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憲法96条は「世界一の難関」?

2013-04-25 07:39:24 | 日本国憲法
 西修・駒澤大学名誉教授が今月1日付け産経新聞「正論」欄で、「憲法改正へ「世界一の難関」崩せ」と題して、次のように述べている。

 憲法96条を改正しようという動きが浮上している。衆参各議院で総議員の3分の2以上の発議によらなければ、憲法改正案を国民に提案できないとする、高い要件を緩和して、各議院で総議員の過半数の議決によって、国民に提案できるように改めようというのが、改正派の主張である。

 ≪先進国で最も厳しい発議要件≫

〔中略〕

 先進国から成る経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国の憲法改正条項を調べてみると、日本国憲法のように憲法改正を必ず国民投票に付さなければならないという規定を持つ国は、日本以外にわずか5カ国しかない。

 しかも、このうち4カ国の議会の国民への発議要件は、過半数(デンマーク、アイルランド、オーストラリア)あるいは在籍議員の3分の2以上(韓国)であり、総議員の3分の2以上としている国は皆無である。日本国憲法の発議要件のハードルがいかに高いか容易に理解できよう。

 残るスイスは、全部改正と一部改正とで手続きを異にし、国民発案も採用していて複雑であるが、いずれの場合も国民投票にかけられる。前憲法(1874年採択)は1999年までに約140回も改正され、同年4月の国民投票で制定された新憲法が2000年1月1日から施行されている。その新憲法も12年3月までに25回の改正が重ねられている。

 改正回数といえば、ノルウェー憲法(1814年採択)はすでに200回以上を数える。同国政府広報部に改正一覧を照会したところ、自分たちも把握していないとの返信が来て驚いたことがある。1カ条でもいじろうものなら天地がひっくり返る大騒ぎになるわが国とは大違いである。


 西については、昔『日本国憲法を考える』(文春新書)、その他いくつかの論考を読んだ記憶がある。具体的な内容はもう覚えていないが、至極まっとうな論者であったと記憶している。
 その西が、このような粗雑な主張を展開しているのは不可解だし、残念に思う。

 なるほど、OECD加盟国のうち「必ず国民投票に付さなければならない」6か国の中では、わが国のハードルが最も高いとは言えるのだろう。
 しかし、それをもって、わが国の改憲要件が「世界一の難関」「先進国で最も厳しい」と言えるのだろうか。
(これらの表現は本文ではなく見出しにあり、西ではなく編集者の手によるものだろうが、しかし西による本文がそのような印象を読者に与えるものであることもまた確かだ)

 連邦制の国家では、議会による可決の後に、さらに連邦を構成する地域の議会の大多数の賛成を要件としている国がある。
 以前の記事でも紹介したが、米国は、連邦の上下両院の3分の2以上の賛成に加え、さらに4分の3の州議会の承認を要件としている。

 カナダは、連邦の上下両院の過半数の賛成に加え、3分の2以上の州議会の賛成を要件としている(重要事項については、両院の過半数の賛成と全州議会の賛成)。

 これらは、わが国の国民投票に劣らず厳しい要件だと思われるが、いかがだろうか。

 また、改憲案が議会を通過しても、その後総選挙を行い、新しい議会で再び可決されることを要件としている国々もある。
 これも以前に紹介したが、

・スウェーデン 国会(一院制)の過半数の賛成→総選挙を経た後、再び過半数の賛成
        国会議員の10分の1が国民投票を提案し、議員の3分の1が賛成した場合は、さらに国民投票

・ベルギー 連邦議会(二院制)が憲法改正を宣言→両議院は解散・総選挙→両議院の3分の2の賛成
      (審議には常に総議員の3分の2以上の出席が必要)

・フィンランド 国会(一院制)の過半数の賛成→総選挙を経た後、3分の2の賛成

・オランダ 下院の過半数の賛成→解散・総選挙→両院の3分の2の賛成

といったものだ。
 総選挙を経るのだから、事実上国民投票を兼ねていると見ることもできるだろう。
 しかも、ベルギー、フィンランド、オランダの、最初は過半数でよいが、構成が変わった新たな議会では3分の2というのは、かなり高いハードルだと思える。
 これらもまた、わが国と比較して緩やかであるとは思えない。

 西は続いてこう述べている。

 ≪GHQの日本人不信の所産≫

 96条はなぜ、こうした高い要件を課されるようになったのか。

 一言でいえば、日本国民に対する不信からである。連合国軍総司令部(GHQ)で、その原案を作成したリチャード・A・プール氏は1984年7月、私のインタビューに次のように答えた。「私が読んだ報告書には、『日本はまだ完全な民主主義の運用に慣れる用意がなく、憲法の自由で民主的な規定を逆行させることから守らなければならない』と書かれていました。私はこの報告書を興味深く読み、厳しい制約を課すことが必要だと思ったのです」

 その結果、同氏らは、(1)憲法が施行されて10年間は改正を禁じる(2)その後、10年ごとに憲法改正のための特別の国会を召集する(3)改正案は国会議員の3分の2以上の多数により発議され、国会で4分の3以上の賛成があれば成立する-との案を作成した。

 この案は部内で討議され、憲法改正は国会の総議員の4分の3以上の同意により成立するものの、基本的人権の章を改正する場合はさらに選挙民による承認を求め、投票した国民の3分の2以上の賛成を必要とする、という第二次案を経て、46年2月13日に、日本政府に提示されたGHQ案は、国会で総議員の3分の2以上の発議と国民の過半数の承認を要するという規定に落ち着いた。

 ≪世の現実と規定もはや合わず≫

 このGHQ案の改正手続きについては、政府においても、また帝国議会においても実質的な検討はなされていない。GHQ案をほぼ丸呑みしたといえる。


 なるほど、リチャード・A・プールらによる原案に、

(1)憲法が施行されて10年間は改正を禁じる
(2)その後、10年ごとに憲法改正のための特別の国会を召集する
(3)改正案は国会議員の3分の2以上の多数により発議され、国会で4分の3以上の賛成があれば成立する

との、ひどく厳しい要件が設けられていたのは、そのような意図があったからなのだろう。

 しかし、それは弱められ、結局は「総議員の3分の2以上の発議と国民の過半数の承認」に落ち着いたのだ。
 ならば、原案の作成者の意図を強調することにさして意味はないのではないか。

 米国やドイツなど、発議に各議院の3分の2を要件としている国はある。
 仮にそれらの国で、3分の2で可決された後、さらに国民投票での過半数が要件になったとしよう。
 各議院が3分の2で賛成しているにもかかわらず、国民投票で過半数の賛成が得られないとは、よっぽど議員と国民の意思が乖離した事態だろう。そんなことが、そうそう有り得るものだろうかと思うし、そうした事態を防止するために、敢えて国民投票を導入したのだろうとも思う。
 各議院の3分の2+国民投票の過半数という制度は、やはりそれほど苛酷なものとは思えない。

 そういう西は、では国民投票については否定的なのかと思いきや、こんなことを言っている。

 憲法改正に際して、最も大切な点は、主権者たる国民の意思をそれに反映させることである。国会の役割は、国民に対して憲法のどこがどう問題なのか、判断材料を提示することにある。

 昨年、実施された日本の新聞各紙の世論調査ではいずれも、憲法改正支持が不支持を20~38%上回っている。特に産経新聞・FNN合同調査では「憲法改正をめぐる投票に実際に投票したい」が81・5%に達している(平成24年5月1日付産経新聞)。

 安倍晋三首相が言う通り、いずれかの院で3分の1をちょっとでも超える議員が反対すれば、国民に憲法改正の意思を表明する機会が与えられないという現在の仕組みは、不合理である。

 世論調査結果に関する限り、社会の実際と憲法規定と合わない部分を改正したいという現実的な理由を挙げる者が多くなってきており、イデオロギーの対立を基に、護憲か改憲かという古くさい議論を展開している国会とは大きな隔たりがみてとれる。国会が国民主権の障害物になっているようにさえ感じられ、早急に、憲法改正要件を緩和すべき第一歩が踏み出されなければならない。


 だったら、わが国が「必ず国民投票に付さなければならない」少数派の国であることを強調することに意味はない。
 むしろ「各議院で総議員の3分の2」の方が問題なのだということになる。
 しかし、前述のとおり3分の2を要件としている国は多々あり、「3分の1をちょっとでも超える議員が反対すれば」は何もわが国に限った話ではない。

 ついでに言えば、大日本帝国憲法でも各議院の出席議員の3分の2が改正要件とされていた(国民投票はもちろんなかった)。

 私は、以前の記事にも書いたように、少し前までは3分の2でいいと思っていたが、最近は過半数に改めるのも改憲の実現のためにはやむを得ないのではないかと考えるようになった。
 しかし、こんな「世界一の難関」「先進国で最も厳しい」といった虚構に基づいた緩和論を、憲法学者に語ってもらいたくはない。
 かえって、改憲の足を引っ張りかねない。

 現に、11日付の同じ産経「正論」欄に掲載された百地章・日本大学教授の「憲法を主権者の手に取り戻そう」には、次のようにある。

 この改正手続きが諸外国と比較していかに厳しいかは、先日、本欄で西修駒沢大学名誉教授が指摘された通りである。それによれば、発議のために議会の「総議員の3分の2以上」の賛成まで要求している先進国はなく、「世界一の難関」となっているという。しかも、わが憲法は国民投票まで要求している。


 上で引用したとおり、西はこんなことは言っていない。OECDに加盟する34か国のうち、「憲法改正を必ず国民投票に付さなければならない」のはわが国を含む6か国しかなく、その中で「総議員の3分の2以上」を要件としているわが国が最も厳しいと言っているだけだ(しかし韓国との差は総議員か在籍議員かにすぎない)。
 百地章もまた憲法学者であるはずだが、何とも粗雑な要約だ。

7月の次期参議院選挙後の議席状況次第では、国会の3分の1の壁を突破し、現実に国会によって憲法改正条項の改正が発議される可能性が出てきた。まさに改憲モラトリアムから完全に脱却する、絶好の機会が訪れつつあるわけである。今こそ憲法を、国会から主権者国民自身の手に取り戻すときではなかろうか。


「今こそ憲法を、国会から主権者国民自身の手に取り戻すとき」
 主権者が選出したのが国会議員である。その議員によって構成される国会から、憲法を国民の手に取り戻すとは意味不明である。
 百地はルソー流の「国民は選挙のときにのみ自由であり、選挙のあとは奴隷である」といった政治観の持ち主なのだろうか。
 ならば、代議制に反対し、直接民主制あるいは人民民主制を志向してはいかがか。

 3分の2が2分の1になろうが、発議権が国会議員にあることに変わりはない。スイスのように、国民が自ら改憲を発議できるわけではない。
 それでどうして、憲法を国民の手に取り戻すことになるのか。
 実にくだらない。

 改憲論議が高まるのは結構なことだと思うが、それが「世界一の難関」といった虚構に基づくものでは、かえって説得力を失ってしまうことにならないか。
 あるいは、そんな主張に基づいて改憲が通ってしまったら、歴史に汚点を残すことになるのではないか。