7月15日(日)曇り一時薄陽射す蒸暑い一日。
今回の民主党の分裂劇を見ていると、野田総理と小沢元代表、どっちもどっちに見えてしょうがない。
先ず、小沢元代表だ。貴方は、代表のときに何をやったか…。これをやったとはほとんど聞いたことが無い。
ただ、選挙戦には滅法強く、多数のチルドレン議員を誕生させたことは確かなようだ。だがこれだって、一枚ひっぱがしてみたら、どこまで小沢親分閣下の尽力が功を奏したといえるしろものだろうか…。
自民党断末魔の無様さに呆れ果てた多数有権者が仕方なくて「民主党」と書かざるを得なかった天佑が大部分ではなかったのか…。
そして何よりも30猶余年、連れ添い内助の功を尽くしたと聞く糟糠の妻や息子から、古希を前に三行半をつきつけれるような老耄に、この先何が期待できるというのだろうか…。我が身も修められずして何が治国平天下だ。
今回、小沢親分に尻尾ふりふりついていった48人衆は、よっぽど誰かに首輪をかけてもらいひっぱられないと、不安でしょうがい症候群の面々とお見受けした。
さて、ところでもう一方の野田泥鰌閣下だ。
こちらはこちらで民主党へ託した国民の藁をもつかむような願を、みごとに次から次へと裏切って毫も愧じる様子はかけらもない。
自身がそんなに裏切っているとの忸怩たる思いをみせるどころか、いけしゃーしゃーとこれが私の揺るがぬ信念ですと、官僚の作文をただただ棒読みするだけの自動から繰り人形に堕してしまったとしか、思えない今日この頃のていたらくだ。
大飯原発、再開、「私が責任を持ちます。」アンタ一体いつまで総理大臣でいられるつもり?と先ずは一言訊いてみたくなるではないか。
白昼堂々、一億3千万国民の注視する中でよくもまー、こんなことをぬけぬけとぬかせたものではないか。
万一、直下型地震が起きて、福島の二の舞になったらどう責任がとれるというのだろうか。無責任にもほどがあるというものではないか。
こんな無責任なことを言える神経自体、あんた正気なの?と、その背中を一発二発目が醒めるまで、どやしつけてやりたくなるではないか…。
野田総理のこのところの発言は、民主党へせめてもの微かな期待を寄せていた有権者の思いをこなごなにしてしまったのではないか。
とはいいながらも、世界のあちこちの国のさまをきけば、何んとかこうとかいいながら、まだまだこの国はましなところがいっぱいあるようだ。
その余裕の中で、野田泥鰌と小沢古狸が民主党というガタガタの箍(たが)があるのか無いのか、底のぬけたような盥の中でじゃぶじゃぶやっていても、国民はやれやれ溜息つきながらも、高みの見物決め込んで、眺めている余裕が、今しばらくは、あるということだろうか…。
今回の民主党の分裂劇を見ていると、野田総理と小沢元代表、どっちもどっちに見えてしょうがない。
先ず、小沢元代表だ。貴方は、代表のときに何をやったか…。これをやったとはほとんど聞いたことが無い。
ただ、選挙戦には滅法強く、多数のチルドレン議員を誕生させたことは確かなようだ。だがこれだって、一枚ひっぱがしてみたら、どこまで小沢親分閣下の尽力が功を奏したといえるしろものだろうか…。
自民党断末魔の無様さに呆れ果てた多数有権者が仕方なくて「民主党」と書かざるを得なかった天佑が大部分ではなかったのか…。
そして何よりも30猶余年、連れ添い内助の功を尽くしたと聞く糟糠の妻や息子から、古希を前に三行半をつきつけれるような老耄に、この先何が期待できるというのだろうか…。我が身も修められずして何が治国平天下だ。
今回、小沢親分に尻尾ふりふりついていった48人衆は、よっぽど誰かに首輪をかけてもらいひっぱられないと、不安でしょうがい症候群の面々とお見受けした。
さて、ところでもう一方の野田泥鰌閣下だ。
こちらはこちらで民主党へ託した国民の藁をもつかむような願を、みごとに次から次へと裏切って毫も愧じる様子はかけらもない。
自身がそんなに裏切っているとの忸怩たる思いをみせるどころか、いけしゃーしゃーとこれが私の揺るがぬ信念ですと、官僚の作文をただただ棒読みするだけの自動から繰り人形に堕してしまったとしか、思えない今日この頃のていたらくだ。
大飯原発、再開、「私が責任を持ちます。」アンタ一体いつまで総理大臣でいられるつもり?と先ずは一言訊いてみたくなるではないか。
白昼堂々、一億3千万国民の注視する中でよくもまー、こんなことをぬけぬけとぬかせたものではないか。
万一、直下型地震が起きて、福島の二の舞になったらどう責任がとれるというのだろうか。無責任にもほどがあるというものではないか。
こんな無責任なことを言える神経自体、あんた正気なの?と、その背中を一発二発目が醒めるまで、どやしつけてやりたくなるではないか…。
野田総理のこのところの発言は、民主党へせめてもの微かな期待を寄せていた有権者の思いをこなごなにしてしまったのではないか。
とはいいながらも、世界のあちこちの国のさまをきけば、何んとかこうとかいいながら、まだまだこの国はましなところがいっぱいあるようだ。
その余裕の中で、野田泥鰌と小沢古狸が民主党というガタガタの箍(たが)があるのか無いのか、底のぬけたような盥の中でじゃぶじゃぶやっていても、国民はやれやれ溜息つきながらも、高みの見物決め込んで、眺めている余裕が、今しばらくは、あるということだろうか…。