ところが橋を渡ってセーヌ川越しに見るノートル=ダム大聖堂は、この上もなく美しく壮大な調和の中にそびえ立っていたのである。ノートル=ダムは街のど真ん中に建てられていて、全貌を一望するポイントは限られている。それがこのポイントなのだ。絵はがきにもここから見た大聖堂が多く使われていて、セーヌ越しのノートル=ダムが最も美しいのだと知った。
 しばらく斜め後ろから見た大聖堂にうっとりしながらセーヌ左岸を歩き、プチ・ポンを渡って大聖堂の正面に戻った。その頃にはすっかり日も暮れて、大聖堂には照明が灯されていた。かなりの時間私は、ノートル=ダム周辺にいたことになる。私はもう一度ここを訪れてもいいと思っていた。
(この項おわり)

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