蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

憲法捻じ曲げ、急場しのぎの集団的自衛権論議に思う!

2014-06-08 23:53:39 | 時事所感
2014年6月8日(日)梅雨のさなか、陽が差したり小雨ぱらついたりの一日。

 このところ、新聞を開けば、TVのワイドショー番組を視れば、憲法解釈を変更して集団的自衛権を行使できるかどうかの喧々諤々の議論花盛り。

 世論の動向は、安倍首相の提唱する憲法解釈変更による集団的自衛権を行使できるようにして、米軍とより一層緊密に行動をともにできるようにし、その米軍の力をより確かなものとして、この国を他国(中国)の軍事的侵略から守っていこうとする考えに賛同する向きが反対を超えたようだ。

 尖閣国有化を契機に中国の露骨な挑発行為。中国の本音は、一挙に武力占領したいというとことろではないか。それを辛うじて抑制しているのは、日米安保条約があるからではないか。もし、それがなければ、今のヴェトナムとの南沙諸島を巡る争いが尖閣を巡る攻防となっていたことは火をみるよりも明らかではなかろうか。

 そんな事態になったとき、わが国の世論はどう反応するだろうか…?
 あんな嶋の一つや二つ、くれてしまえ。徹底抗戦の覚悟で戦争したところで、相手は10倍の人口を擁し、原爆まで持っているのだ。勝ってこない戦争はするだけ無駄と物分りよく全国民があきらめるだろうか…。

 だが、現実には、そうはなるまい。たちまち800年前の元寇の役の再来とばかり、徹底抗戦の世論が沸き起こるのではないか…?
 歴史は、人々の欲望と感情で先ず動きだすのではないか…。理性は、その争いの沸騰が一段落したあとでないと表にでてこないようだ。

 今の、憲法論議。見ていると、私には感情論がまさっているように思える。それは善し悪しの問題ではなく、隣国中国が時代遅れの力にものを言わせようとする覇権主義の化け物と化している以上、これに対して、いかにしてこの国の私たちの生活を守っていくかの喫緊の問題となっているからではないか。
  
 正論をいえば、今のような事態に対して、憲法をこのような事態に対応できるよう改正するかどうかを問うべきであろう。
 だが、憲法改正論議となると、現段階では3分の2を超える国民の賛成を得るのはもっと時間を要することとなるだろう。
 安倍総理は、国家の責任者としてその時間的猶予はないとみて、憲法解釈論議でなんとか当面を乗り切ろうとしているかに察せられる。

 だが、無理な憲法解釈で当面を糊塗することは、結局は、現状以上にこの国を何処へ向かうのかわけのわからない幽霊船国家にしてしまうのではないか。

 ここは、先ず、尖閣領有権問題を国際司法裁判所に提訴して、時間を稼ぎ、その間にこれからこの国をどのような国家にしていくのか議論を尽くすべきではないか。
すなわち、徹底的に国連を強化する方向での不戦平和民主主義国家を目指すのか、或いは明治維新の再生を期して、世界に冠たる大日本帝国憲法の再来を目指すのかを論議すべきではないか。

私は、いうまでもなく前者ある。今の時代、国家の枠にこだわり国境問題で日常的には平和に暮らしている市民を戦場に引っ張り出して、国家とかの面子にかけて相争う時代ではないはずだ。

世界一の覇権国家アメリカにしても、今や世界の警察官であることは、荷が重くなって、なんとか世界各地の紛争の場から足を抜こうとしているではないか。

だが、わからずや同士の喧嘩をとめる強力な仲裁人は絶対に世界平和のために、否、世界中の何処でも一市民が平和に暮らしていく上で、必要不可欠なことは自明だ。
そのためには、我が国が先頭に立って、アメリカを説き、国連を核として、世界各国で賛同できる国々同士から常設の国連警察軍を組織して、これを国際司法裁判所の判決の執行力を担保するものとして構築するよう、世界世論を喚起するよう力をつくすべきではないだろうか。

 そして私たちが忘れるべきでないことは、今の覇権帝国主義国家中国の姿は、7、80年前、中国から見た我が国の姿であったことを。
 その国家理性を失った覇権帝国主義国家は、結局は元も子もなくして焦土と化すことを…。