蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

見苦しい社民党福嶋党首の言動

2010-05-26 23:43:45 | 時事所感
5月26日(水)曇りのち雨。

  メディアは、普天間、普天間で毎日が暮れて行く。この問題で、民主党鳩山総理大臣の一連の発言の無責任さは言わずもがな。連立を組む一方の社民党、福嶋党首は口を開けば、雌鳥の如く嘴とがらして、「県内移設は、絶対認められない。重大決意がある」と、ひたすらかしましく囀っていらっしゃる。
 与党としての、方針決定には反対。だが生まれて始めて坐った大臣の椅子は離したくない未練がましさがみえみえではないか。真に見苦しい限りだ。

 沖縄に米軍の基地の4分の3が集中しているという現実、日本人なら誰だって、その現状がそのままで好いと思っているものは居まい。

 卑しくも一つの政党として、真剣に沖縄県民の負担の重さを考えるのであれば、ではどうすれば好いのか、誰が聞いても納得のいく具体的方策を何故提示しようとしないのだろうか。
 そのためにどれだけの地道な努力をしたと言うのだろうか。
 ぎりぎりになって、グワムだかサイパンに幼稚園の遠足よろしく、ニコニコフワフワ、ちょっとでかけてきただけではないか。

 安全保障の問題についてもそうだ。ただただ憲法9条墨守を金科玉条に金切り声でさけぶばかりである。

 沖縄は1609年(慶長14年)4月4日、琉球国王尚寧が薩摩藩島津家久軍の侵攻に降伏するまでは、中国、明国の朝貢・冊封体制下の平和で文物、豊かな中継貿易立国であったという。
 それが、軍備が脆弱だったばかりに僅か2ヶ月弱の戦争で、6千人の軍隊を擁しながら、1千人そこそこの戦国日本で鍛えられた薩摩兵にほとんどなすすべもなく敗れたという。この時点から、沖縄が日本の領域に入ったという。(※ 琉日戦争 島津氏の琉球侵攻 1609 上里隆史 著 による。)

 現在、世界政府というようなものが無く、群雄割拠、実力次第の国民国家が総てである世界において、憲法9条のお題目だけで、問答無用、まともな話し合いができないような国を眼と鼻の先においてどうやって、多くの国民が枕を高くして寝ていられようか。

 どうせ国民の1%ぐらいの支持しかない政党におちぶれてしまったのだから、大勢からみればどうってこともないかもしれないが、その割には、毎日、毎日TVに新聞に毎度みなれた尖がり口をみせられるのには、いいかげんめざわりでありうんざりさせられる。

 弱者の味方みたいなことを毎度売り物にしておきながら、ご自身は定期預金がちゃっかり何億円とか。こういうのを鵺とかいうのではなかったか。

国民国家―人類はいつこの呪縛から解き放たれるのか―

2010-05-20 00:32:26 | 日常雑感
5月19日(水)雨、肌寒い一日。

 夕方大相撲を視る。把瑠都が早くも日馬富士の下手投げに倒れて連敗し3敗となった。然し、昨日の琴欧洲との一戦は見ごたえがあった。
このようなダイナミックな相撲は、外国人力士が今のように多数入ってこなければみられなかっただろう。
幕内の対戦から次第に日本人力士の影が薄くなりつつある。モンゴル人は言うに及ばず、今や白人が丁髷を結い、廻しを締めても、眼が慣れてきたせいか、だんだん違和感を覚えなくなりつつある。

こうしてみると日本人とか、何々人なんて色分けにどれほどの意味合いがあるというのだろうか。
身近なところでは、私の弟は、認知症になった母親を看護するため、独り住まいだった母親のところに足しげく通ううちに、ある日自宅に戻ってみれば、妻子はおろか主な家財共々も抜けの殻。卓上に一枚の離婚届が置かれてあったという。
その後いろいろして結局は協議離婚の成立。
中年過ぎて初老期を迎えた弟はこの先の人生、とても独りでは寂しくてしょうがないと、再婚相手を探した。だが、同年輩の日本女性に優しくて気心の好い相手を見つけることができなかったという。
仕事の傍ら中国語と、韓国語の習得に興味があって中国や韓国に度々行くうち、結局は上海の若い女性と結婚した。今、二人は仲良く幸せそうに暮らしている。

従姉妹の息子も仕事で上海へ行き、そこで中国人女性と結婚し、こちらは2、3年で離婚した。
今、私が住んでいる山梨のこの地のご近所でも、中国人妻や、フイリッピン女性を妻とする人が珍しくなくなった。
反対に、冒頭の琴欧洲の夫人は、優しく美しい日本人女性と聞いている。
今や、男と女の間には、人種や国境は何の壁にもなくなりつつある。スポーツの世界でも音楽や芸術の世界でも個人のレベルではそうではないか。

だがその一方で、何故、人間は個人を離れ国民とか民族とかのレッテルを身にまとった集団となると、アフガンで、イラクで、イスラエルで、アフリカ各地で、南北朝鮮で、中国辺境地域で、国境を厳しく封鎖して殺し合い争そわなければ成らないのだろうか。

この地球上で人類だけが繁殖しすぎて、食料から化石燃料、地下資源まで食いつくし枯渇させつつあるというのに…。
地球温暖化も、働く人々の低賃金を含め世界経済活動の活性化も、今のまま国民国家の頚木、呪縛に絡め取られているうちは絶対に解決することはないのではなかろうか。

世界中には数多の賢明な政治家や哲学、経済、科学等万般の学者がいらっしゃるだろうに、どうして現在の世界中の諸問題の根本原因である国民・国家という集団エゴの頚木を打ち砕く方向へと強い動きが出てこようとしないのだろうか…。
誠に不思議なことではないだろうか。

大相撲という日本国民文化の一典型ともいうべき、色彩豊かな様式美の土俵の上にこんな、矛盾した想いというか夢をついみてしまうのだ。