蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

これは、愉快なニュースだなー!“酒席の暴言で降格は適法 「節度必要」と札幌高裁”

2007-01-31 01:31:22 | 時事所感
1月30日(火)快晴。暖かな一日。

  徒然(ツレヅレ)なるまま、PCの画面をクリックしていたら、こんな記事が目に飛び込んできた。

『酒席の暴言で降格は適法 「節度必要」と札幌高裁
 
 酒席で上司を批判したことで管理職から4階級降格となった処分が適法かが争われた裁判で、降格された北海道滝川市の空知土地改良区元総務部長の男性(58)が30日までに、逆転敗訴を言い渡した札幌高裁判決を不服として上告した。1審判決は「降格は裁量権の逸脱」として地位確認を求めた元部長の請求を認めたが、2審で札幌高裁は「管理職は酒席でも節度ある言動が必要」として、1審判決を取り消していた。
 今月19日の高裁判決によると、男性は総務部長だった2004年7月と8月、職場の懇親会で上司の理事らに「あんたは世間からどうにもならんやつだと言われている」「おまえなんか理事を辞めろ」などと発言。同年12月、管理係長への4階級降格処分を受けた。(共同) (2007年01月30日 16時47分)』

  このニュース、このところ、兄が妹を殺して、妻が夫を殺してバラバラにしただのと、血なまぐさい事件が続く中で、何だかこれは、4駒漫画のような、可愛いような愉快なニュースではないだろうか。

  ところで、このニュース、これ以上詳しいことは知る由もないので、想像するしかないのだが、実にあれこれと想像させて楽しませてくれる記事である。

  先ずもって、組織に身を置いたことのある人間なら、誰でも、これに似た場面には、一度や二度は、お目にかかったこともあるだろう。

  そして、そんな修羅場の脇にいれば、「まあ、まあ、そのへんでやめとけよ…」くらいのことは言ってみつつ、分けて入る…、といった経験の一つや二つあったのではなかろうか。

  或いはまた、誰にだって、時には、このように思い切りよく気に入らない上司につっかかってみたいと思った覚えは、何度かあるのではないだろうか。

  さて、この判決、一審と二審で全く反対である。これが面白い。

  私は、結論から言えば、一審判決が、原告には多少甘くはあるものの妥当なところはないかと思う。

  これに反して、二審判決は、上級審裁判官にしては、少々冷静さを欠いているのではないかとさえ思えてくる。

  こんな判決の出る背景には、地裁と高裁の裁判官の年齢構成のしからしむるところ、あるいはそれぞれが育った時代の空気が反映しているのではないだろうか。
 
  地裁の裁判官さん達のお育ちになったころは、学校時代にあっては先生を先生とも思わず、組織に入っても、上司、先輩をそれほどのものとも思わない権威否定の空気を、大いにお吸いになってお育ちになったのではないだろうか。

  それに反して、高裁の裁判官様のお育ちになったお年頃は、先生は先生、上司、先輩は神のごとく…と、言うのは大げさにしても、権威尊重の時代背景の中だったのではなかろうか。

  ところで、この原告の元総務部長氏、正直すぎるのか、酒癖が悪いのか、計算ができないのか、一体どういうお方なのだろうか。

  この方、別の記事によると、こうしたことがこれで二度目だとか。
  そこで上の方としては、堪忍袋の緒が切れたといったような訳らしい。

  しかし、それならそれで、なんで、そんな子供っぽい御仁を、何事でも「まあ、まあ…」と、納めるのが本務の筈の組織の要の総務部長などに抜擢したのだろうか。
 やっぱり、酒癖は少々悪くても仕事熱心、能力抜群だったのではないだろうか。

  が、そのような人格の方に、そこはかとないシンパシイを感じる山家の隠居としては、興味津々である。

  明日あたりは、また物珍し好きの朝スパあたりが、北海道まですっ飛んでお行きになり、こんな隠居の好奇心を満足させてくれるだろうかと思うと、今から楽しみなことである。

  さて、上告の結果を占えば、最高裁の裁判官のお歴々のお歳かっこうから見て、先ずはお気の毒ながら、勝ち目があるとは思えないのだが…。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。


”ライブドア・ショック”にやられた!―嗚呼!あれから早1年が…―

2007-01-30 01:28:39 | 時事所感
 1月29日(月)晴れ。小春日和の一日。

  先週末、1月26日(金)に、ライブドア元社長、堀江モン氏の最終弁論があった。彼は、泣いて自分の無罪を主張したそうだ。判決は、3月16日とか。

  こう聞いても、今の私には、堀江モン氏に、さほどの思いもない。
  昨年の強制捜査に続く逮捕、株価の急落。しかも当のライブドア株だけならともかく、新興市場全部が津波に呑まれたような暴落…。そのショックで下がった株は、今もほとんどそのままだ。
 お陰で、自業自得とはいうものの、確定申告を前に各証券会社から送られてくる、損益計算書。見るたびに今更ながら、傷の深さを思い知らされ、せっかく忘れかけていた自分の欲呆けとん馬の愚かさを、再確認させられる不愉快さはたまらない。

 とはいうものの不思議と、当の堀江モン氏に対しては、ほとんど憎しみとか彼を非難する気は湧いてこない。
 彼のライブドア社がいかがわしいことぐらいは、それまでの様々な報道で、何となく十分承知のうえだったからだ。
それを、承知の上で、私を含め多くの欲張りにとって、ライブドア株が、ピョンピョン、ヒョコヒョコ値動き激しく、そのリズムを上手く捉えると、そこそこの利食いができておもしろかったからではないか。
 そんな会社の株が、白昼堂々と取引許されているのは、日本政府のお墨付きがあってのことではないかと、今になって言ってみたところで、泣きっ面の蜂をつまんでみるようなものだろうか。

 それよりも憎むべきは、信用ならないのは、時の自民党政府の無責任さ加減である。
 直前まで、時代の旗手、寵児よと、小泉首相はもとより、武部大幹事長をはじめ竹中大臣まで手とり足取り頬すり寄せて煽てあげ、全国民の皆様にご推奨しておきながら、その温みもさめやらぬ間に、いきなりある朝突然、逮捕とは、これいかにだ!
 ホリエモン氏が涙ながらに、その理不尽さ、まやかしに載せられた悔しさを、一世一代の大芝居ながらに、訴えてみせるわけである。
 
 ところがどっこい馬の骨、薄らトンカチ、お坊ちゃまおめでたメディアは、この疑獄というか平成政治史上最大とも思われるスキャンダルを、真正面から追求する姿勢も熱意も少しも感じられないというのはどういうわけだろう。
最早、わが国には、社会悪の奥に潜む真実を追究しょうというジャーナリスト魂は、皆無になったのかと叫んでみたい。

 それは、昨年末、12月10日付けの朝日新聞は、“現場発”と題された、
『元特捜弁護士―「燃え尽き」家族の支えで再起』なる囲み記事を見て思った。

 この記事によれば、軽くは見過ごしにできない重大な事実が明らかにされている。

 記事には、こうあった。
『「燃え尽きました」8カ月前、そんな言葉を残して退官した元特捜検事が、弁護士として新たな道を歩み出した。北島孝久さん(50)…転機は1月に訪れた。特捜部が強制捜査に乗りだしたライブドアグループの証券取引違反事件。
そのとき、副部長として現場をまとめていた。
しかし、捜査は思わぬ事態に見舞われる。強制捜査の着手前に流された不確かな報道。それにより捜査手順の変更を余儀なくされた結果、株価暴落や東京証券取引所の取引停止など、株式市場に与えた大きな影響…。
「組織内で北島さんの責任を問う声を耳にした」と当時の部下は振り返る。「一人の責任を問う話じゃなかったのに」…』と。

 こんな重大な事実が、今日に至る、真剣に追及されないということはどういうことだ!。
何故、この記事を見て、野党は揃いも揃って、国会で、政府、自民党、検察庁を追及しようとしないのだろうか。
 朝日新聞自体が、まるでどこか外国のできごとみたいに、こんな重大な経緯を、見逃して平気でいるのが不思議ではないか。

 この記事を、読むかぎりでは、検察幹部が、何らかの意図があって、若しくは時の政府の中枢のどこかの誰かに、何らかの重大な政治的意図があって、それは、少々の株式市場の混乱などには代えられないほどの、一方の陣営に政治的利益をもたらす何かがあって、敢えてリークし、足元の捜査をぶち壊しにしたのではないかと、下司の勘ぐりせざるを得ないのだが…。それともそれは、山家の隠居の呆け妄想とお笑い捨てなさるか…。
 
 私には、未だにこの事の方が、よほど悔しく許せない思いでいっぱいである。
 この事件の闇がもたらす日本社会の損失は、わたしのたかだかのなけなしの葬式費用が吹き飛んだ以上のものだと思うのだが…。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

ー追記ー
 私の拙いブログの中で、一年前、書いた一連のライブドア・ショクに関する記事を、日日、未だに読んでくださる方がいられる。いかにこの事件について、多くの方の関心があるのだなと実感させられている。


「ロシア 新“罪と罰”~追跡 警察と司法の腐敗~」を視る。何と恐ろしい国だ!

2007-01-28 13:16:39 | 時事所感
1月27日(土)晴れ。暖。

  朝、何気にTVのチャンネルを回していたら、面白そうな番組にであった。

 BS1,10時10分から55分まで。BS世界のドキュメンタリー「ロシア 新“罪と罰”~追跡 警察と司法の腐敗~」である。

 NHKの番組紹介によれば、『ロシアでは、警察や司法機関の腐敗によって犯罪組織が野放しにされる一方で、ささいな罪を犯した一般市民が重い禁固刑を科せられている。番組は、食料品を盗んだ罪で5年8か月服役した女性が、刑期を終えて直面する厳しい現実を追う。』とあった。

  画面は、冬の殺風景な刑務所の鉄の扉が開くところから始まった。獄舎の前庭らしきところに無秩序に様々な格好の女囚が立ち並ばされて、看守から点呼を受けていた。囚人服がないのか、私服のようである。その一事から見ても、なかでの取り扱いのひどさが想像されるようだった。

  そして一人の50過ぎに見える女性が、アップで映し出された。彼女は、5、6個の缶詰か何かを盗んで5年8ヶ月の刑を終え、今、外へ出されるのだ。大きな安っぽいスーツケース二つを両手にさげて刑務所の外に出される。一面の雪野原である。バス停まで歩く。しかし彼女は一文なしだという。刑務所で8時間働いて受け取る報奨金は全部食料費に消えてしまったのだ。

 それでも通りかかった農婦が自分の馬が引く荷車に乗せてくれた。途中で降りてそこから2キロの雪道を歩いて漸く我が家にたどり着く。何年も空き家となっていた家には、誰かが家具を持ち出し、がらんどうの物置同然である。しかも何者かが居ついて暮らしていたらしく酒瓶やたばこの吸殻がちらかっている。呆然とする彼女。どうやって暮らしていくのだろうか。そこで画面は変わった。

  モスクワ市街の路傍にたむろする男たち、二人一組の警官が巡回してくる。警官は男たちに居住登録書の提示を求める。モスクワでは地方からやってくる人は、これをもっていないと、滞在することができないことになっているとか。携帯していないと直ちに連行されるのだ。ところが100ルーブル(約400円)の賄賂を渡すと見逃してくれるという。
  モスクワ市警の警察官の給料は、5000ルーブル、1万ルーブルないと普通に暮らしていけないそうだ。だから賄賂は生活費の一部というわけである。

  警察官の勤務時間は、12時間、残業代はなし。二人一組で10人の犯罪者を捕まえてくるのがノルマ。
 このきつい勤務のために、彼らは少しでも条件のいい仕事があれば辞めていくそうだ。残るのは、ますます悪い警察官ということになるのだ。

  この、ノルマがあるため、かたっぱしからどんな微罪でもでっちあげて捕まえていくとか。
 17歳の少年が、コーラ7本盗んで有罪。日本の家庭裁判所の裁判官が聞いたら憤死しかねないのではなかろうか。検挙件数をあげるため女性、青少年、貧しい人がターゲットにされるそうだ。こうして10万人の女性が刑務所に入れられているという。
  悪名高いスターリン時代でさえも、起訴されて無罪となるものが10%もあったのに、現在は0.8%だという。
  しかも、裁判では、検事が弁護士を買収して、被告の有利になるような弁護をしないとか。

  袋の底に拳銃や弾薬を隠し、その上に雑貨を入れた袋を、街角のホームレスに、「これちょっと、見ててくれ」と言い置いて、自分は立ち去り、別の警官が来て、そのホームレスを職務質問して調べ、武器所持で逮捕する。
  拘置所では巧妙に拷問が行われ、自白を強要する。
  
  新聞にはマフィアの大物を武器所持で逮捕したとでかでかとのる。仕掛けた警官たちはそれで出世していく。

  真面目な検察官が3年も内偵を進めて、家具の密貿易を大々的にやっていたブローカー一味を逮捕し裁判にかけようとする。密貿易者は、治安機関の上層部に賄賂を渡し、逆に当の検察官を職権乱用で逮捕、裁判にかけ免職にしてしまう。

  裁判官にも上から圧力がかかる。抵抗すれば、左遷か免職。そうして免職させられた元裁判官が、復職のための裁判を起こしても、その裁判をするのは元の同僚たちなのだ。
  今のロシアの裁判の判断基準は、金と権力だそうだ。  

  そしてロシアの治安機関は金(賄賂)次第でどうにでもなるという。っその治安機関の長の夫は、プーチン大統領の側近だという。今のロシアでマフィアや、高級官僚はまず刑務所に入ることはないそうだ。金を渡して済ますからである。
  そんな中で、全国の治安機関幹部を集めて、自白に頼ってはいけないというような奇麗事の演説をするプーチン大統領の何としらじらしくみえることか。

  最後に、画面は冒頭の女性に戻り、自分の服役中に、農場主の子豚を二頭盗んだだけで4年の刑期に服している夫の面会にでかけるところを写した。
月3000円足らずの年金を受給するために、何度も役所に足を運ぶ彼女。
  しかし、ロシアでも前科者には冷たい。近所の畑で野菜がなくなると、彼女に疑いがかかる。そんな生活の中で、漸く近所で工面した僅かなお金でささやかな差し入れを用意して、夫に会いに行く。皺だらけの初老の無表情の夫。
  彼とは、再婚だという。暴力を振るわないのがいい、出所したら、二人で野菜を作り、子豚を飼うのが夢だと語った。
  その声の先を、妻との面会を終えた夫が、鉄条網に囲われた中庭を獄舎の方へと立ち去った。

  驚いた。我が国では考えられないような、無法が白昼堂々と、まかりとおっているらしい。それにしても、反面、このような自国の恥部とも言うべき実態を、ロシア政府はよく撮らしたものである。
  そのいきさつもドラマとなるのではないだろうか。

  とは言え、外国が撮った一本のドキュメンタリーを見ただけで、こうなんだと決め付けるのは、問題だろう。
  
  しかし、過日、プーチン政権に批判的な元諜報機関関係者を放射線物質を使って殺害するなんて事件を聞けば、さもありなんとも思わされる。

  こんな国家であればこそ、先般の日本漁船員をいきなり射殺してしまうようなことを平気でするわけだろうか。
  こんな政権を相手に、北方領土返還交渉なんて、とてもまともにできる相手ではないとさえ思えてくる。

■追記:上記、元諜報機関関係者の殺害事件について、下記記事が出ていた。

 『ロシアが国家的関与=元情報員暗殺で英当局-米TV
1月27日23時0分配信 時事通信

 ロシアの情報機関、連邦保安局(FSB)の元スパイ、アレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質ポロニウム210を盛られ、ロンドンで暗殺された事件について、米ABCテレビ(電子版)は27日までに、FSBが中心となって起こし、ロシア政府が国家的に関与していたと報じた。
 同テレビによると、英当局がこれまでの捜査から、このような結論に達した。FSBは、リトビネンコ氏に毒物を複数回盛らざるを得なくなったため、暗殺作戦はしくじったとみているという。また、ロシア当局は当初、暗殺に用いた毒物が何であるかが発覚することはないと予測していたと英当局は分析している。』 


    

学校給食費、未納問題の解決は、無償にすべきだ!

2007-01-28 09:41:27 | 時事所感
1月24日(水)曇り後晴れ。暖かい一日。

 夜、7時のNHKニュース、冒頭で17年度の学校給食費の未納が、全国で児童・生徒98,993人、総額約、22億3千万円になったと報じた。
 これは、全国の児童生徒数の1%にあたり、給食費全体に占める割合では0.5%だという。

 私の印象では、「最近、学校給食費の未納が多くなった。払えるのに払わない親がいる。…問題だ。」と聞いていた割には、そんなでもないじゃないかという思いである。
 100人に1人なら、昔からそう変わらないのではないか…。

 難しいことは知らないが、どんなものごとでも5%ぐらいは、統計誤差、或いは許容範囲に入ると聞いたことがあるような気がする。
 企業経理だって、売り上げの5%ぐらいは、未収金覚悟ではないのか。或いは、銀行だってそのぐらいは貸し倒れ引当金として、最初から計算にいれているのではないか。

 それを、学校給食費となると、何故、これぐらいの数字で、何だか大問題になるのだろうか。不思議である。
 松坂選手の契約金が60億とか聞くときに、たかが全国で22億円ぐらいのことで大騒ぎすることがあるだろうか。

 話を飛躍させれば、難しい試験を合格したお役人が、我ら国民のためにと、様々なお仕事をしていただく中で、お遣いになった16年度、国家予算、決算において、会計検査院が不適正な執行と指摘している額が約936億円だとある。

 これだって、約80兆円だかの国家予算を全て洗ったわけではない。936億円なんて氷山の一角でしかないだろう、その隠れた実態は、優に1兆円をこえるのではないか。

 これに比べれば、22億円なんて可愛いものではないだろうか。児童生徒の親は、国民各層の縮図である。様々な考えのかたや行動様式の方々のごちゃまぜである。
 それらの人々を相手に100点満点の結果を求める方がどだい、無理というものではないだろうか。

 ところで、この問題で一番可愛そうなのは、給食費を学校に持って行けない一人一人子供ではないか。
 当の子供は持っていきたくても、自分で収入のある子なんていないだろう。学校へ行くぐらいの児童生徒なら、この世でただでもらえるものなんて何一つないぐらい、十分わかっているだろう。

 教室で、担任の先生が、「給食費持ってきた人は、先生に出してください。」と言われて「はーい」と皆が一斉に教壇へ駆け寄るとき、毎月のように持っていけない子はどんな気持ちで、この瞬間をやりすごすのだろうか。

 そして、それでも皆と同じように給食を食べなければならない子供にとって、その毎日の“給食の味”はどんなだろか。
 恐らくは、どんな美味しそうなメニューでも、瓦礫を食べている思いではないだろうか。
 次代を担う子供に、たとえそれが100人に一人にしろ、こんな思いをさせて、何が食育であり教育だろうか。

 勿論、我が子がこんな思いをしているとも想像できない親は論外である。
 だが、そんな親を弾劾してみたところで、当の子供をこの給食地獄から救うことになるだろうか。

 憲法26条2項には、「義務教育は、これを無償とする。」とあるではないか。
だったら、公立小中学校の給食費ぐらいは、無償で当然ではないのか。
 そのぐらいの財源は、上記の会計検査院の検査結果をみれば、まさか無いとは言えない筈ではないか。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがおおもいでしょうか。

<参考>
ーNHKニュースよりー

『給食費未払い 22億円超える
文部科学省は昨年度・平成17年度の給食費の支払い状況について、各地の教育委員会を通じて給食を実施しているすべての小中学校およそ3万2000校を対象に初めて調査しました。それによりますと、未払いの児童生徒の数は全国で1%にあたる9万8993人で、未払いの総額はおよそ22億3000万円、給食費全体に占める割合は0.5%でした。これを都道府県別に見ますと、沖縄県が3.8%と最も多く、次いで北海道が1.4%、宮城県が1.1%などとなっています。また、未払いがここ数年で増えたかどうか聞いたところ、「増えた」と答えたのは49%と2校に1校に上り、理由については▽保護者としての責任感や規範意識の低下が60%と最も多く、▽保護者の経済的な問題も33%に上っています。未払いが増えている学校では、▽材料費を切り詰めて給食を作るところや▽事務費などほかの予算から足りない分を補てんするところもあるということです。また、未払いの保護者が多い学校や自治体では給食費を集めるため徴収業務にあたる専門チームを作ったり、何度督促しても応じない場合には法的措置をとったりするなど、さまざまな取り組みを始めています。このうち宇都宮市では、平成13年からおととしまでの5年間に、3か月以上給食費を滞納している児童・生徒の数は500人以上に上り、未払いとなっている給食費の総額は2600万円余りに上っています。去年9月には給食費を滞納している40人の保護者に対し支払い督促の申し立てを行い、支払いの意思がない保護者に対しては銀行口座などの差し押さえも検討することにしています。宇都宮市教育委員会学校健康課の倉田明男課長は「保護者の間に『払わなくても大丈夫』という意識が広がりつつあると感じている。教育委員会としては法的措置も辞さない姿勢なので保護者はもう一度考えてほしい」と話しています。文部科学省では、一部の保護者の未払いがほかの保護者の不公平感を招くことのないよう学校と教育委員会が連携して未払いの解消に向けて取り組むよう求めています。』

『東京の水っておいしいです』!、嬉しい”声”だ。しかし…

2007-01-26 14:15:53 | 日常雑感
 1月26日(金)晴れ。-2~?

 今朝、新聞を開いて何気なく“声”欄に目をおとしたら、最下段に 『東京の水っておいしいです』との題字に目が止まった。

 22日付け、「天声人語」で「都会の水は清潔ではあっても、あまりにまずくなった」と書かれていたことへの、異議申し立てであった。

 長く東京の水道に関わってきた者の一人にとっては、嬉しい投書であった。
東京新宿区にお住まいの71歳の松木さんとおっしゃるこの方は、次のようにお書きになっていた。

 『…確かに東京では、水道水のまずい時代が長く続いた。かび臭い、タマネギの味がする、カルキのにおいが強いなどと悪評紛々だった。私もペットボトル入りの水を買ったことがある。だが今は違う。水道水ははっきりとよくなった。…』と。
そして末尾を『あのまずかった水道水をここまで改良するためには、多くの関係者の地道な努力があったに違いない。国土の恵に感謝すると共に、その方々の働きにも敬意を払いながら、水道水を味わっていきたいと思う。』と締めくくってあった。

 東京の水道水について、これほどの賛辞を私は目にしたことがなかった。胸が熱くなった。今、国や地方の行政機関のやっていることは、ことごとくといっていいほど、その怠慢や不祥事が毎日のように指弾されて跡をたたない。
そんな中で、幸いにも東京都水道局に関しての不祥事や悪評は耳目にすることなくすぎている。

 反対に、天声人語氏は、その発言の影響力の大きさをどのくらい自覚なさっているのかどうかは知らないが、築地の立派な本社ビルの貯水槽を経た水道水でなく、ご近所のしもた屋の本管直結の蛇口の水をお飲みになってからお書きになったのだろうか?
 私は、僭越ながらそんな手間はおかけにならず、「都市=東京の水は不味い」との思い込みでサラサラと筆をすべらされたように思えてしょうがない。

 ところで昨年、夏に今やブログ界の女王様の観のある“きっこの日記”様が、東京の水の悪さを「多摩川の水では死なない金魚が、東京の水道水では死んでしまう…私は東京の水なんて恐くて飲めない…」というように酷評された。これこそ、今流行とかの捏造、中傷以外のなにものではないか。

 私は、東京水道のOBの一人として、我慢ができず、我がブログでミジンコのような蟷螂の斧をふるってみた。(6月1日付け、「きっこの日記」のきっこさーん、―そんなに“東京の水道のお水が恐ろしい”ですか!―)http://blog.goo.ne.jp/gayuuan239/e/9ebb55b162602d84a8dd19dcf9114fc6
 この記事を、お読みいただいた幾人様からは、そんなことないは無いと、心強いエールをいただいた。私の記事にリンクを張ってくださった方もあった。嬉しかった。

 その際、同時にすわ一大事とばかりに、“きっこの日記”の該当箇所をコピーし、きっこ氏の影響力の大きさ、そしてこのこの記事への反論の案文を添えて、昔は親しいかった後輩でも今は偉くなった当局の該当部署の責任者に親展文書にして送付した。
 だが、あにはからんや、私の杞憂は無視された。東京都水道局のホームページを見ても何の反応もみられなかった。

 そこで、まだ局に嘱託として残っている友人に、この間の経緯を話して中での様子を聞いてみた。
 すると友人の話では、今、局幹部は、近々、雲の上のお方が視察にいらしゃるとかでその対応できり切り舞とのこと、「そんな話はしょっちゅうあるので、いちいちかまっちゃいられないのよ」とこれは大人の話である。

 私は、つくづく力なきOBの立場を自覚すると共に、自分のいつまでたっても物事にすぐあつくなってしまう子供っぽさに、ある種の悲哀を感じた。もう今後何があってもいい歳をして、禿頭を振りたてて「殿、ご注進!ご注進!」なんて馬鹿な真似はすまいと心に固く誓った。

 こんなに局の評判を我がことのように気にするのも、自分の働き盛りを局事業の広報部門で力一杯過ごしたからである。

 水道事業のような地味な事業にあっても、円滑な事業運営を行っていくためには、利用者である住民の皆様にどれだけ当該事業について理解され、愛着をもっていただけるかによって大きな違いがある。

 たとえば、料金値上げ一つにしても、普段から内情を伝え、企業努力振りを知っていただいたうえで、提案するのと、普段、録に何をやっているのかを知らせもしておかないで、いきなり「財政が苦しくなりましたから値上げさせてください」と言うのではまるで違うのではなかろうか。

 そして水道事業につきものの水道工事、本管破裂・断水事故等の際の当該地域住民との関係である。
これだって、普段から局事業の中身や今取り組んでいることを、普段からよくお知らせして理解していただいているのとそうでないのとは、苦情ひとつにしても雲泥の相違であろう。

 ところが、局事業は、戦後、壊滅的な廃墟からの復興、東京のスプロール的な都市域の拡大で水不足、水道未普及地域の解消に追われて、資金はいくらあっても足りずで、広報活動などにかまっていられない時代が長く続いたのである。
その企業体質の中で育ってきた仲間達は、外部の声等、我関せずのよく言えば職人気質の企業体が身に沁み付いてしまったようである。

 現在でも、東電や東京ガスに比べて、東京都水道局の広報費は10分の1強というところではないだろうか。
 この費用をもう少し、増やして美味しい水づくりに費やしている膨大な費用や、日夜安全な水道水の給水への職員の努力を知っていただくようにすれば、東京の水道水に対する皆様の反応ももう少し違ったものとなっていたのではと思うのである。
 働いている職員にとっても、自分の局の評判が良ければ、自然と仕事に誇りがもて職場の士気も高まるではないか。

 私は、現役時代、声を大にして、広報活動の重要性と予算の拡充を叫んでまわったが、多勢に無勢、非力で著しい変化は克ち得なかった。
しかし今は、他にはない水道歴史館や水の科学館などのユニークなPR施設もできて、結構多数の来場者もあると聞く。ホームページも、よくできていると感じる。

 東京都水道局は、その巨体で、ゆっくりだが着実に都民の信頼を増しているようである。どうか、この評価を落とすことなく、より一層たかまるよう願いたい。
東京都水道局は、よく言えば謙虚であり不言実行、公共事業体の優等生だと思う。都の各局の中でも石原知事からは、「水道局は、よくやっている」とお墨付きをもらっていると聞く。

 冒頭の投書は、コピーされて、今頃、局中に回覧されているだろう。
 私が僭越ながら局長であれば、投稿者の松木氏をお訪ねして、感謝状と銘水「東京水」パックをお届けしたいところである。

 それにしても、大きな影響力をお持ちの方が、よく現状を確認もせず、昨日の思い込みや先入観で物事を評することは慎まれたいものだ。
もっとも、天声人語氏は、都市の水とは書いても、東京の水と書いた覚えはないとおっしゃるかもしれないが…。

 かくいう私も、「そのまん何とか氏」のことで、先日、我がブログに時折コメントを、お寄せいただく方から、厳しいご指摘、ご指導をいただいたばかりである。 お目に止まることの少ない我がブログではあるが、深く自戒、自戒、心いたしたい。

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。


今年のお正月も終わった!-山家の正月行事(その三、組の新年会)-

2007-01-24 00:51:14 | 田舎暮らし賛歌
■ 20日(土)組の新年会。

 9時半。集落の中心の交差点に集合。迎えに来たマイクロバスで富士見高原の温泉に向かう。昨年組内の戸数が20余軒になり、何かとまとまるのが大変ということから、南北二組にわかれることとなった。

  そして別れてから始めての今年の新年会を、別々でやるか、喧嘩別れしたわけではないので、今までどおり一緒にやるかで多少の議論があったが、結局、今年は一緒にやることとなった。

  会場の温泉に着く。標高1000mを超えるこのあたりは、まだ雪がけっこう残っている。
  露天風呂で話がでる。随分雪が少なくなった。以前に来た時は、火照った身体を積もっている周囲の雪の中に投げ出して、じぶんの体どおりの抜け殻ができるのを見て、皆で楽しんだそうだ。ところが、この頃はそんな雪は積もらなくなったと、半ば嘆き節である。
  そして話は最近の異常気象からこの先の農業への不安へと話は広がった。

  正午少し過ぎから始まった宴会は、やがて誰かがカラオケを歌い、それを聴きつつあれこれの話にはなを咲かせた。15時送りの車に乗り込む。

  途中で、早くも、来年のご例会をどうするかという話になった。今年は初めてということもあって、別々となったが、こうして新年会で集まってみると、またもとのように一緒の方がいいではないかという話しになった。

  ところが、そこに話がまとまったと思ったところで、最後尾の座席の人から異議申し立てが出た。その少数意見を巡って又ひともめした。

  田舎の集まりが、これほど少数意見を大事にするとは知らなかった。よほどどこかの立派な先生方のお集まりである国会での、問答無用の審議打ち切り強行採決より民主的ではないかと、新入りの山家の隠居は感じいった。

  今朝ほどの集合場所にバスが着いて、解散となったが、陽はまだ明るい。飲み足りない、話たりないご近所同士で二次会となった。

  会場は、我が家の直ぐ上のお宅と決まった。そのお宅には、庭先にご主人が手作りの囲炉裏のある小屋があるというのだ。急遽、そこでやらせていただくこととなった。
  めいめい一旦自宅に帰り、飲み物、つまみ持参となった。

  30分ほどして伺うと、一目みてこれは素晴らしいと感嘆の声を上げた。

  庭先の小高くなったところに4畳半ほどの掘っ立て小屋があった。雑木の丸太での柱組み。薄いが周囲は腰板が張ってある。上部には、防水シートが蔀(シトミ)代わりに吊るしてある。ご主人が、障子を入れようか、サッシにしようかと迷っているうちに、作業が嫌になってしまった結果とか。このシートを巻き上げると、眼前に鳳凰三山、甲斐駒の南アルプスの山嶺が一望だ。

  小屋の真ん中の手作りの囲炉裏にほだ木が赤々と燃える。その炉を囲んで6人の男が座った。
  一人が持参の鹿肉を切り分けて網に載せる。ご主人の昨秋の貴重な釣果の岩魚の燻製があぶられる。それらの芳しい香りと、薪からの木精の香りが入り混じり、得もいえないいい気分になる。何だか子供時代の隠れ家遊びを思い出していた。

  しかし、そんな中での話は、硬軟さまざまであった。朦朧としながらも、聞くべき話は耳に入れた。
  中でも耳に残ったのは、今は後を継がれて、専業農家の主人だが、若い頃は土木技術者として、フセインが政権を取って間もないイラクへ二年ほど派遣され時の話であった。

 現地に着いてすぐ、いきなり市内で目にされたという公開処刑の話しは凄かった。5人の男と1人の女が首を吊るされたまま、24時間晒されているのだという。さすがにそれを見た日には、食べ物が喉を通らなかったとか。
(※そのフセインが、過日、絞首刑となり、その死に様を世界中に配信されるとは、まさに因果は巡るではないか…)
 そして、別の日には、洗面所で顔洗ってそこを出てからほんのしばらくして、親戚から餞別に貰った時計を置き忘れたことに気付いて、戻るもどこにもない。
 あくる日、事務所で雇っている現地人の運転手の腕首を、ふと見みたらちゃっかり、置き忘れた時計を嵌めている。
 「それは俺のだから返せ!」叫ぶと、「ここでは、黙って置いてあるものは、全てこれアッラーの神のお恵みということになっている」とのことで、いくら事情を話しても返してよこさない。
 しかたがないのでせめてもと、解雇して憂さをはらしたとか、等々。

 明日は、知事選だというのに、誰に入れて欲しいとかの話は、誰からも、これっぽっちも出なかった。

 夜、8時。炉の火が弱まった。腰の辺りに、寒気が急に冷たい刃物のように突き刺さる。
 皆で早々に後片付けをして、お開きとなった。満ち足りた気分で、勢いよく自宅の玄関を開けた。

 これが、私の田舎暮らしの新年であった。現役の頃、宴会が大嫌いだった私の豹変振りには、自分でも驚くほどである。
 日常、他人(ヒト)に会うことが少ないと、こんなにも人懐かしく恋しくなるものであろうか?
 恐らく、この辺の人は、みな同じ気持ちなのではなかろうか。
 昔は雁字搦めで鬱陶しくも感じられた近所付き合い、今は、みんなそれぞれに、その弊害を知り、細やかな気配りをして、なるべく軽くほどよいお付き合いをと心がけているかに思える。

 この先、どんなトラブルがあるかは分からないが、今のところ、実に楽しいご近所付き合いである。





残念ながら、予想通りだった山梨県知事選結果!

2007-01-23 02:27:16 | 時事所感
1月22日(月)夜来の雪止む。晴れ。

  山梨県知事選は、投票が終了するや否や午後8時、NHKは横内氏の当確を告げた。

  今朝の新聞を見たら、横内氏235,337票、現職山本氏187905票、共産党石原氏24,197票、我が1票を投じた市民団体公募候補金子氏は、最下位の13,311票という結果であった。

  二期目は絶対有利とか言う知事選、にもかかわらず現職の山本氏が敗退するのは明らかだ。
黙っていても国が金を出すかもしれない、中部横断道路を態々借金積み上げ覚悟で県費負担を申し出てやっと早期着工取り付けたのを、唯一の手柄顔に、71にもなって再選狙おうなんて、端から無理というものではなかろうか。そして、これ以外にこの4年間で何をやったというのか。
  明野のゴミ処分場問題は、見直すような気をもたせておいて、結局はなにもしないどころか、そのまんまなんと氏にならってか、そのまんま規定路線にゴーサインを出しただけの無責任さだ。

  それに比べれば、同じ穴の狢でも、横内氏の方が年齢が若いだけでも、よほどましということではなかったか。それに輪をかけてお利巧なことに、こちらは明野ゴミ処分場問題には、知らぬ顔の半兵衛だ。

  それにしても、共産党の石原氏。天下の共産党候補でありながら、横内氏の10分の1だなんて、何故もこうも人気がないんだろうか。

  傍から見れば、政党助成金も唯一受けとらずにやせ我慢して、真面目一筋、あれこれの問題をネチネチ、コツコツ地道に調べて告発しているというのに…。
  日刊紙赤旗、赤旗日曜版まで出して、足が地に付かず口先だけかと思われる民主党なんかに比べれば、よほどしっかりしてそうなものなのに…。
  国民の大多数は、見向きもしない。

  どうも、その生真面目さが嫌われるのだろうか。がり勉一方の優等生が嫌われるように。
  だいたい「共産党」という党名が、嫌われるのではないだろうか。
  何だか、共産党が天下を取れば、なけなしの僅かな財産まで、みんな国に集められて、お上の情けで必要な最低限だけが、再配分されるような、そんなイメージが付いて回って、多くの国民の頭からはなれないのではないだろうか。
  一体、共産党は、毎年、党大会で喧々諤々、党の基本方針や、活動方針を議論されているらしいが、もうここ何十年もの不人気ぶりを、真から胸に手をあてて考えてみたことがあるのだろうか。
  共産党の支持率が上がらないのは、馬鹿なメディアとそれに惑わされている、民度の低い国民はどうしようもないと、思っていらっしゃるのだろうか。

  私の知り合いなんかは、なれない手で汗水たらして作った貴重なお米までくれて、代わりに党へのカンパを強請していく。末端にはこんな熱心な支持者がいるというのに、その輪がいつまでたっても、少しも広がらないというのは、ほんとに不思議でしょうがない。

  反対に、お笑いタレント上がりといっては失礼ながら、16、7の女の子と問題起こして逮捕されたような破廉恥カンカン、”そのまんまなんと”氏が、ちょっとばかり謹慎して、ぽいと出てみれば、どこかの県では、漁夫の利かなにかしらねども、あれよあれよいうまに当選してしまうことの摩訶不思議さ。

  そんな中で、同じぽっと出ながら、市民団体の公募に応じて、厳しい審査の結果、推薦をうけて立候補した、金子候補が共産党石原候補の半分を獲得したのは、よく善戦したというべきか。

  私は、負け惜しみではなく、この1票は無駄ではなかったと思っている。

  それにしても、宮崎で”そのまんま東”氏が、当選するぐらいなら、ここ山梨県では、当県出身の英雄、サッカーの中田英寿氏が立候補していたら、きっと当選確実だっただろうと思うのは、山家の隠居の呆け夢だろうか。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

今年のお正月も終わった!-山家の正月行事(その二、山神様のお祭)-

2007-01-23 00:32:50 | 田舎暮らし賛歌
■ 14日(日) 山神様のお祭りである。

 この日も快晴。暖かい。お山の神様再開発起人さんからのお誘いの回章にはこうあった。

 『…5、6年前まで、毎年1月17日に御山の神様のお祭りをしていました。山は、皆様ご承知のように人間がいきるために一番大事な水と空気を作り出し、春には山菜、秋にはキノコ、冬には暖房用の薪、木炭(昔で言えばもしきとり)、そんなお山の恵に感謝し1年の無事をお祈りしたいと思います。
 ご賛同していただき、参加をお待ちしています。

 お山の神様:寛永8年(1631年)~天保12年(1841年)各山の中に祭られた。この付近一帯を神行寺と昔は呼ばれていた。…』と。

 即ち、この辺でも近年、皆が忙しくなったのを機になるべく不要な集まりは止そうということになり、一旦はやめてみたものの、やはりそれでは何となく落ち着かなく、寂しい気分もありしてか、昨年からまた有志により復活させようということになったらしい。

 私のアトリエの薪ストーブの薪は、ほとんど周囲の雑木林から頂戴している。その恩恵に浴している以上、参加しないわけにはいかない。そして去年初めて参加した時の楽しい気分がわすれられない。

 定められた時間に、お山の神様に通ずる林の入り口まで軽トラで行った。そこからの小道はまだ雪が残っていた。間もなく木の間隠れに話し声が聞こえてきた。

 数人の人の輪の中心で焚き火が赤々と燃えていた。10人余りのご近所が集まったところで、発起人さんの司会で、注連縄の張られた岩代に向かい二礼二拍手した。

 それから持ち寄りの漬物や何やかやでお神酒をいただいた。焚き火を囲んでのお神酒に、たちまちいい気分になる。土地の人たちの昔話が次々に出る。松茸が採れた話。そのみつけかた等々。

 今年は、三歳ぐらいの元気の良いあかいほっぺの坊やも一緒だ。
 こんな素朴な土俗的な集まり、いつまで続くだろうか。きっとこの坊やが、大きくなったら、やっぱり幼い日の爺婆がやっていたことを思い出して、お祭りしてくれるのではないかと、その場の大人たちは儚い夢を託すのである。

 12時過ぎ、焚き火も下火になった頃合をみて解散となった。

  私は、林の出口に切り倒されていた赤松の小ぶりな丸太を何本か、軽トラに積み込んで帰ってきた。
  これで、また一週間はもちそうだ。
  お山の神様の恵みに、あらためて心の中で感謝した。


今年のお正月も終わった!-山家の正月行事(その一、ご例会)-

2007-01-22 01:24:46 | 田舎暮らし賛歌
■ 元旦。ご例会。
 
 西の南アルプスの山肌がばら色に染まり、からっとした冬ばれの朝である。
9時、組長さんの家の前の空き地には、焚き火がチロチロと燃え、11軒の家族が、その周りに全員(原則としてのようである。主人しか出てこない家もある。)集合した。

 各家からの顔ぶれが揃ったのを見届けて、組長さんの短い司会の挨拶で、「おめでとうございます」と、全員で一斉に賀詞を交換した。
そして、三列ほどに並び、組長さん持参のデジカメで記念撮影をした。

 誰かが、「この写真毎年とっておいて、あとで見たら面白いよね」と言った。

 その後、各家から一人、組長さん宅の座敷に上がって、組の簡単な総会である。四月で交代となる回り持ちの次期組長さんの確認、地区の農業委員や交通安全協会の割り当て委員等の選出確認、市への要望事項の有無等を簡単に打ち合わせる。こ一時間もしてお開きとなった。

 都会でだって、このぐらいのことは、自治会の音頭でやれないものだろうか。

 そうすれば、ご近所のお互いの顔つきも穏やかになり、大小のトラブルも少しはなくなるのではないだろうか…。

 


今日は山梨県知事選の日だ!―結果はいかに?―

2007-01-21 15:19:21 | 時事所感
1月21日(曇り時々薄日さす)-1~ 度。

  今日は、山梨県知事選の日だ。午前8時半、昨日の新年会の二日酔いでの眠い目をこすって、勤めに出る家人を韮崎駅に送りがてら、投票所に向かった。
  この辺の人々は朝が早い。ふだんの日曜日にはこんな時間に出会わない車に行き逢う。たいていは二人乗りである。私ども同様夫婦のようである。

  南アルプスの一望できる投票所の駐車場には、もう結構車が止まっていた。
  私も、家内もかねて決めたとおりの候補者に投票した。今の状況では、先ず当選することは無い候補である。

  恐らくはここでは始めての市民団体の公募で決めて推薦した候補者である。これからは各地でこういう方式が主流になるべきだと思う。市民団体同士で違う候補者を競わせるようにまでなるべきではなかろうか。

  私も折をみて、このような市民団体の草の根の活動に参加してみたい。良い候補者が居ないと嘆いていても何も始まらないのではないか。市民が良い候補者を探すのである。これはと思える方に立候補をお願いするのである。

  しかし、新しい知事には、前議員で有力者のY氏の当選で決まりだろう。その結果、地域振興策として、安易な公共工事の大盤振る舞いの愚が繰り返されて、県債の残高が、さらに私たちの上に、上積されることにならないという保証が、どこにあるだろうか。
  
  そして、わが市民擁立候補はいかなる善戦を見せてくれるだろうか。夜の開票結果が楽しみなことである。 

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。