蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

週刊現代“安倍晋三「相続税3億円脱税」疑惑”―これで分かった。ぶん投げ理由!―

2007-09-16 00:10:03 | 時事所感
9月15日(土)

 今朝、一番で近くのコンビニへ軽トラですっ飛んだ。前日、立花隆氏が予告された週刊現代“安倍晋三「相続税3億円脱税」疑惑”を逸早く読みたいがためにである。

  僻遠の地のせいかどうか、この山梨では週刊誌はどうかすると、一日遅れなのである。幸い、今日は密やかに一番足元の棚にあった。

 帰ってきて直ぐに開いて読んだ。
 なるほど、これで分かった。父親の晋太郎氏が自身の総裁選の為に営々貯め込んだ6億とかのお金を、資金管理団体ごと引継ぎながら、その団体を巧妙に整理するなかで本来納付すべき税金が、納められていないことが、関係団体の届出資料を1年かけて精査したところ判明したというのだ。

 その説明を安倍氏の事務所に12日、14時を期限に求めたところ、未だに何の回答もないという。そして同日の直前の支離滅裂な辞任表明。病院への逃避というわけである。

  以下は、週刊現代、9.29号からの引用である。

  『…財務省主税局の相続税担当の幹部に、連結収支報告書の数字を示しながら聞いた。政治団体を通じた巨額の資産相続に違法性はないのか?
「政治団体に個人献金した資金が使われずに相続されれば、それは相続税法上の課税対象資産に該当します。政治団体がいくつもある場合は、合算した資産残高のうち献金された分が課税対象になります。たとえ首相でも、法律の適用は同じです。」
  …「このとおりなら、脱税ですね」…もちろん、税法上の時効は最大で7年。首相が罪に問われることはない。しかし、これまで1億円以上の脱税は、政治家でも逮捕されてきた。重大な犯罪であることに変わりはない。

  主税局幹部は、個人的な意見と断ってこう言った。
  「本来は、国税庁がきちんと見つけておくべき問題ですが、時効になった今は、税法上の徴税はできません。しかし、行政の長として考えて、ぜひ時効の利益を放棄して、自発的に納税していただきたいですね」…』

  どうだろうか、こんな記事が満天下に出たら、18日以降の国会は、まさに蜂の巣を突っついたような騒ぎになったのではないか。
  今までは、それでも何とか言い逃れできたかもしれないが、参院で多数となった野党の前で、これこそ国政調査権のダンビラを振りかざされたたら、絶対絶命。  これこそ前代未聞の弁慶の仁王立ちならぬ安倍お坊ちゃま総理大臣閣下の仁王立ち悶絶憤死となったのではなかろうか。

  こんな爆弾突きつけられては、お育ちよくて気の弱いお坊ちゃま閣下のおなかの中がひっくりかえって、おかゆも喉がとおらなくなるのは当然だろうか。

  納税の義務もまともに履行しようとしなかったかの、頬っ被りを決め込んだかの御仁がよくもまあ、「国民の皆さま、これからは、お手てつないでみんなで挙国一致、美しい日本をつくりましょう!」なんて、よくもまあ、いけしゃしゃーとのたまえたものではないか。

  ところで、上記週刊現代での『本来は、国税庁がきちんと見つけておくべき問題ですが…』の部分。

  これだって、勘繰れば、国税当局はうすうす怪しさを感知していながら、時の権力者のご威光に恐れを為して知らん顔の半兵衛を決め込んで、そのうち時効できえてしまうだろうぐらいに、誰もお咎めを受けることない、お得意の行政行為の不作為ということではなかったか。

  それにしても、何とか還元水に比べれば原爆級の大スキャンダルに対して、未だ、大メディアは四海波静か寂として声なしの観あるは、いかなることだろうか。
  行政の不作為も困ったものだが、大メディアの不作為は、国家存亡の危機を招くのではないだろうか。



安倍お坊ちゃま宰相閣下の尻拭い、泥舟船頭争いの向こう側では…

2007-09-15 21:38:21 | 時事所感
9月15日(土)曇り後晴れ。

  いよいよ、土蔵の崩れかけた今や二代目、三代目のお坊ちゃまクラブと化した観のある自民党お化け屋敷では、天から降ったか地から湧いたかの、はたまた青天の霹靂かと、安倍お坊ちゃま宰相閣下の天下万民そっちのけの、客膳ひっくり返す前代未聞の大椿事の尻拭いに、大童のようである。
  まさに、船底は泥水一杯で何時沈むかは時間の問題とも、日頃、我が乗る船の外をろくに見たこともないようなお歴々は、それとも知らず船頭争いに、古びたお神輿担いで一足早い秋祭り騒ぎだ。

 そんな井戸の中のカエルの争いを、太平洋の向こう岸から眺めてみると、こんな風に見えるらしい。
  
 時々、興味深く読ましていただく冷泉彰彦 氏の新着レポート、大手メディアでは報じられない、現地の気分、空気、懐の深いアメリカ社会の動きが、なるほどなーと納得させられる。
JMM(Japan Mail Media) [JMM444Sa]「『反テロ戦争』の現在(911六周年)」from 911/USAレポート
JMM [Japan Mail Media]                No.444 SaturdayEdition
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                       http://ryumurakami.jmm.co.jp/━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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  ■ 『from 911/USAレポート』第320回
    「『反テロ戦争』の現在(911六周年)」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)』

 この記事を読んで、改めて、今のわが国の有様を見ると、隣の家の強いガキ大将の顔色窺い、ご機嫌取りのほかは、何にも見えない、見ようとしない弱虫日和見坊主の為すがままに任せている能天気な長屋一家に見えてくるのだが…。


ー追記ー

 上記、冷泉氏のレポート本文へうまくリンクできないようで申し訳ありません。

 本文の主旨を要約させていただくと、現在のアメリカでは、9.11についても、事件当時とはアメリカ国民の受け止め方が随分ちがってきていること。
 報復的好戦的な空気は殆ど無くなっていること。
 イラク戦争についても同様であること。
 日本が、今ここで自衛隊によるインド洋上での給油活動を停止しても、それが直ちに同盟国を裏切る反米行為とはとられないこと。
 アメリカの大統領選の行くへはヒラリー上院議員の可能性が高い。
 その場合、民主主義擁護の立場から、アフガンその他への対応についても、同盟ないし連携を言うのなら、日本に対して、論理的にもっと厳しい対応を求めてくる可能性があること。
 要は、日本としてもっと、論理的に自立的、主体的に対応していかないと、とてももたないだろうということのようである。

安倍お坊ちゃま宰相のぶん投げ辞任の真相と後任総裁選

2007-09-14 21:05:56 | 時事所感
 9月14日(金)晴れ一時曇り。

 このところ、メディアは、前代未聞の安倍お坊ちゃま宰相閣下のぶん投げ辞任騒動で大はしゃぎのお祭り騒ぎである。

 この国でとにもかくにも、交通事故の現場ぐらいでしか、血をみることのない私たちには、イラクやその他世界のいろんなところで、戦争や暴虐な行為が夜も昼も繰り広げられているなんてことは、所詮、TVのブラウン管の中の映像にしかすぎず、それはドキュメンタリーを視聴するほどしかの現実感しかないのだろう。
 
 だから、一国のリーダーがそれも分別盛りのはずの50男が、まるでせっかくお客様を招いておいて、食卓にご馳走がならんだところで、そのお膳をひっくりかえすような無分別、無様をしでかすような後釜を巡って、はやAだのHだのとのお神輿見物におおはしゃぎなのだろうか。

 そして、どうやら目出度く此処のところ、店ざらしのお蔵入りかと思われていた面々が、恵比須顔で勢ぞろいだ。
 どうやら指を咥えて見せ付けられていたご馳走にひさしぶりにありつけそうで、ご機嫌の親分衆の手打ちがすんだようである。

 ところで、安倍お坊ちゃま閣下の突然のぶん投げの真相は、あっと驚く為五郎のようである。

 いつも愛読しているBPネットで次のような記事を読んだ。

『立花隆:政界を大混乱に巻き込んだ安倍首相電撃辞任の真相

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070913_jinin/立花隆:週刊現代が暴いた“安倍スキャンダル”の全容

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070914_scandal/
 この記事によれば、かいつまんでいえば、安倍お坊ちゃまは、父親が総裁選に備えて蓄えた政治資金を、自らの政治資金団体に寄付して、その政治資金団体を父親から引き継ぎながら、肝心の資金の方は引継ぎが無かったとして、3億円とかの相続税を免れたということらしい。
 すでに7年の時効が過ぎているとはいえ、事実なら道義的責任はまぬがれがたいとか。
 問題の悪質さは、自殺した早くも三代前の農林水産大臣の比ではないようである。
 これなら、胃痛どころか頭の血管が破れても不思議なさそうではないか。

 まさに、これがこの通りとすれば、やはり、ぶん投げなければならない理由(わけ)があったということである。

 はたして、明日、このパンドラの箱が開いたら、またどんな展開になるのやら。

 お神輿が秋空に吹っ飛びかねない騒ぎとなるのではなかろうか。

安倍お坊ちゃま宰相閣下のぶん投げ辞任?、何と無責任な!とはいうものの…。

2007-09-12 23:28:37 | 時事所感
 9月12日(水)曇り後晴れ。

  昼過ぎ、ヤフーBB画面の片隅、トピックス欄に「安倍総理与党幹部に辞意表明」との見出しを見つけ、急いでクリックしたが、ただ今アクセス急増で表示できませんと出た。
これは、何かの誤報かと思いつつも念のためTVのスイッチを入れたところ、2時から首相記者会見とのことで間違いないことが分かった。

  記者会見は、20分そこそこで終わった。力ない眼が心なしか潤んでいるように見えた。「小沢代表に会談を申し入れたが、民意が無いと言われて断られ、これでは議会での求心力が無く、局面打開のためには自分が辞めるのが最善と決意した…」とたんたんと語り、オームのように同じような質問をする記者に、同じような答えを繰り返して会見の場を去った。

  そして各党幹部の、コメント。街頭での市民の声。
意外に感じたのは、支持率が30%台というのに、蓋を開けてみれば、辞任を惜しむ声が結構あることだった。我々の血に流れる判官贔屓というのだろうか、物事の論理よりも情に竿をさすことをよしととするせいだろうかと、ふと考えてしまう。

  私は、この記者会見を見ていて、戦後の内閣でこんなみっともない内閣は、初めてではなかったかと思った。総理大臣としては、指三本で辞めた宇野総理大臣につぐみっともなさではないだろうか。何よりも今臨時国会で所信表明演説をしておきながら、代表質問の直前に辞意表明など、投手がバッターに向けて第一球を投げた瞬間、打者も見ずにマウンドをすたこらおりるようなものではなかろうか。
相撲で言えば、制限時間いっぱい、行事軍配が返ったところで、相手に背を向けてさっさと土俵から降りてしまうようなものである。

  こんなに国民を愚弄した総理大臣は、日本国政史上初めてではなかろうか。
こんなみっともない無責任な総理大臣を庇って、与謝野官房長官は、総理は、自身の美学で、逃げ込みと見られる健康問題を理由にしなかったが、真相は、病状は言えないが、相当厳しい健康問題があったのだと弁明した。

  それなら、なおのこと、事ここに至る前にいくらでも、決断の時期はあったはずである。
  にも拘らず、施政壇上に一たび立ったからには、安倍総理が日頃口にされているように、一身を投げ打って国政に邁進されるのであったなら、よしんば心臓が破裂しようとも、答弁席に居続けるべきではなかったのか。
  さすれば、先の参院選の負けはたちまち取り返して、弔い合戦に勝った後継総裁は凱旋将軍まちがいなしということになったのではないだろうか。

  群れのリーダーの第一の資質は、先を読むこと、民意を察知すること、進むべき道を示すことではないだろうか。
  安倍お坊ちゃま閣下は、このいずれの資質にも欠けていたということである。一寸先のわが身の行く末も想像できない人物に、1億3千万人の命運を託していたとは、我々は何とお目出度い子羊だろうか。
  そして、このような人物を後継者に指名した小泉前総理は、一体何をたくらんでいたのだろうか。
  まさか文字通り自民党をぶっ潰し、最後のトドメを刺させるための時限爆弾の置き土産ということではなかったのか。
  それが何より証拠には、後継総理は我こそと、にんまり微笑むかに見える麻生幹事長は、平沼議員の無条件復党について、ぶっ壊された自民党を、我々は今こそ修復しなければならないのだと、いけしゃーしゃーと語っているではないか。

  それにしても、民主党の前原前代表といい、今回の安倍お坊ちゃまといい、日本の政界は、まだまだ老人天国ということだろうか。
差し詰め、19日とかの総裁選は、麻生対福田の一騎打ちということではないだろうか。
  そして結果は僅差か何かで福田氏に決まり、退屈、陰鬱な長老、旧態自民党政治が復活するのではなかろうか。

  よその国では、40~50代の政治家がどんどん活躍しているというのに、わが国では、さあー若い人にと期待したところで、出てくる玉は、チャンスを手にしても、おっちょこちょいのこらえ性なしのお坊ちゃまばかりが、目立つばかりである。

  こんなお坊ちゃま世代を育ててきたのは、国の行く末、子孫のことなどは、働け働けのなかで、とんと眼中になく、そのお陰かの高度経済成長の心楽しい波乗りに浮かれて、マイホーム、ミーイズムとかにどっぷりつかって、我が家、自分のことしか考えてこなかった今はその大方が年金世代となっている私を含めたご同輩の多くが、知らず知らずのうちに、自ら播いた種ではなかったのだろうか…。

  と思えば、安倍お坊ちゃま閣下にも、あまり石つぶては投げられないということだろうか。


「秋は山桜の葉末から…」

2007-09-07 01:54:46 | 田舎暮らし賛歌
 9月6日(木)終日雨。嫋々、時々俄かに雨脚強く…、台風9号接近中とか。
 
我が家のアンテナの設置箇所が悪いためか、NHKしかまともに視られないTV。それが、ほとんど台風の接近に伴うニュースばかり、同じ場所、さっき聞いた話を、またしつこく繰り返している。
 何故か波しぶきのかかる岸壁がよく出てくる。その画面の裏から、中継カメラの傍からか絶叫口調のレポートが聞こえてくる。
 そこには、国政選挙報道の時とは違った、この国の毎年欠かすことのできない季節行事でもあるかのような、お祭り気分(不謹慎は承知のうえで)のような、一種のハシャギめいたものを感じるのは、天邪鬼な私だけだろうかと、ふと思ってしまう。

 そんな嵐が接近中の我が画廊に、今日は一人の来客もあるまいと、きめてかかってアトリエで手仕事をしている夕方近く、母家の玄関前の小砂利を踏み込む車の気配した。
 雨脚の小止みの表に出てみると、止まった車の助手席から、ニコニコと親しげな笑顔をして、私と同年輩のご婦人が降り立った。
 一瞬、何方だったかと記憶を手繰りつつ、取り合えず「いらっしゃいませ」と迎えた。しかし、次の瞬間、運転席から降りた男性の顔が目に飛び込んで、疑念は一気に氷解した。

  先日の土曜日、近くのテーマパークで似顔絵を描いたカップルだったのだ。

  婦人は「先日は、ありがとうございました。よく似てるってみんなで大騒ぎしました。早速、来ちゃいました。近いですね。家から15分ぐらいかしら」と挨拶した。

 家人が、お二人を母屋の玄関から半地下の画廊へ案内した。

 たいして広くもない画廊である。一渡り壁に掛けてある絵をあれこれ見終わったところで、家人が椅子を勧めお茶を運んできた。

 その席に私も加わって、先日の出会いを、家人にお互いから説明し、延々2時間を超して、ご婦人のお話をきくはめになった。

 最初、仲の良いご夫婦かと思っていたら、そうではなくて、男性は、近所の農家の人で、婦人が東京から越してきて、畑仕事で何かと世話になっており、車も運転できないので、その男性に運転手がわりもしてもらっている。その日頃のお礼に、先日の土曜日は、男性の70歳とかの誕生日だったのを祝って、テーマパーク内の私の似顔絵コーナーに出会ったのを、良い機会に、描いてもっらって、贈ったのだとのこと。

その際、帰り際の二人に、手渡した私の画廊への案内状を持参して、今日の来訪となった次第であった。

婦人は、何故、自分がここで暮らすはめになったか。夫は、東京に部屋を借りて、仕事をし、週末にだけこちらに帰ってくるとのこと。何故、そうしているか。
結婚してから一人息子を難病で17歳で亡くした話。その間の生まれた時からの苦労話等々、彼女の人生のあらましを、聞かされた。

話をするのは、4人の中で、ほとんどご婦人だけ。男性は、横で穏やかに耳を傾け、家人は話の内容によって大きく頷いてみせている。
私は、時に先ほどまでのやりかけの仕事のことを思い浮かべる。
小窓越しの外はいつのまにかほの暗くなってしまった。

 男性に促されてようやくご婦人のお御輿があがった。
ご婦人は、芳名録に住所氏名を記名しながら、ぜひ今度自宅へ遊びに来てくれと告げて、男性の運転する車の窓から手を振りつつ宵闇の林道に消えた。

  このご婦人の話しっぷり、つい先ごろまでの私ではなかったか。この、画廊を開く前までの私は、家人が仕事に出た後、日常、こちらからどこかへ出かけない限り、ほとんど誰一人尋ねてくる人も無かった。
  そんな時、たまたまこの地での少ない知人がくると、私は日頃胸に貯まっていることを、相手の迷惑を考える事もなく、しゃべりまくっていたのではなかったか。
  大方の人間にとって、他人(ヒト)と会話することが、植物に水が不可欠である具合に必要であるかということではないだろうか。

  この間、私は、その代償行為として、ブログに記すことに夢中になったが、何のコメントもかえってこないときには、それは所詮、半ばは、土に掘った穴に向かってしゃべっているような虚しさを覚えるものだった。
  
  それに比べれば、生身の人を相手にするときは、こちらの言うことに相手が上の空でもどうでもいいのである。生きた実在の相手に向かって何かをしゃべることは、ほんの僅かの反応でも、こちらの心の訴えの渇きを、いくらかでも癒してくれる気きがするのではなかったか。

  ささやかではあるが、小さな画廊を開き、日に一人、二人ではあるが、来客がある。お陰さまでいつの間にか百人を超えた。
  絵があるということで、来られる方々は、皆さま、静かで、会話して楽しい方ばかりである。
  今、私は、しゃべる側から、身勝手な私に苦手な聞く側に回る。
  少し大げさに言えば、知らず知らずの内に人生の一場面での役割の交代ということであろうか…。
  
  と思うこの頃、秋は、庭先続きの小藪の山桜の葉末から茜色に色付き始めた。

  遅くなった夕食には、先ほどのご婦人から戴いた手作りの黒米(クロマイ)とかのお赤飯を、キリン秋味で美味しく戴いた。

  台風、9号の雨脚は、先ほどのTVの予告どおりか、次第に強まってきたようである。