蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

味噌売りと付け馬

2006-08-31 11:24:45 | 田舎暮らし賛歌
 8月30日(水)曇り。一時小雨、また晴れ間も覗く。涼なるも日中一時蒸し暑し。

 午後、アトリエで描きかけの絵に手を入れていると、ガラス戸越しのテラスに人の気配がした。見れば中年の男が見知り顔にニコニコしてこちらを覗いている。
誰だろう?見覚えのあるような、ないような。思い出せない。

 男は、控えめにそっとガラス戸を引き開けながら「いかがでしょうか?味噌まだあります?下のお宅に来たので寄ってみました」と言った。

 ああ、あのお味噌屋さんかと、そこで思い出した。

 もう、二年ぐらい前だったか、突然、ワゴン車でやってきて「諏訪の味噌ですが、いかがでしょうか」と、この辺では珍しい訪問販売だった。

 こちらは、味噌なんて今まで樽でのまとめ買いなどしたことがないので返事を躊躇った。
 味をみてくれと、樽を開けて一口甞めさせられた。

 なるほど、何ともいえない旨みのするいい味である。我が家の直ぐ下の方のお宅でもお得意にしてもらっているという。値段を聞けば一万五千円というのを、少しまけて貰い買ってみた。
 それを使い切った頃、味噌屋はまた現れた。たいしたものだと感じいった。我が家の樽の中をまるでリモートモニターTVで覗いているようなタイミングのよさに感心した。
 
 また、一樽買った。

 それが、先日ちょうど切れた。しかし、こちらから態々声をかけるのも何か躊躇いがあり、またそのうち来るだろうと、当座しのぎに以前買っていた、銘柄のものをスーパーで買ってきて間に合わせてきた。

 しかし、一度、完熟の味噌に馴れた舌は、スーパーの出来合いの味噌では、なんとも味気なくて粉っぽく感じられてしょうがない。あの味噌屋また来ないかなと内心心待ちしていたのである。

 だからとは、言え、突然、半年振り以上で現れては、こちらが直ぐにその顔が思い出せないのも当然で、老人性痴呆症のはしりというほどでもあるまいと自ら慰めた。

 味噌屋は、入って来て私の描きかけの絵に見入った。「桃畑ですか?春らしくていいですね。」そして脇のパソコン画面の写真の風景とを見比べて言った。
「ああ、そうやって描くんですか?」と興味津々である。

 日々、人恋しいこちらとしては満更な気分でもない。私は得意げにパソコン画面を活用しての絵描き談義を開陳した。



 商談は早々にまとまった。

 しかし、財布を覗くと、生憎、数千円しかない。
 お金足りないから、これから郵便局へ行くけどそれでいいかと聞くと、それで良いと答える。
 味噌屋は、私の軽トラの後を付いてくる。何だか可笑しくなった。笑いがこみあげてきた。5分ぐらいで、小さな行きつけの局に着いた。
 今、引き出した中の一枚に財布の中の千円札を足して、渡しながら、「これではまるで付け馬だね。付け馬で味噌買いとは初めてだ。」と、私は言った。

 味噌屋はにっこり笑って代金を受け取り、自分の車にお辞儀しながら乗り込んだ。助手席に奥さんらしい女性がちらっと見え、こちらを見て軽く会釈した。
 これから二人して、伊豆まで帰るのだ。精進湖の傍を通り抜け長い道のりである。残りの樽は皆売り切れるのだろうか?

 この味噌屋さん、どう言う訳か、工場は諏訪で販売元の住所は伊豆なのである。その理由を初対面の時、聞いてみたようなのだが、何となく呑み込めなかった。
 何で態々伊豆くんだりから、4時間近くもかけて、こんな山里に売り歩きに来るのか。今も不思議に思う。

 それにしても、良い品は良い。同じ訪問販売でもピンキリである。
 家に戻って、大事な味噌を地下の棚に仕舞って、また描きかけの絵の前に座った。

(注:付け馬=不足または未払いの遊興費を取るため、客の家までついていく人)


びっくり仰天、国保税料1.4倍!-小泉改革の火の粉が降ってきた!-

2006-08-28 23:46:27 | 時事所感
 8月28日(月)曇り一時薄日射す。涼。

 先日、市役所から、今年度の国民健康保険税納税通知書が届いた。
 開けてびっくり仰天した。
 昨年の1.4倍の金額である。年金収入しかない私にとってこれは痛棒だ。

 見れば、B5のぺら一枚の「国民健康保険税 税率等の改定のお知らせ」が同封してあった。
「高齢化率が高く、保険の利用者増に対して、国や県からの補助金は、財政難のおり減少傾向にあり、国保会計を維持するため、やむなく税率等を改定させていただきました。皆様のご理解とご協力を…。」とあった。

 私は、こんなぺら紙一枚で1.4倍もの金額を徴収しようとする行政の無神経さに腹が立った。直ぐに電話で改定の経過を質した。

 若い担当者は答えた。昨年、国民健康保険運営協議会の答申を得て、先の議会で承認された。
 これに基づき再三市報等でお知らせしてきた、と。

 私はインターネットで議会資料を検索した。

 なるほど、たった一、二行専決処分の報告及び承認の件とあり、当市では旧8町村が合併し、それぞれで税率が違っていたのを、今回の改定で一律にしたため、従前私が住む旧村では低率だったのが、こんなにも急騰したことが分かった。

 にも拘らず、足元の有権者の中に、こんなにも大きな影響を及ぼす改定というのに、並み居る市議会議員の先生方からは、一言の質疑も無いまま承認されていた。その日の議会はたったの15分で閉会されている。
 何のための大枚議員歳費を貪っての議員稼業なのだと、悪態の一つもつきたくなる。

 ところで、手続きとしては、改定にあたり、昨年秋に市の国民健康保険運営協議会が開催され、改定は国保の財政状況から見てやむを得ないが、引き上げに当たっては、十分説明をし理解をえるようにと注文が付けられれているのだ。

 それが、市報で計三回、半ページのものが2回、1ページのものが一回というわけである。
 その他に、今回、“国保だより”という冊子(8ページ)が同封されてきた。これについても私には見覚えがなかった。

 確かに市報等を十分隅から隅まで精読しなかった私の落ち度も認める。向こうとすれば今更何をと言いたいところだろう。

 だが、一寸待ってもらいたい。我々子羊のような住民としては、行政と言うものに、日頃から、そんな無茶はやらないという暗黙の信頼感をもって接しているのだ。

 これが、千円単位の話なら,それが1.4倍になったところで大して驚きはしない。だが今回のような10万、20万家庭によっては、40万円単位の話である。

 増して、町村合併でそれぞれの旧自治体によって負担率が大きく変わるのである。
ならば、旧自治体別に説明会を開催し、個別の質疑に応じてしかるべきではなかったのか?

 だが、勘ぐれば、もし説明会を開けば、あまりの増額に住民の不満が爆発、収拾ができない恐れから、安易姑息な、紙っぺら一枚でお茶を濁そうとしたのではないか。

 しかし、今回改定の大本の震源は、小泉改革にあるのだ。今まで、小泉改革については、申し訳ないが隠居の身として、対岸の火事ぐらいに思っていた。ところが、あっと気がついてみたら、己の衣に火が付いていたというわけである。
 
 改めて、小泉改革の酷薄さ、住民の痛みに頬かむりする末端自治体行政と議会の姿を見た。

 これに懲りて、これからは目を皿にして、彼らの行動を監視していかなければ、いつ寝首をかかれないとも限らないと、肝に銘じた。

と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

―追記―
 本件について、一週間ほど前、これは黙っていられないとばかり、一念発起し清水の舞台から飛び降りる気持ちで、さる全国紙に始めて投書を試みた。
 しかし、靖国問題、終戦記念日、高校野球と話題に事欠かないためか、はたまた拙文のためか、否それにも増して、世の中には国保税が1.4倍ぐらいになっても、蚊が刺したほども痛痒を感じないお大尽様ばかりなのか、一向に日の目を見る気配がない。
しかたなく、思い余って、何方様かのお目に触れればとここに掲載いたしました。


清水港に次郎長を尋ねて!

2006-08-26 22:57:37 | フォート・エッセイ
 8月26日(土)曇り、一時薄日射す。涼。

 日頃、時事ネタが多くなってしまい、つい肩に力が入ったお話ばかりになので、今日は、軽くフォートエッセイとしてみました。

 先日の23日(水)は朝から良く晴れた良い天気であった。家人が久しぶりの二連休がとれたというので、ちょっと車でひとっ走りしてみることにした。
 どこにしようか?夏、やはり海が見たい。この間は日本海をみてきたので今度は太平洋にしようと大きくきめた。家人は別にどこでもいいのである。
 我が家からの最短距離の海岸は国道52号線(富士川街道)を下った興津海岸、清水港あたりとなる。

 そうだ、清水港へ行って清水の次郎長旧跡でも尋ねてみようと思った。先日、破壊王子様のブログ記事
hakaiouji.cocolog-nifty.com/koya/2006/08/post_28de.htmlで、次郎長が賊軍(幕府軍)の戦死者を、官軍のお達しで放置しておくように命じられていたのを、無視して手厚く壮士の墓として弔った事跡を紹介されていたのが頭のすみにあった。

 8時過ぎに家を出て左に富士川の流れを楽しみつつ、走ること2時間余り、清水市に入った。駅周辺は、街路整備が進みなかなか綺麗である。30年前に通りかかった印象とは大違いである。そこを走り抜けて清水港に出た。

 車を清水エスパレスの駐車場に置いて歩き始めた。一帯は横浜のベイエリアを縮小した感じで様々な大きな遊戯施設や何やかやが建っていて賑やかである。

 だが、めざす次郎長旧跡関係の案内標識がどこにも見当たらない。前日インターネットで調べておいた案内図を車の中においてきたのだ。ままよとうろ覚えの頭の中の図を頼りに歩きはじめた。 

■ 清水港の一部(次郎長の頃は海?)          ■次郎長生家傍の橋から
   

■ 次郎長商店街(次郎長の生家はこの一角にある)  ■次郎長の生家、間口二間半と案外狭い
     

■居間、6畳ぐらいか床の間に大小が飾ってあった。  ■次郎長一家の集合写真 
   

■晩年、次郎長が営業していた船宿(復元)
             

ー 写真コメントー
■次郎長生家傍の橋:この橋の向こうに見える水面は往時のままらしい。この河岸          に沿った右側50mぐらいのところに次郎長商店街がある。
          橋を左に渡った左側に、下の船宿がある。さらに、まっすぐいくと最初の清水港の風景となる。

■ 次郎長商店街:水曜日のためか、どの商店もシャッターがおりている。

■ 次郎長の生家:海道一の大親分の生家としては、間口二間半と案外狭いのに驚いた。この家は、ほとんど当時のままという。井戸があった。しかしここは海岸から僅か50m近くしか離れていない。井戸水が塩っぱくなかったか気にかかった。

■ 居間、6畳:手前、写真の女性は、次郎長の恋女房お蝶さん。床の間に大小が飾ってあった。掛けかたが逆さまではないだろうか。

■ 次郎長一家の集合写真:左から三人目が次郎長、麻生外務大臣に似た感じ、口元がへの字にひんまがっている。声も麻生大臣に似たしわがれ声ではなかったかと想像してみると何だか可笑しかった。広沢虎三ならそっくりだったかもしれない。

■ 晩年、次郎長が営業していた船宿(復元):現在は、次郎長記念館になっている。なかで、遺品、関係資料が展示されている。二階で英語塾を遣っていたというのが面白い。この、船宿へは、晩年の徳川慶喜が時々写真を撮りに来たときなど休憩したように聞いた覚えがあるのだが…。

 結局、侠客稼業は明治維新前の若い頃のことで、後半生はその頃の人脈を利用しての港湾警備、船宿等を正業として案外手堅く、人情に厚く人望があったようである。虚像と実像、実像はやはりじみなものであることを実感した。

 思うのは、現在の裏社会の強大さである。何々団、何々一家と呼ばれる大親分の邸宅は皆、要塞のようだと聞く。それに比べれば、江戸時代の大親分の財力なんてのは、高の知れたもののようである。案外、江戸時代は裏社会の存在を許さない、現代にない何かがあったのであろうか。

 それにしても暑かった。夏の真昼の街ち歩きは、もうこりごりだと思った。
 太平洋岸は、一面海岸が護岸や、巨大な建物の連続で白砂青松の海岸なんて夢幻のごとくどこかへ消えてなくなってしまったようである。
 そんなわけで、壮士の墓は河ごしの護岸の向こうにそれらしい松の木立の一郭を望見しただけで、清水港を後にした。
 

喧嘩天才!、小泉首相の深謀遠謀ー靖国参拝に拘る魂胆とは?ー

2006-08-26 02:02:36 | 時事所感
8月25日(金)晴れのち雨。暑し、雨後涼。

 小泉首相が、首相就任当初から8月15日の靖国参拝を公約に掲げ、その実行に拘るのを、私は「何故なんだろう?」と思ってきたが、愚かな山家の隠居にも、ここえきてようやくその魂胆が、少し垣間(カイマ)見えてきたようだ゛。
 
 それは、今回、公約どおりイタチの何とかで8月15日にお参りした結果、その直前までに比べて、見事に首相参拝を支持する人が反対派を上回ったのを見たからだ。

 小泉大宰相閣下は、最初から、この問題を真正面にかざす事により、中国、韓国を怒らせて何かを言わざるを得ないように、挑発するのが狙いだったのだ。
 そこには、戦後の宰相の中では天才的ともいうべき喧嘩宰相の深謀遠謀が隠されていたのだ。

 案の定、中国、韓国はコブシを振り上げざるを得なかった。「A級戦犯はダメだ!それだけはやめてくれ」と。

 すると、国民世論の一部が即反応した。「冗談じゃない。何でお前らにそんなことを、ガタガタ今更、言われなきゃならないんだ!これは、日本人の心の問題だ。この国では死んだらみんな神様になるんだ。それを拝んで何が悪い。一体いつまでそれを言えば気が済むんだ。」と。
 
 そして、これらの人々が、声高に次に言い始めるのは、これだ。

 「北朝鮮の拉致だって、テポドンだって、ロシアの日本漁民銃殺だって、竹島だって、尖閣諸島問題だって、根は一つ。
 日本の軍事力がひ弱だからだ。だから奴らに舐められっぱなしなんだ。
みんな、もうそろそろ9条なんかにしがみついてないで、あんな紙切れ破いてどぶに捨てちゃえ。
 自衛隊なんてケッタイな、得体の知れない名前なんか捨てちゃえ。正真正銘の国軍にしてしまえ。
 やられる前にやっつけるだけの力をつけろ。国防省で何が悪い。
 国防省である以上、原則徴兵義務を課すべきだ。ニートとかフリーターとか言ってる連中をひっぱてきて、性根をいれてやるのに一石二鳥ではないか…」と。

 これを聞いて、大宰相閣下は公邸の独り座卓でニンマリだ。
 「どうだ、俺様の狙いはピッタリじゃあないか。これで、安倍坊やが憲法改正しやすい地ならしはできたな。」と。
 そして、グラス片手にプレスリーのCD聴きつつ、うっとり夢見るのは、
『憲法改正した暁には、晴れて堂々とブッシュ、ブルドックとお手てつないでどこまでも、怖いも無しで世界の戦場股にかけて闊歩できるではないか。
 もう、イラクでの他国の軍隊にガードされての惨めな派遣なんて真っ平御免だ。
 これで始めて、経済力に見合った金も血も流せる普通の国家らしい国際貢献ができるのだ。
 これでやっと日本の戦後が終わるのだ。
 これでやっと戦前並みに戻れるのだ。
 これでやっと靖国の英霊を安んずることができるんだ。
 もうこれからは、中国にだって、韓国だって、ガタガタ言いたい放題は言わせないぞ。やるならやってみろ。もう一回満州取られて欲しいか?
 ロシアだってなんだ。北方4島なんてけちな考えもう捨てた。千島はおろか樺太だってわが領土だ。力ずくでもとりかえしやるぞ。…』と。

 独り夜酒は悪酔いのもと。こんな夢をもうつらうつらとご覧になっているのでは…。

 さて、お立会い、ここまで見えても、賛成派の皆様は、またぞろ、性懲りも無く、ブレーメンの笛吹き(軍事力信奉政治利権屋)に軽々、踊らされて、いつか来た道、母さんと飢餓と焦熱地獄の獣道へ好んで迷い込みたいのでしょうか?

と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

小泉首相、靖国参拝賛成派は何故増える?

2006-08-23 23:10:48 | 時事所感
8月23日(水)晴れ。蒸し暑し。

 今、若い世代ほど、首相の靖国参拝に拍手する者が多いという。
 日経BP社コラム、花岡伸昭氏のコラムから引用させていただくと、次のような数字が示されている。

『我々の国はどこに向かっているのか第22回http://www.melma.com./backnumber_142868/ 
もはや政治問題ではなくなる「靖国」  
…NHKが当日、特別番組を組んだが、番組中に行った調査では参拝賛成67%、反対37%である。ほかのメディアの調査でも、読売(支持53%、不支持39%)、毎日(評価50%、批判46%)、日経(賛成48%、反対36%)、共同通信(よかった52%、すべきでなかった42%)など、おしなべて肯定派が上回った。靖国神社には25万を超える人が訪れた。「8・15参拝」を支持するサイレントマジョリティーは明らかに存在すると見ていい。…』

 何故、若い人に賛成が多いのだろうか。
 私はその主な理由は次のような状況によるのではないかと思った。


 一つは、戦後の歴史教育のあありかたではないだろうか。
今の5、60代以上の世代は、私を含めて、戦後の民主主義教育の中で、戦争反対をある程度徹底的にインプットされてきたといえるのではないだろうか。その代表選手は大江健三郎氏であり、井上ひさし氏の発言に見られるとおりである。
しかしその後の世代の人々は、それへの反動としてか徐々に日本見直し論に染め上がりつつあるのではなかろうか。特にこの世代の人々が、現在の20台の人々の教師層の中核を形成しているのではないかと思える。

 二つめには、戦争体験の希薄化である。
5、60代以上の我々の世代は、戦争体験が直接、間接に僅かでもある。父母、兄弟、伯父伯母等を戦争で失った体験。父母、祖父母から身近に聞かされた戦争被害の悲惨さ等を、繰り返し聞かされることによる、戦争の恐ろしさや悲惨さについてのある程度の実感がある。
 しかし、40台以下、20台にとってはもう他人事である。
大方の人々にとって、物事は実体験を通してでなければ絶対に現実感のある理解はできないのだ。

 三つめには、経済のグローバリゼーションである。
今の若者のニートの問題、中高年を襲うリストラ、生活の基盤である経済活動のすべての問題の背景には、経済のグローバリゼーションがある。
 中国、韓国の低賃金が日本の労働環境を悪化させていることは、誰の目にも明白だ。いわば最大の脅威であり、競争者である。そのような存在に対して、潜在的かつ漠然とした憤懣の感情、もっと言えばある種の敵意を持ちえても、相手の立場に立った寛大な共感は持ちにくい。
 全ての歴史上の戦争は、結局のところ縄張り争いであり、餌の分捕り合いが原因である。

 四つめは、やはり中国、韓国の日本への態度である。
日本の若い世代から見れば、いったいどれだけ中国や韓国に頭を下げれば、相手は気が済むんだと問い質したくなるということである。
 それもあの悲惨な戦火の中を何とか生き残った、被害の当事者が直接に言うのならまだ理解できる。ところが、お互い当の当事者はほとんどがもう他界してしまっているではないかということである。

 被害者の方にも被害体験が実体験に基づいていないと、説得性に懸け、文字情報やプロパガンダによる観念的なものが多いことである。しかも、自国の内政への民衆の目の矛先を、国益の取引の条件に使っていると伺えるからである。
 これらを勘案すると、今の若者の物の見方、考え方を一概には、否定できない面があるということである。

 そして、中国や、韓国にとっても、あまりにも執拗に日本の戦争責任を追及することは、窮鼠猫を噛むの譬えどおり、日本の戦争を知らない世代の反発を招き、眠っているナショナリズムの炎に油を注ぐこととなり、現状以上に両国関係を悪化させ、何の利益にもならないのではなかろうか、ということである。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

猿の襲来!-トウモロコシが食荒らされた-

2006-08-20 19:32:55 | 日常雑感
8月20日(日)晴れ、夕立あり。暑し、雨後涼。

今朝、「ほら、見て、猿が来てる!トウモロコシを食べている!」。
戸襖の向こうで叫ぶ、家人の声で目が覚めた。
 
 ベットから飛び起き、急いでカーテンを手繰り、庭先を見下ろす。居た、居た猿が居た!
 
 芝庭の先の5、6坪足らずのトウモロコシ畑で、何頭かの猿が黙々と、手当たり次第に手折ってはぱくついていた。

 こちらの二階の窓から「こらー!」と大声で叫んだ。だが、彼らは馬耳東風ならぬ猿耳北風である。
 
 急いで階下に降りて、サンダルをつっかけ庭箒を手に駆けつけた。敵は、一目散に前の赤松の疎林に逃げ込んだ。
雑木の梢が漣(サザナミ)のように揺れている。次々に枝渡りしながら、朝の戦果を誇っているのだ。

我が丹精のささやかなトウモロコシ畑は無残だった。そこら中にトウモロコシの皮と、きれいに実を齧ったあとの芯が散乱し、茎が、いたるところでへし折られていた。

私たちの取り分は、ほとんど残っていない。
せめてもの慰めは、先日来、家人が少しずつ収穫して、その味を賞味してくれたことだ。
 
 傍に立った家人が呟やく。「凄いね。これがお百姓さんだったら、大変ね。」と。
本当にそうだ。遊び半分に作ったものだから、こんな暢気な気分でいられる。
これが、生活をかけた市場への出荷物だったら堪らないに違いない。

 それにしても、我が家の庭先にまで猿軍団がやってくるとは、どういうことだろう?
なるほど、ここから4、5キロ先の山続きの集落では、彼らをよく見かける。

 しかし、車の往来の多い広域農道と、広い畑で山麓から距離のある離れ島のような疎林の縁に位置する我が家まで、猿たちはどうしてやって来たのだろうか?

 今年の長梅雨で、彼らの食餌環境に大きな異変が起きているのだろうか?

 赤松の林の奥で、「ドカーン」と、獅子脅しの音がした。雑木の梢の漣はとっくの昔に消えていた。


生活保護費、横領公務員の心の闇?

2006-08-20 01:33:26 | 時事所感
8月19日(土) 晴れ、暑し。

 先日、京都市で、生活保護担当の公務員が、保護費を横領していた事件が報じられた。しかも、近年同様の事件が、他でも多発しているという。

 その背景には、公金の取り扱いの杜撰さ、担当者が定期異動で頻繁に替わることにもあると、記者はコメントしていた。

 私は、京都と聞いて直ぐに、先日の温情判決事件を思い出した。痴呆の母の看護で疲れ果てた息子が鴨川堤で親子心中を図った。しかし、彼は死に切れず被告人となり、執行猶予の判決を受けたのだ。
 彼は生活の行き詰まりから思いあぐねて、生活保護の相談に行った。ところが、にべもない門前払い同然の仕打ちだったという。

 その陰で、自分の横領のためには、使わなくてもいい悪知恵を、目一杯働かせたのだ。
 他の経理・会計部門とか、日頃人の顔より数字とお金をにらめっこさせられているのなら、まだ理解できる。

 それが、様々な事情で生活苦に喘ぐ住民を支援すべき、福祉の現場で、このような犯行を犯すとは、何てことだろう。

 私も昔、公務員初級試験に合格したとき、自分の貧しい生活を省みて殊勝にも一度は、福祉部門を志望した。しかし、その直後、現業部門の手当ての良さに惹かれて、たちまち宗旨替えした後ろめたい経験がある。

 だが、その後、研修やその他いろいろの機会に、福祉部門で働く職員といっしょになったことがある。その際、私は同じ公務員でありながら、一種の羨望の眼差しで彼らの仕事の話を聞いた。

 ところが、意外だったのは、ほとんどの者が、困っている人のためになんて、そんなロマンチックな意識を持ってはいないのだ。

 むしろ聞かされるのは、仕事で訪問する家庭での、家族関係や生活の乱れぶりの特異性ばかりであった。言外に、うんざり、どうしようもないよという諦念の思いが伝わってくるのだった。

 その後、厚生事務次官の「ゴールドプラン」汚職事件が大々的に世論を賑わした。
 彼も若き日には、自らの貧しい母子家庭を鑑みて、福祉行政に情熱をもって立ち向かったと聞く。

 その彼が、存分に役人として日頃の抱負を実現できる場に立ちながら、役人として、尤も恥ずべき収賄事件を、何故犯してしまったのか。

 私は、これらの見聞から、今では、私の如き欲深く心弱き者が、福祉の仕事などに就かなくて良かったと思っている。

 思うに、日々弱い人々に接して、法に基づいて定められた措置を執るにすぎないのに、それが何か自分の力でしてやっているような、思い上がった、傲慢な気持ちに知らず知らずなっていくのではないだろうか。

 生活に困って窓口に来る方々は、どうしてもお願い口調で担当者を仰ぎ見る視線になるのではないだろうか。それが相手の公務員の意識を錯覚させるのだ。

 生活弱者への公金、その貴重なお金を横領する行為、言語道断の所為である。
 だが、その背景に潜む人間心理の綾には、深い闇がある。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

平和日本の象徴、“高知よさこい夏祭り!”

2006-08-18 01:54:20 | 日常雑感
 8月17日(木)終日、雨、時に激しくまた静かに。

 夕食後、何気にTVのチャンネルを回したら、えらく景気の良い祭囃子が流れてきた。
NHK、BSハイビジョン、“高知よさこい夏祭り”である。

 見ていて実に楽しかった。日本の代表的な祭りには秋田のねぶた祭り、博多どんたく、京都祇園祭と伝統華麗なその地独特のお祭りは数々あれど、それらは皆当然ながら原則として土地っ子しか参加できないのが建前である。
 ところが、このお祭りは、下記案内文のとおり地元のみならず日本全国から参加自由なお祭りなのである。

『よさこい祭りは毎年8月9日(前夜祭)10日、11日(本番2日)、12日(後夜祭・全国大会)の4日間、高知市内9カ 所の競演場・6ヶ所の演舞場で150団体、約16,000人の鳴子を持った踊り子が工夫を凝らし、地方車には華やかな飾り付けをして市内を 乱舞する土佐のカーニバルである。この祭りには、全国的な不況の中、戦後の荒廃した市民生活が落ち着きを見せ始めた昭和29年8月に不況を吹き飛ばし、市民の健康と繁栄を祈願し、併せて夏枯れの商店街振興を促すため高知商工会議所が中心となり 発足した。昭和29年の第1回の参加人数は750人参加団体は21団体。その後、第30回にはついに踊り子人数1万人を突 破し、”よさこい”は絶えず新しいものを取り入れ、チームの個性化はますます進んだ。伝統的な音楽からロックのバンド演奏 が増え、髪型や衣装も派手さを増していった。振り付けもサンバ調、ロック調、古典の踊りと工夫を凝らしており、見物人を飽 きさせない祭りである。』  

 地元の人は、家業の傍ら一家総出でこの祭りに取り組むのである。京都から60人もの大人数で参加するメンバーのために、自分の寺院を無料で宿泊させ面倒を見る住職親子。
 四国四十八箇所霊場巡りでお接待に慣れた優しい土地柄のゆえか、今時珍しい大らかな話である。

 様々な衣装、歌詞、踊りが実に色彩豊かで変化と独創性を競い見るものを、文字どおり厭きさせない。
 見ていて、ふと北朝鮮の一糸乱れぬマスゲームを思い出した。
 
 だがあちらは強制とされてか、とにかく政権のプロパガンダを担わされる存在でしか過ぎない。その陰には、どれほど過酷な訓練が課せられていることだろうか?

 それに反して、日本は全国からの個人の自発的な参加でしかない。それが、今や日本全国からの応募者で大変な混乱を来たす状況であるという。
 そして、ここに見て取れるのは、画一的と言われる日頃の日本人に反して何と独創性に富み工夫豊かなことであることか。

 このような、いきいきとした若者らしい姿で、高知の街は、はちきれんばかりである。これ以上の平和日本を象徴するイベントはないのではなかろうか?

 そこには、ニートとか何とか言われる日本の若者を包んでいる暗い影は微塵もない。中国だって韓国だって、それらの国人がこの若者たちの姿を目にしたら、どこに再軍備だの、右傾化だの軍国主義に奔る姿を見出しえようか?
 
 今や、この踊りは、遠くアフリカはガーナにまで飛び火しているという。
 今日、高知のよさこい振興会のホームページを見たら、この十月には、オーストラリアのシドニーに、主要なイベント、ととして招かれているとか。

 この祭りに、今に、世界各国からの参加者であふれたらどんなにいいだろうかと思った。ロシアのコサックダンス、リオのサンバ、スペインのフラメンコ等々。

 いつか機会があったら、ぜひ、1800円払っても沿道の特設桟敷で得と見物してみたいと思った。

国境の非情と虚しさ―ロシア国境警備隊、日本漁船銃撃、不当性への怒り!―

2006-08-17 00:28:07 | 時事所感
8月16日(火) 曇りのち晴れ。

 今日、16日は、日本では、お盆で帰ってきた先祖の御霊を、またあの世に送りかえす、灯ろう流しの日だというのに、その日本の伝統習俗をあざ笑うがごとき、野蛮な事件が起こった。

 ヤフーのニュース記事には、次のように報じている。

 『麻生外相、謝罪と遺体の引き渡し求める…漁船拿捕事件
 北方領土の周辺海域で日本漁船がロシア国境警備隊から銃撃を受け、拿捕(だほ)された事件で、日本政府は16日、外交ルートを通じてロシア政府に厳重に抗議し、<1>死亡した乗組員の遺体の速やかな引き渡し<2>他の乗組員、船体の即時解放<3>銃撃した人物の処罰――を求めた。
 しかし、ロシア側は、漁船がロシア領海を侵犯したとし、正当な対応だったと主張した。
 麻生外相は16日夕、ロシアのガルージン駐日臨時代理大使を外務省に呼び、「日本の領海内で起きた事件であり、容認できる話ではない。日本人の生命が失われたのはゆゆしき事態だ」として、謝罪と遺体の引き渡しなどを求めた。
(読売新聞) - 8月16日20時53分更新』
 
 現場海域は、日本が固有の領土と主張している微妙な海域だと言う。しかも、両岸から目視できるこの海域では,このような事件は無かったという。
 「安全になれていたんでしょう」と関係者の一人がコメントしていた。

 ここに見て取れるのは、プーチン政権下のロシアが、強権的、力ずくの政治体質がソ連時代と何ら変わっていないことを示してる。
 北朝鮮の武装快速艇ではあるまいし、丸腰の密漁船をいきなり銃撃して乗組員を射殺するとは、許しがたい蛮行ではないか?

 こういう事件が起きてみると、すぐに頭をよぎるのは、日本の軍事力の弱さである。日本が戦前のような軍事大国なら、よもややすやすとこんなに、セイウチかアザラシでも撃ち殺すような手荒な真似はされまいということである。
 このようなロシアの仕打ちが、隣国としてロシアが警戒してやまない日本のナショナリズムを激発、誘発し、日本を再び軍事大国化しようという動きに繋がること、それは結局ブーメランとなって、ロシアへの脅威になることに、何故、気づかないんだ?
 まさに大国の傲慢ではないか?

 しかし、だからと言って、日本が軍事大国への道を歩む愚は、今こそ、厳に捨てなくてはならないのだ。力に対して力で対抗したのでは、永遠の血の池地獄の繰り返しだからである。
 飽く迄も、辛抱強く国連を舞台とした平和外交に徹して、世界各国から重きを置かれる国家を、歯をくいしばって目指さねばならないのだ。

 そして、思うのは「国境」と言う、人間同士がお互いの勝手で決めた目には見えない線のことである。

 この「国境」というもの、所詮、男同士の、いやもっと端的に言えば、獣としてのオス同士の餌場を巡るテリートリーにすぎないのではないだろうか?
 何故ならば、世界中で男と女の間には国境なんて無いも同然ではないかということである。

 あのシベリアに抑留された人たちの中にさえ、現地のロシア女性と一緒になって、そのまま帰国しない人のことも報じられている。フィリッピン、インドネシア、タイ、ミャンマー、その事例には事欠かない。

 イタリア映画、「ひまわり」(1970)では、ソフィア・ローレン演じるジョヴァンナの夫が、ソ連の地で敗残兵となり凍傷にかかり死に掛けているのを、ロシアの若い娘に助けられ、記憶喪失もあってそのまま、彼女と結婚して幸せな家庭生活を営なんでいる…そこえはるばる、イタリアから夫の死が信じられないジョバンナが、苦心惨憺の果てに尋ね当ててきて、その幸せそうな様子をみて、黙って帰っていく悲しい戦争に引き裂かれた愛の物語もある。

 近年の、日本人男性が中国や、フィリッピンから外国人妻を娶る例も年々増えている。
国境は、男と女の間では、言葉と習慣の違いを乗り越えれば、あとは、入管に伴う若干の法的手続きが残るだけである。

 ところが、これが男同士の国境となると、越えた、越えないで命の遣り取りとなるのだ。
 考えて見ると、なんと虚しい争いを、男同士はやらなきゃなんないだろうか?
 これを、イスラエルとレバノンでは、国を挙げて何十年もやっているのだ。
 たかが餌場の取り合いと見定めれば、もう少し人間らしい智恵のあるやり方があるのではなかろうか?

 それとも、餌場の奪い合いであればこそ、自分たちのDNA存続のために命を懸けて血で血を洗わないと永遠に収まりがつかないのだろうか?

 見ていると、世界は開拓期のアメリカ西部、無法なガンマンの世界と何ら替わるところが無いように見えてくる。
 一体、いつになったら、世界は、ワイアット・アープ(1849~1929)のような強い保安官を持ち、お互いが穏やかに、短い人生を全うすることができるようになるのだろうか?

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?

小泉総理、8.15、靖国参拝!-いたちの最後っ屁か道切りか?

2006-08-15 12:14:40 | 時事所感
8月15日(火)晴れ。

8時過ぎ、居間に下りていくと、家人が、「小泉首相が靖国にお参りしたって、今まで中継してたよ」と告げた。

やっぱりそうかと、私は思った。家人の好きなNHKの連続ドラマが終わったところで、チャンネルをスパモニに換えた。加藤紘一と上坂冬子が特別出演していた。ここでも靖国問題で持ちきりだ。

ここで目に止まったのは、東条英機の孫(老婦人)が出てきて、祖父が祭られて当然だ、分祠なんてとんでもないと言う趣旨のことを述べていた。祖父の戦争責任なんて豪も感じていない様子である。あの戦争は国民全体の意思でやったこと。祖父はその先頭に立って一生懸命国家の難局に当たっただけだと言いたいのだろうと感じた。
『生きて虜囚の辱めを受けること無かれ!…』と、その祖父が戦陣訓を強要し、戦場へ動員した幾百万の兵士が、その言葉のマインドコントロールにかかって、南の果ての孤島で、ジャングルで餓死したことの因果関係など、全く顧慮のそとなのだ。

私は、大きな違和感を感じた。彼女の側に立てば、終戦までは、祖父のことを、散々頼りにしておいて、いざ負け戦となったら手のひら返したように、その事跡を貶めて恥じない国民世論の浮薄さに対する、身びいきからの頑なになりたい気持ちは理解できなくはない。しかし、政治家、指導者とは結果責任を問われるものである宿命を何故、冷静に受け止め、せめて黙っていられないのかと思うのである。

それに反して、初めて音声だけで答えることを承諾した、文官として一人絞首刑に処せられた広田弘毅元総理のお孫さんは、祖父が靖国に祭られていることは、祖父の心に反することであり心外だ、速やかに取り下げて欲しいとの趣旨を語られていた。
こちらは、城山三郎の小説「落日燃ゆ」を読んで深い感銘を受けた覚えがある。その人に相応しいお孫さんの発言と感じ入った。

その後、小泉首相の記者会見が始まると言う。NHKに切り替えた。
今日は、モーニング姿で、いつもの無表情の顔がマイクの前にあった。会見の内容もいつもの決まり文句の繰り返しである。

「一つ不快なことがあると言って、首脳会談を拒否する、分かりませんね。じゃあ、もし、こちらが安保理入りを拒否する、中国や韓国が不快だからといって小泉が首脳会談を拒否したら、なんと思います?私をおかしいと思うでしょう。私は、日中友好論者であり、未来志向で行こうと、言ってんるんです。よく、ではアメリカが行くなと言ったら止めるのかと言われるが、そんなことはない。ブッシュが行くなと言っても私は行きます。」と。

ならば伺いたい。友好論者なら何故、相手がもっとも嫌うこと、相手がこれはどうしても、中国・自国の国民感情を考慮して、譲れないとすることを何故敢えて、それでも固執するのか?
 しかも、何故、今年に限り8月15日なのか?これに対しては、いつ行っても批判は同じなので、それならと今日にした、とのことであった。

 これを、いたちの最後っ屁と言わずしてなんと言うべきか?

 いたちの最後っ屁、念のため辞書にあたってみたら、
①イタチが敵に追われる時、悪臭を放って難を逃れる。
②転じて、切羽詰ったとき非常手段を用いること、また最後の最後に醜態をえんじること、とあった。

 それからまた、これに関連して、いたちの道切りという俚諺(リゲン、コトワザ)があることを知った。こちらは、いたちは、同じ道を通らないとのことから、いたちが目の前を横切ると別れの不幸な予兆とされた、とあった。

 果たして今回の参拝の影響は、近隣諸国への小泉内閣が放った最後の悪臭であり、子供の喧嘩じみた大国の宰相にあるまじき醜態であり、アジア諸国への外交的別れの予兆とならなければ幸いである。

と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?