蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

国民を舐めきった「本間税調会長」辞任劇のお粗末!

2006-12-22 00:35:16 | 時事所感
12月21日(木) 曇りのち、薄日射す。

  夜のニュースで本間政府税調会長が辞任したことを報じた。当然である。遅ればせながらも幾分はすっきりした。今朝か昨晩あたりの安倍お坊ちゃま宰相閣下は、本来なら、電光石火切り捨て御免とすべきを。それすらできずに、あにはからんや「確り仕事で責任を果たして欲しい」と未練げにのたまわっていたので、どうなることか若干の危惧を抱いてみていた。

  大体、愛人とかと報じられている不適切な関係の女性と、高級官舎に平気で住み込んでいながら、もしその事実が鵜の目鷹の目のマスコミや世間にしれたらどんな指弾をあびることとなるのかも想像してみることのできないような人物に、1億に三千万だかの国民生活に大きな影響を及ぼす税制を云々かんぬんされたのではたまったものではない。

  それにしても、このところ、先般の速見日銀総裁閣下の投資疑惑といい、路上で臆面も無く抱擁議員パスで不倫旅行かとの疑惑紛々の民主党国会議員閣下といい、金に女にケチで薄汚い、この国のエリートといわれる方々の所行無常振り。何故にこうも次から次へと不祥事が湧き起こるのだろうか?
  そして、その方々の身の処し方のお粗末なことは何だ!もっともそれはないものねだりというもので、そんな潔い後始末ができるぐらいの人物なら端からそんな馬鹿なことはしないという事だろうか。

  こんな輩の有象無象が、よってたかって教育改革とは真にもって笑止千万ではないか。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?



―蛾遊庵、初個展―開催日記(その1)

2006-12-18 00:16:54 | 美術エッセイ
  12月16日(土)晴れ。暖。

  ひょんなことから、急遽、初めての個展を開くこととなった。親族の営む寿司店の2階が空いていたのを、有効利用しようということになった。何にしたらいいか。店舗の2階というのは、何をやるか結構難しいという。

 歯医者とか、何かの小さな事務所ぐらいが適当ではなかろうか。
 しかし、オーナーとしては、自分が使いたくなったときは、いつでも使えるようにしておきたい。固定化されるのは避けたいのだ。

 そこで、思いついたのが、レンタル・スペース(貸し会場)ということに落ち着いた。
しかし、差し当たって何をやるか。
 そんな話を交わしているうちに、身近に居た私に、長年描き溜めてきた絵で、先ずは私の個展をやってみないかということになった。

 場所は、私鉄郊外駅の商店街。今時、珍しく午後は車の進入禁止となるため、いつも人出で賑わっている。場所に不足はない。要は、無名の絵描きの絵なんかを見に、わざわざ二階まで上がって来てくれる方がどれだけあるかである。

 初日、12時オープンとした。会場に10時に着いた。あと2時間。昨晩は、絵を飾りつけるだけで精一杯。まだ画題も貼り付けてない。急いでその作業にかかる。
 絵の価格をいくらに設定するか、最後まで迷った。

 絵は、他の商品とは違う。一体いくらが妥当なのかは、誰も決められない。よく、デパートの展示即売会などの作品に付けられた金額には、高名な作家とはいえ、目を見張らされるようなものがある。反対に、いろいろな画廊での個展等を見ると、有名でもないのに、付けられている値段の高さに驚くことも、しばしばである。

 その結果、世間一般の絵の世界をよく知らない方は、絵とは高いものという迷信がこびりついて、そんなものは自分たちには関係ない縁の無いものとして、敬遠されてきた嫌いが多分にあるのではないだろうか。
このため、絵は益々流通しなくなり、絵描きは貧乏となるのでは…。
 
 私は、取材経費、画材費、技量の程度に応じた手間代、出来の良否を基にして、なるべく多くの方に、これならと納得いく価格が妥当ではないだろうか。そしてできるだけ多くの方々に気軽に買っていただける価格とするべきではないかと思っている。
 そんなあれこれを思案しつつ、これまで作品を譲ってきた際に戴いてきた額を頭に置いて、まあまあと思うところを表示してみた。

 そして12時。我が心臓は高鳴った。一体、どれだけの方が見に来てくれるだろうか。入り口には、祝・オープンの生花も飾られた。BGMも流した。だが誰も入ってこない。
 
 これでは、どうなることか。暗雲が胸を覆う。(以下、次回へ)。

やり場の無いやりきれなさ!―NHKスペシャル「ワーキングプアⅡ」を視る。―

2006-12-11 00:35:42 | 時事所感
12月10日(日)晴れ。やや暖かい一日。

  今、NHKスペシャル「ワーキングプアⅡ」を見終わった。どこの国のことかと思ういざなぎ景気とかの今、その陰では、睡眠4時間で二つの仕事を掛け持ち働く二児の母、80歳にもなって、無年金のため空き缶拾いに一生懸命働く老人、70歳を過ぎて僅かの年金は妻の特養の経費に吹き飛び、自身の生活費は月8万円の公園清掃作業に出て稼でいる。

次々に取り上げられていく、救いのない現実を目の前にして、やり場の無いやりきれなさで言葉を失う思いがした。

どんどん間口の広げられていく規制緩和の中で、中国からの研修名義の安い労働力の流入。それに飛びつくせっぱつまった中小零細企業。
その結果として、これまで真面目にそれぞれの分野で頑張ってきた人が太刀打ちできなくて、これまでの事業をたたんでいかざるを得ない状況。

何故、こんな状況を政府は手をこまねいて放置しておくのか。

コメンテータの経済評論家、内藤氏の言葉が胸を突く。真面目に働く国民を守れない政府んなんてそれでも国家といえるのかと。それで何が美しい国だというのかと。
そのとおりだと思う。

それに反して、もう一人のコメンテータの国際基督大学教授の労働経済が専門とかいう学者先生の暢気な見当違いのコメントにははらがたった。
 彼は言う。「構造改革がひつようなのです。経済が成長しなくては雇用の拡大もないのですと。経済が持ち直せばやがて解消します」と。うろ覚えで正確な引用ではないかもしれない。
 だが間違いなくこの先生の言葉からは、必死にワーキングプアの人々の身の上に思いを置いてどうすれば何とかできるのかと真剣に思いやる、真情のかけらも伝わってこなかった。
 何が労働経済学者だと言ってやりたくなった。

  こうして見ると、これは私の日頃の主張に反する感があるのだが、背に腹は変えられない。奇麗事や建前論ではすまない。先ず、外国からの安易な労働者の入国に何らかの厳しい制限を設けるべきではなかろうか。

  それができないのであれば、現行の最低賃金水準をせめて単身生活保護受給者の1・5倍程度に定め、内外人を問わずこれ以下で雇用した場合は、人間の尊厳を踏みにじるものとして刑事罰をかするぐらいの措置を早急に講じるべきではないか。

  それにしても、こんな現実がこの国の隅々で、今、蔓延しているというのに、都議選の応援が面倒臭いからとかでガラパゴスへお出かけになるなど、貴重な税金で二億何千万円も外遊に費やして平気でいられるような為政者を、日本国民はいつまでのさばらせておくほどお人よしなのだろうか。

  そして、そんな足元の民草の嘆きもどこ吹く風と、お手てつないでの外交ごっこにしか目のなさそうな宰相閣下をいつまで神棚に飾っておくというのだろうか。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。


今、非正規雇用増大の意味するもの。その解決策は、国民全体で負うしかないのでは?(その2)

2006-12-07 02:04:17 | 時事所感
12月6日(水)晴れ。寒い一日。

『派遣の直接雇用義務撤廃―改革会議も答申へ―』今朝の朝日新聞一面、中段にこんな見出しの記事が出ていた。

同記事によれば、政府の規制改革・民間解放推進会議(議長・草刈隆郎日本郵船会長)が、今月末にまとめる最終答申の原案が5日明らかになったとして、一定期間後に正社員かすることを前提とした現在の派遣労働者をめぐる規制を抜本的に見直すよう求め、派遣労働者に対する企業による直接雇用の申し込み義務や派遣契約の期間制限の緩和・撤廃を提案、07年度中の実施を検討するよう求めている、とあった。

 前回、紹介した御手洗経団連会長の意向のままである。

 そしてこの提案の理由として、多様な働き方と再チャレンジを可能とする社会の実現に向け、労働市場での移動やステップアップのしやすさなどを柱とする「労働ビックバンともいうべき抜本的改革が求められている」と指摘し、「労働者個人の派遣就業に対するニーズや企業の派遣労働者活用に対するニーズは、もはや恒常化している」ことにあると言う。

 よくも、いけしゃーしゃーとこんな奇麗事を、立派な財界の功なり名を遂げた方々が言えたものである。
 一ヶ月丸々働いても、単身所帯の生活保護受給者の支給額にも満たないような最低賃金を許しておいて、何がステップアップだ。
 生きていくのがやっとで、自己のスキルアップのために教習費を払う余裕などないと聞く。
 企業にとっては、全員がスキルアップなどされて、高い時給をはらうこととなったら、当の企業にとっては、派遣のメリットなど吹き飛んでしまうのである。

 要は、大量の生活保護所帯以下の時給でも働いてくれる生きた労働部品が欲しいだけなのである。
 その本音を隠して、よくも恥ずかしげもなく、こんな欺瞞に満ちた提案ができるものである。

 誰が好き好んで不安定な多様な働き方など求めているだろうか。それでなくても人間の本性は惰性を好み現状維持でいきたいのである。

 そんなに今の世の中、安定経営が難しいというのなら、いっそうの事、公務員を始め社会全体で終身雇用制度を廃止すべきではないか。
 社会全体が、有期契約労働者になるのである。それなら公平だ。納得できる。

 むしろ、今や、いっそこうした方が余程、社会が活性化するのではなかろうか。

 こうなってこそ、財界のお偉方のおっしゃるような、再チャレンジも可能な世の中となるというものだ。
 さすれば、奈良市や岡山市でのように、たった7日か10日出勤しただけで、のうのうと、そのつど病名変えての病気休職職員もいなくなるであろう。更には、今、俎上に上げられている問題教師も一掃できるというものである。

 とにかく同じ社会の構成員でありながら、一部の人たちだけを不安定な雇用条件に放置することを制度化しようというとが、この社会の歪を大きくする要因となることに、賢明な筈の財界のお偉方が何故気づかないのであろうか。

 貴方がただって、直に現役退いて、否応なくあの世に旅だたなければならないのである。
 それが分かっていて、若いこれからの人たちを苦しめるようなことを、イタチの最後っ屁のように考え出さなければならないのだろうか。

 若い人に優しくなるのが老人の智恵というものではないのだろうか。

 そして、この答申に対して、奥様とお手てつないでの優しいふりしいの安倍お坊ちゃま宰相閣下は、どんな包丁捌きを見せてくれるのか、ここは一つ、じっくり拝見させていただくとするか。

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。



今、非正規雇用増大の意味するもの。その解決策は、国民全体で負うしかないのでは?

2006-12-05 02:03:08 | 時事所感
12月4日(月)晴。-1度~8度、寒い一日。

 今、政府は非正規雇用契約等労働法制の見直しを進めようとしている。
だが、経営者側はこれに真っ向反対との意向が報じられている。

その際たるものは、経団連会長にしてキャノン会長の御手洗氏の主張である。
氏によれば、現在3年の有期雇用制度も撤廃せよ。期限を外せとせまっている。
 今のような雇用に自由度がなければ、とても中国などの安い労働コストと太刀打ちできない。生産現場を労働コストの安い海外へシフトしていかざるを得ないと。

 現在でも非正規雇用が全労働者の三分の一を占めているという。このままでは、若い人たちは将来設計が立たず、結婚はおろか少子化が益々進み、社会福祉、年金制度等様々な社会基盤制度が危うくなるという。
 大変な危機的状況になりつつあるというのに、政府、国会の取り組みには、それほどの緊迫感は感じられない。

 確かに、現在の各種生活資材、商品、サービスの需要の変動、消費者の好みの変動の激しさは、供給側の企業経営者にとっては、日々が薄氷に載って漂っている感じだろう。
 そうした中で、一度採用したら、終身面倒をみろというのは、不可能に違いない。雇用のる流動性の自由は、現在のグローバル経済社会の仕組みにおいて、必然なのかもしれない。

 中国、インド、アフリカ等、軽易・単純労働の担い手は、いくらでもいるのである。これらの国々との間に、一昔、二昔前のように厳しい関税障壁を築き、安い海外生産品の輸入をシャッターアウトできるのなら良いが、自由貿易が原則の現在、そんなことは不可能に等しくなっている。

 しかし、だからといって、需要動向に即応した生産体制が可能とするため、御手洗経団連会長様のおっしゃるように、雇用契約期間を全くの自由としたならば、この日本社会の崩壊を座して待つようなものではなかろうか。

 こうした厳然冷酷な、世界的な労働市場の現実を前に、企業、雇用者に向かって、一度雇った人間は最後まで面倒みろ、仕事がないからといって解雇はまかりならないと精神論を説いてせまっても何の力も持ち得ないと思う。それは低きに流れようとする水勢を人為で堰きとめようとする虚しいことに思える。

 では、どうすべきだろうか。

 私は、今のこの事態をなんとかしようというのであれば、それは日本国民全体でそのリスクを負う仕組み作りが、今こそ必要となっているのではないかと考える。

 第一には、1時間あたりの最低賃金水準を、夫婦子供二、三人が、憲法が謳う健康で文化的な生活を営むに足るもを基準に算出して決めるべきである。

 第二には、失業保険制度を手厚くし、次の仕事に就けるまでは、この間の平均的な生活ができるよう保障すべきである。

 その財源を捻出するためには、さし当たって公務員の賃金を大幅に見直すこと。勤労者の所得税率を大幅にアップすること。高額所得者の累進税率を高くすることなどである。
 そして、つらいが、今戴いている唯一の糊口の元たる我が年金のある程度の減額も甘受せねばなるまい。

 今、先進国は、共通の課題として、中・後進国の過大な低賃金労働圧力があり、これがために、絶対にこれまでのような生活水準を維持できないのではないか。先進各国は、このような世界的な労働市場の構造を直視し、それに応じた方策を模索すべきではないか。

 ゆえに、わが国においても、国民がお互いに平和的に暮らしていくためには、日本国民全体が、ある程度の生活水準の低下を甘受する覚悟をもつほか無いのではなかろうか。

 能力のある者、運の良い者だけが、これみよがしに所得を誇る時代を終焉させなければ、この日本はみすぼらしく惨めな国になってしまうのではなかろうか。

 能力や運は、努力の賜物と人は言う。だが所詮煎じ詰めれば、個々人の努力のいかんでどれだけの違いがでるというのであろうか。それは、たまたまある個人に神が与えたものではないのか。

 であるならば、その能力、運を自己だけの独り占めにせず、同じ血を受けた日本人同士のために、そのいくぶんかを提供・共有するとしたほうが、どれだけその個人自身の心を気高く安らかにすることだろうか。

 要は、今後の日本は、個々の能力に応じて誠実に働ける時は働き、必要に応じて浪費を抑制して消費する仕組みの社会にしていく以外、最良・最適の方策はないのではなかろうか。

 そして、人間として生きていて良かったと思える暮らしを、世界中の皆が享受できるようにするためには、一日も早く、世界連邦国家制度を確立することではないだろうか。

 戦争をなくし、各国がお互いの疑心暗鬼から軍備につぎ込んできた膨大な財政を、産児制限や教育の普及向上に使い、世界的な最低賃金制度ができたとき、そこを起点に初めて、人類共通の生活水準の向上や文化の躍進が期待できるのではなかろうか。

 危機的な様相を深めつつある地球環境問題。資源エネルギー問題。食糧危機問題。今やどれ一つとして、世界連邦政府の仕組みなくして解決できる問題はないのではなかろうか。

 こんなことを書けば、どこの馬鹿隠居が、誇大妄想、見当違いを恥じも外聞もなく披瀝したもんだとご憐笑くださるのも結構毛だらけ猫灰だらけである。

 とにもかくにも、何だか先日の、御手洗経団連大会長閣下の、手前勝手な目先だけの、将来展望の全く窺えない発言を新聞で読んだら、山家の隠居の愚考妄想は、際限もなく拡散浮遊を止めないのである。

 世に経済、財政、労働問題等々の各分野で名だたる専門家は、星の数ほど、いらしゃるだろうに、こうした大きな問題に山家の隠居の納得がいくような、ご高説がとんと伺えないような気がするのは、山家の隠居の不勉強、無知蒙昧のせいだろうか。

 どなた様か、「ああ、お前さんが心配しなくったって、とっくにこんな処方箋があるのだよ」ということであれば、ご教示願いたいものである。

 さすれば、冥土の土産に一読させていただき、可愛い子や孫の行く末、按ずることなく安らかに昇天できるにちがいない。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。

 

この旬日、耳目に止まりし由無し事ーその4、石原傲慢太郎都知事閣下の公私混合!ー

2006-12-02 01:34:20 | 時事所感
12月1日(金)晴れ。気温10度を超えず、寒し。

  冬の日は短く、時間は飛ぶがごとく経っていく。旬日のつもりが月をまたいでしまった。
 だが、これだけは特筆しておかないと腹の虫がおさまらない。
  
  云わずと知れた石原都知事の豪華外遊、四男都費出張のことである。もう先々週ぐらいになってしまっただろうか、何気なく横目でながめていたスパモニの画面に、記者会見場に現れるときの定番、ジャンパー姿の傲慢太郎知事の顔が映った。チック症候というのか瞼をせわしなくパチパチやって唇とんがらがかせて何やらお冠の剣幕である。

  女性の記者から、知事の息子をフランスだかドイツへ公費出張させたことを、控えめに追及されてのことらしい。「息子はれっきとした芸術家ですよ。余人をもってかえがたければ、息子だろうと誰だろうと私はつかいますよ。」と、弁慶が安宅関の勧進帳もどきの開き直りである。

  そして、しんぶん赤旗日曜版、11月26日号によれば、『都民福祉は「ぜいたくと」と削りこむ。が、自分は税金で気ままに海外豪遊。ホテルは最高一泊26万円。夫人、特別秘書もファーストクラス。リムジン乗り回し、クルージングもー。総額2億4千万円超という石原慎太郎東京都知事の超豪華海外出張を日本共産党都議団が告発して大きな反響をよんでいます。』とある。

  細かくその一覧が別掲されているので、でっちあげでもなんでもないだろう。今まで何故か我々の眼に触れなかっただけである。
 都庁詰めの記者はわんさといるのに、毎日どんな取材活動を、高級食んでしていらっしゃるのか、今までどこの新聞、TVも書いてこなかったのだ。

 大体、週1回だかの知事の定例記者会見を見ていても、若い記者が多く、質問するにもおっかなびっくり、及び腰が眼に余る。

 いつかの会見では、記者が「○○について知事は、どう思うか?」と質問したのに対して、知事は、「あんたそこへ行ってみたの?、行ってない。先ず自分の眼で見てから質問しなさいよ」といった風に一喝して黙らせたのをみたことがある。

  ろくな事前調査もしないで他人の褌借りてのお粗末質問する記者も記者である。日頃からなめられきっているのである。そのような記者連中が、夜郎自大傲慢太郎知事閣下には、お馬鹿なお人よしの都民代表に見えてしまうのではないだろうか。

  11月18日付け、朝日新聞「知事権力」(下)で宮城県知事だった浅野史郎氏は『知事をやると独特の特権感覚が生じる。どこへ行くにも秘書が荷物をはこんでくれる。飛行機にのれば、番号「1A」の座席があてがわれる。…こういう特権が、日常的に自分の偉さを再確認する作業になってしまう。知事がやめられなくなる。』そのとおりであろう。
 
  私も下っ端ながら、ある時、ある行事に知事のお出ましを願うことになり、ついては挨拶文をいただくことになった。ところが何と、知事秘書のおっしゃることには、お前が下書きしてもってこいとのこと。新米としてはびっくり仰天はしたものの、しかたがない。一世一代知事になったつもりで、おっとり刀で一文を草して、自局内の決裁を得て持参した。その結果、行きつ戻りつ、漸く3分ほどのあいさつ文が出来上がった。
  当日は、何時何分、知事室をお出ましになって、何時何分、控え室にお迎えし、先ずはお茶とお絞り差し上げて、…こんな次第を思い出してかいているだけで、アホらしくなるというものである。
  このとき納得したのは、嗚呼、これほど楽な商売はないな、このことである。
  だから一度やったらやめられない。七十、八十になっても、負んぶに抱っこで、口がきければつとまるというものである。

  だからこそ、傲慢太郎、夜郎自大閣下もご自分が生きているかどうかもわからないオリンピックをぶち上げて、目出度く三期目もいただこうと早々お名乗りあげるわけなのか。

  都立高の先生には、君が代歌わないのは非国民と、処分のダンビラ閃かせ、自分は立派な公邸そでにして、なんのことはない週何回かのずる休みがしたいがためではないのかと、余計な勘ぐりさせられるような、勝手気ままのし放題とは、これいかにだ。
  自分は、憂国の国士気取りで、散華した特攻隊意員を賛美し、他人には愛国心を強要しながら、自分の所業には李下に冠も思い及ばない厚顔無恥さ加減には、開いた口がアングリアである。

  もとをただせば、障子に穴あけが珍しくて、天邪鬼の審査員が、芥川賞なんかをくれたがためのボタンの掛け違いで始まったことでないのか。
 あんな作品に芥川賞なんて、地下の芥川は地団駄踏んで、墓石持ち上げたいぐらいではなかろうか。
 せめて、かっこうだけでも作家を気取るなら、大義なき戦争のために、あたら前途ある身を散らねばならぬ無念さに、思いをいたすべきではないのか。
 と、いったところで馬耳東風の吹流しだ。

  そして、今時、ジャンパーはおって記者の前や公衆の面前に現れるのは、この地上に北の独裁・大将軍様とただ二人だけというのは、どうした符合だろうか。

  と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。