玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

シャルトル大聖堂の崇高美(7)

2020年01月10日 | ゴシック論

 いよいよ教会の内部に入らなければならない。私はパリ大聖堂でも内部には30分しかいなかったし、無神論者の私にとってはキリスト教のイコンに支配された教会内部が大の苦手なのである。しかし、右側の扉口から入って身廊に立った私は、その天井の高さに圧倒されたのである。

 パリ大聖堂の天井の高さは32.5メートル、シャルトル大聖堂のそれは37メートルで、それほど大きな違いはないのだが、途方もなく高く感じるのは何故なのだろうか。奥行きはパリ大聖堂の方が若干長いので、そのせいではない。おそらく堂内の明るさのせいだろう。パリ大聖堂よりもシャルトル大聖堂の方が明るいのはステンドグラスの数の違いによる。だから天井がよく見渡せるのである。不分明なパリ大聖堂の天井よりも高く見えるのはそのためなのだと思う。

 ステンドグラスはまさに壮麗を極めた大傑作である。パリではサント・シャペルのステンドグラスを見たが、まるで柱がないかのように堂内全てを覆っているようで、そのような密度はないが、シャルトルではステンドグラスの規模が圧倒的に違う。全部で176ものステンドグラスがあるそうで、圧巻と言うしかない。

北袖廊のバラ窓

その下の5連窓

サント・シャペルのステンドグラス

 しかし、私はステンドグラスに対して文盲である。中世では文字を知らず聖書を読めない人々がステンドグラスに聖書の物語を読み取ったというが、私にはそんな能力もない。かろうじて聖母マリアと幼児キリストが見分けられるに過ぎない。

 しかもステンドグラスは高いところにあるので、子細に見ることができない。それらを読み解くには図版に頼るしかないと思うのだが、中世の人々はそれをどうやって読み解いたのだろう。神の光といわれるステンドグラスの光が、神々しいイメージで無神論者の私にも厳粛な気分を与えるのは確かであり、中世の非キリスト教徒が大聖堂で改宗していったのも、そうした効果が大きかったからだろう。

 ところで入ってすぐ左に塔へ登る入り口らしきものがあったが、受付が閉じられてしまっている。さっき回廊を歩いている人が見えたのは何だったのだろう。所々にバケツがぶら下がっていたから、清掃作業員だったのだろうか。とにかく塔に登ることも、回廊を歩いてみることも諦めなければならない。

 真っ直ぐ進んで十字架の交差部に立ち、内陣方向を見ると最奥に聖母被昇天像というものが鎮座しているのが見える。パリ大聖堂のピエタといい、ゴシック大聖堂の中心にあるのがキリストではなく、聖母マリアであることがよく理解できる。だから大聖堂のほとんどはノートル=ダムと呼ばれているのだった。

交差部から内陣を望む

 しかし、18世紀に造られたという聖母被昇天像は、素朴さも何もないバロック風のゴテゴテの彫刻で、とてもシャルトル大聖堂にふさわしいものとは思えない。この像についてユイスマンスは何か言っていなかったろうか。実は言っているのである。以下ユイスマンスの毒舌の切れ味を味わっていただきたい。

 

「1763年に、時の聖堂参事会はゴシック式列柱の模様替えとし称して、ミラノの石灰職人の手で、これを灰色まじりの黄色っぽい薔薇色に塗らせたのである。次いで参事会は、内陣の内回りを飾っていた壮麗なフランドルのタペストリーを外して、市の美術館に寄贈し、代わりに、恐るべきへぼ彫刻家の削り出した浅浮彫を置かせた。この彫刻家はさらに、途轍もなく大きな聖母その他の群像を刻んで、聖壇を威圧したものだった。不運なことに、1789年にサン=キュロットたちがせっかくこのブリダンの愚作《聖母被昇天図》を持ち去ろうとしたのに、ある間抜けな出しゃばり男が、聖母の頭にすっぽりとカルマニョール服を被せてわざわざこれを救ってやったのだ。

この豚の脂の塊がもっとはっきり見えるようにというので、こともあろうにすばらしいステンドグラスを壊させたという史実を、ぜひ銘記すべきである。」

豚の脂の塊

 

 ユイスマンスの美学の徒としての見識の高さに讃嘆の思いを禁じ得ない。私はそれを写真に撮るのもいやだったので、撮っていない。写真は内陣の写真を無理やり拡大したものである。


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