第1部第11章、12章へと進む。漸く全体の4分の1の地点に近づいてきた。第12章は長い章で、ラドクリフはここでかなり大勢の登場人物を揃えてくる。後半への伏線を着々と準備しているという印象である。
エミリーの叔母シェロン夫人の、虚栄に生き、財産や地位を何ものにも優先させる俗物としての姿が、執拗に描かれていく。シェロン夫人はラヴァレでのエミリーとヴァランクールの出会いの場に出くわすのだが、彼女はヴァランクールのことをまったく認めようとしない。
父がヴァランクールの家族のことを知っていて、ヴァランクールのことを高く評価していたことをエミリーが説明しても、はなから取り合おうとせず、シェロン夫人はヴァランクールばかりでなく、彼を評価した弟のサントベールのことまであし様に罵るのである。
He was always so much influenced by people's countenances! Now I, for my part, have no notion of this; it is all ridiculous enthusiasm.
つまり「弟は人の顔つきに影響されて、好き嫌いで人間を判断したが、そんなことはばかげたことで、私はそんなことはしない」というのである。では、シェロン夫人は何によって人を判断するのか? 財産によってである。
だからシェロン夫人は、どこの馬の骨とも知れぬヴァランクールを軽蔑しているし、トゥールーズに来てからも"図々しく"手紙を寄こすヴァランクールを激しく拒絶する。シェロン夫人はエミリーにヴァランクールと再び会うようなことがあったら、修道院に送るとまで言うのである。
シェロン夫人の価値観に最も合っているのは、最近夫を亡くしトゥールーズにやって来たクレールヴァル夫人である。夫人はいつも壮大なパーティを催すので、シェロン夫人は彼女に嫉妬を抱き、彼女と同列に扱われたいという野心を抱くのである。
かくしてクレールヴァル夫人のパーティに多くの人物が集まることになる。その席にはヴァランクールの姿もあり、シェロン夫人は陰でヴァランクールを非難し続けるのであるが、ある夫人に「ヴァランクールはクレールヴァル夫人の甥である」ことを知らされる。
シェロン夫人の態度は一変し、途端にヴァランクールのことを褒め称えるのである。この豹変の姿にエミリーもヴァランクールのびっくりするだろう。このように、シェロン夫人の人物像は徹底的に下品で、計算高く、自分より下の人間には厳しく当たるくせに、自分より上の人間には阿諛追従する俗物として描かれている。
いささか紋切り型の人物像であり、ラドクリフがストーリーの展開には長けているが、平板な人間しか描けなかったと言われる所以である。確かに善人は型にはまった善人として、悪人は型にはまった悪人としてしか描かれないので、ラドクリフの小説に深い人間理解を求めても無駄であろう。
しかし、ゴシック小説や恐怖小説のほとんどは、平板な人間しか描くことができなかった。そこに小説の目的があったわけではなく、それらは怪異や謎をこそ描こうとしたのであるから。マチューリンやホッグが書いたような作品は例外的なのである。
なぜサントベールはこのような人物に大切なエミリーを託そうとしたのであろうか。彼の見識が疑われなければならないのだが、そうしなければストーリーが展開しないからである。そして波瀾に満ちたストーリーのために、サントベールのような人物像でさえ犠牲にされるのである。
ところでヴァランクールはシェロン夫人の城への出入りを赦される。夫人がクレールヴァル夫人の財産目当てに、エミリーを利用できることを悟ったからである。しばらく二人の恋人同士は、夢のような日々を過ごすことになる。二人の結婚さえ喫緊の課題となっていく。しかし……、
They loved and were beloved, and saw not that the very attachment which formed the delight of their present days might possibly occasion the sufferings of years.
彼らの不幸はこのように予告されるのである。