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日本共産党が目指す共産主義社会では私有財産を保障?

2018-09-12 06:44:53 | 日本共産党
承前

 しかしそれでも、大野氏が、日本共産党が目指す「共産主義社会」を、私有財産や、反対政党を含む政治活動の自由は保証されると説くのはおかしい。
 何故か。
 ちょっと長くなるが、現綱領を引用する(太字は引用者による。以下同じ)。

五、社会主義・共産主義の社会をめざして

(一五)日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である。
 社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される。
 生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす。
 生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。
 生産手段の社会化は、経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす。
 社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。「搾取の自由」は制限され、改革の前進のなかで廃止をめざす。搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、「国民が主人公」という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる。
 さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。「社会主義」の名のもとに、特定の政党に「指導」政党としての特権を与えたり、特定の世界観を「国定の哲学」と意義づけたりすることは、日本における社会主義の道とは無縁であり、きびしくしりぞけられる。
 社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる。
 人類は、こうして、本当の意味で人間的な生存と生活の諸条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる。

(一六)社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。
 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる。
 日本共産党は、社会主義への前進の方向を支持するすべての党派や人びとと協力する統一戦線政策を堅持し、勤労市民、農漁民、中小企業家にたいしては、その利益を尊重しつつ、社会の多数の人びとの納得と支持を基礎に、社会主義的改革の道を進むよう努力する。
 日本における社会主義への道は、多くの新しい諸問題を、日本国民の英知と創意によって解決しながら進む新たな挑戦と開拓の過程となる。日本共産党は、そのなかで、次の諸点にとくに注意を向け、その立場をまもりぬく。
1.(1)生産手段の社会化は、その所有・管理・運営が、情勢と条件に応じて多様な形態をとりうるものであり、日本社会にふさわしい独自の形態の探究が重要であるが、生産者が主役という社会主義の原則を踏みはずしてはならない。「国有化」や「集団化」の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない。
2.(2)市場経済を通じて社会主義に進むことは、日本の条件にかなった社会主義の法則的な発展方向である。社会主義的改革の推進にあたっては、計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営、農漁業・中小商工業など私的な発意の尊重などの努力と探究が重要である。国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる「統制経済」は、社会主義・共産主義の日本の経済生活では全面的に否定される。


 まず、私有財産について。
 綱領には、
「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」
とある。
 生産手段とは何だろうか。また生活手段とは何だろうか。
 日本共産党のサイトにしんぶん赤旗のこんな記事がある(太字は引用者による。以下同)。

「生産手段の社会化」って どういう意味?
2006年4月8日(土)「しんぶん赤旗」

 〈問い〉 日本共産党の綱領にある「生産手段の社会化」って、どういう意味ですか?(岡山・一読者)

 〈答え〉 生産手段とはごく簡単にいえば、物を生産するための原料(=労働対象)と工場・機械など(=労働手段)のことです。いまの資本主義社会は、これをごく一部の人たちが占有し、もうけ本位に生産しており、これが社会のゆがみや環境破壊につながっています。

 当面する民主的変革の過程を経て、私たちがめざす次の段階が、資本主義を乗り越えた未来(社会主義・共産主義の社会)への前進です。ここでの変革の中心的な指標が「生産手段の社会化」です。生産手段の社会化を土台にどんな社会をつくるか。第23回党大会で決めた新しい日本共産党綱領はそれを次の三つの側面から描きだしています。

 (1)生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす。

 (2)生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。

 (3)生産手段の社会化は、経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的発展の条件をつくりだす。

 この変革は、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程です。人類史の新しい未来をひらく歩みですから、青写真はありません。国民が英知をもって挑戦する創造的な開拓の過程となるでしょう。

 ですから、新しい綱領では、(1)生産手段の社会化は多様な形態をとるが、どんな場合でも「生産者が主役」という原則を踏み外してはならないこと(ソ連では「国有化」して国家が工場などをにぎりさえすれば、これが「社会化」だということで、現実には官僚主役の経済体制がつくりあげられた。これを絶対にくりかえしてはならないこと)(2)改革の道すじの全体が「市場経済を通じて社会主義へ」という特徴をもつが、どのようにして、計画性と市場経済とを結びつけるのかなどは、知恵の出しどころであること(3)「計画経済」を、国民の消費生活を規制する「統制経済」に変質させてはならないこと―など、基本点を明記しています。(喜)

 〔2006・4・8(土)〕


 これを読んでも、「生産手段の社会化」が具体的に何を指すのか、明らかではない。

 また、こんな記事もある。

生産手段の社会化 交通機関や放送局は?
2007年2月14日(水)「しんぶん赤旗」

 〈問い〉日本共産党の綱領第5章には、「社会主義的変革の中心」は「主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である」と書かれています。生産をしていない交通機関や放送局は社会化されないのでしょうか。(大阪・一読者)

 〈答え〉 日本共産党の綱領第5章は、日本社会が資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義社会への前進をはかる段階の展望を述べているものです。そこでは、「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化」であり、「生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」という基本的な発展方向を明らかにしています。その際、どの分野の生産手段が社会化の対象となるのか、それがどのような所有形態へとすすむのか、といったことは、この変革が現実の課題になった段階で、政治情勢や経済・社会の状況を踏まえて検討されるべきものです。

 当然、資本主義時代の価値ある成果や経験がうけつがれ、いっそう発展させられるでしょう。

 綱領はまた、「社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ」た後に、「人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる」という、長期の展望も明らかにしています。ここに書かれている未来の共同社会は、搾取そのものがなくなる社会です。そこへいたる過程では、財貨の生産をおこなわないサービス産業も含めて、今日の大企業が担っている経済活動のすべてが、いずれは何らかの形で社会的な所有・管理・運営へすすんでいくだろう、というのが理論的展望です。

 なお、鉄道などの交通機関は、原料や商品を運ぶことで生産の一端を担うという性格をもっていますし、国民生活と日本経済を支える大事な産業です。したがって、そのあり方については、安全性と経済効率の両面からの検討が必要です。

 また、放送や新聞などのマスメディアは、国民の言論の自由や人権の保障という面からも重要な機関であり、「真に平等で自由」な社会の言論機関にふさわしい経営の形態が探求されることになります。(哲)

 〔2007・2・14(水)〕


 「生産手段の社会化」は「この変革が現実の課題になった段階で、政治情勢や経済・社会の状況を踏まえて検討されるべきもの」だから、今青写真を示すべきではないのだそうだ。

 しかし、綱領が
「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」
としている以上、生産手段が私有財産であれば、これが現在のようなかたちで私有できるものでないことは明らかだ。

 ところが、大野氏はブログでこう断言している

 「生産手段の社会化」の詳しい説明は省略しますが、「社会化≠国有化」である事だけは強調させていただきたいと思います。
 いずれにせよ、共産主義になったからといって、個人の財産が没収されることは100%ありません。


 綱領は、
「「国有化」や「集団化」の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」
とはしているが、「生産手段の社会化」が国有化ではないとは言っていない。しんぶん赤旗の説明でもその点はあいまいである。
 そして、綱領が保障している私有財産は生活手段だけで、生産手段については保障していないことは、先に述べたとおりである。
 故に、大野氏の主張は、綱領に照らして、誤っている。

 次に、反対政党を含む政治活動の自由について。
 確かに綱領には、
「さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される」
云々とある。
 しかし、こうもある。

社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。
 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる。


と、「国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力」が作られるのは「出発点」だとしている。
 「社会主義をめざす権力」が作られた後も議会政治が行われるのかどうかはわからない。国会が存続するのかどうかすらわからない。
 「国民の合意」を強調しているが、ロシア革命も中国や北朝鮮の共産化も、国民の合意によるものとされてきた。
 そんな言葉に意味はない。
 あまり知られていないが、現在の中国にも北朝鮮にも、複数の政党が公式に存在していることを思い起こしていただきたい。

 それに、この綱領の第15、16節で述べられている「社会主義的変革」の前に、まず、共産党を含む民主連合政府による「民主主義的変革」が行われることになっている。これは綱領の第13節で述べられている。

 (一三)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。
 日本共産党は、国民的な共同と団結をめざすこの運動で、先頭にたって推進する役割を果たさなければならない。日本共産党が、高い政治的、理論的な力量と、労働者をはじめ国民諸階層と広く深く結びついた強大な組織力をもって発展することは、統一戦線の発展のための決定的な条件となる。
 日本共産党と統一戦線の勢力が、積極的に国会の議席を占め、国会外の運動と結びついてたたかうことは、国民の要求の実現にとっても、また変革の事業の前進にとっても、重要である。
 日本共産党と統一戦線の勢力が、国民多数の支持を得て、国会で安定した過半数を占めるならば、統一戦線の政府・民主連合政府をつくることができる。日本共産党は、「国民が主人公」を一貫した信条として活動してきた政党として、国会の多数の支持を得て民主連合政府をつくるために奮闘する。
〔中略〕
 民主連合政府の樹立は、国民多数の支持にもとづき、独占資本主義と対米従属の体制を代表する支配勢力の妨害や抵抗を打ち破るたたかいを通じて達成できる。対日支配の存続に固執するアメリカの支配勢力の妨害の動きも、もちろん、軽視することはできない。
 このたたかいは、政府の樹立をもって終わるものではない。引き続く前進のなかで、民主勢力の統一と国民的なたたかいを基礎に、統一戦線の政府が国の機構の全体を名実ともに掌握し、行政の諸機構が新しい国民的な諸政策の担い手となることが、重要な意義をもってくる。


 「統一戦線の政府が国の機構の全体を名実ともに掌握し、行政の諸機構が新しい国民的な諸政策の担い手となる」とはどういう意味だろうか。
 これは、行政の諸機構の革命化ということではないのか。
 その時その時の政府に行政機構が従うのではなく、行政機構自体が共産党の意向に従ったものに作り変えられるということではないだろうか。

 現に、しんぶん赤旗のサイトによると、志位和夫委員長は、2011年に党本部で開かれた綱領教室で、こう述べたという。

 「独立・民主・平和の日本の実現は、資本主義の枠内で可能な民主的改革」であるのに、なぜ革命というのか――。

 志位さんは「革命とは、ある社会勢力から、他の社会勢力に『国の権力』、国家機構の全体を移すことです。そのことによってはじめて民主的改革を全面的に実行できるようになります」と語りました。

 「革命というと民主党を思い出します」と志位さん。自らの「政権交代」について、「革命的改革」とか、「民主主義革命」とかいいましたが、「日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力」(綱領)がしっかり握っていた「国の権力」には指一本触れず、行き着いたのは自民党政治の継承者になることでした。「私たちが目指す革命とは、こうした『政権交代』とはまったく違う、根本的な日本の変革です


 このような思想の下で、「行政の諸機構が新しい国民的な諸政策の担い手とな」った後に行われる「社会主義的変革」において、「反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される」のか、私は不安でしかたがない。

 さらに、大野氏は、綱領に次のようにあるのを無視している。

 社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる。
 人類は、こうして、本当の意味で人間的な生存と生活の諸条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる。


 これこそが、共産主義者が目指す共産主義社会の姿である(ここでは仮に「真の共産主義社会」と呼んでおく)。つまり、共産主義とは、一種のユートピア思想である。この点で、議会による民主制を前提とした一般の政党と、共産党とは大いに異なる。
 民主連合政府による民主主義的変革も、その次の段階における社会主義的変革も、真の共産主義社会の実現までの過渡期に行われるものにすぎない。真の共産主義社会に至れば、私有財産がどうなるのか、反対政党を含む政治活動がどうなるのか、そんなことは何もわかっていない。
 なのに、大野氏は、過渡期である、私有財産(生活手段に限られるが)や反対政党を含む政治活動の自由が保障される社会を、「日本共産党が目指す共産主義社会」と呼んでいる。しかも、しんぶん赤旗が、
「日本共産党も今後は〔中略〕未来社会をきちんと表現するときには「社会主義・共産主義社会」と表現することにしています」
と述べているのに、勝手に
「日本共産党綱領では、目指すべき未来社会を「社会主義・共産主義」もしくは「社会主義」という言葉を使っていますが、本稿では便宜上「共産主義」と表現します。意味に違いはありません
と、党の方針に合わない表現を用いている。
 いったいこの人は、共産党や共産主義について真面目に考えたことがあるのだろうかと、不審に思う。

 こんな大野氏のツイートも、それを読んだ国民に「日本共産党が目指す共産主義社会」が私有財産を保障するものだと誤解させることは党の利益になるから、党からも黙認されているのだろう。
 あるいは、「社会主義・共産主義社会」という珍妙な表現は、そうした誤解を生じさせること自体を意図して用いられたのかもしれない。
 まあ共産党のやることなんてこんなもんですよ。
コメント

日本共産党の「社会主義」と「共産主義」は同じ?

2018-09-11 09:03:14 | 日本共産党
 共産党千葉県中部地区委員会地区委員である大野たかし氏のこんなツイートを見た。

ブログを更新しました。「日本共産党が目指す共産主義社会について」
http://korede.iinoka.net/?p=1227
「共産主義」に対して悪印象を持つ人は少なくありませんが、日本共産党の目指す共産主義は、そのような先入観と全く異なるものです。その違いを日本共産党綱領を元に書きました。


 そしてこんな画像が貼ってある。



 「日本共産党が目指す共産主義社会」では
・私有財産は保証される。
・反対政党を含む政治活動の自由を保証。
・労働時間の短縮・社会の全ての構成員の人間的発達を保障。
とある。

 すごいこと言うなあ。党綱領のどこにそんなことが書いてあるんだろうか。党規違反じゃないか。

 大野氏のリンク先のブログを読んでみると、さらにこんなことが書かれている。

(※日本共産党綱領では、目指すべき未来社会を「社会主義・共産主義」もしくは「社会主義」という言葉を使っていますが、本稿では便宜上「共産主義」と表現します。意味に違いはありません。)


これはひどい。綱領上、社会主義社会と共産主義社会は異なる。共産主義社会の第1段階が社会主義社会じゃないのか。

 と思ったが、綱領を確認してみると、「共産主義」の語が用いられているのは「社会主義・共産主義」としてだけで、単独では用いられていない。
 何と、2004年の第23回党大会で採択された現綱領で、共産主義社会の第1段階を社会主義社会とする規定は改められたのだそうだ。
 同大会での不破哲三・中央委員会議長の「綱領改定についての報告」で詳しく述べられている。長くなるが引用する。

レーニンに由来する国際的な“定説”の全面的な再検討

 第二に、現代の諸条件のもとでの社会主義・共産主義の社会への道を探究するためには、科学的社会主義の先人たちのこの分野での理論的な遺産を発展的に整理し、とりいれることが必要でした。

 この分野は、率直に言って、国際的にみても遅れた理論分野の一つでした。とくにソ連が「社会主義社会の完成」を宣言した後には、この分野でのマルクス、エンゲルスの理論的遺産の研究も本格的にはおこなわれませんでした。未来社会の理論として支配的だったのは、レーニンがマルクスの「ゴータ綱領批判」をよりどころに、著作『国家と革命』のなかで展開した共産主義社会の二段階発展論でした。

 この二段階発展論というのは、未来社会を、生産物の分配という角度から、“能力におうじてはたらき、労働におうじてうけとる”という原則が実現される「第一段階」と、“能力におうじてはたらき、必要におうじてうけとる”という原則が実現されるようになる「高い段階」とに分けるもので、通例、この「第一段階」が社会主義社会、「高い段階」が共産主義社会と呼ばれてきました。

 この二段階発展論は、とくにスターリン以後、国際的な運動のなかでも、未来社会論の“定説”とされてきました。とくにソ連では、この“定説”には、社会主義の立場を踏み外して別の軌道に移ったソ連社会の現状を、そのときどきに、「社会主義社会はついに完成した」とか、「さあ、共産主義社会の移行の時期が始まった」とか、そういう合言葉で合理化する役割さえ与えられました。

 しかし、科学的社会主義の学説をつくりあげた先人たちの未来社会論は、この“定説”の狭い枠組みには到底おさまらない、はるかに豊かな内容をもっています。私たちがその全内容を発展的に受けつごうとするならば、レーニンのマルクス解釈の誤りを是正することを含め、従来からの国際的な“定説”を根本的に再検討することが、避けられない課題となってきます。

 この問題を全面的に探究するなかで明らかになった主な点は、つぎの諸点であります。

 第一点。生産物の分配方式――まず「労働におうじて」の分配、ついで「必要におうじて」の分配、こういう形で生産物の分配方式のちがいによって未来社会そのものを二つの段階に区別するという考えは、レーニンの解釈であって、マルクスのものではありません。マルクスは、「ゴータ綱領批判」のなかで、未来社会のあり方を分配問題を中心において論じる考え方を、きびしく戒めています。

 第二点。マルクスもエンゲルスも、未来社会を展望するさいに、特定の形態を固定して、新しい社会の建設に取り組む将来の世代の手をそれでしばってしまう青写真主義的なやり方は、極力いましめました。彼らは、分配方式の問題もその例外とはしませんでした。

 第三点。マルクスが、党の綱領に書き込むべき社会主義的変革の中心問題として求めたのは、分配問題ではなく、生産様式をどう変革するか、でした。それは具体的には、生産手段を社会の手に移すこと、すなわち、「生産手段の社会化」という問題でした。「生産手段の社会化」は、この意味では、未来社会を理解するキーワードともいうべき意義をもっています。

 第四点。マルクスもエンゲルスも、未来社会を人類の「本史」――本来の歴史にあたる壮大な発展の時代としてとらえました。だから、「必要におうじて」の分配という状態に到達したら、それが共産主義社会の完成の指標になるといった狭い見方をとったことは、けっしてありませんでした。マルクス、エンゲルスが、その未来社会論で、社会発展の主要な内容としたのは、人間の自由な生活と人間的な能力の全面的な発展への努力、社会全体の科学的、技術的、文化的、精神的な躍進でありました。

 以上のような理論的な準備にたって、私たちは第五章の作成にあたりました。

未来社会の呼称について

 順を追っての解説はしませんが、改定した綱領案のいくつかの中心点についてのべます。

 綱領改定案の未来社会論にもりこんだ新しい見地の大要はつぎのとおりであります。

 第一は、未来社会の呼び名の問題です。

 改定案では、これまでの綱領にあった社会主義社会、共産主義社会という二段階の呼び名をやめました。マルクスやエンゲルスの文献では、未来社会を表現するのに、共産主義社会という言葉を使った場合も、社会主義社会という言葉を使った場合もあります。しかしそれは、高い段階、低い段階という区別ではなく、どちらも同じ社会を表現する用語として、そのときどきの状況に応じて使ったものであります。

 改定案は、その初心にかえる立場で、呼び名で段階を区別することをやめ、未来社会をきちんと表現するときには、「社会主義・共産主義社会」と表現することにしました。

 このことは、社会主義、あるいは共産主義という呼び名を、今後単独では使わないということではありません。綱領の改定案そのものにも、「社会主義」という表現を単独で使っている場合が少なからずあります。

 この呼び名の問題をめぐっては、今後のことを考えても、かなり複雑な状況があります。

 古典でも、マルクスの『資本論』では、未来社会は「共産主義社会」と表現されています。エンゲルスの『空想から科学へ』や『反デューリング論』では「社会主義社会」と表現されています。さきほども言いましたように、二つの呼び名は同じ意味で使われています。

 また、日本でも世界でも、両方の呼び名が使われる状態が続くでしょうが、おそらく多くの場合、従来型の解釈で、未来社会の異なる発展段階を表すものとされる場合が多いでしょう。

 そういうなかで、日本共産党綱領が、未来社会について、「社会主義・共産主義社会」と二つの呼び名を併記する表現を使うことは、私たちが「社会主義」も「共産主義」も同じ未来社会の表現だという新しい立場――もともとは一番古い立場なのですが、その立場にたっていることを明示するという意味をもちます。

 ここに主眼があるわけですから、共産党員が議論する場合、どんな場合でも、二つの言葉を並べて言わないと綱領違反になるということではないことを、理解してほしいと思います。(拍手)

 なお、“定説”とされてきた二段階発展論をやめたということは、未来社会がいろいろな段階をへて発展するであろうことを、否定するものではありません。

 マルクスが、未来社会とともに、人類の「本史」が始まるとしたことはすでにのべました。この「本史」は、彼らの予想でも、それまでの人類の歴史の全体をはるかにこえる長期の時代となるものでした。当時は、太陽系の寿命が数百万年程度に数えられていた時代でしたが、エンゲルスは、ほぼそれに対応するものとして、人類の「本史」を「数百万年、数十万年の世代」にわたって続くものとして描き出しています。現在、人間がもっている自然認識によれば、人類の未来を測る時間的なものさしは、当時よりもはるかに長い、数字のケタが二ケタも三ケタも違うものとなるでしょう。

 当然、そこで展開される人類の「本史」には、いろんな段階がありうるでしょう。いまからその段階についてあれこれの予想をしないというのが、マルクス、エンゲルスの原則的な態度でした。私たちも、この点は受けつがれて当然の態度だと考えています。


 そして、しんぶん赤旗は2004年の記事でこう書いている。

社会主義と共産主義の違いは?

 〈問い〉 社会主義と共産主義の違いについて教えてください。(愛知・一読者)

 〈答え〉 日本共産党は今年一月の第23回党大会で綱領を改定し、社会主義社会と共産主義社会を区分してとらえる、二段階論はとらず、一つの社会の連続的な発展としてとらえる立場を明確にしました。

 未来社会について、これまでは、生産物の分配の仕方を基準にして、「能力に応じて働き、労働に応じて受けとる第一段階」=社会主義と、「能力に応じて働き、必要に応じて受けとる」という「高い段階」=共産主義という区分でとらえることが国際的な“定説”でした。

 しかしこれは、科学的社会主義の学説をつくりあげたマルクスやエンゲルスの考え方ではなく、レーニンが『国家と革命』のなかで展開したもので、のちにスターリンらによって、ソ連社会を美化する道具だてとして最大限に利用されました。

 マルクスやエンゲルスが、未来社会の中心的問題としたのは、分配問題ではなく、生産様式の変革=「生産手段の社会化」にありました。

 日本共産党は、今回の綱領改定にあたり、「レーニンのマルクス解釈の誤りを是正することを含め、従来からの国際的な“定説”を根本的に再検討」(「綱領改定についての不破議長報告」)し、「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である」「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」と、明確に記しました。

 マルクスやエンゲルスは、用語上も「社会主義」と「共産主義」を同じ意味で、状況に応じて使っていました。日本共産党も今後は、「社会主義」「共産主義」の二つの用語を同じ意味で使うことにし、未来社会をきちんと表現するときには「社会主義・共産主義社会」と表現することにしています。(湯)

 〔2004・5・29(土)〕


 いや、こんなことになってるとは知らなかった。
 私は2年ほど前、共産党が破防法の調査対象とされていることを批判したのをきっかけに、現綱領を真面目に読んでみたのだが、この点には不覚にも気づかなかった。

 マルクスやエンゲルスが「社会主義」と「共産主義」を同じ意味で、ねえ。
 だったら、『共産党宣言』は、社会党宣言でもよかったのだろうか。
 「共産党」という党名はレーニン時代に設けられたコミンテルンの支部を意味するものだから、日本共産党も、別に「日本社会党」に改称しても差し支えないことになるが、どうか。

 仮に、マルクスやエンゲルスが「社会主義」と「共産主義」を同じ意味で使っていたとして、だから日本共産党も「社会主義」と「共産主義」を同じ意味で使うことにするというのは、まあわかる。
 しかし、「未来社会をきちんと表現するときには「社会主義・共産主義社会」と表現する」というのは、理解できない。何故なら、マルクスやエンゲルスはそんな珍妙な表現をしていないからである。マルクスやエンゲルスがやったというように、状況に応じて使い分ければよい。そうしないのは、上記の理由のほかに、もっと別の意図があるからではないだろうか。

 それにしても、こんな珍論が何の抵抗もなく受け入れられ、それが十数年も続いている(もっと続くのだろう)。つくづく、異様な政党であると思う。

(続く)

コメント

吹田事件の本質を覆い隠す朝日新聞論説委員

2018-09-09 10:22:50 | 韓国・北朝鮮
 古い話だが、昨年の9月15日付朝日新聞夕刊に掲載された「葦 夕べに考える」というコラムの内容が、以前からどうにも気になっていたので、ここで書き留めておく。筆者は中野晃・論説委員。

敗戦後の「戦争」を忘れぬ

 国鉄職員だった兵庫県の奥野博實さん(85)は朝鮮戦争(1950~53)の最中の51年9月、米軍の弾薬を運んだ。

 神戸港で陸揚げされた弾薬を二十数両に積んだ貨物列車のダイヤは「軍秘」。京都の梅小路から舞鶴まで乗務した。

 奥野さんは日記にこう記した。「占領下にあるのでやむなくやっているが、日本の軍事基地化の手伝いをしているようなものだ。第三次大戦の準備か?」

 朝鮮戦争で、日本は武器弾薬や軍需物資の「特需」にわき、米軍を核とする国連軍の出撃や兵站の拠点にもなった。

 「東洋一の貨物ヤード」と呼ばれ、重要な輸送経由地となった国鉄吹田操車場では52年6月、戦争に反対する学生や労働者らがなだれ込み、警官隊と衝突して双方に多数のけが人が出た。当時、デモ隊に加わった詩人の金時鐘(キムシジョン)さん(88)=奈良県=は「軍用列車を1時間遅らせれば、同胞千人の命が助かると言われていた。切実な思いだった」と振り返る。

 朝鮮半島で軍事衝突が起きれば、日本はまた軍事拠点となり得る。敗戦後、日本が巻き込まれた戦争の歴史を忘れず、再びそうならないための道を探りたい。


 金時鐘氏が参加したという国鉄吹田操車場でのデモとは、いわゆる吹田事件を指すのだろう。
「戦争に反対する学生や労働者らがなだれ込み、警官隊と衝突して双方に多数のけが人が出た」
 何だか、やや程度の激しい反戦デモだったかのような読後感を受けるのだが、果たしてそんなものだったのだろうか。
 確か吹田事件は、血のメーデー事件、大須事件と並んで、戦後三大騒擾事件とされているはずだが。

 検索すると、コトバンクの世界大百科事典 第2版の解説に、次のようにある。

すいたじけん【吹田事件】

大阪府吹田市で学生,労働者,朝鮮人などが起こした事件。1952年6月24日夜,豊中市の大阪大学北校校庭などで,〈朝鮮動乱2周年記念前夜祭〉として大阪府学連主催の〈伊丹基地粉砕,反戦・独立の夕〉が開催されたが,この集会に集まった学生,労働者や朝鮮人など約900名は翌25日午前0時すぎから吹田市に向かい,国鉄吹田操車場を経て吹田駅付近までデモ行進をおこなった。その際,警官隊と衝突,派出所やアメリカ軍人の乗用車に火炎びんや石を投げつけ,また途中,阪急電車に要求して臨時電車を運転させ〈人民電車〉と称して乗車したり,吹田操車場になだれ込んで20分間にわたって操車作業を中断させたりしたなどとして,111名が騒乱罪(騒擾罪(そうじようざい))や威力業務妨害罪などの容疑で逮捕,起訴された事件。


 毎日新聞社の「昭和毎日」というサイトにも吹田事件のページがあり、

「人民電車を出せと阪急石橋駅で駅長をつるし上げるデモ隊」
「竹やりを持って行進を始める徹夜デモ隊と対立する警官隊」

といったキャプションの付いた写真がある。
 また、このサイトに掲載されている当時の毎日新聞の紙面には、

「火炎ビン投げ暴れ回る」
「警官トラック火だるま」

といった見出しが確認できる。

 今、私の手元に、警察庁警備局が昭和43年に発行した『回想 戦後主要左翼事件』というA5版の本がある。主に昭和20年代後半の日本共産党による暴力事件の解説と、それを体験した警察官(実名)の手記によって構成されている。
 吹田事件も「吹田騒擾事件」の名で取り上げられており、いくつかの手記の中にはこんな記述がある。

 吹田駅に転進した私達は、国警自警の混成部隊〔引用者註:国警は国家地方警察、自警は自治体警察の略。当時、1947年公布の旧警察法により、市および人口5000人以上の市街的町村には各市町村公安委員会が管理する自治体警察が設置され、それ以外の区域には国家地方警察が置かれていた。1954年公布の現警察法により廃止〕で暴徒の鎮圧にはいつた。柵を飛び越えてホームに殺到した。暴徒は折からの通勤電車に混乗し、通勤客を楯に拳銃を発射し、さらには火炎びんを投げ、竹槍を投げ、あらゆる抵抗を示した。
 ホームに、道路に、血が吹き、炎が上がる。警備部隊のある者は焼けただれた制服のまま暴徒を追う。まさに現場は阿鼻叫喚の態であつた。しかし、市民はおののきながら警察官を励ましてくれた。(p.178)


 また、別の警察官によるこんな記述もある。

 午前七時半ごろ私達は国鉄吹田駅に急行した。
 現場は、まさに阿鼻叫喚の巷と化し、戦時中の爆弾投下時のさまもかくやとばかりの情景を現出していた。荒れ狂うデモ隊は、同駅構内、構外をうめつくし、停車中の通勤列車および一般乗客らに対し、火炎びんを投げつけたり、所持の竹槍で突いたりして暴行の限りを尽くしていた。
 私達は、事態の重大さに驚き、かつこれら暴徒の鎮圧と排除のため直ちに検挙にのりだしたが、ここにおいてもデモ隊のしつような攻撃を受けた。
 全身火だるまとなってホームに転落する者、竹槍で腕を突きさされて倒れる者、負傷者が続出する。婦女子を含む一般客はとみると、列車内でデモ隊員に竹槍、こん棒で殴りつけられ、また、車窓から投げ込まれる石、火炎びんを避けて頭をかかえ座席に失神した如く伏せて身を守っている者、泣きさけぶ者、この危急狂乱の場からのがれようと車内から線路上に転落する者等々。
 私達はデモ隊の検挙よりも、かかる攻撃、暴行により続出しつつある負傷者の救護に全力をそそいだ。
 デモ隊はここにおいて徒歩進撃を中止し、大阪行列車に乗り込みを開始、なおも一般民家、民衆に石、火炎びんなどを投げつつ、ついに吹田駅をあとにした。(p.181-182) 


 この吹田事件は、一審の裁判の法廷で、被告側が、朝鮮戦争休戦に際して、平和勢力(北朝鮮・中国・ソ連側)の勝利を祝う拍手と戦死者に対する感謝の黙祷を行いたいと申し出、裁判長がこれを黙認したことでも知られる。
 このことでもわかるように、これらの暴徒は単に戦争反対のために騒乱を起こしたのではない。米軍の軍事物資輸送を妨害することで北朝鮮・中国軍を支援するために暴動を起こしたのである。後方攪乱である。

 ところで、朝鮮戦争とは何だろうか。
 米国が北朝鮮を侵略した戦争なのだろうか。
 違う。
 言うまでもないことだが、北朝鮮が韓国を併合しようと、ソ連の了解の下、計画的に戦争を仕掛けたのである。
 そして、それを防ぐために米国が国連軍を組織して介入し、逆に北朝鮮を追い詰めたところ、それを救おうと中国が義勇軍と称して参戦したのである。
 なのに、この中野晃・論説委員は、その点には全く触れず、まるで、米国が北朝鮮を攻撃しているのだから、在日朝鮮人らがそれに抵抗するのは当然であったかのように描いている。
 米国が介入しなければ、韓国は北朝鮮に併合されていただろう。そうなれば現在の韓国の発展もなく、朝鮮半島全域が金王朝の圧政の下に置かれることになっただろう。わが国は現在よりさらに強力になった北朝鮮と間近で接することになっただろう。その方がよかったと中野委員は考えているのだろうか。

 中野委員はこうも言う。
「朝鮮半島で軍事衝突が起きれば、日本はまた軍事拠点となり得る」
 そう、再び北朝鮮が南進すれば、わが国はまた軍事拠点となるだろう。それは韓国を守るために必要なことではないのだろうか。それとも韓国が蹂躙されようがわが国は中立を守るべきだと中野委員は考えているのだろうか。
「再びそうならないための道を探りたい」
 それは簡単である。北朝鮮が武力統一路線を放棄すればよい。ただそれだけのことである。何故なら、こんにちの韓国も、また米国も、武力による統一など主張していないし、望んでもいないからである。
 しかし、北朝鮮の戦争責任にも吹田事件の本質にも触れることを避ける中野委員が、どのような方法で「再びそうならないための道を探」ろうとしているのか、私には不思議でならない。

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朝日新聞で香山リカ氏の「批判との対話 希望の芽」を読んで

2018-09-01 21:07:58 | 珍妙な人々
 8月21日付け朝日新聞オピニオン面に「ネット言論を見つめる」と題して、香山リカ、平野啓一郎、荻上チキの3氏の主張が掲載されていた。
 その中で、香山リカ氏のものは、「批判との対話 希望の芽」と題されて、次のように綴られていた。

 いくつかのウェブメディアで連載を持っている私だが、いちばん力を入れているのはSNSのツイッターにコメントをくれた人たちとのやり取りだ。もちろんすべてに目を通すことはできないが、特に「匿名」での「賛意ではなく批判(罵倒や誹謗中傷もある)」に応じるように心がけている。そういう人たちと直接、やり取りできることこそ、SNSの最大の醍醐味だと思うからだ。調査目的でそうしているわけではないが、連日、そんな対話を続けていて気づいたことがある。

 まず、SNSでは理屈やデータよりも「1枚の写真」、つまり視覚的イメージが説得力を持つことだ。たとえば先日は「沖縄・辺野古での米軍新基地建設への抗議活動をする人の大半は国外・県外の活動家」と主張する人たちとやり取りしたのだが、彼らは繰り返し県外の労働組合の幟旗やハングルの横断幕が写った集会の写真を送ってきた。「時にはそうしたことがあったとしても、日常的に座り込みをしている人の多くは沖縄県民」と資料のリンクなどを添えて返答しても、「写真が何よりの証拠」とゆずらない。

 また、そうやって資料を示すことが、論拠の提示ではなく「ひとの意見に頼ろうとしている」と否定的にとられることが多い。「この分野では権威の学者の論文だから」という説明が、「そんな人は知らない」「どうせサヨクの仲間だろう」と反発を買うことも多い。“知の集積”がいとも簡単に否定され、「ズバリ自分の主張を述べる人」が評価されるのだ。

〔中略〕

 このような言論空間で、いったいどういう文法で彼らと対話し、正しい考え方や知識を身につけてもらえるようにすればよいのか。「目には目を」とばかりに、視覚的イメージを多用したり、論理ではなく感情的で断定的な言い切りで圧倒したりすればよいのか。それではあまりにも不毛だ。


 そして、最近、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の閲覧者が、韓国や中国への差別を煽動する動画を管理者へ報告するよう呼びかけ、3か月で50万本近い動画が削除されたという「画期的な」事例を挙げ、

「教えてあげよう」ではなく、自ら気づいて「なんとかしたい」と考える複数の人たちが同時多発的に現れれば、ネット言論の空間は爆発的に変わる可能性を秘めている。
 ネットでの対話だからできることが必ずあるはずだ。匿名掲示板から生まれた反差別の潮流に希望を見いだしながら、今日も私は“どこかの誰か”の罵りやからかいの言葉を受けては返しているのだ。


と結んでいる。

 香山リカ氏と言えば、ツイッターでの自身の不適切発言について、アカウントを乗っ取られたと主張したとか、政治的な反対派を精神障害者呼ばわりしたとは聞いたことがあるが、自身への批判者とネット上で積極的に対話しているとは聞いたことがなかったので、奇異に感じた。

 私のツイッターのタイムラインには、

《SNSの最大の醍醐味だと思うから』
これを見てひっくり返りました。》

とか、

《SNSの最大の醍醐味だと思うから』と言う言葉の裏には、どれだけうず高くブロックの山が築かれているのだろうね。と思いました。
まあ、その香山リカにブロックされて居ないことにされてる夥しい数の人たちはますます、何バレバレの嘘を自慢げに語らせて載せちゃってるの朝日新聞wwと思うようになるわけです。》

《絡んでもいなのにぼくも香山リカにブロックされている一人です。立教大学で彼女の講演なども聞いたことがあったのに残念です。彼女のTwitterでの振舞いはまったく酷いものだと認識しています。朝日新聞に書いていることは嘘八百ですね。》

《一回引用ツイートで批判しただけで、即効ブロックされてるんですが…w》

といったツイートが流れてきた。

 そういえば、香山氏のツイートって見ないなあと思い、氏のアカウント @rkayama を確認してみると、何と私もブロックされていた。

 私、何か香山氏について言ったことあるかなあと、過去のツイートを検索してみたが、氏に直接何かを言ったのはこのツイートしかない。



《番組での発言と街頭演説は違う。菅氏が正しい。"@rkayama: 私のような泡沫出演者でさえ選挙期間は特定候補の支持をしないでほしいと各放送局に言われるのに、NHK経営委員会委員が街頭演説に立ったとき、菅官房長官は「候補者の応援は放送法に違反しない」と言ってたよ。どっちがホント》

 あと、直接言ったのではないが、香山氏について取り上げたツイートはこの1つだけ。



《戸籍に国籍欄があろうがあるまいが関係ない、戸籍があること自体が日本国籍を有していることを意味する。産経の記事の限りでは香山氏は間違っていないし、それをバカ呼ばわりする池田氏は何も理解していないか、そのふりをしている。論者として信用に値しない。》

 これは見てのとおり、香山氏ではなく、香山氏を批判した池田信夫氏を批判したものだから、ブロックされる理由にはならない。
 理由となったのはおそらく前者のツイートだろう。

 この朝日新聞に掲載された香山氏の記事の末尾に「(寄稿)」とある(荻上氏も同じ。平野氏の記事には「(聞き手・鮫島浩)」とあるので朝日側が取材したのだろう)。つまり、朝日が香山氏に記事を依頼したのではなく、香山氏がわざわざ記事を書いて朝日に掲載するよう依頼したものだ。

 誰をどんな理由でブロックしようがそれは香山氏の自由だ。ツイッターの規約に違反しているわけでももちろんない。
 しかし、新聞の読者にはツイッターをやらない人も多いだろう。そうした人々に向けて、あたかも自らがネット上で批判者に対して真摯に対応しているかのようにアピールするというのは、言論人としていかがなものだろうか。
 そして、それを掲載する朝日新聞もまた、メディアとしていかがなものだろうか。この掲載を決定した編集者は、香山氏のネット上でのふるまいについて何も知らないのだろうか。
 それとも、同じ穴のムジナか。

コメント

マッカーサー「自衛戦争」説の出所? 菅原裕『東京裁判の正体』を読んで

2018-08-19 23:03:41 | 「保守」系言説への疑問
 私が約1年前に当ブログで取り上げた、マッカーサーが日本の戦争は自衛戦争だったと米国上院で証言したという主張は、遅くとも1990年代には、一部の保守系言論人などの間では当然のように語られていた。
 この主張がいつ、どのようなきっかけでなされるようになったのか、私はかねてから気になっていた。

 6年前、月刊誌『正論』平成24年7月号を読んでいて、渡部昇一(1930-2017)、伊藤隆(1932-)、小堀桂一郎(1933-)の鼎談「「マッカーサー証言」と戦後アカデミズムの退廃」に、次のようにあるのが目に留まった。

 渡部 まず、マッカーサー証言が世に知られるようになったのは、小堀桂一郎さんの功績であることを強調しておきたいと思います。私がマッカーサー証言の存在を知ったのは、田中正明先生(歴史家、元松井石根陸軍大将の私設秘書)を通してでした。しかし、その資料はないというので、小堀さんに電話をしたのです。小堀さんは「私もあれは重要だと思っていたところでした」と応じ、すぐに探し出して私にコピーをくださった。私はすぐに『Voice』に重要な部分を原文で紹介しました。しばらくすると、小堀さんは講談社学術文庫から『東京裁判日本の弁明』という本を刊行され、その中で一ページにわたって証言の原文と訳文を紹介してくださった。
 小堀 私ども(東京裁判資料刊行会)は平成四年から終戦五十年(平成七年)に向けて『東京裁判却下未提出弁護側資料』を編纂していました。それが最終段階にさしかかった平成六年のことだったと思います。真珠湾が奇襲攻撃を受けたことで太平洋艦隊司令長官キンメル海軍大将とハワイ軍管区司令官ショート陸軍中将がその責任を問われた。あの査問委員会の内容は、東京裁判の直接の資料ではありませんが、参考資料として入れるべきだということになり、それならば、マッカーサー証言も入れようという話になったのです。マッカーサー証言にもっとも早く着目されたのは『東京裁判の正体』(昭和三十五年刊、執筆は二十八年ごろ)を書かれた菅原裕さんでした。
 伊藤 東京裁判で荒木貞夫大将の弁護人を務めた菅原さんですね。
 小堀 ええ。あの本で早くも触れておられる。しかし、そこには原文は掲載されていなかったので渡部さんとも連絡して、やはり原文を探そうと思い立ちました。マッカーサー証言は、昭和二十六年五月三日、アメリカ上院の軍事外交合同委員会の公聴会で行われたことははっきりしていました。私は鈴木貫太郎内閣の終戦工作でのアメリカ側の反応を調べたとき、東京大学の新聞研究所で「ニューヨーク・タイムズ」のマイクロフィルム版をかなり活用した経験がありましたので、その公聴会の翌日五月四日の紙面にはきっと詳しい記事があるだろうと見当をつけました。それで学生に頼んで、その部分のマイクロフィルムからのプリントを作ってもらいました。
 渡部 私がいただいたのは、そのコピーなんですね。
 小堀 そうです。そして『東京裁判却下未提出弁護側資料』(国書刊行会、全八巻)の八巻に付録として掲載しました。さらに、その抜粋版として『東京裁判 日本の弁明』を講談社学術文庫から出すことになりました。そのさい、マッカーサー証言のもう一つのポイントである、「過去百年間に太平洋地域でわれわれ(アメリカ外交)が犯した最大の政治的過ちは、共産勢力を中国で増大させたことである」という部分も入れようと思ったのですが、その時、その部分の原文コピーがふと手もとに見当たらず、収録できなかったのです。
 刊行後、渡部さんがあちこちで「あの学術文庫を読め」とおっしゃってくださったものですから、かなり売れました。昨年八月には新たに筑摩〔引用者註:原文ママ〕学芸文庫から『東京裁判 幻の弁護側資料』と題名だけ改めて刊行され、講談社学術文庫版に入れそこなった「アメリカ外交における最大の過ち」という部分の原文をきちんと入れることができました。


 私はこれを読んで、いずれ、この菅原裕(1894-1979)の『東京裁判の正体』を読んでみたいものだと思っていたが、当ブログで昨年マッカーサー証言関係の記事を書いた後、ようやく読むことができた(時事通信社、昭和36年刊。『正論』鼎談中の35年刊は誤りか)。
 内容的には、私が以前読んだ、やはり東京裁判で弁護人を務めた瀧川政次郎の『東京裁判をさばく』ほど興味を引かれる箇所はなく、ただただ、現代でもよく見る東京裁判否定論と同様の見解が記されているばかりの、あまり得るところのない本だった。
 渡部昇一や小堀桂一郎、田中正明(1911-2006)や江藤淳(1932-1999)らの東京裁判否定論の源流をさかのぼっていくと、結局、こうしたA級戦犯の弁護側の主張に突き当たるのだろう。
 
 本書において、マッカーサー証言に言及している箇所は3つある。
 まず、昭和28年11月12日に書かれたという自序で、次のように述べている。

 検事団が「文明」が原告だと豪語した東京裁判の実態は果たしてどうであったか。
 連合国は「極東国際軍事裁判」と、国際裁判を僭称しながら、戦勝国のみで法廷を構成し、敗戦国民のみを被告都市、裁判所条例なる事後法を制定し、侵略戦争を裁くといいながら、侵略の概念さえも示さずに、日本の侵略を既定の事実として、これを大前提とし、過去十八年間一貫して世界侵略の共同謀議がなされたというテーマの下に、太平洋戦争とはなんらの関係もない満州事変までも含めて、それ以来の形式上の責任者をつくり上げたのであった。
 〔中略〕
 マッカーサー元帥はこの判決に対し、最高司令官として持っていた再審の権利を抛棄して、無条件でこれを容認、確定させたのであった。
 ところがマ元帥が、二年半の後、解任されて帰国するや、アメリカ上院において「日本が第二次大戦に赴いたのは安全保障のためであった」と証言して、根底から日本の侵略を否定した。アメリカ政府もまた、マ元帥は前年のウェーキ島会談において、トルーマン大統領に対して「東京裁判は誤りであった」と報告したと暴露的発表を行なったのである。
 これはいったいなんとしたことであろうか。真面目に東京裁判を謳歌した知識人たちの権威はどうなるのか。利用された検事団や、判事たちの名誉はどうなるのだろうか。拘禁はとにかくとして、絞首刑はとりかえしがつかない。(p.7-8)


 次に、本文中で、上記のマッカーサーが再審権を行使しなかったことをより詳しく論難する中で、証言を再び持ち出している。

 裁判所条例は第十七条に、最高司令官の判決審査権を規定している。これは戦争犯罪や占領統治の如き、最も困難な政治的考慮を要する案件は、法律一途で、技術的に結末をつけるべきでないという配慮から、とくにこの規定が設けられたものと考えられる。「連合国最高司令官ハ何時ニテモ刑ニ付、之ヲ軽減シ又ハ其他ノ変更ヲ加フルコトヲ得。但シ刑ヲ加重スルコトヲ得ズ」との規定よりすれば、判決直後の再審査のみならず、刑の執行中は何時にても刑の軽減其他の変更をすることができたわけである。むしろこの規定よりすれば、軍事委員会の審理、判決が軍司令官の処罰権行使の参考意見を述べるにすぎないのと同様に、極東軍事裁判所の判決は実質上、最高司令官再審の予備的手続きにすぎないといい得るようである。
 しかるにマッカーサー元帥は一九四八年十一月二四日特別宣告をもって、各被告の再審申し立てに対しなんらの変更を加えずと発表した。すなわち「国家の行動に責任を持つ人々が国際的道義の基準を作成し、法文化しようとして行なったこれら画期的裁判が持つ普遍的根本問題を批判するのは決して私の目的とするところではなく、また私はこの問題を批判するに必要な卓越した叡智をも持っていない……」と。とんでもない話だ。これではまさに重要なる最高司令官の職務を誤解し、これにタッチすることを回避し、その権限を放棄したものといわざるを得ない。
 彼はまた「多くの人がこの判決にちがった意見をもつことは避けられないであろう」という。冗談ではない。彼は批評家として選ばれたのではない。チャーターは彼に対し彼自身の考えで判決を変更し得ることを規定しているのである。
 さらに彼は死刑執行の日をもって「世界が維持され人類は滅亡せざるよう、神の助けと導きを求めて祈りを捧げるよう」にと要請した。これでは彼は最高司令官ではなくして、一牧師にすぎない。最高司令官の再審査権はさような、技術的かつ儀礼的もしくは宗教的な行事ではなく、占領統治の完璧と世界平和の確立とを期するための宝剣であったはずだ。しかるに彼の政治的無能はついにこの宝剣の活用を放棄して、国際法上幾多の問題ある新制度で、しかも事案の内容には多数の疑問のあった東京裁判を、ドイツでさえも三人の無罪があったにもかかわらず、少しの是正も加えず確定させてしまったのである。
 彼は「この裁判が下した厳粛な判決の完全さについて、人間の機関としてこれ以上信頼できるものはあり得ないであろう。もしわれわれがこのような手続きやこの人たちを信頼できないとすれば、なにものをも信用できなくなる。したがって私は軍事裁判の判決どおり刑の執行を行なうよう第八軍司令官に指示する」と声明しながら、二年後の十月十五日のウェーキ会談においてはトルーマン大統領に「東京裁判は誤りであった」と報告しているのである。
 また彼が罷免されて帰国するや一九五一年五月三日(日本では五月四日)アメリカ上院の軍事外交合同委員会の聴聞会では、日本の開戦が自衛のためであって、侵略ではなかったことを証言して左の如く述べた。
 日本の潜在労働者は量においても質においても私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし彼らは労働者があっても生産の基礎材料を持たない。日本には蚕のほかには取り立てていうべきものは何もないのだ。日本人はもし原料供給が断たれたら、一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れている。それ故に日本人が第二次大戦に赴いた目的はそのほとんどが安全保障のためだったのである。

 もし以上の言葉が真実なら、彼は何故に戦犯判決の再審において考慮しなかったか。またもしその認識が再審申し立て却下以後であったなら、何故その後において改めて恩赦を施さなかったか? 条例第一七条は最高司令官の判決変更権に対し時期的にも内容的にも、受刑者の利益のためにはなんらの制限を付していないのである。(p.308-310)


 さらに、チャールズ・ベアード博士をはじめ、米英の学者や判事らが東京裁判を批判していると挙げる中で、

 マッカーサー元帥が、ウェーキ会談において、トルーマン大統領に東京裁判は誤りであったと報告したこと、帰米後上院で「日本が第二次大戦に赴いたのは安全保障のためであった」と侵略を否定し自衛を是認する証言をしたことは既に述べたとおりである。(p.330)


と、みたび持ち出している。

 小堀氏が言うように、「マッカーサー証言にもっとも早く着目」したのは、本当に菅原裕なのだろうか?
 菅原の筆致からは、これまで見過ごされてきた事実を自らが初めて指摘したというような気負いは感じられない。むしろ、既に広く知られた事実を取り上げただけという印象を受ける。
 本書以前にも、マッカーサーのウェーキ島での発言や、米国上院での証言は、わが国で既に広く報じられていたのではないだろうか。

 「マッカーサー トルーマン ウェーキ島」で検索してみると、Yahoo!知恵袋に次のような問答があった。

「東京裁判は誤りだった」と、マッカーサーは認めたのか?

マッカーサーは
「東京裁判結審2年後の昭和25年(1950)10月、ウエーク島で大統領のトルーマンと会談したときに、「東京裁判は誤りだった」と認めた。」
〔中略〕

これは事実でしょうか?当時の新聞などマスコミの反応はどうだったのでしょうか?
評論家などの反応や解釈はどうだったのですか?


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『昭和の精神史』竹山道雄(元・東大教養学部教授)
講談社学術文庫 p155にも、
「マッカーサー元帥がトルーマン大統領とウェーキ島で会ったとき、「極東裁判はあやまりだった」と語ったということが、ただ一行新聞に出ていた。」と書いてあります。
何の新聞とは書いてありませんが、新聞で紹介されたことは事実のようです。
他の評論家やマスコミはどういう評価していたか?
この著者は直接には何の評価もしていません。


 『昭和の精神史』に当たってみた。
 竹山道雄は、東京裁判中、オランダ人判事のローリングと交流があったという。ローリングは、広田弘毅ら5名の被告人を無罪とする少数意見を書いた人物である。件の箇所は、そのローリングを扱った章の中にあった。

 その後ひさしく判決について追従はあったが、批判はなかった。占領政策批判になるのだった。私が二十四年に『ローリング判事への手紙』という一文を書いたときにも、編輯者の注意で方々の文句を削った。ただマッカーサー元帥がトルーマン大統領とウェーキ島で会ったとき、「極東裁判はあやまりだった」と語ったということが、ただ一行新聞に出ていた。やがて「逆コース」風潮となって批判がたくさん出たが、その多くはジャーナリスティックな感情的なものである。はやく歴史家に正確な解明をしてほしいものだけれども――。(p.154-155)


 この『昭和の精神史』は、昭和30年に『心』という雑誌の8~12月号に連載されたものだという。
 だから、字句は正確ではないかもしれないが、その執筆当時、マッカーサーがウェーキ島で「極東裁判はあやまりだった」と語ったと、竹山道雄が認識していたのは確かなのだろう。

 ウェーキ島での会談については、以前にも取り上げたことがあるが、小堀氏が『東京裁判 幻の弁護側資料』(ちくま学芸文庫、2011)で次のように解説している。

なお数点書き添えておくと、マッカーサーが昭和二十五年十月十五日にトルーマン大統領とウェーキ島で会談した際に、「東京裁判は誤りだった」という趣旨の告白をしたという報道も現在では広く知られていることである。このウェーキ会談の内容も、それまでは秘密とされていたものが、この上院の軍事外交合同委員会での公聴会開催を機会に該委員会が公表にふみ切ったものである。この件についての朝日新聞の五月四日の記事によれば、次に引く如き間接的な表現が見出されるだけである。即ち〈戦犯裁判には/警告の効なし/マ元帥確信〉との見出しの下に、〈ワシントン二日発UPI共同〉として、
〈米上院軍事外交合同委員会が二日公表したウェーキ会談の秘密文書の中で注目をひく点は、マ元帥が次の諸点を信じているということである。
一、マ元帥はハリマン大統領特別顧問から北鮮の戦犯をどうするかとの質問を受けたのに対し、「戦犯には手をつけるな。手をつけてもうまくいかない」と答え、またマ元帥は東京裁判とニュールンベルグ裁判には警告的な効果はないだろうと述べた。(後略)〉
 以上の如く、上院委員会でのマッカーサー証言〔引用者註:いわゆる「自衛戦争」証言〕、上院の公表したウェーキ会談の内容の双方について、その中の日本に関する注目すべき言及は、当時の日本の新聞が甚だ不十分にしか報じていないことがわかる。しかしその二つの言及は、英字新聞の原文を読んだであろう一部日本の知識人の口から、新聞の報道した範囲(当時なお「検閲」をうけていた可能性は考慮すべきであろうが)を越えて次第に世間に広まっていったものの如くである。


 この解説について、私は昨年の記事で次のように述べた。

 小堀氏は、マッカーサーは「「東京裁判は誤りだった」という趣旨の告白をした」と述べている。
 しかし、引用している朝日新聞の記事にあるのは、次の記述である。
「北鮮の戦犯をどうするかとの質問を受けたのに対し、「戦犯には手をつけるな。手をつけてもうまくいかない」と答え、またマ元帥は東京裁判とニュールンベルグ裁判には警告的な効果はないだろうと述べた」
 小堀氏はこれを「間接的な表現」としているが、間接的も何も、マッカーサーが述べたのが上記のとおりなら、それが全てだろう。
 朝鮮戦争の戦犯に手をつけるべきではない、東京裁判とニュールンベルグ裁判には警告的な効果はないと当時のマッカーサーが考えたからといって、それで即「東京裁判は誤りだった」と考えていたと言えるものではない。


 その感想は今も変わらない。

 検索結果には、このウェーキ島会談の議事録にアクセスしたというブロガーによる、「60. マッカーサーは東京裁判を取り消した?」という記事もあった。

で、そのウェーク島会談 ―、

 今や、ネット上で非常に詳しい情報にアクセスできる。

 会議のテーブルに着いていたのはトルーマン大統領とマッカーサー元帥の他に、統合参謀本部長オマール・N・ブラッドリー、陸軍長官フランク・ペース、太平洋艦隊司令長官アーサー・W・ラッドフォード、駐韓国大使ジョン・ムチオ、国務次官補ディーン・ラスク、大統領特別補佐官アヴェレル・ハリマン、無任所大使フィリップ・C・ジェサップ、A・L・ハムブレン大佐の10人。

 この会談でマッカーサーに何を質問し、ワシントン・サイドが何を強調すべきか、事前に入念な準備がなされている。前の晩にホノルルでハリマン、ラスク、ジェサップがたたき台を作り、大統領も交えた全員でレビューしてまとめた会談用メモも、今はネット上で読める。

 会談の議事録そのものは全部で23ページあるが、その中で渡部昇一氏の言う東京裁判という“単語”が出てくるのは次の4行(英語のオリジナルで)だけ!! (ちなみに、これは《戦争犯罪人はどうする?》という質問への答えで、質問したのは大統領ではなくハリマン特別補佐官)。

 「マッカーサー元帥 : 戦争犯罪人は放っておこう(Don’t touch the war criminals)。(裁判は)うまくいかない。ニュールンベルク裁判も東京裁判も抑止(deterrent)にならなかった。残虐行為を犯した者は、私の権限内で処分できる。もし捕えたら、軍事委員会で直ちに裁くつもりです」

 これですべて!!

 これをどう膨らませれば、渡部昇一氏のような“説”になるのだろう!?

 ちなみに、ここで言っている戦争犯罪人は、南を侵略した北朝鮮人のこと。この時点で、アメリカは勝利が間近いことをまったく疑っておらず、侵略者をどう裁くかが話題になっているのだ。

 そして、「抑止にならなかった」とは、ボクの解釈だけど、ニュールンベルク裁判をやって見せても、東京裁判をやって見せても、相変わらず北朝鮮のような侵略国家が出てきた、ということではなかったか。《東京裁判は間違いだった》なんてニューアンスはどこにもない。
(2016.10.4)


 この方は、議事録のアクセス先を明らかにしていないので、私は直接検証できないのだが、小堀氏が引用している朝日新聞の記事の内容に照らしても、その内容はおそらく正しいのだろうと思える。

 しかしこれを、わが国において、「「東京裁判は誤りだった」という趣旨」の発言ととらえる見方が、遅くとも1955年までにはあったこともまた事実なのだろう。

 また、マッカーサーの米国上院での証言が、菅原が言うように
「根底から日本の侵略を否定した」
ものかどうかについての私の考えは、既に昨年の記事で述べたとおりである。

 菅原は、
「もし以上の言葉が真実なら、彼は何故に戦犯判決の再審において考慮しなかったか。またもしその認識が再審申し立て却下以後であったなら、何故その後において改めて恩赦を施さなかったか?」
と問うているが、その答えは簡単である。菅原が述べているような意味において、「以上の言葉が真実」ではなかったからである。つまり、マッカーサーはウェーキ島でのトルーマンとの会談において、「東京裁判は誤りであった」とは述べていないし、米国上院の軍事外交合同委員会の聴聞会でも「日本の開戦が自衛のためであって、侵略ではなかった」とは証言していないからである。

 もっとも、そんなことは、菅原自身、よくわかっていたのではないかとも思う。
 何故なら、菅原が本書を刊行した当時、マッカーサーはまだ存命だったからである。
 菅原は本書を占領下で執筆し、出版をはばかっていたというが、もはや独立を回復して久しいのだから、何の遠慮も要るはずがない。
 直接マッカーサーに真意を問いただし、東京裁判誤り論を世界に問うこともできたはずだ。
 しかし菅原はそうはせず、かつてわが国において語られたであろうマッカーサー証言の評価に自説を依拠するにとどめた。
 これは、結局のところ、その主張がいわば内輪受けでしかないことに、彼自身気付いていたからではないだろうか。

 そして、本書で菅原が述べているようなマッカーサー証言の評価が、いつ、誰によって、どのようにしてなされるようになったのかは、さらに調べなければならないようである。
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ハル・ノートを受諾していたらどうなっていたか

2018-03-07 22:50:54 | 大東亜戦争
 こんなツイートを見かけた。

平和を求めて1:「戦争は繰り返してはいけない」というのは誰でもわかるが、真珠湾攻撃をせずハルノートを受託していたらどうなっていたか、という考察は聞いたことはない。その場合日本は米国に石油を握られアジア他国同様植民地にさせられ、それは今でも続いていたかもしれない。それで良いのか?


 ハル・ノートを受諾していたらどうなっていたかという考察を聞いたことがないとすれば、それは当人の視野が狭いからだろう。
 むしろ、歴史のifとして、誰しもが考えてみたくなることではないだろうか。
 Googleで「ハルノートを受託していたらどうなっていたか」を検索してみると、Yahoo!知恵袋をはじめ、さまざまなコミュニティサイトで考察が展開されている。

 手元にあった坂本多加雄、秦郁彦、半藤一利、保阪正康の歴史家4人による討論集『昭和史の論点』(文春新書、2000)を開いてみると、ハル・ノートも取り上げられており、秦が「私は以前からハル・ノート受諾説なんです」「受諾するとか拒否するとかいわないで、しばらく放ったらかしにしておけばいい」と述べ、保阪が、有田八郎元外相は開戦後に読んで受諾すべきであったと書き残していると紹介しているのに対し、坂本と半藤は、受諾したとしても米国はすぐには石油をよこさないのではないかなどと否定的だが、わが国が米国の植民地と化したのではないかという不安など4人とも全く述べていない。

 私が愛読した大杉一雄『日米戦争への道(下)』(講談社学術文庫、2008、親本は『真珠湾への道』講談社、2003)には、次のようにある。

(3)日米戦争が避け得たならばそれに越したことはなかった、とは誰でも考えることであろう。そう思っても、いまさら詮ないことなのだが、そのような発想が少ないのは、そこに日本はあの戦争に負けてよかったのだという思いが潜在しているからであろう。たとえば「城山さん、あの戦争、負けてよかったですね。負けたのがいちばんの幸せ」という吉村昭と城山三郎の対談がある(城山は「負けてよかったとは言いたくないけどね」と応じているが。吉村昭『歴史を記録する』)。あの敗戦がなければ、今でもなお軍国主義日本が存続していて、軍人が幅をきかせており、市民的自由も、人権尊重も、また経済成長もなく、戦前の惨めな状態が続いているだけだという思いが強いのではないだろうか。〔中略〕
 「ハル・ノート」に関する次のような見解も同様ある。

〔前略=深沢による〕私は、あのときにハルノートを受けいれた日本が、いまのこの時代までつづいていたと仮定したら、いささかゆううつになってしまう。……(政治的自由や経済的発展の観点からではなく)増上慢きわまりない国家になっていて、世界の鼻つまみになっていたはずだ。……とくべつの国家目標もなく太平洋を徘徊し、極東の権益に軍事力でしがみつき、国民は“神の子”と有頂天になっていたはずだからである。(保阪正康『さまざまなる戦後』)


(4)しかし筆者はどうしてもこのように想定することができない。日本がハル・ノートを受けいれ、あるいは事態の推移を見守った場合、後者のケースでは日中戦争はなお続くわけだが、その後の問題はヨーロッパの戦局推移、とくに独ソ線の行方である。真珠湾攻撃の日はドイツ軍のモスクワ敗退の日であったが、いずれ米国は参戦しドイツの敗北は必至である。しかみ日本の不参戦によって、その時期は早まり、勝利した連合国は、日本に対してさらに圧力をかけてくるだろう。すなわち撤兵および蒋介石政権を相手とする日中戦争の解決、中国における門戸開放の要求とともに、日本国内の民主化、軍備縮小を迫ってくるだろう。〔中略〕
 ドイツ壊滅後、国際的にまったく孤立した日本は、もはや抗すべくもない。とても「極東の権益に軍事力でしがみつき、国民は“神の子”と有頂天になってい」るわけにはいかないのである。紆余曲折はあろうが、国内における軍部勢力は衰退せざるを得ず、親英米勢力が復活し、政権は文民の手に復帰することとなるだろう。軍部クーデタが起こったとしても、もはや軍事政権の永続を許す国際情勢ではあり得ない。むしろ戦時中抑えられていた国民のエネルギーは、その反動も加わって、はげしく盛り上がり、他から与えられたものでない、民主主義復活の方向に動くだろう。要するに「大正デモクラシー」の蘇生である。このように日本が第二次世界大戦に入らなかった場合の結果の想定は、決して悲観的に見る必要はない。もちろんその成果は、われわれの経験した戦後のそれに比べれば、テンポは緩慢で、徹底を欠き、不十分のものではあるだろう。しかしそれは何よりも、あの戦争の内外における、有形無形の犠牲と損害と惨禍を避け得たものであるし、また民族の誇りと自主性を保つこととなり得るのである。(前掲書、p.352-354)


 大杉は続いて、枢軸国寄りではあったが第二次世界大戦では中立を維持したスペインの例を挙げて自説を補強している。

 私はこの大杉の見解に強い説得力を覚える。

 ところで、冒頭で挙げたツイ主のように、ハル・ノートについては、受諾か開戦かの二者択一で論じる人が多いが、ハル・ノートの冒頭には「試案ニシテ拘束力ナシ」とあり、またこれをいついつまでに受諾しなければかくかくしかじかの措置をとるといった文言もないのだから、いわゆる最後通牒ではない。したがって、大杉も述べているように、受諾も拒否もせずに交渉を続けるという選択肢も有り得た。
 わが国がそうしなかったのは、このブログの以前の記事でも述べたように、交渉不成立の場合に開戦する期限をあらかじめわが国が決めていたからだ。ハル・ノートの内容があまりに堪えかねるものだったから開戦したのではない。もっと穏当な返答であったとしても、交渉不成立であれば開戦することになっていた。
 そうした事情を抜きにして、ハル・ノートの内容のみをもって米国は不当だと断じる主張に、私は今や説得力を覚えない。



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産経抄は「人でなし」か

2017-10-26 07:12:09 | 事件・犯罪・裁判・司法
 10月19日の産経抄。

日本を貶める日本人をあぶりだせ 10月19日

 日本の新聞記者でよかった、と思わずにはいられない。地中海の島国マルタで、地元の女性記者が殺害された。車に爆弾を仕掛けるという残虐な犯行である。彼女は「タックスヘイブン」(租税回避地)をめぐる「パナマ文書」の報道に携わり、政治家の不正資金疑惑を追及していた。マルタとはどれほど恐ろしい国か。

 ▼今年4月に発表された「報道の自由度ランキング」では47位、なんと72位の日本よりはるかに上位だった。ランキングを作ったのは、パリに本部を置く国際ジャーナリスト組織である。日本に対する強い偏見がうかがえる。一部の日本人による日本の評判を落とすための活動が、さらにそれを助長する。

 ▼米紙ニューヨーク・タイムズに先日、「日本でリベラリズムは死んだ」と題する記事が載っていた。日本の大学教授の寄稿である。安倍晋三首相の衆院解散から現在の選挙状況までを解説していた。といっても、随所に左派文化人らしい偏った主張がみられる。

 ▼憲法をないがしろにして軍事力の強化を図る首相の姿勢は、有権者の支持を得ていない。最大野党の分裂のおかげで自民党が勝利するものの、政治はますます民意から離れていく、というのだ。米国人の読者が抱く日本のイメージは、民主主義が後退する国であろう。

 ▼特定の政治的主張だけを取り上げる、国連教育科学文化機関(ユネスコ)には、困ったものだ。いよいよ問題だらけの慰安婦関連資料の登録の可能性が強まっている。田北真樹子記者は昨日、登録されたら脱退して組織の抜本改革を突きつけろ、と書いていた。

 ▼そもそも国連を舞台に、実態からかけ離れた慰安婦像を世界にばらまいたのは、日本人活動家だった。何ということをしてくれたのか。


 このコラムを猛然と批判するツイートをいくつも見た。

 朝日新聞長岡支局の伊丹和弘記者は、

《同業者が殺された事件のコラムの書き出しが「日本の新聞記者でよかった」かよ(唖然
忘れたか? 日本では既に30年前に職場で新聞記者が殺されるテロ事件が起きてるんだよ!
→ 【産経抄】日本を貶める日本人をあぶりだせ》

と自社の記者が殺された赤報隊事件を例に挙げて批判。

 ある方は、

《報道の自由ランキングは新聞記者が権力と仲良く安全に暮らしてる順位ではないのだが、反骨の海外女性記者が殺害された話を「日本の新聞記者でよかった、と思わずにはいられない」から書き始めて『日本を貶める日本人をあぶりだせ』という表題に仕上げる産経新聞すげえな…》

《「日本では記者が殺されていないのに、なぜ報道の自由ランキングが低いのでしょうか?」という疑問に自分で答えちゃってるよねこの記事。同じジャーナリストが殺されたニュースを「我が国の記者でよかった!」から書き始める報道なんか見たことねえよ。どんな日本スゴイだよ。》

と述べた。

 また別の方は、次のように。

《産経新聞をはじめとする右派メディアに顕著な傾向だが、自分達が弾圧される側に立つ事はないどころか弾圧する側に回るという謎認識は、如何にして生まれるのか》

 ジャーナリストの江川紹子氏は、

《人でなし、とはこんなものを書く人のことを言うのだろう 。人の無残な死を、同業の者としてまずは悼むということが、せめてできないのだろうか…。→【産経抄】日本を貶める日本人をあぶりだせ 10月19日》

《それに、日本で悲惨な事件や事故、災害があって、人々が強い衝撃を受けている時に、他国の新聞が「あぁ、日本人じゃなくてよかった。日本はひどい国だ」と書いたら、どんな気持ちか、産経抄にはそれくらいの想像力すらないのか。サイテー。》

と述べていて、私はそこまで言うのかと思った。

 ちょっと落ち着かれてはどうだろう。

 この産経抄に不快感をもつ人が出るのはわかる。
 また、コラムとしての出来は率直に言って悪いと思う。天声人語などとは比較にならない。
 だが、産経抄の文章はいつもだいたいこんなレベルである。

 マルタの女性記者が殺害されたこと、「日本の新聞記者でよかった」と思ったことがこのコラムの本題ではない。本題は、そのようなマルタの「報道の自由度ランキング」がわが国よりはるかに上位であったこと、それはわが国に対する強い偏見によるものであり、「日本を貶める日本人」がそれをさらに助長しているという指摘が、このコラムの本題だ。
 女性記者殺害は、話のマクラにすぎない。

 女性記者の殺害を、どうやったら「日本を貶める日本人」批判につなげようという発想が出てくるのか、産経抄子の思考回路はどうなっているのかとは思うが、きっと年がら年中、「日本を貶める日本人」をどうやって叩くか、そういったことばかりを考えているような人なのだろう。

 まあ、国民の中には、世の中の悪いことは全て安倍政権のせいだとばかりに政権批判に血道を上げている人もツイッターではよく見かけるので、こんな人がいても不思議ではない。

 また、「あぶりだせ」とは刺激的にしようと編集者が付けたタイトルだろう。本文のどこにもそんなことは書かれていない。

 ある批判者の「自分達が弾圧される側に立つ事はないどころか弾圧する側に回るという謎認識」というのは意味不明である。産経抄は別に女性記者の殺害を賞賛しているわけでもないし、自分たちが弾圧する側であると受け取れるような箇所もないからだ。むしろ産経は、例えば共産党政権が成立すれば、自分たちが弾圧されることをよく理解していることだろう。
 謎なのはこのツイ主の認識である。

 ところで、こういう殺害事件に接して、伊丹記者や江川氏は、日本の記者やジャーナリストでよかったとは思わないのだろうか。
 ロシアや中国をはじめ、ジャーナリストが殺害されたり拘束されたりする国は世界にたくさんある。わが国がそうでないのは幸いだし、この状態を守らなければならないとは思わないのだろうか。
 それとも、思ったとしても、このように口にするのは不謹慎であるということか。

「他国の新聞が「あぁ、日本人じゃなくてよかった。日本はひどい国だ」と書いたら、どんな気持ちか」
って、どんな気持ちになるというのだろう。別に何とも思わないんじゃないだろうか。
 顔も知らない他国の人間がわが国のことをどう言っているかが、そんなに気になるものだろうか。
 何を言っていようが、お互い様ではないだろうか。
 それに、産経抄は、まさにそのように「日本はひどい国だ」と言われることを恐れて、そのための材料を提供している一部日本人を非難しているのではないのだろうか。

 NGO「国境なき記者団」が発表している「報道の自由度ランキング」については、実態と乖離しているのではないかとの批判もある。
 その算出方法を BuzzFeed News が報じているのを、最近ある方のツイートで知った。
 180カ国のメディア専門家、弁護士、社会学者に87の質問のアンケートが配られており、その結果を基に独自の数式により算出するそうだが、詳細は公表されていない。
 以前、江川氏自身も、72位という数字には疑問を呈していたはずである。

 「人でなし」とは、人間の姿かたちをした者に対して、お前を人間とは認めないと言うときに用いる言葉である。
 人の皮をかぶった、鬼か獣というわけである。
 マルタの爆殺犯をそう呼ぶなら、まだわからないでもない。しかし、産経抄の内容はそれに値するほどひどいものだろうか。
 江川氏は、まずはその死を悼めと述べているが、短文のコラムなんだから、主要でない部分を省略することは有り得る。先に述べたように、マルタの話はマクラにすぎない。
 産経抄は、殺害された女性記者を何かしら貶めているだろうか。政治家の不正を追及するなんて、バカなことで命を落としたものだと述べているだろうか。そんな箇所もない。
 にもかかわらず、その死に対して哀悼の意を明記せず、持論に利用したというだけのことで、「人でなし」とまで罵ってしまう。
 江川氏の人権感覚はそんなものかと残念に思った。

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朝日新聞「演説中のヤジ、選挙妨害?」を読んで

2017-10-24 11:09:02 | マスコミ
 私は17日に「選挙演説の妨害を称揚する朝日新聞」という記事を当ブログに書いたが、18日付朝日新聞朝刊の社会面には、こんな記事が載っていたので、注目して読んだ。

演説中のヤジ、選挙妨害?

 公選法基準なし■静穏に聞く権利は

 街頭演説にヤジはつきものかと思いきや、最近は「選挙妨害だ」と弁士たちが反応する場面が目立つ。街頭演説は黙って聞くべきなのか? 演説中に聴衆が意思を示すのはダメなのか。街頭演説の「作法」とは――。

 「わかったから、黙っておれ!」
 14日、大阪府守口市での街頭演説で、二階俊博・自民党幹事長のこんな声が響いた。演説中、聴衆から「消費税を上げるな」との声が上がり、その後もヤジがやまなかったためだ。
 安倍晋三首相もあちこちでヤジを浴びる。15日の札幌市の街頭演説では「辞めろ」「安倍内閣は金持ちの味方だ」といったヤジが飛んだ。演説中に「やめろ!」というプラカードが掲げられる一方、逆に聴衆から「静かにしろ」などの声が上がることもある。
 演説中のヤジやコールに焦点が当たったのは、7月の東京・秋葉原で安倍首相が発した言葉がきっかけだ。東京都議選の応援演説中に、首相に対する「帰れ」「やめろ」のコールが起こり、首相は「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と返した。
 菅義偉官房長官は記者会見で「妨害的行為があった」と述べたが、小林良彰・慶大教授(政治学)は、「公選法に明確な基準がない以上、マイクを取り上げるなど物理的行為がなければ、選挙妨害とまでは言えないのではないか」とみる。一方で、「聴衆が演説内容を聞くことができなければ、選挙妨害に該当する可能性が高い」(岩渕美克・日大教授=選挙研究)との見方もある。
 演説中のヤジは昔からある。NHKの映像によると、1960年に浅沼稲次郎・社会党委員長が刺殺された演説会には、右翼団体が入りこみ「演説が聞き取れないほど」のヤジを飛ばしていた。古くは明治時代の自由民権運動の際、「各地の演説会では、ヤジや投石が行われ」(高知県宿毛市史)との記録がある。
 とはいえ、政治コミュニケーション論が専門の逢坂巌・駒沢大准教授は「演説を聞きたい人の権利はどうなるのか」と指摘する。「話が聞き取れなくなるほどの集団的なヤジやコールは、演説を静穏に聞く権利をふみにじる」と批判。逢坂さんは秋葉原で首相の演説を聞こうと最前列に陣取っていたが、首相に抗議する人たちが来て、その場からはじき出されたという。

「対応 政治家判断の材料に」

 声を上げる側はどう思うのか。さいたま市の武内暁さん(69)は「有権者の意思を表すのがどうして演説の妨害なんですか?」。秋葉原での首相の演説に友人と駆けつけた。最近の国会答弁を見て、議論が成り立っていないと感じた。「ならば、直接民主主義の手法で、主権者が声で権利を行使する場所があっていい。演説を聞いて欲しいなら『聞いてくれ』と言えばいい。それが対話だ」
 秋葉原で首相に「こんな人たち」と指されたC.R.A.C.(対レイシスト行動集団)の野間易通さん(51)も「そもそも街頭は異論が混じり合う場所。どう対応するかも含めて政治であり、政治家を判断する材料になるはずだ」という。
 さらに野間さんは、「市民が圧倒的な力を持つ権力者に向かって肉声で叫んでいるのに、『静かに聞くべきだ』なんて学校的道徳を持ち出してなぜ断罪できるのか」とも提起する。街頭での政治活動を取材してきたフリーライターの岩本太郎さんは「秋葉原のような『事件』を繰り返しながら、なんとなく答えが定まっていくのが社会というもので、答えも一つではない。演説の聞き方に善悪の線引きができると考えること自体、怖いことだと思う」と話す。 (田玉恵美)


 この記事の問題点は2つある。
 1つは、聴衆が散発的に発する単なるヤジと、組織的な「帰れ」「やめろ」コールや、組織的でなくとも大声でしゃべり続ける行為は違うということ。
 聴衆が演説を聴いていて、ヤジを飛ばしたくなることはあるだろう。それは演説に批判的なものだけでなく、肯定的なものもあるだろう。また、演説の内容などについて周りの人間としゃべりたくなることもあるだろう。そんなものまで否定する必要はない。演説の最中は、映画を見たり講演を聞いたりするときのように、一言もしゃべらず、シーンと静まりかえって拝聴しなければならないなんて、そんな主張は誰もしていない。少々のヤジは、演説それ自体を妨げるものではないからだ。
 だが、組織的な「帰れ」「やめろ」コールや、組織的でなくとも、前回の当ブログの記事で私が引用した、演説中に

《聴衆の前方にいた女性が「憲法9条が平和を守ってきた。どうして変えるのか」などと叫んだ。それでも、首相が演説を続けたところ女性は大声で訴えつづけ》

るような行為は、演説それ自体の妨害だろう。
 今回の朝日の記事は、その点をごっちゃにしている。

 なるほど自由民権運動においてヤジや投石はあったろう。投石にまで及べばそれはもう妨害だろう。自由民権運動はいわゆる壮士に支えられていて、暴力的な部分も多々あった。決してお行儀の良いものではなかった。
 だからといって、こんにちの世の中で、同様の振る舞いをしても許されるのだろうか。

 さいたま市の武内暁さんが
「有権者の意思を表すのがどうして演説の妨害なんですか?」
と問うているのは、意味がわからない。
 有権者の意思表示によって演説の遂行が妨げられるのなら、それは当然演説の妨害だろう。
 声を上げるのが「直接民主主義の手法」だというのも、意味がわからない。
 直接民主主義とは、古代ギリシャのポリスのように、市民が直接政治に参加するというものだ。こんにちでも、憲法改正の際の国民投票や、地方自治における住民投票は、直接民主主義の手法だと言えるが、街頭で首相に対して声を上げることは直接民主主義とは何の関係もないし、そんな「対話」をする「権利」など、憲法のどこにも書かれていない。

 余談だが、「声を上げる側」のもう1人の野間易通さんについては、「C.R.A.C.(対レイシスト行動集団)の」と所属団体を明記しているのに、何故、この武内暁さんについては、何の説明もつけずに、自然発生的に集まった市民の1人であるかのように書くのだろう。
 氏名で検索しただけで、「「九条俳句」違憲国賠訴訟を市民の手で!実行委員会(通称:「九条俳句」市民応援団)」なる団体の代表であるとすぐわかるのだが。

 問題点のもう1つは、選挙のための演説と、単なる政治家の演説をごっちゃにしていることである。
 朝日の記事が挙げている、1960年の浅沼委員長刺殺の時の演説会は、選挙演説ではない。
 武内暁さんも野間易通さんも、秋葉原の安倍首相の演説が選挙演説であったことに触れていない。

 前回も書いたが、選挙は民主制の根幹であり、その自由は最大限に尊重されなければならない。
 選挙演説でない、単なる街頭演説を妨害したとしても、刑法の威力業務妨害罪でやはり処罰の対象になるだろう。だが、その刑罰は、「三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」となっており、先に挙げた選挙の自由妨害罪の「四年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金」の方がより重い。
 それだけ、わが国において、選挙における自由は重んじられているということである。
 今回の朝日の記事には、その視点が見当たらない。
 「直接民主主義の手法」を当然視する者が、間接民主主義の制度である選挙を軽視するのは別に不思議ではない。しかし、朝日新聞がそんなことでいいのだろうか。

 この朝日の記事は、「演説中のヤジ、選挙妨害?」とクエスチョンマークを付け、妨害に当たるとする側と当たらないとする側の両論併記のかたちをとっているが、「公選法基準なし」「対応 政治家判断の材料に」という見出しといい、それぞれの人数及び記事中の割合といい、記事の重心は明らかに、妨害に当たらないとする側に置かれている。
 朝日がこのような記事を載せていたことを、私はよく覚えておくことにしよう。
 そして、仮に、野党候補の選挙演説が妨害されたり、あるいは「反差別」や反原発、反米軍基地などを訴える示威行動が妨害されたりしたときに、朝日がそれをどのように評するか、注目することにしよう。
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選挙演説の妨害を称揚する朝日新聞

2017-10-17 07:10:28 | マスコミ
 10月11日付け朝日新聞朝刊の社会面には、連載記事「「安倍発言」を歩く」 2017衆院選」の第1回が載っていた。
 見出しは「こんな人たちに… 見えた分断」。
 7月1日に安倍首相がJR秋葉原駅前で都議選の応援演説をした際の「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言を引き出した、「帰れ」「やめろ」コールに加わった60代の女性の話が載っている。

 10日、安倍晋三首相は福島市で演説していた。
 「みんなで安心できる日本をつくっていきたい」
 千葉県のヨガ講師、60代の由美子さんはテレビで演説を聞いて思った。
 「だけど、『こんな人たち』の声は聞かないんでしょ……」
 由美子さんは当初、フルネームでの記事掲載をログイン前の続き了承していたが、政権を批判した知人に脅迫状が届いたという話を聞き、怖くなった。
 政治への関わりはさほどなかった。7月、東京・秋葉原で首相のあの言葉を聞くまでは。
 シングルマザーだった30代のころ、息子2人を育てるため、朝から晩まで働いた。清掃員や飲食店員など三つの仕事を掛け持ち、「生活に必死だった」という当時、投票に行った記憶はない。自身の年金は月額にして3万7千円程度。必死で税金を納めてきたのに、年金だけでは暮らせない。休日返上で働いていた宅配会社勤務の息子も残業代をカットされた末に退職した。
 そんなとき、首相が7月1日に秋葉原で都議選の応援演説をすると知人から聞いた。初めて「政治がおかしい」と思いをぶつけたいと考えた。「無駄かな」と気持ちは揺れたが、首相に直接声を伝えるチャンスは今しかないと決意し、向かった。
 選挙カーの首相がマイクを握った。プラカードや横断幕を掲げた人たちが、首相への「帰れ」コールを始めた。その後も「やめろ」コールが途切れなかった。由美子さんは遠巻きに見つめた。すると、通りすがりのサラリーマンや子連れの人も足を止める。「おかしいじゃないか!」「もうやめてくれ!」。いつしか由美子さんも声をあげていた。
 そのとき、首相が自分たちのほうを指さして声を張り上げた。
 「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」
 由美子さんは言葉を失った。「やっと声をあげたのに。この人は私たちの暮らしを守ってくれないんだ」。空しくなった。
 「やめろ」コールを続けた内装業の井手実さん(37)は「国民は言いたいことがたくさんあるけど、全部は伝えられない。だから『安倍やめろ』で意思表示した」という。
〔後略〕
(貞国聖子)


 選挙演説はいつから国民が政治家に「声をあげ」る場所になったのか。
 選挙演説は、選挙の立候補者の人物や主張を有権者に広く知ってもらうためのものである。反対派が政治家と団体交渉する場ではない。
 そして、選挙演説はただの街頭演説とは違う。その妨害は法律で禁止されているというのに。

 と思っていたら、12日付け朝刊の政治面には、「首相 聴衆に「法律守って」 9条改正への抗議 「選挙妨害」の声に呼応と題して、こんな記事が。

衆院選で街頭演説していた安倍晋三首相が12日、新潟市内で聴衆の女性から憲法9条の改正について抗議され、「選挙は民主主義の原点だから、しっかりと法律を守っていこうじゃありませんか」と呼びかける一幕があった。女性による抗議が、公職選挙法に定める「選挙の自由に対する妨害」にあたるとの考えを述べたとみられる。

 首相が同市内の商店街で街頭演説をしていた際、聴衆の前方にいた女性が「憲法9条が平和を守ってきた。どうして変えるのか」などと叫んだ。それでも、首相が演説を続けたところ女性は大声で訴えつづけ、聴衆の男性が「選挙妨害するな」と声を上げた。聴衆から男性に拍手があがり、首相は「皆さん、ありがとうございます」と述べ、法律を守ろうと呼びかけた。

 首相は7月の東京都議選で、東京・秋葉原で街頭演説をした際、聴衆の一部から「帰れ」コールを受け、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と反論して批判を浴びた。
(永田大)


「女性による抗議が、公職選挙法に定める「選挙の自由に対する妨害」にあたるとの考え」
とあるところを見ると、朝日新聞としては、安倍首相はそう考えているが、そうでない考え方も有り得ると見ているということなのだろうか。
 
 公職選挙法には次のようにある。

(選挙の自由妨害罪)
第二百二十五条 選挙に関し、次の各号に掲げる行為をした者は、四年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。
一 選挙人、公職の候補者、公職の候補者となろうとする者、選挙運動者又は当選人に対し暴行若しくは威力を加え又はこれをかどわかしたとき。
二 交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀棄し、その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき。
〔後略〕


 これを読めば、個別具体的な事例をどう判断するかは別として、一般論としては、選挙演説の妨害が法律違反であることは、誰の目にも明らかであろう。
 朝日新聞は、何故この条文を引用しないのだろうか。
(同じ新潟での首相発言を取り上げた産経新聞のネット記事では、条文を引用している)

 私は朝日新聞の購読者だが、「こんな人たち」発言を批判する記事はたくさん見たが、その原因となった「帰れ」コールについて、選挙妨害だと指摘する意見を見た覚えがない。
 これでは、また同じような事態が繰り返されかねない。

 選挙は民主制の根幹であり、その自由は最大限に尊重されなければならない。
 安倍首相に反対する人がいるのはかまわない。大いに反対意見を表明すればよい。だが選挙演説を妨害してはならない。他人の発言の場で、その発言を封じてはならない。
 そんな単純なことが理解できない人を批判することを「分断」だと朝日新聞が煽るのなら、私は「分断」した批判者の側に付きたい。
 それは結局、選挙を尊重するか、直接行動を尊重するかの差であろうから。

コメント

金日成と会見していた美濃部亮吉都知事

2017-09-03 07:17:46 | 韓国・北朝鮮
 先日、久しぶりに朝鮮総聯のサイトを見てみると、「金日成主席と日本の人士たち」というページが設けられていた。

 トップには「偉大な金日成主席」(太字は原文のまま。以下同)の写真の下に、

 偉大な金日成主席が、1945年から1994年にかけての50年間に会った日本人は、実に1000余名に及んでいる。その中には、政界人、学者、ジャーナリスト、財界人、アーチストはもとより、平凡な水先案内人や学生もいた。

彼らは誰もが、率直かつ真摯な態度で朝日関係にかかわる問題を虚心坦懐に論じ、明確な方途を提示する主席の崇高な志に感服し、自分たちを温かく接してくれるその風格に心服した。

主席の高い権威と徳望、朝日関係改善への合理的な提案に、政見や信教の違いにかかわりなく、会う人は誰もが胸を打たれ、それは、ぎくしゃくした両国の関係を改善すべく彼らを奮起させる大きな力となった。

主席が多くの日本人士にめぐらした情誼について改めて振り返り、朝鮮と日本の友好親善に尽くした主席の労苦と献身、そこにこもる深い意味をここに再確認しておきたいと思う。


との説明が付されている。

 そして、畑中政春(日朝協会理事長、元朝日新聞)、高木健夫(読売新聞)、久野忠治、岩井章、土井たか子、金丸信、田辺誠、前田正博(毎日新聞)、宇都宮徳馬、西谷能雄(未来社社長)、成田知巳、田英夫 緑川亨(岩波書店)、安井郁、槇枝元文といった人々と金日成との会見について、簡潔に記されている。

 その中に、美濃部亮吉・東京都知事との会見の記事がある。

美濃部亮吉東京都知事と親しく語り合う
金日成主席 (1971.10.30)

強調したこと

 金日成主席は、美濃部亮吉東京都知事と会見した際、美濃部亮吉先生は朝鮮大学校の許可問題を通して、わが国に広く名を知られている、先生のような進歩的人士が今後とも総聯の活動を極力支援して下さるものと信ずる、と期待を表明した。そして、自分は韓徳銖(ハンドグス)議長に、在日同胞の民族的権利を守るための活動を進め、朝鮮民主主義人民共和国を支持し、祖国の統一をめざしてたたかう総聯が、日本の法律に抵触するようなことは絶対に行わず、日本人民との団結に努めるよう常に強調していると語った。また、日本の進歩的人士が総聯の活動を大いに支援してくれるよう頼んだ。
 美濃部亮吉知事は、総聯の活動に深い関心を払っている主席に、総聯の活動を積極的に支援する決意を表明した。


 「朝鮮大学校の許可問題」とは、朝鮮大学校が1956年に創設されたものの、各種学校としての都知事の認可がなかなか下りなかったことを指す。
 朝鮮大学校のサイトの「朝鮮大学校とは」というページに、次のように書かれている。

本学がわずか10年に満たない期間に急速な発展をとげたことは、祖国の暖かい配慮、在日同胞の愛国的熱意とともに、広範な日本国民の惜しみない支援のたまものです。
しかし、日本政府当局の在日朝鮮人に対する非友好的な政策は是正されず、むしろ正当な民族教育の権利を無視したいわゆる「外国人学校法」の制定を何度もはかったり、本学の設置認可の申請を受理しないといった抑圧的態度が強まりました。
本学の認可は、日本の学者、文化人、教育関係者をはじめとする各界各層の積極的かつ広範な支持を受け、1968年4月17日、当時の美濃部東京都知事の決断によって、ついに実現されたのでした。
朝鮮大学校の認可以降、教職員と学生の祖国自由往来が実現し、大学教育はより充実していきました。


 美濃部が都知事に初当選したのは1967年で、1979年まで3期務めた。美濃部は社会党と共産党が推薦する革新統一候補で、3期目は公明党も推薦した。美濃部の前任は自民党推薦の東龍太郎(あずま・りょうたろう、任1959-1967)で、その前任はやはり保守系で内務官僚出身の安井誠一郎(任1947-1959)であったから、彼らの任期中は認可されなかったものを、美濃部が認可したということなのだろう。それが北朝鮮で評価されたということなのだろう。

 公平を期すために付言しておくが、美濃部が金日成と会見した当時は、こんにちのように北朝鮮がわが国にとって危険な国家だと一般に認識されていたわけではなかった。まだ日本人拉致事件も起こっておらず、核兵器の保有も弾道ミサイルの実験も行っていない。数ある社会主義国の一つという程度にしか知られていなかった(だから1970年のよど号のハイジャック犯たちは、予備知識もないのに北朝鮮へ亡命した)。金日成から金正日への継承も表面化していなかった。

 また、当時はまだわが国において社会主義がある程度支持されていた。自民党の単独政権は揺るがなかったが、野党第1党は社会党であり続け、美濃部のほか、京都府、大阪府の両知事や、横浜市長なども革新系だった。マルクスやレーニンや毛沢東の著書が、大手出版社から文庫本で出版されていた。美濃部はマルクス経済学者だったが、それは彼の経歴においてマイナス要素にはならなかった。
 北朝鮮独自のチュチェ(主体)思想は、「マルクス・レーニン主義をわが国の現実に創造的に適用した」(1972年憲法)ものとされていた。
 そんな情勢の中、美濃部が朝鮮大学校を認可し、金日成と会見したとしても不思議ではない。

 この朝鮮大学校の認可を批判する見解もあるようだが、私にはそこまで問うべきなのかよくわからない。わが国における少数民族が民族教育を行うことそれ自体を否定すべき理由はないと思われるし、それを各種学校として認可することも都道府県知事の裁量の範囲内であろうから。

 ただ、当ブログの8月28日付の記事で取り上げた、1973年の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑の設置がこの都知事の下で行われ、その後毎年追悼式典が開かれているとされていることには留意しておきたい。


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