蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

東日本大震災に思う(その8)ーリスクについて ー

2011-04-17 10:14:32 | 時事所感

4月16日(土)晴れ、日中22度。

 昨日のニュースで今回の大震災に伴う大津波で九死に一生を得た南三陸町の佐藤町長が、知事に対して、「住民は漁業で生活している。海から遠く離れた場所には住めない。仮設住宅を元の場所に一日も早く建てて欲しい」と言う趣旨の要請をしているのを視た。
これに対して、知事は「また波が来るような場所に建てるわけにはいかない。山を削って復興団地を造るからら待ってほしい」と答えていた。
知事の回答が今の急場には間に合わないかもしれないが、これから子々孫々長い将来を見通せば至極当然な答えだと思った。

そして今更のように思ったのは、人間はどんな物事でも、それが自らの生命財産にかかわることであっても、“リスク”ということを頭に置きたがらない性向が極めて強いということだ。

目下、いつなったら一応の収束をみるかわからない福島原発にしてもそうだ。原発のリスクについては、従来からその道の専門家が口を酸っぱくして様々に主張されてきたようだ。
今回の事故を契機に岩波書店が雑誌「世界」等で掲載してきた原発の危険性を指摘した記事をインターネットで公開している特集を読んだ。
読んで驚いた。今回の原発事故の経過がそっくりそのまま予見されていたのだ。東電の関係者はこの記事を読まなかったのだろうか。
まさかそんなことはあるまい。
読んだけれども、「何言ってんだい。部外者が。そんなこと起きるわけないじゃーないか。私たちは万全の体制でのぞんでいるんだ。」と、いうことではなかったか。

私も、記事を読み終わった瞬間ははらがたった。だが、今少し時間がたってみたら、これが非凡ではない普通の人間の当たり前の態度ではないかとおもいはじめた。

人間は、何かをするとき、その物事が上手くいったときのことは最大にイメージし、できるのだ。だが、万一それが上手くいかなかったときのことは、極力そんな悪いイメージは自らの頭の中から無理にでも消し去ろうとするのではないか。

我が身で言えばなけなしの僅かな元手で株に手を出した時もそうだ。株で損した話し、身上棒に振った話は山ほど聞いてはいたが、自分に限ってはそんな失敗はするわけがないと、愚かにも思い込んでいた。
その挙句はご多分に漏れずだった。

だが、人間の文明が良くも悪くも現在あるのは、このリスクを過小評価する所以にこそあったのではないか。

コロンブスの新大陸発見にしても、リスクを考えたらどうだろうか。未知の大洋に船出できるわけがなかったろう。

戦争だってそうだ。相対する国家同士が、お互いにリスクを正当に評価したら、そもそも戦争なんておきるだろうか。
もっとも先の大東亜戦争では、リスクを承知の大博打を覚悟のうえでもあったようだが…。

そんな大きなことでなくても、もっと身近で小さなことでいえば、結婚し子どもを産むことだって、あれこれのリスクを考えていたらはたしてどうだろうか。

こうみてくると、この度の原発事故にしても、考えうるリスクに十分な対応を欠いたからだとばかり、関係者を言わば、一種の後智恵で非難する気にはとてもなれなくなった。

人間が前に進むためにはリスクは避け得ないのだ。
要は、そのリスクが現実のものとなったときに、如何に果敢に、機敏に、誠実に全力を尽くして立ち向かうかということでしかないのではなかろうか。

一つの紙面に見る何と言う違いかー職責への思いー

2011-04-12 10:56:10 | 時事所感
 先日(4月8日付け)の朝日新聞、朝刊の31面で「夫は誰もが認める警察官 家族のため生き残ろうとがんばったはず」という記事を読んだ。
 この四月、憧れの刑事課長のポストへの昇進を前にして、今回の大津波に際して避難する人々を誘導している最中で、押し寄せる津波に呑まれてしまった残された夫人の慟哭の手記だ。

 この夫君は、「自分はいざという時は、仕事でいなくなる。何か起きた時、家族の顔がちらついて、目の前にいる人を助けられないような警察官にはなりたくない。もし自分に何かあったら子供を頼む」と、このようなことを折に触れるたびに言ってきたという。
なんと言う自分の職務に対する立派な責任感だろうか。

  ところが、同じ紙面の5面では、東電社長が退院し出社なる小見出しの記事が肩をすぼめるように出ているのが目に止まった。

  その記事には「東京電力は7日、めまいなどを訴えて入院中だった清水正孝社長(66歳)が退院し、同日午前から出社していることを明らかにした。」とあった。
  東電社長は形は民間会社とはいえ、日本の中枢の電力供給に大きな責任を持つ公職といえる。そのような職責を有している身として、その自己の職責に対してなんと言う違いだろうか。方や、東電5万5千人とかのトップリーダーである。日本経団連の会長でもある方だ。
  世界中が福島原発の放射能汚染への恐怖に固唾を呑んでその対応の一挙手一投足を見守っているなかで、たかがめまいがしたぐらいで陣頭を離れるとはどういう神経だろうか。
  その時、その職責にこれ以上耐えられないというのであれば、せめて即辞職すべきではなかったのか。

 大メディアは、今や溝に落ちた犬を叩くが如く一国の現職の総理大臣閣下のことは、何かと事あるごとにあげつらうに関わらず、何故こんな自明な事を厳しく追求しないのか。
 東電からの年間220億円とかの広報費の日ごろの恩恵に浴して、しびれた口が開かないのだろうか。

 この日本社会の現在の辛うじての健全性は、冒頭のような職制のうえでは下位にありながら、一昔前の真の武士(さむらい)というに相応しい多くの人達が、そこここに中島みゆきの歌の歌詞にあるよう「砂の中の銀河」のごとく居てくれるからではないか。

 この度の震災で、南三陸町の24歳の危機管理課の防災広報担当の遠藤未希さんは、「皆さん津波がきます。早く逃げてください。」と叫び続けて自らの姿は波に消したと聞く。
 さらに田老町では57歳の消防団員が、仲間が消防車で避難しようというのを振り切って俺は此処にいると、半鐘を鳴らし続けて、同じく海にのまれたという。

東日本大震災に思うこと(その7)-震災復興について-

2011-04-04 15:30:40 | 時事所感
4月3日(日)曇り後薄日射す。気温2~10度、肌寒き一日。

 4月1日、菅首相は、東日本大震災の被災地再生の街づくり構想として「すばらしい東北、日本をつくるという夢を持った復興計画を進めるとして「山を削って高台に家を、海岸沿いの水産業(会社等)、漁港へ通勤する」「植物やバイオマスを使った地域暖房をつくり(エコタウン)、福祉都市の性格も持たせる」「世界で一つのモデルになるような新たな街づくりをめざしたいと発表した。
 さらにこのため有識者や被災地関係者の「復興構想会議」を設置して具体策を考えるという。

 私は、先日の拙ブログで、
東日本大震災に思うこと(その4)-震災復興について-(3月28日)として、
『…むしろ、海水に一面嘗め尽くされたような廃墟ともいうべき被災地は、当面そのままにして、周囲の小山や丘を削りとり、標高30~50mの高台の造成地をつくりそこに新しい市街を建設すべきではないか。
 そして、国や自治体の事業主体者は、新しい造成地を被災者が所有していた土地と等価交換等の手法で、被災者に分譲してはどうだろうか。また、仕事を替わった等で新しい造成地へ移転できない被災者からは、その所有地を買い上げてはどうだろうか。
 こうすれば、被災地の大方は公有地となり、住宅以外の海浜公園や漁港・市場として活用すればいいのではなかろうか。…』と、記した。

 今回の菅総理の震災復興構想は、まさに我が意を得たものとして、嬉しく思った。このところ、沈む一方の菅総理にとって、これは久々の時機を得た大ヒットではないかと思った。
 もっとも、その評価は、あくまでもこの大構想がどこまで実現できるのか、その成否の結果をまってからのことだ。
 
 かって、関東大震災の復旧の際にも、当時の東京市長であり、引き続き内務大臣兼帝都復興院総裁であった後藤新平は「帝都復興計画」として壮大な計画を立てた。だがその後の周囲からの様々な反対意見や巨額の財政負担(当時の金額で13億円、国家予算1年分に同じ)から折角の計画は尻すぼみとなり、僅かに昭和通りその他にその計画の名残を止めるに至った。
 
 この先例からも果たして今回の菅総理の構想がどこまで実現するかは、未知数である。
 だが、4月3日付けの朝日紙上で、「集落移転 78年前の決断実った 石巻・荒地区」の事例が紹介されていた。
 この記事によれば、
「78年前に三陸大津波で犠牲者が出た宮城県石巻市雄勝町の荒地区は、今回の大津波による大きな被害は免れた。当時の人が不便を承知で高台に住居を再建したことが今の人々の命を守った。…」とあった。

 どうか、目先の安易な間に合わせ的な復旧は我慢して、子々孫々が安心して住める希望と夢のある新しいふるさとづくりを願いたいものである。

東日本大震災に思うこと(その6)-安心して暮らせる場所-

2011-04-03 17:59:46 | 時事所感
4月3日(日)曇り後薄日射す。気温2~10度、肌寒き一日。

 1年が経つのがまことに早い。この間、正月の互礼会で組の皆さんと一同に会して顔を会わせたと思ったら、今日は、早、春の道普請だ。

 朝、8時に集落の外れの道路脇の広場に三々五々、スコップや熊手を持って集合。新年度の新しい組長さんや三役の紹介・挨拶があって作業開始。それぞれの組の持ち場に分かれて、側溝に溜まった枯葉を集め路肩の林の中に捨てる。あるいは、舗装の僅かな隙間に生えている雑草を抜く。

 2時間ほどの作業を終えて、組長さん宅のガレージに集合。お茶をいただく。桜の花便りが言われるというのに今日のこの寒さ。膝下がしんしんと冷える。火の気が無いことを、組長さんが詫びられる。
 「なーに、今度の震災で難儀されていられる人達のことを思えばなんでもないよ」と誰かが応じた。
 皆、こもごも今度の震災の惨禍についての思いを話した。

 そして、共通した思いは、今回、被災された方々が未だに明日の暮らしの方向も定かならないことを思うと、うしろめたいような、申し訳ないような気持ちがする中で、この自分たちの暮らしている所が、周囲を南アルプスや八ヶ岳に囲まれ、台風や豪雪の被害もなく、いかに安全で好い場所かということであった。
 今回、東京から定年退職して、私同様、ここに家を建てて、我が組に新規参入となったYさんご夫婦は、友達から、「東京から一足先に疎開してよかったね」と言われたとのこと。

 山梨県は、東京から車でも、電車でも2時間そこそこの近さにある。私なんかにしてみれば、一昔か二昔前の東京郊外の所沢ぐらいの感覚である。
 にも拘らず、私たちのような定年退職者の移住は増えても、それ以上に若い働き盛りの人々は格好の働き場所がなくて、殆どが東京か県外へ出ていってしまう。そのため全体の人口は減っていくのだ。まさに過疎化進行県である。
 全ては東京一極集中を放置している国家百年の計の無策にあるのではないか。
 
 今度のような大震災が東京直下で起こったらどうだろうか。東京の近隣ともいうべき東海地震が明日起きても不思議ないと言われ続けられているのにである。
 想像力の乏しい多くの人々は、現実として、わが身の上に起こってみなければ、その恐ろしさをわからいのだろうか。

 国と山梨県は、リニア新幹線なんか後回しにして、既設の中央本線を拡充してスピード化をはかり、山梨県全体を東京のベットタウンとしたらどうなのだろうか。
 万一のとき、家族だけでも安全で居られたらどんなにかダメージが小さくてすむではないか。
 周囲を富士山、南アルプス、八ヶ岳、茅ケ岳といった名峰に囲まれ風光明媚、温泉があり、気候温和、風水害無く、名水が湧き、米が日本一美味しく、さくらんぼ、桃、ぶどう、柿と果物に恵まれているこの山梨県。
 土地は安く、学校、病院、各種公共施設は全て広々としている。人情も、最初はひとみしりしても一度気心が分かれば、実に好い人ばかりである。
 こんな好い所へ何故もっと多くの人が、来ないのかと思うほどである。

 山梨県知事は、観光立県なんて小さなことを言わず、「山梨県のベットタウン化」について国家的見地から、積極的に国に働きかけていくべきではないのか。 

 春の道普請のお茶談義から、ふとこんなことを思った。