トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

ある日の「素粒子」

2007-04-09 00:02:12 | マスコミ
 ちょっと古いが、『朝日新聞』4月4日夕刊の1面コラム「素粒子」より。

《「真意が伝わっていない」と報道側のせいにしたがるのは為政者の習い。慰安婦問題で首相が米大統領に電話。もとはと言えば、自ら「狭義の強制性」を持ち出し河野談話を否定したんじゃないか。》

 いや、違うだろう。
 慰安婦にまつわる話が今日のように重大問題と化したのは、元はと言えば、朝日が強制連行説に基づいてキャンペーンを行ったからではないのか。しかし、調査の結果、強制性の証拠は見つからなかった。にもかかわらず、そのままでは韓国などがおさまらないから、当時の河野官房長官が「総じて強制」と認めて、謝罪したのではなかったか。
 河野談話の内実は「広義の強制」の認定であるにもかかわらず、「狭義の強制」が認定されたかのように誤認されているのはまさに「報道側のせい」であり、安倍首相が「真意が伝わっていない」とするのはおかしくないだろう。
 
 「素粒子」の続き。

《捏造認めて74日目、やっと社長辞任の関テレ。もとはと言えば、ただの娯楽装置が報道機関と称したのが誤りだったんじゃないか。》

 関テレが報道機関を自称しているのかどうかは知らないが、「あるある」は報道番組ではないだろう。
 報道だろうが娯楽だろうが捏造が許されないことは当然なのに、素粒子子は、捏造問題にかこつけて、単にテレビに対する嫉妬を解消しようとしているだけではないのか。
 新聞こそが正統な報道機関。テレビは所詮娯楽装置。・・・と言わんばかりのものすごい傲慢さを覚える。
 新聞もまた、元はと言えば、ただの娯楽装置だったのではないだろうか。

 私は通算すればかなり長い間朝日を読み続けているが、昔から一番嫌いなのがこの「素粒子」だ。
 こうした短文のコラムは、寸鉄人を刺すといった感じの、短文でありながら物事の本質をえぐり出すようなものが理想だと思う。
 ところが「素粒子」は、単なる悪口(それも下品な)にすぎず、読むに堪えないものが多い。事実関係を歪曲していることもままある。そして、これはかなり前からの傾向でもある。
 度重なる紙面改革でもこのコラムの性質が変わらないところを見ると、朝日の論説陣はこのコラムはこの程度でいいのだと割り切って考えているのではないだろうか。
 ネットで検索してみると、その記述はしばしば問題になっているようだし、4月6日付けの朝日の「声」(投書欄)には、

《厚労相は人の上に人を造り、人の下に人を造れり。新インフルエンザ流行時のワクチン優先投与》

という3月27日の「素粒子」の記述に抗議する小児科医の投書が掲載された。さすがにこの記述は朝日としてもまずいと思ったのか、それとも医師からの抗議だから取り上げたのか、あるいは単に度量の広いところを見せたかったのか・・・。

 看板コラムとはいえ、こんなものを楽しみにしている読者が本当にいるのかなと思う。
 社会面の4コママンガと同じで、前例踏襲主義の極みではないだろうか。