蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

何故退治できない?-不法暴虐国家もどき独裁政権―

2006-10-31 01:05:47 | 時事所感
10月30日(月)晴れ。暖。

  この頃、TVをつけても新聞をひらいても、北朝鮮の核兵器問題と自殺者まで続出するいじめの話題を見聞きしない日は無い。

  北朝鮮も見方を少し変えれば世界中からのよってたかってのいじめと見られなくもない。なんてことを言うと、たちまち「お前はあんなならず者国家の肩をもつのか?」と雨霰の糾弾を浴びそうだ。

  なるほど、現在の北朝鮮の国際的孤立は、親玉の金何とかが自らの独裁による失政が招いたことは自明だ。しかし、そこには囚人同様の暮らしを強いられているらしい2千何百万人かの人民が、今や奈落が落ちるのを心待ちにさえしているとも聞く。

 国際社会は、何故か、金何とかの魔手からその暴政に呻吟する2千何百万人かを、どうすることもできないでいるのだ。隣の中国なんぞは、中・北韓国境をその暴政と飢餓の生活に耐え切れず命がけで逃げてくる人々を、無慈悲にも捕まえれば追い返す始末だ。

 真に生に喘いでいる多数の人々の存在を知りながら、その人々を何らかの形で救おうとしないのは、いじめと何ら変わらないのではないだろうか。
 我が日本だって、ぼろ舟で佐渡や男鹿半島に北からの難民がたどりついたらどんな処遇をするのだろうか?

 大量の偽札を国家プロジェクトとして偽造流通させたり、貧しい出稼ぎの同胞が多数搭乗している民間航空機をテロで爆破させたり、隣国の庶民を、それも中高生まで拉致して恥じない政体とは、そんなものが国家の名に値するのだろうか。

 21世紀のこの文明社会において、国際社会は、かかる不法謀略国家もどきの巨大犯罪者集団を何故速やかに摘出排除できないのだろうか?
 国際社会は、有効迅速にかかる犯罪国家を速やかに排除する仕組みを何故持ち得ないのだろうか。

 今こそ、人類は、実効性のある国際警察機構の常設に向けて、知恵を絞り、譲り合い我慢しあってその構築に努力すべきではないのだろうか。
拉致問題が我々に突きつけている問いの真の解答は、一見途方もなく迂遠かもしれないが、そういうことではないだろうか。

 それは、人類永遠の夢物語なのだろうか。
 こうゆうことを、まともに主張する山家の隠居を、人は空想的平和主義者として、一片の憫笑をもって唾棄するのだろうか。

 と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

蛾遊庵ブログギャラリー 「第10回銀杏会展出品作」へようこそ!

2006-10-26 17:45:05 | 美術エッセイ
 10月26日(木)晴れ。暖い一日。

 10月23日(月)~28日(土)の間、東京日本橋の画廊で仲間達とのグループ展を開いている。
 皆、職場のサークル活動で知り合った仲で、もう30年近くもなる。2、3年の間隔をおいて男女5人とも現役をしりぞいてしまった。退職してからは、会うのは年二、三回となってしまったが気心の知れた仲間達との久しぶりの会合は楽しい。

 以下は、私の今回の出品作である。(ご一覧戴ければ幸甚に存じます。)

■ 「桃春茅ケ岳」(P10号 '06.4.17取材)       ■「稔りの頃」(F4 '06.9.24取材) 
 
                         


■「瑞垣山麓の秋」(P10号 '05.11.17取材)      ■「甲斐駒晩秋」(F10号 '05.11.16取材)

                        

■「白樺湖待春」(F10号 '06.3.5取材)

       

  昔は、現場で1~2日あれば、描き上がったが、だんだんそれでは満足できなくなり、今は、現場では、水彩スケッチとキャンバスへの下描きだけしてくる。

 後は、アトリエでパソコンに落としたデジタル画像を見ながら、実際の色を思い出しながら描いている。
 すると、時間がある限り手をいれることとなる。一箇所に手を入れると今度は他ががたついて見えてくる。今度はそこを直す。いつまでもきりがないこととなる。
 その間、気分がだれる。途中何日間は、イーゼルに載せたまま放置してある。
 展覧会の会期が近づく。ようやく切羽詰って最後の仕上げに慌てふためいて筆をおく。すると。至らないところがまた目に付いてくる。自分で至らないところが見えるうちは、まだ進歩できる証拠と自らを慰めてみる。

  それにしても、見に来てくれるのは、いつも決まった友人知人親戚ぐらいである。たまに昼休みの近所の勤め人の方がふらーっと入って来てくれる。

  新聞やメディアで宣伝される大展覧会には長蛇の列ができるのに、私たちのような街の小画廊での絵には、なかなか目を止めていただけない。
  本当の絵好きなら、駅の構内に貼り出してある子供のポスターにだって目が止まるものだと思うのだが、なかなかそうでない方も多いようである。

  今、後輩に聞くと職場のサークル活動には、若い人の参加は皆無とか。どうしてなのだろうか。そんなに忙しいのだろうか。心に余裕がないのだろうか。
  私たちが若い頃だって、決して暇だったわけではない。お金もなかった。それでも絵の具を買い、外国製の軽い組み立て式のイーゼルを無理して買った。嬉しかった。

  話は飛ぶが江戸時代、人々は俳句に興じ、画会に足を運んだという。渡辺崋山がある時、房総の友人の画会に招かれて出かけたとき、尋ねる家が分らなかった。通りがかりの縄を帯代わりの風体の男に尋ねると、自分もこれからそこへいくところだから付いてこいという。相客だったのである。

  誰もが、著名人の権威によらず、自分の目で絵や書を、詩や小説、随筆を鑑賞し、それぞれの言葉でその良し悪しを語りあうときは、また何時くることだろうか。

 と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

“皇室男系維持―超党派議連が発足―” とは、何故なんだ?

2006-10-20 02:32:01 | 時事所感
10月19日(木 )晴れ。暖。

 昨日、18日付けの朝日朝刊(4面)の下の方に小さく、次の記事を見た。

 『 ■皇室男系維持―超党派議連が発足―

 女系天皇を認めず、男系維持を主張すれ超党派の保守系議員で作る「皇室の伝統を守る国会議員の会」の設立総会が17日、東京都内であった。
 男系維持で継承されてきた皇室の伝統を守るための方策や、皇室への敬愛の念を育む学校教育の充実などについて議論し、まとまれば、政府にていげんしたいとしている。この日の総会には、約60人の議員が出席し、会長に島村宣伸元農水相を選んだ。』

 一読、嫌な連中だな。世の中、北朝鮮の原爆ミサイルが、何時暴発するかと、てんやわんやだというのに、何考えてだろうと思った。

 そして直ぐに頭に浮かんだのは、つい先日、これも同紙の土曜日だかのコラムで、何気なく目にして、ほうーこれは意外だなと記憶に留めた、聖路加病院名誉院長、勳二等瑞宝章、文化勲章受賞者にして『生き方上手』120万部以上の最高齢ミリオンセラー作家にして人生の大先輩、日野原重明先生(95歳)の皇位継承問題についてのご意見である。

 先生は、大意こう書かれていた。「男系に拘ることはないと。長子相続でいいではないか。何故、女性では悪いのか。男女平等の理念の新憲法のもとで…」と。

 全くその通りだと思う。
 
 今も昔も、天子様は、日本の歴史において、ほんの一時期を除いては、民族(ヤマト民族)統合のシンボルにすぎないのではなかったか?それすらもどれだけの日本人に認識されていただろうか?
 
 一寸前の江戸時代、山家の隠居同様の無学の下々の庶民にとっては、京の都の天子さまとは、暦の発行元ぐらいにしか思っていなかったのではないか。
それを、アンチ漢学の国学者が、塵を払ってお蔵から引っ張り出して、わが大和にはこのようなお宝が在ったのだと言い始めた。

 すると、それに海の向こうから、この美味(ウマ)し国を、黄金の島と勘違いして、植民地にしようかと、チラチラやってくる紅毛人に、何の手も打とうとしない弛緩腐敗堕落の幕政に、田舎侍の不満が鬱積し、丁度格好の王政復古の錦の御旗と担ぎ出し、あれよあれよというまに、御簾の奥深く鎮座ましました万乗の君を、白馬に跨る大元帥皇帝陛下にまつりあげたのではなかったか。

 そしてこの度、現下の国家の緊急時に、態々お集まりになった「皇室の伝統を守る国会議員の会」の先生方が、目指される、その第一が皇室への敬愛とのこと。

 その裏の魂胆は、天皇を頂点とした日本社会のヒエラルキーを作り上げ、天皇笠を被っての天皇の近くに侍る先生方を、我々下々に敬愛しろということではないのか。偉い先生方に異を唱えるものは、またぞろ不敬罪でひっくくると脅し、先生方の言うことだけを黙って信奉する都合のいい、物言わぬ僕にしたいだけではないのか?
 
 それを、学校教育の場でだと。冗談ではない。友達同士、仲間同士も大事にすることもろくに教えられないで、なんてことだろうか。

 大体、日本古代史で始めてお目にかかるのは、子供でも知っている卑弥呼様だ。
 その時は、よく国中が治まったという。卑弥呼が亡くなって、その娘が後を継ぎ、母親卑弥呼ほどの霊力を着けるには若かったためか、政(マツリゴト)に男どもがしゃしゃり出てきたら、相交伐すること数十年だったとか。

 かくの如くを、省みれば、なんで女帝で悪かろうだ。
 アマテラスオオミカミの言い伝えは、これこそ、ヤマト民族の平和哲学の真髄ではないのか?
 女性こそ、豊穣と平和、生命再生のシンボルとして、これ以上のものがあろうか。
 だとすれば、たった一行、「皇位継承は長子相続とする。」これだけで済むことを、ああだこうだと小田原評定している暇があったら、もっともっと緊急に議論し智恵をつかうべきことがいっぱいあるではないか。
 
 ちなみ、長子継承を可とされる、日野原大先生は、ウィキペディアで確認したら、保守思想家、キリスト者にして天皇を崇拝され、憲法に勤皇奉仕の義務を明記せよと主張なさっているとあった。

 女帝様の下なら、この山家の隠居も喜んで皇居の草むしりぐらいには、ご奉仕にでかけたいものである。 

  と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

「生きる意味を教えられる!」-NHKプレミアム10「この世界に僕たちが生きてること」を視て。

2006-10-18 01:44:43 | 美術エッセイ
10月17日(火)晴れ。日中暑し。

 昨夜、10時過ぎ、食後の転寝から目覚めて、付けっぱなしのテレビ画面に、何気なく目をやった。
 車椅子に固定された青年が、一心に絵筆の先に括りつけた鉛筆で似顔絵を描いている。どうやって描くのだろう。

 私も、定年後の今は、絵を描くことを仕事にしようとしている。だが、始めてみると、時間があるだけに反ってなかなか集中できない。筆をいろいろ選んでみても、こまかなところの描写が思うようにできない。こんな技量でプロを目指そうなんておこがましく思えてくる。
 念願だった、上野の公募展への出品を目指して、100号のキャンバスに下描きまでは順調にすすんだものの、絵の具を置く段になったら、何故かちっとも進まなくなってしまった。もう、五年近くがたとうとしている。その間どうでもいいような回り道ばかりしている。
 昨日の昼間も、仲間とのグループ展の会期がせまり、最後の仕上げにかかったが、少しいじりはじめるとあそこも、ここもと手直ししたくなる。収拾がつかなくなり、気ばかり焦る。
 筆を置いて、まわりをぶらぶらしてしまう。自分の存在意義がわからなくなってくる。
 そんな気持ちで、一日を過ごしたところで、この番組に出会ったのだ。
 まるで、神様からのメッセージのように感じた。たちまち目覚めて見入った。

 番組名は、NHK総合、プレミアム10「この世界に僕たちが生きてること」だった。
 筋ジストロフィーを病む身体で110人の笑顔を描くのがライフワークという。

 視ていて、涙が溢れて止まらなくなった。右側に吊り下げてあるモデルの写真を見つめながら、不自由な手をかすかに動かすと、それに連動した鉛筆の芯が、紙面の上に、かすれた様な軌跡を残す。その動作を何回も何回も根気よく繰り返していくのだ。その間、気管支を切開手術したため、タンがつまる。そのたびに、傍につききりのお母さんが笑顔で介護し、吸引器でタンをとってあげるのだ。

 その手術の入院時に、看護してくれた看護士さんをはじめ他の患者さんたちの微笑を描くことを思い立ち、以来それをライフワークにしたという。目標を110人としたのは、「1(ひと)10(と)人(ひと)」を結んでいくという意味だそうだ。

 二人のお母さん河合孝子さんは、正嗣(兄、28歳)、範明(弟、5年前23歳で死亡)さん兄弟が4歳の時に、筋ジストロフィーであると医師からつげられたそうだ。その時は、何ヶ月も泣き暮らしたが、それではダメだ思いなおし、笑顔で精一杯二人を看護することに決意して、今日まで二人を支えてこられたという。
 二人は、養護学校を卒業すると、どこへも就職できないので、小さな工房を開き、自作の絵や工作物を作って、それを売って生活してきたそうだ。
 ところが、5年前、弟の範明さんが呼吸困難で亡くなった。50号の大作、小学校時代の元気だった頃の鬼ごっこの思い出を描いた絵を遺して。

 以来、正嗣さんは、以前にも増して、弟の分も生きて、自分が生きている意味をメッセージとして残すことを志したのだ。

 しかし、彼の病状はさらに進む。心臓の括約筋が弱り、ペースメーカーを装着した。その手術で寝ている間に、弟さんが亡くなった時生じた9.11テロ事件を思い出す。その時、何故か世界貿易センタービルの背景の空が青く美しく見えたと言う。彼はその意味を問い続ける。人間には誰でも悪の部分と、善の部分が同じぐらいあるのではないかと。自分もその一人だと。
 その時感じた「人間とは何か…」を自分が生きた証として伝えるべく、110人の絵は55人で中断し、100号もの大作に挑むのだ。
 55人の「笑顔」は皆、素晴らしい笑顔だった。とても、あのような不自由な手で描かれたものとは思えないような、できばえである。目じりの皺の一本一本の微妙な線に、描かれたモデルの人の人生が感じられた。

 そして、今までは、工房をアトリエとし、自宅からお母さんに車で送迎してもらっていたのが、通うことが困難な状況になり、自宅に引き上げることになる。

 彼の体力は益々衰えていく。その身体で、100号の大作はどうやって描くのだろうか?
 寝たきりで、パソコンで下絵を描き、それをお母さんがプリントアウトして大きく繋ぎ合わせ、キャンバスの上にカーボン紙挟んで貼り付ける。
 そこで、やっと椅子に身を起こしてもらった彼が、鉛筆の代わりに括りつけたボールペンで、丁寧に下絵の上をなぞる。お母さんが、カーボン紙をそーっとめくってみると、くっきりと下絵の線が写しだされていた。
 下絵を見た限りでも素晴らしい作品となりそうだ。彼には、今、イメージが溢れるように湧いてくるという。

 極限まで人間として生きる力を奪われながら、懸命に生きようとする青年がいる。
 その一方で、どこにも支障のない私のようなものは、ろくに大した努力もしないで、自分には才能が無いとかどうとか、御託を並べて、暇を潰している体たらくだ。

 改めて、人間が生きる意味を、この極限の生の中でよりよく生き抜こうと意思し、そして限りない人間愛の連帯のメッセージを送ろうとする青年に深く教えられた。
 彼に、このような強い生きる意欲を与えたものこそ、お母さんの笑顔だったのではないか。

 それにしても、人間てものは、どうして健康で元気な者ほど、勇ましいことを言って戦争をしたがり、死にたがるのだろうか?
 北朝鮮の独裁者の核兵器ごっこ。イスラムの聖戦の大儀の下、身体に爆弾巻きつけて、意味もなく自他を殺傷する自爆テロの暴虐に走るとはなんたることだろうか。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

この頃、しばし流行(ハヤリ)の“謝罪ごっこ”の不思議な光景、こはいかに!

2006-10-16 01:01:12 | 日常雑感
10月15日(日)晴れ。朝、10℃~日中、27℃。

 この頃、何か不都合な事件が起きるたびに、加害者、非難される原因を生じた企業や組織のお偉方(責任者?)が、机の上に何本も並んだマイクを前に、こちら(TV画面をみているこちら側)に向かって、「このたびは、…により、このような…事態を生じ、誠に申し訳ありませんでした。」と、三人ないしそれ以上の方々が並んで、一斉に最敬礼の光景を、何と多く目にすることか?
 
 大体、このような場合、こと最終権限をお持ちの方は、お一人のはず。その最高権力者がお一人出てくれば済むものを、何故か打ち揃っての、誰がどんな責任を感じて頭下げているのかと思うと、えらく不思議な感じに囚われるのは、天邪鬼な山家の隠居だけだろうか?
 
 察するに、お偉方を一人、われらが殿様を、世間の笑いものに晒しては、忠臣としての一部がたたないとばかりに、ぞろぞろ金魚の何とかみたいについてでてくるのだろうか?

 そして、このような場合、一番、責任を感じなければならない人間が、どこにいるのか分からなくて、何でこの方が責任とらなきゃいけないのという場合が結構あるような気がするのだが。

 確か、最近では、パロマガス湯沸かし器だったかの不具合でも、亡くなった被害者のお宅へ謝りに行き、何人かで一斉に遺影に額ずいていたのは、副社長か何かで、社長さんではなかった筈だ。
 そして、この会社、同族経営で何でも実権は社長さんに集中しており、副社長さんは田んぼの案山子のような権限しかなかったと何かで聞いた。

 だとすれば、肝心要の社長さんは出てこず、都合の悪い時の謝罪役だけとは気の毒なことである。
 
 先般も、小学6年生の女の子が自殺した件でも、肝心要の担任教師の姿かたちはおろか氏名も明かされないまま、現場に一番遠い教育長さんだかが、辞任されたのではなかったか?
 これなど、この教育長さん、何か他に辞めたくなる理由があってのことか、渡りに舟とお辞めになったのかと、つい余計な勘ぐりしてしまいたくなる。

 或いは、今日も、福岡での中学生自殺事件で、遺族宅へ学校関係者が弔問し、遺影の前に深々と頭を下げている様子がうつしだされ、その後で教育長が、謝罪の言葉をのべていた。

 そして、不思議なのは、いちいちの事件では頭を下げても、大きなこと、例えば先の大戦の敗戦責任とか、近くは1000兆円もの国の借金積み上げても、誰一人、国民に向かって、頭を下げようとはしない。

 この不思議な光景は、一体どうしたことだろう?

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?

―北朝鮮の核実験―生きることに厭きた独裁者の暇つぶし?(その2 裸の王様異聞)

2006-10-14 02:39:02 | 時事所感
10月13日(金) 晴れ。暖。

 昨日、今頃、21世紀のシーラカンスかともいうべき北の独裁者の心中を忖度しながら、眠気誘いに飲んだオンザロックが効きすぎてか、不意に、頭を掠めたのがアンデルセンの童話「裸の王様」である。

 換骨奪胎?私の頭に浮かんだ「裸の王様異聞」は以下のようなものである。

『 ここに、余りにも長く、独裁者として栄耀栄華を尽くし、子供も何人か、大きくして、その子の一人は王子様には程遠く、先祖がえりの麻薬の売人もどき、と思うに付けても、この頃、生きていることにいささか、厭きてきた王様がいました。

 今や、王様は、良い衣装を身に着けて、皆の褒め言葉を聴くことだけが唯一の楽しみでした。そして、ありきたりの衣装では、もう満足できなくなった王様は、お城の門前に大きな高札をたてました。

 “儂は、まだ誰も着たことのない衣装が欲しい。それを持参したものには、大層な褒美をつかわそう”とありました。

 そこへ、他所から、流れ者の詐欺師の仕立て屋の二人組みやってきました。二人はその高札を見、街の住民から王様の噂を聞き、王様の見栄っ張りに目を付け、大儲けを企みました。
 二人は早速、お城へいき、「私どもは、究極の衣装、馬鹿と役立たずの目には見えない衣装をつくる技をもっております。ぜひ一着この究極の衣装を王様にお召し願いたくはるばる遠方より、王様のご高名をお慕いしやってまいりました。」と門番に取次ぎを頼みました。
 これを聞いた門番は、怖い顔をして、二人に言いました。
 「何を申す。この法螺吹き奴、そんな怪しげなものがこの世にあろうか。さっさと消えうせろ!」
 すると二人は、言い返しました。
 「ご門番様、貴方様の一存でそんなことを言っていいのですか?王様は、まだ誰も着たことのない衣装をとお望みでございます。その王様のたってのお望みを、勝手にチャラにしてよろしいのでございますか?もしもこのことが、王様のお耳に入りましたら、あなた様こそそこにそうやって威張ってお立ちになっていられなくなるのではありませんか?」

 これを、聞いた門番は、今度はこっちが青くなって驚いた。
<そうだ、もし、これがお偉方に知れたら、憎いこいつらのいう通りかも知れぬ。これはヤバイな。>そこで、思いなおした、門番が告げました。
 「しょうがない。入れ。その代わり、お前らが言うような衣装ができなくて、後で泣きっ面をしたって儂はしらんからな。」と。
 そんな訳で。第一関門を無事通過した仕立て屋達は、今度は大臣に引き合わされました。

 大臣とも同じ問答を繰り返しました。
 しかし、大臣は、門番と一寸違いました。
 大臣としては、この頃、王様へどんな立派な政(マツリゴト)についての進言をしても、ちっとも関心をしめしてもらえず、王様は生あくびを噛み殺しながら、「よきにせい」と退屈げにお答えになるばかりでした。
 これでは、大臣としてあがったりです。もう、前のように王様から「よくやった」とのお言葉もご褒美ももらえません。

 そんな大臣にとって、この仕立て屋の話は渡りに舟に思えたのでした。
 <そうだ、こいつは面白い。王様は誰もまだみたことのない衣装をお望みだ。うまくすればこの話、王様のお気にめすかもしれない。ここは一丁、のるかそるかでのってみるか?>こう考えた大臣は、恭しく王様の前にいつもにも増して畏まって進み出ました。

「王様、実は先ほど、王様がお命じになった門前の高札をみて、面白い仕立て屋が参りました。この者どもが、申しますにはかくかくしかじかとのことでございます。」
 これを聞いた王様は俄かに生き返ったように、玉座で跳ね上がって、歓喜の声を上げられました。
 「何と、それは真か。面白いではないか。それこそ、余が待ち望んでおったしろものじゃ!直ぐにその者等を此処へ呼べい!」

 王様の前に呼ばれた二人は、神妙に平伏しました。

 そして、二人組みは王様との間で次のような約束をしました。
 
 二人組みは申しました。
 「この衣装をつくるには、ここにつれてまいりました、千匹の女郎蜘蛛。これが吐いた糸をよってつくります。つきましてはこいつらに、毎日、美酒一樽、美味しい肉1キロを賜りたく存じます。なお、世界中で我ら以外の持たぬ特殊技術ゆえ何方にも私どもの仕事振りをお見せする訳にはまいりませぬ。また、何方様かに覗き見などされますと、気が散っていけませぬ。どうかお城の庭にたった一つの小窓の付いた仕事小屋を賜りたく存じます。私どもの三度の食事、それにこいつらの餌はこの小窓からいただくことにいたします。なお、真に申しにくい事ながら、前金千両を戴きたく存じます。これを、叶えていただければ、今からでも直ぐに仕事にかかりたいと存じます。」

 王様はその全てを大臣に用意させました。

 二人は、早速小屋に籠もりました。中からはトンカラリン、コンカラリンと軽やかに糸を紡ぐ音ばかりが漏れ聞こえてくるばかりでした。

 ところがどっこい、小屋の中の二人組み、蜘蛛の餌と言ったのは大嘘で、自分たちでたらふく飲み食いの大饗宴。トンカラリンの仕掛けはと見れば、糸紡ぎの心棒に括りつけた車かごの中にハツカネズミをいれただけ。
 
 たちまち、十日たっても二十日たってもまだできない。
そこで、痺れを切らした王様。大臣に様子を探らせにやる。まだだめだという仕立て屋をやっと宥めて、ひとりだけ中に入れてもらった。
 大臣の前にどうですこのできばえはと広げてみせた。大臣には、何も見えない。すると二人が呵呵大笑。「おい、相棒。この大臣様は何にもみえないんだとよー。」「そうか、ということは、とんだオオバカか役たたずなんだ!王様も、お気の毒なことだ。こんなバカに高禄やって政(マツリゴト)をさせているとは。家来も、町人も気の毒に。ところで相棒、こんなバカ大臣のいる国にこれ以上の長居は無用だな。このへんでさっさととんずらするか」

 これを聞いた大臣はびっくり仰天。二人に今逃げられたりしたら、それに今のセリフを王様の前で言われては、自分の首が飛ぶと恐れ、「いやいや、二人の職人衆よ。儂もこの頃、歳のせいで部屋が変わるとな、一寸目がわるいのじゃよ。うん、今度はよく見える、よく見える。うん!なかなかのできばえじゃ。これで王様も大喜びなさるだろう。早速ご報告しなくては」と。「さすが、ご賢明な名宰相閣下。そうとお話が分かればどうぞ王様に下見にこられるようにお伝え下さい。寸法合わせをしなくては…」

 そこで、大臣が王様をお連れした。中に入った王様。何も見えない。「これ二人、どこにできておる、何もありはしないではないか?」
「これは、これは、王様。何と言うことをおっしゃいます。先ほど、宰相閣下からもよくできたとのお褒めの言葉をいただいたばかり。もしかして王様もお歳のせいで真に申し上げにくい事ながらお目が少しお悪くなったか、それにあれほどご聡明な名君とのお噂を遠くきいてまいりましたのに、真に申し上げにくい事ながら、少々お頭のほうもお弱くなられたのでは、こんな噂が、ご家来衆や町人どもに、少しでも知れたりしたら、また若し隣国のこの国をねらっているとの噂を聞きます、大魔王様の耳にでもはいったならば、いかがでありましょう。直ぐにも攻めてくるのではありませんか。嗚呼、桑原桑原。こんな国にでは、とても落ち着いて仕事などできません。 戴きました金はここにそっくり置いてまいります。その代わり、今日まで私ども二人、苦心してつくりあげましたこの世界にふたつとないみごとな、馬鹿と役立たずには見えない衣装、このまま持って隣の大魔王様のところに持ってまいりたく存じます。それでは王様わたくしどもは、ここでお暇たまわります。」

 すると王様、びっくり仰天、そんな噂が外に出ようものなら、たちまち王国はてんやわんやの大騒ぎ、隣の大魔王がこの時とばかり襲い掛かるは、必定とたちまち計算したあげく、「いやいや、これは 儂が悪かった。何、一寸この部屋が暗いものでな。うんうん、よくよく見ればこれは見事じゃ。なあ、大臣!」「はい、王様これは見事な珍品でございます。先ず世界のどこにもありますまい。」「よし、早速、皆にお披露目としよう」

 そこで、早速、大パレードをすることになった。そのパレード開催の告示にはこうあった。
“この度、我が偉大なる王様は、世界の誰も今だ着た事の無い「バカ者と役立たずの目にはみえない衣装」をおつくりになった。ついては、この結構なお衣装を召された、王様をとくと拝ませるからありがたく思え!
 なお、見えないと称するものは、たちまちに北の鉱山にぶちこむこととする。」

 そして、トランペットの音高らかに静々と王様の行列が城門から。街へとお出ましになった。
 得意満面の王様、みれば下着のままである。続く宰相もしかり。国民はこれを見ても陰ではくすくす笑っても声に出すことは、はばかった。王様のスパイがそこら中を嗅ぎまわっており、もしその耳に入れば、たちまちしょっ引かれて遠くの鉱山へ強制労働にやられて二度と帰れない怖い目にあうからである。

 町中の人々は歓呼の声を上げた。「俺たちの王様は世界一。バカと役立たずには見えないご立派な衣装をお召しになっているんだ!」「俺たちの王様は世界一。バカと役立たずには見えない衣装をお召しになっているんだ!」

 それを視ていた隣国のスパイは跳んで帰って大魔王様に見てきたことを報告した。

 大魔王様が静かに命じた。者ども。ちょいと一足、隣まで、バカ大将の身の程知らずの贅沢で、やせこけ不味くはあるが、どこの誰かの餌食になるぐらいなら、俺様が食ってやろうとぞ!と。
 そんなわけで裸の王様の国は、丸ごとあっというまに大魔王の餌食になったとか。

 その中にあの二人の詐欺師の仕立て屋の姿はどこにもなかったと言う。』

―北朝鮮の核実験―生きることに厭きた独裁者の暇つぶし?

2006-10-13 02:30:48 | 時事所感
10月12日(木) 晴れ。暖。

 毎日、毎日、北朝鮮の核実験問題で、世界中が大騒ぎである。

 こんな、有様を見渡して、あの北の独裁者はどんな思いでいるのだろうかと、ついつい考えてしまう。果たしておん歳はとみれば、1942年2月16日生まれとある。

ちなみに小泉前大宰相閣下は同年1月8日とある。同年である。こちらは、5年間24時間勤務で草臥れましたと。さっさとおもちゃ箱をひっくり返したままのような格好でお引取りになった。
後は、野となれ山となれかの悠々自適の境地をお楽しみになるらしい。己の若い頃からの念願の郵政民営化をとにもかくにもやり遂げての、なかなか見事なものではないだろうか?その毀誉褒貶は様々なれども、そんな大事は、すぐに答えのでるものではあるまいもの。

 それに反して、この地上に同じ時間を生きてきて、北の将軍様のやっていることは、一体何んだろう。天から託された自国民の一部を毎年毎年飢えさせて、自分に少しでも歯向かう兆しのある者は、かたっぱしからひっ捕まえて、最北の鉱山に送り込み奴隷のような強制労働で二度と日の目を見たものはいないとか。
 
 そんな独裁者でも、人間誰でも、いい加減年をとってくると、生きることに退屈してくるのではなかろうか。
 その退屈を紛らわせるためには、何かが必要になってくる。絵を描くとか、いい書を書くとか、いい庭をつくるとか、ならまだいいが、そんな才能がないとなれば、一体何をすればいいだろうか。

 長年の酒池肉林に溺れてかの、重度の糖尿病が持病と聞く、朝鮮民主主義人民共和国英雄にして共和国元帥閣下にも、いい加減生きていることに厭きがきて、何か、はらはらどきどきすることをしてないと、己の生を実感できないとかで、手を出してみたのが、核爆弾、ミサイル火遊びなのではなかろうか?

 そうして、バカの火遊びほど怖いものはない。そこには計算なんて、端からないからだ。
 この大元帥閣下、若き日、父親の金日正から、労働現場指導をまかされて、メチャメチャやって、あわやこのばか者と、跡継ぎ廃嫡されようとして、その後はひたすら猫っ被りのお追従で父親にゴマをすって、競争相手の弟を暗殺させたとかの噂持ちとか。

 とにもかくにも、たった一人の初老・独裁男の生きがい作りに付き合わされて、世界中が右往左往させられるとは、全くもっての近所迷惑、何とも不思議な光景ではなかろうか?

 こんなふうに、おこがましくも、やはり同学年生まれの小生、この頃、勿体無くも撥が当たる話、そうこれといって生きがいを感じることの薄まってしまっているわが身に引き比べて、ついついあらぬ想像してしまうのだが…。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?


わが山里は、秋たけなわ…。

2006-10-11 19:41:41 | 田舎暮らし賛歌
10月11日(水)雨。14、5度。

 昨日、一昨日の好天にかわって、今日は今朝から秋雨の一日。雨の小止みに庭先に出てみた。

 目前の雑木林のなかで、にわかに紅葉した木々が目立ち始めた。標高700mの茅ケ岳山麓のこの地は、秋たけなわというべきか。

 


             
  
 部屋の中では、火の気がないと、何か落ち着かない気分である。一昨日の晴れ間に薪を用意しておいたのが正解だった。
 ストーヴに火を入れた。
 
 そうして、炎の揺らぎを見ていると、いつまでも厭きない。

 ふと、詩心が湧く。

 書棚から、昔、求めた詩集の一冊を手に取り、ページを繰った。

   田中冬二ー晩秋小景ー

   とりいれのすんだ野良は
   がらんとして
   むこうの道からは
   空がしろい障子をたてている

   蛾の羽のいろをした林に
   雨のしぶい音
   頬かむりの百姓が はだか馬をひいてゆく
   片手にさげた酒徳利(サカドックリ)には
   さむい雨の風景がまわっている


 なんと、「美しい国」、日本の田舎の炉辺(ロバタ)の恋しくなる、懐かしい風景だろうか。
 我が家から、一歩表へ出れば、こんな風景が広がるのも、もうすぐである。

 もっとも、今や、”はだか馬”をひいてゆくお百姓の姿はどこにも見あたらず、軽トラがユラユラとあぜ道を走りゆくだけではあるが…。

ー追記ー

 田中冬二(1894年~1980年)銀行勤めのかたわら、詩を書く。1961年第5回高村光太郎賞受賞。日本現代詩人会会長。日本の山村の風景と暮らし、季節感豊かなふるさとを描写した詩が多い。

好天を棒に振る!…国会中継「予算委員会集中審議」

2006-10-11 00:39:41 | 時事所感
10月10日(火) 快晴。暖。
  
 新聞休刊日。しかたない。スパモニを視る。北朝鮮核実験、如何(ドウ)見るか。コメンテーターが綺羅星のごとく勢揃い。見れば、昨日、引用させていただいた防衛庁、武貞主任研究官もご臨席である。こんなに早く実物の謦咳に触れられるとは思ってもみなかった。
残念ながら、TVのスイッチを入れたのが少し遅く、肝心のコメントは聞けなかった。
 が、その場の余韻から、昨日、紹介させていただいた内容の話をしたようであった。それに対して、アメリカがそれを傍観するだろうかというようなコメントを、他のコメンテーターがしていた。

 武貞氏は最後に、今後日本としてはどうすべきかと司会者から振られた質問に対して、そこは防衛庁の職員らしく。「国民の皆様には、やはり、こうした事態に対して、日本の防衛(国防だったか?)のあり方について、これを機会にもっと真剣にひとりひとりに考えていただきたい…」というような趣旨の発言をしていた。

 案外当たり前の発言で、先の見通しのユニークさに比べると、少々がっかりしたが、それはないものねだりというものだろう。

 そして街の声はと、街頭を行く人にマイクが向けられた。

 その中に、案の定、「日本舐められているよ、日本も核武装すべきだ」という声があった。

 これに対して、核武装するとなれば20兆円も軍事費がかかるとコメンテーターが注釈していた。
 これでは、消費税10%アップどころの話ではなくなるのだ。そして、一度、軍事大国への道を歩み始めたら、後戻りはできず、結局、暴発して、またぞろ破滅するまで正気にもどることはないということを、たった5、60年で人は忘れてしまうのだろうか…と、いうことである。

 この番組が終わったら、もう10時だ。
 
 空を見上げれば風もない、秋晴れの好天。写生にいこうかと思ったが、午後1時からは国会中継「衆議院予算委員会集中審議」がある。民主党は、前原議員が質問に立つという。久しぶりにどんな顔をして、檜舞台に立つのか見たくもある。
 出かけるのはやめた。

 1時になった。TVを付ける。

 前原氏が質問にたった。安倍宰相閣下の御著書「美しい国」をかざしての糾弾である。「ここに書かれていることと、ことごとく違うではないか?靖国、A級戦犯、政経分離、村山談話、従軍慰安婦問題、全て総理になって考え方を変えたのか?」と迫る。

 だが、宰相閣下は、ひたすら安全運転、そんな挑発に乗る訳がない。ひたすら忍の一字あるのみ、暖簾に手押しだ。のらりくらりのナメクジ答弁。

 その後、野党各党が質問に立つが同じことの蒸し返し。これでは答える方も嫌になるだろう。宰相閣下にいたく同情した。こちらも聞いていて途中、うつらうつらの子守唄だ。
 野党は、何故、事前に連携して重複した質問とならないよう、調整して臨めないのだろうか?貴重な国会の時間と歳費の空費である。

 終われば、五時。秋の日は釣瓶(ツルベ)落としだ。一日を棒に振った。もっとも、山家の隠居の一日なんて何をしようと、たいした変わりはないのだが。

  そこで、狂歌一首。

 「秋日和 北核実験で 棒に振る 国会質疑 行きつ戻りつ」 ー蛾遊庵山人ー

 と、思うこの頃、さて皆さまはいかがお思いでしょうか?

「北朝鮮、地下核実験成功!」―果たして、それは何をもたらすのか?―

2006-10-10 02:13:39 | 時事所感
10月9日(月) 快晴。日中やや暑し。

  秋晴れの一日、外出から帰宅して、PCを立ち上げると、北朝鮮地下核実験成功のニュースが目に飛び込んだ。

『北朝鮮が地下核実験に成功、朝鮮中央通信が報道

 【ソウル=中村勇一郎】北朝鮮の朝鮮中央通信は9日午前、同国の科学研究部門が同日、「地下核実験を安全に成功裏に行った」と報じた。
 実施場所や実験内容には言及していない。
 韓国政府は同日午前10時35分ごろ、北朝鮮北東部の咸鏡北道花台(ファデ)郡付近を震源とする地震波を観測しており、核実験によるものかどうか確認を急いでいる。
 核実験が事実であれば、核兵器保有に必要な技術を完成させたことになり、北朝鮮核問題は重大局面を迎える。
 北朝鮮は国際社会の度重なる自制要求を無視し、予告からわずか6日後に実験に踏み切った。
 朝鮮中央通信は核実験について「科学的計画と綿密な計算によって行われた今回の核実験では、放射能漏れのような危険が全くなかったことが確認された」と強調。
(読売新聞) - 10月9日21時3分更新』

 夜、7時のNHK総合のニュースでも、安倍総理大臣が緊張した面持(その本心はしるよしもないが…)ちで、わが国独自の制裁措置をとるとコメントしていた。
 ところで明日は新聞休刊日。TVは朝からこの話題で、大騒ぎなことだろう。

 私の思いは、案の定、とうとうやったか! これで、憲法改定派は、してやったり。思う壺。5年以内に憲法を改定したい。当たり前の国にしたいとのたまった、安倍総理大臣閣下には、なんとタイミングの良い打ち上げ花火ではないか。これでは、5年も待たずにさっさと初志貫徹となるのではないか。このことである。

 そして、何気なく先日読んだ日経ビジネス、オンラインニュース、『核実験宣言、金正日が「今だ」と考えた理由―事態を予見していた防衛庁防衛研究所主任研究官・武貞秀士氏に再びインタビュー』なる記事どおりだったなと、驚いた。

 この記事で、武貞氏は要旨、次のように語っている。

『北朝鮮の核開発には綿密なシナリオがあり、核実験に進むのは確実。北朝鮮の最終的な目標と核戦略は「南北融和を演出しつつ、在韓米軍を撤収させ、自らが主導するかたちで南北を事実上統一する。その過程で起こりうる米国の介入を排除するために、米国本土に届く大量破壊兵器が必要だ。」要は米国と戦わずして半島を統一することが彼等の軍事戦略である。
今、米国と韓国の間には、米軍の韓国駐留を巡って、経費負担の問題(現在、韓国の負担38%であるのに対して、アメリカはこれを75%にしたいと望んでいる。在韓米軍が射爆場で韓国民の反対で訓練ができないでいる。…)様々に秋風が立っている。
一方で、盧政権は「南の我々が、寛容を持って迎えれば、同族である北と理解し合える」という勢いが強まっている。
これに対して、北朝鮮にしてみれば「機がまさに熟しつつある」と見、北主導で統一のために武力行使に出たとき、イラク、湾岸、コソボで見せたような米国の武力介入を阻止する手段、すなわちワシントン、ニューヨークに届く核兵器の開発が急務であり、核兵器開発を加速させている。
「同じ民族同士で北と融和し、日米に頭を下げるのをやめて、中国、ロシアとつき合えば、今まで以上にうまくやっていける」これが今の韓国の民情である。
これを見て、金正日は、チャンス到来とばかりに、核弾頭開発の最終段階、仕上げに入った。私はそう見ています。』とある。

なお、北朝鮮は、従来の報道等では、食糧不足等で今にも崩壊寸前のように報じられているが、実際は、中国からの資本投下がさかんで、平城(ピョンヤン)には中国製品が溢れ、以前よりも生活が豊かになっているとのこと。さらには、北朝鮮特異の儒教の影響で簡単には政権が崩壊する気配はないという。

こうした見方は初めて聞くことであり、聞かされてみれば成るほどと納得がいく話である。

それにしても、南の人々は、美味しそうに超えた豚(蔑称としてではなく単なる比喩として)を舌なめずりして一飲みのにしようとする、人の好い赤頭巾ちゃんを、待ち構える北の狼の本性に気がつかないのだろうか。

そして、その南を一飲みにした狼が次に狙うのが、もっと美味しそうに遥かに肥え太ったこの国だと、声高く騒ぎ回る輩が、勢い付いたら、一体この国はどうなるのだろうか?

と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

ー追記ー
 下記、TBいただきました”斜46°”様の記事も是非合わせてご一読ください。
 大変、ユニークで面白くかつ有意義な内容です。(10月11日、記)