蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

御近所のオープンハウス雑感

2011-01-29 18:19:26 | 田舎暮らし賛歌
1月29日(日)晴れ。

 朝、9時過ぎ、玄関のチャイムが鳴った。何だろうと出てみる。
「おはようございます。今日、上のお宅で見学会をやらしていただきます。お騒がしいかとおもいますがよろしくおねがいします」工務店の人の挨拶だった。
 我が家の直ぐ上の山林を切り開いて、昨夏始め以来建築していた家が出来上がったのだ。
 施主さんが入居する前に、OMソーラーハウスのよさを宣伝するための見学会が今日と明日の二日間開催されるという。

 10時、建築を見るのが大好きな私、早速出かけてみた。一番乗りだ。少々気が引ける。30坪弱の平屋造りの明るい家だ。
 この辺一体は赤松林の緩やかな南西傾斜地である。だがその赤松が松喰虫に犯されて殆ど完伐された今、目の前に南アルプスが聳え眺望はよくなった。
勾配天井の居間の南側一面にそのおおらかな風景が広がっている。足元に我が家がぽつんと小さな置物のように見える。

 こうして見ると、何だかこうあからさまに上から我が家を見下ろされるというのは余り好い気分のものではない。
 もっとも今は冬枯れの季節で周囲の雑木が枯れ木ばかりだが、これがもうじき一斉に芽吹けば、また柔らかな新緑に包まれるだろう。
 このお宅のお風呂場は南東角にあって湯船に寝転んで、南アルプスを一望できるしかけになっている。なんとも羨ましい限りだ。
 この家で定年後のご夫婦二人、仲良く快適な生活を送られることだろう。施主のご主人とはすでに顔見知りの仲。お酒が好きだそうだ。また我が組の好き飲み仲間が増える。

 さて、オープンハウス。この不景気にこんな山の中に一体何人お客があるのだろうかと見ていたら、結構来るものである。多摩ナンバー、水戸ナンバー。中には赤ちゃん連れの若い夫婦。
 このような環境で子育てをしたら最高である。
 このへんの学校は校庭が物凄く広い。校舎だって立派である。
 働き手のお父さんは東京でIKのアパートでも借りて、ウィークデイを働き、金曜日の夜から月曜の朝までここで家族と暮らす生活はどうだろうか。
 
 いやしかし、そんなことより、一番好いのは地方分権を進め、この山梨の地に独自の産業や工場ができ、働く場所ができることが一番だ。

 不景気とはいえ、衣食住のうちの好い住まいへの関心は、結構高いようだ。人様の新しい家を見ると、またもう一度との思いが湧く。が、残念ながら古希を前に私には、もうその余力はない。帰宅して、同じ傾斜地に建つ我が家。それはそれで眼下に一棟の家もなく雑木林の梢越しに南アルプスの一端に連なる櫛形山の優美な山容が遠望できることで、自足する他無いのだ。

鹿児島県阿久根市― 竹原信一前市長落選!―

2011-01-17 23:31:33 | 時事所感

1月17日(月)晴れ。

鹿児島県阿久根市、その前市長竹原さんは、市役所職員の市民所得とはかけ離れた高級振りをアッピールするため、自身のブログで全職員の給与を公開して一躍有名になった。
竹原前市長は、職員のボーナス削減を専決処分で断行するなど議論を呼び、市長リコール運動となり、このたびの1月16日の選挙で敗れた。

この結果をみて、阿久根市民の皆さんには、なんと公務員や市議に優しく理解がある方々が多いのかと感じいった。
確かにこの市長さんの市政運営、議会対応にはエキセントリックな感じはいなめないが、こうでもしなければ容易には、市長任期という公約限定期間に一定の実績を示そうとすれば、仕方なかったのではないだろうかと、私は思ってしまう。

いずれにしてもこの国の私たち統治されるものは、なんと物分りがよく、従順で為政者にとってはこれほど治めやすい国はないのではないだろうか。

営々と納めてきた年金をまさにお役所仕事で、何千万件もいい加減に処理されていたことが分っても厚生労働省の前に莚旗一枚たちはしないのだ。

先の大戦で可愛い吾が子を召集されて遠い海で他国の荒野で無駄死にさせられても、そこへ駆り立てたお偉方は、悠々と高額の遺族年金で余命をお楽しみになっても、石礫一つ飛んできはしないのだ。

それでいて、先日開催されたわが自治会の総会で、百万足らずの会計報告で57円の預金利息の計上もれを巡って、喧々諤々の意見を戴くありさま。

つくづく人間は目先の小さなことほど大騒ぎし、肝心要の大きなものごとほど鈍感になるという面白い結構な精神構造につくられているようではある。

<参照>
『【阿久根市長選】「ブログ市長」竹原氏が落選 西平氏が初当選
2011.1.16 22:01
 竹原信一前市長(51)に対するリコール(解職請求)成立に伴う鹿児島県阿久根市の出直し市長選は16日投開票され、新人で市民団体「阿久根市長リコール委員会」の役員を務めた養鶏業、西平良将氏(37)が、竹原氏を破り初当選した。
 西平氏8509票に対し、竹原氏は7645票。その差は864票だった。投票率は82・39%(前回82・59%)。
 先月の市長リコール住民投票に続き竹原氏の市政運営が最大の争点となり、職員ボーナス削減などを専決処分によって断行してきた“竹原流”の手法に改めてノーが突きつけられた。
 西平氏は、竹原氏が進めた行革に一定の理解を示したうえで「大事なのは対立ではなく対話だ」と主張、改革の進め方に批判の的を絞った。ともに市長リコール運動を進めたメンバーが中心になって浸透を図り、長引く市政混乱の収束を求める市民の支持を集めた。
 竹原氏は、持論である「官民格差の是正」を重ねて訴え、自身が進めた改革の意義を強調したが、支持者離れは食い止められなかった。
 竹原氏は平成20年8月に初当選。翌21年4月に不信任決議によって失職したが、同年5月の出直し市長選で再選された。先月5日の住民投票では398票差でリコールが成立し、再び失職していた。
 阿久根市では、反竹原派が多数を占める市議会解散の直接請求(リコール)を目指し、竹原派市議らでつくる市民団体が署名活動を展開。議会解散の是非を問う住民投票が31日告示、2月20日投開票の日程で実施される。』


石 平 著、“私はなぜ「中国」を捨てたのか”を読む

2011-01-02 12:08:44 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
1月2日(日)晴れ。

  暮れに立ち寄った書店の棚でこの本が目に止まった。新書版の帯に『中国に幻滅した中国人エリートの魂の叫び! 尖閣問題だけではない、ノーベル平和賞受賞者の不当監禁―この一党独裁国家には法治も人権もない! 
この「美しい日本」に見惚れ、帰化した。評論家石平の誕生! ◎北京の殺人政府に決別を告げたあの日 ◎目に余る反日宣伝の恐ろしい実態 ◎「愛国攘夷」という集団的熱病の正体 ◎日本で再び出会った「論語の世界」 ◎日本語を覚えて礼節を知る』とある。

石平氏、少し前、尖閣諸島での中国船体当たり事件を取り上げたBSフジのプライムテンでコメンテーターとして出演した際の印象が記憶に残っていた。
買って帰って一晩で読んだ。読み終わって、あの尖閣で一中国漁船(?)が白昼堂々、何故、日本の巡視艇に体当たりする無法で挑戦的な蛮行を行ったかが、その背景が凡そわかったような気がした。

結局、今の中国は、私たちが歴史の教科書で習ったような唐、宋といった当時の日本からみれば先進文化国家のイメージからは似ても似つかない別物だということらしい。
共産党一党独裁体制が、毛沢東の文革の嵐を巻き起こし、天安門事件での殺戮を必然とした。そしてこの体制を、維持するために何にが何でも日本という仮想敵の存在が必要となり、国家挙げての反日キャンペーン(国民教育)が展開されているのだ、と著者は説く。

そんな自国に愛想をつかし機会を得て日本に留学した著者は、そこで我が日本と言う国の自然と風土、文化、人間に感嘆する。そしてその背景に江戸時代から連綿と続く儒学と論語研究の世界に孔子の描いた理想世界の実現と承継を見る。
西郷隆盛の生き方こそはその象徴だと著者は賛美する。

そして、日本でよく使われる「やさしい」と言う言葉は、他のどの国の言葉にも無い素晴らしい言葉だという。中国語で「やさしい」を説明しようとすると、「もっとも良い人間」を説明する最上級の褒め言葉を十個以上あつめなくてはならないという。
ところがこの日本では、その「やさしい人」がごく普通の平均的な日本人であることに著者は驚きとともに賞賛するのだ。

今、我が日本の国家として、また民族としての精神の劣化がしきりに言われる。しかし、祖国中国に愛想をつかした石平氏の目から見れば、こんな日本でもまだまだ素晴らしい国民性の国にみえるらしい。
真に嬉しいようなこそばゆいような感じもさせられる。
ただ、我々日本人が忘れてはならないのは、その「やさしい日本人」が、半世紀少し前には、お隣中国や朝鮮に押しかけて行って、傍若無人の振る舞いをした歴史的事実だ。
石平氏の賞賛する「やさしい日本人」が、一度、軍人となり兵士となって国家の道具となった時には、そんなやさしさは吹き飛んでしまうのだ。

隣国中国で反日に狂奔する一部の人々もまた、国家体制に呑みこまれて、個人としての良識を失ってしまっているということではないだろうか。
一人の人間としてのまっとうな理性を保つことが、国家という集団エゴを確保していくための政治体制の下では、如何に難しいかということではなかろうか。
「国家」という概念から、人間が自由にならない限り、世界中の人類が真に民主主義的な政治体制の下で人権や自由を謳歌できることはないのではないか。

石平氏の本書を一読して、こんなことを思った。