蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

ハイヴィジョン日曜シネマ“阿弥陀堂だより”を視る。―感動した!―

2007-03-05 21:57:54 | 日常雑感
 3月5日(月)曇り後雨。暖。

 昨夜、9時、徒然なるまま、チャンネルを回し何気なく、BSハイビジョンで、日曜シネマ“阿弥陀堂だより”を視た。終わったら11時だった。この間、感動のしっぱなしだったと言ったら少し大げさだろうか。

 物語の粗筋は、この映画のホームページ(www.amidado.com/ - 14k -)によれば次のようなものである。

 『東京に住む孝夫と美智子の夫婦。夫は新人賞を受賞するも、それ以降なかなか日の目を見ない売れない小説家。妻は大学病院で最先端医療に携わる有能な医者だった。あるとき、妻、美智子はパニック障害という原因不明の心の病にかかる。仕事にも、都会の生活にも疲れていた二人はそれをきっかけに、孝夫の故郷、信州に移り住むことを決意する。
山里の美しい村に帰った二人は、96歳の老婆おうめを訪ねる。彼女は、阿弥陀堂という、村の死者が祭られたお堂に暮らしていた。何度かおうめのところに通ううちに孝夫は、喋ることが出来ない難病を抱える少女、小百合に出会う。彼女は村の広報誌に「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。それは、おうめが日々思ったことを小百合が書きとめ、まとめているものであった。
それまで無医村であったこの村で、美智子は診療所を開く。おうめや小百合、そして村の人々の診察を通して、医者としての自信と責任を取り戻してくる。 一方孝夫は、中学校の時の恩師、幸田重長がガンに冒されながらも死期を潔く迎えようとしていることを知る。幸田老人と彼に寄り添う妻のヨネの生きる姿に、深い感銘を受ける孝夫。
二人は村の人々とふれあい、自然に抱かれて暮らしていくうちに、いつしか生きる喜びを取り戻していくのであった。
そんな時、小百合の病状が悪化していることが判明する。すぐに手術をしなければ命が危ないという事態に、美智子は彼女の手術担当医として再びメスを握ることを決意するのであった。』

■ 視終わっての感想

 先ず、物語の舞台になっている奥信濃の四季の移ろい、水の張られた棚田、夕景、雪景色、しぶきをあげて流れる渓流、それだけ見ていても飽きない風景描写の美しさにまいった。

 その中で、人間の暮らしや営みなんて、本当はこの自然風景に包み込まれた、ほとんど一つの点景かと思えてしまうほど、風景と一体化しているのがよかった。

 視るものをしてそう感じさせるのが、この映画の通奏低音であり製作者の狙いなのかと思った。

 そして、樋口可南子の女医、寺尾聡の売れない小説家、阿弥陀堂の堂守の老婆を演ずる北林谷栄…等出演者の演技が控えめで自然なのがまたよかった。
 凝縮された饒舌でないセリフは、皆、それぞれに深い響きをもって、こちらの心に落ちてくるものばかりだった。

 主人公のエリート女医が、夫の故郷の家の縁側に二人で座って、眼下に広がる風景を見ながら、「私、今まで目の前しか見ていなかった。こんな広く遠くまで見たことなかった。…」と、大都会で暮らす人々が忘れていた自然のもつ癒しの力に気づく言葉。

 堂守の老婆が、長寿の秘訣を訊かれて、「さー、何にも考えんと、畑に好きなものを植え、すきなものを採って食べてきたからではないか。他になーんにも欲しいと思ったことなく暮らしてきたからではないか」と語る言葉。

 その老婆に「小説って何ねん?」と問われて、小説家がどう説明しようかと困りながらも、「そうですね。小説とは阿弥陀様を言葉でつくるようなものだと思います」と答えた言葉。

 今、私も、自分がどうして飽きもせず“絵”をこれほど描きたいのかと思うことがある“絵”って一体なんだろうと。
 その答えの一つが、ここにあるようだ。

 “絵”もまた、人の目には見えない、だがしかしこの広大無辺のすみずみにいらっしゃるこの宇宙の全ての創造者たる阿弥陀様とも呼ばれる存在を、線や色をつかって、自分なりに拙いながらも、人の目に見える形にしてみようという試みではないのかと思うのである。
 
 私の尊敬する銅版画家の長谷川潔も、自身の回顧展のカタログの中で次のように語っている。
『全ての芸術家は、多かれ少なかれ、“神秘”表そうとするものだ。…できるだけ厳しく描いて一木一草の「神」を表したい。…私は、物より入って神にいたる』と。
 
 この映画の真の主人公は、奥信濃を借りた自然風景そのものであったのではないか。だからこそ、その広大無辺の優しい掌(テノヒラ)の中で、微塵のような人間たちの限りある命の営みが、限りなく愛おしいものに見えてきて、私は、思わず涙したのかもしれない。
 
 こんなに美しい、優しい自然を、今、私たちはあまりにも無惨に切り刻んで、貪りつくして、汚しつくそうとしている。まさに自分で自分を殺そうとしていることに気づかないかのように…。
 
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

ー追記ー

 映画が素晴らしいのは、原作も素晴らしいのではないかと思い、一体、原作は何方かと見たら、南木佳士とあった。私には全く未知の作家だった。Googleで調べたら、何と第100回芥川賞受賞とあった。佐久総合病院で医師をされており、作家との二足の草鞋とあった。

 この経歴を見て、映画の中で、女医が緊急手術の相棒の若い医師について、「彼は謙虚なのよ。医師にとって大事なのは謙虚さよ」というセリフが、付け焼刃ではないことを知った。