蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

今の中国共産党政権、6千年の歴史に恥じないか!

2012-10-25 12:39:16 | 時事所感
10月24日(水)快晴。

 今日は、昨日の時雨模様の肌寒い一日にかわり、朝から秋晴れの暖かい日差しがいっぱいだ。それだけで庭の芝生に立つだけで幸せな気分になる。
 山桜の葉の紅葉は、はやくも散り始め、クヌギやコナラが黄ばんできた。その梢のはてに連なる南アルプスの峰々が代赭色に染まりつつある。
 そんな好い気分で、仕事場に入りPCを立ち上げてみれば、こんなニュースが眼に飛び込んできた。

『中国外務省、船員救助に謝意表さず 環球時報は「雪解けムード」指摘
2012年10月23日(火)19時52分配信 J-CASTニュース
尖閣諸島をめぐって日中の外交関係の緊張状態が続くなか、沖縄県沖で火災を起こした中国の大型貨物船の乗組員を、日本の海上保安庁が救助した。だが、中国外務省は「中国の駐福岡総領事館が直ちに体制をとった」などと自画自賛。日本側への謝意はなかった。一方、中国のネット上では日本に対して好意的な反応もあるようで、「雪解け」の兆しを指摘する中国メディアもある。
中国外務省は「駐福岡総領事館がすぐに体制を整えた」と自画自賛
沖縄本島の南東約150キロを航行していた大型貨物船「ミンヤン」が2012年10月20日夜に火災を起こし、連絡を受けた海上保安庁が巡視船2隻を派遣。10月21日朝までに乗組員64人全員を救助した。3人が軽傷を負った。
だが、中国外務省の洪磊・副報道局長は、翌10月22日の定例会見で、
「外務省は事態を重視しており、中国の駐福岡総領事館がすぐに体制を整え、日本側と協調して船の火災を消火するための措置をとった」
などと「中国主導」を主張。日本側に謝意を表すかどうかについて問われても、
「駐福岡総領事館を通じて緊密に意思疎通している」
と、質問に正面から答えることはなかった。…』

 もっとも、これに対して、いつもは日本に厳しい論調の人民日報系の「環球時報」は、かなり違った伝え方をしているとして、同紙は東京発で、今回の救助劇を「日中関係は『厳冬』だが、心温まるニュースが日本からやってきた」として、ネット上での
「命の大切さは国境を越える」「日本が中国の船員を助けたことに感謝する」
といった声があがっていると紹介したという。
 
 私は、日ごろ、このブログで尖閣問題に居丈だけになる日本の論者について、「日本があの戦争で中国にしてきたことを思えば…」と記してきた。
 しかし、周恩来等亡き後の中国政府の一連の指導者の大方が、およそ中国6千年の文化に育まれた人々とは思えないような、視野狭窄の目先の利益しかなく、それも公私混合の倫理観も、無い人々の集団にみえてくる。そこには明確な政治理念もあるべき世界観も窺えない観がある。

 その何よりの証拠が、限られた報道でしか知るほか無いのだが、とてもわが国では考えられないような上から下までの汚職官僚跋扈の現状である。
 上の報道にみるごとく、自国の船員が救助されたことへも、率直な感謝の意も示せないような国家とは一体なんだろうか。

 こんな相手とは、とてもまともに付き合ってはいけないなーとの思いが湧いてくる。今、問題の「尖閣」にしても、いくら海底資源云々があったとしても、大国中国が、象の背中の毛一本にしがみついた蚤ほどの島に、なぜこれほども嵩にかかるようにして、武力を誇示して大騒ぎするのか、真に理解に苦しむほか無い。

 おそらくは、国家中枢の腐敗から国民の目をそらすための格好の道具として故意に問題を大きくしているとしか考えられないではないか。
 とにかく、今の中国、商標の盗用、どぶに捨てた廃油から食用油を作って平気で売りさばく等々、人間としてのモラルがいったどうなっているのかと考えさせられることばかりではないか。

 こんな現状の中国をみたら、孔子や孟子、杜甫や李白はなんと言って嘆くだろうか。日本へ留学してくる中国人は、日本に来て始めて儒教がなんであるかを識るという。
 今回、ノーベル文学賞が下馬評高かったわが国の村上春樹氏をおいて、大国中国の莫言氏に与えられたが、果たして今の中国にそれに値する文化的風土があるのだろうかと思わずにはいられない。

 もしかすると、ノーベル賞選考委員会の中国に対して、世界世論を代表しての、「もう少し品よく文化的にモラルの高い国になってくれよ」との願いがこめられたメッセージではなかったのか。

 中国、13億の民。おそらくはその中にすばらしい人がたくさんいるのだろう。だが今の中国、「悪貨は良貨を駆逐する」グレシャムの法則そのままということだろうか。
 こんな国家を隣人にもたねばならない、日本。しばらくは静観して足を捕られないよう細心の注意をはらって見守り、付かず離れず付き合っていくほかないのではなかろうか。
 


ETV特集「永山則夫 100時間の告白」を視る。―死刑について考え直した―

2012-10-19 17:39:43 | 日常雑感
 10月19日(金)快晴

 先日(14日(日) 午後10:00~午後11:30)、ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」を視た。

 番組の概要は、以下のとおりだった。(※NHK番組案内による)

『 1968年秋、全国で次々と4人が射殺される連続殺人事件が起きた。半年後に逮捕されたのは永山則夫、青森から集団就職で上京してきた19歳の少年だった。いわゆる永山事件は、永山の貧しい生い立ちから「貧困が生んだ事件」とも言われてきた。しかし、これまでの認識を再考させる貴重な資料が見つかった。
 永山則夫自身が、みずからの生い立ちから事件に至るまでの心情を赤裸々に語りつくした、膨大な録音テープ。ひとりの医師によって保管されていた。医師は、278日間をかけて、患者の治療に使う「カウンセリング」の手法で、かたくなだった永山の心を開かせ、心の闇を浮き彫りにした。
 100時間を超える永山の告白は、想像を絶する貧しさだけでなく、“家族”の在りようについて訴えかけている。それは、親子の関係、虐待の連鎖など、時代が変わり、物質的な豊かさに恵まれるようになった現代でもなお、人々が抱え続けている問題だった。
 番組は録音テープの告白を元に、罪を犯した少年の心の軌跡をたどりながら、永山事件を改めて見つめ直す。そこから家族の問題や裁判のあり方など、現代に通じる諸問題について考察をめぐらす。』 

 これを視て、私は次のように感じた。

 この録音が、犯行後収監されてから数年後の事とあってか、これが4人も連続射殺犯かと思わされるような穏やかな声音にまず驚かされた。
 それは、反面では、聴き手の医師のカウンセリングの巧みさにあるのではないかと思った。
 医師は、カウンセリングにあたり生まれ故郷の網走まで行き、母や姉にも会って話を聞いたという。
 医師は、死刑囚永山が幼い日、過酷な家庭環境の中で唯一姉と一緒に眺めたという網走の海岸の景色からさりげなく語りかける。それにより彼のそれまで頑に閉ざされていた心がひらいていったようだった。

 聴けばその生い立ちはすさまじかった。母親は、彼を妊娠中に父親が家族を捨てて出ていったため、彼を見るたびにその憎い父親を思い出さされ、彼の歩き方や横向きになって屈みぎみになって寝る姿までが父親にそっくりのため彼をどうしても可愛がられなかったという。

 母は、7人の子のうち3人だけを連れて彼とそのほかの兄弟を置き去りにして青森の実家へ帰っていった。そのため残された彼らは食べる物にも困りゴミ箱をあさり、漁港に落ちている魚を拾って、飢えをしのぐのだ。おまけに7歳年上の兄は、彼をサンドバックのようにことあるごとに殴りつけて苛んだという。母代わりに慕った19歳年上の姉は、男との間にできた子どもを亡くしたことから、気がへんになり、精神病院へ5年ほど入る。そして戻ってきたらある日男と抱き合っているのを彼はみてしまう。それからはその姉に対してもすなおになれず嫌悪感をもつようになる。

 そんな彼らの境遇を周りの住民が見かねて市に通報し、母親の元に送りとどけられる。だが、母親は日々朝早く行商に出歩く生活苦の中で彼らをじゃけんにするばかりだった。今度はその鬱憤を兄が自分にしたように、彼は妹を木刀で殴り続けるようになる。
彼は、いつも不安と恐怖感の中で暮らしていた。学校へも行かなかった。ただ、5年生の一時期だけは先生がやさしくしてくれて熱心に通ったという。

 ようやく中学を出て働きに出ようとしたとき、シャツがなくて万引きしてつかまってしまう。集団就職で上京するさいも家族の誰一人見送る者はなかった。彼は、二度とこんなところにかえってくるもんかと一人旅立つ。
 
 それでも勤め先の店では一生懸命働いた。認められて、支店の責任者にまでなったところ、ある上司が彼の故郷をたまたま訪ねて、万引きの過去を掴んで帰り、何かと彼を脅迫する。居たたまれなくて荷物を置いてにげだす。そうして職を転々とするのだった。

 この間、彼はなんども自分の生きている意味を自問し意味がないじゃないかと自殺を試みる。そうして外国へ行こうと密航した船で見つかり海老攻めに縛り上げられ税関に突き出される。少年鑑別所へいれられる。身長が1m50cm足らずのやせっぽち。いじめのターゲットにされる。あるときは耳の穴に歯ブラシの柄をさしこまれ叩き込まれる。耳から血が噴出する。「あと1時間もあのままだったら俺あのとき死んでたよ」と語る。

 そして出所。だが仕事をやるきにならない。金がない。深夜喫茶を転々とする日々。港の荷役アルバイトで日銭を稼ぐ。だが、二日ともたないほど過酷な労働だ。そこで稼いだ金を持って兄のアパートを訪ねる。あのさんざん殴られ苛め抜かれた兄だ。兄は今パチンコ狂いの毎日だ。彼が稼いだ金を渡す。だがそんなにしても兄は彼を疎み出て行けという。
 
 そんな日々、見つかったら殺されてもいいやというような気分で横須賀の米軍キャンプへ入り込み、偶然、テーブルにおいてあった小型拳銃とその小さな弾丸を盗んでしまう。これさえあれば、こんな弱い俺だってもう何も怖くなんかない。急に自分が強い人間になれたように錯覚する。その拳銃ポケットにねぐらをさがしてうろうろするうちに東京芝のプリンスホテルの敷地にまよいこむ。そこをガードマンにみつかりもみあいとなる。思わず拳銃を取り出し引き金をひいてしまう。一瞬、相手がぐらりと倒れこむ。あの小さな弾で人が死ぬなんて信じられない。逃げた。そして第二の現場でも同様な発砲事件を起こし若い警備員を殺してしまう。その後は、タクシー強盗を立て続けに二回、わずかの金を奪うために二人とも射殺してしまったのだ。

 ここで鑑定医は母親を訪ねその生育暦を聴く。母もまたその母の再婚相手に邪魔にさ
れ、その母親からお前なんか死んでしまえといわれて親の愛を知らずに育ったのだという。母子二代にわたる悲惨な育ち方だ。医師は、永山の脳のMRI画像をとる。普通は左右対称の海馬のある部分が非対称を示していた。明らかに幼児の時の愛情不足が脳の発達に障害をきたしていたのだ。

 そこで医師は鑑定書を書く。永山は幼児のときの愛情不足により、脳に障害がみられ正常な人格や精神の発達を阻害されたものであると。そしてこれは愛を教えることにより矯正できるものであると。ゆえに、未だ人格が成熟過程にあることを考慮すれべきであると記して裁判所に提出した。

 だが、一審判決ではこの鑑定書を無視した。4人も殺したという犯罪の外形的事実ばかりを重視して、何故このような犯罪を犯すにいたった経過に眼をむけようとはしなかったという。それは当時、少年犯罪の罪の軽さを非難する世論が高まっていた背景があったからだった。 

 もし、この鑑定書を採用してしまえば、とても死刑にはもっていけない。さすれば世論の袋叩きに逢うことは必至となる。そこでこの鑑定書を無視したのだという。
 これに対して、二審の高等裁判所は、この鑑定書を評価し、未だその精神は成熟過程にあるから未成年であるとして無期懲役とした。

 ところが、裁判所がこの鑑定書を評価したにもかかわらず、永山自身は「ここに書かれていることは自分じゃないみたい」と否定的に評価した。これを聴いて鑑定書に心血を注いできた石川医師は自分の280日近くの努力はなんだったろうとの思いに駆られ、きっぱりとこれを限りに鑑定医をやめてしまうのだ。

 この二審判決の対して、最高裁は、たとえその生育環境が苛酷なものであったとはいえ、他の兄弟は立派に成人しているではないかとの理由で、二審判決を差し戻し、結果死刑が確定してしまう。

 永山は獄中で勉強し、自らの生い立ちを小説に書き始めた。新日本文学賞まで受賞する。そしてその印税を被害者への償いとして送り続ける。
 だが、平成9年8月1日、48歳のときついに死刑が執行されてしまうのだ。
 それは、刑の執行同年の6月、神戸での少年が少年を惨殺した榊原事件が引き金となったという。

 見ていて涙が出てきた。まさに神にも見放されたというほかはない人生ではないか。
 このような育ち方をすれば誰だってまともな心を持った人間になれるだろうか。
 まるで、オリバー・ツイストの世界だ。しかし、オリバーはまれに見る純真で強い心の持ち主だったが、それは小説の世界での話しだ。

 私は、これまで死刑廃止に否定的だった。だが、これを視て、犯罪はそんな単純なものではないことがいまさらのごとく分かった。
 悔い改めた永山に青の洞門の僧・禅海の姿を見た。

 このような悔い改めた人間を何故、機械的に死刑にする必要があるだろうか…、と。
 そしてそれは同時に、秋田でのわが子を含め連続児童殺害事件の畠山鈴香を思った。彼女も周囲から嫌われ苛められ、高校の卒業文集に「お前なんか死んでしまえ」と書かれた人生を歩んできたのだ。教師すらもその暴言を野放しにしていたのだ。

 犯罪は、憎しみと恨みの連鎖の結果だ。それを断ち切るために裁判があるのではないか。その犯罪を犯した犯人の心情を明らかにし、それを矯正する方法を社会が見つけださなければ、結局は社会の善良な市民は、自分たちの社会の歪みを正す機会を失い永久に悲劇を生み続けることとなるのではないか。

 とはいえ、私は死刑廃止には、ただちに賛同できない。死刑があってこそ、犯罪者は真剣に人間の生命の尊厳に向き合うことができるのではないか。
 そして、死刑にあたるような犯罪はそう多くは無いのだから、永山事件における二審の高等裁判所のように、検察、弁護、関係者の主張を真摯に信念をもって丁寧に審理することにあるのではにだろうか。
 
 この番組、来る20日(土)深夜、24:50~再放送されるという。ぜひ多くの方に視ていただきたいものである。久々に見ごたえのあるそして深く考えさせられた番組であった。
 なお、上記文章は、メモもとらず記憶だけで書いたので誤っているところがあることをおことわりしておきます。



東京駅が蘇った!―日本の再生を思う―

2012-10-15 00:22:29 | 日常雑感
2012年10月14日(日)晴れ。

 昨日の土曜、お彼岸に行きそびれた墓参りに小平霊園へ行ったついでに、先日、報道のあった東京駅が創建当時に復元されたのを見ようと、東京駅で降りてみた。
丸の内南口の改札口を出ると、そこは携帯片手に駅舎のドーム天井を見上げる人々で一杯だった。
 先日、NHKTVで放映していた十二支の辰(竜)の浮き彫りが小さく見えた。見事だった。
 
 私は、少々感傷的になった。あの食堂はどうなっただろうか…。そう思って出口に向かっての左手をみると新装なったステーションホテルのエントランスが控えめにあり、下の食堂の入り口と思しきところには、松屋だったかどこかの用品雑貨の店になっていた。
30年前、毎土曜日の夕方、勤め先の美術部のデッサン会の帰り、講師の先生や仲間と立ち寄って、生ビールや越乃寒梅を飲みながら、眼高手低の芸術論を交わした日々が思われた。
 
 そして、もっと昔、小学校4年の時だった疎開先の田舎から東京の叔母家に遊びに来たとき通りかかった東京駅。まだ空襲で焼け落ちた、レンガが山積みになり、破れた天井から青空が見えた記憶があった。
それが、今、見上げる駅の天井ドームのなんと素晴らしいことか。
表にでて、中央郵便局の前に立ってそこから改めて駅舎全体を見渡した。復元前の三角屋根となんと違うことか。
 それは、気品に溢れて堂々と建っていた。何か、これでやっと日本は戦後の復興に一段落が付いたのだと感じた。

 日本は、今、日本人自らが落日とかなんとか言っている。だが、東京駅を含めこの間、丸ビル、国鉄本社跡、中央郵便局とみな超高層ビルぐんとなり、面目を一新したのを見るとき、この国の底力を見る思いがした。この日本、なんと美しく品位がある国だろうかと。
 そしてこの国に生まれてきたことを、つくづくと何故か幸せなことだと心から感じた。
私は、携帯をとりだして、周りの人々と同じようにライトアップされた東京駅を何枚かとって帰ってきた。

「山の上ホテル、下水道代1800万円分ごまかす」その裏には?

2012-10-02 00:24:07 | 日常雑感
2012.10.1(月)台風一過、晴天、陽射し強き一日。

 PCの画面をクリックしていたら、こんな記事が目に止まった。
『2012年10月1日(月)19時37分配信 読売新聞
 東京都下水道局は1日、老舗ホテル「山の上ホテル」(千代田区神田駿河台)が、下水に流した井戸水の量をごまかし、今年6月までの約3年間で約1800万円分の下水道料金の徴収を不正に免れたとして未払い分と過料計約5400万円を請求したと発表した。
 不正配管を理由に同局が過料処分を出すのは初めて。
 発表によると、同ホテルは2009年4月に井戸水の使用を始めた。その際、検針メーターのある管を迂回するバイパス管を取り付けて、手動バルブでメーターを通る水量を調整できるようにした。今年6月に同局が匿名の情報提供を受けて立ち入り調査して発覚した。
 同ホテルによると、井戸水は水道水節約のため調理場の清掃などに使っていたという。取材に対し、同ホテルは「処分を真摯に受け止める。利用者の信頼を損ねて申し訳ない」と話した。』

 こんな記事、故山口瞳氏が読んだらなんというだろうか? 山の上ホテル。神田駿河台、御茶ノ水駅近くの表通りからは直ぐには見えないひっそりとしたところにあるようだ。
 週刊新潮の名エッセイ「男性自身」でだったか、何かで山口瞳氏は、このホテルの居心地のよさ、食事、従業員の心遣い等、何度か褒めて書いていた。
 それを読んで、いつか一度食事にでもしに行ってみようかと思ったが、今日までついにその機会がなく過ぎてしまった。

 このホテル。新潮社等著名な出版社が人気のある作家を缶詰にするときによく利用するらしかった。故水上勉氏のエッセイでもこのホテルのことを好く書いていた。
 
 その品格と伝統のあるらしいホテルが、下水道料金をごまかしたという。記事によれば下水道工事業者の単なるミスではなくホテル側の責任ある立場の者が、下水道料金を誤魔化そうとした確信犯的行為である。
 なんとみみっちことをするもんではないか。
 下水道料金、地面の下の誰の眼にもつかないところにある。それをいいことに、わからなければごまかしてしまえという卑しいこころはどうだ。
おそらく、このホテル、調理場でつくるご自慢の料理も客の見えないところでちょうりするのだからと、けちれるものはとことんケチっているのではないか。
こんなホテルにわざわざ行っておそらくは高い料金を払わずにすんでよかったとおもうばかりだ。
 
 それにしても、このホテル、最近になって経営者が代替わりしたかなんかで悪くなったのだろうか…。それとも昔からこうだったのだろうか…。
 おそらくこの事件内部告発という。ということは、良心的な古い従業員が新しい経営者のえげつなさに我慢がならずということではないか。

 ところで、とかく著名人が褒めるお店に、どんなところかと私のような無名の貧乏人が珍しいもの見たさで行ってみれば碌なことがないのが、これまでの私の経験ではおさだまりだ。
 いつか、山口瞳氏が褒めていた有楽町近くの小さな中華料理店の焼売がおいしいというのでいってみたが、どうってことなかったっけ。
 店の主人だって、著名人だからこそ店の宣伝にもなれば一生懸命サービスの限りを尽くすのだろうが、どこの馬の骨ともわからぬ一現の客なんかに一々かまっちゃーいられないといったところではないか。

 それにしてもこの山の上ホテルの経営者。伊勢神宮の前の有名な赤福の若大将が、売れ残りの赤福を再度あつめて丸めなおして売ったのがばれた事件を思い出させてくれた。
 今の政治家も二代目が幅を利かす時代。有名菓子屋も著名ホテルも二代目さんの何んとお粗末なことか。

 それはそのまま、今の私たちに人を見る目も、物を見る眼もなくなったということではにないか…。やんぬるかな、やんぬるかな…。
 
 この先は、我日本は、三代目。「売り家」と斜めに札を張りってところか。

ー追記ー
 ここまで書いてきて、もう1件、大事なことを思い出した。それは今日の組閣で文部科学大臣に目出度くご就任あそばした田中真紀子大臣のお父上。故田中角栄元総理大臣閣下の目白御殿の見事な錦鯉で有名なお池の水も、長く下水道料金をお支払いになっていなかったことから、同じような事件があったことを。
 さてこちらの二代目お嬢様というよりは、もうれっきとしたお婆様と申し上げた方が適切かもしれませんが、果たしてこの先どんなお働きをおみせになることやら。
 文部科学省のお偉いお役人様ご一党様には衷心よりお見舞いの言葉をさしあげるといたしましょう。
 まあ、どうせ後、指折り数えるほかない短命内閣のようですから、こんな心配無用でしょうか…。