蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

ハイビジョン特集「瀬戸内寂聴 遺(のこ)したい言葉」を視ての徒然…。

2007-03-01 08:19:20 | 日常雑感
2月28日(水)晴れ。暖。 

  先週の木曜日(2月22日)の夜(8:00~9:50)、この番組の題を見て、いささか期待して注視した。

  NHKの番組紹介では、次のように出ていた。
 
 『作家生活五十年の今年、瀬戸内寂聴さんは今まで語らなかった事実を含めて、自らの言葉で人生を語ろうと決意。1年間に渡って彼女の遺言のような言葉を丹念に記録していく。』と。

  なるほど、瀬戸内寂聴師が、出家してから、更地同然の土地に丹精を込めて造られてきたという寂庵の四季の佇まいは、ハイヴィジョンを通しての映像として、実に美しかった。

  しかし、”遺される”という言葉の方は、最初の夫と娘を残して、文学をやりたいからと、恋人と石をもて追われる如く故郷を後に東京へ出てから作家として名声を確立するまでの、交際のあった男性作家とのあれこれについてのお話は、いろいろあった。
 が、肝心の「遺(のこ)したい言葉」なるほどのものは、いつまで耳を澄ませていても、こちらの心の中にすとんとおさまるものは、ついに聞けずじまいだ、と思ったのは山家の隠居の僻耳ばかりだろうか。
  
 唯一つ、「恋することが、人を飛躍させる…。恋をしなくては人生はつまらない…。」、「性愛は感覚的なそのときだけのものでしかない。プラトニックなのが好い…」というような言葉が耳に残った。
 
 この程度の言葉なら、師ならずとも幾多の方が云ってこられたことでは、なかろうか。

 それよりも感服したというか、目をみはったのは、その日常の生活ぶりのリッチ(嫌な言い方ではあるが、この場合はこれでないとピンとこないのである。)ぶりである。
 お抱え運転手。執事かともみえる老男性。4人の女性秘書。東京での仕事場という豪華ホテルの定宿の部屋。新年の御節は、京都の老舗からお取り寄せの高級料理が、食卓にびっしりと並ぶ壮観さ。

 晴れて文化勲章受賞の栄えある日には、ホテルから1分の距離の皇居へ向かうのに、京都から運転手ともども呼び寄せた自家用車に悠然と身を入れてお運びになる。

 受賞の感想が、「イラク戦争に断食までして反対した人間、亭主と子供を捨てて小説家になった女に文化勲章を戴けるなんて、日本もそういう国になったのかと思った。その時代の変化の意義を感じて戴くこととした」とのこと。
 
 そして、寂庵にお帰りになれば、お祝いの胡蝶蘭でお屋敷中が溢れんばかりの有様。お祝儀を我先にと膝元に差し出す信者。
 一度、法話の座に師が着けば、部屋には入りきれんばかりの全国各地からの寂聴信者のご夫人の群れだ。
 師は、先立たれた夫への思いを涙で訴える女性の肩に、優しく手を置き、短く励ましの言葉をかける。すると信者の女性は、たちまち泣き止んで頷き、手に持ったハンカチで涙を拭く。

 そんな間にも、東京から駆けつけた編集者が、締め切りを過ぎての作家瀬戸内寂聴に原稿を迫る。
 彼女は、これも過日、谷崎記念館でこれが欲しいと思い、谷崎潤一郎愛用の机に同じに作らせ、80万円もしたというお気に入りの机に、法衣をつけたまま座り、モンブランか何かの高級万年筆でサラサラと淀みなくペンを走らされる。

 このペン先一本で、80余歳の身ながら、広壮優美な寂庵を維持し、自らのほか6人のスタッフの生活を支え、さらに故郷徳島市には、ご自分の寄付で記念文学館をお建てになっていられるのかと思うと、その溢れんばかりのエネルギーに圧倒されるばかりではある。
 寂庵に集う迷える多くのご婦人方は、この師の姿こそ憧れのヒロインであり、いささかなりともその電気にあやからんとするのであろうか。

 まさにこれ、遺す言葉ではなく、平成、女流作家の功成り名遂げし、”遺す出世絵巻”ではというのは、山家の隠居の僻目だろうか。

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。