トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

あの叫びはプロのものだったのか

2007-03-02 20:57:12 | 事件・犯罪・裁判・司法
 DHさんのブログ「思い付くまま雑感文」の記事で、『朝日新聞』に以下のような記事(魚拓)が載っていたことを知る。
 私は朝日の購読者なのだが、見落としていたようだ。


《最近、最高裁の法廷から消えたものがある。

 傍聴席の死刑廃止運動家らが、死刑判決言い渡し直後に「人殺し!」と叫ぶ場面だ。最高裁判事らが被告の生命を奪う最終判断をした、という抗議の意味を込めていた。

 その言葉を叫ぶために30年前から法廷に通った菊池さよ子さんは「死刑判決が月に何度も入るようになり、法廷は機械的に判決を出す場になった。被告との関係を一つひとつ築くのも難しくなった」と話す。「訴えれば通じるかもしれないという裁判官がいなくなった」。74~83年に在職した団藤重光さんが決定的に死刑廃止論者になった契機は、傍聴席から菊池さんが投げかけた言葉だったとされる。》


 団藤は戦後の刑法学の権威。東大教授を定年退官後、最高裁判事を約9年間務めた。判事退官後、死刑廃止論者として活動している。
 団藤が死刑廃止論に転じたきっかけが、法廷で「人殺し!」と罵声を浴びたことだったという話は、著書『死刑廃止論』に出ており、私も読んで知っていた(アムネスティのサイトにも同趣旨の話が載っている)。
 私は、この罵声は、被告人の身内か近しい人が、感情にまかせて叫んだものだと思っていた。
 しかし、この朝日の記事によると、死刑廃止運動家たちが、常時このようなことをやっていたというので驚いた。
 団藤は、そのことを知らなかったのだろうか。9年間も最高裁判事を務めて知らなかったとは考えにくい。しかし、知っていて、本当にそれに影響されたのなら、何ともナイーブな人物だと言うしかない。

 『死刑廃止論』の内容はほとんど覚えていないが、刑法学者の著作なので論理的に死刑を廃止すべき理由が展開されているのかと思いきや、普通の運動家の言い分とさして変わらない内容だったことに失望した記憶がある。
 廃止すべき最大の理由は誤判の可能性が皆無とは言えないこと、そして誤判だとわかったときに回復する方法がないことだと主張していたと思うが、そんなことは死刑に限らず、全ての刑に共通することだ。命さえあれば回復できるとは言い難い。
 
 それにしても、法廷で裁判官に「人殺し!」と罵声を浴びせる「運動」が常態化していたとはなあ。

《最高裁判事らが被告の生命を奪う最終判断をした、という抗議の意味を込めていた。》

 どんな意味があろうが、法廷で許されるふるまいとは思えないがなあ。
 最近法廷から消えたということは、運動家の中にもその方針を受け継ぐ者がいなくなったということなのだろう。これは喜ばしいことだと思うが、朝日の記事にはそのような視点は見受けられない。
 記者は、このような嫌がらせじみた形で裁判官に圧力をかけることに、疑問を抱かないのだろうか。