蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

NHK、“ニュースウォッチ9”今夜の番組編集の無神経さ!―お犬様と日雇い派遣―

2008-07-30 23:54:29 | 日常雑感
 7月30日(水)晴れ、夜になって雨。日中暑し、夕方より涼。

夜、一日の締めくくりとしてNHK、“ニュースウォッチ9”を日課のように視ている。視ていていつも感じるのは、どのニュースについても、平板で通り一遍にしか感じられない。出がらしの番茶のようである。それでも、惰性のように、まーこんなものかと黙って視ている。
 
しかし、今日は違った。
 二番目ぐらいの話題で、日雇い派遣の見直しが始まったとのこと。37歳の男性が画面に出た。一年前に病気で会社を辞めた。それからズーっと日雇い派遣で生活しているとか。月収は、13万。安定した長期雇用の職場はいくら探しても無い。先のことを考えると、死にたくなることもあるとか…。視ていて救いの無い話である。

  そして次のニュースに替わった。ペットのメタボの話である。今、日本で飼われているペット犬の数は2500万頭とか。ところが、最近、このペットに運動不足と栄養過多で人間同様のメタボの犬が増えているとか。
その解消のために特別メニューが画面に紹介された。野菜中心の見た目にも美味しそうなこれがお犬様の餌かと思われるような中身である。結構な居間の中を我が物顔で走り回るビーグル犬。そのご馳走をガツガツと忽ち平らげた。
この特別メニューの食事をお取りになってからと言うもの以前には20kもあった体重が半分の10kになってご機嫌とか。食事の後は悠々とソファに寝そべってカメラのこっちに流し目をくれた。

 視ていて腹がたった。

 直前に見せられた、明日の仕事を探して、午前3時までネットカフェから携帯で仕事探しに躍起になっている37歳の男性の画像がまざまざと眼前に蘇って浮かんだ。
  これでは、やめられるものなら、人間やめてペットに変身したほうがどれだけ安楽なことだろうか。
  あまりにも無神経な、ニュースの並べ方ではないだろうか。NHKでは、人間も犬も同等の扱いなのかと噛み付きたくなった。

 私も、最近、捨て犬を役場からもらってきて飼っている。とても可愛い。しかし、家の中で飼うのは嫌だ。ペットと人間の関係には、けじめがあるべきだと思っている。
  もっともこんな事を言ってみた所で人それぞれの考え方の違いでせんないことは百も承知である。
  犬や猫のペットをわが子のように可愛がって暮らしている方々の事を度々見聞する。 しかしその度に、私には、その日の食にも困っている人々が、この地上に幾億といるのにと思ってしまう。
先日も、TVニュースで愛犬も夜のパトロールに一役とかで、それぞれの方が、自慢のペットに高価そうな衣類をまとわせて夜の街を闊歩させている映像を視た。
せめて、それは自宅内でひっそりと私事にしておくべきことではないだろうか。こんな事を思う自分は、偽善者なのかとも思ってもみるのだが…。

  そういえば、先日だったか、アメリカの不動産で巨億の財産を築いた女性が遺言で遺産を親族には、びた一文渡さず、百何十億円だかの遺産の全てを、80数頭の残されたペットのために使うようにとのこと。これに遺族が異議申し立てで裁判になっているとかの記事を読んだのを思い出した。

  ここまで書いて見て思うのは、私が、他人様の人前で過剰なペットへの入れ込みぶりを見せられる事に違和感を覚えてしまうのは、ペットを可愛がるという行為が、自己愛の一種だからではないだろうか。
  こう考えてみると、なるほどと納得がいった。

八王子通り魔事件―人間一人の生命の軽さ、嗚呼!―

2008-07-24 01:27:28 | 時事所感
 7月23日(水)晴れ、暑し。
  
 22日の夜、駅ビルの書店内で、棚の本を整理しているアルバイトの女性店員が包丁をもった見知らぬ男に胸を刺されて亡くなった。大学4年生。就職も内定していたとか。これからどんなに豊かな人生があったことだろうか。今や咲こうとしていた蕾が無惨に理不尽な暴力によりふみにじられたのだ。
  その場を逃げた男は、近くの交番の警察官の職質に「私が殺した…。誰でもよかった…」と平然と答えて逮捕されたという。
  このような通り魔事件、今年は、先日の秋葉原の事件に続いて早くも8件とか。
  
  江戸時代の辻斬りでもこんなに頻繁には起きていなかったのではないか。
  自分勝手な憂さ晴らしで見境も無く手近にある花でも無造作に手折るごとく人を刺し殺す。その神経は、普通の人間には想像を絶する。
しかし、今、何かの流行病のようにこうした事件を真似する人間が続出する。一体これはどうしたことなんだろう。
 
  私は、このニュースを視ていて、つい先日、スカイラークの契約社員の店長だったまだ32歳の男性が過労で、脳出血で死亡したことについて、遺族が労災で訴えたていたのが、認められた報道を同時に思い浮かべた。

すかいらーく「店長」が過労死=残業「月200時間」-春日部労基署が労災認定(時事通信) - goo ニュース
  この記事を読んでいて「何て酷い事だ」と思った。亡くなった青年の無念さを思った。涙がにじみ出た。
  青年は高校生の時からスカイラークでアルバイトをしていたとか。そして店長に抜擢されてその責任感に燃えて、他のアルバイトと店側の間に挟まって苦労していたとか。亡くなる直前の時期には、月、200時間を越える残業をしていたとか。ところが会社側(スカイラーク)側の記録では40時間でしかないという。
  恐らくは会社側では実態を知りつつ、労基法の手前、本人の善意の申告に胡坐をかいての頬っ被りをきめこんでいるのだろう。こんなに忠誠心篤い従業員を会社はそれでもなお正社員にもしようとしていなかったのだ。
  一体、この会社の経営者は、一人の人間を、その忠誠心、責任感、誠意を何だと思っているのだろうか。
  こういう人間搾取をやっている企業が白昼堂々と誰に咎められることも無く大手を振って世の中を闊歩しているのだ。
  自らの手には一片のナイフを持つ事も無く涼しい顔をして、自らのために刻苦精励している従業員が憤死していくのを平然と見過ごしにしてひたすら利潤を追求しているのだ。
  この企業経営者にとって、一人の人間は、単なるいつでも差し替えの効く部品の一つとみなしているのではないか。
  この企業経営者と、冒頭の通り魔事件を起こす犯人たちとの間に、人間一人の生命の重さを実感するうえで、どれほどの違いがあるだろうか。
  
  今の世の中、人は建前では、「一人の人間の生命の重さは地球よりも重い」などと言うが、一体何人の人が、そんな夢の中の戯言のような言葉を信じているだろうか。

  私たちが、日々見聞させられる現実はその言葉とは裏腹のことばかりではないか。
  一個の「お握りが食べたかった」と言い残して亡くなった、生活保護を拒否された病んだ男性。
そして、もっと大規模なレベルでは、イラクでの戦争。中国四川省での手抜き工事での地震被害。ミャンマーでの水害。いずれの場面でも、為政者、権力者、強者にとっては、弱者の生命など、虫けらほどの軽さでしかないのだ。
このような強者の傲慢と横暴が、この世から無くならない限り、今回の事件にみる絶望した弱者の狂気というか人間としての思考停止による事件は、後を絶つことはないのではないか。
  
  
  



ショック、不景気を実感する!―嗚呼、懐かしや二宮尊徳の教え―

2008-07-22 00:25:45 | 日常雑感
7月21日(月)晴れ、日中暑し。

  7月19日、土曜、この日から夏休みが始まり、海の日を含めての3連休。この朝、中央高速は渋滞40KとTVニュースは告げていた。
  私が、昨夏以来、土日の休日、似顔絵描きに通っている近くのテーマパーク。さぞかしの入場者数かと期待に胸躍らせて出かけた。
  正午近く、園内に入ってみるとそこそこの入りである。子供づれで賑わっている。早速店開きする。ビーチパラソルを広げ、その下に椅子テーブルをセットし、昨年の経験から、人は自分の似顔絵を描いて欲しいのだが、人目が気になって寄り付いてくれないのではないかと察して、今年から目隠しをかねたパネルを並べてみた。こうして、準備完了お客様の座ってくれるのを待つ。
  しかし、いつまで待っても目の前に「お願いします」と腰掛けてくれる方は一向に現れない。
  パネルに貼った、これまで描いた方々の似顔絵を持っていただいて撮った写真や、パネルの実物見本に暫し足を止めて「よく似てるねー!」と感心してくれる声はいくつも聞こえたのにである。
  こうして初日、二組、昨日も二組、そして今日はとうとうたったの一人。
  
  この間、私をここへ、引っ張ってきてくれた場内案内担当のKさんが心配しつつ慰め顔に立ち寄ってくれる。「商売は、厭きないだから…」と言ってくれる。
  ちなみに園内の売店のみやげ物の売り上げ状況を訊いた。昨年よりも好いとのこと。
  
  私は考えた。みやげ物は、近所や職場に欠かせない。だが、似顔絵なんかはどうでもいいものである。財布の中身が今後ますます不透明になる中で、どうでもいいもが真っ先に切られるのは理の当然というべきか。納得できた。

  同時期、自宅のささやかなホームギャラリーにも、昨夏はそこそこ立ち寄って下さる方があったのに、今年は、いまだ皆無である。

  いかに、今の庶民の懐が厳しいかということを生まれてはじめて実感した思いがした。
  何と今まで世の景気不景気とは無感覚の極楽で過ごしてきた事かと思わずにはいられない。

  そして今、世の不景気の全ての元凶は、この先何処まで高騰するのか先の見えないガソリン価格にあるのではないか。
  そしてその更なる大元の元凶は、無謀で支離滅裂・理不尽なイラクへの戦争を仕掛け、目先の景気浮揚のために、返済能力も不確かな人々を、甘言を持って無謀なサブプライとかいう住宅ローンに釣り込んで、その返済リスクを証券に換えて世界中に新型ウィルスの如く撒き散らしたアメリカ帝国主義にあるのではないか。


  ここでつくづく思い知ったのは、その昔、小学校の校門の傍に薪を背負って書物を片手に歩む二宮金次郎の銅像である。
  あの銅像を見るたびに、あのお方はどうゆう方だろうといつも思った。そして絵本の偉人伝で知った。偉い人だと思った。とても真似のできない人だと思った。
  後年、その教えとして、人は先ず「3年分の蓄えを為すべし」とある事を知った。なるほどと感服した。だが、一向に実践する気にはならなかった。

  私が世の中の歯車の一部に組み込まれた時代は、高度成長経済の真っ只中。欲しい物は、月賦で、たやすく手に入った。そして、それはもっと耳障りの良い「ローン」というメロンを連想させるような響きで、私の欲望を限りなく拡大させた。
  貯金してから物を買うなんてまだるっこしいことは、とてもするきになれなかった。

  だが、「ローン」というもののいかがわしさ、危うさ、が、今漸く身に沁みて理解できた。時既に遅しであった。
  
  ここで思うのは、二宮尊徳翁が幼き時より身をもって学んだ智恵こそは、人類の暮らしのあり方に普遍的な真理ではないかということだ。
  為政者が、もし、この心がけで政治を行ってくれれば、この世が天国に変る事はまちがいあるまい。
  新自由主義経済学などと言う浅薄な浅智恵が闊歩する今こそ、今一度、小学校の校門に二宮金次郎の銅像を建て、日々子らに磨きなおさせるべきではないだろうか。
  それこそが、今後、底なし沼をあゆまねばならないようなわが子や孫たちが、何とか生きていくうえでの最良、不可欠の智恵ではないだろうか。
 
  ところで、似顔絵描きの方は、当面、ガソリン価格が元に戻るまでは、お休みさせていただこうと思う。
   残り少ない我が人生、時間こそは一刻千金であるから…。

  

スパモニの心無い取材―秋葉原お供え持ち逃げ追跡―

2008-07-17 01:09:35 | 日常雑感
7月16日(水)晴れ、暑し。

 14日、月曜日だったかのスパモニを視ていたら、秋葉原連続殺傷事件で亡くなられた方々への供花台から、お供えを持ち去る心無い何者かが後を絶たないという。
そこでスパモニでは、わざわざリポーターが24時間とか現場に張り付いて物陰からカメラを構えて監視したそうだ。
すると、夜、人通りが少なくなるのを見計らって、次から次へとジュース缶やお菓子を持ち去る者が現れる。
彼らは、何度か供花台の前を行きつ戻りつする。そして持参の袋にすばやくそれらを仕舞いこむ。
次の瞬間、若い男性のリポーターが物陰から飛び出して、マイクを突きつけて言葉鋭くとがめる。

『どうしてお供えを持っていくんですか?。亡くなられた方を悼んでお供えしてあるものではないですか。お供えされた方のお気持ちを考えてみてくださいよ。元のところへ返しましょうよ!』と執拗にせまる。

マイクを突きつけられた人たちは、路上生活者だという。
『腹が減って喉が渇いてたまらない。一銭も持ってないんだよ。見逃してよ…』と言うように応え返す。

見ていて非常に不愉快になった。
あの、リポーターは一体何様の積りだと問いたくなった。

聞けば、供花台は千代田区が設置したものだそうだ。1週間ごとに集めて廃棄処分するそうだ。ジュース缶だけでも1万本になるとか。
それを、夜分こっそり困った人たちが持ち去ったといって何を居丈高にとがめだてしなくてはならないのだ。
昔から、お墓や何かにお供えするのは、暗黙のうちにお供えしたものが、困った誰かに引き取られ、それが供えられた方々への功徳になるということではないのか。

  人とは不思議な者だ。亡くなった人へは、もう飲む事も食べる事もできない品物を惜しみなくささげるとというのに、現実に生きて困っている人たちの為には、よほどのことが無い限り何かをしてあげようと言う気にはならないのだ。
  自分に関係なければ、素知らぬふりでやりすごしてしまうのだ。非正規雇用だろうがなんだろうが…。ということではないだろうか。
  私たちの周囲への無関心が、今回の事件発生の大きな要因の一つではなかったのか…。

NHKスペシャル“借金地獄から救いだせ―自治体VS闇金融―”を視る

2008-07-15 00:53:15 | 日常雑感
7月14日(月)晴れ。

  夜、10時、NHKスペシャル“借金地獄から救出せよ―自治体VS闇金融―”を視た。近頃に無く見応えが有った。
  そして救いのあるドキュメントであった。今話題の大分県の教育委員会汚職事件でのように公務員の腐敗ぶりが次から次へと報じられ中、こんな良い仕事をしている人たちがいることを知って嬉しくなった。

番組では、不景気と収入の格差が拡大するなかで、せっぱつまった生活困窮者を目当てに、あの手この手で魔手をめぐらす闇金業者の餌食になる人々が増えているという。
  これに対して、盛岡市では、自治体各部が連携して救いの手を差し伸べているのだ。水道料金の滞納を督促する際にも、一歩踏み込んで何故払えないのか、借金があるなら相談に乗るからと呼びかけて歩く。

  従来の行政の姿勢では考えられない弱者の身になった踏み込みである。私もかって水道料金徴収の現場責任者を1年ほど経験したことがあるが、福祉事務所に生活保護支給の有無を問い合わせるか、滞納分の分割納入の相談にのるのがせいぜいだった。
  それが、盛岡市では、消費者金融の専門相談担当者を置き、税務課から水道課まで組織を挙げて対応するというのだ。
  税金の滞納で差し押さえ処分の対象になっている人の相談を受け、担当者は、税務課と何とか滞納処分の執行を見合わせて、当該滞納者の生活が成り立つように支援できないかと話し合うのだ。その結果、処分が延期され、暫くして生活再生のめどが立った滞納者が、税金を納めに市役所に来て、担当者の手を握って感謝するのだ。
  担当者は、仕事で、市民から握手を求められたのは初めてと微笑した。

  福岡市でも同様の取り組みがおこなわれているという。
  こちらの具体的ケースは感動的であった。
  高齢の両親を抱え、シングルマザーで一人息子を育てる中で、自身も喘息で継続的な仕事ができず、生活保護を受けてやっとしのいできた。
  ところが息子が高校を出て就職すると、生活保護が打ち切られる。高齢の父が脳溢血で倒れる。市営住宅の家賃は60万も溜まって、退去を勧告される。おまけに息子が交通事故に遭う。
  市の相談窓口で紹介された弁護士の助力を得て一度は清算した、闇金融に又手を出して仕舞う母親。この一家の生活再建のために、重ねて相談員全員で知恵を絞る。
  先ず、就職した息子を所帯分離し、その息子に滞納家賃分を貸し付ける。残った母と祖父母には、生活保護を支給するというもの。
  この案に対して、息子に負担をかけまいと迷う母。しかし、息子の方は健気にその事を承知するのだ。当面の生活費を含めて80万円の貸付金を、20万円の給料の中から1万7千円ずつ5年間で返済するのである。何とも、きめの細かい親身な対応である。

  このような対応こそが、行政のあるべき真の姿ではないか。これでこそ全体の奉仕者に相応しい公務員である。
  番組は、こうした取り組みをしている自治体は、まだ少数だと締めくくった。

 しかし、闇金業者は、これからますます自分たちを必要とする人々が増えるに違いないと嘯く。
  そこには、契約書も何も取らず、法の手の届きにくい知人関係をよそおって、元金は返させず、法外な利息だけを借り手の息の続く限り貪りつくす闇金業者の恐るべき手口がまっているのだ。

  このような魔手、蟻地獄から、高齢化、単身所帯、親身な人間関係が希薄化する中で、弱者を助けられる主体は行政しかないのだ。
  行政に携わる人々はどうか、こうした使命感を強く持ち、誇りをもって取り組んでいただきたいものである。

東京一極集中のものすごさ…果たしてこのままで良いのだろうか?

2008-07-14 02:46:28 | 田舎暮らし賛歌
7月13日(日)晴れ、暑い一日。
 
  昨日の土曜、早朝にこの山家を発って、日帰りで東京に行ってきた。先ず東京郊外にある父母の墓に行き掃除とお参りを済ませた。
  墓石の脇の僅かの地面からどくだみが勢いよく伸びてその強い香がいよいよ夏を感じさせる。家人と二人小一時間ほどかかった。持参の花を供し、お線香の香に包まれて手を合わせると、何だか一つ責任を果たしたような気がした。しかし、身体の方は汗びっしょりで気持ちが悪い。
 急いで息子のマンションに向かい、早速、シャワーを浴びた。が、濡れた下着を着る気にはなれない。息子が近くのコンビ二で売っているという。直ぐに出向いた。今は下着まで買えるのだ。この便利さは、さすが東京である。

 午後、仲間のグループ展を視にでかけた。地下鉄の銀座で地上に出た。その暑さに驚いた。舗道を歩く。暑い、暑い。まるで灼熱の砂漠を往くとはこのことか。
しかし、落ち着いて周りを見れば、歩行者天国のビーチパラソルの下でのんびりと行き交う人々を眺めているひともいる。安さと美味しさで評判のすし屋の前には長い行列ができていた。この炎天下、そうまでして食べたい寿司とはどんなものなのだろうか。
本当は味なんてどうでもよくて、並んで食べたことを誰かに吹聴したいか、それとも並べば並ぶほど美味しく感じるのだろうか。
 
ほうほうの体で、ようやく目当ての会場に着いた。会場の貸し画廊は、クーラーが効いて涼しい。最早この東京という都市で人間が生きていくためには、電車とか屋内とか全てが人工的環境のなかでしか無理となっているのではないだろうか…。

早速昔からの仲間に会った。
 並べられている絵はどれも昨年と比べて大して変り映えしない。むしろ衰えがめだつものも幾つかある。哀しい現実として、描き手と比例するということだろうか。
 話せば、自身の老化や身内の介護の苦労話ばかりである。グループに入ってくる若い人は、ほとんどいない。思えば、この銀座界隈から画廊が随分少なくなった気がする。
 寂しい思いを抱きつつ会場を後にした。

 途中、こちらへ来た時にはいつも立ち寄る数寄屋橋交差点そばのビル一階にある書店へと思ったら、シャッターがおりている。見慣れた看板もない。店が無くなってしまったのだ。
 画廊の廃業、書店の廃業、日本文化は今確実に衰退期に入っているのではないだろうか…と、一瞬思う。
 否、そうではなくて、油絵なんてしんきくさいものはなくなって、コミック、やCG、DVDとかに変ったというだけなのかもしれない。

 肩透かしを食った感じで、地下鉄丸の内線で行きつけの画材店のある新宿三丁目に向かった。
 その三丁目駅に降り立って驚いた。僅か半年あまりの間に駅の様子がガラリと変ってしまった。一瞬どっちに向かって歩けば好いのか分からない。明治通りの下を新しい路線が開通したのだ。
ようようのことで地上に出た。画材店での買いものを済ませて西武新宿駅の方に向かった。
そこでまた驚いた。新宿の街路と言う街路は若者でごった返しの人間のるつぼであった。
 私同様の年恰好の中途半端な老齢者には、一人も出会わない気がした。そして、また暑い、暑い。
 もうこんな場所からは直ぐに逃げ出したくなった。無性に毎日瑞々しい木々に包まれ愛犬と跋渉できる山野の我が家に飛んで帰りたくなった。
 この人ごみ、一瞬にして消えてなくなったらどんなに気持ちが好いだろうとさえ感じた。
 恐ろしいことである。昔、読んだカミュの不条理とは、こういう心理をいうのではと、ふと思う。
ただし、私は懐にダイナマイトもダガーナイフとやらの物騒なものを所持していないことはいうまでもない。

 それとは反対に、この人々の一部でさえもが、我が地方都市に戻ってきてくれればどんなにか、皆が喜ぶだろうにと夢想した。
 東京一極集中の危うさ。もはやそれは、集団社会心理的にも、都市環境としての物理的容量(キャパシティ)としても沸騰・爆発直前の臨界点に達しているのではないだろうか。

 こんな東京で、このまま、またもやオリンピックをやろうなんて、そのために皇太子様をさえ自分の政策の宣伝道具の一つにしか考えていないのかと見える何とか知事閣下は、何を寝惚けているのかと言いたくなるではないか。
 もっともそれは、新東京銀行1千億とかの失敗を、世間の目から誤魔化すための目晦ましとみなせばわからなくはないのだが…。
 最早、この夜郎自大、天井天下唯我独尊閣下にとっては、自己保身以外には明日の東京がどうなろうが知ったことではないのかもしれないが…。
 こんなお方に生命財産を託して鷹揚に構えていられる方々が、これまた多いのも何ともまあ摩訶不思議な衰退的社会現象とみるべきではないのだろうか…。

  昨夜のそんな悪夢も忘れて、今朝、目覚めて、居間からヴェランダ越しの風景を眺める。一面の雑木林の梢の向こう遥かに、薄青く櫛形山が見えている。鶯のさえずりが聞こえる。
  日中、表へ出れば日差しは東京に変らず暑い。が、朝夕はグッと涼しくなる。
  しみじみとここに住む有り難さと安息を覚える。

大分県教員採用汚職事件―この国の退廃ここに極まれり!か―

2008-07-11 01:21:37 | 時事所感
7月10日(木)小雨が降ったり薄日が射したり鬱陶しい。

  このところの天気と同じように、連日、TV新聞で嫌でも見聞きするのが、大分県での小学校教員採用を巡る汚職事件だ。
  しかも、さらには教頭、校長への管理職昇任試験を巡ってもと広がりつつある。
  このなりゆきでは、中学校や高校の教員採用ではどうなのだろうか。疑惑は果てしなく広がる。

  文部科学省は、教員採用試験について全国に再点検するよう通達をだした。
  ということは、同様の問題が他府県にもありそうだということだろうか。
  昔から教員になるにはコネがなくてはと言う噂は聞いていた。が、今回は実弾そのものである。呆れて物が言えないとはこのことだが、黙まろうにも我慢ができなくなった。

  今年採用の40人のうちの半数にも及ぶとか。点数の低いものを合格させるために、態々合格ラインを超えている者の点数を減点までしたとか…。
  無垢の子どもに物事の正邪を教える先生たちが、平気で金品を受け渡してこういうことをする。
  地方での公立校の先生の社会的地位の高さや、地域住民の信頼感は都会以上のものがあるだろう。
  だが、今回の行為はそうしたものを一気に瓦解させたのではないか。
  教職というものが一気にいかがわしい二枚舌の社会集団とみなされるようになるのではないだろうか。日本という法治国家の根底を蝕むシロアリ集団ともいうべきだろうか。
  一体この汚名、社会的信用失墜をどうやって回復するのだろうか。

  国家の財政を握る官僚の公私混同にも似た公金の放漫支出…。企業での決算書の改ざん、偽装食品の氾濫、住宅の耐震偽装…。

  まあ、そもそも人間というものは、誰でもが6割よくて、4割は悪心を抱いているからと達観するほかないのだろうか。
  今回の可愛い娘を合格させるため4百万円贈った校長先生は、それまで極めて周囲の評価の高い先生だったとか…。
  間違った親心の重心がいつもの良心から悪心に傾いて、自身のこれまで培ってきた周囲の信頼や尊敬を一瞬にして失い、これから将来ある娘さん自身の未来にも重い頚木をせおわせることとなったのだ。
 
 たった一度しかない短い人生。もう少し、想像力働かして、悪心の焔に水をかけられなかったのだろうか。
  心に一点の疚しさも無く、毎朝のお天道様を拝める事以上の幸せがこの世にあろうかと、貧しい私は思うのだが…。
  

立ち話…「自民党には絶対入れない…」

2008-07-06 00:44:06 | 日常雑感
7月5日(土)晴れ、暑し。

赤松の林の小道を抜けると明るい畑地に出た。赤松林との境目に砂利道が続く。愛犬ペグが急に走り出した。急いで名を呼ぶ。ちとやそっとでは我が手元に戻ってこない。ようやくの事で捕まえて、頸に引き綱をかけた。引っ張られぎみに付いていくと、我が家への曲がり角のところで農作業をしている人に出会った。年の頃は、我が身と同様とみた。

  こちらの挨拶に、先方は「ワンちゃんのさんぽですか?、いいね」と応えてくれた。
そして、足元の畑の畦を指して言った。
「これみてくださいよ、こりゃ-イノシシですよ。蹄が二つにわれているでしょう」なるほど言われてみれば、何かの獣が体重をかけて踏み込んだようにみえる。
「まったくたまりませんよ。こうして片っ端から荒らされてしまうだから…」
去年は、もろこしもトマトもかぼちゃもさあこれから収穫するかと思っているはなを、猿にみんなくわれっちまったとのこと。

  そして、猿とのおっかけっこで猿の逃げる格好を実演してみせてくれた。長靴で蟹股になってのその姿は名演であった。いかに執念を込めて追っかけた気持ちが伝わってきた。
 「今、猟銃の免許をとっているんですよ。取ったら一発ですよ。だが免許もらえるまでなかなか大変でねー」

  男性は、4年前に一度の人生、いつまでも同じことをやっていてはつまらないと、会社を早期退職して、実家の両親が倒れたのを機に農業に転じたのそうだ。
 だが、やってみたら想像以上にきびしいとのこと。とても採算があわないとのこと。退職金で農機具を新しくした。おまけに両親の介護費用に月、30万円もかかる。貯金はどんどん減っていく。自分の年金がもらえるようになるにはまだ数年かかる。このままでは頸を吊るしかないかと思っているところへ、新設された老人ホームへ両親を入所させるこ
とができた。それでやっとひといきつけたとのこと。
 東京や他へ行ってしまった兄弟はなにもしてくれない。貧乏くじをひいてしまった。呆けてしまった年よりには、正直言って早く死んでもらいたいのが本音だとのこと。

  ここの畑一体、農政は金かけて整備したが誰がたがやすってんだろう。今に忽ち草茫々の昔に帰ってしまうよ。

  つくづく百姓は自民党に騙されてきたと思うよ。今度は絶対自民党には入れない。早く選挙になればと思ってんだが、まあ、自民党としては負けることがわかっているから、当分選挙はありそうにないね…。

  私が、この整備された畑を地元の非農家の希望者には1反部(300坪)を2万円プラス水道代8千円で貸し出すと聞いたので、借りてサツマイモでも作ってみようかなと思っていると話すと、即座に、やめたほうがいいとのこと。
  サツマイモは収穫後の保存に温度と湿度が難しい。収穫して直ぐ売りに出したのでは、二束三文にかいたたかれるとのこと。あえなくわが思惑はついえた。

  政府は、自給率を39%から50%に上げるなんていっているが、誰がやるんだっていうんだとのこと。
政府で若い人を雇って食べていけるだけの給料を出すようにしなけりゃあそんなこと不可能だよ…。

  思わぬ、畑の道端での長話になってしまった。


  それにしても、このところの原油高で、漁業者は休漁するとか。
  一体、この世の中、人間が生きていくうえで不可欠の食料生産に携わっている人たちがまともに豊かに暮らせないってことはどういうことだろうか…。
  他方では、IT関連とか、ファンドマネージャーとか、直接的には人間の生死に関係ない職業についている人たちほど巨億の富を得る…。

  全く合点がいかない話ではないか。




“公務員天国”をつくりあげた者は、誰か…?

2008-07-02 17:48:20 | 時事所感
7月2日(水)晴れ

 今日、こんな記事が目に止まった。社会保険庁のでたらめぶりが何によってもたらされたかが書いてあった。

 『特集 公的年金:社会保険庁を廃止、日本年金機構へ
 社会保険庁を廃止し、2010年1月に新たに発足する日本年金機構のあり方を議論していた政府の年金業務・組織再生会議が6月30日、職員の約2割減の人員削減などを盛り込んだ最終報告書をまとめた。社保庁はなぜ「解体・廃止・民営化」されなければならなかったのか。年金記録のずさんな管理で明らかになった社保庁の悪しき体質、その常軌を逸した行動の背景にあった職員組合問題、利権を確保するための巻き返しなどについてジャーナリストの岩瀬達哉氏が解説、社保庁の「解体・廃止・民営化」の舞台裏をどのメディアよりもいち早く詳細に報告する。』

 しかしこの体質は社会保険庁だけではないのではないか。これは、今はそのほとんどが解体、民営化されたかの悪名高き三公社五現業といわれた時代の残滓というかシイラカンスのようなものであり、今も脈々といささか息を潜めつつも、スキあらばと虎視眈々と日本中のそこここに生息しているのではないか。
 たとえばそれは、国に残る現業部門をはじめ、各地方自治体の現場部門にである。

 私がこう推察するのは、私の小さな体験事例からである。

 それは私が今から十数年前、50名足らずの出先現業部門を初めてあずかったときのことである。
 赴任してしばらく職場の実態を見ていると、階下の営業受付部署では、電話は鳴りっぱなし、窓口には来客とてんてこ舞いしているというのに、階上の直接窓口業務とは関係ない係の職員は大してすることも無く暇をもてあましている感じであった。誰彼見つけてはおしゃべりに興じている。その有様をみて係長を通して、注意を促したが一向に改まる様子が無い。

 その係員について、人事記録を見てみると前の職場では高い評価を受けている。まだ若い女性職員である。このままではだめにしてしまうと思った。
 そこで、四月の定期異動の際、階下の係で体調を崩して負担を軽くしたい年配者の職員が出たのを機に、彼女と交代させることとし、職場の組合に所内配置換えの人事案を提示した。

 ところがである、これが猛反対されることとなった。従来の職場慣行では、本局人事部の異動案で示されない限り、所内での係間配置替えは認められないというのである。
 年度末の慌しい中で労組分会と何度も厳しい話し合いをもった。分会は組合員の総意として配置換え反対の署名簿まで提出してきた。
 署名者の欄には当該の係長まで名をつらねている。私が事前に了解を取っていたにもかかわらずである。呆れて物が言えなかった。係長としては、組合員でもあり、所長と係員の間にたって苦渋の選択だったかもしれない。

 この私の陥った状況に対して、上部機関に報告したが、そこからは何の助言も支援もなかった。私が背後に感じたのは、小さなところで、馬鹿なことを、面倒なことを、なりたての管理職が、いきがかって、何をやってるんだという暗黙の冷ややかな嘲笑の視線でしかなかったような気がした。

 しかし、職務規定上では、所内の人事配置は所長の権限内のことであり、私は、それを梃に若い職員にはもっと勉強してもらわなくては返って本人の将来をダメにすると分会幹部を説得して、提示どおり実施した。
 その際、「今回の人事案を強行した結果、今後職場の雰囲気が悪くなってもそれは所長の責任だから、覚悟せよ…」とのご託宣を受けた。
 
 案の上、それからの毎日、私が日課にしていた朝の職場廻りに際して、こちらから挨拶しても無言で無視されるか、ばつが悪そうに下を向く状況となった。
 それまで各係りでの職場懇親会や旅行会など必ず声が懸かっていたのがぴったりとこなくなった。内心寂しかった。毎日の職場への足取りが重くなった。
 しかし、せめてもの救いは、少数ながら私のささやかな取り組みを評価してくれる職員がいてくれたことである。何でもかんでもごりおしする労組に批判的な職員も居るのである。夜、小人数の呑み会で慰めてくれた。

 かくも公務員社会では、おかしなことがあっても、箸一本容易には変えがたいのである。そのくせ、声の大きい議員先生や、○暴関係をちらつかされると、先だってのどこかの自治体での2億円もの生保支給のごとく、手も無くできないこともできるようにしてみせるのである。

 一方で、こうした公務員社会は、公務員法で十重二十重と厚く保護されておりその厚い底辺層での自己の仕事や抗公金支出に対する考え方は、一般社会とは浮世離れしたものとなっているのである。
 否、底辺ばかりではない。最近相次いで報じられる事象をみれば、その上澄みもいうものがな、満身創痍なのかもしれない。

 このような公務員意識のいびつな肥大化を許してきたのは、それぞれの場部署で組織の長ないし管理職としての幹部職員の無責任さにあることは言うまでもない。しかし同時に、それと知りつつ、大多数国民の無関心さであり、自分の足で現場を歩かず官・公機関発表文書に基づく記事を書いていれば足れりとする大部分のマスメディアの責任ではないのか。

 上記の記事で、本省からの若いエリート官僚が端からエレベータ内で「天下り反対、帰れ…」などと面と向かって囃した立てられたら、私などの叩き上げの海千山千と違って繊細なエリートのプライドはたまったものではないかと想像できる。

 しかし、こういう苦い思いを味わった筈のエリートさんたちは、何故本省にも戻ってから、それこそ組織的な問題として、優秀な頭脳と法律的知識を駆使して、その打開策について、長期戦略・戦術を練る努力をしなかったのだろうか。

 恐らくはちょっとつらいのは現場でのほんの僅かな期間であり、あとは本省へ戻れば上司の一言隻句をききもらすまいとの心地よい部下に囲まれて出世街道を驀進するうちに雲散霧消してしまうのだろうか。
 なまじ労組の体質改善なんてことは、その背景に労組出身議員や何やかやの魑魅魍魎が山のように控えていて、少々の官僚が策を弄したぐらいではニッチモサッチモ行かないことを頭の良い方々は さっさとお見通しで、わが身には下手をすれば足を掬われる危険があっても、あさっての向こうの目に見えない抽象的な国民のためを考えてなんて、そんなつまらないことなんかに、かかづらっていられるもんかというところではないのか。
 そしてやがては天下って、かっての部下に何かとお世話になることもあるのである。であるならば、後輩に悪評判のたつような鬼上司にはまちがってもなってはならないのである。こうして、公務員社会はノンブレーキの自己利得拡大暴走社会となるのである。

 さらに労組対策への無策・無気力は官僚ばかりではない。市長とか、知事とかの首長、各種議会議員もそうだ。
 今回、大阪府の橋下知事があまりの財政赤字に人件費の削減のため、初めて労組と7時間に及び激論を戦わせたという。本来ならば議会はこうした知事の姿勢に全面的に一致協力して最大限の応援をすべきであるはずなのに、傍から見ていると高みの見物をしているとしか受けとれない。
 結局は、職員の待遇切捨ては、自分たちの議員特権削減に響いてくるからではないのか。
 これは、議員が口では府民、市民のためなんてきれいごとを言いながら、その実は自分一身の利得しか眼中に無い輩が多数を占めているからではないか。

 ところで、冒頭、私の体験に登場してもらった女性職員は、その後、結構競争率の激しい係長試験に合格して立派に活躍中と仄聞した。

 私は、微力でも公務職場を預かる責任者がそれぞれの立場で、自分の世間常識に適ったことを信念をもって、遣り通せばそれなりに、組織体質は良い方向へ変わりうると信じている。
 何事か信じるところを遂行するために、一時の非難や組織的村八分が怖いようなら、そのような立場に立つことを最初から望むべきではないのではなかろうか。
 一人ひとりが流れの中で良い意味での杭になる覚悟こそが、厚い待遇を受ける公務員としての唯一必須の責務なのではないだろうか。

 私は、公務員の理想像として、これまでも折に触れて記してきたが、幕末の川路聖顕を想うことしきりである。その著「佐渡奉行日記ー島根の遊みー」「長崎奉行日記」を読むとその自らの公務へ取り組む誠実さ、忠誠心、周囲の人への優しさにたまらない感動を覚える。
 あまりにも立派すぎて、遠く及ばないとは自覚しつつも、究極にこのような人物が、僅か百年余り前に実在したことを、頭の片隅に置いておくだけでも、憲法第15条に規定している公務員の本質としての「全体の奉仕者」とは、具体的にどういうものであるかということが目に浮かんでくるのではないだろうか。

 公務員を目指す人、公務員研修では必読の書としてもらいたいと思う。