蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「NHKにもの申す!」(その4)-頂いた視聴料は、鐚一文逃さない。これぞまさしく電波天国だ!-

2006-04-29 02:10:40 | 日常雑感
4月28日(金)晴れ。風も無く暖かな春日和。燕が飛び交い鶯が鳴いている。

前回触れた、NHK視聴者コールセンターとは、一体NHKとどんなつながりがあるのか知りたくなった。そこで、NHKのホームページを検索してみた。

すると、NHKグループネットというページに出会った。「NHKグループネット、加盟の各社・団体が共同で運営するポータルサイトです」とあった。さすが天下のNHKである。関連団体、子会社がざっと数えて24もあった。

上記のNHK視聴者コールセンターは、どうやら、この内のNHK営業サービス会社に所属しているらしい。

すなわち、この会社の重点業務内容として、受信料についての事務情報処理業務、視聴者の意向に関する調査等の企画、実施、コールセンター業務の効率的運行、電話受信相談業務の推進と明記されていたからだ。

そしてこの会社の財務内容を見て驚いた。
資本金1億5,000万円、発行済株式総数3,000株、
1株当たり当期純利益、159,322円(16年度)、
利益剰余金2,194,869千円
とある。
 1株額面5万円に対して、1株利益が15万円とはどうゆうことなのか?
PERは、0.31、超割安株ということか。ぜひ買いたいものである。

 そして、貸借対照表からは、負債・資本合計、3,623,559千円に対し、損益計算書の経常利益、657,009千円である。

 ということは、総資本経常利益率は18.13%となる。
これは、社員数550人の中小企業として超優良企業ということになる。
(※中小企業の利益率6~8%が相場とか)

 しかし、天下のNHKさん、こんなことは序の口なのだ。

NHKの番組づくりの主要を占めていると見られるのがNHKエンタープライズだ。
こちらは、利益剰余金、85億91百万円、経常利益10億76百万円、
総資本経常利益率は7.57%となっている。
しかもこの会社社員数361人に対して、元NHK幹部の役員さんが豪華絢爛19人もいらっしゃるのだ。

そしてさらに、NHK共同ビジネスという子会社。
こちらは、放送に伴う建物の維持管理、設計施工、貨物・乗用車の運行管理、…要はNHKの業務運営に関わる一切合財を引き受けているらしい。

そのほか、NHKオフィス企画というのもある。
こちらは、製作・業務支援の専門集団とあり、印刷製本から人材派遣までおやりになっている。

これらを概観して、私が感じたことは、NHKという組織は、視聴料として集めたお金を、外部には徹底的に鐚(ビタ)1文も出すまいとする守銭奴(?)集団企業体ではないかということである。

これら子会社の役員の多さ。それらは皆、元局長次長、理事、部長というお偉方が綺羅星の如く鎮座ましましている。
NHKは、全ての業務をこれら子会社に随意契約で市場価格よりも割高な見積価格で受注させ、さらにこれら子会社はその下の孫受け会社(※そこまでは公表されていないが必ず実働部隊があるはず?)を徹底的に絞り上げるシステムの中で、潤沢な利益を稼ぎ出させ、そこにたっぷりと千両箱をつみあげているのではないか。

そこから、大幹部様たちは国の特殊法人にならって現役時代以上の高給をいただき、子会社というNHK経営委員会の目の届かないところで、優雅な人生の終盤をじっくりとお楽しみになっていられのではないか?。

 以上は、山家の隠居の妄想・妄言だろうか?。

 はしなくも、そうでもないことが、4月13日、『NHKエンタープライズ、板谷社長は、平成17年度決算でNHKの要望に応える形で、20億円余りの特別配当を行う予定であることを明らかにした』と報じられたことに示されてはいないか?。
 特別配当とは、上納金のことだそうだ。

 要は、NHKという組織は、放送するアナウンサーはいつもニコニコと皆様のNHK、庶民の味方ですなんて澄ました顔をしながらその陰で、出世の階段上り詰めた暁は、いくつも臍繰り巾着袋をぶらさげ、格差社会で呻吟する視聴者尻目に自分たちは栄耀栄華の夢に酔っていると見るは、山家の隠居の僻目だろうか?。

 これを「電波天国!」と呼ばずして何と呼ぶべきだろうか?。

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?

―追記―
 子会社の財務分析、聞きかじりの付け焼刃ゆえ、見当違いがございましたら、お笑い捨ての上、ご指摘くだされば幸甚に存じます。



「NHKにもの申す!」(その3)-自分のとこは棚に上げ、よくも言ったり!―

2006-04-28 03:05:09 | 日常雑感
4月27日(木)曇り後晴れ。日中は暖。

 歳をとると時間が奔流のような速さで流れていく。ということは、それだけわが身の動作が、頭の働きが緩慢になったということであろうか。

 そんなわけで標記のテーマについても今週24日(月)、夜7時半からのNHK・TVクローズアップ現代「苦情と勧誘、電話対応の最前線」を視て、口がムズムズしてくるのをもだしがたく、25日(火)にはアップするつもりが、あっという間に今日になってしまった。

 すなわち、今や、多くの企業で苦情対応を外部委託し、その拠点が過疎化している地方に置かれて、当該地域の新規雇用の促進に寄与しており、今や雇用の場の確保に躍起の地方自治体が誘致に鎬を削っているという。

 しかし、その労働実態は、半端なものでない。自分の所属する会社でもないのに、委託会社の製品やサービス内容について、一方的に苦情ばかりを受け付けさせられるのである。
 あるいは、通販の商品売り込みのため、契約獲得ノルマを課せられてひたすら電話しまくらされるのである。

 三尺角ほどのブースに閉じ込められて、何とか信者のようなヘッドホーンを頭に被り、ひたすらパソコンの画面とニラメッコ。それはまるで、酷な言い方ながら、ひたすら目の前の餌を啄ばまされる養鶏場の鶏のようにさえ見えた。

 さすがに、そのストレスにいたたまれず、すぐに辞めていく人が続出し、その足止めに経営者はやっきという。当たり前だろう。おいしい中身は正社員が食べて、正社員が食べたがらないゴミばかりを、賃金(カネ)はやるからとばかりに、ひたすら拾わされたらどうだろうか?。そこに働く喜びなんてあるだろうか?。働く喜びのない労働は奴隷労働にほかならないのではなかろうか?。

 企業活動に伴うユーザーからの苦情は不可避である。しかし、それは当該企業活動にとって不可欠な栄養であり、さらなる飛躍への原動力ともなりうるものである。
 その苦情や要望は、その企業に身を置いているもが直接受け止めてこそ、ユーザーの切実感が伝わり改善への意欲やエネルギーに転化しうるのではないか?

 私もかって現役の頃、さる地方自治体の水道事業部門に身を置いていたが、水道工事で、水道管破裂事故の浸水被害で、水道料金の未納に伴う停水処分等で様々な苦情を嫌と言うほど受け付けた。中には「おんどりゃあ、そこで待ってろ、今から日本刀持っていってやるからー」と脅かされたこともある。
 だが、そうした洗礼を浴びてこそ、企業人としての責任感と自信がついてくるのである。そのような声をバネにしてこそ、内部の関係部署に対して、強く改善提案ができるのである。

 それが、外部委託で受付集約、統計化された資料となったものを、いわばきれいにろ過されたうわ水だけを受け取ったところで、それがどれほど役にたつだろうか?。そんなものはでがらしの番茶の茶殻でしかないのではないか?。
 ユーザーの苦情を等閑視して、死者まで出して、潰れかかったのが、天下の名門企業三菱自動車工業であったのは、まだ昨日のことではないか?

 早晩、何でもリストラ、リストラ、ラリリのリで効率ばかり追っかけている企業はそのうち軒並み庇が傾くことは疑いないと、山家の隠居は見立てるのだが?
 
 さて、この番組の国谷キャスターが、ところで「わがNHKでは…」といつになったら天下のNHKの視聴者苦情対応について、お話いただけるかと最後の最後までそのお言葉を待ちに待ったがついに一言も出ずじまいでお仕舞いとあいなった。
 まるで「わたしや知らないホウホケキョウー」であった。

 そこで山家の隠居の意地悪心が目を覚ました。早速、NHKコールセンターとかに電話した。

 答えは、こうである。4年前までは、視聴者も含めて全てのNHKへの電話は代表電話で受付それぞれの部署にまわして応対してきたが、受け付け件数が急増(自らの驕りで招いた不祥事不払いの急増では?)した結果、視聴者からのご要望は視聴者コールセンター専用ダイヤルを設けて受け付けることとしたとのこと。

 やはり、実態は上記の堕落企業と同じ発想の臭いものには蓋、高給取り高学歴のNHK生え抜き職員様が、「市井の分からず屋のガチャガチャをウダウダ聞いちゃあいられるか」って訳だ。それでどういうわけか川崎くんだりに設置された外部下請け会社に外注したってわけだった。

 しかし、このシステムとても優れもので、私(山家の隠居)の言い分は、即く録音されて、ご丁寧にも三年間はどこかの日のあたらない場所にひっそりと厳重に保管されるそうな。

 しかもNHKの会長様はじめお偉い方々から末端の番組ディレクターまで、卓上のパソコンのクリック一つで、「何をこの馬鹿、遠吠えしているか」気が向けば即座に生の声でお耳に達するようにできているとのこと。

 全く恐れ入谷の鬼子母神、心底感じ入った次第ではあった。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

―追記―
 この下請け会社のつながりはどうかと、さらにNHKのホームページを検索するうち、もっとビックリする事実を知ったのでありました。これについては、稿を改めることといたします。
 乞うご期待。「-頂いた視聴料は逃さない。これぞまさしく電波天国だ!-」



16歳(高二)少年、71歳写真店主撲殺事件ー何故なんだ!

2006-04-28 03:03:51 | 時事所感
4月27日(木)曇り後晴れ、朝5度、日中18度

『写真店主殺害の高2、「撮影に来た」と偽る
 和歌山県高野町の写真館で経営者の久保田耕治さん(71)が私立高校2年の男子生徒(16)に殺害された事件で、男子生徒は県警橋本署の調べに「写真撮影をしてもらいに来たと偽って店に入った」などと供述していることがわかった。 生徒は犯行の際、スタンガンを所持しており、同署は、生徒が久保田さんを油断させて犯行を容易にしようとするとともに、抵抗に備えてスタンガンを所持していたとみている。 調べでは、生徒は24日午後3時40分ごろ、下校していったん寮に戻った後、スタンガンを持って写真館に向かった。同4時過ぎ、写真館を訪れ、撮影の準備のため店の奥に入った久保田さんを追いかけ、置いてあった電気ポットや料理バサミで執拗(しつよう)に暴行を加えたという。 生徒が約6時間半後、中学時代に通っていた大阪府内の学習塾の講師に「人を傷つけたかもしれない。警察に連れて行ってほしい」と頼んでいたこともわかった。 橋本署は26日、生徒を殺人容疑で和歌山地検に送検した。(2006年4月27日3時10分 読売新聞)』

 岐阜県中津川市での15歳(高一)少年による少女殺害事件報道の衝撃も止まない間に、今度は理由もなく16歳(高二)少年による理由無き老人撲殺殺人である。

 こちらは何故か報道の扱いが小さく感じられる。余りにも続く少年殺人事件に世間の方が麻痺してしまったためだろうか?
 それとも、これ以上、模倣犯をださないようにというメディアの自制心の発揮からだろうか?

 そして疑問に思うのは、この16歳少年は中津川での事件を知っていたのか、それとも知らなかったのか、ということである。
 知っていたとすれば、中津川での事件について何を思い何を感じて、今回の犯行におよんだのだろうか?
 両事件の間に、16歳少年加害者にしか窺い知れない何か因果関係が生じたのだろうか?
 知っていなかったとすれば、何故、このような無意味で残酷な犯罪を突如起こす心理状態になったのだろうか?

 ただ、彼が恐らく承知していたのは、どうせ気晴らしに年寄りの一人や二人殺したところで、「俺は天下の少年様だ!死刑なんて関係ねいや。少年院にいれられたところで2、3年もおとなしく猫でも被ってりゃあすぐに出てこれりゃあ」ぐらいのことは確かだろう。

 そして、この少年もまた、その罪の結果は少年院に2、3年入れられてその後は何食わぬ顔をしてこの娑婆に出てくるのだろうか?

 私(山家の隠居)は、珍しくこのところの気温の変動の大きさに負けて風邪ひきで早寝してみたが、ふと殺された71歳の一人暮らしの久保田さんの無念を思うと目が冴えて眠れなくなってしまった。

 長年写真館を経営して、加害者の登校していた学校生徒の利用者も多かったという。いわば、学校近くの親しい写真館のおっちゃんといった関係ではなかったのか?
 その人に突然襲い掛かって、恐らくは何が起こったのかも、咄嗟には理解できぬまま驚いて逃げ惑う老人を、無惨にも小動物でも嬲り殺すようにして殺戮した16歳少年とは、一体何者なんだろうか?

 もし人が死んでも魂だけは残るとすれば、久保田さんの魂は天界から加害者の少年に対して何を思い何を訴えるだろうか?

 穏やかに、誰にも迷惑をかけず地域社会と調和して暮らしてきた71年の生涯、それを突然謂われなく叩き潰される理不尽さに対する無念を誰に訴えられるというのか?

 天界とこの現世の間を隔絶する透明な厚いガラス体をとおして、天界の久保田さんの魂が、自分を現世から突如謂われなく抹殺しさった少年が、少年審判の法廷で精神鑑定の結果、青年期特有の心神耗弱か何かの理由付けで少年院送り2、3年でチョン!なんて審決を見たら何て思うだろうか?
 
 「私の71年の無辜の生涯の価値は、たったこれほどの木っ端ほどのものだったのか!」と思わず慨嘆し悲憤慷慨の慟哭を誰が聴くのか?

 この犯人を死刑しろ!と言った所で、お人よしで大甘人間でいっぱいの今の日本では、虚しいだけである。
 この少年、当該高校では福祉だか介護だかを学習していたという。だとすれば、せめてもの罪の償いとして、久保田さんの殺された71歳までどこかの施設の一室に閉じ込めて、オムツの洗濯でもさせたらどうか?
 
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

ー追記ー
 昔、山家の隠居の学校時代(今から4、50年前)には、朝、始業時、必ず担任の先生が出席してホームルームの時間があり、そこで大きな社会的な事件などの簡単な説明を受け、それを聞いてワイワイガヤガヤ皆で幼い意見交換をしたように、記憶しています。
 ところで、今は、どうなっているのでしょうか?。中学、高校の学校現場ではこうした少年事件について、どう伝え、どう学習させているのでしょうか?
 それとも臭いものには蓋で、そんなあぶなっかしいものには触らぬ神にたたりなしで、全く外部のメディアまかせに、各自生徒が勝手に受け止めればよしとしているのでしょうか?
 現場の先生方のご意見をお聞きしたいものです。
 前の事件の数日後に同様の殺人事件が平然として起きるとは、学校現場でしかるべき対応が欠けているか不足しているように思うのですが、いかがなものでしょうか?何方様かご教示願えれば幸甚に存じます。



教育基本法より刑法改正が先だ!ーいつまで野放し、少年殺人!ー

2006-04-24 12:54:02 | 時事所感
4月23日(日) 曇り、暖。

 朝、7時45分。腰に鉈を下げ、安全靴を履き集合場所に指定されている山神様の祭ってある山林に向かった。

 集落の外れの登り勾配の舗装道路から細く分岐した山道を入り暫くいくと、新緑の始まった雑木林の数本の大きな赤松の木陰に何人かの人影が見えた。
 ここら辺の人たちは皆律儀である。集合時間より前には来ても遅れてくる人などまずいない。

 十二、三人の顔がそろったところで”触れ”(今日の作業行事のお知らせ)を出した責任者のMさんから簡単な挨拶があった。曰く、「山の神様は、ここに集落のできた昔から、薪をひろったり、落ち葉をかいたり、山菜や茸をとったりとお山の恵に感謝し、お山を清めるために年一回昔から遣っている行事である…」と。

 見れば、正面の四尺四方ほどの井桁に組まれた石柵の中に、漬物石ほどの自然石がご神体として鎮座ましましてる。その前で二拍一礼した。そしてお神酒を戴いて作業開始である。
 全員で、神域らしき2、3十坪ほどに生えている雑木を伐採し、倒木をチェンソーでこま切りして片付け、堆積した落ち葉をかき集め、広場の中ほどにある炉石にくべて燃やす。芳しい煙が流れ赤い炎がぱちぱちとはぜる。
 そう広くもない神域は小一時間もするとたちまち小ざっぱりとした広場に変わった。

 炉辺に、ブルーシートが広げられた。真ん中に重箱が置かれ、漬物、煮物、草もちが並ぶ、湯飲みにたっぷりお神酒が満たされる。
 ご苦労様の小宴である。早春の新緑の林の中でのささやかな共同作業は、人々の心を童心に返すのか、出てくる話は山菜取りから茸とり、山遊びのあれこれと…。

 そして、一人の若いお父さんが連れてきた小学一年生の可愛い女の子に皆の注目が集まり、話題は登下校から昨今の学校の門の開閉の厳しさ、さらには今回の岐阜での少年殺人犯罪に話が及んだ。

 そこで、一致した結論は、罪が余りにも軽すぎるということであった。何故、もっと厳しくできないのかということである。中には、犯人が被害者に遣ったとおりの方法で公開処刑にすべしという意見まで飛び出した。これが一般庶民の常識的な罪刑感覚ではないのか。
 
 山家の隠居はひたすら思う。応報刑思想は野蛮であり、教育刑こそが近代思想であり、人権尊重に適うものであるなどと誰が浅薄にも決めたのかと。

 今回の、岐阜での高一少年は、計画的に殺意をもって、相手の少女を誘い出し殺したと聞く。15歳にもなった県立高校の生徒にとって、殺人が悪いことぐらい、お天道様が東から出て西に沈むと同様自明の理と承知しているだろう。と同時に彼の頭の片隅にあるのは、「どうせ俺はまだ15歳、せいぜいが少年院送りの2、3年も我慢すればすむだろう」ぐらいのこともしっかりインプットされていたことも確かだろう。

 今、教育基本法改正云々で愛国心の高揚・義務付けが議論されている。

 しかし、待ってもらいたい。簡単に人を殺すような風潮が蔓延するなかで、何が「あなたの生まれた国を愛しましょう」だろうか?
 今、緊急にやるべきことは、刑法を改正し、少なくとも殺人罪については、成年、未成年の区別なく「人を殺意を持って殺したら、須らく原則死刑」とすべきではないか。

 そうしない限り、百年、二百待っても少年殺人犯罪が、ますます増えることはあっても減ることはないのではないだろうか?

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

 ―追記―
 こんな静かで爽やかな林の中の里人の談笑の話題に、少年殺人犯罪が飛び出すとは、何と不幸な貧しい世の中になったものだろうか。恐らくじっと黙って我々の話を聞いている山の神様も、はて、どうしたものかと、昔に変わる今の世に思いをはせていらっしゃるのでは…。


「NHKへ物申す!」(その2)ー腐敗・堕落の根源は?-

2006-04-20 16:42:44 | 時事所感
4月20日(木)
 
過日、3月30日“「NHKへ物申す!」―何故、“毎度のお馴染み”ばかりが出てくるのか?-“を投稿したが、その際、言い尽くせないことがあったと思っていたところ、またまた下記の記事をみて忘れていたことを思い出し一言いってみたくなった。
『「受信料払って」と言いながらカラ出張
カラ出張で約1700万円余りを着服して懲戒免職になったNHKスポーツ報道センターの大下哲史元チーフプロデューサー(CP)が、不正をはたらいていた期間に、受信料支払いを求める視聴者宅訪問をしていたことが19日、分かった。04年7月に発覚した制作局チーフプロデューサーによる制作費着服事件により、受信料の支払い拒否、保留者が続出した。その対策としてNHKは番組作りに携わる職員が視聴者宅を訪問する「信頼回復活動」を展開。大下元CPも札幌放送局に勤務していた04年11~12月に10軒を訪問し、頭を下げていた。 NHKの発表では、不正をはたらいていた期間は01年1月から今年4月までの約5年間であることから、大下元CPは「信頼回復を」と訴えながら、着服を繰り返していたことになる。原田豊彦放送総局長はこの日の定例会見で「大変厳しく反省しなければならない」と言い、あらためて組織の立て直しを誓った。                        (日刊スポーツ) - 4月20日9時48分更新 』

 この記事、“「大変厳しく反省しなければならない」と言い、あらためて組織の立て直しを誓った。”を読んでどこまで本気かと改めて聞いてみたいが、どうせ馬の耳に念仏だろう。いや馬のほうがもっと可愛げがある。ここらあたりの牧場へ行くと、馬なら声をかければちゃんと長い顔をこちらに寄せてつぶらな大きな目で「何かご用?。何かおいしいものでもくれるの?」と柵越しに寄って来るからだ。

 これに反して大NHK様は永久に馬耳東風である。先日、またまた聞きたいことがあってNHKのコールセンターに電話した。
 目の上のたんこぶの松平定友氏の年齢を聞いた。昭和19年とのみ簡潔にご回答いただいた。ところでNHKの定年は何歳かと重ねてお尋ね申し上げたところ、ややあってしかるべき部署とご相談の結果か、「60歳です」とのこと。

 だとすれば、松平定友閣下は特別扱いで定年を2年も過ぎても現役扱いで看板番組にご出演の体と拝察、まことに“結構毛だらけ猫灰だらけ”ではある。
 これじゃ今か今かと出る番待ってる現役組はいつになったら出られるのか?

 そして昨晩、またも因果なことにご縁深かきか、偶然「その時歴史は動いた」を視てしまった。この番組どういうコンセプトで”その時”を選んでいるのか全く一貫性がなく”その時”の気分しだいで時空を超越するらしい。

 それでもって昨晩は「ガリレオ・ガリレイーそれでも地球は動いているー」ときた。しかも驚いたことにこの程度の番組のために態々遠くイタリアへご出張なさっての現地学者だかへの1分に足るかたらないかのコメントを取り、ガリレオが眠る教会だかの庭で独り満足げに「それでは皆様今日もその時をごらんいただきありがとうございました」と最敬礼だ。

 これって250回だかのこの番組出演へのご苦労様、慰労海外出張以外の何ものでもないのではと見るのは山家の隠居の卑しい僻み根性だろうか?。
 そして次回は、「本能寺の変―次代のリーダーは誰だ―」と!、これってポスト小泉と小沢へのアテコスリのつもりでか?タイムリー企画との一人よがりか?。

 海外出張といえばこれも何だこりゃあと思ったのは、彼の高名の三宅民夫アナウンサーが世界遺産の紹介番組でアフリカのサハラ砂漠だかの洞窟にエッチラホイサカ大汗かいて、いきなり飛び出してきたのには驚いた。

 何で考古学者でもなくアフリカには縁もゆかりもなさそうな三宅アナが、こんな番組の案内役なんなんだ?と思ったは山家の隠居んの眇めだけだろうか?
 これも日頃、長時間討論番組、不満庶民の味方顔しての司会苦労を労っての慰労海外出張ではないのか?。

 こんなふうに、一部トップのお気に入りアナばかりを優遇処遇するご都合身内意識が、性懲りもなく上記のような不正を許す土壌となっているのではないか?
 大体、1万人近くと聞くNHK職員の内部不正がこんな程度であるはずがなく、こんなのは蚤のフン程度のものがチョットばれただけではないか?。

 職員の出張命令、超過勤務命令簿みんな黙ってノーチェックでホイサカサッサ湯水のようにお金が出ていっているのではないか?。出張旅費でこの有様、ドラマ制作だって、ニュース取材だって時間統制規制は技術的にも事務的にも極めて難しいのではないか?。

 今、問題は外に出ていないが今のNHKの体たらくを見る限り、次は時間外勤務手当て問題が噴出するのではと見るは、山家の隠居の眇めだろうか?。

 このほか、今の大河ドラマでも役者でもない三谷幸喜にお遊び半分、足利将軍役を遣らせたり、NHK、FMでは日曜喫茶室もう30年間も袴みつおに司会やらせっぱなしにしたり、日曜の朝のクラッシック番組では90歳の大先生のしわがれ声をいまだに聞かせたり、情実、身内起用が目に余りはしないか?

 そのためどんな番組もマンネリ化して飽きられ見捨てられ視聴率は落ち、内部は腐敗し視聴料不払い拡大となるのではないか?。
 緊張感の無い組織は、腐敗し堕落するのはソ連だけではないことをしるべきだ。

 今の、NHK、韓国ドラマ、「チャングムの誓い」、渥美寅さん何回放送したら気が済むのか。
 1万人もの秀才、美人を天下に集め挙句のはてがドラマ一つも外部企画を使わなければ、身が持たないとは、一体いかなる仕儀なのか?。
 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

ー追記ー

 本来なら、このようなことは大新聞の投書欄か、NHKへ直接言うべきものでしょうが、大新聞社はご同業のお仲間同士、紙面の制約もありいつ採用されるかの当てもなし、NHKはコールセンターとかで、事項別の”正 ”の字チェックで済まされるが落ちと思えばせめてもここで空吠えしてみるほかは無いのかと…。


山口県光市母子殺害事件ー犯人には鬼畜だ、ためらいなく死刑を!

2006-04-20 14:22:19 | 時事所感
 4月20日(木)夜来の雨、午後ようやく上がる。

 このところ、このブログを開けるたびに驚いている。昨年末、12月10日に投稿した「相次ぐ幼児殺害事件ー犯人には死刑を!」へ、今日になって多数のアクセスをいただいたからである。この記事で触れた山口県光市での本村さん母子殺害事件について最高裁での結審報道に触発されてのことらしい。そしてコメントもいただいた。
 しかし、このコメントにお返事を書くうちに、コメントを寄せていただいた方以外にも再度私の思うところを聞いていただきたく、コメントにお答えする形で再掲してみました。

 コメントありがとうございました。私は加害者が発信したという「マブタチ」への文書を見ておりませんのでこれについては何とも申せません。
 しかし、何かで、加害者が「自分を裁けるものは誰もいない…」というようなことを仲間だかに携帯で伝えたいうような記事はみたように記憶しております。
 これを聞いたときも、一体何を考えている奴なんだと思いました。

 このような輩はどんな親がどんな育て方をしてきたのかと思いました。
 しかし、このような犯罪を犯して平然としていられるのは、もはや遺伝因子そのものに欠陥があったとみるべき何万人に一人かの確率で生まれ出てくる悪魔の子ではないでしょうか?
 だからその親の教育の如何を問うてもどだい無理なことなのかもしれません。

 むしろこうした輩は人間の外見をしたケダモノか異形の化け物とみなして、人間扱いすべきではないのではと私は考えます。
 故に、こんな輩を教育更生させようなんておこがましいことを考えるべきではないのです。
 速やかにこの人間社会からは追放すべきなのです。

 昨日も、TVのスパモニだかでコメンテーターとして出ていた弁護士と称する先生が、先進国で死刑制度を残しているのは日本と中国ぐらいだというようなことを言っていました。そして、またしても日本での量刑の判断基準が、一人なら無期、三人以上は死刑、二人の場合は無期と死刑にそのケースによって分かれると…

 こんなひとを馬鹿にした話があるでしょうか?同じ人間の命の重さに軽重をつけるなど誰に許されてのことでしょうか?。同じ人間である裁判官にいつそんな権限を裁量を私たち国民は委ねたのでしょうか?。全く冗談じゃあありません。

 「死刑廃止が先進国の趨勢…」何故、こんなことで先進国でなくてはいけないのでしょうか?。先進国、先進国なんて言ったてついこの間まで、それこそ理非曲直もなく世界中で植民地支配を行い、無辜の人民を幾億と殺し、収奪したその結果今日の生活水準を維持して口を拭っている輩ではありませんか?。

 そんな輩のやることを何でも有り難がってあとからくっついていこうとする一見お利巧そうな面をした学者、識者面には反吐がでそうになります。

 私は中国共産党国家の強権支配には断固、嫌悪を感じるものですが、彼の国の連中の自分たちの特権は棚に上げての、すまし顔での犯罪者への断固とした迅速な処断振りだけは評価を惜しみません。もっともこれは巧妙な政権への国民の不満を逸らす巧妙な国民操縦の道具として使っているのかもしれませんが。

 とにかく、死刑の残虐性を云々するなら白昼堂々問答無用で宣戦布告もせずに無辜の民衆を巻き添えにすることがわかりきっているイラク戦争のような国家犯罪を先進国がよってたかって行っているのを、何故、識者と称する輩は身体を張ってでも弾劾しないのでしょうか?。まやかしの見せ掛けだけの人道主義もどきを無批判に盲従する似非学者・識者は生まれなおしてきてもらいたいものです。

 これに反して、自己の欲望の赴くまま、可愛いあかちゃんを抱く母親を強姦し、その母のそばへ何もわからず泣いて這いよるあかちゃんを無惨にくびり殺してしまうような鬼畜をどうして死刑にしてはいけないのだろうか?。
 どうしてこんな奴をこれから先、100歳か200歳(悪い奴ほど良く眠る…)までも被害者の本村洋さんも納めている税金で、後生大事に刑務所で食べさせ面倒みて生かしていかなければならないのだろうか?。

 それでなくても真面目に働いても低賃金で短期契約でいつ首を切られるか分からない生活の不安を日々抱えている同胞が幾百万といるというのに、何故我々はお人よしにも仏様面して、こんな異形の鬼畜を扶養していかなければならないのでしょうか?
 どうか、物分りのいい識者法律家大先生には、このもの分かりの悪い頑固の山家の隠居にも、なおよく納得のいくよう説き聞かせていただければと伏してお願い申し上げます。

 それにしても、記者会見でもたった一人で誰一人介添え人のいないなかで自らの信念を思いを堂々と毅然として発言されている本村洋氏の「犯人に極刑が下るまで自分には何ごとも始まらない」との言葉には深く感動しました。

 この真摯な被害者の唯一の遺族の慟哭の言葉をも、死刑廃止論をお利巧げに開陳して止まない先進国崇拝病患者の識者・学者先生は野蛮人の戯言と冷笑しあざ笑い捨てるのでしょうか?

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

「辛夷(こぶし)の花、山口瞳、男性自身、週刊新潮」―夜半の徒然―

2006-04-18 01:22:44 | 田舎暮らし賛歌
 4月17日 (月) 快晴、暖。

 今年の春はどうしたわけか庭の辛夷が花をつけない。実は昨年暮れから気にはなっていた。例年なら寒さが厳しくなるにつれ、枝先にふっくらとした小さな鷹の爪のような花芽がいっぱい出るのにこの冬はいっこうにその気配がなかった。

 そう言えばなんか変だなと感じたことを思い出した。それは秋口に奇妙な葡萄の実がくっ付き合ったようなぶつぶつした房状のものをたくさん付けた。あれは辛夷の花の実だったのだろうか?。
 とにかく今年花が咲かないのはあの実のようなもの出現に何か関係があるのだろう。
 辛夷の花が見られない春は何か一味物足りない気分だ。

 辛夷は孤高の花木だ。日当たりの良い里山の雑木林にひっそりと一木、小さな白い蓮の蕾のような花を一杯につける。その花の白さは、純白というのではなく、淡い黄みを帯びたとでもいうか、暖かみのある色合いがとてもいい。

 私は、ここに家を建てたとき、まっ先に辛夷の苗木を一本買ってきて植えた。それは、我が家を建てるために切開いた雑木林への罪滅ぼしの気持ちからだった。ゆくゆくはここで大木となって、その頃には、私はもうこの世に確実に居ないであろうが、周囲に残る雑木と一体となって、毎春白い花を一杯咲かせてくれたらどんなに良い風情だろうと想像してみた。

 そして辛夷といえば、“山口瞳”を思い出す。週刊新潮に連載していた「男性自身」のいつかの号で、辛夷のことを、まるで初恋の女性を恋するような筆致で丁寧に書いていた。一際、心に残るいい文章だった。山口瞳も辛夷が大好きだったのだ。

 山口瞳の男性自身、それが毎週楽しみで、週刊新潮を買い続けた。谷内六郎の表紙も楽しかった。山本夏彦の写真時評も小気味良い文章だった。そのどれもが一つずつ消えていった。
 それからの週刊新潮はつまらなくなった。いつか買ってまで読むのを止めてしまった。

 水上勉も亡くなってしまった。司馬遼太郎も亡くなってしまった。司馬遼太郎はまだところどころでその名を目にするが、山口瞳、水上勉の名を目にすることは滅多になくなった。人は亡くなると有名、無名を問わずすぐ忘れられてしまうのだ。

 村上春樹や吉本ばななには全く関心が湧かない。困ったことである。寂しいことである。自分たちが長年親しんできた同時代の作家たちが亡くなってしまうということは、自分の内の何かが欠けて行くような朽ちていくような気分になる。

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

 ここで短歌もどき一首

 「目覚めれば 月影乱す 松風に よしなしことを 思う夜半かな」
                         ― 蛾遊庵山人―


ライブドア株、転落の軌跡哀歌ー死屍累々の崖の下!ー

2006-04-14 23:27:55 | 時事所感
 4月14日(金)晴れ後曇り、暖かい春の一日。



 昨日、4月13日(木) ライブドア株が上場廃止になった。終値、94円。今の思いは複雑である。昨年、8月、郵政解散、ホリエモン刺客立候補、それからのこの間のライブドアの株価の値動き、まさに転落の軌跡ではないか。その断崖絶壁の奈落の底に、藁をもすがる思いの幾万の慟哭が聞えてはきはしないか?。

 この軌跡を描いたライブドアを巡っての主な動きと、それに対応した株価を摘記してみた。
 
 8月8日(月) 郵政法案参院否決 456円
 8月19日(金) ホリエモン立候補? 496円
 9月12日(月) ホリエモン次点、自民圧勝 481円
 11月8日(火) 447円、これ以降一気に高値に向かう。セシール買収思惑。
 12月6日(火) 経団連入会好感。12月7日 高値646円
 12月26日(月)弥生買収好感?高値:794円
 1月16日(月) 終値:704円 16時?NHKライブドア強制捜査報道。
 1月17日(水)ストップ安:596円、16日18時頃か?夜、東京地検強制捜査。
 1月18日(木) 取引一時休止、以降19、20、23、24日、連日ストップ安
   23日(月)ホリエモン逮捕
 1月25日(水) 漸く値が付く始値:155円、終値:137円
 2月14日(火) 最安値:55円
 3月10日(金)上場廃止決定、<山家の隠居損切り売却@67円* 000株、嗚呼!>
 3月24日(金)USEN業務提携発表後やや持ち直す。最高値:128円
 
 僅か半年少し前、天下の自民党、イエスマン大幹事長閣下並びに竹中平蔵ポチイチロー大宰相閣下大参謀大臣閣下のお墨付きのライブドア株、はたまた年の暮れには、経団連奥田世界のトヨタ大会長閣下の経団連加入プレゼント極め付きの大銘柄ライブドア株、
そんな優等生銘柄株が、年明け早々松も取れたか取れぬまに、証取法違反容疑で一網打尽とは理不尽な!。これぞ国策捜査ではなく国策詐欺ではないだろうか?。
 後世、日本証券市場のお粗末語り草は必定と思うがいかに?。

 鳴り物入りの強制捜査、ホリエモンに続く大物大看板役者の続々登場今やお遅しと待ちぬれど、そよとも舞台の袖上がる気配も無いとはこれいかに?。
 見当違いのメール騒ぎで、どこへ掻き消えたのか、隠したか?。

 まさか、こんなことではすまされめーなー?。霞ヶ関の旦那様方よ。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

 ーここで駄句一句ー

    「花冷えに 濡れて唄うは 惹かれ者」 蛾遊庵山人 

フジモリ氏、再婚相手、革命決起、武士道再生!とはいかに?

2006-04-10 17:01:24 | 時事所感
 4月10日(月) 朝から雨、肌寒い一日である。
 
 何気なくヤフーのニュースのページを開いたら、下記のニュースが目に止まった。フジモリ元ペルー大統領、何かと話題を呼ぶ方である。日本へ亡命来日の際、曽野綾子氏が一時匿われていたのが記憶に残る。

 これまで報じられているところからは、経済的にも政治的にも混乱するペルーに彗星のごとく現れて劇的に国家を再建したが、この間、片腕に重用した側近の悪行がばれて、失脚し、今、再起をかけての行動中ときく。

 『フジモリ元大統領が婚姻届 拘束下、日本人実業家と
  
 南米チリで拘束されているペルーのフジモリ元大統領(67)と東京都内でホテルを経営する片岡都美(かたおか・さとみ)さんの婚姻届を、双方の代理人が6日未明、都内で提出した。
 
 フジモリ氏は代理人を通じて「人生最高の日」との談話を寄せた。片岡さんは共同通信に対し「ペルーを訪れてフジモリ氏の支持者を目の当たりにし心を打たれた。命を懸けて彼を守るつもりだ」と語った。片岡さんは3月11日、リマでの支持者の集会に参加し、フジモリ氏と結婚すると表明していた。
 フジモリ氏は今月9日のペルー大統領選への出馬を目指し昨年11月に日本を極秘出国しチリに入国。立候補は認められず、現在、チリ最高裁でペルーへの身柄引き渡しの可否をめぐる司法審理を受けている。(共同)
(共同通信) - 4月6日8時29分更新 』

そのフジモリ氏の再婚相手はどんな方かと思って、リンク先がでていた片岡都美さんのページに飛んで驚いた。

『さくらサクラ   愛と革命  革命は女性から 』とある。そして下記のようなスローガンが目に飛び込んだ。

 ・今の日本に必要なのは「天誅」である。
 ・戦後に仕掛けられた「個人主義」を打破せよ!
 ・今や日本は一億総低俗商人の国と成り下がってしまった。
 ・明治初期の頃まで日本人には「気品」があった。
 ・武士の消滅と同時に日本人の「品性」の凋落は始まった。
 ・「公のために尽くす」ことは悪ではない!
 ・日本が誇るべきものは経済や技術ではない!
 ・世界が凝羨む日本の精神的美徳。
 ・至誠の行動に神の加護は宿る。
 ・武士道精神を発揮し新生日本の礎を築こう!
 ・政界、官界、経済界、学会で指導的立場にいた人間は全員、日本を破滅的
 --状況に追い込んだ連帯責任として、問答無用で全員投獄し、強制労働させよ!

何とも、勇ましいというか、過激なというかエキセントリックな方のようである。

と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

「小沢民主党新代表さん!」-少しは、外野を、ながーく、楽しませてね!-

2006-04-08 19:57:02 | 時事所感
 4月8日(土)曇り、時々小雨、暖、風強し。

 今夕、民主党の新執行部が決まった。何のことは無い。前原オッチョコチョイ、イケメン?に役者替わって、小沢ブルドック仏頂面と菅お遍路爺さんが、ガタピシ、ゆるゆる二人三脚でご登場になっただけだった。これでお役ご免の筈のお花畑黄門様もまだ暫くは出ずっぱりのご苦労様である。

 ところで、昨日のTV中継、暖かさに誘われて金魚鉢の水換えしている間に、菅氏の演説は聞き漏らしたが、小沢ブルドック氏のは完全フォロー、期待を裏切られるいいできに感じた。これはいくぞー、130対60か、120対70位はと読んでみたら、119対72だった。
 誰でも同じことを考えるようだ。

 この開票状況を見つめる両代表候補者の表情のアップがなかなかの見ものだった。菅氏は時々首を伸ばして演壇の方をキョロキョロと、何かさもしげに、そこらに一枚こぼれはしないかといったふうの不安げに見えた。
 対する、小沢ブルドック氏は、泰然自若、ぐっと腕組みただただ瞑想。これからして勝負あったに見えたは私だけだろうか?。開票結果の際も、全員が拍手するなか、もともと肌が白いのか、他の人たちの赤ら顔の中で。独り青白さが目立って見えた。

 まあ、そんなことはともかく、小沢氏の演説中、最後のくだり映画「山猫」の話が出たのはびっくりした。つい先日NHK、BS2で放映されたのを視たばっかりだったからだ。なかなかの小味であった。一言ひとことこれまでの自分に言ってきかせるよな頷きもよかった。

 お花畑黄門様も小沢氏との37年間の付き合いで、彼からこんな真剣な演説聞いたこと無いとにっこりお褒めの言葉をのたまわっていた。

 しかし、山家の隠居、もううっかりは、だまされるもんかと褌締めなおした。昨年、前原演説聞いたときも目頭押さえて感動して、「よし、頑張れや、お若いの!」とかけた一声消えぬまに、もうご退場のお粗末さにはこりごりだ。

 だから、ここは一つ最後の晴れ舞台、少しは我らお客が、がっかりしないよう、今や古今の大看板役者気取りのブッシュ・ポチイチロー閣下や、小狸・イエスマン・ピエロ大幹事長があわや奈落へと、スッテンコロリン、タタラ踏ませるぐらいの、おひねりの一つ二つも飛ばしたくなるような、いいお芝居をみせてもらいたいものと、切に願っては見る次第。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

 ここで、駄句をお一つ

  ― 春嵐 幾日もつや 姥(うば)桜―  蛾遊庵山人