蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

日本棚田百選松之山を訪ねて

2008-05-28 18:32:23 | 田舎暮らし賛歌
 5月28日(水)晴れ後曇り

 先日の日曜の夜遅く家を出た。一昨年だったか棚田百選を知り、その中で新潟県十日町市松之山地区の棚田の美しさが脳裏に焼きついた。行ってみたいと思った。だが水を張った田に苗が植えられると一、二週間で稲が育って水面が直ぐに隠れてしまう。
 絵にできる時間は限られている。昨年はあっというまにこの時期を逃した。
 
 今年は、このへんの田に水が張られるのを見て現地の観光協会に問い合わせてみた。週末は写真を撮る人で凄い人出だという。
 天気予報をみた。月曜から晴天が続くという。いまだと思った。

 途中のSAで仮眠をとりつつ早朝、国道177号線から405号線松之山へ分岐する津南町に着いた。
 案に相違して空は厚い雲、パラパラと雨模様だ。それでも構わず道を進んだ。
 だが目的の風景には中々出会わない。
 
 途中標識を見誤って道をまちがえたらしい。それでも構わず進んだ。漸く超えた峠道がくだりになった。

 目の前に念願の棚田の風景が広がった。小雨に濡れながらデジカメのシャッターをきり、すばやく鉛筆でラフスケッチをした。

                

    道をゆくほどに次々と美しい棚田の風景が展開してゆく。足ぶみしたくなるほどの景観である。

   

     畦に植えられた杉の木立。その間に桐が植えられ薄紫の花が空に向かって櫛の歯のように咲いている。
     それらがか細い早苗が並ぶ田の面に映りこむ。

   


     


     

     

  地元の看板には日本の原風景とあった。
  その通りだと思った。
  これこそは、昔の人たちの自然に育まれた美意識の賜物ではないだろうか。そしてそれは、日本のどこにでもあったのだ。
  幕末、日本へやってきた外国人は皆その美しさに驚いている。
  今の我々は、そんなご先祖様の営々たる営みを一顧だにすることなくずたずたに引っ掻き回し、無機質なコンクリートの構築物でうめつくしていくのだ。

  それにしても、何故こんなに美しいのだろうか。どこにも野立ての看板もない。
 
  傾斜地の等高線のままに寸分も無駄にすることなく巧みに作られた耕地。
  恐らく、ご先祖様はこの地を開墾したとき、田の周囲には、杉を植えいつか屋敷の建替えの用材の一部にと考えられたのではなかろうか。そして娘の嫁入り道具の箪笥をつくるために桐の木を植えたのでは…。
  集落の人々は、皆、異をたてることなく同じようにしたのだろう。

  その結果、統一感のある景観が出来上がったのではないだろうか。
  
  しかし、今、この景観はいつまでこのまま保たれるだろうか。

  このへん出会う方々は皆、私同様の年配者ばかりのようだ。小さな棚田には機械も入らない。菅笠の老女が一人腰を折って一本一本丁寧に苗を植えている姿もあった。

  農林水産省あたりは、効率化を図るため、何時この歴史的景観をブルトーザーで蹂躙し、長方形の大規模圃場に変えようかと虎視眈々と画策しているのではなかろうか。

  そんなことを思いつつ、少しでも長くこの景観がたもたれるよう、祈るような気持ちで何枚かのスケッチにおさめた。

琴欧州、初優勝万歳!-そして、その先に見る夢?は-

2008-05-25 00:00:05 | 日常雑感
5月24日(土)朝のうち晴れ、後曇り、夜にいりて雨。

夕方5時過ぎ、TVの前にすっ飛んで座った。琴奨菊が巨漢の若乃鵬に立会い猫じゃらしのような仕草をされて突っ込んだと思ったら上から叩きこまれて、あっというまに土俵に這わされてしまった。琴欧州と同部屋の力士の敗戦。嫌な予感…。

だが、続いて土俵に上がった琴欧州の表情。今日は違っていた。
苦手の安馬とにらみ合っての立会い。鋭く踏み込んだと見た次の瞬間、安馬は 琴欧州の巨体の下に潰されていた。館内の喚声。カメラはこの日故国ブルガリアから駆けつけた父親が不自由な身体を傍の人に支えられて、立ち上がりブルガリアの小旗を何か叫びながら打ち振る姿を映し出した。
 
控えに戻る琴欧州は通路で待ち構える佐渡ケ嶽親方の手を両手でおしいただくようにしてにっこり笑って頭を深々と下げた。良い師匠と弟子だ。佐渡ケ嶽親方、元関脇琴ノ若も好きな力士だった。身体だけ見るといつ横綱になっても良いような気がしたが、性格が穏やからしく惜しくも関脇で終わってしまった。
 しかし、今、同部屋からは琴欧州、琴光喜、琴奨菊を抱え親方としてはすばらしいではないか。

 先場所までの琴欧州の不甲斐ない相撲を見ていて、これは親方が優しすぎるためではないかと見ていたが、どうやら愚見のようだった。
 怪我してからの琴欧州には、若いころのレスリングの癖が出てその癖を直すのが課題であったとのこと。これを直すために、親方は、目先の勝負に囚われず腰を下ろすことから始めろと指導したという。その成果がこんなに早く出るとは思わなかったとの親方の談話を聞いた。

 どこかの弟子をビール瓶で殴り殺すような師弟関係とは、天と地の相違だ。
 何処の世界でも、身を託したところの人間関係、環境で人間の運命は明暗二分するということをまざまざと見せ付けられる思いだ。
 
 それにしても今場所の琴欧州の強さは見違えるばかりだ。
 一昨日の朝青龍戦など、こんな弱い横綱に何でみんな勝てないのだろうかと思わせられた。昨日の白鵬戦にしても同様に感じた。

 いよいよ来場所は綱取りだ。今場所の自信。体調を維持できれば難なく達成できそうに思うがどうだろうか。

 日本の国技、相撲は今や日本人のものだけではなくなった。わが国の土俵の上で、世界各国の力士が、丁髷をつけて、裸一つにまわしを締めて全力を尽くす姿は世界平和、世界協調の象徴として誇れるものとなるのではないだろうか。

 世界連邦、世界を一つの政治的な枠組みにというと、人は、皆夢物語とかそんなことは不可能と言う。
 だが、私はそうは思わない。
  世界中で生まれてくる子どもは、生まれてきた時はみんなその頭のなかはまっしろなのに、その親や周囲の大人たちがよってたかって他人への憎しみの感情の種をまきつけているのだ。
  成人するまで20年足らずのうちに育つその根は、案外思うほど根深いものではないのではないか。
 それが何より証拠には、私たちの親の世代の多数が、鬼畜米英を連呼しながら、敗戦忽ち米国隷従の徒と化して未だに恥じないではないか。

 戦争も、貧困も、独裁権力の跋扈も、地球温暖化も、原油価格の安定も、もはや国境線を死守墨守していたのでは、何も解決できないのでないか。
人類は座して滅亡をまつだけではないか…。

琴欧州の初優勝の先に私はそんな思いをめぐらしてしまうだが、これは寝酒の飲みすぎだろうか…。

―追記―
 琴欧州が大関に昇進した翌年、新春だったかの全面広告で、大きなタンカーの舳先に大漁羽織(?)を羽織ってにっこり笑ってすっくと立っている琴欧州の雄姿が、何故か鮮明に残っている。
広告主は日本郵船だったか。同社が三井商船との差を挽回せんがための意気込みを込めた広告ではなかったか。
ところがそのごの琴欧州の低迷ぶり…。これでは日本郵船もしまったと思ったのではないだろうか。同社の業績も株価も同様ではなかったのだろうか…。
さて今後は同社の業績もどうなるのだろうか。そんなこと同社の一株主でもない我が身には全く無関係だがなんだか気になる…。これこそまさに蛇足というべきか。

田舎暮らしの泣き笑い(追記)

2008-05-20 11:20:58 | 日常雑感

5月20日(火)雨後曇り

「月日は百代の過客にして…」俳聖には程遠いが、この日頃貧乏暇なしのためか、自分の心身の能力の低下か、時間が以前(十数年前か)に比べてもの凄い速さで経って行く気がする。

前回、我が家の周りの赤松林が伐採されたことの嘆きをしるしてから早くも40日以上がたってしまった。伐採された当時は赤茶けた一面の荒地の風景が、今は早くもそこ此処に芽吹いた若芽と周囲に残された雑木の新緑で、瑞々しい緑一色に埋められつつある。
隣地の裏切られたと思った伐採跡地には、約束どおりクヌギやコナラの苗木が一面に植えられ、目印のピンクのリボンが優しくはためいている。
裏切られたと思ったのは私のはやとちりのようだった。一瞬でもそう思い、その気持ちを記してしまったことを深くお詫びしなくてはならない。

聞けば、行政の方で何でも一旦は完伐してしまわないと、助成金の対象にしないということらしい。何とも融通の聞かない話しではある。

現金なもので、赤松林が完伐された直後の荒々しい風景に接した時は、「もうこんなところに住んでいられるか」とさえ思いつめていた気持ちが、回復著しい新緑が深まるにつれ、いつのまにか氷解しつつある。
そして、やっぱり「ここはいいなあー」との気分が湧いてくる。

ただ、赤松の伐ったあとに檜を植林するについては、先日もインターネットを見ていたら、「なんでそんな無駄なことをするんだ…」と言うことを主張されていられる人が居ることを知って、こちらも同士を見つけた気がして嬉しかった。

それにしても、個々の人間は、たいていのことには、何事にも受身でいるしか仕方がないのだろうか、という思いである。
そう心底思うようになったということが、歳をとるということだろうか…。