蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

内田裕也、IMF前専務理事逮捕事件に思うー男性“性”(時限爆弾)の暴発暴走の哀しさ!ー

2011-05-28 10:51:41 | 時事所感

5月27日(金)曇り時々小雨、終日肌寒し。

 先日、5月24日付けの「天声人語」で、IMF通貨基金前専務理事ドミニク・ストロスカーン被告(62歳)についてとりあげていた。
 
 天声人語氏は、『…ホテルの女性客室係に襲いかかったとして、ニューヨークで起訴され、華やかな地位を失った。保釈も監視用の足輪つきというから、これ以上の屈辱はあるまい。…地位にそぐわない所業というのがままある。そもそもの間違いは、行為そのものより、ふさわしからぬ地位に就いたことだろう。伝えられる愚行が事実とすれば、転落の起点は「病」を抱えたまま重職を受けたことである。』 と書いている。
 
 また、この事件の直前、5月13日には、ロックミュージシャンで女優の樹木希林さんの別居中の夫、内田裕也氏(71歳)が『交際中の女性(50歳)に別れ話をされた際に女性を脅迫し、女性の自宅に侵入した容疑で逮捕された。…』の報道もあった。

 この2件の内外の報道を見て、どちらもともに人生の最晩年期の有終の美を飾るべき時に、何をとち狂ってと思わざるを得ない間尺に合わない愚行に違いない。
 だが、なぜ彼らは、かかる愚行を演じてしまったのか?

 私の頭に先ず浮かんだのは、相当以前に読んだ解剖学者、三木成夫の著書「海・呼吸・古代形象」に出てくる次の一節だった。
 そこには、『…俗に“食気”と“色気”の二足の草鞋という。ことほど左様に、人間の食と性の周期は、今や喪失の危機に直面しているといえる状態であろう。とくに性のそれは、前回述べた女性の月の周期を僅かの“残火”として、ほぼ完全に消滅した、といっても過言ではない現状だ。四六時中、発情し、しかも歳と共に好色の度を加えていく、世の男共の姿をしかとみとどけるがいい。かって地球上にこんな姿の動物が生棲したか、…』とある。

  冒頭の専務理事氏を、天声人語氏は「病」と断ずるが果たしてどうだろうか。私は、我が身に照らしてみても、単なる「病」というような個人的属性による疾患なんかの程度ではなく、男性という種に生まれついての宿命というか業のようなものと思うのだが…。

  だが、大多数の男共は、不幸にして目の前に自らの嗜好に合う女性に遭遇した場合でも、辛うじて「ここは我慢しよう。妻子、世間の手前みっともないことはできない…」と理性なるもののブレーキを利かせて事なきを得ているのにすぎないのではないか。

  しかし、ストレスや何やかやの悪条件がその身に重なったとき、このブレーキが壊れ暴発暴走してしまうのではないか。
  それは、女性には閉経という天与のブレーキがあるにも拘らず、男性の場合には、健康的で元気であればあるほど、その死の瞬間まで種を繁殖させるべしという創物主(神)の頸木から解放されないところにあるのではないか。
 男性”性”は本来、その死の瞬間までノンブレーキなのだ。そこに男性”性”の苦痛があるのだ。男は、古来この苦痛から超越せんがために、お釈迦様や達磨大師をはじめ己が身を切り刻むような難行苦行に身をやつしたのではないだろうか。

  しかし、そのような難行苦行の敵わぬ凡夫凡人は、加齢化とともに、求愛してやまない女性から見向きもされなくなるに従って、男はますます焦り、相手の女性への渇仰が昂進し、その欲望が満たされなくなると、この世で己の存在感を喪失し、絶望から自殺さえしたくなるのではないだろうか。
  ノーベル文学賞に輝く著名なK文学者の自殺も、私は歳若い美しい女優への失恋の結果ではなかったかと推測するのだが…。

  とにかく、人間が、他の動物と変らぬ原始時代にあっては、人間という種を少しでも他の生物種に負けないよう、いわば人類としての尖兵を果たした男性“性”の猛者が、文明社会という人間が単なる動物の次元で存在することが許され難くなるにつれて、男性“性”は、仲間の間の秩序を乱すものとして自由奔放を許されなくなったのであろう。

  だが、哀いかな人間といえどもこの世界の一種のホモサピエンスという種である以上、その尾底骨に猿人の痕跡を残しているように、男性“性”のマグマは時と人を選ばずして爆発暴発する宿命にあるのではないか。

  このように愚考する私には、俎上の二人の愚行を、被害者の方には申し訳ないが、同じ男性として真に哀しいことだなーと思う以外には言葉がないのだが…。
  果たして、世の男性諸氏とくにこの先、私同様、老い先短いご同輩諸先輩方、いかがお思いでしょうか…。
  
  そして、なお思うのは、今の人々の多くは、現在の人間なるものが文明の名の下に、他の生物種とは違ってよほど高級高尚な存在と自認されたいようだが、果たしてどうだろうか。
  同じ人間同士、同じ種同士でこれほどお互いの間に格差をつくり、その人間がかってに作った格差で、身分差別をし、人種差別をし、いわれ無き差別を公然と為し、他の動物も決してなしえないような残酷なやりかたで殺戮し、同類からの力づくでの収奪をほしいままにし、そのことを、政治の名の下に、宗教の名の下に、国家の名の下に、民族の名の下に、法律の名のもとに正当化して恥じない者がどこにあろうかということだ。
  
  人間なんて高級でも高尚でもなんでもない、単なる神の手違いによる突然変異の化け物であり、今や地球上の他の種の唯一の天敵であり、この美しい地球を汚染しつくし破壊する唯一の存在であり、害毒でしかないのではないか。
そんな我々に、件(くだん)の二人の愚行をどれだけ糾弾する資格があるというのだろうか…。

「北朝鮮に嫁いで四十年―ある脱北日本人妻の手記―」を読む。

2011-05-23 00:22:28 | 読書感想(ぜひ読んで見て下さい!)
5月22日(日)曇り時々雨

 先日、自宅近くの図書館の新刊コーナーで「北朝鮮に嫁いで四十年―ある脱北日本人妻の手記―」という本が目にとまり借りてきた。

 表紙、見返しの紹介文に『1961年、帰国事業に応じた夫の家族とともに、「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮に渡った著者を待っていたのは、あまりにも悲惨な生活だった。乏しい食糧、電気も水道も満足にこない。娯楽も無く、里帰りもできない。ときに公開処刑を見せられる。やがて配給が止まるなか、三女は栄養失調で死亡、次女はヤミ商売のかどで服役、中国国境を行き来していた長女も捕まり獄中死するー。
 誰も恨まず、すべてを運命として受け入れ、夫と6人の子供を守るために、想像を絶する日々を懸命に生きてきた日本人女性が、2001年に脱北し、帰国するまでの半生の記。北朝鮮の庶民の暮らしを詳細に描いた稀有な記録でもある』とあった。
 なお、著者は、斉藤博子さん。同じく見返しの紹介によれば、『1941年、福井県生まれ。61年(昭和36年)、夫の家族、1歳の長女とともに北朝鮮へ。94年(平成6年)に夫が病死。経済状況が最悪となり、配給制度が破錠、自給自足、ヤミ商売を余儀なくされる。2001年(平成13年)、鴨緑江を渡り脱北、中国経由で帰国。』とある。
 
 一気に読んだ。これまでTVの映像や新聞報道等を通して断片的に見聞したのとは、ひときわ違ったまるで私自身が著者の背後霊にでもなったかのごとく直ぐ脇に立って、ただ見つめているほかないような感覚を覚えた。

 配給は、成人男子が一日700g、女と子供は300g、これを月に2回に分けて受け取るのだ。だが、その70%はトウモロコシ、米は30%とのこと。おかずはキムチのほか、ほとんどなし。たまに魚売りがくるぐらい。

 家は、アパートの一戸の二部屋を二世帯で住む。流しは共同。水道は冬には凍って出なくなる。近くの川まで水汲みに行くのが日課の一つ。

 病気になっても、病院へは勤め先への病気休暇届けに必要な診断書をもらいにいくだけとか。病院には医薬品が一切無いためという。病気になったらただ家で寝ているだけとか。

 ヤミ商売では、電線等からのアカ(銅)が割合い好い金になる。だが、みつかったら刑務所行き。そのためにある母親が、死んだ赤ん坊のお腹の中に銅線を詰め込んで背中におんぶして運んでいるのを目撃したこともあるという。

 一度、つかまって刑務所に入いれば、食事はトウモロコシが15粒。塩味だけのスープ。それでいて広い畑で朝早くから一日中働かされるのだ。
 囚人の食事よりも刑務所で飼っている豚の餌の方がずっと分量が多くてまし。その豚の餌を世話係の人間が掠めて食べるのだとか。

 著者は、あるとき、仲介者の働きかけで日本の母親と連絡がとれ、その伝でようやく命がけで、胸まで急流につかりながら鴨緑江を渡り脱北できたのだ。

 著者は、日本に帰ってきてはじめて金正日一家の贅沢三昧の暮らしぶりを知り怒りに燃えたという。

 北朝鮮すなわち自称、朝鮮民主主義人民共和国。これが21世紀のいやしくも臆面も無く民主主義を名乗る国家だろうか。1945年、日本の統治下から脱した後、南北に分かれて約65年。今や、日本をもしのごうかとの勢いにのる南と、この北の惨状はどうだろうか。
 政治体制の相違により、同じ人間として何たるその暮らしのありよう、幸不幸の天と地の違いがあることだろうか…。

 ただ、読んでいて救いは、こんなにも貧しい暮らしの中で、庶民同士は優しい人々も多いということだ。お腹をすかせている同行者がいれば、自宅で乏しい食事を勧める。たまたまTVの有る家には、近所中の人々が押しかけて皆で仲良く僅かな楽しみをともにするとか。

 著者と私は同年齢。それゆえ同じ時間を生きてきて、その生活の場所が違うというだけで、著者が味わってきた人生と、戦後の高度成長期の日本の一番好い時代を生きてきたわが身と比べて、何ともいえない気持ちがしてくる。

 今朝の朝日新聞の7面で、『金総書記 窮状下の訪中 昨年5月から3度目 近づく配給途絶■ 貨幣急落■ 物々交換 …報告書によると、北朝鮮では昨年の洪水や冷害で食糧事情が悪化。北朝鮮当局は人口の約7割にあたる1600万人に対し、1人あたり1日平均で400グラム弱の食糧配給を目指しているが、5月から7月にかけて配給が途絶する見通しだと訴えているという。…』記事が出ていた。

 独裁者金正日が親とも頼む中国だって、いつまで北朝鮮の面倒を見ていられるだろうか。いよいよ金正日王朝の落日が迫ってきたのではないだろうか…。その一日も早い崩壊こそが、北朝鮮の人々の救いになるのではなかろうか…。

―殺人犯の家族!―甲府の殺人事件に思う

2011-05-12 01:41:42 | 時事所感
5月11日(水)雨。3月下旬の気温とか。

 先日、甲府市積翠寺町の崖下で絞殺された女性の遺体が発見された。加害者の男は日をおかず警察に出頭して、被害者の女性を絞殺し死体を遺棄したことをほぼ認めたという。

 この事件の新聞記事を見て、何故か他の殺人事件とは違って身近なものに感じた。それは、一昨年の秋だったか、死体遺棄現場付近の甲府市と山梨市の境にある太良ケ峠を車で通った時の印象が強く残っていたことや、加害者の住所が知人の家の直ぐ傍で、知人宅にも警察が聞きこみに尋ねてきたと聞いたことによるのかもしれない。

 しかも、被害者の通っていた県立宝石美術専門学校の傍も同じく車で通りかかったことがあり、珍しい学校があるものだ。一体ここではどんな勉強をするのだろうかと思ったことがあったことも重なってのことかもしれない。

 そして、報道によれば、加害者は妻子があり、高校時代にはレスリング部で全国的に活躍し真面目で練習熱心な選手でもあり、現在勤めている会社でも信頼の篤い社員だったという。彼を知る周囲の人々はとても信じがたいという。

 そんな彼がどうして交際相手の前途ある女性を殺してしまったのだろうか?
加害者は被害者の女性と自宅から6Kほど離れたところにアパートを借りていて、近々現在の妻と離婚して被害女性と結婚を約束し、二人で毎月貯金までしていたのを、その金を加害者が使い込んだことが原因でトラブルとなり、首を絞めて殺したと伝えられている。

恐らくは、推測するに最初は、加害者の使い込みに対して、「貴方、本当に私と結婚する気があるの?奥さんと別れる別れると言って、何時別れるのよ…」というような難詰から、言葉だけでの遣り取りですまなくなり、お互いの感情の高まりから、揉みあいとなり、加害者が相手を黙らせ怖がらせるつもりで首に手をかけているうちに、元レスリング選手として思わず力が入り、誤って殺してしまったということではないのだろうか。

もし、加害者に当初から計画的な殺人の意思があったら、死体の処理にしてももう少しなんとか、少しでも時間が稼ぎができるよに埋めるなりなんなりしたのではないか。
それが報道によれば、発見された時の様子からでは、加害者が動転して、死体をどうしてよいかわからず夢中で山中の道路を走っているうちに、恐ろしくなってどこでもいいから無我夢中で路傍の樹林の中に無造作に投げ捨てたようであることだ。

 殺された女性は、大学を出てからさらに宝飾の専門学校に入り宝蝕デザイナーを夢見ていたという。その無念さ、さらにはその家族の無念はいかばかりだろうか。
そして、加害者がどんな経緯にしろ、自分が一時は愛し合った相手を殺してしまったことの責は、いくら負っても負いきれるものではないだろう。

 だが、問題は、なんの咎も責任も無い、いわば全くの無関係とも言うべき加害者の妻子のこれからのことである。
 特に妻はともかく二人の子供が、これから将来恐らくは死ぬまで負っていかなければならないであろう目に見えない十字架である。
 刑法上は加害者の妻子には何の罪も課せられはしない。否、このようなことを書く私に対して、私の論理の粗雑さと拙劣さから、犯罪加害者の家族に対して、間違った偏見の持ち主として糾弾される方が居るかもしれない。
 それはそれとして受けざるを得ないと覚悟しよう。
 しかし、世の中どんなきれいごとや建前を言ってみたところで、現実にあるものはあるのだ。
 それは、殺人を犯した者の血に繋がるものとしての世間の厳しい眼があるということだ。

 私がこのことを改めて強く思ったのは、先般の芥川賞を受賞した作家が、父親が女の子に性的悪戯をしたことから犯罪に問われて、世間の糾弾を受け、一家離散の憂き目にあい、そのどうしようもない苦しみから逃れるためにものを書くようになったと、受賞後の会見で語ったのを知ってからである。
 私は、それを読んで、正直なところ、人を殺したわけでもあるまいに、いわばそれぐらい(注:被害者の子供にとっては決してそれぐらいなんて軽いものでないことは承知しているつもりです。殺人罪という究極の犯罪に比べての意です。)のことで、その父の子であるという理由だけで、そこまで苦しまなければならにあものだろうか。もう少し割り切ってすませられないものだろうかとの感想を持った。
 
 性的犯罪者を父に持っただけでも、その子供としては、それほどの苦しみを負わなければならなくなるのである。それがましてや殺人となればどうであろうか。
 こんな事を書く私とて、その先祖を遠くたどれば石川五右衛門にまでたどりつくのかもしれない。だが今、私が仮にそう言葉の上では言ってみても、私と石川五右衛門との繋がりを、私自身はもとより何人にも証明のしようがないから、誰からも何も言われずにすんでいるだけではなかろうか。
 ところが、私が今明々白白に石川五右衛門の息子だとなればどうだろうか…。世間の人はただではすましてくれないだろう。

 確信的な計画犯罪を別とすれば、犯罪を犯すのは、一瞬の激情による衝動であろう。その瞬間には、哀しいかな、この世界に自分と相手しか見えなくなってしまうのだろうか。
だが、その一瞬の闇が明ければ、加害者たる自分の身にも被害者たる相手の身にも累々たる血族が繋がっているのである。
 
 犯罪を犯す瞬間、人はこのことにほんの僅かでも頭にうかべられないのだろうか。
 そうして今、不幸にして犯罪者の係累として重荷を負っている人々は、それぞれにどんな思いで息を潜めて生きているのであろうか…。
人間の罪と罰。それは決して刑法が定めるような犯罪者個人としての罪だけでは終わらないのだ。

アルカイダ指導者オサマ・ビンラディンの虐殺に思う。

2011-05-09 22:12:05 | 時事所感
5月9日(月)晴れ、暖。

 5月8日(日)付け、朝日1面で『オバマ氏「やつを仕留めたぞ(ウイー・ガット・ヒム)」米東部時間の1日夕、オバマ大統領は、国際テロ組織アルカイダ指導者のオサマ・ビンラディン容疑者殺害を確認し、こう言った。』を読んだ。

 オバマ氏が劇的な大統領選挙に勝利し、その就任演説の格調の高さとの何たる違いだろうか。
 これでは、安物の西部劇の悪漢退治か憎い敵を圧倒的な力にまかせてリンチしたのとなんら変わらないではないか。
 しかも彼は武器も持たず無抵抗だったという。
武器も持たない無抵抗の相手の顔面を銃で打ち抜き、その遺体を拉致してインド洋に投げ捨てるとは、虐殺以外のなにものでもないではないか。これでは単なる目には目の報復でしかないではないか。

 9・11は、確かに人間として許されざる所業だろう。だが、それは何といおうと犯罪の一種ではないか。
 21世紀の現在、犯罪には裁判でもって法により処断するのが建前なのではないか。
 しかし、現実の国際政治の場において、アメリカの力の前には、法の正義なんてことは絵空事でしかないようだ。
 
 そしてそれ以上に驚かされたのは、同じく朝日6面で『国連の藩基文事務総長が、米軍によるビンラディン容疑者殺害について「正義が達成され、とても安心している」と声明を出したことについて、職員から批判の声が上がっている。」とあったことだ。
 もはや、これは、建前としての国際正義の貫徹を標榜する上での唯一の頼みの綱たるべき国連すらも、米国にとっての仮装舞踏会での一仮面でしかないということではないか。

 口で言っても分からなきゃー、腕でもって分からせてやる。人類は、いつになったら腕力によらずして、とことん多数参加の話し合いのもとで、お互いの利害を調整できるようになるのだろうか…。
 それは、人類が亡びるまで永遠に達することはできない彼岸のことなのだろうか…。

 そして、今ひとつ不思議なことは、今回のオバマ大統領の処断に対して、ほとんどのマスメディアが、何かの物の怪を恐れるがごとく追認しているかのようにみえることだ。

浜岡原発運転停止要請、菅総理今度こそ頑張れ!

2011-05-06 21:33:02 | 時事所感
5月6日(金)晴れ、暖。

 今夜、BSフジ8時からのプライムテンを視ていたら、冒頭のニュースで、菅首相が記者会見を開き、静岡県御前崎市にある中部電力の浜岡原子力発電所の運転停止を要請したことを発表したことを知った。

 その中で首相は、「文部科学省の地震調査研究推進本部によれば、これから30年以内にマグニチュード8程度の想定の東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫しています。こうした浜岡原子力発電所の置かれた特別な状況を考慮するならば、想定される東海地震に十分対応できるよう防潮堤の設置など中長期の対策を確実に実施することが大切です。国民の安全と安心を守るためにはこうした中長期対策が完成するまでの間、現在、定期検査中で停止中の3号機のみならず運転中のものも含めて全ての原子炉の運転を停止すべきと私は判断しました。」と語った。
 
 私は、これを聴いて驚いた。これでこそ菅総理大臣だと思った。喝采した。恐らく菅総理大臣になって初めての英断ではないか。

 ところが、このニュースの感想を求められた、今夜の番組のゲスト、僧侶で芥川賞作家の玄侑宗久氏は、いかにも唐突な決定で事前に中部電力側との話し合いがあってのことなのか、その手段が拙劣だとの意味のコメントを述べていた。解説者も同意見だった。

 何故、今回の菅総理の決定に潔く賛意を表せ無いのか。
 事前に調整しようとしたら、中部電力は「はいそうですか」というだろうか。ぐずぐずしているうちに直ぐ、1年や2年たってしまうのが落ちではないか。
 87%の確率という巨大地震が、こちらの協議が整うのを待ってくれるだろうか。馬鹿も休み休みに言えと言いたい。

  記者会見場での質問した記者のも同様だ。少しでも国民にとって好い方向への決定に対して、聞いていれば揚げ足取りのけなす質問ばかりしかしない。
もっと素直に受け止めたらどうだ。「総理、久しぶりの大英断ですね。国民のために万難を拝して初志を貫徹してください。我々も勢一杯応援します」と何故言えないのか。