玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

Ann Radcliffe The Mysteries of Udolpho(6)

2016年02月22日 | ゴシック論

『ユドルフォの謎』も第13章、14章へと進んできた。第13章でエミリーとヴァランクールの二人は、幸せの絶頂から絶望のどん底へと突き落とされる。急転直下の展開である。
 それはシェロン夫人が、かねてから彼女に求愛していたイタリア人のモントーニMontoni氏と結婚することになったことに起因している(シェロン夫人は未亡人であった)。クレールヴァル夫人の財産を目当てに、エミリーとヴァランクールの結婚を容認し、その準備さえしていたシェロン夫人の態度は一変する(またしても!)。
 それもシェロン夫人の強欲による。彼女はモントーニ氏との結婚の方に自身の利益を見出し、エミリーにヴァランクールとの結婚を断念させるのである。それがクレールヴァル夫人の不興を招くことになることをも承知で……。
 ラドクリフはクレールヴァル夫人邸でのパーティの席に、このモントーニ氏とその友人のカヴィーニCavigni氏を登場させていて、二人のやりとりの中にそのことをにおわせている。
 エミリーは二度とヴァランクールに会うことを禁じられ、モントーニ氏の仕事の関係で一緒にイタリアへ行くことを命じられる。ここからまた、エミリーとヴァランクールの愁嘆場が繰り広げられることになる。出発前日の夜シェロン邸に忍び込んだヴァランクールは、エミリーとの最後の別れに臨むのである。
 ヴァランクールは駆け落ちを提案するが、二人の名誉を重んじるエミリーの考えはそれを許さない。エミリーの拒絶にあってヴァランクールは絶望するが、エミリーの「私のために」という言葉によって気を取り直す。
 ヴァランクールは突然、噂に聞いたモントーニ氏の疑惑について話し出す。モントーニ氏は有名な一族の一員であるが、性格的にも問題があり、外国で禁治産者になっているというのである。だとすれば、シェロン夫人は結婚詐欺に引っ掛かってしまったわけだ。この新しい謎もこれから重要な要素となって、いずれ解明されることになるだろう。今はまだ謎を積み重ねていく段階なのである。
 そしてエミリーはヴァランクールに永遠の別れを告げ、イタリアへと旅立つ。今度はアルプス越えである。ラドクリフの筆は自然描写を始めると途端に滑らかになっていって、アルプスの絶景を余すところなく描き出す。しかもその自然描写は、エミリーとヴァランクールの会話のように回りくどくはなく、文章も短くなって非常に分かりやすい。
 まさに、絵に描いたように分かりやすい。日本では「絵にも描けない美しさ」というが、ヨーロッパでは「絵に描いたような美しさ」が絶景に与えられる形容語なのだろう。ピクチャレスクpicturesqueという18世紀イギリスにおける審美観の典型をラドクリフの自然描写に見ることが出来る。
 崇高sublimeという用語とromanticという用語が頻出する。エドマンド・バークはイギリスロマン主義文学に、彼の言う崇高の美学の萌芽を見ていたが、ラドクリフの自然描写にはsublimeなものと、romanticなものとが混交していて、未分化なものとなっている。
 だからエミリーは、アルプスの崇高な山々を見て自らの苦しみさえ忘れ、ロマンッティックな夢に浸るのである。しばらく休戦というわけだ。ラドクリフはここで観光案内に戻り、再びエミリーを絶景の自然の中に送り込む。エミリーはピレネーよりももっと美しい、アルプスへと旅をしなければならなかったのである。
 イタリアへと下っていく場面は、エミリーの思いも含めて次のように描かれている。

As she descended on the Italian side, the precipices became still more tremendous, the prospects still more wild and majestic; over which the shifting lights threw all the pomp of colouring. Emily delighted to observe the snowy tops of the mountains under the passing influence of the day-blushing with morning, glowing with the brightness of noon, or just tinted with the purple evening.

 

ヨハン・クリスチャン・クラウセン・ダール《アルプスの風景》

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