8月19日(土) 晴れ、暑し。
先日、京都市で、生活保護担当の公務員が、保護費を横領していた事件が報じられた。しかも、近年同様の事件が、他でも多発しているという。
その背景には、公金の取り扱いの杜撰さ、担当者が定期異動で頻繁に替わることにもあると、記者はコメントしていた。
私は、京都と聞いて直ぐに、先日の温情判決事件を思い出した。痴呆の母の看護で疲れ果てた息子が鴨川堤で親子心中を図った。しかし、彼は死に切れず被告人となり、執行猶予の判決を受けたのだ。
彼は生活の行き詰まりから思いあぐねて、生活保護の相談に行った。ところが、にべもない門前払い同然の仕打ちだったという。
その陰で、自分の横領のためには、使わなくてもいい悪知恵を、目一杯働かせたのだ。
他の経理・会計部門とか、日頃人の顔より数字とお金をにらめっこさせられているのなら、まだ理解できる。
それが、様々な事情で生活苦に喘ぐ住民を支援すべき、福祉の現場で、このような犯行を犯すとは、何てことだろう。
私も昔、公務員初級試験に合格したとき、自分の貧しい生活を省みて殊勝にも一度は、福祉部門を志望した。しかし、その直後、現業部門の手当ての良さに惹かれて、たちまち宗旨替えした後ろめたい経験がある。
だが、その後、研修やその他いろいろの機会に、福祉部門で働く職員といっしょになったことがある。その際、私は同じ公務員でありながら、一種の羨望の眼差しで彼らの仕事の話を聞いた。
ところが、意外だったのは、ほとんどの者が、困っている人のためになんて、そんなロマンチックな意識を持ってはいないのだ。
むしろ聞かされるのは、仕事で訪問する家庭での、家族関係や生活の乱れぶりの特異性ばかりであった。言外に、うんざり、どうしようもないよという諦念の思いが伝わってくるのだった。
その後、厚生事務次官の「ゴールドプラン」汚職事件が大々的に世論を賑わした。
彼も若き日には、自らの貧しい母子家庭を鑑みて、福祉行政に情熱をもって立ち向かったと聞く。
その彼が、存分に役人として日頃の抱負を実現できる場に立ちながら、役人として、尤も恥ずべき収賄事件を、何故犯してしまったのか。
私は、これらの見聞から、今では、私の如き欲深く心弱き者が、福祉の仕事などに就かなくて良かったと思っている。
思うに、日々弱い人々に接して、法に基づいて定められた措置を執るにすぎないのに、それが何か自分の力でしてやっているような、思い上がった、傲慢な気持ちに知らず知らずなっていくのではないだろうか。
生活に困って窓口に来る方々は、どうしてもお願い口調で担当者を仰ぎ見る視線になるのではないだろうか。それが相手の公務員の意識を錯覚させるのだ。
生活弱者への公金、その貴重なお金を横領する行為、言語道断の所為である。
だが、その背景に潜む人間心理の綾には、深い闇がある。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
先日、京都市で、生活保護担当の公務員が、保護費を横領していた事件が報じられた。しかも、近年同様の事件が、他でも多発しているという。
その背景には、公金の取り扱いの杜撰さ、担当者が定期異動で頻繁に替わることにもあると、記者はコメントしていた。
私は、京都と聞いて直ぐに、先日の温情判決事件を思い出した。痴呆の母の看護で疲れ果てた息子が鴨川堤で親子心中を図った。しかし、彼は死に切れず被告人となり、執行猶予の判決を受けたのだ。
彼は生活の行き詰まりから思いあぐねて、生活保護の相談に行った。ところが、にべもない門前払い同然の仕打ちだったという。
その陰で、自分の横領のためには、使わなくてもいい悪知恵を、目一杯働かせたのだ。
他の経理・会計部門とか、日頃人の顔より数字とお金をにらめっこさせられているのなら、まだ理解できる。
それが、様々な事情で生活苦に喘ぐ住民を支援すべき、福祉の現場で、このような犯行を犯すとは、何てことだろう。
私も昔、公務員初級試験に合格したとき、自分の貧しい生活を省みて殊勝にも一度は、福祉部門を志望した。しかし、その直後、現業部門の手当ての良さに惹かれて、たちまち宗旨替えした後ろめたい経験がある。
だが、その後、研修やその他いろいろの機会に、福祉部門で働く職員といっしょになったことがある。その際、私は同じ公務員でありながら、一種の羨望の眼差しで彼らの仕事の話を聞いた。
ところが、意外だったのは、ほとんどの者が、困っている人のためになんて、そんなロマンチックな意識を持ってはいないのだ。
むしろ聞かされるのは、仕事で訪問する家庭での、家族関係や生活の乱れぶりの特異性ばかりであった。言外に、うんざり、どうしようもないよという諦念の思いが伝わってくるのだった。
その後、厚生事務次官の「ゴールドプラン」汚職事件が大々的に世論を賑わした。
彼も若き日には、自らの貧しい母子家庭を鑑みて、福祉行政に情熱をもって立ち向かったと聞く。
その彼が、存分に役人として日頃の抱負を実現できる場に立ちながら、役人として、尤も恥ずべき収賄事件を、何故犯してしまったのか。
私は、これらの見聞から、今では、私の如き欲深く心弱き者が、福祉の仕事などに就かなくて良かったと思っている。
思うに、日々弱い人々に接して、法に基づいて定められた措置を執るにすぎないのに、それが何か自分の力でしてやっているような、思い上がった、傲慢な気持ちに知らず知らずなっていくのではないだろうか。
生活に困って窓口に来る方々は、どうしてもお願い口調で担当者を仰ぎ見る視線になるのではないだろうか。それが相手の公務員の意識を錯覚させるのだ。
生活弱者への公金、その貴重なお金を横領する行為、言語道断の所為である。
だが、その背景に潜む人間心理の綾には、深い闇がある。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
そう思わなければならない事が悲しい事ですが。
もう古くなりましたが生活保護を受けながら携帯電話代を何万も払っていた畠山鈴香のことを思い出しました。
福祉は難しい問題が多く、職員も初心を忘れてしまうのでしょうか・・・。
本当に、こうした公務員の存在、困ったものですね。岐阜県の公金詐取、組織を上げての裏金作り、ばれたら今度は残っていた現金を焼き捨てる。
どこまで、住民を馬鹿にしたらというか、舐めたらというか気が済むのか、襟首ひっつかまえて、地べたにゴシゴシしてやりたいものですね。
公僕としての原点、初心を忘れたかかる輩は、銀の舟などもったいないので、カチカチやまだったかの狸を乗せた泥舟に乗せて流してやりたいものですね。