蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

NHKスペシャル「“学校”って何ですか?」を視る。学校は地域の鏡か!。ーその1ー

2007-03-22 18:26:07 | 時事所感
 3月22日(木)晴れ。昨日、甲府にも開花宣言あり。

 昨夜、NHK総合で、7時半から、9時からのニュースの1時間を挟んで11時半まで、NHKスペシャル「“学校”って何ですか?」1部、2部を視た。

 前半の1部では、
『番組内容:▽政府が“教育再生”を掲げ様々な改革を進めようとしている今、学校現場を見つめ直し、学校が果たすべき役割、真に必要な改革とは何かを問う。テーマは公立の小・中学校。のもと、▽私立に対抗・公立改革 ▽中学選びに悩む親子 ▽伸ばす学校 支える学校 あなたならどちら? ▽公立は学力を守る最後の防波堤か』を追ってのカメラリポートであった。

 冒頭、紹介されたのは東京江戸川区での4年前に始まった学校選択制により、新興団地内での明暗を分けた隣接する中学校の事例であった。
 公団・公社の分譲・賃貸マンション群の中に立地する清新第一中学校と都営団地に立地する第二中学校。
 前者は、大手企業や公務員の子供が多く、教育熱心な親に育てられ帰国子女も多く学力が高い。
 こちらへは入学希望者が殺到し学区外からの場合は4倍の競争率とか。方や後者では、一時校風が荒れた時期の評判が未だに尾を引いて、希望者が集まらず本来の定員が埋まらず、空いた教室を閉鎖する有様である。

 一中の校長は、生徒のレベルが高いので指導が楽だと語る。一方の二中の先生は大変である。同じ地域に住んでいる生徒が、始めから希望のところに行けなかったという屈折した気持ちを持って入ってくる。その心のケアから始めなければならないのだ。
 二中の教師達は、何とか名誉回復(?)のため、少数授業とか、きめの細かい工夫をし、入学した生徒たちも今では満足しているのだが、なかなか一旦下された地域の風評はくつがえせない。

 この学校選択制、東京で一番最初に採用したのは品川区の小学校ではなかったか。この事例を紹介したTV番組を視た記憶では、その結果、区内の小学校間で凄まじい競争といっても校長や教師の必死の様が映されていた。

 確かに子供がいじめにあったりした場合に、当該の学校に善処を申し入れても真剣に取り組んでくれないような場合、決められた学区内の一校にしか行けないのでは、救いがない。
 学校側としては、黙っていても学区内の生徒は自分の所に来るしかないと思えば、胡坐をかくことにもなろう。

 だが、それだからといって、このような無制限の自由選択制に公立学校をまかせておいていいのだろうか。税金の効率的、公平な使い方という面からも問題があるのではないだろうか。

 上記の事例の江戸川区清新町団地。かって私もそこの公団の分譲に5年余り住んでいたことがある。直ぐ傍には公営住宅団地があった。両団地とも新設の頃は大差なく整然としていた。だが数年もしないうちに、公営団地の方はみるみる荒廃が目立っていった(注:現在の状況は見ていない。)。
 何故か?。建てっぱなしで大団地にも関わらず管理が住民の自治会にまかされていて、専任の管理人がいないからだ。周辺の植え込みの草は伸び放題。ガラスは割られたまま、切れた廊下の蛍光灯もそのまま、共用通路やエレベーターの落書きはそのまま。
 これでは、そこに暮らす青少年の心が荒んでいくのも自明ではなかろうか。

 方や、公団側では、常駐の管理人がいて、敷地内の清掃にも人を雇い、季節季節の植え込みの剪定、計画的な外装の点検等で、新設当時の整然とした中に経年による植え込みの成長が落ちついた佇まいを加えていく。

 住環境の住民の心へもたらす影響はきわめて大きいものがあるのではなかろうか。
 役人の発想には、入れ物は作っても、それをメンテナンスしていく発想がないのだ。一度、造ったら造りっぱなしというわけである。美術館や博物館を造っても、中に展示するものは、開館時のものだけ。後は微々たる予算しか付けず、目新しいものがないため、リピターなど望むべくもなくたちまち人の足は遠さかり、赤字となって閉鎖が話題となることの何と多いことだろうか。

 話がとんでもない方に脱線してしまった。

 だが、物事はそれ自体、単独で起きるものではない。周囲の諸々の複合した結果の、のっぴきならなくなった現象として、誰の目にも明らか問題となるのではなかろうか。
 
 こうして見ると、公立学校問題は、結局地域問題、地域コミュニティーのあり方如何にかっかってくるのではなかろうか。

 次に紹介された事例は、兵庫県尼崎市の事例だった。
 こちらでは近年の経済不況、地域経済の地盤沈下が、子供の学力にも、如実にその影響が現れているというものであった。
 子供たちは以前に比べて、家庭学習をしてこなくなったという。その背景には、生活にゆとりが無くなった親が、子供に学校でのことを聞いてやったり、宿題の相談にのってやることがなくなったためだという。
 今やここの学校では、義務教育での最低限のことを学ばせることを目標に、根気よく取り組んでいるという。

 これらの事例を概観すると結局のところ、教育問題は住環境や親の経済格差問題に帰着するということ、いわば自明の結論に達するということのようだ。
                              (この項続く)