玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

Ann Radcliffe The Mysteries of Udolpho(2)

2016年02月04日 | ゴシック論

The Mysteries of Udolphoの第1部第6章まで進んだところで、これまでの物語を振り返っておこう。
 サントベール一家、といってもサントベールと娘のエミリー、召使いのMichael(フランス人のはずだから、ミシェルと読むのだろう)の三人は旅を続ける。
 この旅はビスケイ湾を望む、ガスコーニュ地方のサントベールの地所ラ・ヴァレから、地中海に面したラングドック地方のペルピニャンまで続けられてきたので、約250キロの行程を進んできたことになる。
 ピレネー山脈の絶景を眺めながらの馬車の旅である。ラドクリフの自然描写は執拗で、次のような描写がそれこそ何度も何度も繰り返される。
From Beaujeu the road had constantly ascended, conducting the travellers into the higher regions of the air, where immense glaciers exhibited their frozen horrors, and eternal snow whitened the summits of the mountains.
 ここはピレネーの壮大な氷河を眺める場面であるが、ラドクリフはピレネーの山麓の植物層についても詳しく書いているし、ピレネーの険しい懸崖の神々しさを讃え、あるいは地中海を見下ろす場面ではそのこの世のものとも思えぬ美しさを称揚してやまない。
 野島秀勝によれば、アルプス(ここではピレネー)の巨大な自然に「崇高」を見出したのがロマン主義文学であり、ゴシック小説はそれを受け継いでいるということだが、ラドクリフの小説はその代表格と言えるだろう。確かにsublimeやそれに準ずる言葉が頻出している。それはゴシック小説がエドマンド・バークの「崇高の美学」に影響されたというようなことを意味しない。それとは独自の場所で進行した美学の変遷であったのである。
 また野島秀勝はゴシック小説について次のように書いている。
「「崇高」ないし〈ピクチャレスク〉な自然描写を背景とすると言えば、ゴシック小説の大方の主人公たちは、そういう風景の中を「恐怖」に追われながらさまよい遁走し続ける。おそらく、ゴシック小説の流行は、「閉ざされた庭」の安心に退屈した人々が不安と恐怖の戦慄を求める好奇心に応えたばかりではあるまい。それは「閉ざされた庭」の崩壊が呼んだエグゾティシズム、観光旅行熱にも呼応するものであっただろう」
確かに紀行文学と言うよりも"観光案内"と言った方がいいのかも知れない。
だいたい、いかに転地療法のためとはいえ、病気の人間にこんな長旅をさせること自体がおかしいので、そのような不自然なプロットは"観光案内"のためにこそ必要とされたのに違いない。だから案の定、サントベールは絶景によって時に元気づけられることはあっても、結局は疲労のために倒れてしまうのである。
 このような観光案内的描写のなかに、体調不良に苦しむ父と彼の病気を気遣うエミリーの愁嘆場が織り込まれていく。サントベールとエミリーの嘆きは、夫人であり母である存在を失ったことに起因しているのであるが、美しいばかりではない旅の危険に曝された不安ともない交ぜになって、この二人はやたらと泣くのである。
 こんなことで旅を続けることができるのだろうか、という読者の同情を誘う場面である。サントベール父娘のような善良な人間がこんな苦労に曝されて気の毒だ、というような読者の哀れみに訴えているのである。だからThe Mysteries of Udolfoは基本的にメロドラマなのに他ならない。
 メロドラマといえば、若い男性とのロマンスが不可欠である。ラドクリフはそのことも決して忘れることはない。旅の途中で父娘の窮地を救うのは、ヴァランクールという青年であり、その後彼はピストルで撃たれて怪我をした状態で二人の前に現れ、しばらく一緒に旅をするのである。
 ヴァランクールはサントベールにとって、これまでに出会ったこともないほどの好青年であり、エミリーもまたヴァランクールに好意を抱き、彼が彼女に好意を持っていたことを知る。これからエミリーとヴァランクールの二人が、この物語の中心人物となっていくであろうこと、ふたりが邪悪な勢力によって悲惨な目に遭うことになるだろうことを、これらの設定は完全に予想させるのである。
 こんな風に先の展開が読めてしまうところが、メロドラマの基本的特徴なのであって、The Mysteries of Udolphoが、いわゆる婦女子に特に歓迎されたのは理由のないことではない。
 第6章でサントベール一家は、それ以上前に進めなくなり、一夜の宿を求めてある不吉な相貌を持った城の領地に入っていく。この城がユドルフォ城なのであろうか?
 続きをお楽しみに。

 

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