蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

日記の最後が「お握りが食べたい…」とは!

2007-10-13 01:48:44 | 日常雑感
10月12日(金)晴れ。

  昨夕のNHK,クローズアップ現代「相次ぐ餓死・続発の謎 真相は」を視た。北九州市で56歳だかの独り暮らしの男性が餓死しているのが発見された。そばに日記帳があった。最後の一行が、『腹減った。お握りがたべたい…』、だったという。

 この男性、身体が弱くて生活保護を受けていた。
 しかし、福祉事務所の担当者の生活保護事務のマニュアルに基づく執拗な追求に音をあげて今年4月、仕事を見つけて自立しますと書いてサインしたという。餓死はそれから三ヶ月目のことだという。
 
医師の診断では、軽作業なら行えるということだったという。だが彼はうつ病気味だったという。医師はそこにはとんじゃくしなかったのだ。
 うつ病は難しい。本人以外傍から見ていたのでは、怠けているのか、本当に心の病なのかは見分けがつきそうにない。
 
 私は、今の精神医学を信用できない。母が認知症になったとき、何箇所もの精神科の医師を尋ねたが、素人の私が考えたって分かりきった答えしか反ってこなかった。

  母の譫妄にどう対処したら良いかさえ、何も、適切な助言が得られなかった。
 
  今、犯罪が起きると、弁護団はすぐ精神鑑定を求める。そんなもので何がわかるというのだ。真の精神科医であるためには、優れた私小説作家の感受性や、人間性に対する深い洞察力や想像力が必要だとおもう。だが精神科医を名乗る方々のうち一体何人そんな優秀な方がいらしゃるだろうか。
 
 話がそれてしまった。それぐらい人の心の闇を忖度することは難しいということである。だから一概に医者が働けるとしたものをさらに庇うのは、担当者としても難しい事だっただろうと思う。
 しかし、行政は何でこうも極端なんだろうか。
 北九州市、京都市等、相当以前週刊新潮だったかが、これらの市では、暴力団員までが不正受給していると、そのずさんな事務処理ぶりを盛んに糾弾したことがあった。

 ところが、今回の番組で示されたグラフでは、確かに北九州市など、数年前に比べて生活保護受給者が5分の1にも激減しているのである。これはあまりにも不自然ではないか。
 
 その陰には、北九州市方式と称する独自のマニュアルがあるそうだ。このマニュアルどおり進めると、いやでも生活保護受給を辞退せざるを得ない仕組みになっているという。
 担当者が明言していた.この通りやろうとすれば,必ずこのような事態が生じると。

 厚生労働省は、この北九州市方式にお墨付きを与え今や全国に喧伝しているという。今問題の社会保険庁の体たらくには何十年も頬被りを決め込んでおいて、こういうことになると迅速果敢な行動力を発揮するのだ。

 ところで、厚生労働省と言う役所。私は、昔、国民に一番優しい国民の幸せを一番考えてくれる役所、いわば鞍馬天狗のおじさんのような役所だと思っていたが、これはとんだ見当外れのようであった。

 今の非正規労働者の増大。年金問題。薬害エイズ。水俣病。ゴールドプラン。等々この役所が係わってきたことでろくなことはないではないか。

 またまた脱線してしまった。
 厚生労働省は、本当に困って憲法25条が真に必要とする人々を、生活保護から締め出して、それでは明日の米も買う事のできなくなった者はどうせよというのか。

  私なら、いっそうのこと、コンビに行って、店員さんに見つかるように万引きをする。そして捕まえてもらう。
  しかし、初犯ではこれぐらいでは執行猶予つきだろう。それでは困るのでまたやる。今度はもっと高価なものを狙う。これでやっと念願の刑務所行きが叶う。

  日本の刑務所、今や世界一の好待遇とか。ここへ入れば飢えて死ぬことは先ず無いらしい。健康管理もしていただける。しかも作業報酬までわずかとはいえ戴けるとか。
  一銭の所持金も無くなった者にとって今や刑務所は天国のようらしい。

 「国家の罠」で一躍、外務省のラスプーチンの悪名を脱皮されて、一躍著名人になられた佐藤優氏によれば、東京拘置所の食事内容はもとよりその味付けは、外務所の食堂よりもはるかに良いとか。

  厚生労働省は、生活保護予算は余らして、真っ当な人間を前科者に追い込んでも、法務省の予算がヒートアップしても我関せずなのだろうか。
  何しろこの国には省あって国無しとか。

  世界第何位とかの経済大国ともてはやされる陰で、思いやりや優しさなんて、GDPに顕れない人間にとってかけがえのないものは、一顧だに値しないのだろうか。

  私もお握りは大好きだ。だが、これからは、そのお握りを手にするたびに、何処かの物陰からじっと私の手元を窺がう誰かの視線を、当分は感じずにはいられないだろ…。
  嗚呼!


国会中継を聴く。…自民党は、お役人様の駕篭かきか!

2007-10-11 01:13:15 | 時事所感
 10月10日(水)晴れ。

昨日、今日と手仕事の傍らラジオからの国会中継(衆議院予算委員会)を聴いた。
 
昨日の民主党長妻議員の質問は迫力があった。対する舛添厚生労働大臣のおっとり刀振りの答弁が見劣りした。
 聴いていて、ここはどうせなら、是非長妻先生に厚生労働大臣になってもらいたいとつくづく
思った。
 
 それに続く天下りバンクの質疑。渡辺担当大臣の答弁、聞いていて腹がたった。態度だけは空元気ながら、答えている事は「あんたどっち向いて大臣やってるの?」と野次りたくなったのは私だけだろうか。

 どこの国にも役人の再就職を専門に税金使ってやっている国はないそうだというのに、非正規雇用者3人に1人というのに、そっちはほったらかしで、年金もこちらは確り支給もれも記録漏れもないご身分だというのに、それに加えて手厚く退官した後のお世話までみようというのである。
  お役人様は、国家公務員法で手厚く守られ、本人が、辞めるといわなければ、真面目に仕事をしている限り、その意思に反して60歳の定年まで辞める必要はないのである。

 そして、さらに今日の質疑応答に耳を澄ませば国土交通省の外郭団体が絡む契約問題。落札比率が99%ととか。これは犯罪でしょうと、噛み付かれた冬柴国土交通省大臣。しどろもどろで見直しが必要ですと答えていた。

 自民党の大臣閣下は、須らく官僚閣下の特権擁護に汗水たらたらの体たらくだ。
 本来、国民に代わって公僕たる公務員を管理監督すべき役柄が、主客転倒もはなはだしい限りではないか。
 大臣閣下は一体誰からその高級を戴いていると思っているのだろうか。

 恐らくは、官僚のご機嫌損ねては、ひな壇での立ち往生が怖くて、国民の目線で常識で考えてみれば、どっちの言い分がまとかは明々白々のことも、まともにはしゃべれない金縛りにあっているのではないだろうか。

 今、この国は、いつの間にか土台がずぶずぶに腐って官僚というシロアリに食い尽くされる寸前にあるのではないか。
 年金問題は、その腐食の深刻さの一端を、端なくも国民の前に白日に晒しただけではないのか。

 今日の舛添大臣の非正規雇用の問題の答弁を聞いても、非正規雇用の人々にアンケートをとるとこのままでも良いという若者が40何%かあると平気で答える無神経、想像力の鈍感さである。
 
 私たちの若い頃昭和30年代からこっち、少なくも年号が平成に変るまでは、会社の大小はあっても大部分の人々は、会社が倒産しない限り、賃金格差は相当あったけれども、病気になるか死ぬまで勤められるのが当たり前の世の中だった。
 それがあってはじめて、恋もでき結婚し、いつかは小さくとも家をもつことも夢みることができたのだ。
 
 それが、今日一日限りの仕事で、その日払いの賃金受け取れば明日のことは、明日になってみなければわからないなんて、不安定な社会、この日本に明日はあるのだろうか。

 こうなる有様を、毎年統計をとってみていれば、事態の推移を予見できたにちがいない労働行政を担う厚生労働省の不作為は目に余りはしないか。

 厚生省というお役所、戦争で行方不明になった父の消息を尋ねて、未帰還者の調査や引揚者の援護で国民の味方と長く信じてきた。
 しかし、いつしかその体質がどうしたわけか大きく変質してきたように思う。
 水俣病などの公害被害、薬害エイズ、ゴールドプランにまつわる前代未聞の次官の汚職逮捕。そして現在の非正規雇用の問題の放置。社会保険庁の年金問題。少子化対策が大問題といいながら、お産の救急で妊婦が盥回しされた挙句に死産する始末一つもまともに対応できない有様。一体誰のために何をやってる役所なんだろうか。

 たった二日の国会審議を聞いていてもこれだけ腸が煮えくり返ってくるというのに、一体、この放送を何人が聞くことができようか。

 私のような暇人しか聞けないのである。
 だから、自民党の支持率はたちまち看板が変っただけで60%近くになってしまうと言う訳だ。

 一層のこと、国会審議もナイターとしたらどうだろうか。それが無理というなら、少なくともNHKぐらいは夜、9時ぐらいからぶっ通しで再放送すべきではないか。

 まあ、しかし、今日の最後の国民新党の亀井議員の発言は良かった。郵政民営化の問題点の指摘も成る程と思わされた。
 その発言の要旨は、大変わかりやすかった。
 すなわち、何よりも自民党政権はこれまで資本主義社会での奇跡とも言うべき中間層の厚味のある社会をつくってきた、それだからこそ国民から支持されてきた。
 今回の自民党の大敗は、その国民の期待と信頼感を裏切ったことによるのではないか。今一度、そのような社会作りをめざすべきではないかというものであった。


 まさに、お互いがゆきすぎたもたれあいになる体制になることには、心しつつも、まさにそのような誰もがささやかでも、将来がそれなりに見える社会にしていくことではないだろうか。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。


ー追記ー

 今、毎晩覗くブログを見ていたら、同じような感想を持っていられ方が居られる事を知り嬉しくなった。
 下記にコピーさせていただく。

 2007/10/10 19:30:18 さるさる日記 - 佐藤立志のマスコミ日記 2007年10月(10)
■2007/10/10 (水)派遣社員を喜ぶキャノン、トヨタの愚
●派遣社員を喜ぶキャノン、トヨタの愚
今日の予算委員会で共産の佐々木憲昭議員が、派遣社員の問題を取り上げた。派遣社員は1700万人いて、3人に1人が派遣で、若年は2人に1人になっている。年収200万円以下は46%で、そのうち女性は約6割。
去年、正規社員は24万人増えたが、非正規は84万人と圧倒的に企業は派

 なお、この前日の記事も興味深い。
 会計検査院のいい加減さである。唯一のお目付け役がこれでは、もはや万事窮すである。

 いっそうのこと、裁判員制度よりも国の会計検査を国民からの任意抽出でやらせることにすべきではないか。



NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」を視る。―今度、生まれて来る時は…の思い切なり。―

2007-10-09 01:59:22 | 時事所感
10月8日(月)終日小雨。

  夜、10時。会期の迫るグループ展出品作の絵筆を置き、母家のTVの前に急いだ。NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」。これだけは見逃したくないと思ったから。
  
  冒頭、9歳の時、一家6人、北朝鮮への帰国事業の一環として、日本での貧しい生活から抜け出すため、祖国へ往った男性が、祖国での苛酷な生活に絶望し、南に脱国し、さらに日本で再び新規にやり直すため50年ぶりに独り戻ってきて、生まれ故郷の大阪の片隅の街を訪れるところから始まった。

  そこで彼が大事そうに取り出した1枚の家族写真、彼の横に写っている兄弟らしい男の子の顔が、小学校の3、4年生の時一緒だったK君にそっくりなのに驚いた。
  彼もやはり在日朝鮮人の一人だったのだ。彼は、絵が上手かった。“少年画報”だったか“冒険王”だっただろうか。小松崎茂だっただろうか。大平原児という西部劇の連載があった。主人公は、二挺拳銃の名手、覆面のカーウボーイ、モーガンといっただろうか。その絵を模写するのがすこぶる上手かった。彼が描くピストルの上手さが羨ましく、幼心に同じように絵を描くのが好きだった私には、彼の才能が妬ましかった。彼に一種の憧れを感じていた。

  しかし、高学年になるにつれ、彼の表情はくらくなった。いつしか皆とも余り口をきかなくなった。
  中学に入ってすぐ、私は東京へ転校した。しかし、何故か彼の消息が気になった。
  何年かして、当時の親友と東京で再会した。早速、私は、K君の消息を訊いた。
  彼の一家もやはり、北朝鮮に帰ったとのことであった。彼のその後は誰も知らないという。

 NHKスペシャルの男性によれば、帰国してみれば、大歓迎を受けた後で連れて行かれたところは、地獄だったという。日本からの帰国者は資本主義社会の汚染者として警戒され監視され、一言でも北朝鮮での暮らしが苦しいなどと漏らそうものなら、たちまち何処かに連れ去られて行方不明になってしまったという。
  
  この男性一家は、父を失ったあと、父の後をついで工場労働者になったが、とても食べていけず、それを助けてくれたのは、日本に残った祖母がパートで細々と蓄えたお金で仕入れた古着を送ってもらい、それを売って糊口をしのいで生き延びれたとか。

  最後の場面で、男性は老人ホームで暮らす98歳の祖母と再会する。認知症で普段は記憶の薄れている筈の祖母が、一目孫の顔をみて記憶を取り戻すのだ。
  何故か、車椅子で支援者に連れてこられて、公園のようなところで抱き合う二人。
  視ていて思わず涙がこみあげてきた。
 そして、K,君はもとよりその一家の運命を思った。

  何と、非情な国家ではないか。自分たちの同胞でさえもこの扱いである。
  こんな国家にとって、日本人の拉致被害者の運命など、私たちが如何に案じようとも蚊が止まったほどにも感じないのではないだろうか。

  番組では、帰国事業に係わり北朝鮮の旗振り役をした、朝鮮総連の元幹部が出てきた。彼は祖国の社会主義を宣伝文句のまま信じ、多数の同胞や教え子を説得して北へ返す事業に係わった。その後自身が、北朝鮮を視察する機会を得、往ってみたら、その現状に愕然とし、自分の過ちに気づき後悔する。体制の間違いに気づく。だが、それを公表することはできないのだ。そんなことをすれば、親族一同を悲惨なめにあわせるからである。

  この事業、北朝鮮にとっては、冷戦下、南よりも自分たちの“体制”が素晴らしいことの宣伝材料として、日本にとっては、一種の厄介払いとして双方の国家利害が一致してのことにあったようだ。
  所詮、国家支配者、為政者にとって、どんな美辞麗句を並べたところで、そこに暮らす個々の人間などは、将棋の駒でしかないのではないか…。

  人間は、いつになったら、この国家という頚木から自由になれるのだろうか。
  人間ほど、全ての種において、その個々の運命が、生まれた場所、所属するする集団、家族等々の置かれた条件によって、天と地の違いがある生き物は他に例がないのではないだろうか。

  私は、今度生まれて来る時は、国家という頚木がなくなるまでは、絶対に人間にだけは生まれ変わってきたくない。
  昔、「私は貝になりたい」といTVドラマの名作があった。
それに倣って言えば、「私は鴎になりたい」。
 

やりきれない、嫌になる話ばかり…

2007-10-06 01:34:36 | 時事所感
10月5日(金)晴れ。暖。

  手仕事をしながら時々TVの国会中継を視た。ただひたすら淡々とポーカーフェイスで手元の原稿を読み上げていくだけの新総理、福田二代目大番頭閣下。とても宰相という風格からは程遠い。
  格差解消とは口先だけでおっしゃるが、どこにも篤い熱意は微塵も伝わってこない。ただ目に見えない日本国家官僚機構のまやかしを包み込んだ水引ぐらいにしかみえてこない。
  こんな番茶の出がらしのような内閣が、一体この国のこれからをどうしようというのだろうか。
  中で一人口達者な舛添厚生労働大臣は、手っ取り早く人気を得んとてか、目くそのような使い込み汚わい役人の掘り起こしに懸命だ。あんたもっといくらでもすることあるだろうと言ってやりたくなる。毎朝、ごみだしのパフォーマンスのみっともなさ。安倍前お坊ちゃま閣下のお手手つないでのタラップスナップとどっちこっちではないか。
 
  そのゴミだし大臣閣下の足元では、性懲りもなく年金システムの随意契約で、またまたミスミス湯水の如き税金か年金の垂れ流しだそうだ。
  我が他に読む新聞がなくていやいやとっている、大メディアの朝日新聞紙上では、何故か契約相手企業の社名を報じない。お前も一枚どこかでかんでいるのかと、よっぽど電話してみようかと思ったが、所詮まっとうな返事などかえってくるわけもないと諦めた。

 そして、夜7時のニュース。時津風親方の解雇。不思議でしょうがないのは、本人がビール瓶で殴ったとまで自白しているのに何故いまだに逮捕されないのだ。若い元気いっぱいの人間一人死なせているのにである。
 電車の中でお尻か何かを触ったとか触らないとかさえで、たちまち逮捕拘禁されるというのに、いったい検察の秤はどうなっているのだろうか。

 美しい土俵の陰にこんなおどろおどろしいヤクザのたこべやかと思われるような事があるのかと思うと、なんと寂しくなるではないか。いつかの露鵬だったかかの暴力行為もこういう普段からの下地があればなるほどと思えてくるではないか。

  その次だったかのニュースでは、愛知の方で通勤帰りを三人の男に拉致されて殺された娘さんのお母さんの訴えが心に響いた。
  二人以上殺さないと死刑にはならないというこの国の法律。それすらも廃止せよという思い上がった死刑廃止論者。死刑執行に乱数表でもあったらととんちんかんなことを平気でほざく法務大臣。
 こんな酷いことをやった三人組も、いざ裁判が始まれば、なんだかんだと減価交渉の挙句の果ては、怖くなって自主してきたからと情状汲んでの懲役14、5年が相場ではないのか。

 私は、こんな奴らは速やかに死刑すべきだと思う。応報刑で何が悪いのだ。この親孝行で優しい娘さんを無惨に奪われたった一人残されたお母さんの無念は、三人が三人磔獄門首にでもならない限り、いささかも癒されることはないだろう。
 何故、こんな悪逆非道な人を世界一好待遇と言われる刑務所で我々の税金を使って生かさしめなければならないのだ。
 人類は、どうみても現段階では、死刑廃止論者がおっしゃるほど、お互い高尚なしろものにはできていないのである。人を殺すときは、我が命も無きと思え。これこそが法治の根本でではないのか。
 
 そのあと、7時半からは、この少子高齢化が長く喧伝されているなかで、陣痛に苦しむ妊婦が救急車を呼んでも、引き受けてくれる病院がないとの話だ。
 聞けば、各病院は、リスクを避けるために妊娠初期の段階から診ている患者しか引き受けないとか。ところが、初期の段階で検査や何やかや、お産には4、50万円がかかるとか。年収2百万あまりでどうやってこの費用を工面すれば良いのかとの訴え。
厚生省の担当課長さんは、にっこり笑って、今支援策を検討ちゅうとかとお答えになっている。

 果たして、この放送を昼間立派なひな壇の上で、ポーカーフェイスでしらじらと格差是正をお約束になった大番頭閣下は、御覧になったであろうか。
 こんな直ぐにでも何とかできそうなことを、ほったらかしにしておいて、何が少子化対策だ。
 恐らくは、こんな目障りな番組は、よもや御覧遊ばされる事はあるまい。

 それどころか、今頃は、行きつけの高級洋食店、小川軒とかで、お好みのワインと熱々のひれステーキで、今日の煩い蝿の如き耳障りな野党の質問をお忘れになるべく、明日に備えて舌鼓を打っていられると想うは、これこそ下司の勘ぐりというべきか…。嗚呼!

 

 

秋の道普請、そして…

2007-10-05 01:22:13 | 田舎暮らし賛歌
10月4日(木) 晴れ。

  先日、9月30日は、地区の秋の道普請の日だった。前日以来、肌寒く秋の長雨といった空模様。案じていたとおり、朝、6時、目を覚まして窓の外を覗いたらしとしと雨降りだった。
  これじゃー中止だろうなと期待半分でいたところへ、防災無線から、「本日の道普請、雨天ですが予定通り行いますので、所定の場所に8時集合してください。」との連絡が流れてきた。
  えっ!この雨の中と、びっくりした。
  なるほど考えてみれば、学校の運動会、それに稲刈り、秋の行事は目白押しだ。仕方がないままよの気分になった。

  急いで雨合羽に身支度を調え、5分ほど離れた集合場所へと急いだ。結構皆さん、手に手に刈り払い機や、鎌、八手、スコップと手に手に得物を持って集まっていらっしゃる。
  久しぶりに若いお父さんに会った。「これ買いましたよ」新品らしい刈り払い機を、誇らしげに見せてくれた。それを見て、私は、若いお父さん一家が、いよいよここに根を下ろされたらしいことを喜んだ。

  幸い雨は小雨である。時間になったところで、区長さんから簡単な挨拶があり、それぞれの組の分担が決まり、作業開始である。

  雨の中での作業も、それなりの雨支度をしてかかれば、思ったほどの苦ではなかった。反って普段はそうしたことをしない新鮮な面白さがあった。

 2時間ほどで作業は終わった。500Mほどの区間の道の両脇の草は刈り取られ路肩の土は除かれて散髪をしたあとのようなこざっぱりとした感じになった。良い気分である。

 その後、組長さんの庭先に集まってお茶となった。10軒ほどのご近所のお仲間である。組長さんの心尽くしのてんぷらやお漬物、果物が並ぶ。おまけに有り難い事に今日は、組へ配給のあったお酒まで出た。
 小作業の後の熱燗は、得もいえぬ至福の極みのであった。
 自然と話が弾んだ。そんな中で、組の長老各のOさんが、私に向かって「画廊、お客さん如何?」と聞いてきた。
「お陰さまで、もう百人は超えました」と応えた。
「そう、じゃー今日あたり、皆で見せてもらおうか」ということになった。
 私は、即座に「どうぞ、どうぞ。今夜、6時ということでどうですか?」と応えた。
忽ち、衆議一決。参加は任意、各自一品持ち寄りということになった。

家に帰って、家人に報告。私は、夜の炉辺焼きの材料買出しに飛び出した。
嬉しかった。画廊開店の挨拶にご近所に案内状をお配りしたが、見えられるのは遠くの未知の方ばかりで、肝心のご近所の方はまだ2、3方だったからである。
一体、今夜、何人様がお見えになるだろうか。ワクワクして待った。

6時前、先ず組長さんの奥さんがみえた。そして次々に6軒の方が来てくださった。若いお父さんは、可愛いお嬢ちゃんも一緒に一家三人全員集合である。
我が家の炉辺が一度に賑わった。狭い台所では、組長さんの奥さん、若いお父さんの奥さんが家内と一緒にお握りを握ってくださった。
なんか炊き出しの気分になる。

炭火を囲み、皆さんそれぞれがお持ちくださった一品料理や飲み物。夜、10時まで賑やかに盛り上がった。勿論この間、半地下の画廊を見ていただき、好評を戴いたことは言うまでもない。

雨の一日が、素晴らしく楽しい一日となった。

皆さんをお送りして、つくづく良いところへ越してこれたものだなーと、家内共々思った夜だった。これまで、いろいろの所に住んできたが、こんなに楽しい気分になった所は、初めてであったから。



「10月2日―国際非暴力の日―」とはいうものの…いつになったら?

2007-10-03 01:08:44 | 時事所感
 10月2日(火)曇り、一時薄日差すも、夜、また小雨降る。

 今朝、何気なくNHKのニュースを聞いていたら、今日、10月2日を今年から国際非暴力の日と国連で定めたということが耳に止まった。
 非暴力主義のマハトマ・ガンジーの誕生日にちなむで今年6月の国連総会で定められたとか。
 念のためグーグルで検索したら、以前は9月21日だったようである。この日、24時間世界中で停戦を呼びかけるとか。
 なお、グーグルの検索では、まだ9月21日のままである。

 ところで、こんな申し合わせや呼びかけが効くようなら、そもそも武力紛争や衝突はおこらないと思ってしまうのだが、やはり多少の意味合いはあるのだろうか。

 このニュースを聞いていて、瞬間、同時に二つの事件が頭に浮かんだ。
 一つは、先日のミャンマーのデモを撮影していて至近距離から、それも正面から(TVの写真では、そう見えた。検死では背後からとなっているようだが…)駆けつけた兵士にアッと言う間もなく射殺されて仰向けにのけぞり倒れた長井氏の最後の姿である。
 
 他方は、時津風部屋での若い力士のリンチ死事件報道である。
 報道によれば、こちらは、亡くなった入門したばかりの新弟子が、相撲を辞めたい辞めたくないのごたごたに腹をたてた親方が酔いまかせてビール瓶で頭を殴ったとか。それがひきがねとなって、兄弟弟子がよってたかっての殴る蹴るとかでの急死だと聞く。

 ヤフーのトピックで夕刊フジでの「親方が激白」を読むと、新聞報道とは大分ニュアンスがちがうようだが、結果として、立派な体格の若い力士が、集団暴行を加えられて急死した事実には変りはなさそうだ。

 前者は、国家権力による自己の権力維持に邪魔になる者の暴虐による抹殺である。
 後者は、我々の自身の日常に内在している暴力衝動の発動である。

 前者は意識的である。それは、制御可能なものであり政治的なそろばんを弾いたうえでの行為である。それ故に、真に許し難く感じる。
 しかも聞けば、ミャンマーの反政府勢力は、ガンジーにならって、非暴力主義によっているとか。それをいいことに、云わば笠に着ての自国民に対しての武力鎮圧である。

 それに反して、後者は、何かの弾みでの複数の感情の暴発、激発である。それは、ある面で、人間も一個の生物としての存在とみなせば、制御困難な面がありはしないだろうかということである。
 だからと言って、仕方ないことなんだ、なんて弁護するつもりは毛頭ない。
 しかし、こちらは、刑法だとか何だとかがあったところで、そんなものは、人間の心の闇の深さを窺がえば、たいした抑止効果にはなりそうにもないのではないか。
 こういう行為は、人類が滅ぶまで無くなることはないのではないだろうか。それを思うと救いがない。
 せいぜいできることは、そのような状況にならないように、集団生活のあり方や、人間関係のあり方を様々に工夫するぐらいがせきのやまではないだろうか。

 しかし、前者は、世界中の人々、わけても各国の政治的リーダーの人々の決意と合意いかんでは、いくらでも手立てがありはしないか。
 国家権力による、殺人行為、暴力行為は、国際機関によって迅速果敢に制御する仕組みづくりである。

 その兆し、さきがけになるものとして、「ローマ規程」なるものがあることを、過日のインターネット記事で知った。

 それは、時々拝読している、78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務され、2000年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長を務められ、現在オランダのハーグに在住されている、春 具 氏の『オランダ・ハーグより』第172回「希望の贈りもの」の記事である。

(※ 本文は、やや、長文のため要約したいのですが、どの部分も削り難く、また原文にうまくリンクがはれませんので、そのままコピーさせていただきました。まだ、お読みになっていない方があれば少しでも多くの方のお目にとまればと、僭越ながら転記させていただきました。)

 『日本ではどれほどの大きさの報道だったのだろうか、7月17日、我が国は「ローマ規程」を批准して、その105番目の加盟国となりました。
 ローマ規程とは「 Rome Statute of the International Criminal Court 」という国際刑事裁判所を設立する国際条約であります。そして、7月17日というのはこのローマ規程が1998年に採択された日であります。イタリアのローマで国際会議が開かれ、そこで採択されたから、ローマ規程とよぶ。専門家たちは採択にちなみ、7月17日を the day of international justice 国際正義の日とも呼んでいて、我が国はその日を選んでの加盟である気合いが入っていますね。
 もともと日本は国際刑事裁判所設立に熱心で、ローマ規程採択にも大きな貢献をしておりました。ローマの会議では日本代表団が小和田恆国連大使(いまはハーグの国際司法裁判所判事をされておられる)の主導のもとに、会議や作業部会をリードしていたのであります。だが、日本は署名したものの国内法の整備がおいつかず、ながらく批准できずにいたのでした。小和田大使も残念な思いをかみしめていたと聞きますが、そのあたりは国際連盟設立を首唱しながら議会に批准を阻まれて連盟に加盟することができなかったアメリカのウィッドロー・ウイルソン大統領の無念さを思わせますね。9年経った今年になってようやく加盟が実現したのですから、我が国の外交関係者たちの気合いが入るのはあたりまえでありましょう。

 ローマ規程が採択されたとき、当時のコフィ・アナン国連事務総長はこれを「次世代への希望の贈りもの A Gift of Hope 」とよんで高く評価しておりました。では、ローマ規程のどこが「希望」でどこが「贈りもの」なのか。

 トーマス・ホッブスは「リバイヤサン」のなかで「ひとは刑罰のよる苦痛を嫌う。刑を科せられることへの畏怖が犯罪の抑止力となり社会の安全の担保となるのだ」と書いております。もともと刑法は原始社会の復讐に根源を発する法規範で、ひとに苦痛を与えたら、おなじ苦痛で償いをするのだという思想があった。「目には目を」というタリオの掟というのがそれで、目を傷つけられたら加害者の目を同じ分痛めてよいというものでありました。その償いを被害者に変わって国家が請け負うようになったのが近代の刑事手続きなのであります。

 ですが国際法は、国内法に比べるとそのような強制力に欠ける法体系であります。有り体にいうならば、主権国家が国際法(条約ですね。バイとマルチがある)を守るのは、守ることが国の利益になるからなので、逆さまにいうならば利益になると思わない限り、国家は国際法を遵守しようとは、あまりしないのであります。とくに戦争時の法規とか人道法などは、相互に遵守することが担保となっているので、あちらさんが守るならこちらも守りましょうという具合であります。
 その考えを学説化して、国際法というのは強い国が「これが国際法だ」というものが国際法なのだという学者も現れたことがある。イェール大学の先生たちが主張したのでイェール学派と呼ばれる「 Policy-oriented international law 」という学派です。さらに、国際法はみんなを律するルールなのでなく国同士の争いを双方満足いくように解決するプロセスなのだ、というロザリン・ヒギンス教授(いまは国際司法裁判所長官です。それも女性で初めての)のような議論もある。いずれも国際法の強制力不足を念頭にしている議論でありますね。
 ですから、ジェノサイドとか集団殺戮とか人権蹂躙のような暴力は、国際社会が介入して裁き、罰していかないかぎり、「ひとの悪意はとどまるところを知らず man's capacity for evil knows no limits 」(コフィアナン氏の言い回し)永遠にエスカレートしていってしまうのだという意識が国際社会にはながいあいだベースノートのように響いていたのであります。
 暴力の行為者をきちんと罰そうという国際社会の試みは、近代においてはヴェルサイユ条約にはじめてみられたといえましょう。ヴェルサイユ条約は第一次世界大戦に破れたドイツのウィルヘルム二世を戦争犯罪者として裁こうとした。ですが、皇帝の亡命先だったオランダが引き渡しを拒否し、この裁判は実現しませんでした。
 くだって1945年にはニュールンベルグと東京での戦争犯罪裁判で、戦争犯罪に加えて「人道に対する犯罪 crime against humanity 」という概念が導入されました。
このコンセプトはジェノサイド条約、ジュネーブ諸条約(捕虜条約、傷病兵保護条約、文民条約)とに取り入れられていくのであります。以後、単発的に旧ユーゴ犯罪法廷、ルワンダ犯罪法廷、クメール・ルージュ犯罪法廷、シオラ・レオネ法廷、リベリア法廷とつづく国際法廷はこれらの法思想をベースにして裁判を行っていくのであります。
 国際社会と平行して、国家のレベルでも重大犯罪を国内法でさばこうという試みがいくつかおこなわれてきました。たとえばフランスは、第二次大戦中にナチスドイツに協力したヴィシー政権のクラウス・バルビエとポール・トーヴィエルという重鎮を裁き、また、アルジェリア独立戦争の際に非人道的行為に走ったフランス兵を裁判にかけたりもしています。
(字数制限のため一部略)

 
 また、ベルギーは数年前、重大犯罪の容疑者が外国人であってもベルギーに入国したときに彼(ら)を訴追できるという法を通過させたことがあります。この法によると、イラク侵攻を指揮したアメリカのパウウェル国務長官やラムズフェルド防衛長官がNATOなどの会合でブラッセルを訪れるとベルギーの官憲によって逮捕されうることになる。激怒したアメリカは「法律を廃止しないとNATOをベルギーから移転させるぞ」などとまで脅しをかけ、ベルギーは結局この法律を相当までに薄めてしまいました。

 アドホックで単発的な裁判所は効果が一長一短で、ニュルンベルグ裁判と東京裁判は軍事法廷だったし、旧ユーゴ法廷は時間がかかりすぎて予算がついていかず、カネ食い虫と批判された。あわてて裁判を急ぎ、今度は逆に急ぎすぎて正義のほうは大丈夫なのかと心配されております。ルワンダ法廷は事務方の汚職と腐敗とが取りざたされ、東チモール犯罪法廷はインドネシア政府が渋って実現していない。
 同胞を虐殺した(その数は150万人とも200万人とも言われる)とされるクメールルージュの犯罪を、国際基準(国連主導)と国内の刑法を調整しながら裁判を行おうという、いわばハイブリッドな法廷として発足したのがカンボジアの「クメールルージュ法廷」ですが、こちらはカンボジア側がなかなか腰を上げず、やっと裁判にこぎつけたものの、すでに老齢化している被告たちは裁判の終了を待たずに死亡し、法廷は自然消滅してしまうのではないかとまで危惧されています。
 つまり、これまでのアドホックな法廷はいずれも失敗ではないけれど必ずしも成功したともいえないというファジーな状況にありまして、ですからそれぞれは実験であったと評価するのが穏当でありましょうか。つまり、それぞれはICCができるまでの実験場だったのだ。
 単発的な法廷は、さらに法基準の面でも、コスト、能率の点からも不合理であります。常設裁判所となるとこれらの不合理がクリアできる上に、判決の積み重ねにより判例法を作っていくことができるわけで、先例とはビジネス用語でいうinstitutional memory というやつですが、この先例作りが国際刑事法を発展させていくステップになるのであります。

 さて、「ローマ規程」採択に至るまでの条約交渉過程というのは、なかなか興味深いプロセスでありました。1998年の真夏のローマに、160余国からの政府代表と、20あまりの国際機関、200あまりのNGOが集まって、5週間にわたって議論・交渉をしたのであります。みなさん、いいですか、160もの異なる法制度を持つ国々があつまって共通の刑事制度を作ろうと言うのである。彼らは国連の国際法委員会がこれまでやってきた仕事を下敷きにしながら、提案を持ち寄り、あちらを削り、こちらを書き直し、言葉の一字一句を徹底的にいじりながら、やっとこさ「ローマ規程」を作り上げたのであります。

 そもそも国際合意というのはマルチにしろバイにしろ、相互の妥協の産物であります。勝ち得た分、どこかで譲っているのであります。「ローマ規程」も同様に、妥協の産物(といって皮相すぎるならコンセンサスの産物というほうがきれいに聞こえるかな)であります。こういうエピソードがある。ある条項を巡って意見がまとまらず、ワーキンググループは硬直状態になってしまった。そこで、気分転換にメンバーは週末にみんなでシシリーまで遊びにいったのだそうです。海辺で一緒に泳いだり食事をしたり、一杯二杯呑みながら海風に吹かれていたら、気分がすっかり良くなって、「まあ、そういうことなら、おれたちもこれでいいよ」とかなんとかになって、問題の条文はすらすらとまとまってしまったということです。

 そのようにしてローマ規程は採択され、4年の準備期間を経て、国際刑事裁判所(ICC)は2002年から業務を始めました。仏(ほとけ)はできたから、つぎは魂を入れていこうというわけである。現在ICCはコンゴ民主共和国(旧ザイール)、ウガンダ、中央アフリカ共和国、スーダン(ダルフォー)における人道犯罪を訴追しております。
 だが、ローマ規程はユニバーサルな刑事法としてはじめての試みでありますから、実務が始まると、裁判に至る前の団塊ですでに規程の文言通りには動かないさまざまな問題が生じてくる。いくつか議論になったイシュウを拾ってみましょうか。(一部略)

 昨年でしたか、ICCの逮捕状がでているウガンダ反政府軍リーダーのジョゼフ・コニー氏が隠れていた森の中から姿をみせ、起訴状を取り下げたら平和交渉に応じようという条件を出したことがある。彼はさらに、和平を成立させたら恩赦をくれとまで要求した。なろほどね、ジェノサイドや人道犯罪をやるほどの人物でも裁判にかかるのは怖いというわけですね。まさにホッブスの「リバイアサン」どうりに、国際刑事裁判は重要犯罪の抑止力になりうるというわけですが、だが、コニー氏の提案は「正義」が先か「平和」が先かという紛争解決の基本問題を提起した。コニー氏の条件を受け入れて和平交渉に応じることは、ウガンダ内紛の政治的解決の一歩では
ある。
意味のあることであります。だが、政治的に一歩譲ることは司法の中立・独立という点に抵触してしまう。
 だが、内戦で疲労困憊している国民にとってどちらが必要なことなのだろう。戦火のなかを逃げ惑い、避難民として放り出された人々が、ている人たちが「わたしたちは正義とかそんなことはどうでもいいのだ、わたしたちは平和が欲しいのだ、平和に暮らしたいだけなのだ」と言っているのを聞くと、国際社会は正義と平和とどちらを先に希求すべきなのだろうかと考えてしまう。
 もっともこの問題は、とりあえず「平和」のために「正義」を留保するという暫定的な解決がなされております。コニー氏の提案は国連へ持ち込まれ、安保理での議題となった。そして、安保理の勧告により、ICCはウガンダ反政府指導者たちの起訴を、平和交渉の成り行きをみながら、半年毎に検討していくという条件で保留しております。つまり平和交渉を続ける間は捕まえないということであります。
 安全保障理事会は、国連憲章第7章(平和に対する脅威・・・)を考慮することが役目ですから、コニー提案を安保理で議論したのはまちがってはいない。でもねえ、その安保理の常任理事国のうち3カ国(米国、ロシア、中国)はICCの加盟国ではないのである。加盟国でもない国々がICCの管轄事項に対して「ああせい、こうせい」と、場合に寄っては拒否権を行使しながら、言うというわけだ。これはどこかおかしいのではないかと思うのですが、でもどこがおかしいか、わからない。ほんとうはおかしくないのかもしれませんが、奥歯に物が挟まってとれないときの気持ち悪さというのがあるでしょう、わたくしは、いまちょっとあんな感じがしております。
 また、ローマ規程は被害者(とくに女性)と証人の保護におおきな注意を払っております(43条)。これはこれまでの人道法のなかでも傑出した進歩であろうかと思われます。争いになるといちばん先に苦痛を受けるのはいうまでもなく女性と子供たちであります。その実態を実定法化している。それは国連憲章前文や8条のような抽象的な条文ではなく、具体的な文言であります。そのためにICCには「Divisionof Victim and Counsel という部署がつくられていて、レイプの犠牲者や暴力からのトラウマ治療を専門にするカウンセラーが雇用されることになっています。こういう部署は人道的国際機関の中でも注目されるべき部署でありましょう。(中国などはローマ規程が被害者の人権擁護を強調していることから、これは刑事裁判条約でなく人権条約だとまで言っている。そのことが非加盟の理由でもあるらしい。) 判決の執行については、具体的な手だてはまだなされていないようであります。ICCは刑務所を持たないので、服役は加盟国の刑務所を使用することになる。そのあたりのアレンジはまだ先のことのようであります。もっとも、まだ裁判も始まっていないのだから、あせることはないのかもしれませんが・・・
 旧ユーゴ法廷の裁判が進んでいた頃、実刑判決を受けた被告を日本で引き受けたらいいではないかという話が浮かんだことがあった。

 わたくしは刑務所に入ったことがないのでよく知らないのですが、ヨーロッパの国々には、テレビがついていたりタバコも吸えたり、食事にはワインもついていたり、これではビジネスホテルではないかと思わせるくらいに待遇の良い刑務所があるらしい(人権意識の進んだ国々である。)それに比べると日本の刑務所は規律も正しく、食事は白米7割白米3割のごはん、おかずは煮付けとか炒めもの、タクワン数切れ。
つまり刑務所はピクニックの場ではなく、犯罪者を更生させる場所なのだという目的がはっきりと明快らしい。

 そこで思うのですが、アフリカの反政府指導者たちはタクワンなんて食べられるのだろうか。ICCで有罪になれば日本へ連れて行かれ、タクワンを食べなくてはいけないとなると、彼らはジェノサイド行為に二の足を踏んだりはしないだろうか。
タクワンが立派に人道犯罪の抑止力になるではないか、なんてね。

 国際刑事裁判所は現在ハーグ市のはずれにありますが、いまのところは仮住まいということらしい。招聘したハーグ市が土地を寄付し、そこに裁判所を建設するというプロジェクトが進んでいるとのことです。

 そこで思い出したが、ハーグという市はけっこういい加減で、招聘に成功した後は屑地をよこす。10年ほど前、オランダが弊機関の誘致に成功し、OPCWがハーグに設立されると決まったとき、いい土地があると言ってハーグ市は駅前の空き地を提供してくれた。ところが準備委員会がリスク・アセスメントをしてみると、ハーグ中央駅近辺というのはハーグ市内でもきわめて物騒でリスクの高い地域だということが報告されたのであります。わたくしたちの組織は化学兵器や化学製品に関する加盟国の情報を扱う組織である。セキュリティは一番の懸念であります。さっそく抗議したら、ハーグ市は市街地のはずれの簡素な住宅地に代替え地をみつけてよこした。
いまもその駅前の土地は原っぱのままで、ときおり巡業のサーカスがテントを張っているだけ。
 もっとも、使えない土地を寄付と称して処分するのは先例があるのであります。国連がニューヨークに来ると決まったとき、マンハッタンの大地主だったロックフェラーは1番街と45丁目の空き地を無料で提供すると言って喝采を浴びた。だがいま国連本部のあるあの土地は当時は沼地で夏になれば蚊とか蠅が飛び回る湿地帯だったのであります。所だけがぽつんと建っていて、臭いがぷーんと流れてくるのである。
ですから一番街に面したチューダーシティと呼ばれる高級アパートの窓は、国連側だけ小さくできているのです。ロックフェラーは荒れ地を処分できたと同時に世界から感謝されたわけで、ハーグ市もロックフェラーの伝に習おうとしたのでしょう。
ほんとに油断もすきもあったものではありません。
 というわけで、ICCにおいて仏に魂を入れる作業はまだやっとはじまったばかりであります。ローマ規程は戦争犯罪とかジェノサイドとか人道上の犯罪とか過去に行われた犯罪を扱う司法機関であるが、わたくしはこの組織の役割をもっと広く、「global security 」あるいは「 global governance 」の文脈で捉えております。
 そもそもICCのお客さん(という言い方はおかしいか)はいずれも「失敗した国々」である。国が失敗するとき、すなわち統治システムが機能不全に陥るとき、一番先に崩壊するのが「法秩序」であります。ガバナンスが不満から生じる暴力を押さえきれなくなり、虐殺がおこり、その復讐がおこなわれ、虐殺はエスカレートしていき、そして国は崩壊していくのであります。
 ですから、国家の再建はまず「法の支配」の復活から始めなくてはならない。
国家再建というのはICCの任務ではないですが、ICCの仕事は失敗した国々の司法制度再構築におけるベンチマークになりましょう。ICCは過去の犯罪を断罪して清算するが、それだけでなく、将来再建される国家のガバナンスへむけて、「法の支配」のプロセスの整備を手伝うこともできるのではないか。法曹の育成ということをICCの「 outreach 広報啓蒙活動」の一環として行えることではないか。
 ちょっと前のことですが、ジェノサイドの研究者がチャドに行き、ダルフォーからの避難民にインタビューをしたことがありました。避難民の多くは部族の言葉しか話せず、アラビア語も片言がせいぜいで、会話にならない。そこで彼女は子供たちに絵を描かせてみたという。子供たちの絵はじつに写実的で、青空とひろい大地がひろがるなか、枯れた木の下に真っ黒な死体が折り重なっている絵とか、村の家屋が炎上し、真っ赤な火と真っ黒な煙が立ち上っている様とかが描かれているのでした。彼らにはそういう光景が記憶の中にはっきりと焼き付いているのである。
 研究者は、さらにダルフォーの村の子供たちに将来何になりたいの?と描かせてみたといいます。子供たちはお医者さんとか学校の先生とか村役場のお役人とか、そういう絵を描いたといいます。IT長者とか映画俳優とかモデルとかそういう職業でなく(アフリカにだってそういう派手目な職業はありますよ)、平凡だが国家には不可欠の職業に彼らはつきたいと考えているのを知って、なんとなく安堵したと研究者は言っておりました。
 そういう子供たちにとってローマ規程がガバナンスを教えることができれば、それは「希望」を与えることだ、と子供好きなコフィ・アナン氏は言おうとしたのではないかとわたくしは思うのです。その意味でも国際刑事裁判所は「失敗した国々」の次の世代にとって「贈りもの」であるはずなのであります。