蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

たまには夢のある話?―2025年の「イノベ生活」とは!―

2007-02-27 23:53:12 | 時事所感
2月27日(火)晴れ。暖。

  今朝の朝日2面トップに、『母はテレワーク、ロボットが風呂わかし 2025年の「イノベ生活」 政府のイノベーション25戦略会議は、26日、2025年にめざす国民の姿を描いた「中間のとりまとめ」を発表した』という記事が出た。

 これは、一体何のことかと読んでみたら、
『安倍首相が昨年9月の所信表明演説で表明した、医薬、工学、情報工学などの技術を生かして生産性向上を狙う目的で、科学者や経済界の7人でつくる戦略会議だそうで、今回その「中間のとりまとめ」ができたという。
健康や環境など5分野から、飲むと健康診断ができるカプセル、二酸化炭素で走る自動車、衝突を避ける自動車など期待される20の技術が挙げられている。』というもの。

しかし、これを読んだだけでは、山家の隠居にはピンとこなかった。

 早速、毎度お馴染みのgoogl君のお世話になることとした。たちまち呼び出してくれた。http://www.kantei.go.jp/jp/innovation/index.html-11k-
見ればこの報告書、87ページもある。
 そこで、隠居の喫緊の願いの箇所だけ抜粋してみた。

『例2.高齢者でも丈夫な身体、認知症も激減
骨・軟骨、皮膚、歯等の再生医療技術、自家組織の増殖・移植技術が普及し、高齢者
になっても50歳と同様の身体機能を保つことが可能になる。
また、高度な介護ロボット、認知症に対する特効薬などが開発され、それらが普及する
ことにより、家族や介護者に大きな負担をかけずに、ほぼ健常者と変わらないような社会生
活が可能となる。

例4.走れば走るほど空気を綺麗にする自動車
人工光合成技術の利用等により、CO2をエネルギー源として走る車が実現する。
【実現のために必要な技術・システム】
・ 煤塵、NOX 等の出ないクリーン燃料(水素を除く)(2014年/2021年)
・ 燃料電池を搭載した交通機関(自動車、船舶など)(2012年/2021年)
・ 燃料電池自動車への水素供給サービスの普及(2013年/2023年)
・ 太陽エネルギー変換効率3%以上の人工光合成技術

例6.不毛の砂漠に緑のオアシス
砂漠化が深刻な地域において人工的に雨を降らせ、沿岸部にある場合は海水の淡水
化技術を使い真水が確保される。さらに、遺伝子組み換えなどの最先端バイオ技術を生
かして劣悪な環境下でも育つ植物を導入しながら、脱塩技術などで健全な土壌を回復し、
不毛の地と化した砂漠を緑地に復元する。
また、日本国内においては、土壌の有無、地形の差異等にかかわらず、様々な形での都
市緑化が進み、ʻ緑との共生生活ʼを実感することができる。
<生活・産業>
例7.ヘッドホンひとつであらゆる国の人とコミュニケーション
人工知能、音声認識技術の高度化等による高度自動翻訳機能を備えたヘッドホンで、
日本語と外国語との壁がなくなり、あらゆる国の人とのコミュニケーションが大きく広がる。
【実現のために必要な技術・システム】
・ 言語の同時翻訳機能が付加された電話の一般化(2017年/2025年)
・ インターネット上の自動言語翻訳機能の向上により、インターネット上の多言語にわたる
情報を特定言語で容易に検索可能になり、必要な情報を瞬時に世界中から引き出す
ことのできる知識の体系的保存システム(2010年/2015年)
・ 音声入出力の身体装着型自動翻訳装置(2013年/2020年)

例15.衝突できない車
自動車側と道路側双方における高度情報化・ネットワーク化の進展により、衝突の自動
回避や自動運転が可能となり、交通事故が激減する。
【実現のために必要な技術・システム】
・ 車車間通信システムを活用した出会い頭等の事故防止システム(2009年/2016年)
・ 高速道路等において目的地設定するだけで安全・円滑に自動走行する自動運転シス
テム(2012年/2020年)
・ 画像認識や各種センサを利用して自動車周囲の状況を認識することによって、衝突を
防止するシステムの一般化(2010年/2015年)
・ 物同士が相互に存在、性質、状況を感知し自動的に危険回避や協調作業を行う技術
45
(例えば、自動車と自転車、ストーブとソファーが接近して危険な状態になったときに、物
同士が通信して、自動的に警告音を出したり、止まったり、火が消えたりして危険を回避
するようになること)(2013年/2020年)』

■ どれもこれも真に結構なお話ではないか。

  これなら、今後、自分で車が運転できなくなったら、ここでの暮らしはどうなるだろうか?という心配も半ば解消しそうである。

  我が家の遺伝体質と半ば諦めていた、80歳前後に多く始まるというアルツハイマーについてはどうだろうか。

  目標とされている、2025年には、ぎりぎりセーフか、ちょっと間に合わないか?

  そして、なんと言っても魅力的なのは、「ヘッドホンひとつであらゆる国の人とコミュニケーションが可能となる」ことである。

  これさえあれば、我が念願とする世界連邦樹立の大きな障害が、先ずは無くなりはしないかということである。

  だが、こんな結構なお話。果たして寅さんのセリフではないが、結構毛だらけ猫はいだらけ、絵に描いた何とかと雲散霧消にならない保障がどこにあるのだろうか。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

人が人を食い物にする、人材派遣会社や労働者請負会社は、一体どれだけ儲けているのだろうか?

2007-02-26 01:37:02 | 時事所感
2月25日(日)晴れ。寒し。

  今朝、日曜日はスパモニがない。しかたがないので毎度、四角四面で面白みが無いとは承知で、それでも、今日のテーマ「成長戦略と“格差”を問う」と言うことで、チャンネルを合わせた。

 ご出席のメンバーは、と見れば、『(経済財政政策担当大臣)大田 弘子
         (経済財政諮問会議議員・伊藤忠商事会長)丹羽宇一郎
                     (東京大学教授)神野 直彦
                 (同志社大学大学院教授)浜  矩子』ということであった。

  結果は、期待に外れない内容の浅い、見当外れのような、隔靴掻痒のような議論に終始した。

  唯一つ、山家の隠居の耳に残ったのは、大田大臣が得意げにお話になった、「何とかカード」と云う代物だった。

  就職氷河期で正規社員になれないでいるフリーターの人たちに、この「カード」を持たせて、そこにどのような仕事をしたか、実習を受けたか、各人のスキルを記録していこうというもののようだ。
 これを見れば、企業の側では、正規社員として採用するに際して、その人がどのような能力の持ち主かが分かるようにして、採用を促進させようというものらしい。

 果たして、今の、狡猾な企業が、様々な企業現場を渡り歩いて、いわば企業の恥部を肌身に痛いほど刻み込んだ人間を、はいそうですかと、結構なご経歴でとばかりに、お人よしにも雇う気になるだろうか。

 企業にとっては、そんな人材煙たいだけと映るのではなかろうか。
 欲しいのは、学校出たてのマッサラで、企業の思惑通りにどんな色ににじみ無く染め上げることができる、世間知らずのお坊ちゃま、お嬢ちゃまたちではないのか。
 
 政府が、今、喫緊にやらなければならないことは、国民から負託されている国家権力の大ダンビラをふりかざして、労働者派遣法なる悪法を即刻、この法律は間違っていた、これは安倍総理ご提唱の「美しき日本をつくる」どころか、この国を亡国へ導くものとして、直ちに廃止することではないのか。

 我々のご先祖様たちが一番卑しい仕事として、さげすんできたのが、高利貸と女衒(ゼゲン)・人入れ稼業ではなかったか。

 ところがどっこい、前者は○○○○とか、何とか優しげな名前で白昼堂々、公共の電波で、CMを許されて庶民を借金の無間地獄に甘い言葉で誘い込み、、後者の代表は政府諮問機関の委員先生にまで澄ましかえって天下御免の有様だ。
 
 この間、両者がどれほど、弱者庶民の膏血を絞り上げ、悪銭の儲けの山を積み上げてきたことか。

 特に、今、雨後の竹の子といわれる人材派遣会社。一体いくらの利潤をあげているのだろうか。その実態は、少しも暴かれないでいる。

 正義感に富んだ、今や懐かしの故人、山口瞳氏が生きて居られたなら、確か銀行のことを「あれは所詮高利貸の別名ですから」と、お書きになっていたような気がする「男性自身」で、この口当たりの好い人材派遣会社、またの名を人呼んで「人買い稼業、人が人を食う稼業」を何と評し、嘆じられたことだろうか。

 と言ったところで、とにかく、「人買い稼業」の上に、どっかと大あぐらをおかきあそばす御手洗経団連会長閣下に、ご自分の言い分、聞くか聞かぬかで点数つけて、自民党への政治献金を決めるといわれるそのお方に、首根っこ押さえられているかに見える、安倍お坊ちゃま総理閣下に、そんなダンビラ振れといったところで、どだい無理田の泥の中といったところだろうか。嗚呼!

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。 

“トヨタ、一時金満額回答”―それで、派遣や請負の人たちにはどうなんだろう?―

2007-02-25 00:04:51 | 時事所感
2月24日(土)晴れ。やや寒し。
  
 書くタイミングが少しづれてしまったが、このニュース
『トヨタ、一時金満額回答へ
 トヨタ自動車の2007年春闘で、過去最高となる年間一時金258万円(5か月プラス79万円)の組合要求に対し、経営側が満額回答する見通しが強まった。
 07年3月期連結決算で日本企業初の営業利益2兆円突破が確実になるなど、好業績が続いているためだ。妥結すれば2000年から8年連続の満額回答となる。
 一方、1500円の賃金改善(実質的なベースアップ)要求について、経営側は「中長期的な競争力を損なう懸念があり、そのまま応えることは極めて困難」との姿勢で、前年の妥結額である1000円を巡る攻防となる見通しだ。
 春闘のリード役として注目されるトヨタの春闘交渉は、他企業に影響を与えそうだ。
(2007年2月15日 読売新聞)』を、見たとき直ぐ思ったのは、同社で働く期間工や派遣や請負で働いているひとたちには、どうなるのだろうということだった。

  他人様の懐の心配などしたってはじまらないと、言われればそれまでだが、今、正規社員と非正規労働者との格差が云々される時、無関心ではいられない。

  この一時金支給対象期間,、即ち今期業績は、正規、非正規の同社での労働者が一生懸命同じように働いた結果もたらされたものであることは確かだろう。
  ところが、その分け前の段になると、正規社員は、当然のごとく利潤が増えた分の分け前を要求し、それが満額認められた。
  これに対して、同社の非正規労働者は、当然の分け前を要求したのかどうか、その結果がどうなったのかも、一向に報じられない。(※ 私が、目にしなかっただけだろうか)
 
  若し、トヨタに働く派遣や請負の人たちが、要求したにも係わらず、一銭の分け前も貰えないのであったとしたら、こんな理不尽なことはないではないか。

  それでは、トヨタの労組・組合員の人たちは、経営者と一緒になって、非正規雇用者の上前をはねたと言われても、返す言葉あるのだろうか。
 
 同じように働くものが、正規雇用か否かにより、搾取する者とされる者に二分化されるなんて、一昔か、二昔前には想像もできなかったことが、今やあたりまえのことになってしまっているのだろうか。

 この現状をさらに固定化し、拡大しようと虎視眈々,労働法制の改悪を狙う経団連会長、御手洗氏は、近年稀に見る古典的資本主義者の権化というべきか。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

大阪市営地下鉄本町駅ホーム転落、事故救出駅員さんの謙虚さ!

2007-02-24 01:32:16 | 日常雑感
2月23日(金) 曇り、夕方薄日差す。暖。

 先日、19日(月)の夜のNHK総合でニュースで報じられた、大阪市営地下鉄、本町駅で、携帯をかけつつホーム歩いていた女性が、男性客とすれ違いざまに線路に転落したのを、気づいた駅員が、とっさに線路に飛び降り間一髪救助したことは、未だ耳新しい。

 しかし、私は、このニュースを視ていて、何故、せっかくのお手柄の駅員の氏名を、まるでわざと無視するかのように、告げようとしない報道のあり方に疑念をもった。
  
 ところが、翌朝の朝スパを見ていたら、このニュースを取り上げて、駅員さんが画面に出て西島と名乗ったように耳にとめた。ああ、昨日NHKでは名前が出ていなかったが、さすが民放局はきめがこまかいなと一瞬思った。しかし、写った顔がどうも前日と違う。

 そこで、思い切って大阪市交通局広報課(06-6582-1101)に問い合わせてみた。
 するとこういうことだった。

 『昨夜、NHKの取材があったときも当該職員の名前を出させてほしいとの申し出があったが、本人の意思で伏せてくれということになった。顔を写すことも最初は断った。
 今朝のスパモニから当該職員の出演依頼があったが、勤務の関係もあり本人の意思でお断りした。
 仕方が無いので、本町駅副駅長の西田氏が替わりに画面でのインタビューに応じた』ということだそうだ。

 前日のNHKと翌日のスパモニで顔が変わった謎が、それで解けた。

 そして、私のしつこい(?)つっこみにこれだけは、そっと教えていただいた。

 彼は、今年、駅務員として採用2年目、当然普段から評判のいい職員とのこと。
 局でも、今後、それなりの表彰を検討中とか。

 これを、訊いて山家の隠居はますますこの職員の奥ゆかしさに感服した。
 今の世の中、TVに写るとあらば、丸裸になっても出て見ようという人間がわんさかいるというのに、この謙虚さはどうだろう。

 NHKもスパモニも、このような取材経過があるのなら、今の世相ではそれ自体にニュース価値があるではないか。なぜ、一言、そのことをコメントしてみようとしないのだろうか。

 この善行の若い駅員さんのこれからの将来は長い。その社会人人生は今始まったばかりである。どうか、退職するその日まで、お客様から信頼され、先日、殉職された故宮本前巡査部長(警部)さんのような親しまれる駅員さんであっていただきたいものである。

 私もかって公営企業の職場で長年働いてきて、多数の職員と仲間、先輩後輩として接してきた。
 皆、入ってきたときは目は輝き素直でやる気満々で好い感じの職員ばかりであった。

 だが、ここでも残念ながら悪貨が良貨を駆逐するの真理は十分有効であったように感じることが多かった。
 新規職員が入ってくると労組と職制側とでどちら側に向かせようかと、言葉は極端だが奪い合いになる。
 結局、少数派の職制側の負けに終わるのが常だった。新規職員は何事も先輩のペースに歩調を合わさせられるのだ。マイペースで初心の姿勢をつらぬこうとすれば、仲間から何となく浮いてしまうのだ。仕事はしずらく、居づらくなるのだ。

 かくて半年の条件付採用期間が終了し、晴れて正規職員となり労組に加入すると、その大半は、職制の云うことに対しては、絶えず疑念の目を向け、現場労組の幹部の指示に唯々諾々と追従するようになるのだ。

 そこでは、住民ヘのサービス、奉仕は建前だけになり、最優先で頭にあるのは自分達仲間の待遇改善、楽することにしかないように思えるのを長年みてきた。

 もっとも、現役を離れて年月もたち、今の雇用環境、公務員への風あたりの強さのなかで、かてて加えて労組の弱体化がいわれる中で、こんな風潮は、遠い昔がたりになったというなら幸いである。
 
 しかし、先日、京都市が今頃になって服務規律の見直しをようやく決め、この四月一日から実施するなんて聞くと、どうもまだまだ昔語りでもなさそうではないか。
 この京都市が、見直しにあたり現状の問題点と挙げている事項をみると唖然とすることばかりある。

 安定に堕落あり。公務員が、公務員法の建前どおりの真の公僕に変ずるのは、今の制度下では、百年河清を待つようなものかもしれない…。

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。

ー追記ー

 上記、記事は、2月19日(月)付けで20日(火)に、アップした、拙ブログ『大阪市営地下鉄、転落女性救出の勇気ある駅員の氏名を何故報じない!』についての補遺として記ました。
ー追記ー

何で、アクセス急増?―東京マラソン、石原効果?―

2007-02-23 01:47:56 | 日常雑感
 2月22日(木)晴れ。暖。

  毎朝の楽しみ。PC立ち上げてブログのアクセス解析を覗いてみたら、何と久しぶりのランキング入りだ。
  582pv、309ip、894位(729880BLG中)とあった。
 
 どうしてだろう?そこでアクセス元URLを辿ってみたら、次の書き込みに出遭った。
 
 『48:02/20(火) 21:59 zqOW3iRq [sage]
きっこ。お前、これちょっと読め。

東京都水道局に定年まで真面目に勤め上げて、
今はリタイアなさったた「きっこの日記」ファンの方が
きっこに、東京の水道を中傷されて、びっくりしている様子が書かれている。
ttp://blog.goo.ne.jp/gayuuan239/e/0692bac094263843a8848be3411eb290
きっこ、この方にお詫びの手紙を出せ、それから、もう、無責任な中傷はやめろ。』

  ご親切にも、これだったのだ。しかしまた、何で、暖冬とはいえこの寒い季節に昨年5月31日にアップした、時期外れの水道の記事が話題を呼んだのだろうと、思って、はっと気がついた。
 
  先日の、石原夜郎自大閣下が、人気回復目指して突如ぶち上げた東京マラソンだ。あの画面にペットボトル「東京水」40万本、バナナ40万本が用意されたというコメントとともに、ペットボトルの詰まった段ボール箱の山が映っていた。

  私も、その「東京水」と銘打たれたペットボトルには、懐かしさと親しみを感じた。晴れの舞台に引き出された、製品の山を前にして、後輩の嬉しそうな顔の幾つかまで浮かんだ。

 そして、上記の2チャンネル書き込み[sage]氏の暖かいコメントに二重に嬉しくなった。

 ところで、いまだに「きっこの日記」のきっこ様からは、当然のごとく何の音沙汰がないことはいうまでもない。

終に出た!石原夜郎自大都知事撃墜対抗馬?-黒川紀章氏立候補-

2007-02-22 00:30:01 | 時事所感
 2月21日(水)晴れ。暖。

 今、夜の徒然、PCをあちこちクリックしていたらこの記事に遭遇した。 

建築家の黒川紀章氏、都知事選に立候補へ HPで公表(朝日新聞) - goo ニュース
 
 俄然、嬉しくなった。ちょっとお年を召されているのが気になるが、何、石原夜郎自大閣下よりは2歳もお若い。

 それに、給料はいらないとのこと。これは強烈だ。
 これで決まりではないか。税金で、飲み食い。一家眷属豪華旅行は平気の平左の公金暴飲暴食閣下には、痛烈な一発のカウターパンチではないか。

 しかもその狙いが、東京オリンピック阻止とは、全く拍手喝采だ!

 これで、選挙カーから、往年の名女優若尾文子さんが手を振ったりしたら満都の爺は大挙一票疑いなしだ。

 この、ニュースがエイプリルフールにならなければ、これで勝負あったではないか。

 こんな大物二人相手に、民主党は、再度、菅副代表に出馬要請とか。
 賞味期限切れの菅副代表が、しわがれ声だか、りんご箱を踏み潰したような悪声で、金切り声をあげたところで、一体どんな勝負ができるというのだ。

 民主党は、未だにそんなところで右往左往しているようでは、よっぽど焼きがまわっているということか。

 と思うこのこと、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

地球温暖化がもたらす世界連邦実現への兆し?

2007-02-21 22:06:02 | 時事所感
 2月20日(火)曇りのち晴れ。暖。

 こんな記事『地球温暖化 南太平洋のツバル 海外移住を考える住民2月19日9時55分配信 毎日新聞』を目にした。

 この記事の内容は、『【フナフティ井田純】海面上昇による浸水や海岸浸食が年を追って深刻化する南太平洋のツバル。首都フナフティでは、住民の多くが海外移住を考え始めている。特に若い世代は、地球温暖化による「国の消滅」を、起こりうる現実として受け止めている。
 18日夕、ツバル唯一の国際空港の滑走路脇。足元のいたるところから、かすかな音が聞こえてくる。舗装された路面のわずかなすき間からわき出す水は透明で、間断なくはじける細かい泡が見える。なめると確かに塩辛い。海水はたちまち四方に広がった。
 約1万人が住む平均海抜約2メートルの国土は、サンゴ礁の上に砂が堆積(たいせき)してできた。海水は、海岸を越えてくるだけでなく、地盤にある無数の穴を通って地上にあふれる。
 「遅くとも10年後までに家族とニュージーランドに移住するつもりだ」。トマルさん(32)は国営電話会社に勤務するエンジニア。05年には衛星通信技術の研修で日本にも行った。
 同僚も多くが移住を考えている。この時期の浸水被害はもちろん、海岸線が削られてヤシの木が根元から波にさらわれたり、小さな島が消滅したりする現実を、誰もが目の当たりにしているからだ。「他の国の二酸化炭素が原因で島がなくなる。怒りを感じるが、だからといってどうしようもないだろう」。トマルさんはため息をついた。』というものである。

 私は、これを読んで、今さらのごとく、人類が今後とも平和に、ほどほどに幸せに、お互いが暮らしていくための唯一の方策は、「世界連邦の樹立以外にないのでは…」と考えた。
  こんなことを人に話せば、否、この一文をたまたまお目にされる方々もまた、その大方は、「そんなこと無理だよ、できっこないよ」と一笑に付されるだろうことは、いかな山家の隠居といえども百も承知である。だが、ひと言云わないではいられない。

  一体、この地球は誰のものだろうか。誰の物でもないはずである。我々は、たまたま今ここに偶然生まれてきて、この場所に生かされているだけである。やがてまたある日、意識不明となって自らの存在意識もろとも雲散霧消する儚いものでしかないではないか。
 原始、人類の数が希薄だった頃は、人間は食物がゆたかにあり、気候が過ごしやすい場所を求めて、自由にこの地上を往来できたはずである。その自由こそが天賦の人権というものではなかったか。

  それがいつの頃か、人間が増え始め、食べ物の手に入りやすい居心地の好い場所は少なくなり、その場所を巡って奪い合い殺し合いとなったのであろう。
  そこで、肌の色、話す言葉、生活習慣の似通った者同士が、各々勝手に強い者勝ちで縄張りを定めて国家なるものを創り、隣接する集団との間に境界を定め(国境の成立か)、その境界を越えて入ってくるものを、あらかじめ了解の取れていない場合には、越境者として捕らえて処罰するようになったのだ。

  しかし、今、人類の爆発的増加とその貪欲な地球資源の簒奪は、地球環境を激変し、地球資源の枯渇、神の創造物たる万物の生命種さえも急速な勢いで絶滅させようとしている。
  その愚行の不可逆的な債務は、今、人類の頭上の上に巨大なギロチンとなって振り被されつつあるのではないか。

  その端的な一例が、冒頭の記事にある英連邦自治共和国ツバル国民(住民)の地球温暖化に伴う海面上昇による国土消滅の危機感ではないだろうか。

  ツバルに人が住み始めたのは、紀元後1世紀のころという。国境という概念が国際法上成立したのが、1648年ウエストファリア条約とか。
  そして、この国境の透過性(垣根の高さ)は、関係国との関係により薄くもなれば厚くもなるしろものなのだ。ある意味では、時の権力者のご都合次第というわけである。
  反面、国家間の距離は、交通機関の発達、コミュニケーション手段の発達により、半世紀前に比べたら格段の相違である。

  今や、資本にとっては、グローバリゼーションの世界各国への浸透、闊歩により、国境など無きに均しくなっているではないか。
  にも、関わらず、生身の人間は、依然としてこの国境の壁を簡単には越えられないところに、さまざまな不合理と悲劇が生じているのではないか。

  生産基盤は、労賃の低廉な後進国に移転し、先進国では若年者の就業が困難化し、リストラが進み、生活水準の低下を余儀なくされ、社会階層間の格差が拡大化の一途にある。
  一方、北朝鮮のような、強制収容所のような国家から、そこで呻吟する住民は、囚われたままいつまでも食べる自由も奪われたありさまである。

  国境というこの人間がつくりだしたある意味では鋼鉄よりも硬い網の目を、同じ人間の手によって何故破ることができないのだろうか。

  今こそ、私たちは、再度、人類の原初に思いをいたし、国家、国境の無い世界、行きたいところに行け、住みたい所に住める社会を、取り戻すべきではないか。
  そして残り少なくなった地球資源の枯渇を、少しでも先延ばしにするべく、乏しきを分かち合う智恵と勇気をもつべきではないだろうか。

  それは、決して不可能な夢物語ではないのではないか。1920年、国際連盟が設立できるなんて、それ以前の人々は、考えてみたことがあったであろうか。その大きな原動力となったのは、第一次世界大戦の人類が始めて経験した総力戦の悲惨さであったと言われる。

  今、地球温暖化の脅威は、このまま座視し続けるならば、近い将来、先の二次の世界大戦とは比較にならない人類にとって破滅的な鉄槌となるのではないだろうか。

  このカタストロフィーを回避するための第一歩として、私たち日本は、先ず近隣諸国との融和を図り、現在のASEAN(東南アジア諸国連合)を拡大し中国、韓国、オーストラリアを含めた、アジア・オセアニア共同体を結成をめざすべきではなかろうか。
  そしてゆくゆくは、EU(欧州連合)、NAFTA(北米自由貿易協定)、メルコスール(南米南部共同市場、10か国)等との統合を目指し、最終的には世界連邦の成立を図るべきではなかろうか。
  こうして、概観すれば、国連とは違った分野でそれぞれの地域、生活に即した緩やかな統合への歩みが始まっているではないか。
  その胎動に合わせていくためにも、今更、愛国心だの、大東亜戦争での加害行為の是非云々に拘泥し、後ろ向きの議論に足をとられるべきではないのではなかろうか。

と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
blog.goo.ne.jp/gayuuan239/e/d769477a86dcca53d8b7a7c29f882e14

中川幹事長の忠誠発言にみる安倍内閣の脆弱性!

2007-02-20 01:40:58 | 時事所感
  2月18日付けの産経新聞記事によれば、
『自民党の中川秀直幹事長は18日、仙台市で講演し「閣僚には安倍晋三首相への絶対的忠誠、自己犠牲の精神が求められる。自分最優先の政治家は官邸(内閣)を去るべきだ」と述べ、強い調子で閣僚の結束を求めた。
 教育改革などをめぐり閣内で足並みの乱れが目立つことを踏まえた発言とみられ、中川氏は「当選回数や、かつて仲良しグループだったことは関係ない。首相が入室しても起立できない、私語を慎めない政治家は内閣にふさわしくない」と不快感をあらわにした。』という。

  この発言に対して、感想を求められた当の安倍総理大臣閣下は、
『「心配をしていただく必要はない」と述べ、記者団に、「こうした発言が出る理由は」と尋ねられた首相は不快感をにじませ、「それは中川幹事長に聞いて下さい」と冷ややかに答えた。(2007年2月19日20時38分 読売新聞)』とか。

  こんなやり取りが、与党の要である、幹事長と、首相との間で交わされるということは、そのこと自体が、今やできたてほやほやの安倍内閣が、実にお粗末な建付けで、中ががたがたになってしまっていることを、満天下に、ざんばらりんと晒してしまったも同然ではないか。
 
  自民党内閣を何が何でも守るのが、幹事長の役目ではないのか。ところがこれでは、自ら鳶口持って内閣の軒に引っ掛け、壊しにかかっているようなものではないか。

  総理大臣が閣議室に入室してきた時、閣僚は起立して迎えるのが慣例らしい。確かに小泉総理が閣議室に入っていくところをカメラが追うと、そのような光景が見られたような記憶がある。それが、今やそうではないらしい。

  ということは、総理大臣が真夏の麦藁帽子のように軽いということか。
閣僚の方が、安倍総理よりも当選回数も多く年齢も上、党歴も長いとあっては、首相とはいえ、弟分のような後輩に型どおりの立ち居振る舞いをするのが大儀におもえるのだろうか。
  しかも、総理に選んだ理由はただ一つ。人気があって票がとれそうなだけが取り柄の看板として、ちょっと頭に戴いてみただけなのだと。
  ところがどっこい、その肝心要の人気が落ちて、票がとれなくなりそうだとあらば、誰がこんな若造にへいこらしなきゃなんないの?と言ったところが、今日この頃の大臣閣下連の本音ではなかろうか。

  しかし、これほど国民を馬鹿にし、国政を軽んじた話があるだろうか。
ひょいと一跨ぎの海の向こうでは、夜郎自大のならず者が、ミサイルがたがたいわせて、いつ一発咬ましてやろうかと、手薬煉(テグスネ)ひいて構えているというのにだ。

  一朝有事の際には、今の日本の最高指揮官を担わなければならないお方が、こんなに軽く見られているお方で勤まるのかということである。
  そんな軽いシャッポを国民の頭に載せて平気でいる与党自民党の無責任さを、何故国民は怒らないのだろうか。

 こんなに自身が閣内で軽くあつかわれていることを、満天下に開陳されたとあっては、面目威信丸つぶれで、これぞ正真正銘の何の意図あってやの贔屓の引き倒しにほかならず、安倍総理でなくとも、「それは、中川幹事長に聞いてくれ」とむくれて見たくもなるだろう。

と思うこのこと、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

大阪市営地下鉄、転落女性救出の勇気ある駅員の氏名を何故報じない!

2007-02-20 00:01:50 | 日常雑感
2月19日(月) 晴れ。暖。

  夜のNHK総合でニュースを見た。
  大阪市営地下鉄の駅で、女性が携帯をかけつつホーム歩いていて、向こうからきた男性客とすれ違いざまに線路に転落したという。
  それと気づいた駅員が、付近の乗客に非常停止ボタンを押すように頼んで、自身はとっさに線路に飛び降り、線路に横向けに転倒していた女性をホーム下の退避場に引っぱりこんだ。
  一方、駅員に声を掛けられた乗客も急いで非常ボタンを押した。
  赤信号に気づいた接近中の電車の運転手は急ブレーキをかけて、40m手前で停車することができて事なきを得たと言う。

  この駅員が、TVカメラにマイクを向けられて、「何も考えずに、とっさに体が動いた」とにこやかに語った。

  だが、そこで画面はたちまち振られ、次のニュース変わった。

  せっかくのお手柄の駅員の氏名を、まるでわざと無視するかのように、告げようともしなかった。
  おかしいではないか。これが、一度(ヒトタビ)、二人とも死ぬか、乗客は生きて、駅員が死ねば先日のように殉職として、総理大臣閣下が駆けつけるニュースになるのだろうか。

  結果を省みず、咄嗟に線路に飛び降りた職員。その心栄えにおいて、先日の宮本警視に劣るものでは決してないではないか。

  なのに、名前を聞こうとも報じようともしない、報道者の姿勢というか視点とはいったいどうなっているのか。

  人間は、咄嗟の判断、行動でその真価がとわれるという。ならばこのような職員こそ、大きく取り上げて、今の世の模範とすべきなのではないのか。

  殺人事件は大きくしつこいぐらい報じても、このような真に勇気ある職業人のことは、軽く触れて過ぎるとは、いったい何を考えて報道という仕事にたずさわっているのかと、山家の隠居は、声を大にして問いたい。

このこと、皆様はいかがお思いでしょうか。

書かずにはいられない事―外務省元主任分析官、佐藤優氏、控訴審棄却!への疑義―

2007-02-19 00:38:24 | 時事所感
2月18日(日)曇り後晴れ。暖。

  昨日、17日付けの朝日紙上(b4面)に、『逆風満帆 外務省職員 佐藤優 (上)対ロ外交から獄中へ 言論界に転じ寵児に 』なる記事が出た。

  「外務省のラスプーチン」とマスコミに囃され、鈴木宗男衆議院議員とともに、国策捜査で背任と偽計業務妨害の罪に問われ、未決勾留512日間。一審判決、懲役2年6カ月執行猶予4年。そして先月、1月31日の東京高裁での控訴棄却の判決。

  今回の控訴審においては、背任とされた00年にロシア情勢に通じたイスラエルの大学教授を日本に招き、後にイスラエルの同大が主催した国際学会に日本の学者を派遣した費用3300万円を佐藤氏が起案して、外務省関連の国際機関、支援委員会に払わせたことについて、決済権者の元外務省欧亜局長東郷氏が始めて証言台にたち、「(支援委員会に支出させたことは)通常手続きで決済され合法」と証言したにもかかわらず、高裁は違法と判断したのである。

  一審判決の際は、肝心の元上司であった東郷氏が、自身逮捕されることを恐れて海外から帰国しなかったため、その証言が得られず、有罪とされたとみられていた。
  二審では、この要の東郷氏の証言が得られたので、今度こそは無罪判決が得られるものと、関係者は期待していたのである。

  実際、佐藤優氏を一躍、著名人にしたその512日に及ぶ獄中記を中心とした「国家の罠」を一読すれば、これが何故犯罪になるのだと、普通の頭の持ち主が読めば誰にも自然に湧く疑問の判決なのだ。

  私も、過日、二審では東郷氏が証言台に立ち、今度こそは、無罪判決が下るものと思っていた。ところがどっこいアンブレラの今回の控訴棄却である。
  一体、日本の司法とは何なんだ、と叫ばずにはいられないではないか。

  こんなものが有罪になるのなら、国や地方自治体でやっていることの大半は、何かの拍子で恣意的に告発されたら、皆有罪となることばかりではなかろうか。

  先日、NHKBSの海外ドキュメンタリーで「ロシアの司法と権力」の凄まじい無軌道ぶりを報じていたが、わが国も決してひけをとらないでえはないか。

  この事件の場合、有罪でも、執行猶予つきなので、職は失っても命に別状はない。だが、それこそ文字通り一生懸命、国家のために粉骨砕身勤めてきた佐藤氏が、職を奪われた上、名誉を著しくきずつけられたのでは、決して見過ごしにできることではないではないか。

  こんな判決がまかりとおるなら、今、冤罪が叫ばれている裁判は、みな疑わしいと思いなおさざるを得ないではないか。司法が信用できないとなれば、我々国民は一体何を信じ頼ればいいのだろうか。
 
 話は跳ぶが、こんな裁判がまかり通る中で、一般人を裁判に参加させようという法務省が今やっきになって、さくらまで使って(?)国民の賛同を得ようとしている裁判員制度の狙いは一体何なんだろうか?

 法務省自体が、裁判官の独立性の擬制のもとに、頓珍漢な判決を平気で出す裁判官の制御が不能となったので、せめても一般市民の常識感覚で中和しようというのであろうか。
 確かに、今回の事案でも、一般人が参加したらその何人が、こんなことを有罪だなんて思いつくだろうか。

 そうかと思えば、事実が、明々白々にもかかわらずオーム裁判のように10数年も延々とダラダラ時間をかけて、国民をいらつきと不安にさせて平気の平左かと思われるものもある。
 人を殺しても、時効が成立すれば、一切、何のお咎めも受けず、退職金から年金まで満額ありがたく頂戴できると言う、この国の正義とは一体何なんだろうか?

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。