玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(4)

2019年01月13日 | ゴシック論

●ノートル=ダム・ド・パリ④
回廊の怪物達の他にノートル=ダム大聖堂には、ガーゴイル(フランス語でガルグイユgargouille)というものがあって、こちらはパリのノートル=ダムだけのものではなく、ゴシック大聖堂にはつきものの怪物像であり、私が11月15日に訪れたサン=ジェルマン=アン=レー城にもそれはあった。
 ガーゴイルはキマイラ達とは違って実用的な役割を果たしている。つまりそれは雨樋なのだ。石造建築の場合雨が壁を伝って流れ落ちていると、長い間に石と石を接着している漆喰が溶けてきて建物の崩壊にもつながりかねないため、壁面から長く突き出た形の雨樋によって、雨を直接地面に落とす工夫が必要になる。
 それが奇怪な動物や悪魔のような人間の像の形になったものがガーゴイルである。ノートル=ダム大聖堂にも無数のガーゴイルがあるが、私はそれを横から眺めるポイントを失してしまい、下から見上げる角度でしか写真に撮っていない。これではなんだか分からない。


口の空いている方向が下

 キマイラにしてもガーゴイルにしても、人間の想像力をグロテスクの方向へ総動員したような形象は、あまりにもキリスト教のイメージとは食い違っている。それはいったいなぜなのかと考えることは一つのテーマではあるが、キリスト教の歴史にも、ゴシック大聖堂の歴史にもまったく通じていない私には考えてみようがない。
 ただこうしたグロテスクな想像力が、カトリックの教会においてなされていることは特徴的なことだし、私には正統なる彫像よりもむしろキマイラやガーゴイルの方に興味があったことは言っておかなければならない。
 キマイラの回廊は南の塔へと続いていて、途中二つの塔の間から後陣の方向を見渡すことができる。ここでは塔の外壁に施された無数の彫刻を見ることができるし、聖堂の屋根と後陣の端にそびえ立つ大きな尖塔も見ることができる。


キマイラの回廊から塔の側面と聖堂の屋根を見下ろす

 私はこのあたりからノートル=ダム大聖堂の建築物としての美しさに初めて目覚めることになってしまう。息を呑むばかりの美しさとはこのことで、私がこれまで建築に興味が持てなかったのは、それに美しさを感じることがなかったからなのだということに気づいたのだ。
 それほどに垂直に伸びる北塔側面のデザインは美しく、彫刻もまた華麗を極めていた。後陣の尖塔は透かし彫りのようになっていて、私には恐竜の骨格標本のように美しいものに思われた。この尖塔こそがゴシック建築の大きな特徴の一つであるが、ノートル=ダム大聖堂ではこの垂直的なイメージを代表する尖塔が大きなものはこれ一つしかない。

塔の基部に配置されているのは十二使徒像

 ゴシック建築の発祥の地はフランスであり、パリのノートル=ダム大聖堂は初期のゴシック建築の代表作と言われている。そこにはゴシック以前のロマネスク建築からゴシック建築への移行の過程が読み取れるというが、そのような知識は帰ってから得たものであって、その時の私は無知故の感動に浸っていたのだった。
 見学ルートはまだ続くのである。南塔の手前を左に折れて、階段を登るとそこは鐘楼である。複雑に組み合わされた木材の間に大きな鐘が見える。17世紀に造られた13トンの「エマニュエル」と、2013年に設置された6・2トンの「マリー」の二基の大鐘である。こんなものをクレーンもない時代にどうやって持ち上げたのだろう。
 キマイラの回廊に戻って南塔の頂上に出る螺旋階段をさらに登る。頂上は69メートルというから、回廊からさらに23メートルもある。ここで南塔の周りを一周するのである。
 北東の側面はさらに角度がついて眺められるようになるし、後陣の尖塔すら見下ろす高さである。ここを一周すればパリの全貌を360度見渡すことができる。このころには自分が高所恐怖症であることなどすっかり忘れていて、ノートル=ダムとパリ市街の展望の美しさに圧倒されていたのだった。

南塔頂上から北塔を見下ろす

ノートル=ダムからパリ市街を展望(左遠方にエッフェル塔)

 

 


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