蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

NHK、BS1「オバマ大統領議会演説中継」―これこそ大統領!、見(魅)せられるな―

2009-02-25 22:55:28 | 時事所感
 2月25日(水)雨、肌寒し。

午前11:時から12時15分まで、NHK、BS1「オバマ大統領議会演説中継」を視聴した。アメリカ議会でのこのようなものを、じっくりと見るのは初めてだった。NHKだって過去にこんなものを生中継までしたことがあっただろうか。かくほど左様に今、世界中がオバマ大統領の一言一句に注目しているということだろうか。

  視ていて実に面白かった。まさに千両役者である。満場の議会に、狭い後方の入り口から、二人のいかめしい紳士に先導されて、オバマ政権の閣僚連(ヒラリー・クリントン国務長官他)を先触れにオバマ大統領が入場。通路の両側に立ち並ぶ議員が拍手して一行を出迎える。人のアーチの中でお互いに抱擁し、肩を叩き何かを囁き会う。
  そうして漸くのことで演壇に立った大統領に議場から改めて一際大きな拍手が沸く。女性議長が、「トン!」と軽く議長席の卓を木槌で叩く。会場がシーンと静まる。
 大統領が、振り返りその議長と隣の副大統領に黄色の演説草稿のようなものを手渡す。

 やおら演説が始まった。
 一区切りしゃべるつどに、議員は立ち上がって拍手する。その間、大統領はぐるりと会場の反応を見極めるように眺め渡して、次のフレーズを続ける。
  卓上に演説原稿がおいてあるのかどうかさえわからなかった。が、50分近くの演説中一度もその視線をテーブルに落とすようなことはなかった。
 演説の柱は、第一に石油などの輸入エネルギーに頼らなくてすむように太陽光発電などクリーンエネルギーの開発とそれに伴う雇用創出。
 第二には、医療保険の拡充。この面では、30日間で10年間の成果を挙げ、1100万人が新たに医療を受けられるようになった。今後さらに、電子カルテルの導入、予防医療の充実に力を入れる。
 第三には、教育改革。今、高校に入っても中退者が多い。大学を卒業できるのも入学者の半分である。これからのアメリカが競争力をつけるためには、全ての国民が高卒以上の学力をつける必要がある。そのためには、700万人の学費援助を目指す。
 これらを実現していくためには、厳しい財政規律が求められる。これには時間がかかるが、既に2兆ドル(200兆円)の無駄がみつかった。
 国防予算についても意味もない武器を購入することを止める。イラクでの無駄を終わりにする。(※ このことについては、果たして、故アイゼンファワー大統領でさえその脅威を警告したアメリカの産軍複合体にどこまで、オバマ政権が、その削減に切り込めるのだろうか…という思いがする。)
 そして、自分が今話したことを、確実に実行するかどうか副大統領が厳しく監視するのだと、後ろの副大統領を振りかって、彼を立てることを忘れなかった。
 また、演説の最後の方では、ある中小企業の経営者は、苦しい経営の中で自分のボーナスの中から困っている人々に黙って支援している立派な人が居るといって、傍聴席の中年男性を紹介した。
 この経済的な苦境を我々が抜け出すためには、希望を失わずにこのような人々をみならって各自が奉仕の精神を持ち、その責任をはたしていくことであるとした。家庭でもTVの後で親は子供の宿題をみてやるべきだとした。そして何としても自分たちの子供たちの世代に負債を残さないことであると締めくくった。

  演説を終えた、大統領は、万雷の拍手に包まれて、再度、議場の人々と握手しにこやかに会場を後にしていった。
  とにかく今のオバマ大統領は、まさに千両役者である。
  恐らく、今世界中の多くの人々がそう感じているのではないだろうか。どうかこの多くの期待が落ちた偶像として裏切られることのないよう願いたい。

  ところで、視ていて、私の頭の中には絶えずつい先日も目にしたわが国の国会中継の映像がオーバーラップしていた。
  冗長で退屈な各省庁が割り当てられて官僚が書いたに違いないホッチキスで止めたようなめりはりのない原稿の棒読みのような施政方針演説。与野党お互いに揚げ足取りの重箱の隅をつつくような質疑応答。なんとした違いだろうか。
  アメリカは、やはりたいしたものである。何よりも良くも悪くもダイナミックである。そして何よりも明るさを感じる。
  そこには、これでは駄目だとなったらためらいなく、過去のしがらみを一時棚置きしてでも、これはと思う若きリーダーに託そうとする勇気を国民が持っているからだろうか。

  ともあれ、今回のオバマ大統領の議会演説中継は、我々にとって、実にタイミングの良い政治学習の格好の好材料だと思った。

  とにかく米国連邦議会議員上下合わせて、533人に対して、わが国では衆参合わせて722人。
  その予算規模を比べれば、前者は約290兆円、後者は約85兆円。人口比、2億6千万人対1億3千万。
  先ずはここから見直しが必要ではないか。

 追記:演説要約部分、同時通訳を聞いての記憶だけで記しため正確でないことをお断りしておきます。

映画"おくりびと”アカデミー賞、おめでとう!

2009-02-24 01:29:05 | 日常雑感
 2月23日(月)雨のち晴れ。暖。

『MSN産経ニュース(2009.2.23 14:16)
【アカデミー賞】「映画は言葉を越え、国を越える」 「おくりびと」の滝田監督
 アカデミー賞の外国語映画部門を受賞した「おくりびと」は“納棺師”という仕事を通し、人間の生死という普遍的なテーマを問いかける作品。モントリオール世界映画祭でグランプリを獲得するなど、国内外で高く評価されている。
 「この賞は半分は主演の本木雅弘さんのもの。すばらしいスタッフが、みんなこの映画をさぐりながら、理解してくれた。海外の言葉の通じない人たちにこの映画が通じたということは、うれしいことです。映画は言葉を越える。国を越えることがわかった」
 受賞後の会見で滝田監督はこう喜びを表現した。
 アカデミー外国語映画部門の受賞は1956(昭和31)年の稲垣浩監督「宮本武蔵」以来4度目で、日本人監督作品では76(同51)年の黒沢明監督の旧ソ連作品「デルス・ウザーラ」以来となる。
 物語の主人公は上京してオーケストラのチェロ奏者となった大悟(本木雅弘さん)。
 ところがリストラで転職を余儀なくされ、故郷の山形に帰ることに。そこで、彼は亡くなった人の体を清め、棺に納める納棺師になり、師匠(山崎努さん)のもと、悪戦苦闘の日々を送る…。
 主役の本木さんは撮影前、本職の納棺師に付いて訓練を受けたが、それだけでは満足できず実際の納棺の場にも立ち会うなど、徹底的にリアルな役作りにこだわった。
 最後には、指導役の「本物」の納棺師は「もうあなたは立派に納棺師ができますよ」と太鼓判を押されたという。』


 私は、日頃、映画に特別深い関心があるほうではないが、大分前から“おくりびと”という聞きなれない題名の映画が、アカデミー賞候補にノミネートされているという事は耳にしていた。
 へーと思いながら、またいいところまで名前が挙がって、結果は残念でした、という事になるのだろうぐらいに思っていた。
 しかし、そのストーリーの断片を何気なく聞いているうちに、もしかして本当に賞が獲れたらいいなーと心密かに応援していた。
 そして今日の10時半には発表されると聞き、何となく落ち着かない気持ちになった。TV、ラジオのニュースに注意を払うもなかなかはっきりしない。漸くインターネットの上記の記事で、アカデミー賞に決まったことを知った。
  何故か、自分のことのように嬉しくなった。滝田監督や本木さんの喜びの言葉を読んで目頭が熱くなった。

  映画を見ていないので正確なことはいえないが、この映画のストーリーは、伝え聞く内容では極めて特殊な地味な内容に思える。
  しかし、そこに丁寧に描かれている人間の死に接しての厳粛さというか命の大切さ、生をいとおしむ心は、人類共通のものとして深い共感を得たという。
  今、私たちは、イスラエルとパレスチナの間で、イラクで、アフガニスタンで、アフリカのソマリア等々で意味も無く無惨な殺戮が繰り広げられている事を、毎日のように聞かされている。
  世界中の心ある人々はこの現実に耐え難いいらだたしさとやるせなさを感じているのではないだろうか。
 
  だからこそ、一人一人の死に対して、生きているものが心を込めてその死を悼む行為に心打たれるのではないだろうか。
  今回の“おくりびと”への賞は、世界の心ある人々の、平気で無惨な殺戮をやめない人々への満腔の抗議の声でもあるのではないだろうか。
  私は、そのことにまだ人間はお互いを信じあえるのだと感じた。そして、いつかはこうした思いがもっと多くの人々の共有するところとなって、殺戮が止む日がくるのではないかと遥かな彼方に思いを馳せてみるのだが…。

  それにしても、このところの日本は、政治の世界では、先進国中、最低レベルに近いようだが、その他の世界では、昨年の4個のノーベル賞と良い、今回の2つのアカデミー賞といいなかなかたいしたものではと嬉しくなる。

  近いうちに何としてもこの映画みてみたいものだ。
  

ーオバマ政権対麻生政権ー天と地のこの落差!

2009-02-21 00:21:11 | 時事所感
 2月20日(金)雨のち晴れ。

  連日報じられる麻生政権の体たらく。中川前財務大臣の無責任、無様まさ。これに止めを刺すかの小泉元総理の造反。自民党政権の断末魔の悪あがきをこれでもかというほど見せ付けられている思いだ。

  これに比べて、アメリカのオバマ政権のなんと果敢な取り組みだろうか。矢継ぎ早に次々と必要な手立てが打ち出されていく。

  我国でここまできたら誰の目にも明らかな事は、国民の信を失ったとして、速やかに一日も早く解散して、真に国民の信が何処にあるかを問うべきではないか。
  麻生総理に一国のリーダーとしての矜持と責任感と国家国民を真に思う気持ちがあるならば、速やかにそうすべき事が最善の現下の方策ではないだろうか?
  だがそんな誠心誠意さは彼の心の片隅に微塵もないようだ。何としてでも定額給付金が国民の手に渡れば、なーに世論なんて忽ち風向きが変わるだろうと、国民を舐めきっているのではないか。

  確かに、我々国民もそのように彼から舐められてもしかたが無いのではないだろうか。ここまで世界一のペースで国民の消費は冷え込み、巷に倒産・リストラの大波が日本経済全体を押し流そうとしているにも拘らず、国会議事堂周辺には麻生内閣打倒のデモ一つおきないのだ。

  僅かに新聞の世論調査での支持率の低下が国民の不満を蚊の鳴くような声でささやいているかにすぎないのだ。

  こんな我国の状況に比べて、フランスではゼネストまで決行されて、それなりに政府から譲歩やよりましな対策を引き出しているのにである。
  連合など大企業組合は、マンネリ化の春闘と称して形ばかりの賃上げ要求を経営者側に突きつけているが、一体どこまで本気でこんな茶番をやっているのだろうか。どうして、豊かな闘争資金を使って、国民世論全体のリードオフマンの役割をになって、麻生内閣打倒デモの一つでも組織してみせないのだろうか。
 
  それとも、皆さん、口では大変大変とは言いながら、その実、懐には今まで溜め込んだものが結構あって、当面は、明日にもご飯がたべられないということでもないし…ということなのだろうか…。

NHK大河ドラマ「天地人」を視る。―面白くない!―

2009-02-15 23:17:40 | 日常雑感
2月15日(日)晴れ。暖。
 
  夜、NHK大河ドラマ「天地人」を視る。第7回、―母の願い―。
今夜の粗筋はNHK番組案内では、こうである。
『謙信(阿部寛)に蟄居(ちっきょ)を命じられた兼続(妻夫木聡)は、上田庄の雲洞庵にこもり、自らを見つめる。そこに弟の与七(小泉孝太郎)が訪ねてきて、母・お藤(田中美佐子)の容態が思わしくないことを伝える。しかし兼続は意地を張り、帰ろうとしない。一方、北条は関東の上杉方諸城の攻略を再開。上杉軍は七尾城攻めを中止し、北条討伐に向かう。謙信が再び七尾城攻めに戻るころ、兼続のもとに母の危篤の知らせが届く。』

少しも面白くなかった。脚本が平板すぎるのか。だいたいが上杉謙信ですら、戦国武将としては一地方の武将で終わった人物である。そのまた跡継ぎの景勝の家老だった人物を、いくら天下の秀吉がたかくかったからといって、連続50回ものドラマにして見せようというところに無理があるのではないか。
しかも、直江兼続の幼少時代の資料など皆無に均しいとか。謙信との直接の関係も不明という。確かに、だからこそドラマと断ってあるのだろう。
しかしそれならば、もう少しドラマらしく見せて欲しいものだ。

今回、直江兼続が主人公に選ばれたのは、(※『』内はウィキペディアからの引用です。)
『米沢への転封の際に上杉家は大変な財政難に陥ったが、兼続は「人こそ組織の財産なり。みんな来たい者はついてこい」といい、召し放ち等の現代で言うリストラをしなかった。米沢はかつての領国の四分の一の石高の地で、上杉家を待っていたのは厳しい暮らしであった。しかし、兼続はここで家臣と家族3万人を養おうと、自らは質素な暮らしをしながら、国造りに取り組む。米沢市の郊外には、兼続の指示で土地を開いた武士の子孫が今も暮しており、その家の周りには栗や柿そして生垣にはウコギが植えられている。いずれも食べられる食用の木である。兼続は実用的な植物を植えさせることで、人々の暮らしの助けになるよう心を配っていた。』
『妻・お船の方との夫婦仲は大変よく兼続は生涯側室を1人ももたなかった。』
と、いうようなところが、現在の、リストラばやりの世相への鏡として取り上げられたというところではないだろうか。

これに比べて、昨年の「篤姫」は、毎回が楽しみなドラマだった。主演の宮崎あおいや堺雅人といった配役や脚本が好かったからだろうか…。

それに比べて、今回は、今まで見た限りでは、予六を演じた加藤清史郎(せいしろう)君という7歳の子だけが抜群に可愛かっただけだ。
いただけないのは釣馬鹿日誌の社長の運転手役が、木下藤吉郎で出てくるところである。ミスキャスト、興ざめもいいところである。(※釣馬鹿日誌の三国社長の運転手役としては抜群である。)
どうやら、今年のこれからの日曜の夜の楽しみが一つ減ってしまったようである。