蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

普天間、日米安全保障条約について思うこと

2009-12-19 01:16:42 | 時事所感
12月19日(土)

普天間の基地問題について、鳩山総理の迷走ぶりが喧しく言われている。遠めにみていて確かにはっきりしなくていらつかせられる。
しかし、気の毒でもある。
何しろ戦後60年の垢に十重二十重と包まれてきたのであるから。
今の大方の私たち日本人にとって、現状があたりまえになってしまっているからだ。
 
だが、もうそろそろその垢を掻き落すところにきているのではないか。

「日本はアメリカに守られているのだ」と事あるごとに聞かされている。「日本人を守るためには、アメリカは血を流してくれる覚悟なんだ」と。

  しかし、いざとなった時そんなことがあるだろうか。
  条約なんてものは、古来世界史を紐解けば、いざとなればいつでもバッサリ破り捨てられるのがおちではないか。
  そんなものが守られているのは平時の念仏経文でしかないのではにか。
  アメリカが血を流すのはアメリカの国益に従ってながしているのにすぎないのだ。
イラクだってアフガンだってみんなそうだ。
  アメリカという国を動かしてというか牛耳っている一部利益集団(特権階級)が自国の多数の弱者を使い捨てにして、己が利益をさらに増やさんが為守らんがために、事の実態を国際正義のオブラートにくるんで、傍若無人に他国を侵略しているのが実相ではないのか。

  日米安保にしたところで第一にアメリカの国益に適っているからではないか。この野放しにしておけば、また何をするかわからない底知れぬ力を秘めた恐ろしい日本。その不気味な手足を縛るために戦勝国家の優位性を傘にかかって、ソフトに押し付けているのではないか。

  そうであれば、もうこの辺で、我国は、こんな安保条約という安天麩羅のあつころもみたいなケッタイナ衣は、きれいさっぱり脱ぎ捨てるところにきているのではないか。

  日本人は、いざという時は、アメリカが守ってくれるなんて幻想を一日も早く捨てるべきなのだ。たとえ、北朝鮮が、一発、二発怪しげな原爆をミサイルで打ち込んできてもである。
  そのときこそ、皮を切らして肉を切る。肉を切らして骨を絶てばいいのだ。たちまち我が日本人は蒙古襲来の鎌倉武士の如く敢然と目覚めるからだ。

  しかし、いかな北朝鮮といえどもそんな自爆行為には、めったにすることはあるまい。

  日米安保絶対保持主義者は、二言目にはアメリカの核の傘を金科玉条のように有り難がるが、そんなものの必要性が現実問題としてどこにあるだろうか。

  幸いなことに日本は海洋国家である。国境は歴然、判然としている。侵略行為にに出れば誰の目にも明らかだ。

  海に勝る国防は古来ないのだ。海を国防力に換算すれば何個師団分の陸軍力になることだろうか。それを考えれば、当面、今の自衛隊の保有軍事力で必要最小限十分なのではないか。

  今とにかく、一日も早く日米安保条約を解約して、日本は真の独立国家として、たつべきときではないか。自国は自国で守る。この気概がなくてどうして国家をまっとうできようか。そして直ちに沖縄の米軍基地を一掃するのだ。
  それこそが靖国の英霊の御霊に真にこたえることではないのか。靖国、靖国と声高におっしゃる方々は返す刀で何故このことに長年触れられないのであろうか。

  とにもかくにも、今の日本の国際的な発言力の無さは、この気概が無いためではないか。

  日本は、日米安保を破棄した上で、次のステップとして、速やか先ずは国際警察機構の確立そして世界政府の樹立を主唱すべきだ。

  しかし、私の日米安保条約破棄論は、日本が戦前のような軍事優先国家になることを提唱するものでは決してない。

  否、むしろ今、この世界で起きている全ての問題は、現在の個別国家の乱立の仕組みでは永久に解決できないことばかりに陥っているとみるからからである。
  今や世界政府の仕組みをつくらないかぎり、人類はこれ以上共存出来ないと思うからだ。

  しかしこのような主張は、現行の日米安保の核の傘に隠れて、いくらODA資金を世界中にばらまいたところで、世界の何処の国が耳を貸してくれるかということである。

  それには、日本がアメリカの核の傘ときっぱり縁を切った上で捨て身なって見せることなのではにか。
  そのときこそ、日本は、改めて、日露戦争に勝利し白人文明の優位性に一泡も二泡も吹かせた勇者として世界から尊敬の目を向けられ耳をかたむけてもらえるのではないか。

  僭越ながら、鳩山総理大臣閣下並びに小沢闇大将軍閣下もお腹のそこではこのようなお考えに近いのではないかと忖度する次第なのですが…。

  果たしてこの妄言(?)を皆様は、いかがお思いでしょうか。

   どんなご意見でもお聞かせ願えれば幸甚に存じます。

スペシャルドラマ 「坂の上の雲」 を視る。素晴らしいドラマだ!

2009-12-15 15:10:30 | 日常雑感
  日曜、夕方、5時半から7時まで、BShiでスペシャルドラマ 「坂の上の雲」を見る。近頃にない素晴らしいドラマだ。
  配役が抜群に好い。誰もが役になりきっている。分けてもこのドラマの主人公である秋山兄弟を演じる真之(本木雅弘)と好古(阿部寛)が抜群に好い。香川照之の正岡子規も好い。そのなかで夏目漱石を演じる 小澤征悦はやや軽すぎてやや違和感がある。
 まあ、それはともかくとして90分が短すぎる感じだ。
 どこがいいのかと言われれば、まず時代背景だ。明治20年代、ようやく新国家日本が羽ばたく時代。何と今の何処を向いてもいやったらしく意気地の無いしみったれた日本と大違いだろうか。
 それは、このドラマに登場する諸群像が皆選ばれた時代のエリートばかりだからということだろうか。
 とにかく視ていて気持ちが好いことは、誰もが己が選らんだ道に向かって一直線に迷わず突き進んでいく姿に打たれるのだ。
 そしてお互いが皆優しい。見ていて自然に涙が出てくる場面が何度もある。
 無駄な会話がない。運びがリズミカルだ。脚本がいい。演出がいい。セットがいい。

 先日終わった天地人のダラダラと思わせぶりな舌たらずな半煮えのこどもの紙芝居にもならないようなドラマとは大違いだ。これが同じNHKとは思えないぐらいの出来の違いはなんなんだろうか。
 やはり司馬遼太郎という原作作者の格の違いが、俳優、演出、脚本家の全てに何か違う緊張感と使命感のようなものを発揮するのだろうか。
 とにかく、これから3年間、長く楽しめるのは有り難いことだ。
 こういうのを見せてくれるのなら、NHKの視聴料なんてただみたいなものに感じてしまえるのだが。

 それにしても、明治、なんという素晴らしい時代だったことか。それから約百年。この平成の時代の何と薄っぺらで下向きで理想のない身も心も貧しい時代はどうだろうか。
  それには斯く云う自分にも、いいかげんにその場しのぎの刹那的に生きてきたことにあるのかもしれない。
  そんな中で平成天皇皇后陛下だけは、お二人で一生懸命、この日本の失ってはならないなにかを、それは他者への慈しみのようなものを、お守りになっているように思える。

  私は、今の世界の混沌を収拾するには世界政府の樹立が不可欠と信じるものではあり,偏狭な国粋主義者ではないつもりだが、何故かこのドラマを視たあとではこんな感想を自然にもってしまった。

 明治時代の人々が願った輝かしい日本国家の建設ということが、これからの我々にとっての理想とすべきは世界政府の樹立ということではないだろうか。
 そのことに日本人たる我々がどれだけ貢献できるかが…。