蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

安全保障論議の虚しさ!―今こそ改憲「真の平和憲法」策定を!

2015-06-06 00:30:11 | 時事所感
 今、国会では安全保障論議が熾烈である。

 だが、私たち国民にとっては、いまひとつピンとこないというか現実感がない。
 それは、尖閣を中国があわよくば我が物にせんと虎視眈々とちょっかいをだしにきているといっても、はるかな海の中のちっぽけな島でのことでしかないからではないか。

 これが、沖縄や北海道の上空をひっきりなしに中国やロシアの偵察機や戦闘機がとびかったりしたら、こうはしてはいられないだろう。
 なんだ、あれは、ふざけるな、人の頭の上を、断りも無く…と怒りと不安でいっぱいになるだろう…。
 ところが、今、私たちの頭の真上には、そんな怪しい影は微塵もみあたらない…。

 これでは、どうも私のような先の読めない凡愚にとっては、なにごとも現実の眼前に迫られてみないと、その問題を真剣に考えて見る気にはならないのである。

 こんな愚鈍な私とは違い、さすが一億三千万余の国民の生命財産の安全を担われる総理大臣ともなると、昨今の隣国中国の無道傍若無人ぶりに座視するには耐え難いとばかりに、我が国に降りかからんとする全ての火の粉を事前に振り払うべく、今回の安全保障法制の提案となったのだろうと拝察される。

 しかし、今回提案の内容は、どうみても現憲法が厳然と存在している以上誰の目にも、木に竹を接ぐどころか、木に鉄をつぐようなものではないのか?

 今の国際情勢を見回すとき、我が国は四海海に囲まれ、地政学的に実に恵まれたなかにありながらも、隣国中国の横暴振りをみれば、心安らかではいられない。
 
 70年前、我が国有史以来の国家崩壊の危機の中、羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いた感のあるなかでの、かつ極めて特殊な国際状況の中でつくられた現憲法は、今や、見直すべきではないのだろうか。

 しかし、そのためには、今一度、我が国は何故そのような有史以来の危急存亡を迎えたのか、その失敗の要因を徹底的に見直すことが第一ではないのか。

 その反省の上に立ち、武力・戦争では絶対に国際紛争の真の解決策は得られない理念を根底に置いて、国際平和秩序を構築することを目指した平和憲法を策定すべきではないのか。

 現在の安倍政権のやろうとしていることは、この大事な手順を無視して目先の小手先の対米従属による安全保障弥縫策でしかないのではないか。