蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

麻生内閣の命綱―今や解散権の行使のみか?―

2009-06-29 23:02:09 | 時事所感
 6月29日 (月)

 このところの政治の停滞、閉塞感はどうだろうか。今の私たち日本国民の無気力そのものの象徴ではないだろうか。解散を声高に叫ぶ民主党にしたって倒閣のデモ一つ指導できないでいる。

東国原が何とか言ったとかの漣はたっても、二世三世のぼんぼんたちが俄か千両役者になったつもりで、仔犬がワンワン吠え立てあったところで、そんな連中をのせた屋形船をこ揺すりする波一つたちはしないのだ。

毎朝毎朝繰り返されるTV映像での「総理解散はいつですか?」「そうねー。そう遠くない日じゃーない?」。との、三文タレント並みのやり取りのやりきれなさはどうだろうか。

道理で、これじゃー元は本物の三文タレントの何とか原が、「おいらを次期総裁にしてくれるんなら、この際一肌ぬいでやってもいいよ」と、落ちるところまで落ちた自民党の足元見据えて、今こそ売り時とばかりにしゃしゃりとびだすわけなのだ。

とにかく「解散権」だけが、今じゃ、地獄に落ちそうなカンタタにお釈迦様が最後のお情けで垂らされた、たった一筋の蜘蛛の糸というわけでは…。

この間、サブプライムの震源地のアメリカ経済は、オバマ大統領の強力かつスピーディーな政治指導で逸早く回復基調にむかいつつあるとか…。

それに比べて、当初は対岸の火事見物気分のわが国は、もたもたごそごそもたついているうちに、アメリカよりも深刻な事態に落ちつつあるのではないか。

まあ、ここまでくれば任期満了ほど近く、今更、少々残して解散して見たところで大した意味はないのかもしれない。
その意味では、麻生総理が解散権は総理の特権とばかりに固く握り締めて見たところで、時々刻々と手のひらから零れ落ちる砂のようなものではないのでは…。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。