蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

渡邉美樹会長の化けの皮…!

2012-02-28 10:45:10 | 時事所感

 かって都知事選にもお出になって、次は総理大臣をもと野心満々とお見受けしていた「ワタミ」会長、渡辺美樹氏について、こんな記事が目に付いた。
 今から5年もの前の拙ブログで同氏の事業運営の胡散臭さを書いたのが、どうやら当らずといえども遠くはなかったようだ。
 そこで、くどいようですが、本記事の末尾に再掲させていただきました。

 リンク: 渡邉美樹会長発言がネット大炎上 ワタミ側は「自殺社員」の労災認定に反論 - 速報:@niftyニュース.

<blockquotecite="http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/jcast-123215/1.htm">

渡邉美樹会長発言がネット大炎上 ワタミ側は「自殺社員」の労災認定に反論
2012年2月23日(木)19時54分配信 J-CASTニュース
発言が波紋 [ 拡大 ] -PR- 自殺社員の労災認定について、居酒屋チェーン「ワタミ」の渡邉美樹会長がツイートしたことなどが、ネット上で批判されている。ワタミでは、勤務状況の認識が認定とは違うと反論している。
渡邉美樹会長自身は、自殺した社員に配慮したつもりの発言だったかもしれない。しかし、皮肉にも、それが逆に反感を呼んで、ネット上で炎上してしまった。
「労務管理できていなかった認識はない」
報道によると、自殺した女性社員(26)については、神奈川労災補償保険審査官が2012年2月14日付で、月約140時間以上もの時間外労働で適応障害を発症したのが原因と結論づけた。そのうえで、遺族の労災申請に対し不支給とした横須賀労基署の決定を取り消すとした。不慣れな調理業務などを早朝までさせられ、休日も早朝研修会などをこなさなければならなかったという。この社員は、入社から2か月後に自殺していた。
その1か月前には、「体が痛いです」などとして、「どうか助けて下さい」という悲痛な叫びを手帳に記していた。
月140時間の時間外労働だとすれば、週休2日として1日7時間も残業していたことになる。午後5時が定時の場合では、深夜零時まで働いていた計算だ。
審査官がこう認定したにもかかわらず、渡邉会長は、報道された21日にツイッターで、「労務管理できていなかったとの認識は、ありません」と発言した。「彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました」とその理由を説明し、「労災認定の件、大変残念です」とつぶやいた。「ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです」とした。
しかし、渡邉会長は、残業の有無などについては触れず、謝罪の言葉もなかった。そのことから、ネット上では、「月140時間の残業で労務管理できてたって?」「まさにブラックとしかいいようがないな」などと批判が殺到する騒ぎになっている。
過去の発言も、次々にバッシング
ワタミのサイトでも2012年2月21日、自殺した女性社員の勤務状況についてコメントを出した。しかし、ここでも、「当社の認識と異なっておりますので、今回の決定は遺憾」とだけ述べ、認識とどう違うのか具体的な根拠を示さなかった。
渡邉美樹会長は、その後も女性社員についてツイートしたことで、批判を浴びた。学校法人理事長として姉妹校建設のためにバングラデシュを訪れたことに関し、「亡くなった彼女も期待してくれていると信じています」と発言した。これに対し、労災で自殺したとされているのに期待する気になるわけがないなどと反発する声が出ている。
この炎上騒ぎで、渡邉会長の過去の発言も、バッシングに晒されている。
10年8月にビジネス誌で「(ビル8階とか9階で会議中)いますぐ、ここから飛び降りろ!と平気で言う」と社員を叱ることが紹介されたことには、再び批判の目が向けられた。また、自らのブログで12年1月20日、都知事選に出馬したときに「自殺ゼロの社会」を訴えたと書いたことについても、「どの口がそれを言うのか!」などと反論が出た。
渡邉会長は、11年6月15日のツイートで「ワタミは天地神妙に誓ってブラック企業ではありません」と強調しているが、それもバッシングの材料になっているようだ。
ワタミの広報グループに取材すると、担当者は不在などとして、回答は得られなかった。




『コムスン買収へ名乗りを上げたワタミ・渡辺美樹氏への疑念?-ああ、ヤッパリではないか!―』

6月28日(木)晴れのち曇り。蒸し暑い一日。

 先日、22日付けでアップした、拙ブログ、“若くして時めく人の危うさ怪しさ、これいかに!―コムスン騒動に思う由なし―”で、コムスン買収へ我こそは最適任者と名乗りを上げたワタミとその総帥、渡辺美樹氏について、私が日頃抱く疑念を記した。
 
 ところが、その疑問にお応えいただくかのような記事が出た。
 日経BP誌の次の記事である。

『コムスン買収参戦:ワタミは真のビジョナリー会社になるか
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/news/070625_watami/ 居酒屋チェーンを事業の中核とするワタミが、グッドウィル・グループの介護事業の一括引き受け(買収)に名乗りを上げた。現時点のワタミにとって、グッドウィル・グループの介護事業買収は、相当に背伸びをした計画であると言えよう。

 同社の渡辺美樹社長によれば、買収想定額は最大5百数十億円になるとのことである。ワタミは外食業界の大手企業であるとはいえ、その財務基盤は強固とは言えない。2007年3月末の現預金は75億円しかなく、260億円あまりの有利子負債を抱える。
フリーキャッシュフローも2億円しかない。この状態で500億円もの資金を捻出するのは容易ではない。2007年6月25日(桐原 涼=フリーライター)』

 先ず、ここで、耳慣れない言葉、ビジョナリー会社とは、社会貢献企業の意とのこと。

 さて、この記事を一読すると、記者氏は日経という看板の手前か、大変控えめ、婉曲にその危うさを危惧するに止めていられるように見受けられるが、私の杞憂は満更当てずっぽうでもないようだ。

 というのは、借金を180万円も抱えていて、今、直ちに手元自由になるお金が2万円しか無い会社が、どうやって、新規に500万円もの買い物をしようというのだろうか。

 普通の経済観念のある人間なら、おいおい無理はするなよ。新しい事始めるなら、先ずは借金かえしてからにしろよというのが、健全な社会人の常識というものではないだろうか。

 それとも、今を時めく渡辺氏ともなれば、その手腕に惚れ込んで、いくらでも必要な金は貸そうというご贔屓のタニマチさんがいらっしゃるとでもいうのだろうか。
 だが、借りたお金に利息はつきものだ。それに対して、渡辺氏は、十分利益を出していけるとおっしゃる。

 しかし、売り手の折口氏だって儲かると思ってはじめたのが、思惑違いで失敗したのだ。
 コロンブスの卵のような奇策があるならともかく、現行の介護保険のシステムでは、借金の利息を返せるほどの利益が出る仕組みにはなっていないと聞く。

 さすれば、その無理はどこへいくのか。

 結局は、介護を受ける高齢者と、介護士をはじめとするその従事者が、骨の髄まで絞りとられるということになるのではないか。

 と言うことは、社会貢献なんて格好つけたところで、先のない競争だけが厳しい外食産業から、今後の儲けが期待できそうな新たな餌場にありつこうという魂胆だけでは…ないのか。

 やはり、胡散臭いものは、胡散臭いと云うことではないか。 

 だが、大新聞は、見猿、聞か猿、云わ猿で何も掘り下げては書こうとしないようだ。

 せめて願わくは、ワタミグループ、2800人の従業員の皆様は、こんなご立派な総帥閣下を、如何にお思いなのか、その日頃の本音を、お聞かせ願えないものだろうか…。



『若くして時めく人の危うさ怪しさ、これいかに!―コムスン騒動に思う由なし―』

6月21日(木)薄曇。日中暑し。

  今、俎板のコムスン。買い手が殺到とか。その中でもよく耳にするのが、ニチイ学館とワタミだ。ニチイ学館の方は、1973年創業の医療関係サービスを主とした事業から始まって、介護分野では最大手とか。コムスンがこちらの手に渡れば、あまりにも大きくなりすぎて、その弊害が危惧されるという。

  そこで、有力視されるのがワタミである。こちらは、1986年創業の居酒屋チェーン店を基点に業容を拡大してきて、2004年には、ワタミメディカルサービス㈱を設立して、今では老人ホームまで経営するようになった新参である。

  どちらの手に落ちるかわ許認可権を握る行政の胸三寸というところらしい。

  ところで、コムスンの失敗は、需要を過大に見積もりこれに対応すべく拠点を拡大しすぎたのに対し、低廉なサービスにしか利用がなく、挙句、猫の目のように変る介護報酬の切り下げにより採算割れして今回の不始末らしい。
  だが、今後の高齢化社会の趨勢を展望した時、介護サービスを中心とした関連市場は20兆円規模になるとか。

  これを、見越して、グッドウィルの入谷社長は、何としてもこれからが金の卵に変身する可能性を秘めた介護事業の核、コムスンを手放したくなかったらしい。

  こんな将来性のある事業だからこそ、ワタミが急遽名乗りを上げてきたのではないだろうか。

 しかし、このワタミの渡辺美樹社長。いかなる人物なのだろうか。明治大学だかを出て、佐川急便でセールスドライバーをやって貯めた資金で、つぼ八だかの居酒屋チェーン店を始めたのが今日の成功・出世のはじまりとか。

 今の「和民」1号店は、笹塚とか。東京で現役のとき何度か入った覚えがある。店の内装はこじゃれているが、出てくるつまみは、どれもこれも値段だけのものでしかなかった記憶がある。
 渡辺美樹氏が、そのようなお店の経営者とは、ついぞ知らぬ間に、TVそれも天下のNHKで、コメンテータとして、討論番組にもお顔が度々でるようになった。
 そこでは、職が無くて困っているニートの若者に向かって、「働く気があったらいつでもうちにいらっしゃい」と、苦労人らしい優しい声をかけていたのを記憶している。

 だが、商売というものにしろ、どんな事業でも、コツコツ真面目にやって得意先を増やしていくのが常道と聞く。小さくはじめたものが大きくなるには、それなりの相当の時間が必要なはずだ。

 それが、今、いくら規制緩和の時代、縛りがなくなってなんでも好き放題、やりたい放題とはいえ、まともにやっていて、そんなに安易に急成長できるものだろうか。
 ライヴドアと言い、グッドウイルと言い最近の急成長する企業経営の陰には、何か怪しげな危うい仕掛けがあるのではなかろうか。

 ライヴドアの体たらくは、まさにその一番の見本ではなかったか。
 人間もそうである。前原民主党前代表のすってんころりん。現安倍お坊ちゃま閣下のやらずぶったくりのような国会運営と人気の急降下はどうだろうか。

  そこで思うのは、ワタミの渡辺美樹社長である。事業急拡大の中で、先ずは傘下企業の従業員に対してどのような処遇をされているのだろうか。連結ベースで従業員2800人余とあるが、これは全員が、正真正銘の正社員なのだろうか。
 
 ワタミの老人ホームの売り物は、「外食事業で培ったノウハウを投入し、安全で食べやすくおいしい介護食の提供により、食事面の満足度を高めたことが特筆される」(ウィキペディア引用)とあるが、本当にそうだろうか。

 外食チェーン店の店舗数が多ければ、そこから余って無駄に出る食材も多いのではないだろうか。それをうまく活用して…というのは、下司の勘ぐりだろうか。

 老人ホームというのは、一度入ってしまえば籠の鳥だ。条件が入る前に聞いていたのと違うなどと泣いて訴えたところで、払い込んだ入居金はほとんど還ってこないのが、多くの実態ではないだろうか。

 かっての味が舌に残っている身には、とてもそのような系列の施設にお世話になろうとは思えない。もっとも高そうな入居費の工面もママならぬ身とあれば、杞憂にすぎないが…。

 ともあれ、最近の日産のカリスマ経営者、ゴーン社長といい、華々しく世に出られたお歴々の何と超高速エレーベーター振りの毀誉褒貶はどうだろうか。
  まさに平成の人物奇観というべきか。

 そのうち、ワタミについても、悪い話が出てこなければ、結構なことである。

 何しろ、今のメディアは、そろいも揃って意気地なしばかり(?)でか、その人物が時めいて勢いがあり、大きなボロを出さないうちは、お手手取りとり誉めそやすばかりだ。だがしかし、一度何かで躓けば、寄ってたかって腐肉に喰らい付くハイエナもどきばかりと思わされるからだ。

 水に落ちた犬を叩く図なぞ、いくら見せられたって、後の祭りで○○の役にもたちはしないのだ。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

日本の安全保障、このままで好いのだろうか…

2012-02-18 10:00:21 | 時事所感
2月17日(金)
 今日、こんな記事が目にとまった。

『ロシアの軍事専門家はこのほど、「ロシア空軍がその気になれば、20分以内に日本を地球から消滅させることもできる」と述べた。と中国メディアの環球時報が15日付で報じた。

 ロシアの爆撃機など空軍機5機が8日、日本の領空に接近し、航空自衛隊は戦闘機をスクランブル発進させて追尾し、外務省はロシア側にこのような飛行を2度と行わないよう警告した。
一方、ロシア側は「日本の領空を侵犯しておらず、国際法にのっとった訓練飛行だった」と主張した。

 防衛省は「これほどの大規模の飛行訓練が日本周辺で行われたのは初めてであり、早期警戒管制機が日本に接近し、偵察を行ったのも前例がない」と指摘している。

 ロシアの専門家は今回の飛行訓練の目的について「これは空軍がなすべき仕事であり、日本が驚くようなことではない。ロシアはもっと早期から日本に対して、さらに米国やイギリスに対して行うべきことだった」と述べた。

 さらにロシア軍事専門家協会副会長である退役少将も「日本の反応も理解できる。なぜなら彼らはロシアが『すでに死んだもの』と思っていたのに、自分たちの想像が違っていることに突然気付いたからだ」と述べ、「戦略爆撃機は戦闘機と戦闘するためのものではない。もしも必要であれば1000キロも離れたところから核兵器を搭載した ミサイルを発射することもできる。そうなればロシア空軍は20分以内に日本を地球から消滅させることもできるのだ」と主張した。(編集担当:及川源十郎)』

 この記事、ロシア政府の本音ではないのか。そして現実の彼我の力関係を冷静に見たらこのとおりなのではないか。

 この本音の前では、ロシアにとって北方領土問題なんて、日本がいくら返せ返せと喚き叫んだところで蚤がとまったほどにもかんじないのではないか。

 ところで、戦後、60年にもなるというのに、我が日本国は、自分の身を守る牙を抜かれ、手足をもがれたも同然、アメリカのおためごかしの義手義足に頼って何の痛痒も、民族としての自立心おも捨て去り、そのことの恥ずかしさも忘れ果ててしまったままではないか。
 あまつさえ、その恥ずかしさを臆面も無く、憲法前文と九条を金科玉条に掲げて誤魔化しているのだ。

 現在、問題の沖縄の基地問題の根源もこの一点から発しているのではないか。

 好むと好まざるにかかわらず、現今の世界は、まだまだ弱肉強食の世界なのだ。力だけが正義なのだ。現実の力がなければどんな正論もとおらないのだ。

 我々は、戦後、60年、もういい加減でこの世界の力の現実に目覚めるべきではないのか。
 こういう私は、民族主義者でも右派でもないつもりだ。
 
 否、むしろ、この地球は、力の論理を捨てない限りいつか将来、地球人類の破滅を来たすことを確信する者である。
 だからこそ、今こそ世界政府(あらゆる国際紛争を即時に、押さえ込み調停し、解決する実行力を持った機関)を樹立する必要が喫緊の急務であると考える。

 しかし、この主張を全世界に向かって呼びかけ、その中核を担おうとするには、先ず、今アメリカの安全保障の頚木から自立し、大国の横暴といざとなれば刺しちがえることのできるだけの核武装をして、相応の力を持つべきだと考える。
 そうしてこそ、初めて、世界は日本国を一人前のメンバーとして認め、その云う所に耳を傾ける気になってくれるのではないか。

 もっとも、今頃になって日本が核武装なんてことを言ってみたところで、イランや北朝鮮の事例に見られるように、米、中、露から袋叩きの目に遭わされることは自明だろう。
 逆にこのことからも、先に核という超絶兵器を開発し保持、独占した国家エゴが、まかり通っている何よりの証左である。

 ただ、言えることは、我が国がアメリカとの安保条約でがんじがらめにされて、アメリカの核のおくるみにくるまれた中から、いくら何を言ってみたところで、世界中の国のどこからもまともに相手にされないことは明々白々ではないか。

 ゆえにこそ、日本がかっこうだけでも核武装することを、鮮明にするだけで、一定の世界世論にインパクトを与え、我が国の主張に耳を傾けさせることが出来るのではないか。

 とにかく隣国の人間に20分でこの地上から我々日本人を抹殺できるなどと嘯かれて黙っていられうだろうか。
 これが侍の後裔の国家だろうか。

 もっとも、微々たる防衛力にせよ、我が国自衛隊の総理に次ぐ総指揮官である防衛大臣を国会で、白昼堂々と「私は防衛の素人です」と自認して恥じないような人間を任命して、これまた性懲りも無くその同類の無能大臣を任じて恥じない総理大臣が君臨しているようでは、早晩、この国の亡国くへの運命は、ロシアの核攻撃の20分前ヨリも早く目睫の間にせまっているのかもしれない。


素晴らしい本を読んだ!―『見残しの塔―周防国五重塔縁起』久木綾子著―

2012-02-04 16:32:03 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
 近頃になく読み応えのある一冊を読んだ。久木綾子著『見残しの塔―周防国五重塔縁起』である。この書、文春2月号を何気なく繰っていると、新刊を読むという巻末近いページに「五重塔を作った中世の人々がよみがえる、89歳衝撃デビュー作」橘由歩(ノンフィックションライター)氏による紹介記事が目に止まった。

 そこには『取材に14年、執筆に4年―、この時間の密度をどう捉えればいいのだろう。どれほどの情熱とぶれない胆力が必要とされるのか、…しかも人生70代からのスタートなのだ。70代から80代半ばという、世に老齢と括られる歳月の中で紡ぎだされた、新人女性作家の鮮烈なデビュー作が本書である。…』

 早速、行きつけの書店で求めたが、あるはずもなかった。取り寄せて手にした。一読、感嘆した。その文章の格調の高さ。自然描写の巧みさ。構成の妙。そして何より主人公をはじめ登場人物の多くがそれぞれに己の理想、あるいはこうあるべきと信じる道をひたすらに一途に生きて行く姿にうたれた。

 読み終わって、珍しく涙がでた。登場人物のその後があれこれと思われてならなかった。こんな読後感は久しく味わったことがなかった。 読んでいて、幸田露伴の「五重の塔」と何度か重なる思いがした。また、野上弥生子の「利休」がちらついた。そのいずれにも劣らない読み応えと格調の高さを感じた。

 ところで、著者、久木綾子氏は1919年生まれとあった。8年前に亡くなったわが母と同い年。そして、私自身も古希をすぎたところ。これまで、自分が本当は一体何をしたいのかがわからず、生きてきた気がしていたのが、最近ようやく、小説を書いてみたかったのではないかと気づくにいたった。

 そうして、今少しずつ、書きたいテーマのメモ作りを始めた。そうした時だからこそ、この書は私にとって一つの天啓とも感じられたのかもしれない。
 だからこそ感動も人一倍大きいのかもしれない。

 小説を書くことは、若い新鮮な感性ばかりでとらえられるものではなく、人生という一山か二山を越えたところで初めて見えてくるものもあり、それを書いて世にとうのも一つの意味あることではないかと思えてくる。
 これからの高齢化社会、このような作品が一つの大きなジャンルとなるのでは…。