蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「感情(emotion)の為せる業」ということについてーコメントへのお返事ー

2006-07-30 15:47:10 | 日常雑感
 7月30日(晴)猛暑。

 破壊王子、 kazu、 ぱんちょ、岡目八目、さと、百々征夫 様
 
 みな様ご多忙のなか、ご丁寧なコメントをいただき真にありがとうございました。

 昨日は、所用で東京へ早朝よりでかけて、昨夜遅く帰ってきて、PCを覗いて見ましたら、私のブログにしては、1件でこんなにも多くの方からコメントが届いているので、びっくり、かつ感激いたしました。篤く御礼申します。
 本来ならば、個々にご返事すべきかと思いますが、画面がごちゃごちゃしそうなので、ここでご一緒にお返事させていただきます。

 さて、今回の私のテーマは、自分でも予期せぬ「感情の暴発」ということについて、そのメカニズム(?)人間生活における意味合いを、私なりに考えてみたつもりなのであり、愛国心云々は、その導入のつもりだったのですが、今回、いただきましたコメントを拝見いたしましたところ、皆様の関心はこちらの方が、強いように感じました。
 まあ、これが、連歌を巻くがごとき、このブログのコメントの面白さであろうかと思います。
 そして、発句者の私といたしましては、皆様から戴いたお知恵により、思いもかけない見解に達するということです。
 
 しかし、何はともあれ、一番単純明快なことは、いい歳をして、今更、勝手にお酒をいただいたうえでの喧嘩口論で「感情の暴発」云々をいうほどのことかどうか、要は、私が岡目八目様のおっしゃるように酒の飲み方のマナーも知らなかった愚か者ということに、つきそうです。
 
 私とて、己の酒量ぐらい心得ておくべし、酒の席で政治がらみの話は禁物、火事場で火薬を弄ぶようなもの(まして初対面ではなおさらのこと)であることぐらいは、百も承知のうえだったのですが、この様(ザマ)です。私とて、かっては山口瞳氏の「酒の呑み方」でしたか、酒席での心得を書いた名エッセーを読んだこともあるのです。

 しかし、「感情の暴発」装置が外れてしまえば、そんな心得や知識など、たちどころにしてふっとんでしまうのです。ということは、それだけ私と言う人間の出来具合が、底が浅いということに尽きるのかとも思います。

 まあ、そうは言いましても私にも自己憐憫の情が、自己保存の本能に基づいてかありまして、そこで思うのは、一個人だって、国家という集合体だって、相手様との関係で、何かをきっかけにして、どちらかの感情の暴発装置の撃鉄が外れれば、それまでの理性や知性など敢え無く雨散霧消してしまうのではないかいうことです。ここに怖さを感じるのです。(※本文と繰り返しなってくどいようで申し訳ありません。)

 そこで、こうした破滅の危機を救ってくれるのが、時の氏神様としての仲裁者です。仲裁者が公平無私な立場で、仲裁に入ってくれれれば、それこそ神様ですが、そうではなくてどちらかに味方したり、かたよれば、火に油です。一層の破局です。

 こういう意味において、今こそ、人類は(世界)は、真に強く公正な仲介者を必要としているのではないかということです。どうも今の国連では誰が見ても、真の仲介者として心もとない現状にあるのです。

 そして、中小、弱小国はその実現を心待ちにしてはいても、一握りの大国においては、現状のほうが、自国の思うようになり、何の掣肘も受けずにすむ、現状のままが望ましいと思っているところに、最大の要因があるのではないかと思います。

 そこで、我が日本こそは、今こそ、中小弱小国を糾合して、真に頼りになる仲介者の実現(現状では、さしあたって国連改革)を目指すべきであろうと考えるわけです。

 このように考えております、私は、愛国心それが自国を愛すると同時に、他国民もその国を同じように愛していることを尊重しているのであれば、それは人間として極めて大切なことだと思います。そのためには、謙虚に可能な限り事実に基づいた歴史認識(しかし、これも言うは安く行うは難し、ではないでしょうか)に基づく相互の歴史認識が肝要かと思います。

 その一環として、百々征夫様のご推奨の書物も有意義かと存じます。その過程でkazu様ご指摘の、私の思い込みだったような、創氏改名についても、正しい事実を知ることができるのでしょう。

 しかし、現状において、愛国心を声高におっしゃる方の大方は、自国愛にのみ偏した主張のように見受けられます。そのような愛国心の高揚は、まさに、さと様が<今度の愛国行進曲も妙な方に進まねばいいがと思っています。>と、おっしゃるように、私も同様の危惧をもちます。

 ところで、破壊王子様、今回の“ブラッシングボール”について、私、野球のこまかな用語には不案内なもので、ちょいと調べてみましたら、「打者の内角を抉る癖球」と、いうことの意でしょうか?随分と怖い球ですね。(笑) 

 その一球が、<その列強の一つであるアメリカもまた多くの移民達が民族的アイデンティティは保ちつつも、「アメリカ人」として暮らしてます。確かに未だ人種差別等、多くの問題を抱えてますが、何故ここに注目されないのでしょうか?>と、これでしょうか。

 いや、私も、このこと、前回のコメントにお返事書いた後、昨日の東京行き電車の中でふと思ったのです。しかし、時は遅しで、慧眼の王子様にはたちまち懐深くを抉られました。
 本当に、(またまた、これも愚老の見当違いでご憐笑のことかもしれませんが?)アメリカ・USAでは、その通りで、いち早く民族、人種、文化を超越した世界モデルを実現しているのですね。早い話が、世界各国が全部合衆国第何州になってしまえばいいのです。
 今、ご指摘されて気がついたのですが、アメリカの世界政策・外交政策の一見の強引さ、そしてそれを押し通そうとする自信の源は、そんな「アメリカ人」に支持されているんだ、ということにあるのかもしれませんね。

 もう一球は、<ところでご隠居を怒らせたその若い衆、和服は一人で着られますかね?アタシは日本の伝統がどうこういうくせに民族衣装一つ自分で着付けられない、角帯も締められない人間は信用しません。>と、いうことでしょうか?

 これについては、初対面なので、どうだか知りません。アルピニストとか優れたクライマーと紹介されましたので、和服の方はどうでしょうか?
 しかし、何とか理事とかおやりになっていて、相当の自信家(自分の考えに疑問を抱かない、他人の言うことにも一応聞いて考えてみようとしない、自分の考えに合わない他人は一蹴してこころみないお人柄と見立てました。もっともこれほど己を信じなければ、ザイル一本に己が命を託すことはできないかも知れないことは理解できます。また、反面、己の力量を過信して、天候、気象条件を無視して、予定行程を強行突破しようとして、遭難される方々もよく聞きます。これが会社経営者だと倒産に至り、国家指導者だと国を滅ぼし国民を塗炭の淵に落とします。故に世に自信家ほど怖い他人にとって傍迷惑な存在はありません。)であり、こういうタイプの方とは、私は、思えば、そのはなへし折ってやりたい敵愾心がむらむらと湧いてきて、遭遇するたびに性懲りもなく衝突をくりかえしてきた前科もちです。

 今後は、かかるお人柄と見受けたら、とっとと中座を金科玉条といたしましょう。

 なお、私も、この歳になって浴衣一枚箪笥の肥やしになってますが、ほとんど袖をとおしたことがありません。どうか、ご憐憫をもって信用できない日本人の一人から外すことだけはご勘弁願えないでしょうか?(笑)

 さて、最後になってしまいましたが、ぱんちょ様。先ずは、期末試験お疲れ様でした。 このところ、ぱんちょ様のブログ覗いてみても、11日以来、更新がないので、そんなところかなと、お察しはしていたのですが、大変ですね。もっともそれがぱんちょ様の目下のご本業ですから、よい結果をお祈りします。
 
 < この焦点に対して私の意見は「どちらも悪い」です。昔日本が他国にしてきたこと、それと北朝鮮が日本で拉致などを実行したこと。程度の差もありますが、どちらかの行動が美化されるべきでもないはずです。両者の行いにより実際に苦しんでいる人がいるわけですから。>とのこと、両者の苦しみに視点を置かれたところに、ぱんちょ様のお人柄の優しさを感じます。

 それから、<最近は感情がもたらす「負」の側面ばかりが目立っていますが「正」の側面にも私たちは注目すべきだと思います。>とのこと。
 これも大切な視点だと思います。
 私も今回は、ことの経緯から「負」の側面にのみ捉われた書き方になってしまいましたが、まさにおっしゃるとおり、「感情がもつ正の側面」、そのおかげで一目惚れして今の家内と結婚できて山家の隠居なんてかっこつけてられるわけでありますし、絵もかけるわけであります。まさに感情こそは人類存続の根源動因ですよね。芸術、文学も然りです。

 ぱんちょ様ありがとうございました。そのような平衡感覚をお持ちのぱんちょ様、卒業されましたらきっと良いお仕事をされるようになること、山家の爺は疑いません。

 ということで、長々のコメントへのお返事となりました。お蔭様でたいへん勉強させていただきました。ブログとは、こうした弁証法的(大げさでしょうか)な発展がたまらない魅力であると改めて感じ入ったしだいです。皆様ありがとうございました。またよろしくお願いいたします。

ー追 記ー

 昨日、上京の電車の往復の際に読もうと「ウェヴ進化論」-本当の大衆化はこれから始まる 梅田望夫著:ちくま新書2006年3月刊を、バックに入れていった。
 その中に、『ブログという舞台の上で知的成長の過程を公開することで、その人を取り巻く個と個の信頼関係が築かれていくのである。』との、文言を見つけた。
 
 今回の、私のブログヘのコメントへのご返事をこのようにアップするのは、はじめてでありますが、まさに梅田氏の指摘にピッタリの好例かとも思い、ここにアップしてみました。
 なお、この著書、とても参考になりましたたので、読後感や私なりの触発されて考えたことについては、改めて書いてみたく思っております。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?



 

「感情(emotion)の為せる業」ということについて

2006-07-27 20:24:35 | 日常雑感
7月27日(晴)23~32度、梅雨明けか、暑い一日であった。夕方、ヒグラシがしきりに鳴く。

  朝、喉の渇きで目が覚めた。八時過ぎである。階下に下りていくと家人の姿はもうなかった。久しぶりの二日酔いである。同時に苦い想いが、胸の奥からフツフツと湧きあがってくる。

  このたび、ひょんなことから、お近づきになった、すぐ近くにお住まいの方から、初めての呑み会に誘っていただきながら、終わりになって、同席の若い方と口論になり、せっかくのお招きを台無しにしてしまうという愚行をしてしまったのである。

 ことの起こりは、彼が、北朝鮮の拉致問題をとんでもないことだと、非難されたように思う。それに対して、私が、「拉致は悪いが、しかし、日本と北朝鮮は国交がないし、昔、日本があの国を併合して、創氏改名を強制し、戦時中は強制連行をするなど様々なことを考えれば、一概に居丈高に悪い悪いとはいえないのではないか?」というような、日ごろ思っていることをしゃべったようだ。

 それに対して、彼は、「○○さん(私のこと)には、愛国心をどう考えるのか?愛国心はないのか?」と、問い返されたようであった。
 …この間、もう一言、二言やりとりがあったかもしれない。
 いずれにしても、私はその一方的に決め付けられたような「愛国心云々」で、急に感情が爆発し、「何を言うか!」ときれてしまい、手にしたCDケースをテーブルに叩きつけるという乱暴狼藉を働いたのである。

 その場は、ホスト氏の執り成しで、一応和解しお開きとなったが、いい齢をして、日頃はこうしてブログで分かったようなことを、書き連ねながら、ちょっとした一言で感情的になってしまい、せっかくの楽しい集いに水をぶっかけるような無礼、お恥ずかしい限りであった。
 もう、出入り禁止処分は覚悟のうえとして、優しくもてなし上手なホスト氏には、この場を借りて心からお詫びする次第である。

 そして、今日一日中、改めて考えていたのは、人間の感情という代物である。

 今、手元の岩波の国語辞典では、「感情」について、①気持ち、心持 ②快、不快を主とする意識のもっとも主観的な側面。「-を顔にあらわす」「-を害する」とある。

 さらに、『ウィキペディア(Wikipedia)で感情について、関係項目を拾うと次のようにでていた。

『感情(かんじょう)とは、ヒト・動物が物事などに感じて抱く気持ちのこと。喜び、悲しみ、怒り、諦め(あきらめ)、驚き、嫌悪、恐怖などがある(感情の一覧)。
精神医学・心理学では感情emotionと気分moodを区別することがあり、前者の方がより一時的なものをさす(しばしば天気weatherと天候climateに例えられる)。しかし両者を区別せずに使用する場合も多い。脳科学的には、感情は脳の表面(大脳皮質)、および脳の深部(辺縁系など)、身体の密接な相互作用で成り立っている。また感情と思考や認知は、たとえその人が意識にのぼらせなくても密接に関係し合っている(「感情の脳科学」節参照)。

◆ 感情の脳科学
生理学的には、感情には身体感覚に関連した無意識な感情と意識的な感情があるとされる。前者をemotion、後者をfeelingと言い分けることがある。意識的な感情feelingには、皮質(大脳の表面)とりわけ帯状回、前頭葉が関与している。無意識な感情emotionには、皮質下(脳の中心の方)の扁桃体、視床下部、脳幹に加えて、自律神経系、内分泌系、骨格筋などの末梢(脳の外の組織)も関与する。
Magda Arnoldの説では、外界からの刺激に対して、まず危険であるか有益であるかを皮質下で無意識に判断し、次に皮質でどう行動するかを判断し、次に末梢の反応(交感神経の興奮、骨格筋の緊張など)を起こし、最後に皮質にてそれを意識的な感情feelingとして認識するのだという。このような感情の仕組みは、生物として外界の変化に素早く反応するために適応的な反応であり、進化の過程で身につけたと考えられる。

◆ 感情の一覧
 •喜び かなしみ(悲しみ、哀しみ)怒り 抑制 諦め(あきらめ)期待 恐れ、恐怖 安堵(あんど)、安心 嫌悪 好意 うらみ(恨み(不満)、怨み(憎悪)、憾み(残念))謝 驚き 平静 不思議思議、不可思議 幸せ、幸福 絶望 くつろぎ、リラックス 緊張 誇り(ほこり) 恥辱、恥じ 敬い(うやまい)、尊敬 軽蔑 親しみ、友情 憎悪 嫉妬 憧れ(あこがれ)恥ずかしさ 恋愛(恋しさ、愛しさ(いとしさ))欲望 畏怖 勇猛、勇気、勇敢 焦燥、あせり 快(善行・徳に関して)不安、困惑 憤り(いきどおり)』
と、感情にも随分いろいろとあるもである。

 もっとも、こんな解説を読んだところで、私の今、探していることには、隔靴掻痒の観である。

 私が思うのは、感情とは何とやっかいな代物ではないかということである。

 これが、すべての物事の論理的推移は勿論、個人の人生を、大きく言えば世界の歴史さえも、目茶目茶にしてしまうのではないか?という想いである。

 先日の、岩手の方だったか、母子二人を殺害して、たちまち捕まり、今その動機について厳しく追及されている犯人も然りである。犯人は、今、妻子を想い涙ぐんでいると、報じられている。何故、事を起こしてから泣くのだ。
 顔写真も見た。とても凶悪な殺人者の顔つきではない。近所でもごく普通の優しい父親とみられていたようである。

 それが何故なんだ?奥さんは離婚してしまえば、それで済む。だが、残された二人の子は、これから一生殺人者の子供という、計り知れない頸木(クビキ)を背負って生きていかなければならないのだ。二人の子供が結婚して、またその子供が生まれれば、孫は殺人者の孫という重荷を知らずして背負わされることとなるのである。

 犯人が、どんな想いからこんな大それた犯行を計画したのかわからないが、行きがかりのとっさの犯行ではないように見える。だとするならば、犯行へかかる前に一瞬でも、可愛い子や妻のことに思いが、いかなかったのであろうか?

 感情とは、自分の心の中で生ずる衝動ながら、自分でコントロールできないところに、いいしれぬ恐怖を感じる。人間の心の内なる計り知れないマグマだ。
 イスラエルとヒズボラの飽くなき報復合戦、いくら犠牲者が出ても、幾人が泣き叫んでもやめようとしない。

 人間は、共産主義を始め様々なユートピアを夢見る。しかし、それらは永遠に実現しえないだろう。
 人間全てのうちに、大なり小なり、強弱の違いがあっても、この感情というマグマ溜りをかかえているうちは…。

 そして、人間の信仰心とか、教養とか、修養とかは、この感情をいかに理性的にコントロールするかの唯一の術(スベ)なのであろう。

 そいうわけで、この私は、まだまだ修養ができていないということを、夕べのヒグラシの鳴き声とともに、しみじみと思い知ったのである。

と、思うこの頃、さて皆様は、いかがお思いでしょうか?


“土用の丑の日”―蛾遊庵山人鰻談義―

2006-07-26 00:26:48 | 日常雑感
7月25日(火)曇り後薄日差す。 21~26度

 今年の土用の丑の日は、おとといの23日(日)のようだった。というのはこの日が、その日であることを、夕方、何気にスーパーへ行ってみたら、入り口に特設テントが張ってあり、“鰻特売”の幟が、夕風にひらひら微かにはためいているのを見て、そうだったのかと納得したのである。
 
 この少し前、今夜のおかず何にしようかなと、思案しつつ、ふっと、やっぱり、腹の虫のしらせか、ここしばらく鰻食べてないな、食べたいな、しかし、スーパーで売ってるようなやつは、食べたくないし、やっぱりここは田舎だなと思っていたところであったのだ。

 見れば、テントの下の仮設長テーブルの上のバンダイには、あめ色に輝く鰻が折り重なっているのだ。もうたまらない。吸い寄せられるように、その前にたち、二串買った。たったの1400円、安い鰻である。

 夜、家人が仕事から帰ってきたのを見計らって、レンジで温めうな丼にして食べた。皮が少し焦げ目だったが、適当な柔らかみと旨みがあり、値段の割には満足した。

 そして、思うのは東京、西武柳沢駅前商店街の“浦安の鰻”である。ここは、雛には珍しい鰻専門店である。開け放った店先の、焼き台では備長炭が渋く銀色の灰に包まれたなかで、チロリと芸者さんの紅の蹴出(ケダシ)しのような、ほの赤さを見せている。
 その前に立った男前の主人が、一串、一串たっぷりと垂(タレ)を着けて焼いてくれるのだ。このたっぷりとした蒲焼を、跳んで持ち帰って、炊き立ての銀シャリにのっけて、これもたっぷりとつけてくれる垂を十分に、心を沈めて、満遍なく垂らして、山椒をはらはらとふりかけ、待ってましたと大口に頬張ると、口中に広がるその美味いこと、美味いこと、絶品である。
 そして、キリン一番絞り生ビールでの口直し。まさに至福の瞬間である。
 上京の楽しみの一つは、この浦安の鰻にもある。だが、夕方7時ごろには店じまいしてしまい、どこかへ出かけての帰りなど、なかなか買えるチャンスがないのが玉に瑕である。

 この店を知るまで、懐のさびしいときや、仕事中の昼食時には、登亭で我慢するのである。しかし、宮川とかなんとか有名店もあるが、こういう店は、ただ高いばかりで、大したことはない。看板倒れであると私は思う。

 そして、さらに昔を思え返せば、埼玉、浦和の○○(名前失念)の鰻も美味しかった。ここも夕方行くと、大抵はしばらく外の床机で順番待ちというほどの評判の店だった。
 
 そしてもっと昔、国道6号線脇、牛久沼の畔にある伊勢屋の鰻である。ここは牛久沼を見ながらの座敷で食べるのだが、台湾あたりからの輸入鰻であることも忘れて、目の前の牛久沼育ちの天然鰻を食している気分にひたれるところがみそであった。

 そして今、ここへ来てやっと見つけた鰻屋は、小淵沢駅前を少し入った旧街道沿いにある井筒屋である。店構えといい、味といい申し分なく満足できる店である。

ああ、こんなことを書き散らしていたら、また鰻が食べたくなった。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

NHKスペシャル“ワーキングプア”を見る。いつから、こんな悲惨なことになっているのか!?

2006-07-25 00:43:14 | 時事所感
 7月24日(月)終日、雨。

昨夜、23日(日)NHKスペシャル“ワーキングプア”、夜9:00~10:14放送を見る。
 <概要(NHKスペシャル、ホームページからコピー)>
『働いても働いても豊かになれない…。どんなに頑張っても報われない…。
今、日本では、「ワーキングプア」と呼ばれる“働く貧困層”が急激に拡大している。ワーキングプアとは、働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできない人たちだ。生活保護水準以下で暮らす家庭は、日本の全世帯のおよそ10分の1。400万世帯とも、それ以上とも言われている。

景気が回復したと言われる今、都会では“住所不定無職”の若者が急増。大学や高校を卒業してもなかなか定職に就けず、日雇いの仕事で命をつないでいる。正社員は狭き門で、今や3人に1人が非正規雇用で働いている。子供を抱える低所得世帯では、食べていくのが精一杯で、子どもの教育や将来に暗い影を落としている。

一方、地域経済全体が落ち込んでいる地方では、収入が少なくて税金を払えない人たちが急増。基幹産業の農業は厳しい価格競争に晒され、離農する人が後を絶たない。集落の存続すら危ぶまれている。高齢者世帯には、医療費や介護保険料の負担増が、さらに追い打ちをかけている。

憲法25条が保障する「人間らしく生きる最低限の権利」。それすら脅かされるワーキングプアの深刻な実態。番組では、都会や地方で生まれているワーキングプアの厳しい現実を見つめ、私たちがこれから目指す社会のあり方を模索する。』

◆◆◆蛾遊庵コメント
この番組を見て、一番辛く感じたのは、ある青年の事例である。
34歳、愚息より少し下だ。素直そうで健康そうな良い青年である。東北の地元の高校を出て会社勤め、経理事務を遣っていたとか。その会社が倒産、失業、仕方なく職を求めて転々とした。どれも短期雇用契約ばかりである。何の技能も身につかない。人間関係もできない。単なる技能ロボットして低賃金で酷使されるだけである。収入が不安定だから、アパートも借りられない。住所不定。そんな怪しげな男を雇う会社はない。まさに蟻地獄である。
最後に無一文となり、ハローワークで求人先を紹介されても、東京から埼玉のそこへ行く電車賃も持ち合わせがないのだ。青年は泣く泣く諦める。
ここでも今の行政の仏作って魂入れずのいい加減差を見る思いがする。交番だって、出先で財布落としたりしたら、小額であれば一時貸してくれると聞いた。
何故、そこまで困窮事情を知ったら、せめて紹介先への往復の旅費と食事代ぐらい面倒見てあげる仕組みがないのだ?
後日、この青年、地下駐車場で洗車要員として、時給800円で、取り敢えず元気そうに働いているところが映されて、多少、見ているこちらもほっとさせられた。
しかし、この時給では、まだアパートを自力で借りられるところまではいかないと聞いた。将来のことなんて何も考えられないと言う。

この青年の事例を見ていると、ここまで追い詰められたら、ちょいと深夜のコンビニで、強盗の真似事でもして、運良く有罪、安部譲二先生ご推奨の評判よろしき府中刑務所にでも入れていただいて、三度の食事に寝るところ、その上技能訓練までしていただけるなら、よっぽどこっちの方がいいのではとさえ思えてくる。

さて、もう一例は、50過ぎの寡夫で二人の子供を抱える男性の事例である。奥さんを亡くして、こちらも会社をリストラ。それまであった年収600万円の収入が0となる。再就職をいくら探してもこの歳では皆無とか。やむを得ず、今はガソリンスタンドのアルバイトを三つ掛け持ちして、深夜勤務を重ねても、月の収入は20万円に満たないとか。これから先、高校、大学進学を控えてどうして学資を捻出して、せめて息子たちだけでもこの境涯から抜け出させるか、それを考えると前途は暗澹という。

夫婦離婚で、子供を引き取っては見たものの、養いきれず蒸発して残され、児童養護施設に収容される子供。しかし、ここも18歳になれば出ていかなければならないとか?一体それから先どうせよというのか?どう、生きていけと言うのか?
一度、貧乏のどん底に転落したら二度と這い上がれない牢固たる巨大蟻地獄ができつつあるのだろうか?

地方では、過疎化が進み、かってはお客で賑わった商店街が、今はもぬけの空のシャッター街と変じ、職人二人も抱えての一級技能士の仕立て屋さんが、今は細々寸法直しと、貯金の取り崩しで病妻抱えて虎口を凌ぐ。そこへも容赦なく襲い掛かるかの介護保険の増額通知。思い余って生活保護はと相談すれば、夫婦二人の葬式費用にと最後の最後まで残しておいた100万円の貯金通帳が0にならないと、受給資格なしとのつれない返事だ。

方や家族総出で百姓してみても、米価が輸入価格に押されて値下がりして、収益0とか。

いつのまにやら、こんな有様になっているとは、ついぞ知らなかった。
こんな有様を聞くと、年金いただいて、まあまあ言いたい放題、気の向くままに、ああだこうだと、きいたふうなことを書き散らしている、わが身をどこに置けばいいのかとさえ思えてくる。

つい先だってはあれほど世の耳目を賑わせた、日銀金満大総裁閣下は、年俸3600万円を戴かれた上に、789万円もの年金、それに黙っていてもちょいと預けた村上マジックファンドが、やすやす1600万もの大儲け。それでも、大宰相閣下は、「なに、辞めることはないよ」と、どこ吹く風と、のたまわったとか。忘れん棒は、われらが天性、人の噂も75日、今やすっかりテポドンミサイルの噴射煙のガスと立ち消えたか?

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?

“大相撲夏場所終わる”―白鵬、雅山、昇進見送り―何故なんだ!?

2006-07-24 11:40:54 | 日常雑感
7月23日(日)曇り後雨。21~24度。

 白鵬が、渾身の力で、俵に足をかけて踏ん張り反り返って堪える朝青龍の腹にのっかるようにして寄り倒して勝った。館内に湧く喚声!紫の座布団が雨霰と舞った。土俵の下で俵にやっと手を突き息絶え絶えの白鵬。実に見ごたえのある今場所一番の大相撲だった。
 私は、独り寂しく、テレビの前で、思いっきり力いっぱい手を何度も叩いた。
 
 そして、これまた後一番、勝てば大関五年ぶりの復帰なるかと期待された雅山対玉の島。こちらも、立会い足の出ない雅山、あわや玉の島のはたきこみにつぶされるかに見えた一瞬、気を取り直しての渾身の突き。勝った。小さく天を仰いでガッツポーズの雅山。よかった。
 
 だというのに、取り組み終了後の放駒審判部長の早々とした横綱・大関昇進見送り発言。何だこりゃあ!である。
 いいじゃないか?白鵬は堂々の横綱破っての一差での13勝である。雅山だって直前34勝みたしたじゃないか?北の富士なんて28勝であがったという。なんとそのとき次第なんだ。

 来場所、白鵬が横綱になれば、久しぶりの東西が揃う、その後へ雅山が昇進すれば何の支障があろう?
 
 一寸勘ぐってみれば、白鵬がもし日本人力士だったらどうだろうか?間違いなく昇進させていただろう。東西両横綱が共にモンゴルでは、国技の伝統が泣くとでも、ケチな考えをおこしたのではないのか?
 今場所昇進見送りなら、来場所、また今場所の売りが期待できるとでも、そろばん勘定が先にたったのか?

 だが、待ってもらいたい。今の年、六場所というスケジュール相当力士にとってきついのではないか。今場所だって、栃東、千代大海、琴欧州、皆満身創痍ではないか?
来場所、まで怪我なく現状を維持すること白鵬にとっても雅山にとっても中々容易ではないのではないか?そうして崩れればまたスター不在となってしまう。

相撲は、あくまで庶民の“お楽しみ”ではないか?厳正なルール優先の国家試験をみにきているのではないのだ。
だとすれば、お客がわっと喜んだ時には、その声を汲んで思い切り良く昇進させて何が不都合なんだ!?あんまりかっこうつけるなと、明日一番で、大日本相撲協会とやらの電話番号調べて、毒づきたくもなるというものではないか?

と、思うこの頃さて皆様はいかがおおもいでしょうか?

“塀の外の同窓会”を読む。-人生の分かれ道!-

2006-07-23 00:40:01 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
 7月22日(土)曇りのち薄日差す。21~24度。

 鬱陶しい長梅雨の毎日である。庭先のトマトの実が青いままで一向に赤く熟す気配がない。そんな徒然に、先日図書館で纏め借りしてきたうちの一冊、安倍譲二著、“塀の外の同窓会”文芸春秋(2000年)刊を読む。

 これは、昭和54年、府中刑務所からの出所を機に、いわゆるそれまでのバクチ打ち稼業から足を洗った著者が、その後、娑婆で出会った元の世界の住民たちとの邂逅記である。
 実に、小気味良くスラスラと読めて面白い。そしてどこか物悲しい気分も漂う。
東映映画かなんかで、垣間見る世界でしかない、塀の中の人間模様、そこに落ちるまでの様々な犯罪態様を知ることができる。
そして、思うのは、殺人・強盗とかの凶悪犯を除けば、その他の小悪党なんていうのは、我々と大して変わらない、ひとの好いい面を持った連中なんだ、という当たり前の納得である。

こんな話が書いてある。
「親友の晴れ舞台」との題で、
『明治年間からの永い伝統を誇る博徒の一家で、引退する総長の跡目に、一門の大勢の貸元の中から選ばれたのは、僕の友達の土井正高でした。僕とは同年輩のこの男との仲は、まだお互いにほんの駆け出しだった四十年も前に遡ります。…僕より丸二年遅れて娑婆に戻った土井正高は、電話してくると、「足を洗って堅気になったのは、中で聞いたんだが、何をしてるんだい」何でも相談に乗るし力も貸すといってくれました、慣れない世界で芽が出ずに、試行錯誤を繰り返すばかりだった僕に察しをつけて、涙のでるようなことを、本心で言ってくれたのです。…届いた跡目継承の披露パーティーの案内状にも、土井正高の筆跡で、「案内状を見てもらいたいから送るだけだ。迷惑がかかるといけないから、ナオちゃんは来るな。祝儀も花輪も何にも要らない。そんなことをすると、俺は総長になったからいいけど、ナオちゃんは直木賞が獲れなくなっちまうぞ」と書いてありました。土井正高が文学賞の名前を覚えたのがおかしいのと、いつでも心配してくれているのを知って、僕は涙ぐんでしまったのです。…しかし、このパーティーは間違いなく、土井正高の一生に一度の晴れ舞台で、顔を見せられる同年輩の友達は、生存競争の激しい世界ですから、多くはないと僕は知っていました。行ってひと言、お祝いを言ったら、どんなに喜ぶかと思ったのですが、思い悩んだ末に僕はいかなかったのです。』とある。

 著者には、あったことがないが、この本を通じて伝わってくるのは、謙虚で、優しくて、ユーモアに富んだその何ともいえない温かそうな人柄である。

 こんな人柄の著者がどうして、若き日(高校生の時らしい?)、賭博に手を染め愚連隊に入り、何度か刑務所に出入りを繰り返すようになったのか、真に不思議な感じがするのである。
 まあ、その経緯については、著者の処女出版作“塀の中の懲りない面々”があるので、後日そちらを読めばわかるのかもしれない。

  ただ、想像できるのは、若さのもつ制御しがたい男の破壊本能のなせる業ということであろうか。

  そして、著者の改心の経緯は次のようであったらしい。

「三十半ばまでに芽がでなければ」というタイトルである。
『…総長や組長になる男は、三十も半ばになれば頭角をあらわして、男を売り、他の一家の者にも知られるようになるものです。残念ですが僕も昭夫も、そんな歳は通り過ぎようとしていたのに、出世する気配はありませんでした。自分では気が付いていない欠陥や傷が、致命的だと僕には分かっていたのです。つまり博奕打ちの大物になるほどの器量が、なかったということでした。博奕打ちの若衆は、三十半ばまでに目が出なければ、もうほとんど親分よ、貸元よと呼ばれるチャンスはないのです。三歳年上で既に四十歳を過ぎていた僕は、府中の塀の中で、既にすっかり諦めていました。…「安部さん。器量のある下目のもんが、どんどん出世して自分より高目になってしまったら、これは随分、つらいことでしょうね」…「自分は根性がないから、とてもそんなことには永く我慢がきかねえよ」僕は昭夫に叫び返しました。…「自分はそれもあって、今度、出所したら、足を洗って堅気になるかもしれねえ」僕が叫ぶと…』とある。
 これが、動機となって、この出所後、足を洗って堅気、そして売れっ子、小説家になった次第のようだ。

 この感慨は、どこの世界にも共通するところがあるように思う。
 私も、若い頃、役所に入って、試験成績だけは学校時代の延長みたいなもので、そこそこ上位の方だったが、それだけでは、公務員法の上では成績主義がうたわれていながら、実際の組織の中では、そんなものが出世に繋がらない事がだんだん分かってきた。
自分より下の成績のものがどんどん良いポジションへ異動していく。こちらはどうしたわけか同じポジションに溝(ドブ)漬のままに置かれたままである。しまった。これは自分には合わない世界に入ってしまった、と臍を噛んだ覚えがある。
人には、組織向きの人を束ねていける者、上の者から可愛がられる者と、そうではない者とがあるようである。
 どうやら著者も私(同列に書くのはおこがましいが)も自我の強い、一匹狼的な“そうではない者”組のようである。こういう人間は組織の中では、ついつい浮いてしまうのである。

 人生は、短い。そして右へ行くか左へ行くかの決断は、あっという間に過ぎ去る若き日の一瞬の選択で決まってしまうのである。
 その一瞬の選択が、後の人生の大半を決定付けてしまうのである。その選択にあたって、誰も何も教えてはくれないのだ。
 こうして、我々はそれぞれの幸、不幸の人生行路に、自らを振るい分けていくのだろうか。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

認知症母子心中未遂事件温情判決!―今「高瀬舟」を思う―

2006-07-22 00:36:02 | 時事所感
7月21日(金) 曇り。19~23度、涼。

  ヤフーでニュース検索していたら下記の記事が目に止まった。一読、涙が溢れた。引用が長くなるが、事件の経過や背景、司法の判断等が良く分かるのでそのまま引用させていただく。

『認知症の母殺害に猶予判決 京都地裁 「介護の苦しみ」理解示す

 介護疲れと生活の困窮から今年2月、合意の上で認知症の母親=当時(86)=を殺害したとして、承諾殺人などの罪に問われた長男の無職、片桐康晴被告(54)=京都市伏見区=に対する判決公判が21日、京都地裁で開かれた。東尾龍一裁判官は「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」として懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡した。
 判決によると、片桐被告は今年1月末、介護のために生活が困窮し心中を決意。2月1日早朝、伏見区の桂川河川敷で、合意を得た上で母親の首を絞めて殺害し、自分の首をナイフで切りつけ自殺を図った。
 論告や供述によると、片桐被告の母親は父親の死後の平成7年8月ごろに認知症の症状が出始め、昨年4月ごろに症状が悪化。夜に起き出す昼夜逆転の生活が始まった。
 同被告は休職し、介護と両立できる職を探したが見つからず、同年9月に退職。その後、失業保険で生活している際に、伏見区内の福祉事務所に生活保護について相談したが受給できないと誤解し、生活苦に追い込まれて心中を決意した。
 殺害場所となった桂川河川敷では、家に帰りたがる母親に「ここで終わりやで」と心中をほのめかし、「おまえと一緒やで」と答えた母親の首を絞め、自らもナイフで首を切り自殺を図った。前日の1月31日には、母親を車いすに乗せ、京都市街の思い出の地を歩く“最後の親孝行”をしたという。
 判決理由で東尾裁判官は「相手方の承諾があろうとも、尊い命を奪う行為は強い非難を免れない」としながらも、「昼夜被害者を介護していた被告人の苦しみ、悩み、絶望感は言葉では言い尽くせない」と、追いつめられた片桐被告の心理状態に理解を示した。
 また、判決文を読み終えたあと、片桐被告に「朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください」と語りかけた。同被告は声を震わせながら「ありがとうございます」と頭を下げた。
     ◇
【視点】介護支える社会整備を
 認知症の母親を殺害した片桐康晴被告に、京都地裁は執行猶予付きの“温情判決”を下した。裁判をめぐっては、検察側も「哀切きわまる母への思い。同情の余地がある」と、最高刑懲役7年に対して求刑は懲役3年と、被告の情状面に理解を示していた。
 公判では、冒頭陳述や被告人質問で母子の強いきずなが浮かび上がり、聞き入る東尾龍一裁判官が目を赤くする場面すらあった。
 「生まれ変わっても、また母の子に生まれたい」と母親への強い愛情を吐露した片桐被告。公判では、介護のために仕事をやめざるを得なかった現実や、生活保護受給を相談した際に行政側の十分な説明がなく生じた誤解など、誰もがいつ陥ってもおかしくない介護をめぐる現実が浮き彫りになった。「人に迷惑をかけずに生きようと思った」という片桐被告の信条さえも“裏目”に出た。
 介護をめぐり経済的、精神的に追いつめられ殺人や心中に至る事件は後を絶たない。160万~170万人ともいわれる認知症患者は、約10年後には250万人にまで増加するとの推計もある。反対に少子化のため介護者の減少は必至で、介護をめぐる問題は極めて現代的な課題といえる。
 “母親思いの息子”が殺害を選んだ悲劇を繰り返さないために、法整備を含め、社会全体で介護を支える仕組みづくりが求められる。(京都総局 藤谷茂樹)
     ◇
【用語解説】承諾殺人
 加害者が被害者の承諾や同意を受けて殺人に至った場合に適用。殺人罪の量刑が死刑から3年以上までの懲役であるのに対し、承諾殺人罪は6月以上7年以下の懲役または禁固刑となっている。心中を図り、心中実行者が生き残ったケースに適用されることが多い。
(産経新聞) - 7月21日15時55分更新』
 
◆◆◆ー以下、蛾遊庵コメントー

 このところ、光市事件にしろ、広島での木下あいりちゃん事件にしろ、被害者の数がたりないから死刑には及ばない、無期だとか、まともな素人には理解しがた理屈で捏ね上げた判決に辟易の思いをさせられていたところ、本件論告求刑、判決はともに人間らしさの感じられる大岡裁きに思われた。

 私も、数年前に、長年一人暮らしをしてきた母が、80歳の時、胃癌にかかり手術後、麻酔から醒めた後おかしなことを言うようになり、譫妄(センモウ)が始まり、我が子が(私たち兄弟)の分別もできない認知症になった。

 その母の認知症を少しで軽くできないかと、せめて譫妄に苦しめられているらしい母の苦痛を少しでも和らげられるアドヴァイスが得られないかと、都内近郊の精神病院、老人病院を連れ歩いたが、どこにも適切な助言、治療を示唆してくれる医療機関や専門医はいなかった。

 私はそれ以来、精神科医に対して、何か犯罪が起きると、もっともらしい分析を聞くにつれ、何を訳知りの後講釈がと、いつも不信の念で聞き捨てている。

 弟は、ほとんど母のアパートに朝晩は泊まりこみの状態で、日中は、デイケアにお願いしということで二年を過ごした。その後は、私の退職を機に、現在の山梨に移転し、母を直ぐ近くの老人ホームにお願いし、日中は私が様子を見に行くということで、最後を看取った。

 この間、弟は、夫婦親子関係が悪化し、一人残されて離婚にいたった。
 それでも、私たちは、兄弟ともに安定した仕事をもち、老人介護施設への入所もでき、時期的にも定年とかさなることで何とかしのげた。
 しかし、仕事が不安定で、兄弟もいなかったとしたら、今回の事件のケースは決して他人事とは思えないのである。

 そして、本件事件の経過のなかで、行政は、被告の生活保護申請の訴えを聞きながら、何故もう少し親身な相談にのってあげられなかったのかと言うことである。
 被告が腕に職があり、年齢的にもまだ50歳代ということで、生活保護の本人への支給は無理があったにしても、行政措置として母親を特別養護老人ホームなり、なんなりに緊急入所を手配してあげるなり、母親だけでも生活保護を認めるなり、行政の裁量でできることは、いろいろあったはずである。

 もし、この被告が、日本○産等や○明党、何とか学会のメンバーで、その筋の有力議員の口添えがあったらどうだろうか?決してこんな木で鼻を括ったような扱いはしないはずである。
 この被告、本当に不器用な誠実な人柄なのである。こうゆう人が泣きをみる行政とはなんだろうか。京都というところは、昔から革新が強いと聞くのにそれは、一定の支持者にたいしてだけのものなのか?

 そして、担当者に訊きたい。貴方々は一体誰のための公務員かということを!。自分は安泰な高みにいて、尺(シャクシ)定規に法律の番をするだけなら、そんなものはさっさと廃職にして、自動申請交付機と交換してしまえと!。

 ところで、この四月から政府は、市町村に07年度末までに、中学校区に一箇所の割合で「地域包括支援センター」の設置を義務付けた。
 今後は、ここを拠点に、公正・中立な立場から。地域における高齢者の①総合相談・支援 ②介護予防マネジメント ③包括的・継続的マネジメントを担う中核機関とするとのことである。

 今日市役所に電話したところ、わが市の場合、一箇所で11人体制で発足していると聞いた。その内訳は保健婦・経験のある看護士、社会福祉士、主任ケアマネジャーで構成されるという。
 また、ここで全ての用が足りるようワンストップ・サービスを目指すという。

 どうか、仏作って魂入れずとならぬよう、願わくは本件事件の二の舞を見ないよう関係者の皆様のご活躍を願いたいものである。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

―追 記―

 上記事件経過、判決を読んで、私は一瞬、森鴎外の短編「高瀬舟」を思い浮かべた。
 時代は江戸、寛政の頃、場所は京都、高瀬舟。その日暮しの孤児育ちの、兄弟ふたりきりの身の弟が病に倒れて、兄の負担を思い、兄が仕事に出ている留守に喉を剃刀で掻き切って死に切れず、もがいている所へ、帰ってきて驚く兄に、早く剃刀を抜き取って楽にしてくれと懇願する。
 ためらう兄、しかし、断末魔に苦しむ弟を見て、終に引き抜く。その瞬間を、隣家の老婆に見咎められて役所に訴えられる。遠島の刑と成り、高瀬舟に載せられて高瀬川を下る。兄の名を喜助という。兄弟もまた西陣で空引(カラビキ)職人として働いていたのである。
 本件の被告もまた、西陣の腕の良い職人であったと聞く。

 この事件をみて、「おかん(若狭方言、母親の意)」想いの今は亡き水上勉なら、どんな哀切な平成の「高瀬舟」を書いただろうかと思ってみた。

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心の乾きと想像力の退化-その回復のためには?(その2)

2006-07-21 11:52:44 | 日常雑感
7月20日 (木) 曇り後

先日、7月17日 (月)“心の乾きと想像力の退化-その回復のためには?-”と題して、
『 …そして人々の心から湿り気がなくなり、乾いた心で今、人が人を、まるで路傍の雑草を簡単に引き抜くように躊躇いなく殺してしまう。自分がしようとしていることの結果も予測できないような人間が、そこかしこを上から下まで、我が物顔で闊歩している。
そんな乾いた心を潤し、失った想像力を取り戻すためには、どうすればいいのだろうか?
私は、そのためには、未だ豊かな可塑性に富む幼い子どもの教育について、知育優先から情操優先に力点を変えるべきではないか…
 その方策の一つとして、小動物の飼育を通じて、世話する手間、観察することを通して、小動物の心持を思いやる心を養わせることである。それは、小動物でなくても、花や野菜などでもいいのではないだろうか。ものを育てる喜び、命の尊さを、肌身を通して感じるようになるのではなかろうか?
今の小学校なんかのカリキュラムの中で、これらのことは、どの程度の時間と重きがおかれているのだろうか? むしろ、算数の学力がどうとか、ますます幼いうちから、知育偏重に向かおうとしているのではなかろうか? 』と記した。

 そして、昨晩夜半の徒然、先日借りてきた「山里ノスタルジー」絵本作家:梅田俊作著1997年ベネッセ刊を拾い読みしていたら、次の記述に出会った。

―男は度胸 鯨に挑む―の見出しのもと、『夏休みも終わりに近づいたころ、はるばる舞鶴と京都からお客様がやってきました。小学校の先生たちとその家族、…総勢30人、貸し切りバスで…四国太平洋沿岸までの長い旅です。』
そこで、彼らと著者は、目の前の日和川地元の中学生男女が水遊びをしているのを見る。川中にはクジラ岩という高さ6~7mの大岩がある。中学生たちは、そこから肝試しとして次々に水中に飛び込む。ところが何度試みても恐くて飛べない小柄の女の子がいる。仲間が一生懸命あれこれアドヴァイスして励ます。しかし飛べない…
『…傾き始めた夏の陽にシルエットとなって浮かぶ少女の緊張した四肢の震えが伝わってきて、躊躇し、たじろぎ、ためらいする心の揺れにいつしか私たちも同化して、手に汗を握っていました。それほどにして恐怖にたちむかおうとする少女の心に何があるのだろう…。見守る仲間たちの、囃したてることなく静かに励ましつつ見守る様子は、この渓谷の澄んだ気配にゆったりと溶け合っていて、そのことにも私は心を打たれていました。見届けたい気持ちを残し、私はカミさんと所用のためその場を引きあげました。
夕方庭先の野菜畑に水をまいていると、はじけるような笑い声がして、さきほどの中学生たちが自転車で帰ってきました。私が「飛んだかーい?」と声をかけると、少年たちは口ぐちに「やった!」「やった!」と通り過ぎて行きました。そして最後の自転車の荷台乗っていたあの少女が振り返りながら指でVサインを送ってよこしたのでした。』
その夜の庭先での飲み会の後で『「ちょっと、聞いてもらえますか」飲み疲れ、語り疲れてゆるんだ空気を引き締めるように、今回のお客様のリーダー、ミズタ氏が、ふわりと揺れながら縁台に座りなおしました。
…「僕は感動しました。あの少女に勇気を教えられました。それで、ある決意を胸に、厳粛な気持ちで僕もクジラ岩から飛びました…」あのときの恐怖と必死に戦う少女の孤独な姿が想い浮かびます。「現在の学校教育は間違っている。それがわかっていながら、お上からいつまでも給料を貰うことを考えていたのでは、駄目になるんだと思いました」
…「僕は長年考えてきたことを行動に移します。ものを育てる心を育む。それを大地から、大自然から。子供たちと共に学びとる農業学校を始めます」仲間の先生たちから拍手がおこりました。…それから半年後、日和川のクジラ岩から飛んだ先生方によって農業学校が開校したことを、てがみと新聞記事で知ることとなりました。』と、あった。

 私は、嬉しくなった。目頭がうるうるした。この頃はちょっといい話には直ぐ泣けてしまうのだ。
このお話はちょっとどころではない。素晴らしいお話だ。少女も偉い。仲間の少年たちも偉い。だがその少年少女達の振る舞いに感動して、長年温めてきた決意を実行に移す大人の先生たちが少数とはいえ、いられたことがもっと心強く、偉いと思った。
 矢張り、同じことを考えている方はいるのだ。

 今、学校の先生たちについて、再教育とか免許制とかが論議されている。本当に必要な教師の資質とは何か?算数や理科、国語や社会などの教科を効率よく教え、ひたすら覚えさせ、一斉テストで学力を測定しその成績が上がれば、即それを指導した教師の成績も上がる、優秀ということだろうか?

 少しばかり物覚えの良い人間が選び抜かれて、その彼らが大手を振ってこの国を引っ掻き回してきてどんな国になったというのか?ご覧の通りの有様である。

 今の社会に欠けているのは、上記の少年たちのような仲間や隣人への暖かく静かな励ましや思いやりではなかろうか?そして、相手が年少者とはいえ、大人になっても、いい情景をみたらそれに率直に感動できる優しく瑞々しい感受性ではないだろうか。

 それは、何によって育まれるのか?古代人間は森の住人であったのだ。自然こそが人間にとって、人間らしい心を保ち続ける不可欠の胎盤ということではなかろうか。
 それを、どんどん切り捨てていくなかで、我々は本来の優しさという心の湿り気を放出しつづけ、いまや干物になりつつあるのではなかろうか。

 上記の、農学校、発足してから10年になろうとしている。一体、そこからはどんな子供たちが育っているのだろうか?機会があったらその後の消息を尋ねてみたいものである。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?



「政治家データネット」、「ザ・選挙」の発足を祝す!

2006-07-20 00:04:44 | 時事所感
7月19日(水) 雨のち曇り。終日、19~21度、涼しい一日。

 今朝、新聞(朝日)を開いたら、4面に“政治家データ ネットで一覧”という記事が目に飛び込んだ。この記事によれば、

『衆参両院と自治体の首長、議員選の立候補予定者や選挙結果を網羅するサイト「ザ・選挙」http://www.senkyo.janjan.jp/
が今月から稼動し始めた。候補者の生年月日や経歴、顔写真などの基本情報のほか、国会での活動や自己PRを掲載。検索機能を装備し、どこで選挙があり、誰が立候補したのかが直ぐ分かるのが特徴だ。
07年春の統一地方選挙に向けて、現職だけで5万人というデータを集め、有権者への情報提供をめざしている。前神奈川県鎌倉市長の竹内謙氏が代表をつとめる日本インタネット新聞(本社・東京)が運営。
…竹内氏は「これまで有権者が投票する上で基本情報が不足していた。日頃の政治活動や過去の選挙結果を含めて、情報を蓄積し、判断材料にしてもらいたい」と話す。URLはhttp://www.senkyo.janjan.jp/ 』とある。

 実にいいことである。インターネット時代に相応しい社会基盤的公器の立ち上げと評価できるのではないか。まさに竹内代表の発言のとおりである。選挙の時だけ配布される選挙公報なんか見たってほとんど肝心要の情報なんか得られたためしがなかった。

 早速、アクセスしてみた。発足したばかりとあってまだまだ情報不足は否めない。検索方法にも問題がありそうだ。

 今後はしばしば問題になる、後援会組織の性格やメンバーなど、地元での評判、議会各種会議出席状況、資産公開などの情報についての充実が望まれる。

 これができれば、報道機関だって随分取材や記事作成に助かるのではなかろうか。マスメディアと一般国民が共通の情報資源を共有できるということは、今後の国、地方の政治のあり方に大きな影響を持つのではなかろうか。

 各種議員も今後はこんな監視システムが整備されていくと、その場限りのお座なりな対応ではすまなくなるのではなかろうか。
 政界からの悪貨の追放に効あれかしと切に願う次第である。

 そしてこのシステムは、先に本年2月24日、私のブログで民主党偽メールお騒が議員、永田議員をみていてどうしてこのよな議員が突如国民の前に現出するのか、不思議に思い「国会議員閻魔帳(データーベース)」を立ち上げよう!(その1)、(その2)と、提唱してみたのである。

それがこんなに早く実現を見るとは、わが意を得た思いで、喜ばしい限りである。
 この立ち上げのために二年の歳月と、30人ノスタッフその他関係者の協力が必要だったと聞く。さもありなんである。関係者の方々のご努力に対し、一市民として感謝申し上げたい。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

ライフスタイル変換時代の始まりか!-仕事人間から人生謳歌へ-

2006-07-19 01:09:46 | 田舎暮らし賛歌
7月18日(火)終日雨。気温涼。

  今日、何気なく下記の記事を見た。いよいよ団塊世代引退に向けてお役所も一歩身をのりだしたということだろうか?

『好みの様式で田舎暮らしを 総務省が専用サイト開設 http://kouryu-kyoju.net/index.php
 総務省は18日までに、地方との交流を求める都市住民向けに、田舎暮らしの情報を提供するインターネットサイト「交流居住のススメ 全国田舎暮らしガイド」を開設した。
 今後定年を迎える団塊世代だけでなく、若いファミリー層など幅広い世代が対象。田舎にセカンドハウスを設けたり、貸家を利用して行き来したりする「交流居住」を希望する都市住民が、自分の生活様式に合った情報を得られるのが特徴。
 都市住民のニーズに応じて居住タイプを、(1)1-3泊程度の「短期滞在型」(2)数週間から数カ月の「長期滞在型」(3)田舎に家を建てて生活拠点を移す「ほぼ定住型」(4)週末や休暇時に行き来する「往来型」(5)農林漁業や伝統工芸の技術取得が目的の「研修・田舎支援型」-の5つに分類。好みのタイプと希望する地域に合わせて検索できる。
(共同通信) - 7月18日18時32分更新』
 
 いいことではないか。わが山梨県も東京に団塊世代囲い込み目指して出店を出したと聞く。いまだ客の入りは今一とか。

 そこで、これに関連していつも思うのは、各地方自治体の工場誘致等の未利用地活用である。一時はどこもかしこも争って、山を削り、海を埋め立て、争って工場誘致のために工業団地の造成に努めた。今そのどれだけが初期の目的どおりに活用されているだろうか?
 住宅団地もそうである。北海道のある町では、土地代無料で誘致しているのをTVで見たことがある。かように利用されていない土地が結構あるのではなかろうか?

 自治体は、これらの土地を、田舎暮らし希望者向けに畑つきの賃貸団地にして、移住者を募ったらどうだろうか?賃貸ならば、これは向かないと分かればいつでも、元のところに帰ることができる。それだけ気楽に試行できることになれば、その造成プランのいかんによっては、結構希望者が殺到するのではなかろうか?そうすれば、地方の活性化、地方財政の再建にもいささかなりとも貢献するところとなるのではなかろうか?

 ところで、1947年から1949年の間に生まれた第一次ベビーブーム世代の一斉退職が2007年から2009年にかけてピークを迎えるという。

 そしてこの世代の特徴は、自己主張の強さと、平等への拘りが強いとか。とはいえ、会社・組織のなかではやはり、自己主張第一主義では生き残れない。そこを何とか今日まで生き延びてきたということは、それなりに己を殺して周囲と妥協を重ねてきたからである。

 だが、しかし、会社・組織の椅子から放り出されて、首輪の如きネクタイ外せば、もうこっちのものである。何の遠慮があるものか。おのおの胸の奥深く秘めていた企みを、やりたいようにやればいいのである。
 早くも東京では歌声喫茶や、ギターバーがそこここで、熟年男性で一杯とか。

 そして、これも聞くところによると、奥様方も厚生年金の受給資格の二分の一分与、法改正待っての離婚待機とか。
 今の60歳は、藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」ではないが、「日昏ルルニ未だ遠シ」である。
様々な生き方が百花繚乱、日本文化の江戸元禄に似た再生がはじまるのではなかろうか?

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?