蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「初恋の人探します」―世の中にこんな商売があったのだ!―

2007-03-11 01:51:16 | 日常雑感
3月10日(土) 晴れ。終日、風冷たし。
 
  昨晩、10時、何気にNHK総合を見ていたら、面白い番組に出会った。

『にんげんドキュメント「初恋の人をさがしたい」大阪・調査会社に寄せられる思い。72歳女性調査員。』

 朝日のTV番組紹介欄、“試写室”には、こうある。

 『「戦争で別れた相手に会いたい」「同級生に本当の思いをつたえたい」「傷つけたことを謝りたい」。様々な理由で初恋の人を探すひとたちの依頼を受ける調査会社が大阪にある。10年間で1万2千件の調査をとりまとめてきた滝田和子さん(72歳)の姿と、依頼者の心の軌跡をたどった。…』と。
 
  このタイトルを見たとき、一瞬、「家政婦は見た」ふうのコメディー番組かとも思った。ところが真面目な実際の話であったから驚いた。さすが商売上手の大阪である。どんな商売なのか興味しんしんで視た。

  冒頭声だけのリポーターの女性が訊く。「初恋の人を探したいなんてそんな人が実際にいるんですか?」と。
訊かれた、「初恋の人探します」社の調査員、滝田さんは別に特段のことではないと言うふうに、「ハイ結構いられますよ。そういう方」とお答えになる。
この会社、そもそも自分の娘がある時、初恋の人の消息が知りたいということで調べ始めたのが契機だとのこと。もう開業して19年。親子二人で自宅の居間で始めた会社は、いまでは社員8名とか。年間500件以上の依頼があるという。依頼者は、調査申し込み時点で、1件5万5千円を支払う。そして、調査結果を受け取る際にさらに5万円を払う仕組み。
 ただし、申し込み時点で犯罪の匂いがするもの、ストーカーまがいのものははっきり断るそうだ。
 20年近い調査方法のノウハウは凄い。日本全国の古い電話帳が4000冊常備してある。

そして実際の調査の様子をカメラは追う。最初の依頼者は、筋萎縮症と闘う48歳の元税理士の男性だ。彼は4年前にこの病気と診断され、後数年の命と医者から宣告される。自分の命が尽きる前にどうしても、中学2年の時、隣の席だった女生徒に会いたくなったのだ。2年生のクラス替えで初めて顔を合わせた彼女は、引っ込み思案で誰一人友達がいなかった彼に、気さくに何かと声を掛けてくれ、彼女にだけは彼も心を開いてなんでも話した、という。
だが、その女生徒は、間もなくどこかえ越していってしまった。

息子の思いを知った母親が、何とか子の願いを適えてやりたくて、調査会社に電話してきたのだ。依頼を受けた滝田さんは、早速依頼者の母子(オヤコ)を尋ねる。
滝田さん自身も同じ48歳で自衛官だった息子を癌でしなせているのだ。だからこの母親の気持ちが痛いほど分かる。先に希望が出れば、一日でも生きようとの意欲もでるのではと。

彼女は、依頼者が見せてくれた唯一の中学の時の卒業アルバムにあった住所を頼りに、いい結果でるよう調査することを約束する。
早速、その住所を尋ねる。だが、20年以前も前に転居していて、近所の人は、誰一人知る人はいない。
依頼者が、彼女が「母の実家は鹿児島で櫻島がよく見えるところ」と話していたことを思い出す。今度はそれをたよりに、鹿児島県の電話帳を引っ張り出し、該当する姓名に片っ端から電話をかける。1000件かけても消息はつかめない。この間すでに9ヶ月もたってしまう。依頼者の残り時間は、その分少なくなっていくのだ。滝田さんは焦る。ついに鹿児島に出張する。72歳の身で桜島の見える場所で、これはと思う家を訪ね歩き、チャイムを押す。だがそれでも何の手がかりも得られない。一泊2日の調査旅行が無駄に終わる。
しかし、それからしばらくして、ひょんなことから、彼女の同級生という女性から連絡が入る。ついに判ったのだ。
何と、彼女は、彼の隣町で結婚し今、二児の母として幸せに暮らしているという。
その結果を滝田さんから告げられて、彼はにっこり笑って不自由な口で「よかった。よかった。ありがとうございます」と。

もう一例は、82歳の老人。昭和18年、応召。相思相愛の恋人がいた。戦争から帰ってきたら結婚しようと二人は誓って別れた。戦争が終わった。
満州で終戦を迎えた彼は、シベリアに4年間抑留されて帰国する。彼女と再会さする。
だが、彼は、戦争と長期抑留で、心身ともに消耗し尽くし、結婚して彼女を幸せにする自信はない。どうか別れてくれと告げて、それきりとなる。
そして、今、人生の終わりを迎えて、彼女はその後どうしているだろう、すまないことをしたと思っている矢先、姉がその死に際に一通の手紙を彼に手渡す。
「この手紙は、お前が彼女に別れた後、私宛にきたものだ、読むか読まないかはお前の勝手だ。私としては、これをお前に渡さないときがすまない。」
そう云って渡された手紙には、「私には、○○さんの気持ちがどうしても分かりません。私にはこれからどう人生を歩んでいけばいいのかわかりません。でも、○○さんがそれで幸せになれるのなら私は構いません…」とあったという。
これを読んだ男性は、俺の82年の人生は何だったのかと慙愧の念に囚われる。
俺は自分のことしか考えていなっかた。俺は卑怯者だ、と。何としてもその後の彼女の消息がしりたいと、滝田さんを尋ねたのだ。

滝田さんは、その手紙の差出人の住所を手がかりに調査を開始する。
そして、彼女が男性と別れた5年後、町工場を経営する人と結婚し二児を設け幸せに暮らしていたが、今から、26年前 、56歳で病死したと分かる。
その結果報告書を滝田さんから受けた老人は、晴れやかな顔で、「これで自分の人生に決着がついた」と語る。「彼女が幸せな人生を送ったと聞いて思い残すことはない」と。

まさに事実は、小説よりも稀なりとは、このことではないだろうか。
こういう商売なら、私もやってみたく思った。だが山家の隠居に落ち着いた今となっては手遅れか…。

そして、私にも気になる人は沢山いる。そのうちのただ一人と問われれば何と答えようか。

その一人は、小学校1年生の時、隣り合わせで座ることとなったクニコちゃんだ。
細面の色の白いおとなしい優しい女の子だった。帰りはいつも二人で手をつないで帰った。それを、仲間に冷やかされたような覚えもかすかにある。
途中に古いカトリックの教会があった。その前で、それぞれの家の方へ別れるのだ。だからその教会は一際印象深いのだろう。そこは、山陰の城下町にあって、唯一ハイカラな何か異世界を想像させるもがあった。
ある時、クニコちゃんは、教会の信者っだったらしく、「一緒に中にはいろ」と言って、慣れたしぐさで鉄格子の脇門のノブを回して、平気で中に私を連れて入ったことがあった。聖母子の彫像と、高い天井のステンドグラスから入る不思議な色の光線が今も瞼に残っている。

その後、クラスも違い、それっきりになって、すれ違っても彼女は伏目がちで、口もきかなくなった。
今、私は、幼くしての戦争での疎開から、中学1年の夏までを過ごした祖父の地を思い出すたびに、その面影をいまだに懐かしく想う。
クニコちゃんは、あれからどうして、どのような人生をあゆまれていることかと…。

人生の出会いと別れ、思えば春たけなわを迎えようとしている。