蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

“ひとりぼっちの私が市長になった!”―一気に読んだ。感動した!―

2007-03-13 02:44:17 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
3月12日(月) 晴れ。北の寒風、終日強し。

  10日の夜、前項のブログをアップしたら日付が変わって、11日の午前2時ぐらいだったろうか。ほっと一息、ウイスキーのお湯割を飲みながら、手元に置いておいた図書館で昼間借りてきたばかりの“ひとりぼっちの私が市長になった!”を、一寸様子を見る塩梅で開いた。

  読み始めたら、何故?、それからどうしたんだ?…止められなくなった。明け方5時、227ページを読み終えた。ジーンとした感動が胸の底におちた。
  それは、足長おじさん+レミゼレラブル(何故か)を、読んだような感じといえばいいだろうか。

  著者の草間吉夫氏ja.wikipedia.org/wiki/草間吉夫は、茨城県高萩市長だ。41歳、昨年の2月5日、5人の候補者で市長の椅子を争い、現職を大差で破っての初当選という。http://blog.hitachi-net.jp/archives/50173761.htmlblog.hitachi-net.jp/archives/50173761.html - 18k –

  表紙見返しにこうある。
『生後三日で乳児院に預けられ、高校までを児童養護施設で育った青年が、社会の偏見や無知を乗り越えて茨城県高萩市長になるまでの半生を綴った、感動の手記! こんな市長が日本の未来を変える! 講談社』と。

 この評に、偽りはなかった。
感動の要因は、著者の己の内心の求める志に向かってのひたむきな生き方そのものにあることは、勿論だが、著者がこれまで出会った周囲の人々(多くの読者にとっては、無名に均しい人々)の中に、識見のすばらしい人や真に優しい人の存在を知るしることにもあった。

著者の育った児童養護施設「臨海学園」の創立者、遠藤光浄氏(日蓮宗、願成寺住職)。著者の夏休み、新年の里親を引き受けられた元高萩市長鈴木藤太氏。著者を幼時のときから卒園までの18年間父親代わりとなって面倒を見られた指導員の大橋正男氏。同じく指導員で著者の兄貴がわりのような若くして急逝された永井定男氏等々。

こういう方が、日本には、まだまだ無数にいらっしゃるのだろう。だから、中央の舞台の上でスポットライトを浴びた、団十郎気取りのその実、三文役者がフザケタ演技でジタバタしていても、今日も大部分の庶民は安穏に暮らしていけるではないか。

今、中央で活躍され、各種メディアにご登場になる方々は、始めは人の目をはっとさせても、暫くすると、化けの皮がはがれ、お里が知れて、がっかりさせられてしまう人士の何と多いことだろうか。それは、一瞬、陽に映えてたちまち破れ散るゴム風船か紙風船をみるようである。

この書は、ある意味でのサクセスストーリーとして、また一方では、最近はとんとお目にかかることのなくなった、教養小説(ヘルマンヘッセ、ロマンロラン、芹沢光次郎、山本有三の著作等)に再会したような気がした。

その一方で、今まで知ることのなかった、児童養護施設の実態、そこでの生活がどのようなものであり、日常の感情生活のなかにあって、どのような人格形成がされていくのかということが窺い知れた。

また、真の福祉のあり方、その意味することの深さである。著者が受講した現東北福祉大学長の萩野氏は、「いいか、よく聞け。福祉とは人間をどうとらえるかだ。つきつめると、自分自身をどうとらえるかだ」」と説く。

そして、遠藤光浄師もまた、著者が迷って尋ねたとき、同様に語るのである。

『福祉とは最も人間を見つめる位置にある学問と実践の分野、突き詰めると、神に接するものです。人間をきわめ、神に接するところから出発するのが基本です。人間の醜さと欲深さと、こよなく尊い清らかさを垣間見た人々が、福祉を実践すべきだと思います。草間君もこれから人間研究をし、スランプを超え、深く深く福祉の世界を探ってください』と。

ここを読んで、もう数年前か。厚生事務次官の、ゴールデンプラン老人養護施設の汚職事件を思い出した。そして今もこの分野を巡っては、何かと魑魅魍魎の跋扈を聞くのは、どうしたことだろうか。

なお、著者が福祉について、もっと視野を広げるために挑戦し見事入塾した、松下政経塾の中の様子が興味深い。このような教育指導を受けても、卒塾すると結構なバラつきがでるのは、どうしたことだろうか。これほど厳しく鍛えられながら、先の前原前代表のおっちょこちょい振りは、何故なのかと、怪しみ惜しまずにはいられない。

とりとめのない感想文になってしまったが、著者から初めて聞く「スピークアウト(生い立ち告白)」、その勇気ある志で、これからの高萩市がどのように再生されていくのか、興味ふかくみていきたいと思う。そして、そこでどのような福祉行政が展開されていくかを。

ー追記ー
 URLがうまく入らず、リンクできず申し訳ありません。

「初恋の人探します」―世の中にこんな商売があったのだ!―

2007-03-11 01:51:16 | 日常雑感
3月10日(土) 晴れ。終日、風冷たし。
 
  昨晩、10時、何気にNHK総合を見ていたら、面白い番組に出会った。

『にんげんドキュメント「初恋の人をさがしたい」大阪・調査会社に寄せられる思い。72歳女性調査員。』

 朝日のTV番組紹介欄、“試写室”には、こうある。

 『「戦争で別れた相手に会いたい」「同級生に本当の思いをつたえたい」「傷つけたことを謝りたい」。様々な理由で初恋の人を探すひとたちの依頼を受ける調査会社が大阪にある。10年間で1万2千件の調査をとりまとめてきた滝田和子さん(72歳)の姿と、依頼者の心の軌跡をたどった。…』と。
 
  このタイトルを見たとき、一瞬、「家政婦は見た」ふうのコメディー番組かとも思った。ところが真面目な実際の話であったから驚いた。さすが商売上手の大阪である。どんな商売なのか興味しんしんで視た。

  冒頭声だけのリポーターの女性が訊く。「初恋の人を探したいなんてそんな人が実際にいるんですか?」と。
訊かれた、「初恋の人探します」社の調査員、滝田さんは別に特段のことではないと言うふうに、「ハイ結構いられますよ。そういう方」とお答えになる。
この会社、そもそも自分の娘がある時、初恋の人の消息が知りたいということで調べ始めたのが契機だとのこと。もう開業して19年。親子二人で自宅の居間で始めた会社は、いまでは社員8名とか。年間500件以上の依頼があるという。依頼者は、調査申し込み時点で、1件5万5千円を支払う。そして、調査結果を受け取る際にさらに5万円を払う仕組み。
 ただし、申し込み時点で犯罪の匂いがするもの、ストーカーまがいのものははっきり断るそうだ。
 20年近い調査方法のノウハウは凄い。日本全国の古い電話帳が4000冊常備してある。

そして実際の調査の様子をカメラは追う。最初の依頼者は、筋萎縮症と闘う48歳の元税理士の男性だ。彼は4年前にこの病気と診断され、後数年の命と医者から宣告される。自分の命が尽きる前にどうしても、中学2年の時、隣の席だった女生徒に会いたくなったのだ。2年生のクラス替えで初めて顔を合わせた彼女は、引っ込み思案で誰一人友達がいなかった彼に、気さくに何かと声を掛けてくれ、彼女にだけは彼も心を開いてなんでも話した、という。
だが、その女生徒は、間もなくどこかえ越していってしまった。

息子の思いを知った母親が、何とか子の願いを適えてやりたくて、調査会社に電話してきたのだ。依頼を受けた滝田さんは、早速依頼者の母子(オヤコ)を尋ねる。
滝田さん自身も同じ48歳で自衛官だった息子を癌でしなせているのだ。だからこの母親の気持ちが痛いほど分かる。先に希望が出れば、一日でも生きようとの意欲もでるのではと。

彼女は、依頼者が見せてくれた唯一の中学の時の卒業アルバムにあった住所を頼りに、いい結果でるよう調査することを約束する。
早速、その住所を尋ねる。だが、20年以前も前に転居していて、近所の人は、誰一人知る人はいない。
依頼者が、彼女が「母の実家は鹿児島で櫻島がよく見えるところ」と話していたことを思い出す。今度はそれをたよりに、鹿児島県の電話帳を引っ張り出し、該当する姓名に片っ端から電話をかける。1000件かけても消息はつかめない。この間すでに9ヶ月もたってしまう。依頼者の残り時間は、その分少なくなっていくのだ。滝田さんは焦る。ついに鹿児島に出張する。72歳の身で桜島の見える場所で、これはと思う家を訪ね歩き、チャイムを押す。だがそれでも何の手がかりも得られない。一泊2日の調査旅行が無駄に終わる。
しかし、それからしばらくして、ひょんなことから、彼女の同級生という女性から連絡が入る。ついに判ったのだ。
何と、彼女は、彼の隣町で結婚し今、二児の母として幸せに暮らしているという。
その結果を滝田さんから告げられて、彼はにっこり笑って不自由な口で「よかった。よかった。ありがとうございます」と。

もう一例は、82歳の老人。昭和18年、応召。相思相愛の恋人がいた。戦争から帰ってきたら結婚しようと二人は誓って別れた。戦争が終わった。
満州で終戦を迎えた彼は、シベリアに4年間抑留されて帰国する。彼女と再会さする。
だが、彼は、戦争と長期抑留で、心身ともに消耗し尽くし、結婚して彼女を幸せにする自信はない。どうか別れてくれと告げて、それきりとなる。
そして、今、人生の終わりを迎えて、彼女はその後どうしているだろう、すまないことをしたと思っている矢先、姉がその死に際に一通の手紙を彼に手渡す。
「この手紙は、お前が彼女に別れた後、私宛にきたものだ、読むか読まないかはお前の勝手だ。私としては、これをお前に渡さないときがすまない。」
そう云って渡された手紙には、「私には、○○さんの気持ちがどうしても分かりません。私にはこれからどう人生を歩んでいけばいいのかわかりません。でも、○○さんがそれで幸せになれるのなら私は構いません…」とあったという。
これを読んだ男性は、俺の82年の人生は何だったのかと慙愧の念に囚われる。
俺は自分のことしか考えていなっかた。俺は卑怯者だ、と。何としてもその後の彼女の消息がしりたいと、滝田さんを尋ねたのだ。

滝田さんは、その手紙の差出人の住所を手がかりに調査を開始する。
そして、彼女が男性と別れた5年後、町工場を経営する人と結婚し二児を設け幸せに暮らしていたが、今から、26年前 、56歳で病死したと分かる。
その結果報告書を滝田さんから受けた老人は、晴れやかな顔で、「これで自分の人生に決着がついた」と語る。「彼女が幸せな人生を送ったと聞いて思い残すことはない」と。

まさに事実は、小説よりも稀なりとは、このことではないだろうか。
こういう商売なら、私もやってみたく思った。だが山家の隠居に落ち着いた今となっては手遅れか…。

そして、私にも気になる人は沢山いる。そのうちのただ一人と問われれば何と答えようか。

その一人は、小学校1年生の時、隣り合わせで座ることとなったクニコちゃんだ。
細面の色の白いおとなしい優しい女の子だった。帰りはいつも二人で手をつないで帰った。それを、仲間に冷やかされたような覚えもかすかにある。
途中に古いカトリックの教会があった。その前で、それぞれの家の方へ別れるのだ。だからその教会は一際印象深いのだろう。そこは、山陰の城下町にあって、唯一ハイカラな何か異世界を想像させるもがあった。
ある時、クニコちゃんは、教会の信者っだったらしく、「一緒に中にはいろ」と言って、慣れたしぐさで鉄格子の脇門のノブを回して、平気で中に私を連れて入ったことがあった。聖母子の彫像と、高い天井のステンドグラスから入る不思議な色の光線が今も瞼に残っている。

その後、クラスも違い、それっきりになって、すれ違っても彼女は伏目がちで、口もきかなくなった。
今、私は、幼くしての戦争での疎開から、中学1年の夏までを過ごした祖父の地を思い出すたびに、その面影をいまだに懐かしく想う。
クニコちゃんは、あれからどうして、どのような人生をあゆまれていることかと…。

人生の出会いと別れ、思えば春たけなわを迎えようとしている。



「いま水道水を飲んでいる人、ほとんどいない」松岡大臣発言。水道界は黙っていていいいのか!

2007-03-10 01:05:27 | 時事所感
 3月9日(金)晴れ。暖。

  今日の夕方、何気にこの記事
松岡事務所を民主議員「急襲」 「浄水器ないじゃない」(朝日新聞) - goo ニュースを、読んでびっくりした。

  何と、水とは切っても切れない関係にある農林水産大臣ともあろうお方が、 『この日の閣議後会見で、光熱水費問題について「いま水道水を飲んでいる人、ほとんどいない」と発言したが、詳しい説明は避けた。』とある。

  支払ってもいない高額な光熱水費を計上して、何かの裏金に使おうとの魂胆を、見透かされてか、追い詰められてかの切羽詰っての捨てゼリフとはいえ、これはあまりに無責任な発言ではないか。

  水道事業の許認可、水質基準等水道行政を所管する厚生労働大臣はこれを耳にされて、黙ってさらさら聞き流されるおつもりだろうか。
  どうせ産む機械や24時間働く機械達が、飲む水なんか何飲もうと知っちゃーいねーやということだろうか。

  松岡大臣が日頃精勤されている国会議事堂や議員会館は東京都水道局の給水区域だ。

  同局は、1200万人都民を始め、上は天皇陛下から下はホームレスに至るまで、24時間、蛇口から直に安心して飲める水を給水しようと、(「蛇口まで届ける安全 東京水道―東京都水道局18年度職員標語から―」)職員が一丸となって懸命な努力をしているのである。http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/  その努力を承知のうえでこのような発言をされるのだろうか。

  松岡大臣、山家の隠居は、国会中継を視聴していて、世上とかく噂はあれど、所管の農林水産行政については、何を訊かれも立て板に水、ちゃらちゃら流れる御茶ノ水で、なかなかのものと敬服していたというのに、このような事実確認もしない思い込み発言では、衣の端の尻尾を見る思い。
これからは、眉につばつけて聞かずばなるまいか。

  ところで、こんな無責任なことを、大臣から満天下に向かって発言されて、東京都水道局長は一言、抗議なさらないのだろうか。
  局長と大臣とでは格違いというなら、先ずは直属上司のこの国では、総理の次に偉いのはご自分かとお思いの大東京都知事石原閣下に申し入れしていただくように上申されるべきではないのだろうか。

  もっとも、こういういわれなき戯言をいう輩は、大臣だろうが何だろうが、“きっこの日記”のきっこさんを始めとして、刷いて捨てるほどいらっしゃるので、「いちいちかまっちゃーいないのよー」と、鷹揚におっしゃるのなら、山家の隠居がなにおかいわんや欠け茶碗である。
 
と、思うこのことさて皆様はいかがお思いでしょうか。

都知事選、「浅野史郎氏立候補をどうみる?」―山家の隠居の藪にらみ!―

2007-03-09 02:07:29 | 時事所感
3月8日(木)晴れ。朝、久しぶりの零度。日中は暖。  

 思いがけなくも、拙ブログのコメント欄で、百々征夫様という方から「浅野史郎氏が立候補」したことについてどう思うかとのお尋ねをお受けしました。

 このことについて、私は、3月3日付けの『久々に痛快!「きっこの日記」-美しい東京にするために-』、のコメント欄で軽く触れたのですが、なかなかコメント欄まではクリックしてご覧になる方は少ないようです。
 確かに、拙ブログは本文自体が長めの方なので、その上さらにコメントまではということになるのかもしれません。
 私の方としては、今のところ戴くコメントが少ないので、つい嬉しくなって本文と同じぐらい力を入れて書いてしまうこととなります。
 それによって、本文で言い足りなかったことが、書けたり、コメント戴いた方の視点に刺激されて内容がより複眼的になるような様な気がいたします。

 そこで、今回は、コメント欄でお返事を書くのではなく、本日の本文としてお返事をかねて書かせていただくこととしました。

 もう何度も書いているように、石原夜郎自大都知事閣下には是非ともお引取り願いたいと言う思いは極めて切なるものがあります。後輩諸氏の大多数の思いもまたそうであるように仄聞しております。
 プライド高き都の管理職のお歴々が、頭ごなしに怒鳴られたり、書類を投げ返されたりとかと仄聞するたびに山家の隠居の血は、蟷螂の斧とは申せ熱く沸きあがるのでございます。

 過日、三番手として黒川紀章氏が立つと聞いて、先ずこれは面白いと思いました。が、しかしその立候補理由も今ひとつピント外れのようで、往年の大女優若尾文子様が、いくら楚々として涙ぐましくも頭を下げたとて、とても勝負は覚束ないとみました。

 そして、さんざん気を揉ませる振りして躍り出たのが、浅野氏という訳でございます。
 あれだけ辛口の“きっこ”様までぞっこんの惚れ込みようであります。

 ですが、山家の隠居の感想は、繰り返しになり恐縮ですが、
『浅野氏もなんだかんだきれいごとを並べていても、一期5000万円、三期で1億5千万円の退職金、しっかり懐に納めて、この間の宮城県の県債残高は、倍増とか。
 さる週刊誌で立ち読みしました。これを聞けば眉につばを付けたくなりませんか。
 おまけに民主党から打診されたときは、出ないといっておきながら、散々気をもたせた挙句のかっこうつけての出馬意向表明。これだけ見ても○○がでそうではありませんか。』ということでございます。

 これについては、さらに今朝の週刊文春の広告にも『浅野史郎前知事、(都知事選安倍政権打倒の切り札)二大事件「黒い報告書」 県の借金増やし、売り物「情報公開」でも疑惑職員の名前は明かさない。左遷された県幹部は自殺し、知事の言葉で殺人事件まで起こっていたー 』と、トップ見出し扱いで掲載されておりました。

 戦う前から、これでは 夜郎自大閣下と似たもの同士で、とても勝負になりますまい。

 そして何よりも東京都知事は同じ知事でも格段の相違があることは、自明ではないでしょうか。
 予算規模だけでも国家予算約82兆円に対して約13兆円もございます。都職員(警察官・教職員を含む)だけでも約17万人でしょうか。
 かって、革新の星、美濃部氏が都知事のとき、並みの大臣と同席はならぬ、総理大臣の次でないと嫌だと駄々をこねて周囲をこまらせたとかきいたことが、ございます。

 そんなお席にお着きになるには、失礼ながらつぶれかけたオムスビのようなお顔では、ちと役者不足ということではないでしょうか。

 今朝もスパモニでコメントしていましたが、そのまんま東氏の風を起こすには、意外性、話のおもしろさ、情熱がなくてはというようなことを言ってましたが、そのとおりだと思います。
 浅野氏には、この点についても物足りないのではないでしょうか。

 そして、同じアサスパで来週にも、もっと皆さんがびっくりする大物が出るのではと、思わせぶりなことを云っていましたが、それがどうやら、先ほどの、ヤフーのニュースによれば、タレント弁護士、丸山和也先生らしいご様子。

 さてこちらもいかがなものなのでしょうか、と思う次第でございます。


参議院予算委員会国会中継を視る。ー活ける「鳥獣戯画」を見る如し!ー

2007-03-07 01:12:35 | 時事所感
 3月6日(火)晴れ。日中暖、日没より冷え込む。庭先の梅、漸く二分咲きか。北北西の風強し。

 昨日、今日、二日続けて、参議院予算委員会質疑国会中継を垣間見た。実に面白かった。時にいいかげんさに腹も立ち、イライラもした。
 最初からブログに書く積りならビデオでもとっておけばよいのだが、そんな面倒くさい道具はこの歳になると態々持つ気にもなれない。

 今朝の新聞(朝日)で、昨日の予算委員会の様子をどう書いてあるか見てみたが、こんなことだっかと思うほどのことしか書いてなかった。私の垣間見た印象とは随分違っていた。
 やはり、物事は自分の目を通して見ることがいかに大切かを、改めて感じた。

 ところで、私が目にしたのは昨日の午後、民主党の桜井充議員のところからだった。

 その直前、カメラが斜め上の方から安倍総理を捉えたが、その一瞬の表情、疲れきったたような、やれやれといった感じで伏せていた面差しを質疑席に向けたのが、先ず印象的だった。

 桜井議員の質問、興味を引かれたのは、規制改革についての質問に移ってからだった。
 桜井議員は、「地元仙台のタクシーが規制改革による新規参入で、従前500台だったものが洒落ではなく1000台になった。その結果、運転手さんたちの給料は30万円平均あったものがいまや15万円そこそこになってしまった。
 この規制改革とは、一体誰のためだったのか。規制改革委員会の委員長のリース会社の社長のためのものでしかなかったのではないか。これは、アメリカだったらお縄頂戴になるものではないか」と、厳しく政府を責めた。

 その答弁に総理をと求められているにも拘らず、前任者のお粗末で棚から牡丹餅、ここでお返ししなければとばかりに、のこのこしゃしゃり出た渡辺規制改革特命担当大臣の粗雑な答弁のお粗末さ。
 自分がいかにこけにされているかも、知らぬげの、お目目ばかりが、クリクリの栃木のお山の狸踊りのお披露目だ。

 そして、今日。朝から自民党議員のオンパレード。来る参院選を前に臆面もない自己PRの花盛り。挙句の果てが馴れ合い褒めあいのできレースだ。

 特に呆れ果てたのが、三浦一水議員のあら恥ずかしや大エールだ。
 「安倍総理とは昭和29年生まれの同い年同士として云々から始まって、歴代こんなに国民の一人一人に目配りされた優しい総理をみたことがない…」とまでのたまう始末。
とうとう最後に、「私は、安倍総理と運命をともにしたい」とまでおっしゃった。さすがにこれには議場に苦笑がながれ、どうぞご勝手にご心中くださいと、ひと言呈上したくなった。

 そして次は何方と思っているところに、思わぬ来客。地元紙に9条改定反対の署名広告出したいので、署名カンパのご依頼だ。日頃の付き合い断れない。用が済んだら直ぐにお帰りかと思いきや、どっかり腰を落ち着けて、先日の続きの四方山話。

 知人が帰って再び、TVの前に戻ってみれば、共産党の小池議員が、一転まさに決闘かとも思うかの「総理!総理!」と浅野内匠頭が吉良上野介に迫る勢いだ。

 何事ならんと、傾聴すれば、285万円の所得しかない人の国民保険税が45万円とか。これを「総理は、どう思うか。貧しい国民は死ねということか」と厳しい追及。

 これには、早速、女は産む機械発言で俄かに天下に名を売った柳沢大臣が「私も今一生懸命計算してみましたが…」と、答えにならないような生煮え答弁だ。

 確かにこれを聞いて山家の隠居も首を捻った。私も同じ年金収入、しかし、その半分ほどですんでいる。どうしてそんな額になるのか、事実とすればこれは脅威だ。

 この間、議場は静まり返り、シラーとした雰囲気が流れた。
 共産党の主張の常套手段か、どこで探してきたのか、よっぽど極端な例を持ち出してのヒステリックな追求は、それが正論であっても何か聞くものをして反発させるのは何故だろうか。

 これが、社民党の阿部知子議員なら、同じ材料を使っても、もっとやんわり、しかし厳しく、にっこり笑って人を切ったのではないだろうか。

 そして、本日の最終バッターは、尖がりお口の社民党は福島瑞穂党首だ。「米軍グァム移転費には6000億も支出しようとして、生活保護費は460億も削るとは何事」と、金切り声をおあげになった。
 ところがどっこい、「いやそんなことはありません。事実をまげてはいけません。全部支出項目を見直し改めただけで実質的にはかわっていません」と、安倍お坊ちゃま総理に軽く否されるお粗末さだった。

 最後に、「国会中継を終わります」と流されたなかで、性能が良いマイクが、拾った出席議員の何方かの捨て台詞。「いつも同じだなー」
 確り山家の隠居の耳に残った。そして目には、チョイの間カメラが捉えた、伊吹文科大臣の大あくび。

 質疑は、あらかじめ相互に通知しあってのこととは聞く。が、本番はやはり、それぞれどんなに隠してみても、高性能のハイヴイジョンレンズの前では、衣の下の鎧までもが透けて覗けるおもしろさ。

 これぞまさに国宝、伝鳥羽僧正の「鳥獣戯画」を見る思い。こんな楽しくためになる見ものがあったとは、現役時代にはついぞ知らなかった。
 山家の隠居の楽しみだけにしておくには、真に勿体無い代物ではないか。

と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

ー追記ー
本文は、山家の隠居の豆腐頭で、メモなしの記憶だけで記しておりますので、聞き間違いや思い違いが多々あることをご了承ください。

ハイヴィジョン日曜シネマ“阿弥陀堂だより”を視る。―感動した!―

2007-03-05 21:57:54 | 日常雑感
 3月5日(月)曇り後雨。暖。

 昨夜、9時、徒然なるまま、チャンネルを回し何気なく、BSハイビジョンで、日曜シネマ“阿弥陀堂だより”を視た。終わったら11時だった。この間、感動のしっぱなしだったと言ったら少し大げさだろうか。

 物語の粗筋は、この映画のホームページ(www.amidado.com/ - 14k -)によれば次のようなものである。

 『東京に住む孝夫と美智子の夫婦。夫は新人賞を受賞するも、それ以降なかなか日の目を見ない売れない小説家。妻は大学病院で最先端医療に携わる有能な医者だった。あるとき、妻、美智子はパニック障害という原因不明の心の病にかかる。仕事にも、都会の生活にも疲れていた二人はそれをきっかけに、孝夫の故郷、信州に移り住むことを決意する。
山里の美しい村に帰った二人は、96歳の老婆おうめを訪ねる。彼女は、阿弥陀堂という、村の死者が祭られたお堂に暮らしていた。何度かおうめのところに通ううちに孝夫は、喋ることが出来ない難病を抱える少女、小百合に出会う。彼女は村の広報誌に「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。それは、おうめが日々思ったことを小百合が書きとめ、まとめているものであった。
それまで無医村であったこの村で、美智子は診療所を開く。おうめや小百合、そして村の人々の診察を通して、医者としての自信と責任を取り戻してくる。 一方孝夫は、中学校の時の恩師、幸田重長がガンに冒されながらも死期を潔く迎えようとしていることを知る。幸田老人と彼に寄り添う妻のヨネの生きる姿に、深い感銘を受ける孝夫。
二人は村の人々とふれあい、自然に抱かれて暮らしていくうちに、いつしか生きる喜びを取り戻していくのであった。
そんな時、小百合の病状が悪化していることが判明する。すぐに手術をしなければ命が危ないという事態に、美智子は彼女の手術担当医として再びメスを握ることを決意するのであった。』

■ 視終わっての感想

 先ず、物語の舞台になっている奥信濃の四季の移ろい、水の張られた棚田、夕景、雪景色、しぶきをあげて流れる渓流、それだけ見ていても飽きない風景描写の美しさにまいった。

 その中で、人間の暮らしや営みなんて、本当はこの自然風景に包み込まれた、ほとんど一つの点景かと思えてしまうほど、風景と一体化しているのがよかった。

 視るものをしてそう感じさせるのが、この映画の通奏低音であり製作者の狙いなのかと思った。

 そして、樋口可南子の女医、寺尾聡の売れない小説家、阿弥陀堂の堂守の老婆を演ずる北林谷栄…等出演者の演技が控えめで自然なのがまたよかった。
 凝縮された饒舌でないセリフは、皆、それぞれに深い響きをもって、こちらの心に落ちてくるものばかりだった。

 主人公のエリート女医が、夫の故郷の家の縁側に二人で座って、眼下に広がる風景を見ながら、「私、今まで目の前しか見ていなかった。こんな広く遠くまで見たことなかった。…」と、大都会で暮らす人々が忘れていた自然のもつ癒しの力に気づく言葉。

 堂守の老婆が、長寿の秘訣を訊かれて、「さー、何にも考えんと、畑に好きなものを植え、すきなものを採って食べてきたからではないか。他になーんにも欲しいと思ったことなく暮らしてきたからではないか」と語る言葉。

 その老婆に「小説って何ねん?」と問われて、小説家がどう説明しようかと困りながらも、「そうですね。小説とは阿弥陀様を言葉でつくるようなものだと思います」と答えた言葉。

 今、私も、自分がどうして飽きもせず“絵”をこれほど描きたいのかと思うことがある“絵”って一体なんだろうと。
 その答えの一つが、ここにあるようだ。

 “絵”もまた、人の目には見えない、だがしかしこの広大無辺のすみずみにいらっしゃるこの宇宙の全ての創造者たる阿弥陀様とも呼ばれる存在を、線や色をつかって、自分なりに拙いながらも、人の目に見える形にしてみようという試みではないのかと思うのである。
 
 私の尊敬する銅版画家の長谷川潔も、自身の回顧展のカタログの中で次のように語っている。
『全ての芸術家は、多かれ少なかれ、“神秘”表そうとするものだ。…できるだけ厳しく描いて一木一草の「神」を表したい。…私は、物より入って神にいたる』と。
 
 この映画の真の主人公は、奥信濃を借りた自然風景そのものであったのではないか。だからこそ、その広大無辺の優しい掌(テノヒラ)の中で、微塵のような人間たちの限りある命の営みが、限りなく愛おしいものに見えてきて、私は、思わず涙したのかもしれない。
 
 こんなに美しい、優しい自然を、今、私たちはあまりにも無惨に切り刻んで、貪りつくして、汚しつくそうとしている。まさに自分で自分を殺そうとしていることに気づかないかのように…。
 
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

ー追記ー

 映画が素晴らしいのは、原作も素晴らしいのではないかと思い、一体、原作は何方かと見たら、南木佳士とあった。私には全く未知の作家だった。Googleで調べたら、何と第100回芥川賞受賞とあった。佐久総合病院で医師をされており、作家との二足の草鞋とあった。

 この経歴を見て、映画の中で、女医が緊急手術の相棒の若い医師について、「彼は謙虚なのよ。医師にとって大事なのは謙虚さよ」というセリフが、付け焼刃ではないことを知った。
 

”清水次郎長異聞”に思う「地球気候クライシス(危機)」

2007-03-04 01:20:48 | 日常雑感
 3月3日(土)晴れ。暖。
  
  今日は、ひな祭り。TVやラジオのニュースでも各地での特色あるひな祭り行事の有様が報じられている。暖かい小春日和の中、そんなほのぼのとした可愛い子供の顔が目に浮かぶようなニュースを耳にしながら、足の踏み場も無くなった作業場の整理を始めた。

  一月近く読んだままに重なり合って場所塞ぎな新聞の山から崩しに懸かった。いざ捨てるとなると何か読み残した記事がありはしないかと貧乏性が頭をもたげる。
  結局、丹念に興味を引かれた記事の切抜きを始めた。これで、半日が暮れてしまった。

  その中に、『「次郎長」は渡さない 「清水一家」暴力団使用へ 市民と警察が阻止に団結』なる記事(2月23日付け、朝日新聞)が目に付いた。
 
  おや?今頃これは何だと思った。瞬間、昨年8月26日付けの拙ブログ「清水港に次郎長を尋ねて」を思い浮かべた。http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/d91950857819362bcee13699044ab3f2/ce
  改めて、この新聞記事を読み直してみるとこうあった。
『 清水次郎長の名は使わせないー。清水市清水区に本部を置く指定暴力団…が、清水次郎長の系譜を継ぐ「清水一家」を名乗ろうとしているとの情報を受け、静岡市暴力追放推進協議会が22日、使用阻止の要請書を清水署に提出した。…清水一家は5代目の66年に解散しているが、伝統ある名は、暴力団にとって「ネームバリュー」があるという。…』

  驚いた。“清水次郎長”もはや伝説上の人物に等しいと思っていたら、まだ脈々とこの21世紀に息づいていたのである。

  暴力団の世界にもブランドは幅を効かすらしい。
  こんな降って湧いたような地上の騒ぎに、地下の次郎長親分さんは、どう思っていらっしゃることだろうか。さぞかし苦虫噛みつぶしているのではなかろうか。

  折角、若き日の博徒渡世から、思わぬ歴史の転換の中で幕臣山岡鉄舟の知遇を得て、世の為人のために役立つ稼業に転じ、今じゃ清水市(合併して静岡市)のシンボル、観光目玉に収まって、安らかな眠りについているというのにだ。
  
  ところで、この次郎長さん、生まれたのが文政3年(1820年)、亡くなったのが明治26年(1893年)73歳とある。

  さらに、次郎長が生まれる10年前の文化7年(1810年)、には赤城の山も今宵限りで有名な国定忠治親分、天保水滸伝の英雄、笹川の繁蔵親分が生まれているのだ。
 しかし、この二人のうち忠治親分は、嘉永3年(1851)41歳、上州で刑死(磔ハリツケ)し、繁蔵親分は嘉永元年(1848)38歳で敵(カタキ)、飯岡助五郎の子分の闇討ちに遭い惨殺されている。
  維新前夜の幕末、幕府体制は腐敗し、飢饉相次ぐなかで治安が乱れ、庶民が難儀するのをみかねた侠気(オトコギ)のある連中が、今で言う義捐金稼ぎのために縄張りを争って出入りをしたらしい。

  今の世も、どっちを向いてお仕事されているかのお役人や、自分の取り分を増やすことしか頭にない財界のお偉方が、余りに頼りにならないとなっているところへ、気候クライシス(危機)=「地球温暖化」により、食糧危機でも重なって到来すれば、今度は本当に、次郎長の一枚看板が息吹き返し大暴れして、世の喝采を浴びないとは誰が否定できようか。

と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

―追記―
 気候クライシス(危機)=「地球温暖化」について
 「地球温暖化、こんな言い方何か生ぬるくてぴんときませんね、もっとぴたっとした適切な言い方がないのでしょうか?」と、拙ブログにいつもコメントを戴く、さくら様から過日お問いかけがありましたが、今回、いい言葉に巡りありました。

  と申しますのは、3月2日の朝日新聞「天声人語」に、『最近の言葉から。…▼映画「不都合な真実」などを通じた気候変動問題の啓発活動で、米科学誌が「06年に最も影響のあった政策指導者」に選んだアル・ゴア元米副大統領が述べた。「私は地球温暖化と言わず、気候クライシス(危機)と呼ぶ。』とあったのを読み、全くその通りだと同感いたしました。
  よって、私も、これからは、拙ブログにおいては、「気候クライシス」、または「地球気候クライシス」と表記していくことといたしました。

久々に痛快!「きっこの日記」-美しい東京にするために-

2007-03-03 02:11:31 | 時事所感
 3月3日(土)
 
 夜半の徒然、”さるさる日記ーきっこの日記”を覗いた。
 2月28日(水)付けで書かれ、3月2日付けでアップされている『「美しい東京」にするために(1~6)』を読んだ。

 このところ、体調不良で点滴を受けられているというのに、6000字(?)に及ぶ石原夜郎自大税金暴飲暴食豪遊身びいき都知事閣下の糾弾の筆鋒鋭き弾劾、さすが恐れ入谷の鬼子母神である。

 これほどまでの傍若無人暴言閣下の正体を、何故、マスコミはつい最近まで、何故か恐れをなしてか、見て見ぬ振り、糊塗隠蔽してきたのか。

 とてもやどっこい産む機械発言大臣閣下なんぞ足元にも及ばないのに、その大臣を寄って多寡って引きずり降ろそうとなさるなら、何故、こんな首都東京の化け物を抛っておくのだろうか、奇妙奇天烈オペッケペーではないか。

  この時点では、浅野氏の立候補表明が半透明らしく、その待望論であったが、現時点では、来週にも正式立候補の動き、さぞかし「きっこ」さんも安堵されていることだろう。

  ごまめの歯軋りにも及ばない拙ブログなどで提灯持ちでもあるまいが、一読痛快溜飲の下がる思い黙し難く、つい一筆啓上した次第。

  ただ、山家の隠居は、今でも浅野氏ではなく、北川正恭氏(前三重県知事・早稲田大学大学院公共経営研究科教授)が立たれたならと思うのだが…。

ー追記3月4日(日)ー

 上記、拙ブログにおいて、北川氏待望論をほんの一言述べたたところ、「北川氏を推薦するなんて酔狂もいいかげんに…」との厳しいコメントをいただきました。
 お説ごもっともと思いましたので、恥ずかしながら、同氏の待望論撤回いたします。
 人物は、傍に寄ってよく見ないと簡単に評価できないことを改めて感じました。

 思えば美濃部氏もそうでした。富士山も遠目には、これほど美しい山は無いのに、傍へ寄れば寄るほど、ゴミと溶岩瓦礫の山とか…。
 何とこの国には、遠目美人が、間抜け犬の当たる棒の数ほど多いことではありませんか。
 下記コメントも合わせてお読み戴ければ幸甚です。

今こそ“一揆”だ!―声高まり始めた非正規雇用労働者 攻防07春闘―

2007-03-03 00:59:52 | 時事所感
3月2日(金)晴れ。暖。

  今朝の“朝日”2面の『「働く貧困」克服訴え 声上げる派遣・請負・契約』なる記事を読んだ。

  この記事によれば、
『派遣労働者の待遇向上を求めて1日、NPO法人「派遣労働ネットワーク」が、業界団体の日本人材派遣協会と今年で5回目の「派遣春闘」を開催した。非正規労働者が増える中で、昨年次々と結成された派遣や契約社員らの労組も、初めて取り組む春闘の真っ最中。ワーキングプア(働く貧困層)の是正へ向けた要求を繰り広げている。…
  厚生労働省によると、05年度の派遣労働者は約255万人、派遣業界の売上高は前年比4割増の約4兆円だ。一方で賃金は、7.8%減の一日約1万500円だった。「派遣料金が上がっても派遣社員の取り分に反映しないとの訴えもある。派遣料金の開示も求める」と、派遣ネットの関根秀一郎さんは話す。
  非正社員による春闘は多方面に広がっている。
  人材派遣会社、フルキャストグループの社員と登録スタッフは昨年9月、「フルキャストユニオン」を結成した。…
  実態は派遣なのに請負契約で働く「偽装請負」の摘発が進むなか、製造現場の非正社員も昨年10月、労組「ガテン系連帯」を作った。…
  契約社員も行動を始めた。KDDIグループ、KDDIエボルバの国際電話センターで働く26人は昨年11月、組合を結成した。…」』とあった。

  漸く立ち上がったのだ。いいではないか。人間、他人の助けを求めていては、100年待ってもラチはあかないのだ。
どんな問題も、先ず当事者が立ち上がらなければ、事態は動かないのだ。
大労組は、建前では労働者の連帯を口にするが、本音は自分の組織防衛、自組合員の既得権益を守るので精一杯なのだ。
  頼りにすべきお目付け役であるはずの厚生労働省のお役人様は、どっちを向いてお仕事をなさっているのか、とんと分からぬ始末ではないか。
  巷に怨嗟の声が満ち満ちて、惰眠に耽る窓外が、何だかがやがや煩くなって初めて、やおら重い腰をお上げになるのだ。
  弱い者は、団結して“一揆”して、諸々の苛斂誅求の悪代官様に立ち向かうしかないのだ。
  今時、“一揆”の首謀者になったところで、決して磔(ハリツケ)、獄門、晒し首の心配はないのだ。

  そして、こんな記事も出ていた。

『ブログで団結、労組結成 紳士服大手「コナカ」2007年02月27日08時52分(朝日COM)

  インターネットのブログでのやり取りをきっかけに、紳士服大手「コナカ」(本社・横浜市)に今月、初の労働組合が誕生した。全国の店舗に散らばる社員らが、労働条件の不満を書き込むうちにブログで「団結」。会社に改善を求めようと話が進んだ。サービス残業や休日出勤の是正などを求めていく。…
 発端は1年ほど前。NPO法人「労働相談センター」(東京都葛飾区)に、コナカでの長時間労働などを訴える匿名の手紙が相次いだ。同センターはブログで、具体的な事例を寄せるよう従業員と家族に呼びかけた。
 ぽつぽつと書き込みが始まった。「休みを少なくするのが、会社のやる気のバロメーター」(ハンドルネーム・現役店長)。「体がもちません。退職しかないのでしょうか」(同・社員)…
 ブログを通じて全国に同じ気持ちの仲間がいることを知り、組合を作って職場の改善を求めることにした。「文句や陰口で終わらせたくない。仕事が好きで将来は店長になりたい。長く続けられるいい職場にしたい」
 今月2日、労組結成をブログで報告すると、激励が並んだ。「未来は私たちで切り開いていきましょう」「参加する決心がつかない。でも応援してます」。会社にも労組結成を通告、来月初めに初の団体交渉が実現する見通しだ。
 コナカ人事部は、長時間労働の実態は把握しておらず、調査中という。「団体交渉には真摯(しんし)に対応したい」としている。』
 
 今や、インターネット、ブログ、NPO組織、新しい抵抗、団結手段があるのだ。これらを使って智恵を出して、団結と闘いの輪を広げていくべきではないか。
 
  この頃の世相を見ていると、こんなか細い声なき声を、上げるしかない山家の隠居になるのが、いささか早すぎたのではと、つくづく思う今日この頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

国会中継「衆院予算委員会集中審議」、社民党阿部知子議員の質疑に注目した!

2007-03-02 01:08:56 | 時事所感
3月1日(木)晴れ。暖。

  午後、外出から帰宅して、何気にラジオをつけたら国会中継、「衆院予算委員会集中審議」をやっていた。その最終番手に、社民党阿部知子議員が立った。
 よく通る声。相手を確り見据えての諄々として丁寧に語りかけてゆく、その声に思わず耳を傾けてしまった。

  先日の、東京築地市場の重金属で土壌汚染の深刻な東京ガス豊洲工場跡地への移転問題の質疑でも、一々データを挙げての追求に、環境大臣も今後の推移から目を離さずに注視することを約した。

  私はこの時もTVで中継を見ていて、感心した。築地市場の移転は、一東京の問題ではなく、そこでの取引を通じて全国民の食と健康に影響する問題であると。自己の医師ととしての視点と経験に裏打ちされた、付け焼刃でない切実な問題意識が聞く者に伝わってくるのだ。

  今日もそうだった。インフルエンザの予防ワクチン、タミフルによる副作用問題を取り上げての質疑だった。
  仙台でタミフルを服用した中学生が立て続けに二人も亡くなったという話だ。このワクチンを服用すると、数時間以内に異常な興奮作用(突如前方に突出して走りだすとか…)をもたらすのではないかという疑惑が濃厚なのだという。
  既に似たような症状を呈して数人の死者がでているという。にも拘らず、厚生労働省は、因果関係が明確に立証できないとして何の手もうとうとしない。
  何故なのか。疑わしきは罰しない。この姿勢が、これまでエイズ問題など遅れをとって、多くの被害者をだしてきたではないかと、今や安倍総理のご都合で首の皮一枚で繋がっている柳沢大臣に鋭く迫った。
  同省の、薬事行政、労働行政、いずれもどっちの方向向いての役所なんだと言う、国民の怨嗟を見事に代弁し、そのゆがんだ姿勢を浮き彫りにするものだった。

  そして、返す刀で、文部科学省が既に、この事実に注目して、全国の教育委員会に、インフルエンザや感冒でタミフルやその他の薬を生徒に処方した際は、保護者に当該生徒から目を離さないよう注意すべく通知したことを確認して評価した。

 このあたり、政府を攻撃するばかりが目立つ野党の質問にあって、聞いている身にとっては、なかなか好感の持てる質疑であった。

 さぞかし、答弁に立った伊吹大臣にとっては、全国放送の国会中継の晴れの舞台で、いささかの花を持たされた格好で、このところ別の問題で陰口をささやかられることの多い、身にとっては心地よかったのではないか。

 阿部議員は、過日みたNHKの日曜討論でも、与党議員の説明に結構納得できることはうなずいて耳を傾けるなど、社民党議員とは言え、柔軟な姿勢が見ていて好感がもてるのだ。

 しかしこの方、つい最近まであまりお目にかっかたことがなかった。
 
 そこでお馴染みのウィキペディアや国会議員名鑑ぶぶりすてらにあったって見たら、なかなか面白い経歴がわかった。
 現在、58歳。いわゆる団塊の世代のお一人か。東大医学部出身の小児科の先生を長くやってこられたのだ。学生時代は学園紛争で新左翼に属されていたとか。それだけ正義感に富んでいられと見る。

 にも拘らず、国会議員になられてからは、海外戦没者の遺骨収集に大変熱心な取り組みをみせて、与党議員にも評判がいいとか。神奈川12区藤沢市、高座郡が選挙区で、2000年以来過去三回衆院小選挙区に立つも落選、現在は南関東ブロックの比例代表とか。

 もう10年早く、選挙にお出になっていれば、今頃、大物に化けていられたのではと思うのだが。
 今回の質問に当たっても、仙台の現地に足を運び、なにかあれば、関係者をともなって所管の部署や大臣にも物申しに行かれる様子。真に惜しいものである。
 今後の一層のご活躍を注目したいものである。山椒は小粒でもぴりりと辛いのだ。