蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

70余歳を生きてきて…

2018-04-16 22:09:40 | 日常雑感
 2018/04/16(月)桜は散って、二番手ハナミズキの美しいこの頃

 70余歳を生きてきて…
 この頃つくづく思うこと。

 それは、どうしてこうも人間は、殺し合い、憎しみあい、他者を苦しめないではいられないのかということ…。

 シリアの化学兵器工場への米英仏による空爆。
 それを誘発させるに至ったというアサド政権側による空爆による幼児たちの柔らかな肌の爛れた映像。

 人間生まれれてから死ぬまで、たかだか7、80年の命。

 そうとわかっていながら、あれこれの理由を付けて、相手を抹殺しようという欲望、執念…。
 そのためにあらゆる手段を尽くそうとする…。

 米ソ合わせて保有する核爆弾の数…。この地球を何回か破壊するに足るという…。
 これがそれぞれの国家で頭脳明晰とされる選ばれたリーダー達のなせる技の結果なのか…
 
 こうしてみると人間の頭の良さなんて、所詮人類をより幸せな世界に導くことよりも、いかに一日も早く我ら人類を、否この足下の地球を滅びさせるためにしのぎをけずっているにすぎないのではないか…。
 
 ところで私が10代の頃、日々、耳に目に親しかった「ヒュウマニズム、ヒュウマニティ」という言葉。今は死語となったのだろうか…。全く目に耳にすることがなくなったのはどういうわけだろうか…。
 
 夜半の徒然、山家の半隠居がこんなぼやきを呟いたところで、ほどなく死んでしまえば、この身は焼かれて一原子に還元され、果てしもない宇宙空間を浮遊するだけらしいが…。







今、大相撲が滅法おもしろい!

2017-05-27 23:34:44 | 日常雑感

2017.5.27

 期待の横綱、稀勢の里は休場。残念!だが代わりに弟弟子の高安の大関取り。優勝こそのがしたもののみごと日馬富士を倒した。

そして毎日、今日はどんな相撲とるんだろうか? 黒髪タップリのお婆さん頭の宇良。ほんのひとつまみの播き塩、チョンと。今日はどんな相撲取ってやろうかな…と、いたずらっ子のような顔での仕切。そこには闘争心など微塵もみられない。
毎日、毎日わくわくさせてくれる。
明日は千秋楽。果たして三賞なるか…。

それにしてもお相撲さんて大変だなー!
毎日毎日、五合半のどんぶり飯たべて、朝早くから四股を踏んで、砂まみれになってと。
十両以上にならないと、月給もでないとか…。
その十両以上になれるのは、この世界に入って十人に一人とか…。

それに反して、毎日毎日、新聞一面の政治の世界のお偉方。上のご意向かさにして、ゴルフ仲間のお友達への横紙破りの隠し技。
あまつさえ憲法9条。武力は持ちません、はそのままに、自衛隊を明記するとか。嘘八百で国家の根本汚すのか。
こんな禁じ手、大相撲ではなんというのだろうか…。
そんなに憲法改正したいなら、正々堂々正面から横綱相撲で臨まないのか…。嗚呼!

天皇陛下の免許更新ニュースに思う

2016-01-09 01:02:42 | 日常雑感
 天皇陛下が自動車運転免許を更新さたというニュース、とても微笑ましく読んだ。
 私も今年の秋には後期高齢者の仲間入り。だんだん自分の自動車運転ぶりにうっかりミスが怖くなった。それでも電車やバスが身近にない山里の暮らしには車は必須である。
 ところが、そんなわが身に引き比べ、恐れ多くも天皇陛下には常に運転手付のご身分。なにもわざわざご自分で運転naされなくてもと思ってしまう。
 だが、天皇陛下といえども、否、日ごろ何かと拘束の多い日常のゆえにこそ、自らの意思のままに自在に操られる自動車に尽きない魅力をお感じになっているのではないかと拝察する。
 ところで、過日、音信がたえていた中学時代の旧友の消息がわかり、懐かしく電話し山家の拙宅に招待したいものと車ではと誘ったところ、何と大石油会社の三役になりながら自動車運転免許証をもっていないという。私は、そのあまりのアンバランスさに思わず笑ってしまった。ところが、その笑いを自分を馬鹿にしたと誤解されてしまったのか、以来、音信不通となってしまった。
 方や雲のうえのお方で運転免許なんか不要と思われるお方が、それ大事にされ、持っていて当然と思われる立場の下々の身が、それを持たないことのおかしさに私は別の意味で笑みをもらさずにはいられない。

男の性の哀しさ可笑しさ!―司法試験問題漏洩教授の性(サガ)―

2015-09-10 00:23:28 | 日常雑感
解剖学者三木成夫の名著「海・呼吸・古代形象」(うぶすな書院1992刊)で著者は、人間の“はらわた”と題し、男の性についてこう喝破している。
 『俗に“食気”と“色気”を二足の草鞋という。…四六時中、発情し、しかも齢と共に好色の度を加えていく、世の男どもの姿をしかと見届けるがいい。かって地球上にこんな姿の動物が棲息したか…!』と。

 まさにこの好例として、本日のZAKZAK夕刊フジの記事、以下のとおり。
『女好きの看板教授-。今年の司法試験で、自身の作成した試験問題を教え子の女性受験生に漏洩した疑いがもたれている明治大学法科大学院の青柳幸一教授(67)。東京地検特捜部は国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで、関係先を家宅捜索するなど捜査を始めた。明大では看板教授として知られる一方で、男よりも女に過度に優しいとの評も。周辺から聞こえてくるのは「女好き」の横顔だった。』と。
 この事例を見て、たちまち思い出すのは、かのノーベル賞級とまでもてはやされた小保方さんの「スタップ細胞事件」である。
 こちらも小保方さんの愛くるしい女性性に忘我自失してしまって、その責任を感じてか自死されたノーベル賞級天才笹井芳樹教授である。
 
 私は、男性にはその生を突き動かす二つの相反する核心があると信じる。一つは人間としての理性である。他の一つは性衝動としての獣性である。

 大多数の男の人生の幸不幸、成功、不成功・失意を左右するものは、その男が、その自身に内在するこの相反する聖心と獣心をいかにバランスをとり男性性の本能として獣心を制御できるか否かにかかっているのでは…、と。古希を過ぎたいましみじみと納得するにいたった。

 私は若い頃、まさに高校生の頃、頭の中では勉強しなくてはと思いつつも、目の前に出会う美しい女性にたちまち舞い上がり、寝ても覚めてもその面影を追い求め、勉強に身が入らず、大学受験に失敗し凡々たる人生に甘んじざるを得なかった。

 そして今の今も若くチャーミングな女性をみれば、ひそかに心疼くのをいかんともしがたい。まさに冒頭の三木教授のおっしゃる『かって地球上にこんな姿の動物が棲息したか…!』の一匹である。

 だが、若いときの心赴くままの女性遍歴のおかげか、叙上のお二方のような無様はさらさないですみそうである。

 ところが、お気の毒に、お二人は若い日、その本来の獣性を人一倍強い意志で克己され、ひたすら勉学に励まられた結果、輝かしいその後の人生の勝者として、周囲の賞賛を得られたののであろう。

 だが、その成功の果ての心の緩みが、みっともない人生の破滅をもたらすこととなったのでは…と愚考するしだい。
 まさに役小角(エンノオズヌ)が空を飛んでいて眼下の川で、若い女が流れにまかせた白く美しい脚をみて墜落したようなものではないか。
 
 この男の性の哀しみ、愚かさ、やるせなさに限っては、決して女性には理解しがたいところではないか…。
 だが、皮肉にも、人類はこの男の獣性があってこそ遥かにも続き続いていくのではないか…。
 

米に惜敗! U18サムライジャパン準優勝!お疲れさま

2015-09-06 23:11:16 | 日常雑感
2015.9.6(日)雨、肌寒い一日。

 U18サムライジャパンが8戦負け無しできて、しかも一次リーグでは3-0で勝った米国に、今夜の決勝戦まさかの1-2での惜敗。まことに残念!
 緒戦ブラジル戦から全てTVとスマホで観戦してきたが、肝心の今夜に限って新聞のTV欄では出ていたBS朝日での放送が何故か中止になっていた。
 これはてっきり今夜の大雨で中止になったのかとあきらめていた。
 ところが、9時前ふとPCでみたら18時20分から試合は開始されているとのこと。ヤフーの速報をみれば8回裏2対1で負けている。あと一回。祈る気持ちで文字放送を見守る。
 4番 清宮 149キロの外角ストレートを初球打ちしたが、高く上がった遊飛に倒れる。
5番 平沢 150キロ、148キロと内外角への直球で追い込まれる。最後は変化球に詰まり、ショート前への小フライに倒れる。
6番 オコエ 初球は外角いっぱい150キロでストライク。外角ボール球のカーブに空振りし、追い込まれる。最後は外角直球を打ちそこね、二ゴロ。

万事休すだ。
 素人目には、監督の投手起用にあったのではと…。強打者揃いのアメリカに一次リーグで完封した佐藤を、再度の期待を込めて起用したのだろうがこれが裏目だったのでは…。
 むしろ、アメリカには初めての上野を先発させて、少しでもミスがでたら、昨日のキューバ戦のように次々に投手を交代させていったらどうだったか…。
 
 それにしても毎日実に楽しませてくれた。ありがとう!お疲れ様でした。
 女子バスケットも中国に大勝! 
 日本の若者、男も女もみんなすばらしい!

怖い夢をみた―高齢者安楽死センター―

2014-05-09 22:58:27 | 日常雑感
 5月9日(金)晴れ。暖。午後から雲多く風強し。

 午前3時半、怖い夢で目が覚めた。
 
 私は、大勢の人々の後ろに並んで何かの順番を待っていた。私の目の前の先に鉄柵があった。その中は何かのセンターのような場所らしかった。白い看護服のナースの人たちが忙しそうに行き来しているのが遠目にみえた。
 私の前後に並んでいる人々の明るい話し声から、その行列は施設内での安楽死の順番を待っているらしかった。

 中へ入れば、薬を与えられて、最後の晩餐としての食事のあと、快適な寝室のような部屋のベットに横たわりその薬を呑めば、ほどなく何の苦痛も無くこの世から消え去っていけるところらしかった。
 ここがそのための施設であることを、自分でも納得してここえ私は来たようだった。
私はもう十分生きてきたと思った。もうこの先、何か心躍る恋をするような楽しみもなにもかもなくなったようにも思えてここへ来たのだった。

 私は贅沢かもしれないが生きていることに厭きてしまったように思ったのだったらしい。
 しかし、行列はなかなか前に進まない。私は少し気分転換したくなった。列を離れて少しその辺を散歩したくなった。
 それで列を離れてゆっくりと歩き始めた。

 すると、いつの間にか、脇に妻がついっとと云った感じでやってきて、私を鋭くなじった。「貴方だけ逃げるの…」と。

私はその瞬間まで妻のことは露ほども意識していなかった。しかし、妻が傍に来ればそれは当然のこととして納得もできたのだった。
 私は、「いや別に…。待っているのに退屈してちょっとそこらを散歩してこようと思っただけだよ」

 私たちはそこから暫く歩いて小高い丘にたっていた。全体に灰色っぽくはあるが遠くまでひろびろとした風景が広がってみえた。
 足元の一隅には、今、離れてきた安楽死センターも小さく見えたような気がした。
 急に今の今まで現実感のあった「安楽死」という選択が何か現実ばなれしたもののように感じられた。
 その瞬間、私は、死ぬのが急に怖いというか恐ろしいことのように思えてきた。「もっと生きていたい。そうだ、そしてこれからの歴史をみてみたい…」と喉が渇いたような感覚とともに思った。

 私は、その安楽死センターの施設に行って、「死ぬのを止めます」と断らなくちゃーと思い、施設にむかった。
 受付ホールのようなところに入ると、死に向かう長蛇の列が続いていた。その列に並んでいる人々と行き違いに顔が会った。その中にかっての仕事仲間の同期で親しい友の顔がいくつかあった。

 先方はいぶかしげに私をみとめて「どうしたんだい?」と訊いてきたようだった。
 私は「もうちょっとこの先の歴史が知りたくなったんだよ…」と答えた。

 瞬間、その相手は「もともとお前は、そういう奴だったなー…」と言いたげな幾分か私を軽蔑した皮肉っぽい微笑をみせた。
 同時に、答えながら、自分自身でもなんて気障なセリフだろうかとも思った。
 
 私は、その施設から離れられたようだった。ああ、よかった。死ななくて…と安堵した。
 
 そこで目が覚めたのだった。よかった、夢で。私は生きている…。と思いつつ暫くベットの上で天上の闇を見つめていた。
 
 なんでこんな夢をみたのだろうか…。

 このところ、メディアで急速な我が国の高齢化を耳にたこが出来るほど聞いている。私自身、古希をすぎてまだ一向に体力気力の衰えを感じない自分にありがたくもあれば、反面何かに対してすまないような申し訳ないような気持ちにもなるのである。

 そして、いつも思うのは、鮭なんかは自分の子どもの顔も見ないで産卵しただけで死んでいく。それに対して、我々人類は今や、子どもは愚か孫、ひ孫までみるのがあたりまえになってきた。
 生殖能力は愚か、生産活動能力も衰えてきた高齢者。若い人々に負担をかけるだけになった存在。そんなものが何時までも生きながらえていていいのだろうか…。

 自分が不要となったと自覚したら苦痛無く死ねる安楽死という選択も、これからは有りではないのかと漠然と考えているからだろうか…。

 僅か百年足らず前、エスキモーの人々は、老いた父母を氷原に僅かなアザラシの肉片を残して置き去っていくのが生きていく必然だったと読んだことを思い出す。

 このままでは、高齢者の安楽死について、大きく重い政策課題になる日もそう遠いことではないのではないだろうかと思えるのだが…。

久々の銀座歩きーアベノミクス今いずこ!?ー

2014-03-20 00:30:33 | 日常雑感
3月19日(水)晴れ。暖。

 庭先の雪が融けた。その下からチューリップの小さな若葉がV字型に幾株も芽を出していた。

 そんな先日の日、月と、久々に両親の墓参をかねて東京へ行ってきた。17日の月曜日、銀座で昔の仲間のグループ展を見にでかけた。

 ところが、目指す画廊が会場の住所地に無い。案内状を見直した…。なんと、2月の間違いだった。2月と3月は曜日が全く同じだったのだ。とはいえ、なんという耄碌振りだろうか…。愕然となる…。
 そして画廊は、先月限りで閉鎖されてしまったようだった…。近く解体される気配…。

 仕方なく銀座6丁目から歩いて、東京駅前の八重洲ブックセンターへ立ち寄った。目当ての岩波文庫「東海道中膝栗毛」を探すが売り切れとのこと。がっかり…。代りにふいと目に止まった「元禄世間咄風聞集」と岩波新書「秀吉の朝鮮侵略と民衆」を買った。
 
 それにしてもフト気づいたのは、平日だとういうのに、銀座の街もこのブックセンターでも、なんと人影が薄いことだった…。まるで日曜日の午前中のようだ…。
 これで何が“アベノミクス”なのだろうか…!?。

 代りに路上は驚くほどきれいだ…。ごみ一つ落ちていない…。
 途中で花粉症のせいか鼻がむずむずする。だが鼻をかんだ紙を捨てるゴミ箱がどこにもない…。
 地下鉄の日本橋駅へ向いつつ、途中、高島屋へ買い物に入り、そこのトイレでようやくゴミ箱をみつけた。

 思えば、東京の街から、駅と云う駅からゴミ箱が撤去されたのは、かの地下鉄サリン事件以来だ…。
 その、極悪張本人の松本、未だ処刑されないでいる。えんえんたる裁判はいつまで続くのか…。
 今のわが国は、こんなこともテキパキと片付けられないでいるのだ…。

 春、田園の憂鬱ならぬ日本の憂鬱というべきだろうか…。

世紀の大発見?STAP細胞、・小保方さんと偽作曲家・佐村河内騒動

2014-03-10 23:57:41 | 日常雑感
3月10日(月)晴れなれど雲多く寒気強気一日。-3~5℃

 新年早々、今年1月末、「生物学の教科書を書き換える成果」と、国内外の研究者が驚きの声を上げた、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市中央区)が作製成功を発表した万能細胞「刺激惹起(じゃっき)性多能性獲得細胞(STAP細胞)」。
 その発見の中心であった、小保方晴子・研究ユニットリーダー。割烹着姿のチャーミングな研究姿とあいまって一躍時の人となった。
 近い将来のノーベル賞かとまで騒がれた。

 ところがここにきて、論文に掲載されている写真の画像がおかしいとか、「実験を再現できない」との指摘が続き、世紀の大発見の雲行きが怪しくなってきた。

 このニュースを聞いて、私は、思わず何故か全聾の大作曲家、現代のベートヴェンの再来かとまで騒がれた佐村河内守氏のことを連想してしまった。

 昨年の3月31日の夜、私は、NHKスペシャル「魂の旋律~音を失った作曲家~」を視た。
 番組案内に、『“現代のベートーベン”と呼ばれる日本人がいる。佐村河内守(サムラゴウチ・マモル)、49歳。 14年前に病で両耳の聴力を失いながら、クラシックで最も困難とされる交響曲を書き上げた。佐村河内は今、東日本大震災の被災者への鎮魂曲「レクイエム」に取り組んでいる。3月上旬に予定された宮城での演奏会に向けた制作現場に密着。被災者との交流なども交え、“命を削り、音を紡ぐ”作曲家・佐村河内守の実像に迫る。』
とあった。

 私は感動した。暗室のようなくらい部屋で床に倒れこみ天から降りてくる楽曲を必死に捕らえようと苦悶する姿。
 被災地の夜の闇の海岸で手を合わせて津波で亡くなった人々の御霊に祈る姿。
 そして自らの広島の被爆二世としての思いから、17歳の時に着手しそれから20年以上を経て漸く完成させたという、交響曲第一番「HIROSHIMA」。

 この曲を聴いて私は感動した。戦後70年近くたって広島、原爆被災者への鎮魂の曲が、今、漸くできたことに…。曲は荘重で深い悲しみの思いが伝わってきた。
 私は、すぐにアマゾンでこのCDを購入した。

 それから1年も経たないこの2月、小保方さんのSTAP細胞発見の偉業(?)に泥水を浴びせるような偽作曲家騒動である。

 今の時代、私たちは一体何を信じたらいいのだろうか…。昨日は、新時代のニューヒーローのように草木もなびく勢いをみせたタレント政治家が、たちまち今度はどぶに落ちた何かのように叩かれ、けなされる時代…。

 日々のマスコミを賑わすニュースなるもの…。良くも悪くも眉につばをつけて当面は半信半疑でやり過ごすほかないのだろうか…。

 とはいえ、チャーミングで一途なお人柄の小保方さん。どうか、数々の批判を粉砕し再実験を成功させてほしいものである。

 そして、本当は新垣氏が作曲者であった交響曲第一番「HIROSHIMA」。私は、クラッシック音楽のマニアではないが、聴いていてとても好い曲だと感じている。大事にしていきたい…と思う。

死刑執行を待つ者(?)の戯言ーその1ー

2013-06-18 06:55:15 | 日常雑感


(その1)―この世で人間ほどバカな者はいないということ―
 

  私、古希を過ぎた今日この頃、自分の残り人生の日々が少なくなっていくことを実感しつつ、死神にこの身を拉致されていく錯覚を覚える…。それは、少し大げさに言えば、死刑執行をされる日を待つ者の思いである。

 すると、私のざっぱくな脳中はにわかに沸騰し、あらぬことごとが銅鑼をならしたように共鳴しはじめる…。
 これまで常識的に信じてきたことがガラガラと音を立てて、高い書棚から崩れ落ちてくるようだ。

 先ずその第一は、この世の生きとし生ける物の中で、人間ほど愚かで馬鹿な生き物はいないということだ。

 昨晩、6月17日(月)、BS103で「ワイルドライフ 密着!ペンギン大冒険、吹雪の後進!岩登り!アシカ包囲網を突破!鳥型カメラで巣に接近」を視た。

 過酷な環境の中で必死に生きて、雌雄協力して子育てしているペンギン達の生き方のすばらしさ。
 雌が生んだたった一個の卵を、お互いの身体を寄せ合い、産んだばかりの卵が極寒の外気に触れて死なないよう慎重に、慎重に、雌から受け取った雄は、大事に自分の股下に包み抱き込む。そして、雄は、出産で体力の衰えた雌が、遠く何百キロも離れた海域へ餌を採りに行き体力を回復して戻ってくるまで極寒の氷の世界にひたすら2ヶ月もの間、その場に立ち尽くして、何も食べず飲まずで、ひたすらその帰りを待つのだ。
 無事、雌が戻ってくると、雄に抱かれていた卵の中から、殻を破って可愛い赤ちゃんペンギンが顔をのぞかせる。すると雌雄の親ペンギンは、さもいとおしげにうまれたばかりその子の毛づくろいをしてやるのだ。
 何と穏やかで美しい生き物としての光景だろうか…。

 これに比べて、われ等人間どもはどうだ。
 TVをつければ、小は、つまらない隣人同士の諍いと憎しみ合いからの、あるいは行きずりでの刺した、刺されたの殺人事件。大は世界あちこちでの民族、宗教、政治的主義主張のいつ終わることのない闘争にもとづく果てしない暴力と戦争の明け暮れだ。

 鳥や獣、人間以外の他の生き物たちは、ただひたすら日々、腹が減ればそれぞれの餌を求めて食み、季節が来れば求愛し、次世代の命を産み育てば、程なく親子は別れ別れになり、親たちはただ静かにどこかに消えていく。幾世代も幾世代も、その単純明快な美しい生命賛歌の繰り返して終わっていく…。

 これに反して、われ等人間。生まれてこの方男女で、求愛し、子を産んで育てて穏やかに平和の日々を楽しみ、この世の生を終えていける者がどれだけいるだろうか…。
 何のために生まれてきたのかなんて一時も考えてみることもなく、日々ただただ働きづめに働いて、病み衰えて死んでいく者。
あるいは、生まれてきたことすらを、荷やっかいにされ、ただの一度も両親の微笑みにつつまれることもなく、さいなまれ苛められ、憎しみと恐れの負の連鎖を背負って生きていかねばならない者…。

 その反対に、幸運や才能に恵まれて、一人では一生つかってもつかえきれないほどの巨富を独り占めにして、得意絶頂然としてほくそ笑む者。
 その傍らには、生まれてくる端から、母親の枯れてしわびた乳首を力なくしゃぶる以外にすべもなく息絶えていく幾十万人の赤子たち…。

 他方では、高価な背広やいかめしい軍服に身を堅く包み、白昼堂々と白亜の殿堂の中で、如何に仮想敵国の人間を大量に効果的に殺戮し、その住処を破壊するかを、国防・平和の大儀名分の下に談合し、策を練り、兵器という凶器の製造の進化競争に血道をあげることを自明のこととして、自分たちのやっていることの愚かしく虚しいことを疑ってみようとしない輩たち…。
 また、それを固く支持し、税金の名の下に当然のごとく自分たちの貴重な労働の報酬のいくばくかを、国家に奉げる従順な僕のような国民としての人々…。

 嗚呼、われ等人間は、何時の日に、雌雄一つがいの鳥や獣のような、穏やかでごく自然の生命のサイクルの輪に加われることができるのだろうか…。

 否、それよりも前に、この地球そのものを、われ等人間が、全ての生命の墓場にかえてしまうのではないだろうか…。

 私は、その日を待たないで、この世から消えていけるのだけが幸いかもしれない…。
 

「八重の桜」―会津戦争に涙する―そして思うことは…

2013-06-16 23:59:08 | 日常雑感
6月16日(日)梅雨晴れなれど雲多き一日。

 今年の大河ドラマ、ここ最近の大河にしては出色のできでは…。今夜も白河藩少年隊、僅か12歳から14、5歳の少年武士がまるで修学旅行に行く気分だったといって、勇み立って戦場に出たものの、官軍の近代装備に比べるべくもなくまるでわら人形がなぎ払われるように戦死していくさま…。その健気さと無残さにおもわず涙が止まらなかった…。

 この会津藩の悲劇、なにか先の世界大戦で、米英に追い込まれていくなかで窮鼠猫を噛む勢いで無謀無計算の戦争に突入し、最後は前途ある若人による特攻隊と原爆投下の犠牲者で幕を閉じたその後の昭和日本の命運を暗示しているような気がしてならなかった。

 終わり近く京都の太政官府内でか、松平春嶽が岩倉具視に向かって、「再三提出している会津助命嘆願を何故取り上げない、その結果、内乱騒ぎとなって無辜の民を殺している…。これが新政府の目指す新しい国づくりか…。これでは最初から間違っている…」と厳しく難詰するところがある。

 明治維新、結果そのとおりとなったのだ。
 薩長藩閥を主柱とする新政府は、自由民権運動の激しい世論におされるかっこうでなんとか、それをなだめるために明治欽定憲法を定めたが、これがとんでもない代物だったのだ。
 国民の生殺与奪の権をはじめ全ての政治権力を天皇の大権として、その実は、時の政府の実力者の自由自在に運用できるようにしたのだ。
 
 会津を始め多くの犠牲者のうえに実現した明治維新の果実を、あまねく日本国民全ての者のためとせず、このような明治憲法による巧妙な仕組みをつくりあげて、維新の成果を簒奪し国家権力を欲しいままにしたその日本史上にも稀な凶悪の首魁こそは、山縣有朋だ。

 このゆがみと歪がその後の日本の歩みを誤らせ、600万にも国民の命を失わせる結果となった。だが、その足取りの誤りは今も十分に検証されることなく、それは今日も、そして明日へと続いていくのだ。

 今、被災の苦しみの中にある国民を小馬鹿にしあざ笑うような物言いで、国民の顰蹙をかっている水野某参事官は、その典型のきれっぱじのようなものではないか。
 しかし、そのもっともっと根源の大物は、現憲法を何とかして、天皇陛下を元首に祭り上げ、自分たちが存分に国政をほしいまにできる昔日の大日本帝国憲法体制に名実共に戻すことに身命を賭さんとのたまわる安倍総理大臣閣下こそではないのか…。

 まさに幕末維新長州(山口県)の大先輩、山縣有朋公爵閣下の夢よ再びとばかりに…。