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憲法96条の改正論に思う

2013-04-07 10:51:54 | 日本国憲法
 安倍首相は、日本国憲法の改正手続を定めた96条の改正を目指すとしている。日本維新の会やみんなの党にも同調する動きが広がっている。

憲法96条の改正、安倍首相改めて意欲

 安倍晋三首相は12日の衆院予算委員会で、憲法改正手続きを定めた憲法96条について「憲法に対し、国民が意思表示する機会を事実上奪われていた」と述べ、発議の要件を国会議員の2分の1に緩和する改正に改めて意欲を示した。

 首相は「たった3分の1をちょっと超える国会議員が『変えられない』と言えば、国民は賛成にしろ反対にしろ意思表明の手段すら行使できなかった」と主張。その上で、96条改正に前向きな日本維新の会を「先の総選挙では比例の結果で第2党だ。『政治を変えてくれ』という希望を皆さんに託した」と持ち上げ、協力を呼びかけた。維新の村岡敏英氏への答弁。


 私も改憲論者だが、しばらく前までは、この96条については、改める必要はないのではないかと思っていた。

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。


 この改正要件を、極めて厳格なものとか、事実上改正不可能にしたものと唱える向きもあるが、私はそうは思わない。
 他国に比べても、それほど厳格な規定ではなかったはずだ。

 ちょうど3月13日付け朝日新聞社説「憲法改正要件 「3分の2」の意味は重い」が各国の憲法改正手続の表(複数の方法がある場合には代表的な例)を掲載しているので、引用する。

 米 各議院の3分の2の賛成→4分の3の州議会の承認 戦後6回改正
 独 各議院の3分の2の賛成 同59回改正
 伊 各議院の過半数の賛成→3カ月以上経て各議院の過半数の賛成→要求があれば国民投票 同16回改正
 仏 各議院の過半数の賛成→国民投票か、政府提出なら両院合同会議の5分の3の賛成 同27回改正
 韓 国会の3分の2の賛成→国民投票 同9回改正

 なお、韓国の国会は一院制である。また、9回の改正のうち76回は李承晩、朴正煕、全斗煥の独裁の下で行われたものである。9回目の改正が1987年のいわゆる民主化の際に行われたもの(第6共和国憲法)であり、以後は改正されていないので、他の4か国と単純に比較するのは相当でない。

 All About の「世界の憲法改正手続比較」(執筆者:辻 雅之、2007年)という記事には、さらに次のような事例が紹介されている。

・カナダ 連邦議会の上院・下院の過半数の賛成→3分の2以上の州議会の賛成
     (重要事項については、連邦議会両院の過半数の賛成と全州議会の賛成)

・スウェーデン 国会(一院制)の過半数の賛成→総選挙を経た後、再び過半数の賛成
        国会議員の10分の1が国民投票を提案し、議員の3分の1が賛成した場合は、さらに国民投票

・ベルギー 連邦議会(二院制)が憲法改正を宣言→両議院は解散・総選挙→両議院の3分の2の賛成
      (審議には常に総議員の3分の2以上の出席が必要)

・フィンランド 国会(一院制)の過半数の賛成→総選挙を経た後、3分の2の賛成

・オランダ 下院の過半数の賛成→解散・総選挙→両院の3分の2の賛成

 多くの民主制の国家では、憲法改正には厳格な要件が定められているようである(英国やイスラエルのような不文憲法の国には、改正手続も当然存在しないが)。
 わが国の要件は、ドイツやイタリアと比べれば厳しいものではあろうが、安倍首相が就任当初述べていたような「あまりにもハードルが高すぎる」ものではないだろう。

 櫻井よしこは、昨年4月25日の自由報道協会における会見での質疑応答でこう述べていた。

96条というのは改正の規定を定めたものです。衆議院と参議院、三分の二の賛成をもって、国民投票にかけて半分以上の賛成を経てようやく改正が出来る。

でも日本の政治史を振り返ってみるとわかるのですが、一つの政党が両院で三分の二をとったことは無い。おそらくこれからもないと思います。となると、三分の二を取れない限りは未来永劫、アメリカ人の作った憲法を我々が使うという非常に変なことが続きます。まずは改正の規定を変えましょう。三分の二の賛成が無ければ変えられないということは、三分の一の反対で阻止出来るわけです。これは民主主義じゃない。民主主義的に憲法改正を可能にするために、三分の二を二分の一、もしくは半分以上というふうに変えるのが良いんじゃないか。まずは96条の一点に絞って改正しましょう。これは96条改正理念として既に出来ています。

一昨年の6月でしたか。超党派で議連が立ち上がりました。自民、民主、その他いろんな政党がここに参加していますね。既に260名の議員の方々が署名をしています。ただ、衆参合わせて約750名弱ですね。96条を変えるのにも三分の二が必要ですからざっと見てあと240名ほど賛成の人たちを増やさないといけない。

私はこれを突破口にしてその後具体的にどこを変えますか?9条からですか?それとも家族のところですか?それとも教育からですか?と逐条的に議論をしていけばいいだろうと思います。


 しかし何故、一つの政党だけで改憲を進めることが前提となっているのか。
 3分の2以上を占める複数の政党で協力して進めればよいではないか。

 社会党が野党第1党であった55年体制の下では、確かにそのような事態は考えられなかっただろう。
 しかし、民主党は、社会党のように護憲一点張りの政党ではない。
 野田佳彦も前原誠司もかねてからの改憲論者であり、集団的自衛権の行使を認めるべきと主張している。
 鳩山由紀夫だって、天皇を元首とし、自衛軍の保持を明記する新憲法私案を2005年に発表している。
 社会党出身の仙谷由人も、旧来の護憲・改憲論議を批判し、21世紀の日本の「国のかたち」を現す創憲が必要だと発言してきた。

 3分の2を2分の1に改めてしまうと、政権交代のたびに改憲がなされるおそれが生じる。
 せっかく改憲しても、次の政権でまた元に戻されるという事態も有り得ることになる。
 憲法は、もちろん不磨の大典だとは思わないが、そうそう安易に変えていいものだとも思えない。
 超党派的に、大多数である3分の2以上を賛成を得て進める方が、改憲に正統性を持たせる上では望ましいのではないか。

 しばらく前までは、そう思っていた。

 しかし、最近になって、こうも考えるようになった。

 そうはいっても、民主党は、政権交代が近づくにつれ改憲論を前面に出さなくなり、政権をとってからも改憲を全く進めようとはしなかったではないか(鳩山由紀夫は首相辞任後に超党派の改憲派議員の総会で、「憲法改正を語る資格はない!」と自民党議員から面罵されたという)。
 この国では、二大政党が協力して改憲を進めるなどということは所詮無理なのではないか。
 このままでは、私の目の黒いうちには改憲など実現することはないのではないか。
 先の衆院選で自民党が圧勝し、日本維新の会とみんなの党も改憲を主張している今は、またとないチャンスではないか。このような機会がそうそう得られるとは限らない。
 この際、96条の改正1本に絞って改憲し、その後、その他の条文について、各議院の過半数の賛成により進めていくという手法も、やむを得ないのではないか。

 そんなことを考えていたところ、折しも日本維新の会が3月30日に行われた初の党大会で承認した綱領には、次のような文言があると報じられた。

1.日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。


 当初の案では「国民の意志と時代の要請に適した憲法への改正」といった表現だったが、石原慎太郎が大幅に書き換えさせたのだという。

 これに対し、民主党は4月1日の役員会で、参院選での日本維新の会との選挙協力を断念する方針を決めた。細野豪志幹事長は記者会見で、日本維新の会の憲法観が「私どもとは異なる」、「維新は安倍政権と酷似している」と述べたという。

 しかし、憲法観が異なるからといって、即選挙協力ができないというものでもあるまい。そもそも、異なる政党同士で、憲法観が一致しなければ選挙協力ができないとはおかしな話だろう。自民党と公明党だって憲法観は一致していないし、鳩山由起夫政権で連立した民主党と社民党にしても同様だろう。
 民主党が今年2月にやっとこさ決定した党綱領には、

私たちは、日本国憲法が掲げる「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の基本精神を具現化する。象徴天皇制のもと、自由と民主主義に立脚した真の立憲主義を確立するため、国民とともに未来志向の憲法を構想していく。


とあるように、この党はやはり改憲を否定してはいない。
 ならば、憲法観はともかく、改憲を志向するという点では一致できないはずもない。
 なのに選挙協力に応じられないとすれば、それは結局のところ、自らの手で改憲を進めるつもりはないということにほかならないだろう。

 民主党がこれから発行する、綱領の解説などが盛り込まれた冊子では、「改憲あるいは護憲そのものを自己目的化することなく、国民とともに憲法のあるべき姿を議論していく」と述べられているそうだ。
 なるほど、改憲を「自己目的化する」とすればそれはおかしい。肝心なのは改憲の内容だろう。
 しかし、いったいいつまで「議論していく」つもりなのだろうか。自民党は2005年と昨年に憲法草案を公表している。

 先に述べた、この際やむを得ないのではないかという思いはますます強まるばかりだ。



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