蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

古希を過ぎてー「死にたい老人」木谷恭介著を読むー

2011-11-07 23:31:27 | 日常雑感
11月7日(月)晴れ、日中は25度過ぎ、暖かく穏やかな秋の一日。

 私はこの秋、70歳になった。古希である。その日を迎えるまでは、別にそれほど何んとも思わなかった。が、いざその日を超えてみると何だか急に年をとった気持ちがしてきた。いよいよだなという気分。山登りをしていて頂上の手前のピークを超えて、今まで見えなかった頂が、眼前に一段さらに高く聳えているのを仰ぐ思い。

 そして著名人が結構70歳を一つの境に亡くなっているのが目に止まりだした。死というものが急に身近なものに感じだした。これは意外だ。それまでの私にとって死は抽象的なものであったのが、急に何か具体的なものに感じられてきた。

 その死がある日突然訪れるのならいい。だが、母や祖父母のように最晩年、認知症になって緩慢な死を迎えるのは、たまらなく思える。何とか、ああはなりたくない。
 そこで直ぐに思い出したのは、明治時代の詩人で天才画家青木繁の親友でもあり、その影響を受けてか、独自の画風でまた孤高の画家として近年再評価されつつある高嶋野十郎の敬愛する兄、高嶋宇朗の死に方である。

 彼の死にようを、その最後を看とった次男が次のように語っている。
 『「父は禅の最高の境地である止息滅尽三昧(しそくめつじんざんまい)に達していました。これは一切経などの仏典に出ている言葉ですが、活殺自在、おれはきょう死ぬと決めれば、その通りにしねるほどの境地なんです。父の死はまさにその止息滅尽三昧でした。」禅の高僧のなかには、こうした形で死を迎えた例が幾つも伝えられている。彼岸へ旅立つと決めたその日の朝、宇朗はいつもより一時間ほど早く起きて、用意した着物に着替え、洗顔、朝食のあと、箱火鉢に堅炭を山盛りについで室内を温め、茶をすすり、机の上にひろげられた仏典「五燈会元」の一節を黙読し、静かに横になり、瞑目したが、その後間もなく、息絶えたという。77年の波瀾に満ちた生涯だった。…』※「野十郎の炎」多田茂治著から引用。

 何んと美しい死に方ではないか。こんなことが本当にできるのだろうか、とさえ思ってしまった。自分も最後はこのようにおわれないものだろうか…。10年前にこれを読んで、以来、私の心の隅に焼きついて離れない。
 そして、止息滅尽三昧とはどんな境地なのだろうか。それには、どのようにすれば達することができるのだろうか…今も持ち続けている疑問である。

 ところが、先日、新聞の最下段の広告欄で2段か3段組の大きなスペースをとって「死にたい老人」断食死の記録。―木谷恭介著―幻冬舎新書なるものを見た。
 これ、もしかして私の長年の疑問に応えてくれるだろうか?しかし、書店で「この本ください」と買うのは何か気が引ける思いもする。迷った。
 そんな時、たまたま近くの図書館へ借り換えのためでかけた。
 すると、今度はその新刊コーナーで「往生の極意」山折哲雄著なる本が目に止まった。なんと偶然がかさなることか。直ぐに借りてきて、読んだ。面白い。一晩で読了した。

 この本によって私の上記の長年の疑問がいくらか氷解する思いがした。そこには、かの有名な歌人西行法師の死も、自然死ではなく、覚悟して修行の末の断食による自死だったという。その死の日も、お釈迦様の入滅の日を一日遠慮してその翌日旧暦の2月16日であったとのことである。
 著者は『西行の断食死は人間の自殺の最高形態とはいいにくいのだけれども、自然死であるかのごとくなしとげたということからして、崇高な自殺だったといってもいいのではないでしょうか。』と述べている。

 そしてさらに、著者自身も『私は赦されるならば、断食して最後を迎えようと思っています。断食に入る前に認知症になったら難しくなりますし、最後の最後は誰かの手に我が身を委ねるしかないのですが。年間3万人を超える自殺者を、社会的現象や病的現象としてのみとらえるのは、あまりに軽い浅薄な認識なのではないか。人類史の大きな流れのなかで様々に追求されてきた究極の選択の課題として考察すべきでしょう。…』と続けている。

 私も僭越ながら全く同感である。
 翌日、書店で思い切って前掲の「死にたい老人」の有無を尋ねると、若い女店員は直ぐに書棚から表情も変えずに、「これでしょうか」と私の前に出してくれた。いささか驚いた。こんな本買う人あるだろうか。取り寄せになるのではと思っていたのが、こんなに直ぐ出てくるとは。あの大きな新聞広告のせいだろうか。それとも、今の世相を反映して、私と同じようなことを考えている人が思いのほか多いということだろうかと…。

 これも買って帰ってその晩、一晩で読み終わった。
 何んと、この著者も山折氏の著書にある西行の死に方に触発されたとあった。
 そして、まさにこちらは著者、木谷氏がその身を賭けて実行した断食死そのものの経過報告書であった。

 これを読むと、断食死もなかなか難しいものであるらしい。世の中の物事は皮肉である。死にたいと願う者が、なかなか死ねない。死にたくは無い人が事故で、病気で、殺人で、災害で無数に死んでいく。まさに無常なるかなである。
 そして思うのは、生き物は全て本来次代の生命を遺したら自らは用済みとして消滅するものではないのか。それがひとり人間だけがその宿命を逃れて、いつまでも今や4世代にもわたって生きつづけ、後代の若い人々にあたら負担をかけなければならないとは。何たることだろうかと頬杖をついて考え込むしかないのである。

 その眼前に広がる秋盛りの木々の紅葉はどうだろうか。周囲の雑木林の木々はそれぞれに一際美しく黄に、赤に紅葉して散っていく。
 人もまた、それぞれにこのように美しく散り去っていくことができたら、どんなに好いことだろうかと魅入ってしまうのだが…。
 
 しかしそう悩むこともないのかもしれない。徒然草で兼好法師は「死期は序でを待たず。死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。」と。
 そしてこうも言う。
 「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々楽しまざらんや。」と。
 まさに私もあとどれだけの時間が残されてあるのかは知りようも無い。されば、これからの一時一時、一日一日を大切に味わい深く暮らしていくとしようか…。