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「自民党が自民党でなくなった」か?

2009-08-29 22:13:22 | 現代日本政治
 だいぶ前に書こうと思いつつ放置していたネタを今さらながら。

 7月30日の産経新聞「正論」欄で、遠藤浩一・拓殖大学大学院教授が「自民党が自民党でなくなった」と題して以下のように述べていた。
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「政権選択」は当たり前

 「政権選択」もしくは「政権交代」を争点とした総選挙ということがことさら話題になるのも奇妙な現象である。全体主義国を別にすれば、選挙とは政権を選択するために実施されるものである。わが国も現行憲法では国会議員の中から内閣総理大臣が指名されることになっており、かつ衆議院の優越性が規定されているので(67条)、これまでも国政選挙、就中(なかんずく)衆院選は、常に「政権選択」をかけて行われてきた。ただ、与野党の実力が開きすぎていたため、事実上有権者に選択権はなかった。それがこのたびようやく、選択権が生じたということらしい。

 しかしその実態は、自己鍛錬を積んだ民主党がリードに転じたというより、自民党の衰退、堕落が著しく、仕方がないから民主党に一回やらせてみるかという、かなり投げ遣(や)りな雰囲気になっている。選挙必勝の鉄則は逸(いち)早く争点を設定し、その土俵にライヴァル党やメディアや有権者をのせてしまうことにある。平成17年の郵政民営化総選挙で小泉純一郎氏がやったのはこれだった。今回民主党は、有権者の自民党に対する不満とその結果としての投げ遣りな気分に巧妙に棹(さお)差して、いつの間にか「政権交代」を争点にしてしまった。たった4年で形勢が逆転した戦術的理由はここにある。


「景気」の先にある理念を

 これに対して麻生太郎首相は「安心社会実現」と叫んで、争点を手繰(たぐ)り寄せようと躍起になっている。大規模な景気対策を断行して経済危機もどうにか底を打った感がある、これまでの実績を見てくれ、その実績の上に「安心社会」をつくってやろうじゃないかという意気込みを示しているだろう。気持ちは分らぬではないが、自民党に対する不満や倦怠(けんたい)感が高まっているときに、その自民党総裁としての過去の実績を争点にして選挙をするのは無理がある。麻生氏が示すべきは「景気対策」の先のビジョンだった。それは盟友・安倍晋三氏が首相時代に掲げた「戦後レジームからの脱却」の実践的推進ではなかったか。

 首相にしても、景気を回復しさえすれば「安心社会」が実現するなどとは思ってはいまい。「安心社会」とは政治・経済・軍事面にわたる国際環境の激動に耐え抜く逞(たくま)しい国家である。それは経済成長と再分配による民生安定を両立しうる成熟したシステムを有し、国益を実現しつつ国際社会に貢献し、国防について自己責任を果たせる国家である。拉致された同胞を救出できず、隣国の異常な軍拡を拱手(きょうしゅ)傍観するばかりの国を「安心社会」などとは呼べまい。

 今日の自民党の衰退は、麻生氏の個人的な資質が原因となっている面もないではないが、それよりもなによりも何年もかけて自民党が自民党でなくなってしまったところに最大の問題がある。小泉改革で経済社会のバランスは崩壊し、自民党組織は小泉氏の公約通りぶっ壊れた。公明党との協力関係深化によって得るものも多少あったかもしれないが、それ以上に失うものの方が大きかった。

 最も深刻なのは思想・理念の混乱である。護憲派から改憲派まで、あるいはケインジアンからマネタリストまで、自民党には多様な立場や見解が混在している。安倍元首相が「戦後レジームからの脱却」を掲げたところ、河野洋平前衆院議長は「日本国憲法に象徴される新しいレジームを選択し今日まで歩んできた」と、真っ向から反発した。水と油である。しかし、真の意味での「安心社会」をつくるにあたって最大の阻害要因となるものが、安全保障の枢要な面は米国に依存し、もっぱら経済面での国益を追求してきた戦後体制にあることは言うまでもない。その原型を作ったのは、首相の祖父である吉田茂元首相だった。


真に安心できる国家に

 昭和30年の保守合同によって誕生した自由民主党結党の党是は「自主憲法制定」であり、それは「脱戦後」すなわち「脱吉田」を意味した。保守合同をリードした主役の一人は安倍氏の祖父、岸信介元首相だった。が、岸内閣の後を襲った池田勇人首相(吉田氏の愛(まな)弟子)が自分の内閣では憲法改正は取り上げないと宣言して以来、歴代内閣は党是を棚上げし続けてきた。実はこの頃から自民党は自民党でなくなりはじめていたのである。半世紀経過してかつて対立した二人の宰相の孫の連携が成ったのは、戦後政治史上特筆すべき展開だった。ここで自民党は自らを超克することによって再生するチャンスを掴(つか)んだ筈(はず)だった。

 しかし安倍氏は志半ばにして退陣し、麻生氏は景気対策に追われて本来の仕事を見失ってしまった。チャンスは空中分解した。そこに民主党が付け込んだ。こういう状況の下、麻生政権は解散・総選挙に打って出たわけである。これも一つの判断なのだろう。劣勢が伝えられる自民党だが、その総裁として選挙を戦う麻生氏の使命は、バラマキ合戦への参戦ではなく、真に安心できる国家を再生するための骨太の構想を示し、素心を以て訴えることである。



 感想。

それは盟友・安倍晋三氏が首相時代に掲げた「戦後レジームからの脱却」の実践的推進ではなかったか。
 いや違う。そうであれば、自民党は先の参院選であれほど大敗することはなかった。

今日の自民党の衰退は、麻生氏の個人的な資質が原因となっている面もないではないが、それよりもなによりも何年もかけて自民党が自民党でなくなってしまったところに最大の問題がある。
 櫻井よしこも以前、自民党は自民党らしさを取り戻せという趣旨のことを産経紙上で言っていた。
 そうなのだろうか。自民党は、彼らの言う「自民党らしさ」=右派性を失ったが故に、現在凋落しているのだろうか。

岸内閣の後を襲った池田勇人首相(吉田氏の愛(まな)弟子)が自分の内閣では憲法改正は取り上げないと宣言して以来、歴代内閣は党是を棚上げし続けてきた。実はこの頃から自民党は自民党でなくなりはじめていたのである。
 自民党の結成は1955年。池田内閣の成立は1960年。
 池田内閣の頃から「自民党は自民党でなくなりはじめていた」のだとすれば、鳩山、石橋、岸の3内閣時代を除いて、自民党のほとんどの期間は、自民党でなくなりつつあったのだということになる。
 それはむしろ、自民党とはそういう政党だったということだろう。
 遠藤の言う「自民党でなくなり」つつある状態こそが、自民党の実態だったということだろう。

 たしかに自民党の党是は「自主憲法制定」だった。しかし、池田以降、それを正面から掲げた政権はなかった。岸の流れを汲む福田赳夫や、タカ派とされた中曽根康弘の政権においてもである。
 そして、そうであったからこそ、自民党は長期にわたって与党であり続けてきたのだろう。
 遠藤自身も言っているではないか。
護憲派から改憲派まで、あるいはケインジアンからマネタリストまで、自民党には多様な立場や見解が混在している。安倍元首相が「戦後レジームからの脱却」を掲げたところ、河野洋平前衆院議長は「日本国憲法に象徴される新しいレジームを選択し今日まで歩んできた」と、真っ向から反発した。水と油である。
 そうした多種多様の人材を擁していること、それこそが自民党の強味だったのである。
 そして、よく言われるように、派閥連合体である自民党内での派閥の組み替えが疑似政権交代として機能して、自民党は与党であり続けてきた。自社さ連立、自自公連立、そして小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」もその変形だろう。

 しかし、その延命策ももはや限界に達した。

 そもそも、自民党の結成、すなわち保守合同とは何だったろうか。それは、保守政党が大同団結することにより、社会党や共産党の政権奪取を阻止するためのものだった。冷戦構造の産物だった。
 しかし、ソ連は崩壊し、中国もグローバル資本主義に組み込まれて久しい。わが国が共産化する可能性はなくなったと言っていいだろう。
 そしてまた、自民党も、小選挙区制によって派閥の力は弱まり、かつてのような疑似政権交代は期待できなくなっている。
 とすれば、現政権に不満をもつ層が、もう1つの保守政党である民主党を選択しても不思議ではないだろう。
 (民主党は保守政党ではないという見方もあるだろうが、ここで言う保守とは、かつての保革対立時代と同様、自由主義体制を堅持する勢力という意味で用いている)
しかしその実態は、自己鍛錬を積んだ民主党がリードに転じたというより、自民党の衰退、堕落が著しく、仕方がないから民主党に一回やらせてみるかという、かなり投げ遣(や)りな雰囲気になっている。
 長期にわたる一党優位制の下で、自己鍛錬を積んだ野党が与党をリードするなどという事態が有り得るのだろうか。
 与党の衰退、堕落が激しければ、野党に代えてみようかという発想が出てくるのはごく自然なことだと思うが、それは「投げ遣り」などと否定的に捉えるべきことだろうか。

今回民主党は、有権者の自民党に対する不満とその結果としての投げ遣りな気分に巧妙に棹(さお)差して、いつの間にか「政権交代」を争点にしてしまった。
 いや、民主党がうまくやって「政権交代」を争点にしたのではない。遠藤自身も述べているように、自民党の凋落が著しいから、有権者が愛想を尽かして民主党支持に傾いたのである。そうなることで自動的に政権交代が争点になったのである。そこを取り違えてはならない。

劣勢が伝えられる自民党だが、その総裁として選挙を戦う麻生氏の使命は、バラマキ合戦への参戦ではなく、真に安心できる国家を再生するための骨太の構想を示し、素心を以て訴えることである。
 実際、選挙戦で自民党は国家観や安全保障問題での違いを強調している。だがそれがさほど功を奏しているようには見えない。

 私の国家観や安全保障観は、民主党よりも自民党に、それもその右派に近い。だが私は、それを理由に、今回自民党を支持する気にはならない。それは、遠藤の言うような安心社会、「経済成長と再分配による民生安定を両立しうる成熟したシステムを有し、国益を実現しつつ国際社会に貢献し、国防について自己責任を果たせる国家」が現在の自民党によって実現できるとは思えないからだ。何故なら、それがこれまでの自民党政治の「実績」だからだ。
 自民党右派は、冷戦構造の遺物である自民党という枠組みにこだわらず、民主党や他党派の同調できる人々と大胆に連携すべきではないだろうか。つまり、政界再編の勧めである。