4月28日(土)雨後曇り、一時薄日射す。肌寒い一日。
25日、前ロシア大統領エリツィン氏の国葬がモスクワで営まれた。冷戦時代の最強のライバルであったアメリカからは、クリントン、父ブッシュ両元大統領、イギリスはメージャー元首相、ドイツはケラー大統領等各国からは国家元首クラスが参列した中で、日本は行く飛行機便が間に合わないとかの理由で、齋藤駐ロシア大使が参列しただけという。
エリツィン氏は、1991年8月の旧ソ連保守派によるゴルバチョフ・ソ連大統領に対するクーデターを打倒し一時は国民的喝采を浴び英雄となった。だが、その治世下、経済政策の失敗から、国家財政を破綻の淵に落とし、自身の体調不良とあいまって急速に人気を失い、1999年12月、自ら指名したプーチンにその座を譲って過去の人となった。
だが、わが国との関係では、橋本政権下、来日し、懸案であった北方領土解決に向けて、2000年を目標にお互いに努力しようとの歩み寄りが見られた。
しかし、その後のプーチン政権下では、この動きが著しく後退し、先年には、ロシア警備艇からわが国漁船が問答無用の銃撃を浴びせられ、一人死亡という事態にまでなったままである。
しかも、この間、日露外交、分けても北方領土問題に深くコミットしていた鈴木宗男議員はじめ、その手足として類稀な有能な役割を果たした外務省のラスプーチンこと佐藤優氏は、国策捜査の罠に落とされて失墜の憂き目をみた。
このような、状況下で、安倍政権は、今更、弔問のために特使を立てたところで、どれほどの意味があろうかと考えたのだろうか。
それとも、自身のアメリカ、ブッシュ大統領への参勤交代を前にして頭が一杯で、とてもそこまで目配りがいかなかったというわけだろうか。
何しろ、先日の某週刊誌の広告では、家賃月1千万円とかの公邸にお住まいの超大物大使であれば、今や国民の過半数から見捨てられた故人の弔問など、それで十分。大使は、現地での一国の代表者なのだからとの、とおり一偏の建前論ですましたというところだろうか。
しかし、我々庶民の間でさえ、借りのある相手には一目置いて、普段はどんなに嫌な奴だと心の中では思いながらも、相手の身内に不幸があったときには、ここぞとばかり相応の弔問をするというのが、生活の知恵というもではなかろうか。
まして、今回の相手は、こちらが喉から手を出さんばかり返してくれと主張している北方領土という玉を握っている以上は、かかるときこそ、いつもいの一番におやりのように、米英に倣ってふるまうべきではないのだろうか。
少なくとも、有利なポジションを占めて居る相手に向かって、当の相手が「我が大国を、軽く見やがって…。よーし、今に見ていろ」何て思わせるだけでも、愚の骨頂ではないだろうか。
故エリツィン大統領は、来日時の挨拶で始めて終戦時の我が父兄のシベリア抑留に、遺憾の意を表明するなど誠意を示してくれた相手なのだ。
今の、政府には外交の一つの柱とも聞く弔問外交という言葉は、死語となっているのだろうか。
それとも、美しい国日本再生を念願とされる安倍内閣。国民投票制度を整備して、憲法改正。核武装した暁には、北朝鮮にならって日本製テポドンミサイルを開発配備。北方領土返還要求、強腰外交決裂したそのとき時には、ドンと一発刺し違えてやろうなどと怖い長期戦略構想でもお持ちなのだろうか。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
25日、前ロシア大統領エリツィン氏の国葬がモスクワで営まれた。冷戦時代の最強のライバルであったアメリカからは、クリントン、父ブッシュ両元大統領、イギリスはメージャー元首相、ドイツはケラー大統領等各国からは国家元首クラスが参列した中で、日本は行く飛行機便が間に合わないとかの理由で、齋藤駐ロシア大使が参列しただけという。
エリツィン氏は、1991年8月の旧ソ連保守派によるゴルバチョフ・ソ連大統領に対するクーデターを打倒し一時は国民的喝采を浴び英雄となった。だが、その治世下、経済政策の失敗から、国家財政を破綻の淵に落とし、自身の体調不良とあいまって急速に人気を失い、1999年12月、自ら指名したプーチンにその座を譲って過去の人となった。
だが、わが国との関係では、橋本政権下、来日し、懸案であった北方領土解決に向けて、2000年を目標にお互いに努力しようとの歩み寄りが見られた。
しかし、その後のプーチン政権下では、この動きが著しく後退し、先年には、ロシア警備艇からわが国漁船が問答無用の銃撃を浴びせられ、一人死亡という事態にまでなったままである。
しかも、この間、日露外交、分けても北方領土問題に深くコミットしていた鈴木宗男議員はじめ、その手足として類稀な有能な役割を果たした外務省のラスプーチンこと佐藤優氏は、国策捜査の罠に落とされて失墜の憂き目をみた。
このような、状況下で、安倍政権は、今更、弔問のために特使を立てたところで、どれほどの意味があろうかと考えたのだろうか。
それとも、自身のアメリカ、ブッシュ大統領への参勤交代を前にして頭が一杯で、とてもそこまで目配りがいかなかったというわけだろうか。
何しろ、先日の某週刊誌の広告では、家賃月1千万円とかの公邸にお住まいの超大物大使であれば、今や国民の過半数から見捨てられた故人の弔問など、それで十分。大使は、現地での一国の代表者なのだからとの、とおり一偏の建前論ですましたというところだろうか。
しかし、我々庶民の間でさえ、借りのある相手には一目置いて、普段はどんなに嫌な奴だと心の中では思いながらも、相手の身内に不幸があったときには、ここぞとばかり相応の弔問をするというのが、生活の知恵というもではなかろうか。
まして、今回の相手は、こちらが喉から手を出さんばかり返してくれと主張している北方領土という玉を握っている以上は、かかるときこそ、いつもいの一番におやりのように、米英に倣ってふるまうべきではないのだろうか。
少なくとも、有利なポジションを占めて居る相手に向かって、当の相手が「我が大国を、軽く見やがって…。よーし、今に見ていろ」何て思わせるだけでも、愚の骨頂ではないだろうか。
故エリツィン大統領は、来日時の挨拶で始めて終戦時の我が父兄のシベリア抑留に、遺憾の意を表明するなど誠意を示してくれた相手なのだ。
今の、政府には外交の一つの柱とも聞く弔問外交という言葉は、死語となっているのだろうか。
それとも、美しい国日本再生を念願とされる安倍内閣。国民投票制度を整備して、憲法改正。核武装した暁には、北朝鮮にならって日本製テポドンミサイルを開発配備。北方領土返還要求、強腰外交決裂したそのとき時には、ドンと一発刺し違えてやろうなどと怖い長期戦略構想でもお持ちなのだろうか。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。