蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

―男の美学どころか恥も外聞も無い鉄面皮漢!―菅総理

2011-06-03 23:20:53 | 時事所感
6月3日(金)晴れなれど雲多し。

 昨日、衆議院での菅内閣総理大臣不信任決議案採決の模様をTVで視た。与党内の多数の造反議員が続出すると報じられている勢いの中で、あわや可決かと思っていたところ、直前の菅・鳩山会談並びに民主党の議員総会で、菅総理が目を真っ赤にしながら、終に「近々に若い方々に責任を譲りたい」との意思を明らかにしたことで、急転直下大差で否決された。

 とは、いえ野党各党の代表による不信任案の趣旨説明を聞いていると、これだけ満天下の注目する中で、ああまでさんざんに言われて、よくもまあ、逆上もせずに恥ずかしくも無く、平然としていられるものだなーと思わずにはいられなかった。
 
 中でも自民党の大島副総裁が、精一杯に声をふり絞り、8項目に渡って具体的に問題点を糾弾していたが、そもそも何故自民党が下野に至ったかの反省もなく、高みの見物の無責任さを、ここは一旦置くとして、改めて聴かされてみればなるほどなーと、思わせられることばかりだった。
 
 その上、菅総理は今日になって、参院の予算集中審議の場において、昨日の経過の中での、辞任の時期を質問されると、昨日の殊勝な態度を一変させた。
 「辞任するとかしないとかは、一度も言ったこともないし、誰かと約束した覚えはない」との開き直り。
 これに対して、鳩山前総理から「ペテン師、詐欺師」と罵倒されるしまつ。

 もはや、こんな鉄面皮の恥知らずを、我々はいつまで大日本国総理大臣閣下とあがめ奉っていなくてはならないのか。

 私は、これまで比較的、菅総理大臣閣下に対して、前代未聞の大難題を抱えて大変だなーと同情的に見てきたが、どうやらこの間の遣り取り、立ち居振る舞いを新聞、TV、雑誌等のメディアを通して見るに付け、とんだ買い被りのようだった。
 
 今や、我々にとって、大震災の瓦礫撤去の前に、梃子でも動こうとしない、この“これはアカン(悪菅)総理大臣閣下”をこそ、先ずは智恵を絞って撤去するところからかからなければならないようだ。
 
 

菅内閣不信任案提出―国政のメルトダウン!か―

2011-06-02 00:10:15 | 時事所感

6月1日(水)曇り後雨、肌寒い一日。

 昨日は初夏の陽気、裏山を歩けばはや蝉時雨だった。ところが一転、今日はまた肌寒い梅雨冷の一日。山家では、薪ストーヴで細々と粗朶を燃やした。
 そして思うのは、時間の経つことの何と早い事か。あの忌まわしい3.11から早くも3ヶ月が経とうとしている。

 だが、東北の被災地の復興はおろか膨大な瓦礫の処理すらもはかばかしくは進まないと聞く。仮設住宅も、その達成率は、計画の数%ととか。
 かてて加えて、福島原発の放射線放出の抑制・制御への方策は一向に先の見えない有様。試行錯誤が続いている。

 この対応を巡って国会では、口を開けばその初期対応を巡って、海水注入を菅総理が注入を命じたとか、中止させたとかを巡って不毛の遣り取りがしつこく野等から繰り返し蒸し返されている。国会中継をみていてこれほど腹立たしいことは無い。

 原因を追究することは今後の問題解決にあたって極めて重要だろう。だが今の海水注入の遣り取りはそれほどの問題とは思えない。野党の政府追及のあげあしとりにしかみえない。
問題は、今後どうするかだ。議論すべき課題は山ほどあるはずだ。聴いていてお前ら馬鹿かと叫びたくなる。

 私が菅総理だったら、とっくに切れていただろう。
 かって戦後総理大臣の良くも悪くも筆頭、吉田首相がたまりかねて、国会議場で「バカヤロウー!」と一喝したように、「何べん、同じことを聞けば気が済むんだ。このばかやろうー!もっと他に大事な急いで議論すべきことが山のようにあるだろう」と。

 現に、今日政府に提出された”IAEA”の調査結果では、津波の想定、重大事故発生対応の甘さについて、厳しく指摘した後、現在の取り組みについては、現場作業に従事している人々の献身的行為を高く評価するとともに、政府の組織としての取り組みについてもよくやっていると賛辞している。

 ここで、前段の指摘は、全て過去半世紀近くに渡る自民党政権の見通しの甘さにこそあったのではないか。
 現在の自民党には、まるで鬼の頸でも掴んだかのような居丈高に「菅総理の海水注関与について…」云々する資格がどこにあるのか。

 むしろ谷垣自民党総裁は、この際、「真に申し訳なかった。どうか大変だがよろしくお願いいたします。遅ればせながら我々に協力できる事はなんでもやります」というのが、謙虚な真の国民政党を自負する党総裁の姿勢ではないのか。 反面、菅総理は運が強いようで不運な政治家ともいえるのではないか。

 日本の歴代総理の中で、日露戦争時、太平洋戦争終結時を除いて、大震災、大津波おまけに未知の原発事故などという三重苦の天災に直面するとは何たる悲運か、とも思える。
 かかる状況にありながら、同情されるどころか周囲皆、四面楚歌を歌う今日現在。そして遂には内閣総理大臣不信任案の提出。

 これはこれで菅総理自身の人格面においてよほどの不徳のいたすところがあるとしか思えない。
 我々遠く傍で新聞TV、週刊誌の報道でしか垣間見ることのできない立場。菅総理の真の姿は藪の中だ。

 とにかく今の政情を見ていて思うことは、議院内閣制の機能不全だ。国政のメルトダウンだ。
 総理大臣を国民の直接選挙で選んでおれば、こんな無様な、非効率な隔靴掻痒の思いを国民が抱く事は無かったのではないか。

 先日、大前氏もこのことを主張されていたようにネットの見出しで見た。
 まさに、今や憲法を改正して、国民の直接選挙によって国政のリーダーを選出する時にきているのではないか。
 良くも悪くもそうして選ばれた首相であれば、右顧左眄することなく己の信念に従って大胆な舵取りができるのではないか。

 果たして、明日の不信任案。結果はどうだろうか。
 私は、ここまでくると僅かの差で可決されるような気がしてきた。そして解散総選挙。民主は惨敗。自民党の大勝。
 日本は、またも元の木阿弥。長い惰眠をむさぼることとなるのではないか。その行き着く先は、世界の中級国家に低迷するということではなかろうか。