蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

 コムスン買収へ名乗りを上げたワタミ・渡辺美樹氏への疑念?-ああ、ヤッパリではないか!―

2007-06-29 02:05:59 | 時事所感
 6月28日(木)晴れのち曇り。蒸し暑い一日。

 先日、22日付けでアップした、拙ブログ、“若くして時めく人の危うさ怪しさ、これいかに!―コムスン騒動に思う由なし―”で、コムスン買収へ我こそは最適任者と名乗りを上げたワタミとその総帥、渡辺美樹氏について、私が日頃抱く疑念を記した。
 
 ところが、その疑問にお応えいただくかのような記事が出た。
 日経BP誌の次の記事である。

『コムスン買収参戦:ワタミは真のビジョナリー会社になるか
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/news/070625_watami/ 居酒屋チェーンを事業の中核とするワタミが、グッドウィル・グループの介護事業の一括引き受け(買収)に名乗りを上げた。現時点のワタミにとって、グッドウィル・グループの介護事業買収は、相当に背伸びをした計画であると言えよう。

 同社の渡辺美樹社長によれば、買収想定額は最大5百数十億円になるとのことである。ワタミは外食業界の大手企業であるとはいえ、その財務基盤は強固とは言えない。2007年3月末の現預金は75億円しかなく、260億円あまりの有利子負債を抱える。
フリーキャッシュフローも2億円しかない。この状態で500億円もの資金を捻出するのは容易ではない。2007年6月25日(桐原 涼=フリーライター)』

 先ず、ここで、耳慣れない言葉、ビジョナリー会社とは、社会貢献企業の意とのこと。

 さて、この記事を一読すると、記者氏は日経という看板の手前か、大変控えめ、婉曲にその危うさを危惧するに止めていられるように見受けられるが、私の杞憂は満更当てずっぽうでもないようだ。

 というのは、借金を180万円も抱えていて、今、直ちに手元自由になるお金が2万円しか無い会社が、どうやって、新規に500万円もの買い物をしようというのだろうか。

 普通の経済観念のある人間なら、おいおい無理はするなよ。新しい事始めるなら、先ずは借金かえしてからにしろよというのが、健全な社会人の常識というものではないだろうか。

 それとも、今を時めく渡辺氏ともなれば、その手腕に惚れ込んで、いくらでも必要な金は貸そうというご贔屓のタニマチさんがいらっしゃるとでもいうのだろうか。
 だが、借りたお金に利息はつきものだ。それに対して、渡辺氏は、十分利益を出していけるとおっしゃる。

 しかし、売り手の折口氏だって儲かると思ってはじめたのが、思惑違いで失敗したのだ。
 コロンブスの卵のような奇策があるならともかく、現行の介護保険のシステムでは、借金の利息を返せるほどの利益が出る仕組みにはなっていないと聞く。

 さすれば、その無理はどこへいくのか。

 結局は、介護を受ける高齢者と、介護士をはじめとするその従事者が、骨の髄まで絞りとられるということになるのではないか。

 と言うことは、社会貢献なんて格好つけたところで、先のない競争だけが厳しい外食産業から、今後の儲けが期待できそうな新たな餌場にありつこうという魂胆だけでは…ないのか。

 やはり、胡散臭いものは、胡散臭いと云うことではないか。 

 だが、大新聞は、見猿、聞か猿、云わ猿で何も掘り下げては書こうとしないようだ。

 せめて願わくは、ワタミグループ、2800人の従業員の皆様は、こんなご立派な総帥閣下を、如何にお思いなのか、その日頃の本音を、お聞かせ願えないものだろうか…。

「親殺し?」-「お前の種族は滅ぶだろう!」-

2007-06-28 01:36:59 | 時事所感
 6月27日(水)晴れ。日中30度。

  また、母親殺人事件である。金沢市で元県警幹部の27歳の次男が母親を殺害した容疑で逮捕されたという。
  この親子を知る近所の人たちは、口々に「お母さんは、優しい人で、息子さんも警察官の子どもらしく礼儀正しく、両親が留守の日には庭の植木に水遣りをするような無口でおとなしい子どもだったのに、こんな事件を起こすなんてとても信じられない」と話しているとのこと。

  このニュースを聞いて、私は、瞬間的に一昨日、手仕事をしながら何気なく聞いて印象に残っていた言葉が、頭をよぎった。

  それは、25日(月)朝10時からのNHK第一“わくわくラジオ”ときめきインタビューでゲスト出演していた、熱帯森林保存団体の代表をされているとかの南研子さんの南米アマゾンの現地人(未だに石器じだいさながらの原始共産制社会?に暮らしている人々)の話である。

  ある時、南さんが一人で森へ入っていくと現地の子供が三人ほどついてきたそうだ。そこで甘いものが欲しくなり、ポケットに手を入れてみたら、飴玉が一個あった。相手は三人である。
  しょうがにないのでいちばん近くに居た子にその一粒を渡した。後の子へは、キャンプに戻ってからあげればいいやと思ったそうだ。
 ところが、その一つを口に入れた子は、器用に三つにくだいて、仲良く三人で分け合っておいしそうに食べたという。
 
 彼らの生活には、独占するという考えは、端(ハナ)から無いのだ。

 そんな彼らの年老いた長老と、さまざまなことを話しあう中で、南さんが偶々、「日本では、子どもが親を殺す事件が最近起きているが、こちらではそのようなことはあるか」と訊いた。
 それに対して、老人は「そんなことがあるのか。ここではそんなことはありえないことだ。もし、そんなことをお前の種族がやるとすれば、その種族は滅びるだろう」と答えたそうだ。

 この予言に従えば、我々日本民族は美しい国をつくる前に、滅んでしまうということだろうか。

 彼らは、裸で自然と調和してシンプルな暮らしを続けてきた。そこには、自殺もうつ病もないという。

 だが、そんな平和でひっそりと森の奥深く暮らす人々を、獰猛な文明人たちは、バイオエタノール作りのため、とうもろこし畑や大豆畑にするべく、年々四国の1.5倍ほどの面積の熱帯雨林を切り開いているそうだ。

  そこで作られる大豆を、日本の商社は私たちのために豆腐や味噌や醤油の原料を確保すべく中国、アメリカ相手に必死の争奪戦を展開しているという。
 
  そんな世界の趨勢を前に、かっては1千万人もいたというのに今や僅か1万人にまで駈遂されてしまった彼らは、彼らなりに裸の身体を真黒にボディペインティングし神の贈り物である原始の森を守るべく、渾身の怒りを奮って、獰猛な文明人との戦いに立ち上がったという。

  こうしてみると、どちらがより人間本来の姿に近いだろうか。

  自然の懐を放棄し破壊し続け、ひたすら人工物の物質文明を追い求める私たちが、人間本来の自然から学んだ優しさを失い、人工的なロボットのような無機質な心しかもてないようになったとしても、それは決して不自然なことではなく、むしろ行き着く先の当然の結果かもしれないのではないだろうか。

  むしろ、私たちの社会がこのままでは、これから親殺しや、子殺しは、もっともっと増え続け、日常茶飯事化するのではなかろうか。

  と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

ー追記ー

 驚くべきは、金沢市での事件はこの放送のあった25日の午前に発生しているのだ。この放送の時点では、南さんをはじめ誰もこんな事件が起きているなんて知りえなかったのだ。
 殺人事件の態様は、一つ起きるとそのパターンがセンセーショナルであればあるほど、一種の伝播現象をひきおこすのだろうか。
 とにかく、おぞましい事ながら母親殺しというタブーは破られたようである。
 
 <参照>
 南 研子 女子美術大学油絵科卒業 大学卒業後、NHK「ひょっこりひょうたん島」 「お母さんと一緒」などの番組で美術制作を担当。 コンサートプロデューサー、舞台美術も経験。 1989年、イギリスの歌手スティングが「アマゾンを守ろう」という ...
www.rainforestjp.com/amazondiary.htm - 22k -

「牛ミンチ偽装事件」に見る、嗚呼この腐敗・堕落ぶり!

2007-06-26 01:11:46 | 時事所感
6月25日(月)晴れ。

  牛ミンチ偽装事件の「ミートホープ」社、田中社長は詐欺罪容疑で強制捜査されるとか。毎日、報道される内容を聞くたびに、その悪辣さ加減には呆れるばかりである。そこまでして儲けた利益は身内役員賞与に厚く分配し、会社利益は損失にするという。
  
  よくこれで税務署への申告がとおるものである。余程、税務当局に顔の利く腕っこきの税理士先生が一枚お噛になっているのではと見るは、下司の勘ぐりだろうか。
  
  さらにもっとおかしいのは、昨年四月に偽装ミンチの見本まで持参しての元社員の告発に対して、これを受けた農水省北海道農政事務所の対応である。
  何の対応もせず、ほったらかしのまま放置したのだ。

  こちらも、あざとい田中社長から、食肉のお目付け役に対して、日頃から、たっぷりと袖の下が届けてあったのではなかろうか。

  そうとでも、勘ぐらなければ、アメリカ産牛肉問題で、食肉の安全性に対して、国民の関心が極めてたかいことを、まさか馬耳東風でもあるまい所管の農水省職員がどうして、このような対応をするだろうか。

  それとも、国民が、泣こうが喚こうが、我関せずで、知っちゃあいねーやということだろうか。この職員にだって家族がいるだろう。自分の家族にだけは、「あそこのミンチ肉が入ったものは買うなよ」とおっしゃっているのだろうか。

  先年、わが子が、悪い仲間に引き回されて、殺されそうだ、何とか助けてくれと、涙の両親の訴えを聞き捨てにして、結局むむざと殺させてしまったのは、栃木県警だったか。
  これも、犯人の親が警察関係者と知っての仲間かばいのあげくのはてとか。

  今、渦中の社会保険庁といい、公務員の不作為、無責任ここに極まれりの事例ばかりのいつ果てるとも無いお行列ではないか。

  それにしても、話は戻して、本件の張本人、田中社長の捨て台詞がこれまた凄い。

  『もちろん私が一番悪いんですけども、半額セールで喜んで買う消費者にも問題がある…消費者自体も安いものばかり求めるから』とのたまったのだ。
  まさに盗人にも三分の理というわけだ。

  しかし、これは一面の真理ではないか。
  「安物買いの銭失い」これが、ご先祖様からの知恵ではないか。 
  ところが、この頃の私たちは、中身の良さを吟味もせず、ただただ1円でも安い物を求めてひた走りだ。

  その挙句が、中国からの農薬まみれの野菜やなにやかやの大洪水。日本のお百姓さんが精魂込めてつくったものは店晒し。
百円ショップは大繁盛。まともなものをつくっていたのでは、おまんまの食い上げだ。
  ローンを組んで、家を建てれば、欠陥住宅つかんで泣かされる。

  ところで、食品偽装問題。雪印乳業、不二家と続くのにちっとも他山石とお勉強にならない面々。この先は、何がとびだすやら。さしずめ、ソーセージにハム。蒲鉾に竹輪。はんぺん。練り物は全てこれ、保健所へ持っていってから食せよということだろうか。

  と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

<参照>
◆ <食肉偽装>内部告発の元幹部が農水省事務所に抗議
6月25日11時40分配信 毎日新聞

 ミートホープの偽装牛ミンチ事件をめぐり、昨年4月、同社の不正行為を農水省北海道農政事務所に内部告発した同社元幹部の男性が25日、訴えを取り上げてもらえず門前払い同様の扱いをされたのは遺憾だとして、同市にある同事務所の出先機関を訪れて抗議した。
 元幹部は退職する06年4月末までの約10年間、主に営業畑で勤務。当初は不正が行われていることを知らなかったが、取引先から品質についての苦情が寄せられるようになったため工場を訪れたところ、牛ミンチに賞味期限の切れたパンを混ぜ込んだり、水を注入して増量するなどの不正が行われていることを確認した。
 嫌気がさして退職する直前の同月末、出荷前の牛ミンチのサンプルを持参し同事務所地域第9課に調査を依頼した。しかし、応対した職員は「これではどこの製品なのか分からない」と受け取りを拒否。社名が記載されたシールを添付して改めて持ち込んだが、受け取ってもらえなかったという。
 この日、元幹部は「告発が1年以上放置されている間に、偽造コロッケが全国の食卓に出回った」と指摘したのに対し、同課職員は「(札幌市の)同事務所で対応する」と述べるにとどまった。
 元幹部によると、同社では、田中社長に不正を正すよう進言して解雇された従業員もいた。「私だけでなく、勇気を出して告発した人もたくさんいるのに、行政が無視した責任は大きい」と話している。
 以前から同様の情報を得ていた同省は道に対し「具体的疑義が特定できなかったが参考までに送付する」との文書(06年3月23日付)を送付したとしているが、道は「受け取っていない」と反論し、双方の言い分が食い違っている。【金子淳】

最終更新:6月25日13時19分

◆ 田中社長仰天発言「消費者にも問題」…ミンチ偽装で強制捜査
6月25日8時3分配信 スポーツ報知

 北海道苫小牧市の食肉加工販売会社「ミートホープ」の「ミンチ偽装問題」について、北海道警は24日、同社と取引先の「北海道加ト吉」など十数か所を不正競争防止法違反容疑で家宅捜索した。道警は田中稔社長(68)の主導による会社ぐるみでの違法行為とみており、今後は田中社長の立件も視野に捜査する。捜査に先立ち、田中社長は事件の責任について「消費者にも問題がある」などと発言した。 …

 ミート社は豚肉や鶏肉を混ぜて偽の牛ミンチ肉を製造。伝票などに「牛100%」と原料表示を偽って北海道加ト吉に販売した疑いが持たれている。加ト吉や日本生活協同組合の鑑定で、ミート社の原材料を使った「牛肉コロッケ」から豚肉や鶏肉が検出された。

 道警はこれまでミート社などから資料の任意提出を受け分析し、幹部から任意で事情聴取。田中社長の指示で長期間にわたり大規模な偽装が行われたと見て、詐欺容疑の適用も検討している。

 午前10時、捜索に先立ち、同社前に茶色いチェックのシャツというラフなスタイルで現れた田中社長は「業界全体の体質も(警察に)説明しなきゃいかんと思うし、販売店も悪いし、半額セールで喜んで買う消費者にも問題がある」と神妙な面持ちで解説。

 さらに「もちろん私が一番悪いんですけども…消費者自体も安いものばかり求めるから」と“被害者”であるはずの一般消費者に責任の一端をなすりつけた。… 

 翌21日「私がいちいち(肉の混入現場の)横にいたら大変ですよ」と笑顔で自身の関与を否定。しかし同じ会見中に長男の等取締役から「本当のことを言ってください」と責め立てられ「コストを下げるため牛肉に豚肉を混入するよう指示した」と偽装の主導を認めている。

 ミート社によると、牛ミンチの取扱量が増え始めた7、8年前から偽装が常態化。牛肉どころか豚肉すら検出されない「牛肉コロッケ」まであった。産地の偽装や賞味期限の改ざん、袋を偽造してブランド肉を装ったり、肉を赤く見せるための血による着色、果てには水を注射しての重量アップ疑惑など、同社は偽装のデパート状態となっている。

 捜査終了後、田中社長は報道陣に「これから当面、会社は休業する」と話した。



梅雨の晴れ間に…日本棚田百選、白馬村・青鬼集落を往く。

2007-06-25 01:14:48 | フォート・エッセイ
 6月24日(日)曇り後雨。梅雨冷の一日。

 昨日の土曜。朝、目覚めたら真夏のような晴天だった。そうだ、今日は、青鬼(アオニ)に行ってみようと思った。
 ここのところ、7月9日からの東京でのグループ展に向けての100号の私にしては大作の製作で、毎日、同じ絵に向かっていて、少々鬱々としていた。

 青鬼は、白馬の傍の山村で日本棚田百選に選ばれた場所なのである。去年も、行ったのだが、集落への入り口が分かりずらく、行過ぎて日本海にでてしまったのだ。
 
 今回は、地図でよく確認してから出かけた。
 白馬の先の信濃森上駅への道を間違いなく右折した。それでもその先、何の標識も出てこない。不安になり、途中、路傍の畑で作業しているご老人(私同様?)に道を尋ねた。
 親切に教えていただいた。お陰で、こんな狭く急坂の先に人の住む集落があるのかとの不安に打ち勝ち、無事青鬼の集落に着けた。

■ 青鬼集落への途中から 
  
  前方の山は、左から、鹿島槍、五龍岳、唐松岳とのこと。こんなによく見える日は、この時期には珍しいとのことだった。(写真になると、遠景が小さくなり、山の特徴が捉えられず残念)
  山麓に点在する街路は白馬村。早速、路傍に座って、ラフスケッチをした。

                  

■ 青鬼の棚田と集落

  この景色を見て、久しぶりに好い景色に出会った興奮を覚えた。この写真でも、遠景の鹿島槍、五龍、唐松岳が小さくなってしまって、その良さが十分に伝えられないのが残念。やや、逆光気味の中、ところどころに屹立する杉木立が気持ちよいアクセントなって風景を引き締めている。茅ぶきの屋根を包んだトタンの錆色も、周囲の緑に映えて、絵描きにはありがたい。

  
 
■ 田の神様
  
  棚田の中を絵にする構図を求めて歩き回るなか、ふと路肩を見上げたら、この石仏が目に止まった。明治15年と刻まれていた。恐らくは、この石垣を組直した時に、石垣がいつまでも崩れないように、そしてできた田んぼでの豊作への願いを込めてのものではないだろうか。

                    

■ 青鬼の民家

  この集落に今、残っている民家は、14、5軒とか。見て驚くのは、家の形がどの家もほとんど同じで、規模も同様なことだ。
  ここには、大きな貧富の差がないということではないだろうか。これまで多くの山村を見てきた中で珍しく感じた。まるで昔の団地かと思うぐらい、整然と仲良く、隣とくっつくように並んで建っていた。
  格差社会論議がやかましい今、何かほのぼのとした気持ちにさせらる。

  だが、現実は厳しい。玄関先の流しに「ご自由にお飲み下さい。ただし、水は止めないで流しっぱなしにしてください。」と札が下げてある家の主は、今年、81歳とか。
  ほとんどの若い人は皆、下へ降りて、ここに残っているのは、自分のような年寄りばかりとか。

  「あの家のは、婆さん亡くして、自分も倒れて今は娘さんのとこで世話になっていて空き家だ。」「あの家は、親が亡くなって、子どもたちは東京へでてしまい、夏だけ、墓参りに帰ってくるだけだ。」と、諦め顔で説明してくれた。

 

■ 民家の内部

  そんな空き家の一つが、昔のままに復元されて公開されていた。誰も番する人も居ない。「開けた後は、戸を閉めてください」とのみ小さな、張り紙がしてあった。馬も土間の片隅に居場所がある、おおらかな間取りである。

                 

  この集落、今、貴重な山村集落として、文化庁の指定を受けて、昔風への復元事業がゆっくりと進められているそうだ。トタンを剥がし、元の茅葺屋根にし、壁もしたみ板張りにしていくとか。ところが、1年に1軒づつのため、昔の景観に戻るには、これから十数年はかかりそうである。
  その頃には、田の作り手がいるだろうかと心配になる。

  昔の人は、どうしてこのような狭隘な山の谷間に集落をつくったのだろうか。先ほどの主殿(アルジドノ)の答えはこうだった。

  昔は、白馬の村があるあたりは、春の雪解けには、姫川が氾濫して、一面水浸しになったという。そのため、こうした水はけのよい高いところに住み始めたのではないかと。毎年繰返される、洪水から暮らしを守る知恵なのだ。

  それにしても、日々、西に立派な山なみを眺めて、清清しい気分で暮らせる場所を、片っ端から捨てつつある、今の私たちの暮らしのあり方とは、一体何なんだろうかと考えさせられる。
  まことに勿体無いことではないだろうか。

  都会の小学生の4、5年生を連れてきて、2年間ほどこのような集落の空き家に合宿させるような山村留学制度を推進できないものだろうか。
  そうして、この山村に、また元気な子どもたちの喚声が木霊するならば、あの田の神様も、どんなに喜ぶことだろうかと…。
  そんなことを頭に浮かべつつ、久しぶりにスケッチに集中した。

今こそ、一般・特別職を問わず公務員の総点検、総自己批判が必要では!

2007-06-23 01:12:51 | 時事所感
6月22日(金) 終日、雨降り。

 一度も管下の職場視察もしたことがないとかの怠慢無責任社会保険庁長官と馴れ合い怠け放題の社会保険庁職員。

我が国民を拉致した北朝鮮の手先になりさがったかとも疑われる緒方元公安調査庁長官。

 仲間の自衛官が生死を賭けて派遣されるというイラク派遣に伴う自衛隊装備調達に係わっての自衛官1佐の贈収賄事件。

 古くは、ゴールドプランで国民の目を晦ましての、厚生省岡事務次官の贈収賄。

 貴族か王様気取りの大使に公使、書記官様。
 
裁判所の分けの分からない国民常識に外れた判決の数々。
 
無実の民を自白に追い込む警察官。それを見抜けぬ検察官。
 助けを求める民を見殺しにする警察官。

 理由不明の闇に追い詰められて自殺する大臣。

 黙っていても唸るほど増収の都税を我が財布と勘違いの夜郎自大知事閣下。

 研修旅行と称して政務調査費でセクハラ旅行の田舎議員。

 おまけに言えば、何をしているのかちっとも姿の見えない、公安委員会に教育委員会だ。

 挙げれば切り無いこの体たらく。これで、この先、この国、どうなるのだろうか!

 年金記録の照合も急務だが、その前に、一度このへんで公務員と名が付く方々全てについて、総点検し、総自己批判してもらい、公務員白書をつくって公表していただけないものだろうかと、今や一人気を吐かれている菅総務省大臣様にお願いしてみたいものではないか。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

若くして時めく人の危うさ怪しさ、これいかに!―コムスン騒動に思う由なし―

2007-06-22 08:30:29 | 時事所感
6月21日(木)薄曇。日中暑し。

  今、俎板のコムスン。買い手が殺到とか。その中でもよく耳にするのが、ニチイ学館とワタミだ。ニチイ学館の方は、1973年創業の医療関係サービスを主とした事業から始まって、介護分野では最大手とか。コムスンがこちらの手に渡れば、あまりにも大きくなりすぎて、その弊害が危惧されるという。

  そこで、有力視されるのがワタミである。こちらは、1986年創業の居酒屋チェーン店を基点に業容を拡大してきて、2004年には、ワタミメディカルサービス㈱を設立して、今では老人ホームまで経営するようになった新参である。

  どちらの手に落ちるかわ許認可権を握る行政の胸三寸というところらしい。

  ところで、コムスンの失敗は、需要を過大に見積もりこれに対応すべく拠点を拡大しすぎたのに対し、低廉なサービスにしか利用がなく、挙句、猫の目のように変る介護報酬の切り下げにより採算割れして今回の不始末らしい。
  だが、今後の高齢化社会の趨勢を展望した時、介護サービスを中心とした関連市場は20兆円規模になるとか。

  これを、見越して、グッドウィルの入谷社長は、何としてもこれからが金の卵に変身する可能性を秘めた介護事業の核、コムスンを手放したくなかったらしい。

  こんな将来性のある事業だからこそ、ワタミが急遽名乗りを上げてきたのではないだろうか。

 しかし、このワタミの渡辺美樹社長。いかなる人物なのだろうか。明治大学だかを出て、佐川急便でセールスドライバーをやって貯めた資金で、つぼ八だかの居酒屋チェーン店を始めたのが今日の成功・出世のはじまりとか。

 今の「和民」1号店は、笹塚とか。東京で現役のとき何度か入った覚えがある。店の内装はこじゃれているが、出てくるつまみは、どれもこれも値段だけのものでしかなかった記憶がある。
 渡辺美樹氏が、そのようなお店の経営者とは、ついぞ知らぬ間に、TVそれも天下のNHKで、コメンテータとして、討論番組にもお顔が度々でるようになった。
 そこでは、職が無くて困っているニートの若者に向かって、「働く気があったらいつでもうちにいらっしゃい」と、苦労人らしい優しい声をかけていたのを記憶している。

 だが、商売というものにしろ、どんな事業でも、コツコツ真面目にやって得意先を増やしていくのが常道と聞く。小さくはじめたものが大きくなるには、それなりの相当の時間が必要なはずだ。

 それが、今、いくら規制緩和の時代、縛りがなくなってなんでも好き放題、やりたい放題とはいえ、まともにやっていて、そんなに安易に急成長できるものだろうか。
 ライヴドアと言い、グッドウイルと言い最近の急成長する企業経営の陰には、何か怪しげな危うい仕掛けがあるのではなかろうか。

 ライヴドアの体たらくは、まさにその一番の見本ではなかったか。
 人間もそうである。前原民主党前代表のすってんころりん。現安倍お坊ちゃま閣下のやらずぶったくりのような国会運営と人気の急降下はどうだろうか。

  そこで思うのは、ワタミの渡辺美樹社長である。事業急拡大の中で、先ずは傘下企業の従業員に対してどのような処遇をされているのだろうか。連結ベースで従業員2800人余とあるが、これは全員が、正真正銘の正社員なのだろうか。
 
 ワタミの老人ホームの売り物は、「外食事業で培ったノウハウを投入し、安全で食べやすくおいしい介護食の提供により、食事面の満足度を高めたことが特筆される」(ウィキペディア引用)とあるが、本当にそうだろうか。

 外食チェーン店の店舗数が多ければ、そこから余って無駄に出る食材も多いのではないだろうか。それをうまく活用して…というのは、下司の勘ぐりだろうか。

 老人ホームというのは、一度入ってしまえば籠の鳥だ。条件が入る前に聞いていたのと違うなどと泣いて訴えたところで、払い込んだ入居金はほとんど還ってこないのが、多くの実態ではないだろうか。

 かっての味が舌に残っている身には、とてもそのような系列の施設にお世話になろうとは思えない。もっとも高そうな入居費の工面もママならぬ身とあれば、杞憂にすぎないが…。

 ともあれ、最近の日産のカリスマ経営者、ゴーン社長といい、華々しく世に出られたお歴々の何と超高速エレーベーター振りの毀誉褒貶はどうだろうか。
  まさに平成の人物奇観というべきか。

 そのうち、ワタミについても、悪い話が出てこなければ、結構なことである。

 何しろ、今のメディアは、そろいも揃って意気地なしばかり(?)でか、その人物が時めいて勢いがあり、大きなボロを出さないうちは、お手手取りとり誉めそやすばかりだ。だがしかし、一度何かで躓けば、寄ってたかって腐肉に喰らい付くハイエナもどきばかりと思わされるからだ。

 水に落ちた犬を叩く図なぞ、いくら見せられたって、後の祭りで○○の役にもたちはしないのだ。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
 
  

枯れゆくものの爽やかさ!ー桑田投手の表情に思うー

2007-06-21 00:04:10 | 日常雑感
 6月20日(水)薄曇。日中は暑い一日。

  夜、7時のニュースで、桑田が3分の1インニングかを無失点で投げ終わったあとのインタビューを受けて、満足そうなそして穏やかな笑顔を見せていた。
  何か、枯れたものを感じさせる爽やかな好い表情に思えた。

  彼が、最盛期の頃の表情には、反発は感じても好感は感じられなかった。いつも何かと週刊誌で書きたてている雑音のせいかもしれない。
 
  それにしても、この頃は、盛りの華よりは、枯れ際の色合いや風合いに限りない共感を感じるのは、今まさに自身がその真っ只中というよりは、落ち葉寸前のところにあるからなのだろうか。

 そしてこんな記事が、目に付いた。

『力が抜けている イチローが桑田評
2007年6月20日 (水) 17:48 共同通信社
 イチローが感慨深げに桑田を語った。「すごく力が抜けている。がむしゃらな感じがない。そういう気持ちを殺している感じが僕は好きです」

 8回のピンチにブルペンから小走りに出てきた桑田を見て、不思議な気持ちになったという。「僕らが勝つためにはあそこで桑田さんを打たなくてはいけなかったんですが、ちょっと抑えてほしい気持ちもあった」と正直に言った。

 試合前にグラウンドで会話を交わしたことについては「けがをしないのは何か特別なことをしているの、と聞かれた。それで“特別なことをしないことが特別”と生意気な答えをしてしまいました」とイチローは話した。(シアトル共同)』

  さすがイチローの言葉が好い。しかし、そのイチローのまるで武蔵の剣の構えはこうであったのではと思わせる、片手正眼の構えにも、はや、どこかそこはかとない秋風の気配をみるのは、私一人だろうか。
  昨日は5打数4安打。まるでノックを見るように、自在に敵陣を翻弄するかに打ち分けていた。見事なものである。

  イチローや松井の活躍を見ていると、母国のお粗末なごたごたなどどこの国のことかと思えてくるようだ。
  そして彼らこそは、この頃の母国には、珍しくなった日本人の一つの典型ではないのだろうか…。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。か

嗚呼!許すまじ。ー”゛人材派遣業のこの暴利!”ー

2007-06-20 01:52:26 | 時事所感
 6月19日(火)薄曇り。やや暑し。

 コムスンで大尻尾をだした、折口商法。本業の人材派遣、グッドウィルでも、派遣1回に付200円だかの天引きを巡って、還す還さないで紛議を生じている。
 一体、45億円もする自家用ジェット機を乗り回すと聞く大富豪の人食いザメは、弱い立場の派遣労働者をどこまでしゃぶりつくせば気が済むのだろうか。
 
 そして、この人材派遣業者の暴利のアクドサである。少し前になるが、6月12日夜、NHKクローズアップ現代で「漂流する若者の貧困層実態は」を視て驚いた。

 人材派遣業者の暴利、弱者搾取の実態にである。
 派遣依頼企業から13000円で請けた仕事を、実際の派遣労働者に手渡される金額は5900円とか。実に59%の暴利だという。

 派遣労働の若者達は今、800円の時給を1200円に上げて欲しいとの要求を掲げて人材派遣会社と交渉しているという。
 この実態から見れば、それは十分可能であるようだ。だが、業者側は未だに要求に応じる姿勢はみせていない。
 
 これでは、こうした若者たちが、いくら働いてもあがいても、一向に未来への展望が開かれないではないか。

 今、コムスンが引き起こしている問題の深淵は、ここにあるのではないか。
 即ち実際に働く者と、依頼者の間で、唯仲介の労を取るだけで、不透明な管理運営経費を理由に、さらには誰からも監視されない陰で、このような暴利が得られるとういうことにである。

 要介護者が支払う時間当たり単価は、自己負担と介護保険からの支出額を含めれば、確か4000円ぐらいではないか?。ところが、実際の介護士に支払われるのは時給1000円にもなるかならないかではないか。
 24時間、真夜中の出動にもこのような、時間給で誰が働くだろうか。
 
 コムスンの暴利の前に24時間サービスが看板倒れになるのは自明のことではないか。

 それにしても、いくら規制緩和が趨勢の世とはいえ、このような実態を政府与党、厚生労働省は何故放置しておくのか。

 これは、まさに労働法制・政策上の無為無策以外の何物でもないのではないか。

 単純労務の斡旋については、速やかにハローワークの窓口に限定するか、それが無理なら、せめて人材派遣業の手数料(業者の取り分)を法定すべきではないか。

 この話を、近所の才能豊かな自営業の”若いお父さん”に憤慨のあまりしてみたが、若いお父さんの答えは意外だった。

 「何故、そんな賃金で我慢しているんですか。自分たちで、闘おうとしないかぎり駄目ですよ。誰かが何とかしてくれると思ったりしていたのでは…」と。

 確かにそうかもしれない。闘うことは大変である。だが、闘ってみなければ、絶対に事態はよくならないだろう。
 中島みゆきの歌にもあるではないか。
 「闘わない者達は、笑うだろう…」と。

 この世の中、おとなしいお人よしは、ただただ強者の餌食になるだけなのだ。

 先ずは、人食いグザメの牙城を、赤旗で十重二十重に埋め尽くすことではないか!

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

特権階級の腐敗・堕落が体制崩壊を招く?―社会保険庁問題の意味するもの―

2007-06-19 00:13:05 | 時事所感
6月18日(月)薄曇。やや暑し。

  今、世を挙げて社会保険庁の年金記録紛失問題に喧々諤々である。問題の根源は、日本一どころか世界一とも思える公務員としての身分保障に胡坐をかいての安逸と上から下まで、一気通貫の無責任体制にあることが、日々明らかになりつつある。

  これは、何も社会保険庁に限ったことだけではなく、国土交通省の談合問題やその他官公庁での幹部職員を始めとする天下り問題等々、その裾野の広がりは富士山よりも広いようである。

  だが、こうした問題がある限界を超えると、その社会体制は崩壊に向かう宿命にあるように思える。

  近い所では、日露戦争勝利の栄光を引きずっての軍部の独走による戦前の体制の崩壊。江戸時代の徳川政権・武士階級による政治権力の独占と幕藩体制の崩壊。古くは中世貴族社会の荘園制おける不輸・不入の特権等々。

  旧ソ連でのノーメンクラツーラ(共産貴族)といわれる共産党高級官僚の特権と専横。今、共産中国でも幹部の汚職腐敗が毎日のように言われている。
  その中国共産党が倒した清王朝。それが倒れたのも清国政府官僚の腐敗堕落にあったと聞く。中国共産党は、その事をもう忘れてしまったのだろうか。戦後60年経っても、先の戦争での日本軍の暴虐ぶりを言い立てることは、忘れなくてもである。

  要は、政治・公務に携わる者たちが、政治権力を独占してその特権に胡坐をかいて恥じなくなったとき、その政治体制あは8割がたガタがきたとみていいいのではないだろうか。

  その後に来るものは、革命騒動か戦争かというのが歴史の定石のようではないか。
  すでに、今日の朝日、4面の「ポリティカにっぽん 早野 透(本社コラムニスト)」に、「フリーターの希望は『戦争』か?」なる興味深い記事が出ていた。

  『「戦争は社会の秩序を破壊して流動化させる」「平和な社会で差別と屈辱にくるしむよりも、戦争になってみんな平等に苦しむ方がいい」』すでにこんな考えを持つ若者たちが出てきているのだ。

  話は跳ぶが、今、江戸時代ブームである。確かに今よりは子どもが大事にされ、人情や人間としての佇まいが上等であったようである。民生に心を砕き各地で神さとして祭られているお代官様もいたようである。だが、そんな江戸幕府が何故滅んだか。
 
  確かに一部には立派なお役人もいたようではあるが、家禄という固定給に甘んじ覇気を失い事なかれ主義、前例踏襲の無責任役人があまりにも増えすぎたためではなかったか。
 
  人間が生活し、落ち着いて仕事をするには、ある種の保障は大切であり、それこそが人間たるものとしての生きていく知恵だろう。
 だが、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」のとおりではないだろうか。

 ここで、上記の「ノーメンクラツーラ」これでよかったかと、確認のため、グーグルで検索したら偶然次のような記事にであった。
 同憂の方が何と多いかということではないだろうか。

『www1.odn.ne.jp/chuuwa/book/nihonnonomenkura.htm - 8k -
 日本のノーメンクラツーラたち. 昔は公務員の給与は大変安かった。私の近所に左官屋さんをやっている60歳くらいの方がおられるが、 ... 一部上場会社の重役会議室と変わらない。何が弱者の味方だ。彼らは旧ソ連共産党のノーメンクラツーラたちと同じだ。…』

 と、思うこの頃、さて、皆様は、いかがお思いでしょうか。

その時歴史が動いた“ニッポン外交力 維新直後の神戸占領・ 伊藤博文の挑戦”を視る。

2007-06-14 00:11:24 | 日常雑感
6月13日(水)晴れ。日中暑し。
 
  夜10時、NHK総合で「その時歴史が動いた“ニッポン外交力 維新直後の神戸占領・ 伊藤博文の挑戦」を視た。
  幕末維新史、知らないこと、あるいは何かで昔めにしたのかもしれないが、改めて聞けば、そんなことがあったのかとおもわされることの何と多いことだろうか。

  今日の番組の中身もそうだった。

  神戸事件とは、『慶応4年1月11日(1868年2月4日)、神戸三宮神社前で備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵を負傷させた事件。明治政府初の外交問題となった。
この事件により、一時、外国軍が神戸中心部を占拠するなどの動きにまで発展したが、その際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹する事で一応の解決を見た。』というものである。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ja.wikipedia.org/wiki/神戸事件 - 28k)

  番組では、その外交交渉の実務に当たり、日本の武士社会の慣習と国際慣例(万国公法)に無知な誕生したばかりの政権の中にあって、いかに対処すべきかの苦心が縷々紹介された。
  伊藤は、藩命で攘夷実行のために西欧列強の軍事を学ぶために英国へ留学する途中、上海でアヘン戦争に負けた清国の人民が奴隷のように酷使されている様をみて、強い衝撃を受ける。
  彼は、この神戸事件でもまかり間違えば、清国同様の憂き目をみることになりかねないと憂慮する。
  そして、一戦を辞せずとする備前藩を説得し、上記のとおり、事件関係者の滝を切腹させるにあたり、外国公使にも処刑に立ち合わせると共に、今後の外交問題は、万国公法にのっとって対処することを宣告して、何とか神戸占領を解除させることに成功する。

 この時、伊藤博文、若干27歳である。

 この後、伊藤は幕府が締結した不平等条約改定のために岩倉使節団の一員として渡米するが、その際、サンフランシスコにおける演説で、「今、開国したばかりの日本には、欧米諸国に勝る能力はない。しかし日本は、西洋列強の優れたところを学び、必ずや、日本国旗の象徴であるひの丸が示す朝日の如く、やがて輝かしい国になるであろう」と述べたという。
 
 それから、半世紀も経たずして、彼ら明治という時代を背負った人たちは、見事にその夢を実現した。

 このことは、その後の大正、昭和といわば負け戦の歴史に続くとはいえ、世界史上にも素晴らしいことではなかっただろうか。
 今の我々の世代の混迷や体たらくを見るとき、同じ血がながれている子孫として、時代によってどうしてこうも大きな違いが出てしまうのだろうか。

 この番組を見終わった今、つくづくとこんな思いにたたづまされるのである。