蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

第44代オバマ大統領の就任式実況中継を視る。-人類史に進化を期待できるか?-

2009-01-22 11:53:32 | 時事所感
1月21日(水)曇り後、夜半雪。

昨日、深夜、1時~3時、NHK総合で第44代オバマ大統領の就任式実況中継を視た。
  中継のためかアナウンサーや同時通訳の音声ばかりが耳について、200万も集まっているとう大群衆の歓声やドヨメキが直に伝わって来ずもどかしさを感じた。
  そのせいか、昨年11月、大統領に選出が決まった瞬間のような興奮が伝わってこなかった。

  とは言え、やはり、世界一の大国アメリカで黒人の大統領が初めて実現したという歴史的事実は凄いことだ。
  就任演説聴いていても、選挙戦での聴くものを興奮させ、夢に誘うようなものとは、がらりと変えて、アメリカ建国以来の苦難にいかに先人たちが勇気と犠牲をもって打ち勝ってきたかに思いをいたさせ、今直面している様々な困難な局面に、一致団結して、世界中の敵対関係にある人々とも粘り強く話し合って打開し、未来の子孫にこのように今の私たちはやりぬいたのだと伝えていこうではないかという、国民を、現実に直面させ立ち向かう勇気を喚起しようとするものだった。

  それは、前任者ブッシュ大統領との何と際立った世界観の違う全人類的な視野に立ったものだった。まさに夜郎自大アメリカとの決別宣言だった。

  最近の世界の動きを見ていると、人類は本当に歴史的に進化していくのかと懐疑的にならざるを得なかった。
  しかし、今回の世界一の大国に黒人大統領が選出された事実を前にすると、やはり、人類の歴史に明るい未来と理想の実現が期待できるのかなと思えてきた。

  新大統領の演説からは、絶望的に思ってきた核廃絶にも、地球温暖化にも、世界各地での紛争の解決にも時間は掛かるにしろ何か前向きな期待が持てそうである。

  そしてさらに、オバマ新大統領がこれまでの政治家との違いを際立たせて、人々に期待をいだかせるのは、権力者として雲のうえで君臨するのではなく、自らを今回大統領の座に押し上げた草の根の声を引き続き大切にして、インターネットを通じて、(※ ハウスミーティング、地域の支持者が近所の住民を自宅に集めて、身近な問題を話し合って、その結果をオバマ大統領のホームページに伝えるというものらしい)直の大衆の声や思いを常に自らの身近に聴けるような仕組みづくりをしていることである。

  物事は、それが起きるまではそんなことが起こりえるものではないと思いがちである。だが、一たびそのことが現実のものとなってみれば、今度は、それが当然のことのように思えてくる。
  今回の、黒人大統領の出現もも同じである。
  冒頭、昨年の、選出の際に感じたほどの感動を、私が、今回は、さほど感じなかったのは、早くもそれが既成事実になってしまったからであろうか。

  何はともあれ、現下の大不況下にあって、オバマ大統領旋風が確かな春風になってほしいものである。

女の時代!?―女侠客、追分のお侠?―

2009-01-12 19:04:51 | 日常雑感
1月12日(月)曇り時々小雪、時に薄日差す。

  昨日、何気なくTVを視ていたら全国都道府県対抗女子駅伝を報じていた。京都が五連覇の優勝とのこと。
その大きな要因が双子の中学生だという。しかもその一人、久馬萌さんは区間新記録とか。凄いものだ。
  これに反して、先日の男子、箱根駅伝では、低血糖症で脱落した選手が泣きじゃくる姿をみたばかりだ。
  京都の女性は、私にとって長年その優しい京都弁とともにあこがれのまとだった。その優しさの象徴のような京都の女性チームが5連覇もしていたとは、まさに私にとって衝撃の事実だった。
  昨年のオリンピックを見ても女子ソフト、バレーボール、サッカー、レスリング、柔道と女性の活躍ばかりが記憶に残った。
 
  ところで女性が活躍というか、元気な時代は、どうも世の中の乱れと関係があるようだ。

  というのは、先日、BSで珍しく東映時代劇、天保水滸伝をやっていた。今から見れば豪華絢爛キャスト。美空ひばり、市川右大衛門、片岡千恵蔵、東千代助、中村錦之助…。話はご存知、笹川の繁蔵と飯岡の助五郎の利根の河原の大喧嘩である。

  この映画では、飯岡の助五郎が笹川の繁蔵に殺されてしまうのだが、どうも私が前に読んだ史実とは違うようだ。
  そこで気になってグーグルで検索してみたらやはりそうだった。笹川の繁蔵は38歳で飯岡方の闇討ちにあって殺されていた。助五郎は近隣の人望も厚く六十余歳の天寿を全うしていた。

 そのついでに、「酔雲庵」さんのブログ、創作ノートに今川徳三著『新・日本侠客百選』の記述が目に止まった。
 それを見て驚いた。何と100選の名の知れた侠客の中に女性が3人もいたのである。 
 中でも私が興味を惹かれ想像をたくましくさせられたのは、追分のお侠という名であった。1820年頃(文政年間)の生まれで男装して、ドスの利いた声には東北訛りがあり、剣の腕前は相当だったとか、だが武蔵妻沼の祭礼賭博の縄張り争いの喧嘩に巻き込まれ重傷を負って亡くなったという。

 そこで歴史年表をめくってみると、1837年から翌々年にかけて奥羽地方では飢饉が頻発して餓死者や流民が多数発生したとある。
 このお侠さんも多分その奥州地方から食い詰めての流民の一人あったのではなかろうか。
 江戸末期、このように博徒が跳梁跋扈した背景は、江戸幕藩体制の弱体化、支配階級たる武士層の気概や実力の劣化によるところだという。
 逆に庶民の側では、養蚕が盛んになり、その担い手である女性が金を握り、その金を持ってお蚕の時期が終わると、みんなで大山詣でとか称して、一月近くも物見遊山の旅を楽しんだとか。男はその間、留守番とか、いわゆる群馬のかかあ天下はこれに端を発するとか…。
 そんな女性客を相手に女博徒も商売がしやすかったのではないだろうか…。
 
 ともあれ、今、活躍されている女性たちと、江戸時代の女博徒と一緒にして論じては誠に申し訳ないが、政治権力機構が腐敗堕落した江戸時代末期にも、まるで今はやりの劇画か漫画にみるような男装の女侠客が跋扈していたとは、なんとも面白いものではないか。
 否、鎌倉幕府崩壊の危機に際しては、尼将軍政子が、室町幕府騒乱の際には日野富子が等々。 これらを鑑みれば、今の女性陣の活躍振りは、まさに男性中心の政治機構支配システムが腐敗弱体化しているなによりものあかしではないだろうか。

  幕末、各地で博徒が跳梁跋扈して庶民を悩ませていた後、西郷隆盛、坂本竜馬、大久保利通というような維新の志士達が登場するには2、3十年を要している。果たして今の私たちは後何年待てば、今回米国人が選んだ未だ未知数とはいえ、何かを期待させるオバマのような一国のリーダーらしい頼りになる指導者の出現をを期待できるだろうか。

即刻、雇用法制を元に戻せ!―衆議院予算委員会中継を視て―

2009-01-10 01:25:56 | 時事所感
1月9日(金)雪後曇り。

 今朝、国会の衆院予算委員会中継を視た。
  民主党、枝野議員の後半の質問が好かった。内部留保金1兆円余りを溜め込みながら、年間1千億の人件費を削ろうとしてこの寒空に情け容赦なく派遣切りをするキャノン会長にして、経団連会長御手洗氏を参考人招致せよと迫った。
 1000人の従業員うちその4割が非正規雇用者によるという。景気の良いときは正規社員の何分の1かの人件費でコストを削り、それで巨額の利益を出す。一旦受注減となるや、足もとから火が付いたように、まるでそのままでは明日にも倒産する零細企業のように形振り構わず人を切る。

 何たる非情か。そこには剥き出しの視野狭窄の目先資本の論理しかない。この間、大企業の方が労働分配率を低減させて利益を積み上げているのに、中小零細企業の方が、労働分配率を高め利益を減じているという。

  一体、これら大企業の経営者が人切りに狂奔するのは何故なのか。
 その答えはこういうことだろう。利益を赤字にして株主配当を減らしたら真っ先に無能経営者として自分たちの頸が危うくなるからだろう。さらには、赤字となったのでは、功なり遂げての間じかに迫った自分たちの役員退職慰労金の減額も怖いのだ。

 こういう決定を苦渋の決断とかと嘯いて紙一枚送り付けて首切りに平気な連中は、自分達の子や孫に限っては絶対にそんな境涯とは無縁と思っているのだろうか。
 自分たちの安穏な生活を保障するために働いてくれた人間に対して、その人間一人一人に家族があり、生活があることを想像できないのだろうか。
 
  人生での、社会での勝者は、自身の成功の陰にそれに数倍する敗者のあることを忘れるのだ。見て見ようといしないのだ。
  生身の人間には、血も涙も怒りもある。そのたぎる血潮の体温を忘れ、何か無機物のように錯覚して切り捨てるならば、その返り血は決して遠くない将来、照準の外れた秋葉原ではなく、狙い定めて、己が頸を切り落とした者に的確に向かうだろう。

  そうなれば、この世はまさに乱世に突入する。今のイラクやアフガニスタンのようになりかねないのだ。そうなってからでは、企業活動もなにもかもあったものではないだろう。
 今の経営者層、政治家にには、想像力の欠如が著しいのではないか。
 御手洗会長は、今頃になって、「ワークシェアリングについても検討してみるべきだ」と寝ぼけたことを、おためごかしのように、いやいや呟き始めた。
 だが、これとて、その導入となると分業が進んだ今の時代、容易なことではないと専門家が言っている。
 
  今、我国では、不況不況とこの先それが10年もそれ以上も続くかのように大騒ぎである。だが、インターネットで海外に居る識者の方々の記事を読むと、そんなに悲観的なものでもなさそうである。
 アメリカはなんといっても国土広大、車が無くては二進も三進もいかない社会。いつまでも車を買い控えてはいられないとか。それに、失敗したとなったら前代未聞の黒人大統領を選んでそのもとで共和党も民主党もなく知恵者を集めて今後をどうするかと、ダイナミックに歩きだそうとしているではないか。
  今回の金融恐慌の震源地のアメリカに暮らす人々は、結構あっけらかんととして、我国でほどの悲観的で暗い表情は少ないとか…。

  我国だって、私には何処あるのかわからないが、国民の懐には1500兆円もの金があるという。その財布の紐をほんの少し緩める工夫を政府が行えば、今の世相はいくらかでもなんとかなるのではないか。
  とにかく人間は、いつまでもじっと座りへたりこんでなんかいられないのではないか。

  今我々が、思うべきは、同じ人間としてお互いが、安心して家族を慈しみ子を育てる社会をいかに守りより豊かにしていくことではないだろうか。
  そのために、もう少しお互いに、今日、自分達がこういうふうにしたら、明日、その相手はどうなるだろうかという想像力というか思いやる心を、今少しでも持とうとすることではないだろうか。

ハイビジョン特集、シリーズ東京モダン、「ナオキ」を視る。

2009-01-08 01:37:47 | 日常雑感
1月7日(水)

<番組紹介>から 
 ◆ハイビジョン特集、シリーズ東京モダン「ナオキ」後8:00~
『世界のドキュメンタリー、第一線級の監督が「現代ニッポン人」を見つめるシリーズ。
第2回は、「戦火のバクダットのホテルで外国人客にピアノを聴かせる音楽家の日々」を追った作品で注目を集めたイギリスのベテラン、ション・マクアリスター監督。日本人の滅私奉公ぶりの謎に迫るべく東京で心を開いてくれる人物を探し始めましたが、ついに出会った人物は山形で暮らす中年男性でした。40年前に東京で学生運動に身を投じ、のち事業で成功、バブル崩壊で転落、今はアルバイトしながら20代の恋人とアパートで暮らす男性。歳の離れた二人は何にひかれて共に暮らしているのか?男性が人生の中で大切にしてきたものは何なのか?監督もアパートに半ば住み込んで同棲生活に密着しました。』

この番組、偶然視た。近頃に無く見ごたえがあった。面白かった。哀切でもあった。このドキュメントの主人公「ナオキ」さんが、自身の過去と現在の暮らしの屈託、恋人との間の心理的葛藤を小説に書けば芥川賞ものになるのではとさえ感じさせられた。
 二人のそれぞれの生活の有り方やその間の心の行き違いに付いて、執拗に遠慮会釈なく疑問をぶつけ訊き続けていく撮影者。
 撮影者もまた、二人に絡み合って、自身の声や姿を現すことによって、このドキュメントの面白さというか深みを作り出しているのだ。

 それにしても男と女の関係ほど面白いものは無い。
 女の人というものはつくづく優しいものだと改めて思った。良い女の人には一々損得の計算がないのだ。確かに幼いわが子を川に投げ込むような恐ろしい女もいる。しかしそれは、極々稀な例外でしかない。

 これに比べて、男はどうだろうか。計算の無い良い男なんて我が身を含めて先ずお目にかかりがたいではないか。そしてすぐに奪い合い、挙句の果てが使い切れないほどの金を欲しがり、縄張りを欲しがり、殺し合いから戦争ごっこや勲章が大好きとくる。

 私は、これまでほとんど良い女の人にしか出会わなかった。みんな優しいひとばかりであった。だから女の人が大好きである。だから困る事が多い。このドキュメントの女性も良い女のひとである。

 最初の部分を視ていなかったので、二人の出会いは分からなかったが、多分、女の人が勤めている居酒屋へ「ナオキ」さんがフラーっと入ってきて、酒好きの二人で話が合って、行くあてのないナオキさんに何となく同情して、一晩の宿を貸したのが縁となったのではないだろうか。
 二人の関係を聞かれて、ナオキさんが答える。性的なものではないと。様々なストレスでお互いに駄目なんだと、父親と娘、兄と妹、家族のようなものだと…。
 言われてみれば納得できる気がする。一人暮らし人が猫や犬をわが子のように可愛がるように。
 それが、お互い人間であればなおいいわけではないか。
 心寂しい者どおし一人きりでいるよりは、二人でいることのほうがどれだけいいことだろうか。

 とは言え、二人はしょっちゅう喧嘩する。恐らく女の方としては、まだ若いのになんでこんな一文無しのおっさんと一緒にいなければならないのかと、そんな自分への自己嫌悪にかられることも時にはあるのではないか。
男は男でそんな自分の子どものような年齢の女の紐のような生活のあり方、さればといって生暖かいそこから女を振り捨てていけないやるせなさか。
そして、次第に生活苦から酒量が次第に増えていき、抗鬱剤に頼る女のひとの行く末をも案じての次第。自分が看てやら鳴ければという、女への愛…。

一方、若い女の人には近くにちゃんとした実家がある。そこへ男を伴って行きたいのだが、男は自分と同じ年齢の父親、しかも自分の置かれている惨めな状況を思えば会いたくなくて執拗に拒む。
そのことが元で二人は二週間も口をきかない。見かねた撮影者がとりもってついにナオキさんは父親に会う。会えばどうということはないのだった。

終わり近く、皆でカラオケに行く場面。視ていて救いがあった。
計算され作られたドラマよりも一瞬一瞬の会話にスリルと緊張感があってよかった。

ナオキさんは、一時は家を三軒も持ち居酒屋を経営し、700万円もの外車をキャッシュで買うほど羽振りのよかったときもあったという。
だが、バブルの崩壊で事業に失敗し、銀行も友人も親戚も金を貸してくれず丸裸になったという。
しかし、人生、所詮、貧乏するも、金持ち暮らしをするも一場の遊びと思えばどうだろうか…。

この世は乱世と思うべし!

2009-01-06 23:21:58 | 日常雑感
1月6日(火)晴れ、暖。

 正月早々、職場を追われ住む場所も無くなった人たちの一時しのぎの仮宿泊所の話が報じられる。

 これは、まさに乱世の世相ではないか?
 ある日突然首を切られる。寝首をかっきられるのだ。生きていくすべを突然に全て奪われる。これが戦国乱世でなくてなんだろうか?

 世襲貴族の民の暮らしを忘れた王朝貴族政治の機能不全から平安朝が崩れ源平争乱の世となった。室町幕府の身内同族政治の内訌からおよそ1世紀に及ぶ戦国乱世の世となった。

 今まさに国会議員の三分の一近くが世襲議員だとか。そのお育ち良さの中で冷たい世間の風向きに鈍感になったご連中が国政の舵を握っているのだ。右へ左へ蛇行運転もいいところではないか。
 大体がどこへこの日本丸を向けていいのかさえ見当がつかないのだ。そんな船に乗っかって生命財産を預けなくてはならない国民こそいい迷惑だ。

 だがそんな船頭を選んだのは我々自身なのだ。
 所詮、世の中の景気不景気を巻き起こしているのはお互い様の人間の思惑の集積ではないか。これほどあやふやなものはないのだ。
 野に棲む獣たちの世界には景気不景気は無いのである。

 そうと見極めてしまえば、株で損することも、いつ首を切られて路頭に迷わざるを得なくなることも、殺されることにも驚くことはないのだ。
 お互い人間が作っているこの世の中というものに、何か確かげな幻想を抱くべきではないのだ。

 もっと早くこのことに気づけばどんなによかっただろうか。齢60を過ぎて気がついて見たのでは後の祭りである。

 どうかまだお若い皆さんは「この世は乱世」と思い定めて、これからを生きていかれることをお節介ながら申し上げたい。
さすればいつ徴兵制がしかれてとんでもない外国へ戦争をしに行かされても、いつ年金や健康保険制度が崩壊しても、消費税が何十%になろうとも驚くことは無いのである。